もしあの銀行が誕生していたら
都市銀行同士 編集
UFJ銀行+あさひ銀行 編集
- 三和銀行+東海銀行+あさひ銀行
- 大和は東京三菱と合併していた。
- それでも旧埼玉関係者は対立したままで、後に「新埼玉銀行」を設立していた。
- 現実のUFJ及びりそなほど経営は悪化していないだろう。
- 「ヤバイ決算で東京三菱に救済されたUFJ」 + 「大和に救済されたあさひ銀」では寧ろもっと酷かった可能性のほうが大きい。
- 社名は「UFJ銀行」のままだろう。
- 日立製作所が推進する指静脈認証を採用したため掌静脈認証が早く衰退してしまった。
- 旧埼玉銀行の伝統を引き継ぐ旧あさひ銀行が誇っていた埼玉県内のきめの細かい支店網が、まっさきにリストラや店舗の統廃合の対象とされた。
- それゆえ、埼玉県関係者らは激怒し、埼玉りそな銀行のように、埼玉三和東海あさひ銀行を設立するよう訴える。
- 武蔵野銀行が(新たな)埼玉銀行と改称した上で、埼玉県および県内の市町村の金融機関となり出世する。
- というか、りそなが国有化された時、実際に埼玉県議会で埼玉りそなを県が出資する埼玉県民銀行にするとかいう構想出てたよな。
- 実際には店舗網はほぼ史実の埼玉りそなと同じで埼玉UFJ銀行(本店大宮)とかになってたんじゃなかろうか?
- さすがに高収益の埼玉の店舗を減らすことは東海銀同様にあまりなかっただろうと思われる。ただ埼玉系の行員は東海系と同じような扱いを受けただろう。
- それゆえ、埼玉県関係者らは激怒し、埼玉りそな銀行のように、埼玉三和東海あさひ銀行を設立するよう訴える。
三井住友UFJ銀行 編集
- どのみち名古屋本店の都市銀行は消滅していた。
- 名古屋圏での影響力維持を目指す東京三菱銀行の主導で、十六・百五・愛知三行が合併していた。
- セディナは史実のOMCカード+セントラルファイナンス+クオークにUFJニコスを加える形で発足していた。
- OMCカードはMTFG傘下になっていたかもしれない。
- UFJつばさ証券、SMBCフレンド証券、トヨタファイナンシャルサービス証券が合併し「三井住友UFJ証券」が発足。
- 東海東京証券(UFJ銀行時代にUFJグループを離脱し三井住友海上傘下に)入れるの忘れてた。
- カブドットコム証券のコーポレートカラーは緑のまま。
- もしかしたら史実とは逆に伊藤忠商事の子会社になっていたかも知れない。
- トヨタ自動車は名実共に三井グループの一員に。
- 三菱航空機に出資することはなく、傘下におさめた富士重工業を通じて国産航空機開発に乗り出していた。
- 三越は史実の伊勢丹とではなく、高島屋かH2Oリテイリングと経営統合していた。
- 下手したら松坂屋を加えた4社統合が実現したかも。
三菱第一銀行 編集
- 第一銀行 + 三菱銀行(1969年に一度合併契約書に調印までしながら破談)
- 合併当初はそれなりに第一銀行側(というより当時の長谷川頭取)も発言力があるので、コンピュータは第一銀行との繋がりで富士通を採用。
- ただ、たぶん10年もしないうちに「第一」の文字が取れて「三菱銀行」に名前が戻る。
- おそらく東京銀行との合併も史実通り(「第一」の文字が残っていたとしてもここで「東京三菱銀行」になる)。
- 古河グループや川崎重工など第一系の企業が三菱グループにいいように食い物にされる。
- 伊藤忠商事はメインバンクが住友銀行のままとなるため、住友商事の影響下から抜け出せない。
- 日本勧業銀行は他の都銀との合併を模索する。
- 太陽銀行・神戸銀行との三行合併あたりが有力か。
- 三井銀行と合併して『三井勧業銀行』になっていた可能性も。
- むしろ富士銀行あたりと合併して『富士勧業銀行』となっていたかもしれない。
- (勧銀が)太陽・神戸両行or三井銀行と合併していた場合、太陽神戸三井銀行(→さくら銀行)は誕生しなかった。
- 太陽銀行・神戸銀行との三行合併あたりが有力か。
富士銀行+三和銀行 編集
- 本店は東京大手町の富士銀行本店
- 三和銀行本店が富士三和銀行大阪営業部を名乗っていた。
- 三和銀行東京営業部は店名こそ変更されないがバブル崩壊とともに本店に統合建物は東京建物に売却されている。
- それでも史実とほぼ同時期に再開発される。
- 富士銀行大阪支店(現実のみずほ銀行大阪支店)実店舗としては大阪営業部に統合し東京建物によって再開発の対象となっていた。
- システムは三和銀行(日立製)のシステムに統一される。
- 日立が芙蓉グループでもあるため。
- 政治的に日立を育成するため。
- 法律上の存続会社は富士銀行
- 対等過ぎ規模も大き過ぎるため第一勧業銀行以上い効率が悪いと皮肉られることが多いが、たすき掛け人事を徹底していたと言われる。
- しかし、合併から30年経ち(東京一極集中の影響もあり)完全に人事的に富士銀行が主導権を握ることになる。
- 銀行業界全体が田中角栄の『都銀六行集約論』から金融再編が現実より早かった。平成初期には金融再編が6行に再編されている。
- 1975年ごろ
- 三井銀行が確実に合併が早かった。
- おそらく住友銀行か協和銀行あたりと
- または大和銀行と協和銀行が合併してたかも
- バブル期の貸し出し競争は現実程の熱はない。むしろ第一勧銀と住友銀行による貸し出し競争が現実のものとなる。
- 2000年ごろ
- 東海あさひ大和銀行が現実のものになっていた。
- 第一勧銀と興銀はどこと合併しただろうか。
- 第一勧銀が日債銀,興銀が長銀と合併したかもしれない。
都市銀行+地方銀行 編集
新北海道銀行 編集
- 経営が苦しいのは変わりないが、少なくとも破綻へ追い込まれることはなかっただろう。
- よって、北海道経済がどん底まで落ちる事はなかった。日本経済の低迷とほぼ同レベル。
- むしろ一度破綻処理させた後の受け皿として北海道銀が出ていたのでは?
