もしあの高速道路の経由地が異なっていたら/西日本

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もしあの高速道路の経由地が異なっていたら > 西日本

  • 項目の追加時は(おおよそで構いませんので)都道府県の北から順にお願いします。
    • 史実と異なる区間の管轄が複数の会社をまたぐ場合は、原則として想定ルートの起点側の会社に追加するようにして下さい。

北陸自動車道[編集 | ソースを編集]

湖西経由[編集 | ソースを編集]

もし北陸自動車道が米原が起点でなくJR湖西線とほぼ同じルートをたどっていたら・・・。

  1. 起点は京都東ICとなっていた。
  2. 近江今津からは近江塩津を経由せずにまっすぐ山を越えて敦賀に抜けるルートをとっていた。
  3. JR特急「雷鳥」「サンダーバード」は高速バスとの激しい競争に晒されていた。
    • ちょうど「あずさ」と「中央高速バス」のような関係となっていた。
    • 逆に名古屋発着の「しらさぎ」は名古屋~北陸間の需要を独占していた。
    • 高速バスとの対抗のため、「サンダーバード」への置き換え完了→「雷鳥」の廃止は現実よりも早かったかも。
    • 各種割引切符も設定されていた。
    • 2015年春に北陸新幹線が開通して「サンダーバード」が金沢止まりになると、大阪・京都~富山の需要はほとんど高速バスに移行するかも。
      • むしろその対策で金沢~富山間のみ北陸本線として残っていた。
  4. 東海北陸自動車道が20世紀のうちに全通していた。
  5. 大阪・京都~小浜間の高速バスが比較的早くから運行されていた。
    • もちろん近江今津まで北陸道経由。
  6. 現実の国道161号線のバイパスを4車線化したような道路になっていた。道の駅あどがわは安曇川SAになっていた。
  7. NEXCO各社の事業エリアの範囲が変わっていたのは必至。ひょっとしたら、NEXCO中日本が無かったかもしれない。
    • その場合、NEXCO中日本の八王子支社と東京支社はNEXCO東日本の八王子支社(ひょっとしたら西関東支社)と南関東支社に、名古屋支社と金沢支社はNEXCO西日本の名古屋支社と金沢支社にそれぞれ区分されていた。よって、NEXCO東日本の関東支社が細分化されていた可能性があった。関東支社は北関東支社(関越道や東北道等)・東関東支社(常磐道や東関東道、京葉道路等)・西関東支社(中央道等)・南関東支社(東名道や京浜道路等)言う形に・・。

名神高速道路[編集 | ソースを編集]

京滋バイパス・第二京阪道路と同じルートを経由[編集 | ソースを編集]

  1. おそらく門真ではなく大阪市内まで伸ばして終点となっていた。
    • もしくは阪神高速守口線の終点が門真JCTになっていた。
      • 森小路出入口から延伸して門真JCTに至っていた。そのため路線名は門真線となっていた。
  2. 阪神高速8号京都線は史実よりも早く開通していた。
    • 久御山-大山崎間は京都縦貫自動車道として建設されていた。
  3. 石山ICが大津ICを名乗っていたかもしれない。
    • 逆に幾つかのICが存在していない。
      • おそらく草津-大津瀬田(石山)-宇治(宇治西)-久御山-八幡(八幡東)-枚方(枚方東)-寝屋川(寝屋川北or外環状線との交点)-門真と言った構成になっていた。
        • 京田辺松井ICは開業後に追加されていた。
  4. 間違いなく京田辺PAの構造が異なっていた。
  5. 史実の名神の内、吹田-西宮間は阪神高速道路として建設されていた可能性もある。
    • この場合は史実と異なり新御堂筋などにもICがあった。
    • 西宮ICと湾岸線を結ぶ構想は湾岸線開業の時点で具体化していた。
  6. 一方で新名神のルートにはそれほど影響はない。

神戸JCTで中国道に直結[編集 | ソースを編集]

名神高速と中国道が神戸JCTで直結していたら?

