もしオイルショックが無かったら
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- 高度経済成長はもう少し長く続いていたかもしれない
- 高度経済成長からそのままバブルに突入した。そのため日本のバブル景気は史実よりすごいことになっていた。
- 大学進学率も現実よりも高く推移し、第二次ベビーブーム世代が大学進学を迎える1990年代前半を前に大学設置基準が緩和され、大学の新規開学が増加していた。
- しかしその反動でバブル崩壊後の不況はより深刻さを増した。
- むしろバブル崩壊がなかったら、少子高齢化の問題もなかった。
- 2000年以降も年少人口が20%を超えていた。合計特殊出生率は最低でも1.5だ。
- 2000年頃に第3次ベビーブームが訪れるであろう。
- 但し、リーマンショックがあった1年間は除いて、好景気が長続きしている。
- 集団就職が廃止されることもなかった。
- 高度経済成長からそのままバブルに突入した。そのため日本のバブル景気は史実よりすごいことになっていた。
- その頃のマツダが経営不振にならなかったかもしれない
- TGVが電気車両に変更されることなく、ガスタービン車両として開発されていた
- 国鉄もキハ391系を実用化したはず。
- 真空チューブ列車も実用化に向けて取り組んでいた。
- 第二新幹線構想は真空チューブ列車だった。
- リニアモーターカーへの実用化に力を入れることはなかった。
- 「燃えよドラゴンズ!」はミリオンヒットしていたのか。
- 「およげ!たいやきくん」も歴代最高売上になったか怪しい。
- プロ野球に時間制限が導入されなかった。
- 今頃は新幹線が札幌まで走っているであろう。当然、平行在来線の問題も無い。
- 1980年代の省エネブームは起こらなかった。
- 国鉄201系電車は普通の抵抗制御車となっていた。
- 103系の増備車扱いだと思う。
- それでも営団の要望により千代田線直通用の新車はチョッパ制御になる。
- 鉄道界で回生ブレーキが普及するのはVVVFインバータ制御の時代になってから。
- むしろVVVFインバータ制御の実用化が早まっていたかも。1970年代後半に試作車が登場し、1980年代前半には本格採用の段階に入っていた。
- 205系はVVVFインバータ制御車として登場していた。
- その結果、電機子チョッパ制御は出る幕がなかった。
- むしろVVVFインバータ制御の実用化が早まっていたかも。1970年代後半に試作車が登場し、1980年代前半には本格採用の段階に入っていた。
- 国鉄201系電車は普通の抵抗制御車となっていた。
- 神戸淡路鳴門自動車道は昭和のうちに全通していた。
- 関空も1985年頃に開港している。
- 中部国際空港の開業も1990年代に開業していた。
- シトロエンがプジョー傘下になることもなかったのか?
- その場合、マセラティとの提携があと数年は続き、シトロエンSMが生産中止にならなかった。
- 又、シトロエンのロータリーエンジン車であるGSビロトールも生産中止にならなかった。
- 第2次ベビーブームは1980年頃まで続いていた。
- 受験戦争が21世紀に入る頃まで続いていた。そして現実より多くの大学が開学していた。
- 平成に入ってからは急激に出生率が低下するものの、2000年代になると第3次ベビーブームが起きて2006年には出生数150万人前後まで回復していた。
- 2010年代に入っての各業界の人手不足はなかった。
- コンコルドは普及していたのか?
