もしインターネットがあの時代にあったら/近現代
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明治時代[編集 | ソースを編集]
- かっこいい散切り頭を紹介するサイトが数多く立ち上がる。
- 新政府のプロパガンダに多用されること間違いなし。
- 自由民権運動が史実よりも活発になり、大日本帝国憲法の発布と帝国議会の発足が早まった。
- 戊戌の変法(清)やミドハト憲法体制(オスマン帝国)もうまくいっていたかもしれない。
- 国会の開設に10年待ってくれという発言に関しては、あまりにも遅すぎるという理由で反対の声が強くなっていた。
- Eメールの管理が逓信省管轄になる。
- 風刺雑誌『団団珍聞』は公式サイトにも多くの風刺画を載せ人気を博していた。
- ハレー彗星の画像や動画が多数アップされる。
- 騒動もかなり大きくなっていた可能性がある。
- 清の滅亡が早まったかも。
- 辛亥革命に相当する革命はSNSでやり取りされ、史実より早く起こった。
- 義和団事件の勢いでそのまま反帝室運動が起きていたかもしれない。
- ロシア革命も早まっていた可能性あり。
- 社会主義国家の成立も早まっていた可能性あり。
- 場合によってはパリ・コミューンの成立により世界各地で似たような革命が発生していた。
- 辛亥革命に相当する革命はSNSでやり取りされ、史実より早く起こった。
- この頃には主要な航路の客船は全てWi-fi完備。
- あのタイタニック号ももちろん例外ではなかった。
- 遭難時のはっきりした映像が何らかの形で残っていた。
- あのタイタニック号ももちろん例外ではなかった。
- 「世界初の動力飛行」を目指すチャレンジをネットで生中継し大恥をさらす人が続出。
- ライト兄弟による初の動力飛行の映像ももちろん残っていた。
- アメリカでは大陸横断鉄道よりも先に大陸横断ケーブルが敷かれていた。
- 近代オリンピックは第1回から全競技公式ネット配信あり。
- クーベルタンの性格からして「これで世界中の若人に見てもらえる」とネットでの情報配信には積極的だったと思われる。
- この時代にはイギリスのシステムエンジニアの多くがインド人になっていた。
- ネットを通して世界各国の情報を知ることができるため万国博覧会が19世紀のうちに消滅していたかもしれない。
- 戒厳令には、インターネットの統制も加えられていた。
- モルガンかロックフェラーの少なくともどちらかがITで大成功していた。
- ノーベル賞に「ノーベル情報科学賞」といったようなものが存在していた。
- アメリカでは反移民の動きが19世紀のうちに過激化していた。
- 史実での1924年移民法(排日移民法)よりも厳しい法律が大正改元より前にできていても不思議ではなかった。
- そしてかなり早い内に日本人のブラジル移住が始まっていた。
- ピアリーやアムンゼンといった探検家はクラウドファンディングでも資金を調達できていた。
- ドイツではビスマルクにより社会保険制度の整備とともに各種手続きのWeb化も行われていた。
- フランスではドレフュス事件の影響で大規模なユダヤ人差別が発生する。
- その後のシオニズムの広まりもSNSなどのおかげで史実よりずっと旺盛だった。
- 国は変わるがイギリスの婦人参政権運動もさらに大規模化している。
大正時代[編集 | ソースを編集]
- 大正デモクラシーの運動がネット上でも盛んに行われていた。
- 運動そのものも史実よりも活発だった。
- 3・1独立運動や5・4運動もネットを介して拡大していた。
- そしてこの時点で日本が民主主義国家になっていた...のか?
- 大日本帝国憲法が改正されていたかもしれない。
- 大正時代のうちに普通選挙が実現していたかもしれない。
- ひょっとしたら平和主義が憲法に盛り込まれ、太平洋戦争が回避されていた可能性がある。
- まだ日本が負け戦を経験していないのでその可能性は皆無では。
- 米騒動はネットを利用して広まる。
- 史実以上に激しく、大規模なものとなっていた。
- あるいは政府がネット上の動きを察知して対策を講じたため史実ほどの規模にはならず、昭和初期頃には忘れ去られていたかもしれない。
- 関東大震災で数日間ネットが不通になる。
- 更にデマが飛び交いまくって大変な事になっていた。
- もしかしたらこの時点で軍が政府を乗っ取ってしまっていた可能性がある。
- ロシア革命によりソ連では海外のサイトが閲覧不能になった。
- マハトマ・ガンディーなどアジアやアフリカの植民地独立を目指す運動家はSNSなどで自らの理想や近況を発信していた。
- 宗主国政府のネット検閲を回避するためサーバーはアメリカなどに置かれていた。
- 朝鮮の独立運動家のサイトのサーバーは中国に置かれていた。
- 映画産業はそこまで発達しなかった。
- チャップリンや尾上松之助も早い時期にネット動画へと活動の場を移していた。
- マルベル堂はプロマイドの撮影、販売以外の事業を行っていた。
- サラエボでのオーストリア皇太子夫妻殺害事件の瞬間がネットで生中継され史実以上に世界を騒然とさせていた。
- 意外と早い段階でイギリスあたりが介入し世界大戦が避けられていた可能性もゼロではない。
- 戦争の経過が史実通りだった場合はヴェルサイユ条約など中央同盟国との講和条約がさらに恐ろしい内容になっていた。