  1. 名神高速は神戸市を通っていた。
  2. 中国道の吹田JCT(IC)〜神戸JCTとして開通していた。
  3. 吹田JCT〜西宮JCTは存在しなかった。
    • 阪神高速がほぼ同じルートを辿っていた可能性がある。
      • 西宮自動車道だった可能性も。
  4. IC番号とキロポストは東京から通し。
    • この場合鹿児島ICまで続いている。
  5. 東京から鹿児島まで1本の高速道路で繋がる。
    • ?現実でもそうですが。

近畿自動車道・阪和自動車道[編集 | ソースを編集]

国道170号線と同じルートを経由[編集 | ソースを編集]

  1. 間違いなく用地買収に手こずっていた。
    • 特に高槻市では市の中心部を縦断する事になるので相当な困難が生じていた。
    • 但し寝屋川で鳥飼大橋の方向に転じていれば吹田JCTに繋げることもできる。
      • あるいは淀川新橋の場所で淀川を渡り、そこから西に向きを変えていた。
  2. 近畿道と阪和道の境界点は藤井寺か羽曳野のどちらかになっていた。
  3. 守口を通過しないので阪神高速とのJCTが減っていた。
    • とはいえ第二京阪道路が森小路まで延びていれば何とかなるはず。
    • むしろ阪神高速守口線が近畿道の交点まで延伸されていた。
  4. 大阪モノレールのルートも東寄りになっていた。

中国自動車道[編集 | ソースを編集]

瀬戸内側経由[編集 | ソースを編集]

もし中国自動車道が山陽自動車道のルートに建設されていたら・・・

  1. もちろん「山陽自動車道」という高速道路は存在していなかった。
    • 逆に鉄道と合わせる形で(現実の中国自動車道吹田JCT-神戸JCT・山口JCT-下関ICも含め)「山陽自動車道」という名前になっていたかも。
    • 但し今のコースと違って、トンネルの少ない線形の悪いコースになっていた可能性が高い
  2. 津山、三次などがあまり発展しなかった。
  3. 山陰自動車道が早く建設されていた。
    • 逆に、現実の中国道のような、山中を貫く高速道路は構想すらされていなかった。
      • 山陰地方に気を遣い、中国道はあのような中途半端なルートをとったという経緯があるため。
    • 鳥取自動車道は昭和のうちに全線開通していた。
      • 智頭急行は開業当初から苦戦を強いられていた。
    • 現状みたいに無料区間はないが、1990年代までに全線4車線、最高速度80km/h~100km/hで完成していた。
  4. 瀬戸内側の渋滞がひどくなったため、今の中国自動車道が「新中国自動車道」として建設される。
    • 今の中国道と違って線形の良い作りになっている。
    • それでも今の中国道のように需要は多くないことも分かっているから、暫定2車線区間が多い、SA/PAを積極的に建設しない。

起点が西宮IC[編集 | ソースを編集]

山陽道の項目にもありますが、当初から名神と中国道が直結している構造だったら?

  1. IC番号、キロポストは東京から続いていて、関門橋を経由し九州道までの通しだった。
  2. ルートは神戸線西宮以西、第二神明垂水JCT以東は中国道として建設されており、そこから史実通りのルートへ向かっていた。
  3. 史実の中国道宝塚周辺は近畿道として開通していた。

山陽自動車道[編集 | ソースを編集]

起点が西宮IC[編集 | ソースを編集]

もし山陽自動車道の起点が名神高速道路の終点の西宮ICだったら?

  1. 山陽自動車道のIC番号とキロポストは東名高速道路の東京ICからの通しとなっていた。
  2. 阪神高速道路3号神戸線と第二神明道路は山陽自動車道になっていた。
    • だったらむしろ京橋か月見山・須磨辺りを起点にした方が良いんじゃねーか?
    • 現実には阪神高速と第二神明道路の混雑は激しいので西宮ICから六甲山地をトンネルで抜けて有馬方面に抜け、そこから西進して三木市方面に向かっていたと思われる。
      • 西宮ICの構造が東北道・青森道の青森JCT・ICに近い構造になる。
        • とはいえ阪神高速側からも山陽道に行ける構造にはなっていただろう。
  3. むしろ、山添に道路が建設され、西宮JCTが建設。
  4. 取り敢えず、宝塚付近の慢性的な渋滞は、大幅に減り、10km以上の渋滞は盆暮れ正月、GW位しか発生していなかった。

小郡バイパス・山口宇部道路と同じルート経由[編集 | ソースを編集]

もし山陽自動車道本線と宇部下関支線が直接接続されていたら?

