もしあの鉄道車両が計画されなかったら

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国鉄・JR[編集 | ソースを編集]

新幹線[編集 | ソースを編集]

100系[編集 | ソースを編集]

  1. 200系H編成は登場しなかった。
  2. 「グランドひかり」編成も登場しなかった。
  3. 「スーパーひかり」が企画されることはなかった(史実では実現せず)。
  4. 0系がJR発足後まで製造されていた。

300系[編集 | ソースを編集]

  1. =「のぞみ」が計画されなかったら、である。
  2. JR東海は史実以上に新幹線至上主義に走ることはなかった。
  3. 以降、東海道新幹線で運用される車両は編成・座席数の統一を徹底されることはなかった。
    • 更なるサービス低下も起きなかった。
    • 東海道新幹線は現在でも車両のバラエティに富んでいた。
  4. その分、スーパーひかりが実現していた。

500系[編集 | ソースを編集]

  1. 現実の700系が500系、N700系が700系になっていた。
    • 700系(現実のN700系)誕生前は、のぞみは500系(現実の700系)のみになっていた。
  2. 0系と100系(山陽こだま)の置き換えが300系になっていた。
  3. 700系が失敗作になっていたかも。(by500系ファン)
    • N700系の登場が史実より早かった可能性もある。
  4. 「勇者王ガオガイガー」のガオガイガー両肩はE2系になっていただろうか…。
  5. 300Km/h運転は700系(史実のN700系)登場まで待つ事に。
    • じゃあ現実のN700Aは「700A」か。
  6. 「電光超特急ヒカリアン」の主人公はどうなっていたのか?史実では前作「超特急ヒカリアン」に幼い子供のキャラクターとして登場した500系新幹線。
    • 新幹線変形ロボシンカリオンにも影響が出ていた。

電車[編集 | ソースを編集]

もしあの鉄道車両が計画されなかったら/JR/電車

気動車[編集 | ソースを編集]

キハ37系[編集 | ソースを編集]

  1. =加古川線、久留里線が1980年代に電化していたらである。
    • 高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線、木原線では廃止・3セク転換までキハ30などが使用されていた。
  2. キハ54形、キハ185系にも影響をあったかもしれない。

キハ38系[編集 | ソースを編集]

  1. 八高線は1980年代に全線電化していた。

キハ45系[編集 | ソースを編集]

  1. 2ドアセミクロスシートといえば小田急2320形程度の認識で終わっていた。
  2. キハ47形、417系、富士急行5000形などの2ドアセミクロスシート車も登場しなかった。
    • 西武4000系も。

キハ80系[編集 | ソースを編集]

  1. 東北特急の近代化が遅れていた。
    • 東北本線全線電化まで待たなければならなかった。
  2. 北海道の優等列車も急行の天下が続いていた。
  3. というか、非電化線区の優等列車は急行の天下が続いていた。
  4. 初期不良で「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と揶揄されることはなかった。
  5. 動力近代化計画に、客車の運行縮小が盛り込まれたかあやしい。
    • DD51の開発が数年早まり、はつかりはDD51で無煙化された。
    • ナハ20が史実より多量に増備された、あるいは14系の登場が早まった。

キハ125形[編集 | ソースを編集]

  1. キハ220形の登場が早まっていた。
  2. 同型車として、島原鉄道がキハ2500形、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)がキハ3710形を投入することはなかった。
  3. 高千穂鉄道からの譲受車である海幸山幸用の400番台は本系列への編入ではなく、特急形として別の形式を起こしていた。

キハE120形[編集 | ソースを編集]

  1. 新津運輸区はすべてGV-E400系による運用だった。

キハE130形[編集 | ソースを編集]

  1. 水郡線水戸口は電化されていた。
  2. 久留里線は蓄電池車両になっていた。
  3. 八戸運輸区は電気式がハイブリッドが投入されていた。

キハ183系1000番台[編集 | ソースを編集]

  1. =オランダ村特急がなかったら、である。
    • オランダ村特急はむしろ、485系を改装した車両が充てられていた。
      • 廃止後は一般車に復元。
  2. 九州にキハ183系は存在しなかった。
  3. 電車と気動車の本格的な協調運転はJR北海道の731系とキハ201系で行われていた。
  4. 転用改造で迷走した車両が減っていた。
  5. ゆふいんの森・ゆふDXは別の車両、シーボルトは存在しなかった。