- オーストリア・ハンガリー帝国どころかドイツ帝国もバラバラに解体されていた。
- オスマン帝国は独立そのものを失いイギリスかフランスの植民地とされた。
- むしろセーヴル条約の内容が予定通り実行されていたのでは。
- 禁酒法の施行とともにアメリカでは酒類を取り扱う闇の通販サイトが乱立。
- 禁酒法の廃止が早まっていたかも。
- 第1次大戦の影響によりヨーロッパからアメリカにサーバーを移す企業などが続出。
- 覇権国家がイギリスからアメリカに変わる原因の一つになった。
- スペイン風邪の影響でテレワークが少しは広まるがあくまで一部の業界に限られる。
- デマによる混乱も世界中で起きていたかもしれない。
- 1次大戦後のドイツではサイバー空間でも様々な勢力がプロパガンダやサイバー攻撃の応酬を繰り広げていた。
- 場合によってはミュンヘン一揆時点で全独が大混乱に陥りナチス政権が史実より10年くらい早く誕生していた恐れすらある。
- 日本ではホームページだけは立派だが実際はとても路線建設などできそうにないインチキ鉄道会社が横行。
昭和元年~終戦[編集 | ソースを編集]
- 戦争で回線はめちゃくちゃに…
- 在日犯罪が早い段階で暴露される。
- ありもしない「在日犯罪」を捏造して捕まる馬鹿者が出る。
- 在日ではなく「鮮人」だろう。いずれにせよ朝鮮叩きは行われていた。
- 開戦直前になると日本が治安維持法の為民間用の回線をすべてカットする。
- ネット検閲でいいだろ。
- 戦況が悪化すると大本営以外のサイトが明確に禁止される。場合によっては地方へのケーブルが供出されていたかも。
- ネット検閲でいいだろ。
- 社会主義者や朝鮮半島独立論者が政府関連のサイトに攻撃を仕掛けている。
- ネットにより第二次世界大戦の劣勢が伝えられたので、現実には1945年8月の終戦が半年~1年ほど早まっていた可能性がある。
- 空襲で回線が寸断され、地域ごとにばらつきが出る可能性もある。
- 軍部を批判すると「おや、誰か来たようだ」が現実のものとなり、憲兵や特高がやって来る。
- そして「うわなにをするやめrくぁwせdrftgyふじこlp」も現実のものとなる。
- 一般人が軍の機密をネットに書いてしまう事件が起きる。
- 客として軍人が来た飲食店や旅館などの従業員、兵営や軍需工場、軍用列車などの様子を偶々見かけた一般人がうっかり…という感じか。
- 死のう団はネットを利用して組織を拡大。史実よりも更に大きな事件を起こしていたかもしれない。
- 1941年11月までにアメリカと戦争しても勝てないことが分かり、真珠湾攻撃がなかった可能性もある。
- SNSなどを通し早いうちに李香蘭の正体は日本人であることが明るみに出ていた。
- ドイツ国内のサイトは全てナチスの監視下に。
- 英米など自由主義国のサイトは「退廃的」「ユダヤ的」などとみなされことごとく閲覧不能に。
- 日本でも国家総動員法が出た頃に海外サイトの閲覧制限が行われていた。
- そもそもナチス自体ネットを利用して勢力を伸ばしている。
- それ以前のファシスト党も然り。
- 戦後ナチス関連のwebサイトやSNSアカウントはアーカイブ含めてほとんどが消されている。
- 現在まで残されているのはナチス公式サイトのスクリーンショットのみ。
- 英米など自由主義国のサイトは「退廃的」「ユダヤ的」などとみなされことごとく閲覧不能に。
- 2・26事件や5・15事件を首謀した皇道派の革新官僚達がネットで圧倒的な支持、後のネット右翼になる。統制派により圧力が加わり表現規制反対と喚き散らしながら陸軍の中で在日認定合戦が勃発、昭和天皇が陸軍掲示板閉鎖を断行する。
- 当時罵るなら「アカ」「米英の手先」などの方が自然。
- 「馬鹿野郎」ならぬ「アカ野郎」という言葉があった。
- 戦時中には各国で「国家の敵」「敵国のスパイ」叩きが過熱。
- 殺害に至る事例も珍しくなかった。
- アメリカではドイツ系やイタリア系も強制収容所に入れるべきだという意見が強くなっていた。
- 戦後には日系1世の日本への追放が真面目に検討される。
- 1940年の東京オリンピックを返上するか否かネット上で大議論に。
- 世界恐慌が原因でソ連以外では多くのIT企業が潰れていた。
- そのソ連でもスターリンによる大粛清の一環で都合の悪いサイトが管理者もろとも消されていた。
- いわゆる「モスクワ裁判」もネットで生中継された。
- 場合によっては恐慌の影響で全世界的に民主主義が退潮していた恐れもある。
- 最悪の場合は第2次大戦が「ファシズムvs共産主義」というどちらが勝っても救いのない組み合わせだった危険すらある。
- そのソ連でもスターリンによる大粛清の一環で都合の悪いサイトが管理者もろとも消されていた。
- 第2次大戦では連合国と枢軸国によるサイバー戦争も展開される。
- 特にアメリカは民間のホワイトハッカーも動員しドイツや日本のネットワークに大規模な攻撃を仕掛ける。
- 日本の財閥でIT企業が中核のものが複数ある。
- スペイン内戦や日中戦争では戦地となった地域の人々の惨状がネットで世界中に伝えられる。
- しまいにはフェイクニュース合戦まで始まる。
- 当時の各大国には情報戦専用部隊も存在していた。
- しまいにはフェイクニュース合戦まで始まる。