  1. 設置施設 嘉川IC・JCT、阿知須PA
  2. 宇部~下関間は当然本線として営業されている。
    • 岡山と山口の山陽町で「山陽IC」をめぐる争いが発生する(史実では山口のほうが埴生ICになった)
      • 結局、「岡山山陽IC」と「山口山陽IC」になる…のかなぁ?
    • 周防灘PAではなく周防灘SAとなり、おもいっきり景観重視の施設として整備される。
  3. 山口JCTはなく、嘉川JCT-小郡JCT(小郡ICに併設)で対応。通称小郡支線。
  4. 小月~小郡間もかなり寂れる。
  5. 山口~宇部は史実の山口宇部道路よりも通行料が高く、また山陽道の本線であるため無料化の見通しも無いことから下道が今以上に大渋滞している。

西瀬戸自動車道[編集 | ソースを編集]

上島経由[編集 | ソースを編集]

  1. 因島~弓削島~佐島~生名島~岩城島~生口島というルート。
  2. 上島町はなく、魚島村以外は今治市に編入されていた。
  3. 鵜島も経由していたかも。
  4. 建設期間がさらに伸びる。
  5. 大三島・伯方島はとびしま海道のルートになっていた。とびしま海道の開通も史実より早かった。

関門自動車道[編集 | ソースを編集]

彦島経由[編集 | ソースを編集]

下関市彦島と北九州市小倉北区と結んでいたら?

  1. 下関市街地を通るので通行料が増えていたかも。
  2. 橋の長さが長くなっていた。
    • 下手したら平成以降の開通になるかもしれない(だから史実ルートになったものかと)
  3. 下関北九州道路は計画されなかった。
    • 橋梁建設が難航することから、応急策として関門トンネルがもう1本掘られ4車線化、ついでに北九州都市高速とも接続する。
  4. もちろん中国道小月~下関、九州道門司~八幡に相当する区間の経路も大きく異なる。

徳島自動車道[編集 | ソースを編集]

吉野川南岸経由[編集 | ソースを編集]

国道192号沿いに建設されていたら?

  1. 高速道路利用者が史実より多く4車線で建設されていた。
  2. 用地確保のため平成時代に完成できなかったかも。

上板SA以東が鳴門・板野経由[編集 | ソースを編集]

  1. 徳島市を通らなくなるため史実より早く開通していたかもしれない。
    • 代わりに徳島南部道は鳴門〜徳島をルートに含んでいた。

九州自動車道[編集 | ソースを編集]

北九州市区間が帆柱連山の山麓を経由[編集 | ソースを編集]

現在の九州道の八幡~小倉間は、福智山トンネル+金剛山トンネルの超距離トンネルでブチ抜いていますが、もしこのルートを回避していたとしたら・・・

  1. ルートは以下の通り。
    • 曾根IC・JCT(現実の小倉東IC、東九州道に接続)、小倉北方IC(都市高速接続)、山路SA(現実の山路PAとは違う位置)、八幡IC(現実の大谷JCT、都市高速接続)、黒崎IC、小嶺IC、 木屋瀬IC、鞍手PA・IC(現実と同じ)
  2. 現実よりトンネルの割合が低く、余裕を持って走れるため、最高速度は100km/hに緩和されていた。(当然勾配・カーブは高速規格)
    • 八幡IC(現実の大谷JCT)も余裕のある構造になっていた。
  3. 人口の多い区間を通ることから、曾根IC~小嶺IC間は片側3車線だったかもしれない。
  4. 1985年までに開通していた。

黒崎から福岡の間が宗像・香椎経由[編集 | ソースを編集]

上記に関連して、福岡まで史実よりも3号線沿いだったら・・・

  1. ルート
    • 黒崎IC~折尾水巻IC~遠賀川PA・IC~海老津IC~赤間IC~筑前東郷PA~福間IC~古賀IC(史実の国道3号側ランプ付近)~筑前新宮IC~立花山SA~香椎IC(福岡都市高速1号線の香椎ランプとは異なる)~粕屋IC(福岡都市高速4号線接続)~須恵PA(史実と同様)
      • 遠賀川・海老津・福間・新宮ICの開業はおそらく後の時代になってから。あと「筑前東郷」よりは「宗像東郷」(orいっそのこと「宗像大社」)、「筑前新宮」よりは「新宮」(高知道新宮ICよりは先にできそうだから)になりそう。
  2. 福岡都市高速1号線が香椎ICまで伸びる。

九州の中心部経由[編集 | ソースを編集]

もし九州自動車道中国自動車道のように、九州の真ん中を通るルートで建設されていたら?