- 北洋銀行が「道民の銀行」と呼ばれる事はなかった。
- 札幌銀行との合併が早まっていた。
- そして行名は「札幌北洋銀行」に。
- 逆に札幌銀行も勝ち馬に乗る形で北海道銀行と統合したかもしれない。
- そして行名は「札幌北洋銀行」に。
- 「北洋大通センター」も建てられなかった。
- 札幌銀行との合併が早まっていた。
- 夕張の財政再建団体入りもなかった。
- まあどっち道寿命が少し延びるに過ぎんと思うが・・・
- それとこれとは別問題だろう。かりに北拓が潰れてなくても、旧態依然の乱脈運営と産業構造の変化になんの対策も打てない自治体は早晩潰れたに違いない。
- 道外店舗はやはり大手に譲渡された
- 譲渡先は、現実のあさひか大和あたりに譲渡された。
- 函館ではみちのく銀行の入る隙がなかった。
- 北陸銀行も北海道から撤退していた。
- あるいは北陸銀行と北洋銀行が合併していた。
- 撤退と同時に道銀,みちのく銀行の3行経営統合を実現したかもしれない。
- 札幌テルメもまだ営業していた。
- シャトレーゼの北海道での知名度はゴルフ関係しか知られなかった。
- 丸井今井は規模拡大を続け、帯広・北見などにも出店していた。
- それどころか、本州にも進出。
- つ三条市…と冗談はさておき東北のどこかに進出とかはありえたかもしれない。
- 北海信用金庫があそこまででかくなることもなかった。
- 名古屋から支店が消える事態はなかった。
- その場合本州にあった北拓の支店で残るのは名古屋支店で、ほかは北海道銀の東京、大阪、仙台、八戸、青山、新宿に統合扱い。なお、その後の大阪、八戸、青山、新宿の統廃合は予定通り。
- テレビ北海道の全道エリアカバーが、遅くとも地上デジタル放送開始までには実現していた。
- 銀行の統合と地デジ化は全く関係ないと思うんだが……
- バブルのツケという観点で経営破綻がなくても現実よりまし程度だと思う
- 都市銀行を返上していた。
- ニトリが無借金経営を行うこともなかったかもしれない。
- そうご電器は破綻せず存続しているが、ケーズあたりの大手家電量販店の傘下になっていた可能性が高い。
あさひ銀行+横浜銀行 編集
- 公式には発表されていなかったが、90年代末期、あさひ銀行の非主流派であった旧埼玉系が横浜銀と計画していた。
- 三和東海あさひ構想は、あさひが浜銀を選んだため結局破談に。その後の三和+東海→UFJ→三菱UFJ銀行の流れは現実と同じ。
- 神奈川県民が調子乗ってる時に吐かす「横浜銀行って都市銀行じゃなかったの?」はある意味事実になる。
- 首都圏という地盤を同じとするみずほ銀行との差別化に苦心した挙句、結局大企業よりも中小リテールという現実のりそな銀行と同じ戦略に出ることになる。
- 場合によっては、ここで戦略が似ている大和銀HDと対等合併で経営統合になる可能性もある。この場合、あさひ銀は旧横浜銀と旧埼玉銀の収益や資産のおかげでそこまでヤバくなっておらず、よってりそなショックもなかった。
- この場合はりそな本体と埼玉りそな、横浜りそな、奈良りそな、近畿大阪の5行がりそなHDの傘下銀行になっていた。
- 大和銀と統合してなかった場合、旧横浜銀行の首都圏地銀と密接な関係を活かして、千葉銀や常陽銀などとATM相互開放を2000年代の早い時期から行ってみずほに対抗していた。だが関東以外のエリアの地銀とは今ほど提携はなかったと思われる。
- この場合、2015年頃に起きた地銀再編の大きな流れの中で東日本銀は勿論のこと千葉銀や常陽銀、群馬銀など関東の優良地銀と統合していた可能性も捨てがたい。
- この様にならなかった場合は逆に、関東の地銀が大連合を作って統合し対抗していただろう。
- この場合、2015年頃に起きた地銀再編の大きな流れの中で東日本銀は勿論のこと千葉銀や常陽銀、群馬銀など関東の優良地銀と統合していた可能性も捨てがたい。
- 場合によっては、ここで戦略が似ている大和銀HDと対等合併で経営統合になる可能性もある。この場合、あさひ銀は旧横浜銀と旧埼玉銀の収益や資産のおかげでそこまでヤバくなっておらず、よってりそなショックもなかった。
