もしあの食べ物が存在しなかったら
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- 「(その食べ物をモチーフとしたキャラクター)は存在しなかった」
- 「(その食べ物のあるタイトル)は存在しなかった」
- 「(その食べ物を冠したもの)は(別の食べ物を冠したもの)になっていた」
米料理[編集 | ソースを編集]
おにぎり[編集 | ソースを編集]
- その分のり巻きが普及する。
- 弁当に入れる主食となる具材と言えばのり巻きだった。
- 海苔は戦後まで高価なものだったのでそこまで広く普及するとは考えにくい。
- むしろ戦後の時に普及する。
- 干飯が太平洋戦争まで兵糧として現役だった。
- アルファ化米の開発が早まっていた。
- 案外煎餅が携帯用兵糧の地位を占めていたかもしれない。
- 三重県伊賀地方の「かた焼き」(忍者の非常食がルーツ)のような感じ。
- 日本でも中華圏や東南アジアと同様にちまきが発達していた。
- もちろん「粽」という字も常用漢字に含まれていた。
- 伝統的なものでは地域により形や大きさ、包む際に使う素材などが異なっている。
- 一方で柏餅は知る人ぞ知る存在だった可能性がある。
- 日本でもちまきが発達しているのならば当然端午の節句の食べ物といえば東西問わすちまきということになるから。
- 道路ファンは国道標識を「ちまき」と呼んでいた。
寿司[編集 | ソースを編集]
- 代表的な日本料理が減る。
- スシローやくら寿司などの回転寿司は存在しなかった。
- 寿司以外の物が回転する店が代わりにあったのかもしれない。
- 魚の保存法といえば乾燥か塩蔵くらいしかない。
- ヨーロッパのように魚の酢漬けが普及していても不思議ではない。
- 古代から安価に酢が製造できていたらこうなっていたかもしれない。
- 酢を大量に使えたらわざわざ炊いた米を魚の保存に使うという発想は出てこなかったと思われる。
- 「江戸前」といえば今でもウナギと決まっていた。
カレーライス[編集 | ソースを編集]
- カレーと言えばインドカレーの事だった。
- 日本でもインド料理がより身近な存在になってた。
- そもそも日本での呼称が「カリー」だった。
- タイカレーも史実以上にメジャーになってた。
- 日本でもインド料理がより身近な存在になってた。
- シチューが現実以上に多様化していた。
- 場合によっては旧海軍が「シチューライス」を開発していた。
- 史実のハウス食品は「浦上製薬」という無名の一製薬会社で終わっていた。
- バーモントカレーが開発されることもなかった。
- =イギリスの船乗りが香辛料たっぷりの味を受け入れられなかった場合。
- カレーライスの源流は船上でのシチューの代用品。
- カレー粉自体存在しなかったら、インドの代表的な料理が一つ減っていた。
チャーハン[編集 | ソースを編集]
- 代表的な中華料理が一つ減る
- ラーメンと一緒に食べる食べ物が一つ減る。
- 米を炒めただけの料理が存在しないということは考えにくいため代わりにピラフと同様の料理が中国でも発生していた。
- 生米を炒める料理なら史実の炒飯以上に簡単に作ることができていた。
- それでも淮揚料理の名声には何の影響もない。
- 揚州炒飯以外にも名菜はたくさんある。
オムライス[編集 | ソースを編集]
- 日本発祥の洋食が一つ減る。
- 日本発祥の洋食と言えばとんかつになってた。
- コロッケやカレーライスのほうが「洋食」然としたイメージが強いのでは。
- 日本発祥の洋食と言えばとんかつになってた。
- たいめいけんは存在していたのだろうか。
- 存在したとしてもメインとなるメニューが異なってた。
- 初代は別にオムライスの腕を買われて独立したわけではないため何事もなく存在していたのでは。
- 上に書いてる事と同じ様に別のメニューがメインになる。
- 「オムレツ定食」というメニューがポピュラーになっていた。
- 「日常」のはかせの大好物が変わっていた。
ビビンバ[編集 | ソースを編集]
- 韓国の代表的な料理が一つ減っていた。
- 青いクッパが一部の書籍で「クッパの弟のビビンバ」と呼ばれる事は無かった。
- 朝鮮半島三大料理が全て現在の北朝鮮地域発祥のメニューになっていた可能性あり。
- だが全州は古くから食の都と呼ばれてきたため全州発祥の別の料理が入っていてもおかしくない。