予想されるルート

某サイトで実際にそのような構想がありますので、そのルートを通っていたと仮定します。

IC・JCT

門司-(ここまで史実通り)-八幡-直方-飯塚(福岡都市自動車道接続)-嘉穂-小石原-日田(位置は現実と異なる)-日田JCT(現実の日田ICの位置、長崎・大分自動車道接続)天瀬杖立-小国-阿蘇JCT(熊本自動車道接続)-阿蘇-高森-山都JCT(延岡自動車道接続)-五ヶ瀬-椎葉北-椎葉南-西米良-小林(位置は現実と異なる)-小林JCT(現実の小林ICの位置、宮崎自動車道接続)-えびの-(史実通り)-鹿児島

  • 福岡都市自動車道じゃなくて、福岡都市高速道路な。山都JCTで接続するのは、九州中央自動車道と書いた方が・・・
    • 福岡都市自動車道は、都市高速道路のつもりではなく北九州と福岡都市圏を経由する高速自動車国道の構想として書いた可能性も考えられる(だとしても多少まぎらわしいが)
休憩施設
  • 八幡IC~えびのIC間のみ記載。現実にあるPA・SAはそのまま建設。
  • 小竹SA(直方IC~飯塚IC間)、嘉麻PA(嘉穂ICに併設)、豊後PA(日田IC~天瀬杖立IC間)、阿蘇山SA(阿蘇IC~高森IC間)、山都PA(高森IC~五ヶ瀬IC間)、霧島SA(西米良IC~小林IC間、現実と位置は異なる)
    • 「嘉麻」PAじゃなくて「嘉穂」PAじゃないかね(ICと名称合わせるのが普通だし、嘉麻市誕生よりも先にPAできるだろうし)?あと「豊後PA」だと漠然としすぎだから「大山PA」とかで。
上記のルートで建設されていたら
  1. 中国自動車道以上の難工事が予想される。
    • 特に嘉麻・椎葉付近には長大トンネルの建設が予想される。
  2. いずれ山陽自動車道みたいに「有明自動車道」などの都市部を通る平行路線ができる。
    • そしてそっちのほうに通行を取られ、九州自動車道は中国自動車道見たく廃れる。
  3. 長崎から福岡に行くには一度大分県まで行かなければならなくなり、利便性が低下する。
    • 佐賀大和ICで降りて三瀬トンネル経由で向かう車が現実以上に増える。
  4. 鳥栖が現実以上に廃れている。
    • プレミアム・アウトレットも日田あたりに建設されていた。
  5. 日田JCT~小国IC間と五ヶ瀬IC~小林JCT間は今も暫定2車線で通している可能性も。
    • 新九州自動車道ができたら完成2車線に移行されたか。
  6. 20世紀中の全線開通は絶望的だったかもしれない。
    • 特に小国・椎葉方面。
  7. ぶっちゃけ何のメリットも感じられないルートな気がする……
    • 日豊方面に近づいたとはいえ、アクセス路がメチャクチャだし、坂きつそうでトラック通れなさそうだし。
  8. もし山都町から美里町~八代市と行って八代市以南が現実と同じだったら・・・
  9. 黒川温泉は昭和のうちから有名になっていた。
  10. 豪雨と台風による災害で度々通行止めになる。
  11. 五ヶ瀬~小林間は国道265号のバイパスとして建設されていた。
  12. 長崎自動車道(または西九州自動車道)は飯塚で分岐となる可能性が高い。
  13. 現実の中国道のようにインターチェンジ名の右側に遠い地名が表示されている看板が連続していた。中には九州横断道や宮崎道開通後に修正される物も。
    • 例「飯塚 福岡」「日田 大分」「日田 久留米」「阿蘇 大分」「阿蘇 熊本」「山都 延岡」「小林 宮崎

鳥栖以南が有明海沿岸経由[編集 | ソースを編集]