- 第2次大戦が始まるとユダヤ人の間でヨーロッパ大陸からの脱出に関する情報が飛び交う。
- それでもデマも多そうなので助かった数が史実より増えるかは微妙。
昭和20年代[編集 | ソースを編集]
- ネットでも闇市が展開される。
- 占領中はGHQによる大規模な検閲が行われていた。
- GHQに対し批判的なサイトは即閉鎖。
- レッドパージと並行して共産党系のサイトが次々と閉鎖される。
- ネット検閲のためさらに多数の検閲者が必要になっていた。
- 一部はアメリカ国内の日系人を使ってアメリカから行っていた。
- 恐らく「ネット・コード」と呼ばれていた。
- 法隆寺金堂壁画や金閣寺の焼失前の姿が鮮明に記録されていた。
- 原水禁運動の拡大にもネットが一役買っていた。
- 警察予備隊のページが再軍備反対派に攻撃されていた。
- NHKラジオの人気番組のサイトが賑わう。
- 「日曜娯楽版」の投書や「とんち教室」の「宿題」等はネットで作品を募集。
- 「尋ね人」はラジオでも放送しているがネットが中心に。
- 近江絹糸争議では「ネット閲覧の自由」「メール監視の停止」も会社への要求の中に入っていた。
- ネット世論の左傾化を懸念した進駐軍参謀二部が暴力団を束ね保守系政治の影になる「政商」を育成。政商と配下のヤクザによる新たなシノギとしてネット上に保守系まとめサイトとエロ広告が溢れる。
- 憲法21条(表現の自由)の信者が現実の9条並にいた。
- そもそも表現の自由自体、もっと柔軟に運営できていたかもしれない。
- ドイツや朝鮮の分断によりドメインをどうするかが問題になった。
- 左右でサーバーが分断されると思うので普通に同じドメインを使っていたかもしれない。
- しかし統一された場合ドメイン(サイト名)のかち合いが問題になる。
- 左右でサーバーが分断されると思うので普通に同じドメインを使っていたかもしれない。
- ソ連ではこの時代までにKGBの前身がネット監視網を確立させる。
- ネット上では映画「ゴジラ」が公開直後から大人にも高評価を得ていた。
- もちろんマーシャル・プランにはネット設備の復興も盛り込まれていた。
- それと同時に米英製の反ファシズム動画が大量に上がる。
- そもそもGHQによる日本の戦後処理がドイツ並みかそれ以上に過激になっていた。
- 場合によっては戦前の日本の思想が全否定されていた可能性がある。
- フランスやオランダなどのドイツに占領されていた国では過激な対独協力者狩りが発生。
- 過去のナチスへの協力を暴かれ自殺に追い込まれる人すら相次いだ。
- 最悪の場合大量虐殺すら起きていた。
- 敗戦国となった日本やドイツでも旧体制に積極的に協力した事実を暴かれ破滅に追い込まれる人がたくさんいた。
- 公職追放の取り消しが世論の風潮でできなくなっていた可能性が高い。
- 過去のナチスへの協力を暴かれ自殺に追い込まれる人すら相次いだ。
- 建国されたばかりのイスラエルが基幹産業としてITに目を付ける。
- 玉音放送はネット配信で行われていた。
昭和30年代[編集 | ソースを編集]
- 2chにて「東京五輪実況板」が大繁盛。
- そして日本対ソ連のバレーボール優勝戦で実況鯖が落っこちる。(実際の優勝戦にてテレビの視聴率が89%台だったとか)
- 安保闘争がネット上でも行われていた。
- 対抗するのが機動隊でも應援團でも体育会系でもなくネトウヨだった。
- ただしこの時代はほぼ「ネット右翼=街宣右翼」だった。
- ただしどのみち強制採決になるのは変わらないはず。
- ここら辺から右翼と左翼の思想の歪みが起きていた可能性が高い。
- 対抗するのが機動隊でも應援團でも体育会系でもなくネトウヨだった。
- 三種の神器は「四種の神器」になっていた。
- 「ALWAYS・三丁目の夕日」にも「我が家にパソコンがやってきた」的な描写が出てくる。
- 他にも「官僚達の夏」や「不毛地帯」などでネタにされる。
- 不毛地帯ではテレックスでなくて、普通にメール使ってる。
- 場合によってはSkypeも。
- 官僚たちの夏ではテレビではなく、パソコン製造業者の選定が取り上げられた。
- 不毛地帯ではテレックスでなくて、普通にメール使ってる。
- 「サザエさん」でも登場。
- カツオがネットをコピペして宿題をすませようとして、波平に「バカモーン!!」とされるネタが出てくる
- 他にも「官僚達の夏」や「不毛地帯」などでネタにされる。
- 集団就職の前に親との連絡のためタブレット端末を買ってもらった人もいる。
- 「ALWAYS・三丁目の夕日」にも「我が家にパソコンがやってきた」的な描写が出てくる。
- 当時返還前の沖縄のサイトには「.rk」というドメインが割り当てられていた。
- 小笠原の場合は「.og」になっていた。
- その他信託統治領にも独自にドメインがあった(米信託統治領南洋諸島は「.pi」、南アフリカ領南西アフリカは「.sw」など)
- アフリカなどの新興国の独立時には新しくドメインが必要になることも少なくなかった。
- ベトナムでも北(ベトナム民主共和国)が「.vd」、南(ベトナム共和国)が「.vr」に分かれていた。
- 三井三池争議では、経営陣(と事務職員)・第一組合・第二組合がネット上でも激しい闘争を繰り広げた。
- 労働歌「がんばろう」は、ネットを通じて広まった。