キハ201系[編集 | ソースを編集]

  1. 学園都市線がせ90年代に電化していたらである。
  2. ニセコライナーは廃止され、函館本線は小樽で系統分断されていた。
    • ↑ニセコライナーが朝夕,札幌-小樽間キハ150の6両編成で存続したかも(エンジン高出力車両に統一することにより定時制を向上できた)。
  3. キハ150が現実以上に増備され、3両連結してニセコライナーに使用されていた可能性もあった。
    • ↑繁忙期は4両に増車されたかも。
  4. キハ150のみの6両編成が(札沼線北海道医大以南が現実通りの時期に電化された場合)札沼線で見ることができた。キハ40 401・402の代わりに,キハ150が札沼線石狩当別以北のワンマン運用に入った。

2000系[編集 | ソースを編集]

  1. 振り子式気動車第1号はキハ281系になっていた。
    • 試作車だが、キハ391系は?
  2. その分キハ185系が更に増備されていた。
    • JR九州への譲渡や普通列車転用はなかった。
      • それでもアンパンマントロッコのようなキハ185系改造のジョイフルトレインは史実通りだったかも。
  3. JR四国の特急は高速バスに史実以上に苦戦していた。
    • 結果利用者減で減便されていた可能性も。
  4. 8000系は振り子無しになってたかもしれない。
  5. 2600系はキハ185系置き換え用として史実より2.3年ほど早く導入された。
    • 量産が断念されることはなかった。
  6. 智頭急行HOT7000系にも何らかの影響があった。

TSE登場後開発中止になっていたら

  1. TSEは団体用になっていた(実際にコケた場合はそうする予定だったとか)。
    • 「アイランドエクスプレス四国Ⅱ」は登場しなかったかも。
  2. これ以降振り子式気動車は登場しなかった可能性がある。
    • 結果北海道や山陰の特急列車は新型車両導入後もあまり所要時間を短縮できずバスや航空機に利用者が流れていた可能性が。

客車[編集 | ソースを編集]

10系[編集 | ソースを編集]

  1. 近代的な外観、内装が気動車、電車にも波及することはなかった。
  2. 北陸トンネル火災でやり玉に挙がることはなかった。
  3. ナハネ10、ナハネ11、オハネ17が存在せず、B寝台はスハネ30ばかりだった。ナロ10も存在せず、オロ61がもっと大量にあった。

12系[編集 | ソースを編集]

  1. 14系も存在しない。
  2. 夜行急行列車の近代化すらされなかった。

20系[編集 | ソースを編集]

  1. 「走るホテル」と呼ばれることはなかった。
  2. 寝台特急にも10系が投入されていた。
  3. 寝台特急「日本海」火災事故は発生しなかった。

E26系[編集 | ソースを編集]

  1. 「カシオペア」も当然存在しない。「北斗星」も現実より短命に終わっていた。

50系[編集 | ソースを編集]

  1. 普通列車用客車は歴史上、完全新製車は存在しなかった。
  2. 当然、キハ141系やキハ33形は登場しなかった。
    • キハ141が登場しないことから学園都市線では車両が不足し北海道の鉄道路線としては珍しく混雑率200パーセントという状態が電化するまで続いていた。
    • 学園都市線を電化していたorキハ150をさらに増備していたのでは?
  3. 特急格上げで捻出した急行型車両を普通列車に回すため、485系やキハ183系が更に増備されていた。
    • 12系1000番台(近郊格下げ車)も増備していただろう。
  4. SLあそBOY(人吉)の客車は旧型客車を改造した非冷房車になっていた。
    • むしろ12系から改造していた。
  5. 快速「海峡」も14系座席車のみで実際より本数が少ない状態だった。
  6. =国鉄民営化時に客車列車を全廃させる予定だったからである。
  7. 代わりに14系座席車が80年代半ばまで導入が続いた。旧型客車の急行運用は14系座席車導入まで続いた。
    • 14系500番代は完全な極寒地向け新車だった。
  8. 417系電車などの電車やキハ40系気動車などの気動車が史実よりも多く製造されていた。

ななつ星in九州関連車両(77系客車・DF200-7000)[編集 | ソースを編集]

  1. 「四季島」や「瑞風」といった豪華寝台列車も計画されなかった。
    • 日本での豪華列車ブーム自体起きなかった。
  2. =「ななつ星in九州が計画されなかったら」である。
  3. DE10の黒塗りが増備されることはなかった。