乳製品[編集 | ソースを編集]
チーズ[編集 | ソースを編集]
- ネズミの好物が変わる。
- ピザもマリナーラみたいな物が主流だった
- 前近代の西洋では乳製品の利用がそこまで盛んではなかった。
- 庶民の栄養状態は史実より悪化していた。
- ただしバターの利用が盛んならある程度は救われていた。
- 庶民の栄養状態は史実より悪化していた。
- 歴史的経緯を踏まえると「動物の胃袋を袋として使う発想がなかった場合」とほぼ同義。
- 現在の研究では上述したような袋に乳を入れた結果消化酵素の作用で勝手にできたのがチーズの起源とされている。
アイスクリーム[編集 | ソースを編集]
- ラクトアイスやアイスミルクやソフトクリームも存在しなかった。
- 冷たいお菓子と言えばシャーベットの事になる。
- 乳製品を用いたものがやがて誕生し「ミルクシャーベット」と呼ばれていた。
- サーティーワンはシャーベットを提供する店だった。
焼き菓子[編集 | ソースを編集]
クッキー[編集 | ソースを編集]
- 代表的な洋菓子が一つ減る。
- ビスケットもない場合はそうなるがそうでない場合は現実にクッキーと呼ばれているお菓子もビスケットと呼ばれていたのではないかと…。
- つまり日本においてビスケットという言葉がイギリス英語と同じように広い意味で使われていたのではないかと?
- ビスケットもない場合はそうなるがそうでない場合は現実にクッキーと呼ばれているお菓子もビスケットと呼ばれていたのではないかと…。
- オランダが北米に植民地を持っていなかったらおそらくこうなっていた。
- "cookie"はオランダ人が現在のニューヨーク近辺を支配していた頃に北米の英語に取り入れられた言葉。
- オランダの影響がなければアメリカ英語でも小麦でできた小さい焼き菓子は「ビスケット」だったはず。
ちんすこう[編集 | ソースを編集]
- 沖縄を代表する菓子が一つ減る。
- サーダーアンダギーがその分より有名になる。
- ちん○すこうという下ネタになるお菓子も無かった。
- 史実でのちんすこうの原型に近い大型で丸い焼き菓子が今でも生き残っていた。
- 土産物というより喫茶店などで食されるほうが多くなっていたかもしれない。
- 崩れやすく土産物にはあまり向いていなかったという記録がある。
- 上にフルーツなどを盛りつけデコレーションが行われていた可能性もある。
- 土産物というより喫茶店などで食されるほうが多くなっていたかもしれない。
ソフトドリンク[編集 | ソースを編集]
コーラ[編集 | ソースを編集]
- コカコーラカンパニーと言う会社は存在しなかった。
- ペプシコも存在しなかったのかもしれない。
- フリトレーからとってフリトレーと言う社名になってた可能性がある。
- 96年の夏季五輪はアテネで行われていたかもしれない。
- 日本における清涼飲料水メーカーのトップはキリンかサントリーになっていた。
- キリンは日本コカ・コーラが首位になる前はこの業界でトップであり、サントリーは現実において2位のため。
- キリンガラナが北海道のみならず全国中で愛飲されていた。
- キリンは日本コカ・コーラが首位になる前はこの業界でトップであり、サントリーは現実において2位のため。
- ペプシコも存在しなかったのかもしれない。
- コーラナッツといえば今でもアフリカの一部でしか知られない地味な作物のまま。
- 7Upあたりがアメリカの国民的な清涼飲料水の地位にあった。
- コカ・コーラの代用品としてドイツで開発されたファンタももちろんない。
- ガラナが現実のコーラのような立ち位置になっていたかもしれない。
発酵茶(紅茶・烏龍茶etc)[編集 | ソースを編集]
- お茶といえば緑茶だった。
- イギリスの飲み物は大陸ヨーロッパ同様コーヒーが主流だった。
- ミルクティーはほとんど知られない飲み物だった。
- 実際緑茶にミルクは余り入れられないから…。
- 居酒屋の下戸の定番はコーラかコーヒーだった。
- 烏龍茶がないとすればジュースっぽくない飲み物はコーラかコーヒーだろうから…。
スナック菓子[編集 | ソースを編集]
ポテトチップス[編集 | ソースを編集]
- カルビーの製品と言えばかっぱえびせんだった。
- 湖池屋の製品と言えばポリンキーだった。
- スコーンなども史実以上に有名になってた。