- インターネットが発達していた場合、民放テレビ、ラジオ局の数が少なかった。
- 国によってはそもそもテレビ放送自体始まらないというケースも普通にあった。
- 史実のテレビ放送に相当するサービスは、電波ではなくインターネットで配信される。
- 電気機器としてのテレビは、テレビ受像機ではなく、ネット受像機として存在する。
- 米ソはサイバー空間でもスパイ合戦を繰り広げている。
- ケネディ暗殺についての謎解きを行うサイトが乱立。
- 史実では明るみにならなかったことが色々と解明されていた。
- 昭和基地に樺太犬を置き去りにしたことにより南極観測関係者への殺害予告が相次いでいた。
- アメリカでの黒人公民権運動においてSNSが重要な役割を果たしていた。
- 当時Twitterのフォロワー数が最も多かった人物はキング牧師だった。
- もしかしたらこの時点で保守派を迫害する風潮になっていたかもしれない。
- 廃止される地方私鉄の動く映像を撮りに行く鉄道ファンがこの時代から多く存在している。
- 同時に線路を進入しての撮影もこの時点で禁止されていた。
- 史実でも既に鉄道営業法で禁止されていたはずだが…。
- 同時に線路を進入しての撮影もこの時点で禁止されていた。
- ヨーロッパでは植民地の独立も絡みこの時代から極右思想が広まっていた。
- キューバ危機の際の展開にも何か影響があったはず。
- アメリカで過激なネット世論が発生し政権がそれに動かされた結果武力衝突という最悪の結末も考えられた。
- もしかしたら日本的経営が生まれてこなかったかもしれない。
- 日本の労働環境は欧米と同レベルになっていた。
- 日本特有の終身雇用などは戦時下の制度が大きく影響しているのでネットが戦後の普及ならおそらく無関係。
- この場合、アーパネット(インターネットの前身)がそのまま一般に普及した感じか。
- 高度経済成長に伴う社会などの歪みがかなり早いうちから問題視されていた。
- アメリカでは史実で『沈黙の春』を執筆したレイチェル・カーソンがネットで環境汚染に警鐘を鳴らしていた。
- ただし風当たりもさらに悪化し癌で他界する前に殺された恐れもある。
- 日本でも高度経済成長期の負の側面が更に強調されていた可能性が高い。
- 海外から見た日本の評価が史実より下がっていた可能性が高い。
- アメリカでは史実で『沈黙の春』を執筆したレイチェル・カーソンがネットで環境汚染に警鐘を鳴らしていた。
- 共産主義体制の歪みがこの時点で露呈されていたかも。
昭和40年代[編集 | ソースを編集]
- 2chでは「大阪万博板」が大繁盛した。
- むしろ万博で初出していた可能性が。
- 学生運動がインターネット上で行われていた。
- 「異議な~し」「ナンセ~ンス」といった言葉が飛び交っていた。
- 気に入らない相手には「米帝の手先」や「反動」といったレッテルを貼った。
- NHKは「国家権力の手先」、大手新聞社は「ブル新」(ブルジョア新聞の略)と呼ばれて誹謗中傷される。
- 気に入らない相手には「米帝の手先」や「反動」といったレッテルを貼った。
- 「55年体制」の崩壊が早かったかもしれない。
- 新左翼の過激派はネットで馬脚を現しテロ実行前に捕まっていた。
- 「異議な~し」「ナンセ~ンス」といった言葉が飛び交っていた。
- オイルショック時は大荒れになった。
- トイレットペーパーの大量購入騒動で盛り上がった。
- ヤフオクでトイレットペーパーに高値がつく。
- アマゾンでもトイレットペーパーが売り切れる事態になる。
- メルカリでも同じ様な事が起きる。
- 騒動に火をつけたのは多分ツイッター。
- ヤフオクでトイレットペーパーに高値がつく。
- 電力節減のため、深夜にはサーバーが停止されたかも。
- トイレットペーパーの大量購入騒動で盛り上がった。
- 70年代中盤からネットでも「言葉狩り」が始まった。
- 差別語をチェックするソフトが開発された。
- 部落解放同盟や全家連はインターネットも監視していた。
- そもそも規制の原因がネットだった可能性もある。
- 差別的とされる言葉を使った動画が恐ろしい勢いで削除されていた。
- よって差別的と判断された動画は一瞬にして削除される。
- さらに80年代には「黒人差別をなくす会」も参入。
- ただし、早い内にメンバーが黒人じゃないという実体がばれて力を失っていたかもしれない。
- 安藤健二の本によると部落解放同盟が出てくるのではないかという恐怖の方が大きかったということなのでそこは無関係かと。
- ただし、早い内にメンバーが黒人じゃないという実体がばれて力を失っていたかもしれない。
- ただし表現の自由を盾に言葉狩りの反対運動が起きて、少しマシになった可能性があるかも。
- 「ポリティカルコレクトネス」にあたる言葉がこの時点で生まれていた。
- 越路吹雪が自分の公式サイトを持っていた。
- 人類が月に着いたときには、アクセスが集中してサーバーがパンクする。
- Ustreamやニコニコ生放送でも公式配信されていた。
- 「3C」にComputerが入っていた。
- 「4C」になっていた可能性大。
- カラーテレビの代わりになっていた。
- 沖縄返還が、数年早まっていた可能性もある。
- ニコニコ動画では井上陽水や吉田拓郎、松任谷由美などのフォーク歌手のMADが大量に作られる。