機関車[編集 | ソースを編集]

EF66形[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄に流線型の新性能電気機関車は存在しない。
  2. EF65形の重連運用が増えていた。
    • JRになってから増備が再開される。
  3. 九州ブルトレはロビーカー登場後に瀬野八での補機連結を復活させていた。
  4. 3.による広島以遠発着のブルトレの所要時間が長くなることにより,呉線の線路と電化設備の強化が実施される。

EF200形[編集 | ソースを編集]

  1. EF66 100番台が更に増備されていた。
  2. 性能を持て余す車両が減っていた。
  3. EF500、ED500も製造されなかった。
  4. 日立は今もJR貨物の機関車を製造していた。

DD51形[編集 | ソースを編集]

  1. =動力近代化計画がなかったら、である。
  2. SLファンから疎まれることはなかった。
    • 「赤ブタ」「文鎮」と揶揄されることはなかった。
  3. DF50形が更に増備されていた。

DD54形[編集 | ソースを編集]

  1. 度重なる欠陥でやり玉に挙がることはなかった。
    • 54機関車のジンクスが減っていた。
  2. DD51形の製造数は史実と変わらない。

私鉄[編集 | ソースを編集]

東武鉄道[編集 | ソースを編集]

8000系[編集 | ソースを編集]

  1. 2000系が更に増備され、日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
    • 後継車である20000系も日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
  2. 私鉄の103系と呼ばれることはなかった。

西武鉄道[編集 | ソースを編集]

2000系[編集 | ソースを編集]

  1. 西武の通勤車両は3ドア車を頑なに導入し続けていた。
    • その分、3000系が更に増備されていた。
    • それすらなかったので有楽町線や副都心線との相互乗り入れも企画されなかった。
      • よって、6000系も登場しない。
      • S-TRAINも設定されたか怪しくなる。

40000系[編集 | ソースを編集]

  1. S-TRAINは無かった。
  2. その代わりレッドアローの置き換えとして西武・秩父・メトロ・東急・横浜高速に直通する新型特急車両を開発していた。
    • その場合4000系の池袋・秩父鉄道乗り入れ廃止、池袋線無料種別飯能運行系統分断、快速急行全列車地下鉄直通&練馬停車が実施されていた

東京急行電鉄[編集 | ソースを編集]

3000系(2代目)[編集 | ソースを編集]

  1. 目黒線の車両は5080系で統一されていた。
  2. 5000系が3000系を名乗っていた。
    • 5050系は3050系、5080系は3080系を名乗る。
  3. 史実の2020系が5000系を名乗っていた。

6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 大井町線には5000系が導入されていた。
    • 形式名は5090系辺り?
    • または6020系が史実より早く導入されていた。
  2. Qシートが組み込まれるのは史実通り。

8000系[編集 | ソースを編集]

  1. 東急は18m車を頑なに導入し続けていた。
  2. 7200系が更に増備されていた。
    • 18m車オンリーであるため、運用効率化の観点から7200系も日比谷線に乗り入れていた。
    • その代わり、半蔵門線は18m車対応で建設されていた。
  3. 副都心線直通まで東横線は18m車オンリーだった。
  4. 田園都市・半蔵門線開業で20m車を導入したかもしれない、東横線系統は18m車、田園都市・大井町線は20m車の二本立て。
    • 目黒線化の時点で20m車対応の工事にかかって後は史実通り。

京王電鉄[編集 | ソースを編集]

6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 京王本線は18m車の8両+4両対応にホーム延長。
    • 相模原線は最初から12両対応、高尾山口は8両しか入れない。
  2. 京王本線のステンレス車は井の頭3000と共通車体。
  3. 当然都営新宿線も18m車で建設。
    • 新宿線と浅草線の車体は共通に。

東京メトロ[編集 | ソースを編集]

02系80番台[編集 | ソースを編集]

  1. この時点で方南町駅は6両化され、02系0番台が導入されていた。
  2. あるいは銀座線のお古が相変わらず使用された。
    • 01系が3両化されて転属していたかも。

05系千代田線転籍車[編集 | ソースを編集]

  1. 5000系および6000系ハイフン車引退と同時に北綾瀬駅は10両化されていた。
    • 現実の「綾瀬」行きは「北綾瀬」になっていた。
  2. B修工事も行われず、東西線側も15000系増備で対応していた。

