もしいわき市が誕生していなかったら
1966年10月に平市、磐城市、常磐市、内郷市、勿来市、石城郡四倉町、遠野町、小川町、好間村、三和村、田人村、川前村、双葉郡久之浜町、大久村が合併してできたいわき市。
この地域がもし1966年に合併しなかったら?
全般[編集 | ソースを編集]
- 合併をしない場合に限るが、常磐交通が新常磐交通になることはなかった。(バスの補助金の関係らしい)
- 常交買収による平市営バス案もあったが、常交の猛反発に会い破談になっている。
- いわき駅は平駅のままだった。
- 後年、合併によって新たに成立した自治体の名前に平仮名や片仮名が使われる事例は史実よりかなり少なくなっていた。
- むつ市がDQNネーム呼ばわりされていた。
- このページもなかった?
- いわきナンバーも交付されなかったかもしれない。
- 寧ろ、「平ナンバー」が交付されていた。
- 柏や堺のように、今更一文字かよとバカにされていた。
- 「平ナンバー」の交付は1970年代に実施されたろうから(史実での「いわきナンバー」は1970年代に交付された)、「今更一文字かよ?」って呼ばれることはないのでは?
- 柏や堺のように、今更一文字かよとバカにされていた。
- 寧ろ、「平ナンバー」が交付されていた。
- 常磐自動車道のIC名が、スッキリした名称になっていた。
- 「いわき勿来IC」は「勿来IC」になったいた。この他も同様、「湯本IC」「四倉IC」というように、頭に「いわき」は付いていない。
- 「いわき中央IC」は「平IC」、「いわきJCT」は「平JCT」になっていた。
- いわきJCTは常磐下矢田町だから微妙なところかなあ。
- 下矢田町は、常磐自動車道じゃなくて、国道6号バイパスと国道49号バイパスのJCT。
- そこは常磐上矢田町。いわきジャンクションは常磐下矢田町だよ。
- 下矢田町は、常磐自動車道じゃなくて、国道6号バイパスと国道49号バイパスのJCT。
- いわき中央ICも、平まで程遠い好間町だからなあ…何処と何処が合併するかにもよるけど「好間インター」で看板が「好間 平 出口500m」みたいな感じかなあ。
- 「平IC」か「平好間IC」のどれかになるのでは?好間から平市街地までは5kmしか離れていないから。水戸ICから水戸市街地までは7kmも離れてるのに。
- いわきJCTは常磐下矢田町だから微妙なところかなあ。
- 「いわき中央IC」は「平IC」、「いわきJCT」は「平JCT」になっていた。
- 「いわき勿来IC」は「勿来IC」になったいた。この他も同様、「湯本IC」「四倉IC」というように、頭に「いわき」は付いていない。
- 「いわき」「相双」という地域名は用いられず、「岩城地方」か「磐城地方」「相馬地方」と呼ばれている。
- 高校の立地比率も、末続以南:末続以北で34:16ではなく、夜ノ森以南:夜ノ森以北で30:20で、比較的均等に配分されていた。
- いわき市立総合磐城共立病院は史実と同様に内郷にあるが正式名称は「石城広域行政事務組合総合内郷共立病院」になっていた。
- いわき市誕生前後の、郡山市の広域合併や福島市の周辺町村編入の気運は盛り上がらなかったかもしれない。
- 小名浜漁港は史実ほどには観光化されなかっただろう。
- 平(城下町地区)が、市役所や中央駅があるのに、小名浜や湯本(温泉・港町地区)の「観光植民地」のような待遇を受ける事はなかった。
合併試案[編集 | ソースを編集]
試案1[編集 | ソースを編集]
- 勿来市(勿来+田人+遠野)
- 常磐市(常磐+磐城)
- 「小名浜市」になっていたかも。
- スパリゾートハワイアンズの所在地にしてフラガールの発祥地は、この常磐市(or小名浜市)となる。
- 1960年頃から2010年頃までの、常磐市(or小名浜市)の人口は約12万人。
- 常磐自動車道のIC名は、湯本ICか小名浜ICのどれか。(「常磐自動車道常磐IC」では紛らわしい為。)
- 広野町(広野+久之浜+大久)
- この2つの町は双葉郡のエリアなのでこうなるかと。
- 平市(平+内郷+四倉+好間+小川+三和+川前)
- 浜通りの中心都市として発展。
試案2[編集 | ソースを編集]
恐らくこうなるであろう…と勝手に想像してみる。
- 小名浜市(常盤+磐城)
- 分断された『小名浜』でも悪くないかなと。
- 上矢田町や松久須根町あたりは平市になりたがりそうだ。
- 分断された『小名浜』でも悪くないかなと。
- 四倉地区(久ノ浜+大久+四倉+小川)
- もしかすると『四倉市』になってると思う。
- 安易な所で『久倉』とか、『四倉浜』とかになってるかも。
- 平市(平+内郷+好間)
- 対等合併で、市名は「たいら」「いわき」「平内」等の案がのぼる。
- 城郭に因んだ『磐城平市』や、大名に因んだ『岩城市』も候補に上る。
- 対等合併で、市名は「たいら」「いわき」「平内」等の案がのぼる。
- 遠野町(遠野+田人)
- 勿来市との合併を考えていたが、合併方式で対立し破談。
- 勿来市は合併できず、単独路線に。
- その後平成の大合併時に茨城県北茨城市と越県合併し、茨城県北茨城市に編入。
- 川前村と三和村はそのまま。
試案3[編集 | ソースを編集]
- 全体で「いわき市」となるが、ひらがな自治体ということでバッシングを受ける。
- おまけに、出自が明治旧国名(磐城)なのか一族名(岩城)なのかが曖昧だってことで、批判を受ける。
- 藩の名称(磐城)なのか大名の姓(岩城)なのか、では?