- アメリカのお菓子と言えばポップコーンだった。
- フライドポテトから発想したジャガイモが原料の細長い揚げ菓子が誕生していた可能性あり。
- 日本で言うなら「じゃがりこ」(カルビー)に相当するようなものだった。
ポップコーン[編集 | ソースを編集]
- 映画館では別の食べ物を映画を見ながら食べてた。
- おそらくポテトチップスがその位置にあった。
- あまり音を立てない方がいいんだけど。
- だとするとポン菓子がその位置にあった可能性が高いと思われる。
- あまり音を立てない方がいいんだけど。
- おそらくポテトチップスがその位置にあった。
- トウモロコシを使った食品と言えば焼きトウモロコシだった。
- 西半球ではタコスのほうがずっとポピュラー。
- トウモロコシを使った食品が一つ減る。
- 加熱すると弾ける品種のトウモロコシが誕生しなければ間違いなくこうなっている。
魚肉練り製品[編集 | ソースを編集]
蒲鉾[編集 | ソースを編集]
- 鳴門巻きも存在しなかった。
- 発達過程で蒲鉾から分化した竹輪も。
- うどんに入ってる具が一つ減る。
- はんぺんが史実よりかなり早くから普及していた。
- 手ごろな魚肉練り製品として遅くとも明治期には全国に広まっていた。
魚肉ソーセージ[編集 | ソースを編集]
- 魚肉ハムがその分普及する。
- 日本の食文化ではハムとソーセージは密接な関係にあるためハムだけ存在するというのは不自然。
- 子供向け商品のソーセージはウインナーみたいな感じになっていた。
- マジレスだが実際に豚肉を使った物が存在する。
- ムニエルなど魚を用いた洋食がもっと早く普及していたらこうなっていてもおかしくない。
- 魚肉ハム・ソーセージは洋食普及による魚の消費量減への対策として開発された。
全ての練り製品が存在しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 小田原の名物が1つ減る。
- 「忍たま乱太郎」の土井先生の苦手なものが変わっていた。
麺料理[編集 | ソースを編集]
ラーメン[編集 | ソースを編集]
- 味噌ラーメンも無いので北海道が少ししょぼくなるなる。
- このページは存在しなかった。
- 代表的な中華料理が一つ減る。
- 藤子不二雄の小池さんの好物が変わっていた。
- 燃堂力の大好物も。
- 安藤百福は再起を図ることができなかった。
- むしろ別の食品で成功しているのでは。
- 中華料理が高級なイメージのままなら確実にこうなっている。
- 史実でラーメンの原型を広めた東京の「来々軒」は中華料理を庶民的なものにした店の草分けとしても知られている。
- それでもかなり後の時代に中国の麺料理が日本に入っている。
- そうした中国各地の麺料理をまとめるという発想は出てこなかった。
- 東洋水産は現在までに水産業界再編の波に呑まれ姿を消している。
- タケノコを発酵させた中華食材を食したことがある日本人はそれほど多くない。
蕎麦[編集 | ソースを編集]
- それでもソバと言う作物自体はあったのでそばアレルギーの人はいた。
- わんこ蕎麦も無いので岩手県が少ししょぼくなる。
- 焼きそばは存在するのだろうか。
- 中華麺が日本に伝来していれば別の名称であったとしてもそれに類する料理は存在していたはず。
- ソバの救荒作物というイメージがさらに濃くなっていた。
- 蕎麦がきが郷土料理にない地方の人は基本的に食したことがない。
- 江戸でもうどんが愛され続けた。
- 「時うどん」という噺が江戸落語にもあった。
- ラーメンの原型は「支那うどん」と呼ばれた。
- その反面で江戸っ子の脚気患者がさらに増えていた危険性も高い。
うどん[編集 | ソースを編集]
- 香川県が少ししょぼくなる。
- それでもやなせたかしと縁がある土地と言う認識はあっただろう。
- うどん県も出なかった。
- すまん、やなせたかしは東京生まれの高知育ちだったorz。
- それでもやなせたかしと縁がある土地と言う認識はあっただろう。
- はなまるうどんも存在しなかったかはなまるそばと言う蕎麦屋だったのかも知れない。
- そもそも蕎麦切りも存在しなかった可能性も否定できない。
- 展開次第では日本に麺食文化が広まっていなくてもおかしくない。
- 江戸における蕎麦の流行もその前にうどんが広く食されていたおかげで広まったようなもの。