- アメリカ車がダウンサイジングしたどうかは微妙・・。
- ガソリンスタンドで給油の為の行列待ちが起きなかった。
- 京阪電鉄(大津線除く)は1970年代後半に1500Vに昇圧していた。
- 1000系や2600系は当初から1500V専用車として登場していた。
- 京都地下線の開業と鴨東線の開業も史実よりも早まっていた。
- 鉄道の廃線の数は現実より増えていた。
- 野上電鉄は1970年代のうちに廃止されていた。
- 鉄道は廃止されてもバス会社として存続していた可能性がある。
- 島原鉄道南目線も。
- 但し平成になってからの廃止は現実よりも少なかった。
- 野上電鉄は1970年代のうちに廃止されていた。
- トイレットペーパーがネタになることはなかった。
- 「ウルトラマンレオ」の内容が忠実と大きく変わっていた。
- 「変身ブーム」こと第2次特撮ブームも史実よりも長く続いていた。
- 長距離輸送の鉄道から航空へのシフトは現実よりも早かった。
- 高校の修学旅行は1980年代のうちに公立でも航空機利用が解禁され、1990年代に入ると海外に行く学校も多くなっていた。
- 夜行列車の衰退は現実よりも早く、国鉄分割民営化の頃にはその多くが廃止されていたかも。
- モントリオールオリンピックの大赤字は避けられた。
- 1980年代のうちに日本での2度目の夏季五輪が実現していた。
- 1988年名古屋五輪が実現していたかも。あるいは大阪での五輪開催が実現していたかもしれない。
- 大阪五輪は2008年か2012年頃に実現していた。その場合2020年の五輪は東京ではない。
- 1988年名古屋五輪が実現していたかも。あるいは大阪での五輪開催が実現していたかもしれない。
- 1980年代のうちに日本での2度目の夏季五輪が実現していた。
- 深夜帯のテレビ放送の拡充が、1970年代後半以降において、史実より10年位進んだか。
- 例えば、F1の番組の放送開始は1970年代後半か。そのため、F1(などのモータースポーツ)をイメージする代表曲が、史実の「TRUTH」以外になった可能性がある。
- 同様に、「イカ天」のような番組が1979年頃に放送され、史実より10年早くバンドブームがお起きるか。
- その場合、松田聖子・中森明菜・小泉今日子など80年代アイドルは現実ほどにはヒットせず、おニャン子クラブブームもなかった。
- オイルショックが無かった事で、史実より時代が早く進み、松田聖子ら80年代アイドルは史実の安室奈美恵らのような服装・楽曲になり、おニャン子クラブはモーニング娘。のような服装・楽曲になるかもしれない。1970年代後半の好況を背景に、当時のシンガーソングライターの中に、史実の後年の小室哲哉やつんくのようなタイプの人が現れ、1980年代から音楽プロデューサーを兼ねるかもしれないので。
- このバンドブームでメジャーデビューした歌い手のその後。史実のバブル崩壊のような経済情勢が1980年代初頭に無くとも、1982年頃には影を潜めるか、それとも、1980年代を通じてメジャーになるか。
- その場合、松田聖子・中森明菜・小泉今日子など80年代アイドルは現実ほどにはヒットせず、おニャン子クラブブームもなかった。
- その場合の深夜番組の方向性は、当時のトレンド次第であろうが。
- もしかしたら深夜アニメブームも10年早く起きていたかも。
- より大局的に(日本に限らず、世界的に)は、ケインズ理論に基づく「大きな政府」という経済観が1980年代以降も揺るがなかったのではないか。史実でそれが揺らいだのは、オイルショックによる各国のインフレと政府の財政赤字などなので。
- それ故に「新自由主義」「小さな政府」「国営事業の民営化」「民間活力の活用」などは、異端とみなされ、それを唱えるエコノミストは在野に留まった。また、史実ではそれを唱えた政治家は、異端とみなされ国政を担えないか、仮に国政を担う場合はそうした経済政策を取らなかったと思われる。
- 国鉄の分割民営化もなかった。JRは誕生しなかったものの、国鉄のまま経営や輸送の改善が行われていた。
- 新自由主義という考え方もなかったため、小泉内閣は誕生しなかった。その結果、バブル崩壊後の失われた20年もなかった。
- その場合、自民党1強にはならず社会党や共産党と言った野党の勢いが現実よりも強かったかも。
- 社会党が社会民主党に名前を変えることもなかった。
- 民主党はなかったかもしれない。
- 東京一極集中や地方の衰退も抑えられた。
- その場合、自民党1強にはならず社会党や共産党と言った野党の勢いが現実よりも強かったかも。
- 関西国際空港は国営の空港として開港していた。
- 開港も史実よりも早く、1990年の大阪花博と同時に開港していた。
- それ故に「新自由主義」「小さな政府」「国営事業の民営化」「民間活力の活用」などは、異端とみなされ、それを唱えるエコノミストは在野に留まった。また、史実ではそれを唱えた政治家は、異端とみなされ国政を担えないか、仮に国政を担う場合はそうした経済政策を取らなかったと思われる。
- 1970年代前半に石油不足によるエネルギー問題が発生しなかった事で、その後もエネルギーは石油に依存し、かつ省エネルギーに対応した機器の開発は行われなかった。ただし石油を動力源とする機器の「環境対策=排ガス規制」は、史実通りに行われ、それに対応した機器が開発され、普及した。
- 中東の産油国は、この事で国際市場で石油の価格決定を握る機会を逸した。その事で産油国にオイルマネーは溜まらず、今でも貧しい国のままか。