- 行内人事は旧横浜銀系が旧埼玉銀系と手を結び主流派になり、協和銀系は非主流派として閑職に。
- 後に足利銀行を経営統合している。この際持ち株会社を設立。社名は「関東フィナンシャルグループ」か。
信託銀行 編集
住友UFJ信託銀行 編集
- 日本最大のメガ信託となっていた。
- 合併の数年後に行名を元の「住友信託銀行」に戻される。
地方銀行同士 編集
平成銀行 編集
- 徳陽シティ銀行・北日本銀行・殖産銀行
- 辛うじて持ち応え、東北最大の第二地銀になっていた。
- きらやか銀行はなく、山形しあわせ銀行は別の地銀と合併していた可能性が高い。
- たぶん荘内銀行。
- 仙台銀行は平成銀行か七十七銀行に吸収されたかもしれない。
- 福島銀行と大東銀行を後に経営統合する。
静岡銀行+駿州銀行(現・清水銀行) 編集
- 1945年7月31日に予定されていたものの、7月7日の清水空襲の影響で10月1日に延期し、終戦による混乱などで白紙となった。
- 史実以上に、静岡銀行の勢力が大きかったのは間違いない。
十六銀行+大垣共立銀行 編集
- 岐阜県の地方銀行は一本化されていた。
- 1980年代にCIを導入していたかも。
- 柳ケ瀬が寂れることもなかっただろう。
- 名鉄岐阜市内線や美濃町線・揖斐線は廃止にならず存続していた。
- 1945年7月に合併協議を行っており、その後の岐阜空襲・大垣空襲が無ければ、実現していた可能性がある(直ぐに終戦が来るから、その混乱で流れた可能性もある)。
- 高度経済成長期の頃から積極的に愛知県内に出店している。その為2020年現在愛知県内の(個人・法人の)シェアをの2割程を持っているか。
十六銀行主体 編集
- 銀行名はそのまま(十六銀行)で、本店を大垣市に移転させていた。
- 愛知県だけでなく、三重・滋賀・長野・石川・富山・福井にも進出。
- 本店ビルは16階建だ。
大垣共立銀行主体 編集
- 十六銀行が存続行となった場合とは逆で、本店を岐阜市に移転させていた。
- 銀行名も「岐阜共立銀行」になっていた。
- 高山支店の開設が史実より早くなっていた。
- 長野・石川・富山・福井にも進出。
- 現実に北陸銀行との提携がある以上、縄張り荒らしはしないと思う。むしろ三河方面にガンガン出店するんじゃね?
- 大垣共立がメインになっていたため、大垣とのつながりがある桑名~四日市に出店していた可能性が高い。
- 現実に北陸銀行との提携がある以上、縄張り荒らしはしないと思う。むしろ三河方面にガンガン出店するんじゃね?
愛知本店の地方銀行 編集
- 東海銀行(現:三菱UFJ銀行)への合併を拒んだ銀行か戦後地銀であった。
- 岡崎銀行が合併されていなかったらそのまま地銀になっていた可能性は高い。
- その場合岡崎信用金庫がメガ信金にならずにこぢんまりとした信金になっていた。
- 東海銀行は早く他行と合併していた。
- 愛知本店の第二地方銀行は3つもなかった。
- 岡崎信用金庫みたいな巨大な信金は存在しなかった。
- というか、岡崎信金が、相互銀行経由で地銀に(岐阜か静岡の地銀を呑む形で)のし上がってた可能性が大きそう。
幸福銀行+京都共栄銀行+福徳銀行+なにわ銀行 編集
- 4行特例合併を採っていた。
- どのみち経営破綻してた可能性が高い。
- 関西アーバン銀行は誕生しなかった。
- もし生き残れていた場合でも、大阪の場合どっかの都市銀行の子分になってただろうが、一体どこが持ってくれたのだろう?
- 住友銀行か大和銀行あたりが妥当と思われる。
- 結局関西みらい銀行になっていた。
- 住友銀行か大和銀行あたりが妥当と思われる。
- 阪和銀行と兵庫銀行(両行とも持ちこたえれば)が合流したかも。
その他 編集
新生銀行+あおぞら銀行 編集
- 2009年4月から交渉が行われ、6月に「2010年中の統合」で合意したものの、経営方針の違いなどから交渉が纏まらず、2010年5月に破棄となった。
- 行名は「新生あおぞら銀行」が妥当だろう。
- SBIに買収されたか微妙。