- 「鉄腕アトム」や「鉄人28号」といったアニメのMADも多数存在していた。
- 「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった特撮のMADも。
- Youtubeではビートルズ楽曲を使ったAMVがアップされた。
- TV出演を拒否していた歌手は、自らネット動画を活用していたかもしれない。
- 反戦フォークの歌詞は史実以上に激しいものになっていただろう。
- 「鉄腕アトム」や「鉄人28号」といったアニメのMADも多数存在していた。
- 当時からテレビ局の放送開始・終了映像が動画サイトに載せられていた。
- ただ、TBSが史実どおりだった場合はやっぱり「ガラス棒」の動画が消されて見れない。
- 「突撃!ヒューマン」や「キイハンター」は全話の映像が残っていただろう。
- 1973年に放送された日本テレビ版ドラえもんも。決して「幻のドラえもん」と呼ばれることはなかった。
- 「星の子ポロン」も。
- 1973年に起こった上尾事件や首都圏国電暴動の際には当時の国鉄がネット上で徹底的に叩かれていた。
- その結果国鉄は1980年頃に民営化されている。
- ボウリング関連のサイトが乱立。2chのボウリング板はいくつかに分かれている。
- 1966年FIFAワールドカップ決勝戦の動画が試合後すぐYouTubeにUPされ、史実以上の大論争となる。
- アメリカではデンバーオリンピックを返上するか否か、ネット上でも大論争に。
- チャージマン研のMADも放送当時から作られていた。
- 星の子ポロンも。
- 日テレ版ドラえもんの作品がネットを通してたくさん残っている
- 日テレ版ドラえもんの映像を使ったMADがあった。
- ベトナム反戦運動がSNSを介しとんでもない規模になっていた。
- 「#peaceforvietnam」のようなハッシュタグをつけた投稿が氾濫していた。
- 日本の反戦フォークでも世界に広まった歌があった。
- その結果ベトナム戦争が史実より早く終わる..わけないか。
- ウーマンリブ運動も後世の「#MeToo」並みに広まっていた。
- 従軍した人に対するバッシングも更に酷いことになっていた。
- 「#peaceforvietnam」のようなハッシュタグをつけた投稿が氾濫していた。
- この頃から不祥事で引退に追い込まれる芸能人やスポーツ選手が増えていた。
- 大鵬は拳銃密輸事件により引退。
- 黒い霧事件で球界を追われた選手ももっと増えていた。
- 西鉄ライオンズはこの時点で身売り+ニックネーム変更に追い込まれていた。
- 史実ではスターとして活躍した人物のうち何人かはSNSなどでの不始末で芸能界を追われていた。
- 70年代後半から80年代初頭の芸能界が更に大変な事になっていた。
- ただでさえ大麻の所持事件が多発していたのに、それにSNS関係とかが加わると...。
- 中国では文化大革命が始まると伝統文化保存運動のサイトが検閲され強制的に閉鎖された。
- 守旧派や劉少奇に近いとされた人物の拷問や処刑が平然とネットで生中継されていた。
- その一方で西側に文化大革命の実態が早く漏れ68年に西側で発生した若者による蜂起があまり大したものにならなかった。
- いわゆる「プラハの春」の時期のチェコスロバキアでは一時的に西側のサイトも閲覧できていた。
- イギリスのEC(ヨーロッパ共同体)加盟が実現していなかった可能性あり。
- その後の拡大にもかなり支障をきたしていた。
- それどころかECそのものが誕生したかどうかも怪しい気がする。
- 韓国では「漢江の奇跡」とともにネットが急速に普及した。
- その一方で当時の西側陣営最強クラスのネット検閲網も形成されていた。
- 後の全斗煥政権では「3S政策」のおかげでネットゲームや動画サイトが隆盛を極めていた。
- LEGOのブロックが日本で発売された時期と重なるので「あのレゴブロックが日本上陸」とネットで話題になる。
- とは言っても当初のレゴブロックは高かったのでお金がない人がお金に余裕がある人を妬む書き込みが掲示板にあった。
- 「のらくろ」のテレビアニメ化(1970年)の際には原作と異なる設定にされたことでネットが炎上していた。
- 特に従軍看護婦ミコに関してはちょっと擁護しただけでも炎上していたかもしれない。
- 電通がここまで大きくなることはなかった。
- ネット広告や動画投稿者のプロデュースといった方面に進出できていたらむしろさらに肥大化していた。
- この時点からマスコミの信頼性が揺らいでいたかもしれない。
- 公害がかなり早い内に問題になっていた。
- 史実では保存されていない放送時期の夜のヒットスタジオの映像も動画投稿サイトにアップロードされていた。
- Twitterで「ビートルズ来日公演のチケット落選した」がトレンド入りする。
- ウルトラセブン12話の問題がさらに大きな騒ぎになっていた。
- 社会党か共産党あたりの議員により国会でも取り上げられた。
- 最悪の場合「ウルトラセブン」という作品自体封印されるということすら考えられる。
- 「帰って来たヨッパライ」をはじめとしたアングラ・フォークがインターネットを通じて広まった。
- 日本においては「帰って来たヨッパライ」がネット発楽曲の大ヒット第1号になっていた可能性も。