小田急電鉄[編集 | ソースを編集]

2300形[編集 | ソースを編集]

  1. 3000系(SE)の登場が早まっていた。
  2. 珍車扱いされることはなかった。
  3. 準特急用の2320形の登場は史実と変わらなかった。

30000系[編集 | ソースを編集]

  1. 展望デザインを何とかして維持するために、史実の60000系のような車両がこの時点で製作されていた。
    • もしくは通勤用特急と言う概念が出てこなかった。
    • 「EXE」の愛称は採用されず、該当車両も従来の「○SE」を踏襲する形になっていた。
      • おそらくブルーリボン賞も獲得できている。
  2. 二層建て列車は存在しなかった。

60000系[編集 | ソースを編集]

  1. ≒「ロマンスカーの地下鉄乗り入れがなかったら」である。
  2. 御殿場線乗り入れ用の特急車両は全く異なるコンセプトになっていた。
    • おそらく両端とも非貫通型になっていた。
  3. 2009年の鉄道友の会ブルーリボン賞は京阪3000系が受賞し、同社としては初のブルーリボン賞受賞となっていた。

長野電鉄[編集 | ソースを編集]

1000系[編集 | ソースを編集]

  1. 2100系「スノーモンキー」がさらに増備されていた。
  2. 湯田中駅のスイッチバックが廃止されることはなかった。

名古屋鉄道[編集 | ソースを編集]

3880系[編集 | ソースを編集]

譲渡車ですが便宜上ここに。

  1. 名鉄の3扉車導入が遅くなっていた。
    • 少なくとも1970年代は2扉車が製造され続けていた(100系除く)。
  2. 6000系は登場しなかった可能性大。
    • 登場しても史実の中期車に当たる車両以降だった。
    • 6600系も無かった。
    • それでも100系については史実通り。
  3. ただでさえ少ない大手私鉄同士の車両譲渡例が1つ減っていた。

6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 名鉄の普通列車は今でも優等列車のお下がりだった。
    • それでも地下鉄鶴舞線や上飯田線直通には専用車両が導入されていた。
  2. 車両を普通列車と特急列車で分けることもなかった。

7000系[編集 | ソースを編集]

  1. 運転席を客室の階上(場合によっては階下も)に設けた前面展望車両は日本では存在しなかった可能性が高い。
    • 変わりにハイデッカー車両が史実以上に普及していた。
    • イタリア国鉄セッテベッロの日本における知名度はおそらくほぼ0。
  2. その分、5500系が多く製造されていた。
    • キハ8000系は5500ベースになっていた。
  3. マイカーから史実ほど利用者を奪えなかっただろうから、名鉄の経営は史実よりやや厳しくなっていた。
  4. 当然、7700系や7300系は登場せず。
    • 登場していても史実のような構造ではなかっただろう。
  5. 8800系や1000系にも影響が出ていた(特に一部に7000系の廃車発生品を使用した前者)。
    • 少なくとも展望席は無しか。
  6. 名鉄特急がミュージックホーンを搭載することはなかった。
    • ミュージックホーンが史実ほど普及しなかったかもしれない。
    • 「どけよホーン」なんて言葉も生まれない。
      • 言葉でいえば「ダンプキラー」もない。
    • 中京競馬場の名鉄杯のファンファーレははたして何の曲を使ってたのだろうか…
  7. 「白帯車」もなかった。
    • 名鉄に有料特急は登場しなかったかもしれない(北アルプスとその間合いを除く)。
  8. 名鉄の車両の塗装がスカーレット一色になることはなかったかもしれない(7000系で初めてスカーレット一色を採用したため)。

近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]

5200系[編集 | ソースを編集]

  1. JR西日本221系を始め、3扉転換クロスシートの近郊型車両は誕生しなかった。
    • 阪急9000系、西鉄3000系なども同様だった

21000系[編集 | ソースを編集]

  1. 21020系も存在しない。
  2. 23000系も本形式をベースに作られることはなかった。
  3. 近鉄の看板車両といえば今でもビスタカーだった。
    • ビスタカーの存在が薄れることもなく、グッたいむではそれをネタにされることもなかった。

ビスタカー[編集 | ソースを編集]

  1. 他社でも2階建て車両が企画されることはなかった。
  2. その代わり、速達性重視路線を史実より早くから行われた。

L/Cカー[編集 | ソースを編集]