- 素麺は製造の手間からして大規模に広まるとは考えにくい。
焼きそば[編集 | ソースを編集]
- B級グルメの代表は何になっていたのだろうか。
- まるか食品は今もインスタントラーメンを作ってた。
- 中華料理の一種としての「炒麺」(チャーメン)が日本でも普及していた。
- 焼きそばパンはチャーメンパンになっていた。
- なので「日常」でゆっこが焼きそばパンと間違えて焼き鯖パンを買ってくるというエピソードは存在しなかった。
- 焼きそばパンはチャーメンパンになっていた。
素麺・冷麦[編集 | ソースを編集]
- 夏に食べる麺料理が蕎麦かうどんになっていた。
- 「うどん」が麺類全体を指す呼び方になっていた可能性あり。
- 蕎麦も「そばうどん」と呼称されていたかもしれない。
- 原型になったとされる唐菓子の索餅が今も奈良や京都辺りで生き延びている。
- 江戸時代の七夕の儀式にもうどんが使用されていた。
- 「揖保川」という地名を読める非関西人はあまりいない。
スパゲティ[編集 | ソースを編集]
- 有名なイタリア料理が一つ減る。
- ローマ帝国時代のようにパスタをゆでて食べるという発想がなければこうなっていたかもしれない。
- マカロニやペンネのようなショートパスタは誕生していてもロングパスタは生まれてこなかった。
- 日本でのパスタの普及がやや遅れていた可能性あり。
- マカロニやペンネのようなショートパスタは誕生していてもロングパスタは生まれてこなかった。
- 日本以外の国でイタリア製西部劇は「パスタ・ウェスタン」とでも呼称されていた。
揚げ物[編集 | ソースを編集]
トンカツ[編集 | ソースを編集]
- 豚肉の料理と言えばポークソテーか生姜焼きだった。
- 「ポークカツレツ」が純然たる西洋料理として定着していても何らおかしくない。
- 多くのとんかつ屋はエビフライの店として誕生してた。
- まい泉やかつやもエビフライの店として開業してた。
- それ以前に日本でカツが発展しなかったような気がする。
- それでも「ポークカツレツ」と言う名の料理が普及してた場合話が変わる。
- 「ビーフカツ」が普及してた場合はビーフカツの店に。
- それでも「ポークカツレツ」と言う名の料理が普及してた場合話が変わる。
- カツサンドならぬエビフライサンドがあった。
- あるいは東日本でもビーフカツが定着していた。
- カツ丼がないので取り調べ中の食事が別なものになる。
唐揚げ[編集 | ソースを編集]
- レモンをかける食べ物と言えばとんかつかエビフライになってた。
- 竜田揚げも無かったのかも知れない。
- 現実のとり天に類似した料理が早くから広まっていたらこうなっている。
- ニワトリを食すことへのタブーがなければ本当にそうなっていた気がする。
- KFCが日本で広く受け入れられるのが遅れていた。
- 場合によってはいったん撤退して後年に再進出する羽目になっていた。
エビフライ[編集 | ソースを編集]
- 海老を使った料理が一つ減る。
- まるは食堂は存在しなかった。
- 愛知県でエビを用いた食品といえば全国的にえびせんべいがイメージされていた。
天ぷら[編集 | ソースを編集]
- 蕎麦に入ってる具が一つ減る。
- 江戸初期から炒め料理が広まっていたらこうなっていたはず。
- 天ぷらが人気を博した理由の一つに揚げることで魚の生臭さを消せるというものがあった。
- 費用や防火の観点からしても炒める方が有利だったと思われる。
パン[編集 | ソースを編集]
全てのパンが存在しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 欧米の主食は別の物になる。
- それ以前に人類史そのものが大きく変わっても何らおかしくない。
- パンが誕生したことが定住や都市の出現を手助けしたという説もある。
- 最古のパンは農業の発祥以前からあったともされるためどれほどの影響になるかとても想像できない。
- 少なくともエジプト文明なども影響を受けた。
- それ以前に人類史そのものが大きく変わっても何らおかしくない。
- ユダヤ教やキリスト教の儀式のやり方が現実とかなり違う。
あんパン[編集 | ソースを編集]
- 日本発祥の菓子パンと言えばクリームパンがメロンパンになってた。