  1. 設置されるICは久留米・三潴・柳川・大牟田・玉名・熊本・熊本港・宇土
    • 久留米ICは現実より西側で大善寺あたりにあった。
    • 柳川ICは徳益と塩塚の間の場所にある。
      • 柳川IC上り線出口標識に佐賀が入っていた。
    • 大牟田ICは三池港か現在の諏訪公園ができる場所あたりにあった。
    • 三潴は当初はSAだったが後にICも併設された。
    • 旧荒尾競馬場付近に荒尾ICも設置されたため、荒尾競馬場は現在でも存続していた。
  2. 設置されるSA・PAは三潴・黒崎・天水・熊本・川尻。
    • 黒崎だと北九州の黒崎と勘違いする人多数が出る恐れあり。初島とかの方がまだ良い。
      • 有明海が望めると人気のスポットに。
  3. 八代ICで合流。
  4. 金峰山をトンネルで通過していた。
  5. 有明海沿岸道路は建設されなかった。
    • 反対に、阿蘇方面へのアクセスを目的として中九州横断道路が早期に事業化されていた可能性がある。
  6. 西鉄天神大牟田線は久留米以南の区間で利用者減少などの影響が出ていた。

八代以南が西回り経由[編集 | ソースを編集]

九州自動車道がまだ計画段階だった頃、海岸沿いのルートにするか、それとも山岳地帯のルートにするかを、天秤にかける必要性がありました。当初は需要や工期を考え、現在計画中の南九州西回り自動車道と同等のルートで計画が進んでいましたが、後に宮崎への利便性を考え、現在のルートで建設されることになりました。
もし、九州自動車道の八代IC以南が、南九州西回り自動車道と同等のルートで建設されていたら…

  1. 肥後トンネルや加久藤トンネルは存在せず、危険物積載車両の通行止めや暫定2車線開通区間(現在は解除)もなかった。
  2. 平成になる前に全通していた。
    • ただし、小倉東IC~八幡IC間の開通も後に回されたため、1987年以前の全通は可能性が低い。
  3. 宮崎自動車道は、水俣あたりからの横断ルートを取っていた。
    • その場合、フェニックス号がそれほど優位に立てず、原油高騰で2007年中にも減便・4列化の憂き目にあっていた可能性も。
    • 下手すれば、宮崎自動車道の管轄はJH→NEXCO西日本ではなく、国土交通省になっていた可能性も。
    • 普通に考えれば、鹿児島→国分→都城→宮崎の釣り針型ルートだろ。
      • 宮崎方面からの強い要望で、やはり八代JCT~都城JCTに新直轄方式で高速道路(または地域高規格道路)が計画・建設されることになっていた。
      • もしくは日肥線ルートで、八代JCT→人吉IC(ここから無料区間)→免田(あさぎり)IC→多良木PA→湯前IC→西米良IC→一ツ瀬(東米良)IC→杉安IC→西都IC(東九州道に接続)が存在していた…だろうか?
      • いやいや、熊本→阿蘇→高森→高千穂→延岡と長大トンネルの少なくて済みそうな所を抜けて、後は海沿いに南下じゃね?
        • むしろ九州中央自動車道と同じ嘉島→矢部→五ヶ瀬→高千穂→延岡のルートになっていた。
    • 出水→宮之城→国分→都城→宮崎もありえる。
  4. 鹿児島空港が鴨池から溝辺に移転しなかった可能性がある。
    • そうなると第2候補地の松元に建設されていた可能性が大。
      • 現実の松元ICは、松元鹿児島空港ICを名乗っていた可能性。
      • おもいっきり薩摩に偏った立地なため、現実ほど利用客が多くない。都城どころか県内ですら宮崎空港のほうが近くなる地域が…
  5. 東九州自動車道の需要が高まり、2007年ごろには開通。
  6. 九州新幹線が苦戦していた。
  7. 肥薩線吉都線の需要が高まっていた。
    • 九州自動車道が西回りだったら、下にある通り鹿児島本線も最初から西回りで建設されているので、肥薩線自体存在しなかった。
      • 九州自動車道のルート変更と鹿児島本線のルート変更は全くの別問題だからそれはない(鹿児島本線は海岸沿いルートを嫌った陸軍と元々人吉止まりにするつもりだった九州鉄道の都合)。
    • 上にある通り、宮崎道のルートが変わっていれば吉都線が多少はましになっていたはず。
  8. 人吉えびの小林は確実に現状より廃れていた。
  9. 鹿児島本線が最初から西回りで建設されていたらこうなっていた。
    • 上にも書いたがそれとこれとは別問題。
  10. 現実の松元本線料金所は鹿児島本線料金所を名乗っていた。
    • 今みたいなしょぼい上下4レーンしかない料金所ではなく、上下10レーンぐらいある大きな料金所になっていた。
  11. 20世紀中には完成しているはずなので、新直轄区間として建設される可能性はなく、現実の薩摩川内高江~薩摩川内都の間に川内PA、大川附近に阿久根SA、水俣附近に水俣SAができていたかも。
  12. 指宿スカイラインが当初の計画通り鹿児島西インターで接続することになった。
  13. 設置が予想される施設をまとめてみた。
    • 八代IC-不知火海PA-芦北IC-津奈木SA-水俣JCT(宮崎自動車道接続)-水俣IC-出水IC-高尾野PA-阿久根IC-阿久根SA-川内IC(現実の薩摩川内水引ICと薩摩川内高江ICの中間の位置)-串木野PA-串木野IC-伊集院IC(現実の美山PAの位置)-松元SA-鹿児島JCT・IC(東九州自動車道・指宿スカイライン接続)
  14. 鹿児島~長崎間のメインルートは天草経由。安田産業汽船の茂木~富岡のフェリー航路が廃止されることも無かった。