- 旧国名(磐城)なのか藩の名称(磐城)なのか大名の性(岩城)なのか大方が属する郡名(石城)なのか合併する中の一つの旧市名(磐城)なのか、では?
- 藩の名称(磐城)なのか大名の姓(岩城)なのか、では?
- おまけに、出自が明治旧国名(磐城)なのか一族名(岩城)なのかが曖昧だってことで、批判を受ける。
試案4[編集 | ソースを編集]
- 平市(内郷以北)
- 岩城一族や、磐城平藩主といった大名の本拠地だったという歴史で売り出す。これで、南隣の小名浜市に埋没しないように…とスキームを練る。
- 城下町のイメージが濃厚になり、工業都市のイメージは希薄になっていた。
- 城下町に相応しく、「平市立郷土博物館」も開設された。
- 名称は、対等合併形式なら「岩城市」「磐城平市」「飯野平市」のどれかになる。編入形式なら「平市」になる。
- 湯本傾城以南が先に合併されて「小名浜市」になると、こちら磐城平城跡のある湯本傾城以北が後に合併されて「磐城市」を称しているかも。
- 合併時期が「南先行、北後続」の場合、湯本傾城以南が1965年頃、湯本傾城以北が2年後れて1967年頃。
- 合併形式を問わず、「平市」「岩城市」「磐城市」のどれかになっていそう。
- 「平市」のままだった場合、「ハンバーガーみたいな輪郭に『平』の字」の市章も存続。漢字化された「岩城市」か「磐城市」になった場合、史実での「〇を基調に厚い『い』の字」の市章が使用され、紅藍で「『い』の右に聳ってる所に●」の市章は登場しなかった。
- 湯本傾城以南が先に合併されて「小名浜市」になると、こちら磐城平城跡のある湯本傾城以北が後に合併されて「磐城市」を称しているかも。
- 常磐自動車道の平市(or岩城市or磐城市)の立て札には、白水阿弥陀堂が描かれている。
- 浜通りの港湾では、北の松川浦と南の四倉が、似たような地勢と漁港としてしばしば対比されていた。
- 岩城一族や、磐城平藩主といった大名の本拠地だったという歴史で売り出す。これで、南隣の小名浜市に埋没しないように…とスキームを練る。
- 小名浜市(湯本以南)
- 湯本温泉、小名浜の港、美空ひばり所縁の地(塩屋崎灯台)といった観光都市として売り出す。
- ちょっと待て、塩屋埼灯台があるのは平豊間だ。
- 「フラガールの故郷 小名浜」というキャッチフレーズも使用されている。
- 炭鉱博物館の名称は、「小名浜市石炭・化石館 ほるる」になっていた。
- 鹿嶋と同じく、「娯楽性を持つ臨海工業都市」というイメージが濃厚になっている。
- 小名浜市が、「東北第一位の工業都市」と呼ばれていた。
- 小名浜商工会議所も設立されていた。
- フラガールと野球が、小名浜市を象徴する二大娯楽になっていた。
- フラガールの全国規模のイベントも、小名浜市で開催されていた。
- 浜通り屈指の野球どころと呼ばれている。
- 1995年4月に開設された大型野球場も、「小名浜グリーンスタジアム」という名称になっていた。
- 小名浜市の市章は、「〇を基調に頂点が『小』、円内の底面に波模様の『八』」の図柄になっていた。
- 常磐自動車道の小名浜市の立て札には、東日本大震災前はヨットが描かれていたが、東日本大震災後はフラガールに変更された。
- 湯本温泉、小名浜の港、美空ひばり所縁の地(塩屋崎灯台)といった観光都市として売り出す。
- 広野町(広野+久之浜+大久)
- 久之浜は波立海岸以北なので、平市ではなく、広野町に加入。
- 平と小名浜が別の自治体で規模も互角(共に人口約17万人)になるので、平市と小名浜市の「二つ」に刺激されて、広野町役場も冷戦時代から企業誘致に躍起になっていた。
- 広野町内のクリナップの施設が、史実より多かった。
- 井上記念体育館も、平ではなく、広野に建てられた(創業者が広野出身である為)。なお、久之浜工場(1962年開設)と研修所の開設は史実通り。
- 広野工業団地の開設も、史実よりもっと早かった。
- 広野町内のクリナップの施設が、史実より多かった。
- 広野町の人口も、2万人近くに増えていた。(宮城県の山元と同規模)