- GSバンドの中にも、インターネットを中心に活動する者が多くいた。
- 史実では地方での人気に留まったバンドの中にも、全国的に人気を集めていた者が現れていたかもしれない。
- 国内外を問わず各地の路面電車の廃止時には別れを惜しむテツによる生配信が行われる。
- ネットでの情報発信によりビアフラ紛争の展開も変わっていたかもしれない。
- ちびまる子ちゃんにもインターネットが出てくる。
昭和50年~64年[編集 | ソースを編集]
- 音楽配信や動画共有サイトも昭和のうちに流行していた。
- とはいったものの、当時はアナログカセット以外の録画・録音メディアが無かったので、ダウンロードした音楽・ビデオを携帯する手段に困る。
- パソコンとテープレコーダーをケーブルでつなぐことになる。
- ビルボードジャパンの過去風架空記事に書かれた内容もすべて現実のものになっていた。
- アマチュアがYMOの曲を演奏する動画が1980年頃から投稿されていた。
- 「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)を踊ってみた」という動画が多数投稿される。
- 阿久悠がエッセイでサブスクや動画共有サイトの登場に危機感を覚えたこと(確か大衆の音楽の好みが細分化すること)について書いていた。
- 後の時代に動画がきっかけで70年代~80年代の音楽が再評価される現象がどれだけ早まったかは不明。
- とはいったものの、当時はアナログカセット以外の録画・録音メディアが無かったので、ダウンロードした音楽・ビデオを携帯する手段に困る。
- 2chではパリーグはプレーオフをやめろと言うスレもある。
- アイドル板は大盛況。「聖子板」「明菜板」「おニャン子板」「チェッカーズ板」などができる。
- 1986年の岡田有希子自殺の際には大パニックに。
- 鉄道板も「総合板」「国鉄板」「私鉄板」になっている。
- アイドル板は大盛況。「聖子板」「明菜板」「おニャン子板」「チェッカーズ板」などができる。
- 日航ジャンボ機墜落事故の際は、アクセスが集中してサーバーがパンクする。
- 昭和天皇崩御の際も、アクセスが集中してサーバーがパンクする。
- 2chにも「新元号を予想する」みたいなスレができていた。
- 誰かが崩御前に新元号をリークしてしまい、光文事件再び。
- 元号選定担当者「平成で検索…岐阜県の地名にあったから除外しよう」
- 誰かが崩御前に新元号をリークしてしまい、光文事件再び。
- 2chにも「新元号を予想する」みたいなスレができていた。
- ジャンボ事故後数年は、日航ホームページのトップに大きく事故お詫び文が掲載された。
- または羽田沖事故後のお詫び文にジャンボ事故のお詫びが併記されたかも。
- ジャンボ機事故に関するデマもネット上で飛び交う事態に。
- 昭和天皇崩御の際も、アクセスが集中してサーバーがパンクする。
- バブル期には日本全国にブロードバンドが広まる。
- アメリカでは80年代初頭、西欧でも日本と同じくらいの時期に普及していた。
- なお旧ソ連での普及は90年代後半にずれ込んだ。
- 「フロッピーウォークマン」ができていたかも。
- MDは普及しなかった。
- その頃になるとipodなどが登場する。
- 三億円事件の犯人じゃないかという事実無根の書き込みで高田純次のブログが炎上していた。
- 実際にインターネットの誕生は1983年1月1日。技術的条件はそろってるのできっかけがあればこうなってたかもしれない。
- 人口の多い団塊ジュニア世代は小中学生の頃にインターネットに慣れ親しんだ。
- その後の成長も現実と大きく異なっていた。
- 団塊世代も20~30代の若い時代にインターネットに触れていた。
- 1960年代後半生まれのいわゆるバブル世代が茶髪やコギャルブームを広めたかもしれない。
- メディアとしてのテレビの衰退が昭和期に始まっていた。
- 1980年代後半~1990年代前半におけるトレンディードラマは制作されなかった。
- 「平成新局」どころか系列の再編が行われていた。
- ゴールデンタイムにおけるテレビアニメ枠の減少もこの頃から始まっていた。
- 音楽番組も少ないというわけで、史実で歌謡曲全盛期だった年のヒットチャートが異なる可能性がある
- その代わりに平成初期ごろにはサブスクサービスが隆盛に。
- 配信サイトにより再評価されたアニメといえば「機動戦士ガンダム」。
- VHSやLDの衰退もかなり早く、場合によってはレンタルビデオ店というシステムは存在すらしなかった。
- この世界のTSUTAYAはサブスクサービスの名前になっている。
- 左翼の勢いが現在と比較してもう少し強かったかもしれない。(ソ連が健在であったため)
- 社会党や共産党が現実以上に強かった可能性がある。
- もしかしたら前者は昭和の内に政権を取れていたかもしれない。その分分裂も早まったかもしれないが...。
- 民社党は…やはり史実と変わらず。公明党も。
- 結局冷戦終結・ソ連崩壊後は右翼が強くなる。
- 共産党がソ連崩壊を機に愛国左翼的な方向に走っていたかもしれない。
- 社会党や共産党が現実以上に強かった可能性がある。
- モスクワオリンピックに参加するか否か、ネット上でも大論争に。
- ネット上で「参加すべき」という意見が優勢だった場合は、政府が激しく非難される。