八代~人吉間が球磨川沿い[編集 | ソースを編集]

史実では肥後トンネルで肥後峠の下を通っていますが・・・

  1. ルート
    • 八代JCT~坂本PA(史実よりも少し西側)~坂本IC~吉尾PA~肥後白石IC~一勝地IC・SA~渡IC~上林PA~人吉IC(史実と同様)
  2. 途中で芦北町を通っていた。
  3. 危険物積載車が通れるかは微妙。

東九州自動車道[編集 | ソースを編集]

大分米良~北川間が豊後大野・宇目経由[編集 | ソースを編集]

  1. 大分~延岡間の所要時間が大幅に短縮される。
    • パシフィックライナーがJR「にちりん」に圧勝。
      • にちりんが宮崎~延岡に短縮されるかも。
  2. 山地を突っ切るため、長大トンネルが多用されている。
  3. 中九州横断道路とは三重町付近で分岐していた。
  4. R10大分南バイパスが高速自動車国道に並行する一般国道専用道路(A'路線)になっていたかもしれない。
  5. 東九州道が豊後大野・宇目経由だったとしても、沿線人口の多い臼杵~佐伯や酷道区間の大分・宮崎県境には地域高規格道路が建設されていた。
  6. 大分県央空港が大分空港になっていたかも。
    • この場合、大分空港の利用地域は大分県中南部+宮崎県北部で中津市と宇佐市と国東は北九州空港の利用地域で、日田・玖珠は福岡空港の利用地域だった。
  7. 設置される施設をまとめてみた。
    • 大分米良IC~大分判田IC~大分竹中PA~犬飼IC~三重IC・JCT~宇目IC~北川IC
  8. 冬季に年数回チェーン規制がかかる。

志布志~国分間が笠之原・垂水経由[編集 | ソースを編集]

  1. ルート
    • 志布志IC(仮称)~志布志有明IC(仮称、鹿屋方面のみ)~大崎IC(仮称)~鹿屋東IC(史実の笠之原IC付近に設置)~鹿屋西IC~古江IC~大隅新城IC・PA~垂水IC~海潟IC(鹿屋方面のみ)~牛根麓桜島口IC(道の駅たるみずに隣接)~牛根IC~大隅福山IC~敷根PA~国分IC
  2. 鹿児島~鹿屋間を桜島経由で行く人が史実よりも多かった。
  3. 牛根麓桜島口ICは史実の野方ICのポジションになっていた。

九州横断自動車道長崎大分線[編集 | ソースを編集]

武雄~長崎間が佐世保・西彼杵半島経由[編集 | ソースを編集]

  1. ルート
    • 川登SA~武雄南IC~波佐見有田IC~佐世保三川内IC~早岐PA~佐世保大塔IC・JCT(西九州自動車道接続)~指方IC(長崎方面のみ)~江上IC~高畑PA~針尾IC~小迎IC~大串IC~西彼IC・PA~形上IC~琴海IC・SA~日並IC~時津IC~長崎浦上IC(史実の長崎バイパス昭和町出入口付近)
    • 西九州自動車道・西彼杵道路に当たる区間は概ね史実と同様だが、本線料金所が無くなっていたり休憩施設が増えたりしている。