  1. 東武「TJライナー」や西武「S-train」、京王の座席指定通勤列車は誕生しなかった。
    • 東急や京王が有料列車を運転することはなかった。
  2. 5200系が現実以上に投入されていた。
  3. 近鉄奈良線への特急以外のクロスシート車投入はなかった。
  4. 205系3100番台2wayシート車も登場しなかった。
  5. デュアルシート試作車であるクハ79929の二の舞になっていた。

京阪電気鉄道[編集 | ソースを編集]

3000系ダブルデッカー[編集 | ソースを編集]

  1. 京阪特急の7→8両への増結は一般の平屋車両で行われた。
    • 鴨東線開業あたりで、8000形8550番代が10両(現実の2倍)製造されて6→8両化されたらあり得る。
  2. それでも旧3000系はリニューアル改造されたが、8000系と比べて見劣りがするようになっていた。
    • 引退も史実より早かったかも。
  3. プレミアムカーは現実より早く導入されたかもしれない。
  4. 富山地方鉄道にダブルデッカーが走ることもなかった。
  5. 料金不要のダブルデッカーといえばクハ415-1901程度の認識で終わっていた。

5000系[編集 | ソースを編集]

  1. 京阪本線の600→1500V昇圧は1970年代のうちに実現していた。
    • 10両編成の運行も行われていた。
  2. 東福寺駅は三条までの地下化とともに地下ホームに。早くても1970年代から。それが実施されたら朝の下りの全列車がいち早く8連運転する。

阪急電鉄[編集 | ソースを編集]

2800系[編集 | ソースを編集]

  1. キハ66系を始め、117系、西鉄2000系、名鉄5700系など、両開き2ドアを持つ転換クロスシート車は登場しなかった。
  2. 6300系も登場しなかった。
  3. そもそも阪急京都線特急は転換クロスシートではなかった。
    • よって、京阪にサービス面での優位性を許していた。
    • 国鉄も117系を投入しなかった。よって、JRになってからも221系以降の車両は登場せず、未だに私鉄王国関西が続いている。

阪神電気鉄道[編集 | ソースを編集]

ジェットカー[編集 | ソースを編集]

  1. 阪神は普通列車と優等列車で車種を分けていなかった。
  2. 京阪2000系、近鉄6800系といった同種の性能を持つ車両も存在しなかった。

9000系[編集 | ソースを編集]

  1. =阪神大震災がなかったらである。
  2. 阪神のステンレス車体の導入が遅れた。
  3. 近鉄乗り入れできるのが1000系だけになっていた。

南海電気鉄道[編集 | ソースを編集]

2300系[編集 | ソースを編集]

  1. 2000系を無理矢理でも2両ワンマン運転できるように改造していた。
  2. 7000系の一部を置き換えのために8300系がさらに増備されたかも。
    • 時期的にむしろ8000系が現実以上に増備されていた。泉北3000系の南海本線移籍も現実より多かったかも。
  3. 2000系の南海本線転属はなかった。
  4. 高野山が世界遺産に登録されなかったらこうなった…かは微妙かもしれない。

50000系[編集 | ソースを編集]

  1. ラピート」はなかった。
  2. 関空への特急は10000系「サザン」をベースにした車両が導入されていた。
    • 場合によっては一部座席指定になっていた。
  3. 南海電鉄は今も関西大手私鉄では一番地味な存在。

山陽電気鉄道[編集 | ソースを編集]

700形[編集 | ソースを編集]

  1. 820形・850形の製造数が増えていたのはもちろん、車両不足を補うために国電の戦災復旧車が投入されていたかもしれない。
  2. 山陽の大型化は遅れ、場合によっては阪神・阪急との直通はかなわなかった。
    • 流石に併用軌道こそ廃止されているも、今もこじんまりとした電鉄兵庫駅が起点。
    • むしろ神戸高速鉄道の建設を機に車両限界の拡大が行われていた。この場合3000系が最初の大型車となっていた。
  3. 1003号・107号が琴電に譲渡されることもなかった。

西日本鉄道[編集 | ソースを編集]

3000形[編集 | ソースを編集]

  1. 7050形の製造両数が現実よりも多かった。
    • 史実では登場しなかった中間車も登場していた。
  2. 8000形の後継車として同様の2扉転換クロスシート車が登場していた。

関連項目[編集 | ソースを編集]