- 内閣が退陣に追い込まれたかもしれない。
- 史実(ハプニング解散)とは異なった形で衆議院が解散したかも。
- 一部の国では参加の可否が史実と変わっていた。
- ネット上で「参加すべき」という意見が優勢だった場合は、政府が激しく非難される。
- 名古屋オリンピック招致の決選投票の日には、名古屋周辺でサーバーがパンク。しかしソウルに決定するといきなり過疎化して回復。
- 2chでは、名古屋を揶揄する書き込みであふれ返る。
- 嫌韓派は名古屋を擁護しソウルを非難するが、あまり目立たない。
- しかし、いざソウルオリンピックが開催されると…
- 嫌韓派は名古屋を擁護しソウルを非難するが、あまり目立たない。
- ブログや個人サイトで、オリンピック絡みで名古屋を揶揄すると、名古屋方面のネットユーザーから非難のコメントが殺到し炎上する…という状況がしばらく続いた。
- 一時的には、揶揄どころかちょっと批判しただけでも炎上していたかも。
- これをきっかけに嫌韓派になったネット民が多かったかも。
- 拉致問題が表に出たのもこのくらいの時期だったので、史実より親韓反朝ムードが強かった。そのため、韓国における反日活動も「北の手先」とやり過ごしていたかも。
- 2chでは、名古屋を揶揄する書き込みであふれ返る。
- プロ野球では広岡監督が管理野球の一環として「選手のブログ・個人HPの禁止」という規則を作っていた。
- テレビやラジオで試合を放送されることが少なかったパ・リーグの球団は、公式サイトでの試合速報に力を入れる。
- 動画配信にも早くから取り組んでいた。
- そもそも管理野球自体が猛烈なバッシングにあっていた可能性もある。
- テレビやラジオで試合を放送されることが少なかったパ・リーグの球団は、公式サイトでの試合速報に力を入れる。
- TM NETWORKは最初から「TM INTERNET-WORK」を名乗っていたかもしれない。
- いわゆる「バブル世代」の就職活動が大きく変わっていた。
- インターネットによるエントリーが主流になっていることから、聞いたことのない大学の学生もどんどん採用されていた。
- 韓国も現実ほどの学歴社会にならなかった。
- 映画「就職戦線異状なし」の内容も変わっていた。
- インターネットによるエントリーが主流になっていることから、聞いたことのない大学の学生もどんどん採用されていた。
- 「アメリカ横断ウルトラクイズ」などの視聴者参加型のクイズでは、ネットで答えを検索されるのを防ぐため、事前に携帯電話やモバイルルーターを預かる措置が取られていた。
- 勝ち残り者に対しても定期的にボディチェックや持ち物検査が行われ、携帯電話やルーターの類が見つかったらその場で大会から除外。
- 返却は敗退が決まった順に行われ、国内脱出者は帰国時に行われた。
- ネット右翼に槍玉にあげられるというか目の敵にされるのは中国でも韓国でもなくソビエト連邦である。
- レーガン政権以降は「日本は9条を廃止し軍事を強化しろ」という声が強かった。
- それでも天安門事件以降は反中が強くなる。
- 赤報隊事件がさらに過激なものになっていた可能性大。
- 本事件を擁護してしまい社会的信用を失う人物もいなかったとは言えない。
- キャンディーズ解散時には、「微笑みがえし」の購買運動がSNSを通じて行われた。
- この時に限らず、1970年代のアイドルのファン全般が情報収集や連帯感を高めるなどの目的でWebサイトやSNSを活用していた。
- 親衛隊という俗語がK-POPのファンダムみたいな意味になってた。
- ファン同士の罵りあいが社会問題になっていた。
- この時に限らず、1970年代のアイドルのファン全般が情報収集や連帯感を高めるなどの目的でWebサイトやSNSを活用していた。
- 「ビートたけしのオールナイトニッポン」でキドカラー大道が古田古をバットで殴った事件を面白おかしく話した事が原因でネットが炎上していた。
- その後、キドカラー大道は逮捕され、たけし軍団は活動休止になるはずなので、「フライデー襲撃事件」は起きなかったはず。
- クラッシュギャルズのファンがネットで極悪同盟のメンバーの自宅の住所を晒しまくっていた。
- 極悪同盟のメンバーは何度も引越しをするハメになる。
- LAUGHIN'NOSEが新宿アルタ前でソノシートを無料配布するといった内容の告知をネットに掲載した事が原因で大変な事になった。
- 新宿アルタ前には一万人のファンが集まってしまった。
- 東側ではあらゆる方法で西側のサイトを見ようとする人が相次いでいた。
- そうした人々が得た情報が後の東欧革命の原動力になっていた。
- 小錦の取り口が「あんなのは相撲ではない」とネット上でさんざん批判されていた。
- 外国人力士に対する極端な非難はこの時代から発生していた。
- それ以前の高見山も叩かれていた。
- だが双羽黒及び無理やり横綱に昇進させた相撲協会に対する非難ほどではなかった。
- カンボジアではポル・ポト派が政権を奪取した直後に国中でネットが使用禁止にされた。
- Youtubeのような動画共有サイトも早くに登場していた。
- おニャン子クラブのメンバーが卒業後にYoutuberとして活躍していた。
- 就職できなかった氷河期世代の若者の中にYoutuberとして生計を立てていた人もいたかも。