- それどころか日本の製パンが長い間欧米の模倣の域を脱出できなかった可能性もある。
- こうなると日本国民へのパンの普及はかなり遅れていた。
- それどころか日本の製パンが長い間欧米の模倣の域を脱出できなかった可能性もある。
- かつて歴史読本に載っていたショートショートのように主食然とした日本オリジナルのパンが広まっていてもおかしくない。
- 上記の作品ではおにぎりから着想を得た「梅干しパン」が登場している。
トルティーヤ[編集 | ソースを編集]
- タコスやブリートも存在しないのでメキシコ料理が少ししょぼくなる。
- サルサソースを使う料理と言えば何になってたんだろう。
- タコライスも存在しない事になるので沖縄の食文化にも大きな影響があった。
- アステカではトウモロコシ粥のアトルが主食として広く食されていた。
- 現在の中米の主食がポリッジ(西洋風の粥)になっていた可能性あり。
和菓子[編集 | ソースを編集]
団子[編集 | ソースを編集]
- 輪島功一が団子屋をやらず、ボクシングジムに専念していた。
- 「東方project」の鈴瑚の大好物が変わっていた。
- ぜんまいざむらいの大好物も。
- 古代の粢(しとぎ)が今でも広く食されていた。
- 餅もその一種とされている。
- 粢の発達次第では現実とあまり変わっていないかもしれない。
- 十五夜の供え物といえば全国的にサトイモがポピュラーだった。
- 現実でも山間部などでは今でもサトイモを供える地域があるという。
煎餅[編集 | ソースを編集]
- 亀田製菓は煎餅の代わりにおかきを製造してた。
- 日本の主食が米になっていないのが前提。
- 煎餅の原型と思われるものは縄文・弥生時代の遺跡からも出土しているので思いつかないというのは無理がある。
- 柿ピーも存在しない場合、大槻班長が扱う品物が1つ減る。
アルコール飲料[編集 | ソースを編集]
ビール[編集 | ソースを編集]
- メソポタミア文明や古代エジプトの文化に影響があった。
- というよりシュメール文明が成立しなかったことが原因と考える方が無理がない。
- 居酒屋の宴会で飲む酒は何になっていたのだろうか。
- 日本においては平成改元くらいまで庶民が宴会で西洋の酒を飲むことがあまりなかったかもしれない。
- ただしヨーロッパで19世紀までのようにワインが食事に必須の酒として広く飲まれ続けていたらその限りではない。
- 日本においては平成改元くらいまで庶民が宴会で西洋の酒を飲むことがあまりなかったかもしれない。
- 麒麟麦酒やサッポロビールなどのビールメーカーは存在しない。
- サッポロについては前身の開拓使の醸造所が存在していたら別の酒類メーカーとして存在していたのでは。
- ドイツ北部、イギリス、北欧といったブドウが採れない地域では必然的に酒といえば蒸留酒ということに。
- ロシア並みにアルコール中毒が深刻化していた。
- イギリスでは未だにジンが国民的な酒だった。
ワイン[編集 | ソースを編集]
- ビールの時と同様に古代文明への影響があった。
- ローマ帝国では皇帝から奴隷に至るまで現在のビールの原型のような酒を飲んでいた。
- バルサミコ酢と言ったワイン酢も存在しない
- =人類が野生のブドウを栽培化しなかった場合。
- 酒を造るという使い道がなければブドウを大規模に栽培する必然性などなかったはず。
- フランスやイタリアの農村の風景が史実と全く別物になっていた。
- キリスト教の聖餐式にはどのような液体が使われていたのだろうか…。
- 内容次第ではその後の普及が史実ほど進まなかった可能性もある。
揚げ物以外の肉料理[編集 | ソースを編集]
ハンバーグ[編集 | ソースを編集]
- 人気のメニューが減る。
- 代わりに肉団子が流行るのだろうか?
- 日本以外の国と同様にミートローフが普及していたのでは。
- ハンバーガーはパティの代わりにハムが入っていたかもしれない。
- アメリカ人のことなのでステーキをある程度切ってそのまま挟むほうがありそう。
- あるいはホットドッグに地位を奪われほぼ普及していない。
- モンゴル帝国の勢力拡大がなければこうなっていた可能性大。
- ハンバーグの原型となったタルタルステーキはモンゴル軍のヨーロッパ侵攻の際に西洋に伝来した。
ハム[編集 | ソースを編集]
- 伊藤ハムや日本ハムは存在しないか、会社名の「ハム」が「ソーセージ」になっていた?