長崎多良見以西が長崎バイパスのルート[編集 | ソースを編集]

  • 長崎多良見~長崎間の開業までは、長崎バイパスが事実上長崎道の一部となっていました。
  1. 昭和線が最初から長崎道として開業していたとすれば、カーブがある程度緩やかになっていた。
    • 少なくとも多良見-市布間の連続カーブは無かったはず。
  2. 昭和町出口がそのまま長崎ICを名乗っていた。
    • 一方で最初から長崎道が長崎市内にアクセスしやすい状態で開業しているので、長崎多良見ICの名前が多良見市布ICになっていたかもしれない。
    • 川平ICとそれほど距離が離れていないので、川平有料道路開業後は分岐部を含めて長崎IC/JCTを名乗っていた。
  3. 川平-西山間は川平有料道路の一部として史実通り開業する。
    • 一方でながさき出島道路は計画すら存在しない。

東彼杵~天瀬高塚間が佐賀平野南部・耳納山地沿いを経由[編集 | ソースを編集]

現在の九州横断自動車道長崎大分線の東彼杵~天瀬高塚間は、脊振山地沿い・筑後平野北部を通っていますが、もし両者の位置が入れ替わったら・・・?

設置が予想される施設(JCT除く)
  1. 東彼杵IC、嬉野IC(塩田川を挟んだ対岸の位置)、藤津IC/SA、白石IC、有明海PA、佐賀西IC、佐賀東IC、千代田IC/SA、久留米西IC、久留米東IC、善導寺PA、田主丸IC、吉井SA、浮羽IC、石井PA、日田IC(日田バイパス沿い)、天瀬高塚IC
    • これ、九州自動車道との交点は久留米IC付近?
予想されること
  1. 長崎と大分の距離が多少短縮される。
  2. 久留米都市圏と佐賀・日田両都市圏の結びつきが強くなっている。

湯布院~大分間が庄内・挾間経由[編集 | ソースを編集]

  1. ルート
    • 水分PA~湯布院IC(史実とは異なり南由布駅付近に設置)~湯平PA(・SIC)~豊後庄内IC~大分川SA~挾間IC~大分IC・JCT(別府支線・東九州自動車道接続、史実の大分光吉IC付近に設置)
      • 別府支線:大分IC・JCT~大分西IC(史実の大分IC)~別府IC(宇佐別府道路接続)
  2. 大分IC(史実の大分光吉IC付近)~大分米良ICは当初から東九州自動車道として計画された。
  3. 速見IC~別府ICは宇佐別府道路として開通した。
    • 別府IC~大分IC・JCTを含めて宇佐大分道路として開通していた。
  4. 結局、別府支線区間は史実通り東九州自動車道に変更される。
  5. 霧による通行止を回避するならこっちのほうがよかったんじゃないか…。

宮崎自動車道[編集 | ソースを編集]

加治木から国分を経由して都城へ[編集 | ソースを編集]

  1. ルート
    • 加治木IC・JCT~隼人西IC~隼人東IC~国分IC~大隅牧之原IC・SA~末吉財部IC・JCT(東九州自動車道接続)~末吉PA(ハイウェイオアシス(道の駅すえよし)併設)~都城西IC(史実の都城志布志道路平塚IC付近に設置)~日向庄内PA~都城IC(史実と同様)
  2. 国分~末吉財部IC間は史実の東九州自動車道と異なり、牧之原を経由していた。
  3. 都城志布志道路は計画されなかった。
    • 代わりに、えびのから宮崎に向かう地域高規格が計画された。
    • あの道路は志布志港と繋げることが目的だから、平塚~志布志に短縮されるだけかもしれない。

沖縄自動車道[編集 | ソースを編集]

西海岸経由[編集 | ソースを編集]

沖縄自動車道は東海岸寄りを通っていますが、もし西海岸寄りだったら・・・

  1. ルート
    • 許田IC~安富祖IC~恩納IC・SA~谷茶IC(那覇方面のみ)~仲泊IC~読谷IC~嘉手納IC~琉球美浜IC~北谷IC~宜野湾IC・PA~浦添北IC~浦添南IC~那覇IC(史実の那覇西道路若狭IC)~那覇空港IC
  2. 沖縄西海岸道路は計画されず、代わりに沖縄東海岸道路が計画された。