- なんちゃっておじさんや風船おじさんもYoutuberだった。
- 風船おじさんなんかゴンドラからニコ生で実況中継。後のニコ生主富士山滑落事故と比較されてしまう。
- テリー伊藤はYouTubeディレクター・YouTuberプロデューサーになり、YouTubeにて過激な動画を生み出していた。
- 80年代はとんねるずが原因でネットが荒れまくった。
- 「夕やけニャンニャン」の「とんねるずのタイマンテレフォン」でとんねるずが視聴者に向かって、「ネットに俺達の悪口を書き込むんだったら、直接、俺達に言え!」と挑発していた。
- チェルノブイリ原発事故の際には西側で各種のデマが拡散していた。
- 反原発運動が史実よりかなり盛んに進んでいた。
- チトー没後のユーゴスラビアでは史実以上の速さで民族主義が蔓延していた。
- ベルリンの壁崩壊以前に内戦に突入していた恐れもある。
- この時代からゲームのプレイ動画が上げられていた。
- ただし一部のメーカーはネタバレ防止などのため「動画アップ禁止」と説明書に明記していた。
- スペースインベーダーの「名古屋撃ち」も動画経由で広まっていた。
- 「ゼビウス」の無敵コマンドや「スーパーマリオブラザーズ」の無限増殖技や裏ワールドなんかも。
- ドラクエのランシールバグや透明気球なんかも。
- バグや裏技なんかも現実以上に広まりが早かった。
- 「ゼビウス」の無敵コマンドや「スーパーマリオブラザーズ」の無限増殖技や裏ワールドなんかも。
- 「チャンピオンシップロードランナー」のシークレットコード(レンガや金塊などを組み合わせて入力するパスワード)もネット上に流出していた。
- ゲームとはちょいと違うが、シュウォッチの連射回数を競う動画も盛んであった。
- 攻略本の衰退も早かった。
- ディスクライターやTAKERUは自宅でゲームソフトをダウンロード購入するサービスだった。
- ロッキード事件ではロッキード社の機密データを添付したEメールが誤って上院の調査委員会に送信されていた。
- 隠語の「ピーナツ」もメールか何かで用いられていた。
- 「荒れる10代」はこの時点で言われていた。
- 1990年代前半の音楽界におけるミリオン・ダブルミリオンセラー続出はダウンロード販売によって成し遂げられていた。
- エルトン・ジョンの「Candle in the Wind 1997」が音楽配信の売上世界記録を達成していた。
- 1990年代のアメリカの音楽産業がアルバム主体になることはなかった。
- ノー・ダウト「Don't Speak」やナタリー・インブルーリア「Tone」などの楽曲はもちろんアメリカでダウンロードシングルとして発売されていたため、史実とは異なりBillboard Hot 100にランクインしていた。
- 南アフリカ共和国では白人の右派による大規模なアパルトヘイト廃止反対運動が発生した。
- KKKなど世界各国の極右勢力が呼応し人種間の分断が促進されてしまった。
- 1981年ローレル賞の受賞車両決定後、広島電鉄3500形が受賞できなかったことによる疑問の声がネット上で上がっていた。
- 理由はやはり3連接車に組み替えたこととされ、上がっていた声は「熊本や鹿児島に納車されていれば受賞できた」・「広島の人口規模を考えれば2連接車ではキャパが少ないことは想定できたはず」など。
- 江川事件、いわゆる空白の一日事件の時期にはネットが大炎上していた。
- 2chのプロ野球板がそれこそパンク状態に。
- アイドル雑誌『明星』『週刊セブンティーン』『近代映画』が1970年代からデジタル版を発売していた。
- キャプテンシステムが開発されない、または史実と異なるサービスだった。
- イラン革命の影響によりイスラム圏各地でホメイニのシンパが大量発生。
- ホメイニ自身もSNSなどで世界のムスリムに向けて過激な発言を繰り返していた。
- ゲーム機では、スーパーファミコンや、ゲームボーイカラーあたりから、インターネット接続ができるようになっていた。
- これらのゲーム機に関連して、サテラビューやモバイルシステムGBがインターネット接続サービスだった。
- 「メカ生体ゾイド」の末期(1989年~1990年に発売されたものの一部)のこれまでとは異なる派手なデザインについての意見が投稿されていた。
- ジャニーズ事務所が肖像権に厳しくなった理由が、インターネットで光GENJIの無許可グッズを売る人が出たこと。
- ジャニーズ事務所はなかなかインターネットに進出しないかもしれない。
- それでも90年代後半のいわゆる「ジャニーズJr.黄金期」にインターネットが役立っていた。
- YouTubeのキャンペーンの一環としてjr.が歌う「Can do! Can go!」の公式動画がアップロードされていた。
- それでも90年代後半のいわゆる「ジャニーズJr.黄金期」にインターネットが役立っていた。
- Radikoのおかけで全国の名ローカル番組がノイズレスで聴けて活況を呈していた。
- ブルートレインブームや特急ブームがさらに盛り上がっていた。
- 一方で悪質な鉄道ファンに関する問題もこのころにはすでに社会問題化していた。
- この時代のゾーニング問題といえば男性向けのエロよりはやおい関連が多かった。
- キャプテン翼公式あたりが二次創作に苦言を呈して炎上していた。