- 北海道の野球チームは「北海道日本ソーセージファイターズ」というチーム名に。
- 代用品はベーコン。
- むしろ「ベーコン」というものの定義がとんでもなく幅広くなっているのでは。
- 豚肉を塩漬けにして保存する食品全般がそう呼ばれていた。
汁物[編集 | ソースを編集]
味噌汁[編集 | ソースを編集]
- おふくろの味が一つ減った。
- テゴマスが「ミソスープ」を出すことはなかった。
- 鎌倉時代に味噌雑炊のようなものが普及していた。
- 史実では「一汁一菜」が基本だった献立のうち汁と飯が合体したような感じ。
- 戦国時代には芋がら縄を使った混ぜご飯が広く食されるように。
- 納豆の食べ方にもかなりの影響が予想される。
- 江戸前期に有力だった納豆汁が存在しない可能性が高いため東南アジアのように多様な食べ方が発達していたかもしれない。
シチュー[編集 | ソースを編集]
- 「天空の城ラピュタ」でシータが肉料理を作っていた。
- 原型とされるフランス料理のラグーも存在しなければフランス料理の歩みも大きく変わっていた。
- ラグーはフランス家庭料理の代表格とされている。
クリームシチュー[編集 | ソースを編集]
- シチューといえばブラウンシチューのことを指していた。
- 場合によっては牛タンも仙台以外ではタンシチューの意味で言われることが普通になっていたかもしれない。
- 戦後学校給食の広まりがそれほどでもなかった場合は存在しなかった可能性は高い。
- 意外に思われるかもしれないがクリームシチュー自体は日本の学校給食発祥の洋食だったりする。
- シチューはこどもの人気メニューではなく大人の洋食としての位置づけだった
- 加えて今のカレーと同じような家庭向けメニュー扱いではなくて外食向けメニューの扱いになった。
調味料[編集 | ソースを編集]
マヨネーズ[編集 | ソースを編集]
- 香取慎吾の好きな食べ物が一つ減った。
- カタルーニャ地方のアイオリソースが19世紀までにヨーロッパ各地に広まっていたらこうなっていた。
- アイオリもマヨネーズと同様に卵黄と油を乳化させて作るソース。
- バレアレス諸島特有のソース(史実におけるマヨネーズの原型)も「アイオリ」とみなされていた。
- 現実世界でマヨネーズ消費量トップのロシアで独特の濃厚なソースが開発されていた。
ケチャップ[編集 | ソースを編集]
- オムライスとナポリタンが存在しなかった。
- ロールキャベツにホワイトソースをかけていた。
- 華南の人々がマレー半島に進出しなければこうなっていた。
- ケチャップの原型は福建や台湾で食されている魚醤とされている。
- "ketchup"という名称は「閩南語や台湾語→マレー語→英語」という伝達過程を経てできたもの。
- あるいはマレー半島を支配したのがスペインやフランスでも成立しなかった可能性が高い。
- ハインツ社はペンシルベニアのローカル企業で終わっていた。
その他[編集 | ソースを編集]
刺身[編集 | ソースを編集]
- 海鮮丼が作られることはなかった。
- ブイヤベースを丼物にしたようなイメージの料理ならそう呼ばれていても不自然ではない。
- 馬を食べることはなかった。
- 普通に肉を焼けば良いのでそれはない。
- そもそも日本以外でも中国や英仏などで馬肉食は行われている。
- 日本近海の魚がほとんど病原菌や寄生虫持ちならおそらくこうなっている。
- 実際に古代の世界では各地に魚の生食の風習があったが新鮮で安全な魚が入手できない地域ではことごとく消滅している。
- 日本の包丁製作技術がやや低くなっていた。
納豆[編集 | ソースを編集]
- 外国人の苦手な食べ物が一つ減った。
- 「餓狼伝説」のアンディ・ボガードの好きな食べ物が「納豆スパゲティ」になることはなかった。
- 茨城の名産品がひとつ減った。
- 納豆菌が現実と違った性質に突然変異していた場合にほぼ等しい。
- 人間側の都合を想定することは糸引き納豆の成立過程が解明されていないため現時点では困難。
- 大豆の原産地と納豆菌の分布が重なっていなかった場合も該当する。
ハンバーガー[編集 | ソースを編集]
- マクドナルドやモスバーガーやロッテリアは何の店になっていたのだろうか。
- お菓子のエブリバーガーも存在しない。
餃子[編集 | ソースを編集]
- 宇都宮がショボくなる。
- 代表的な中華料理が1つ減る。