- 史実では、オイルショックのおかげで第四次中東戦争が早期に終結し、その結果1975年には1967年以来閉鎖されていたスエズ運河が再開したが、この事でスエズ運河の閉鎖が史実より長期化するか。下手すると半永久的にスエズ運河は閉鎖されたままかもしれない。
- 1976年の国鉄運賃50%値上げはなかったかもしれない。
- 日本・世界を問わず、産業・技術面では、史実ほど省エネルギーや代替エネルギーの開発が進まなかったと思われる。一方、1970年代後半~1980年代前半に原油価格が高騰しなかった事で、別の方面での技術開発・製品開発は進む可能性がある。
- 日本や多くの西洋諸国において、史実では1970年代後半~1980年代前半の社会・文化の動きはそれ以前の延長的な感覚だったが、同時期の原油価格高騰が無かった事で、史実と異なり、1990年代以降並みに社会・文化の変化が激烈になる可能性もある。
- バブル景気が10年早く到来していたかも。
- 日本において、終末論が史実より弱まる(史実の日本のこの時代の終末論はオイルショックによる社会不安の影響が大きかったから)。「日本沈没」の小説版はそれでもベストセラーになる(オイルショック以前から売れていたので)が、映画版は興行がイマイチになり、「ノストラダムスの大予言」は、最悪大コケする。
- 地球温暖化が現実よりも早いペースで進んでいた。
- 猛暑やゲリラ豪雨も1990年代のうちに問題になっていた。2010年代になると真夏には40℃を超える日も珍しくなくなっている。
- 夏の高校野球における休養日の導入も10年早く行われていた。
- あるいは開催地をドーム球場に移転することを真剣に検討されていた。場合によっては阪神甲子園球場の改修時にドーム球場に改造していた。
- 公立学校へのエアコン導入も1990年代までに行われていた。
- 夏の高校野球における休養日の導入も10年早く行われていた。
- 猛暑やゲリラ豪雨も1990年代のうちに問題になっていた。2010年代になると真夏には40℃を超える日も珍しくなくなっている。
- 近江兄弟社は倒産しなかった。
- 「メンソレータム」は現在も同社から発売されている。。
- この事による現代史観の史実との変化。
- 日本人は奥ゆかしいので、その後の経済情勢等の如何に関わらず、1970年代後半前後の時代を「明暗とも持つ時代」と評し、その繁栄と活況を無条件に礼賛する人は少ないかもしれない。(当事者の加齢等を理由にして)
- 一方、西洋人は、オイルショックが無かった事でスタグフレーションが起きなかったことによる、当時のその繁栄と活況を無条件に礼賛するか。特に、陽気なアメリカ人は。
- 横浜スタジアムは早くても1973年頃に開場していた。大洋ホエールズが本拠地になっていたのは史実通り。
- その際に、ロッテオリオンズは川崎球場に移転していた。
- 1978年に東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場ができ、そこが近鉄バファローズの本拠地になっていた。
- 阪急ブレーブスの身売りは史実より遅れていたかもしれない。
- 石川県立野球場か佐世保野球場が1973年頃に開場していたかもしれない。
- 1973年にプロ野球再編問題が起こることはなかった。
- 東京ドームも1980年代前半に開場していた。巨人や日本ハムの本拠地になっていたのは史実通り。
- ライオンズの本拠地は1979年以降も福岡のままだったかもしれない。
- 新潟県にテレビ新潟放送網が1970年代に開局していた。
- 新潟テレビ21も1970年代に開局していた可能性もある。
- 京急久里浜線の油壺・三崎方面への延伸が実現していた。
- 昭和の絵本に描かれている未来の乗り物のいくつかは実現していた。
- 広島市の地下鉄計画が実現していたかもしれない。
- 東京スカイツリーやあべのハルカスも10年くらい早く完成していた。
- 2019年現在、東京に400mクラスの高層ビルが完成している。
- ここに書かれているゲームハードのいくつかは現実より早く発売されていた。ファミコンも2、3年早く発売されていたかもしれない。
- ニンテンドーDSのような携帯機も20世紀中に発売されていた。
- ドラクエはIIの時点でバッテリーバックアップが実装されていた。そのため復活の呪文に関する伝説は存在せず、難易度も下がっていた。
- ドラクエⅣはスーファミのソフトとして発売されていたかも。
- オイルショックと関係ないのでは?
- 石油を食っても誰も気にしないので船舶の大型化・高速化が現実以上に進む。
- 33ノット出せるコンテナ船シーランドSL-7はアメリカ軍に買い取られることもなくさらに建造。
- 東京から小笠原まで高速フェリーで12時間ぐらいで行けるようになる。…の前に空港ができて一般市民はこちらを利用することに。
- テレビ大阪・テレビ愛知は1970年代に開局していた。うまくいけば当初の予定通り広域局になっていたかも。
- サンテレビジョンの経営が大きく傾くこともなく、ダイエーからの支援を受けることはなかった。
- 阪神なんば線が1990年までに開業していた。(実際にオイルショックの影響で工事が中断していた。)
- 近鉄特急が当路線に乗り入れていたかもしれない。
- 1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会が史実よりも賑わっていた。
- 立体交差が推進され、主要道路は最低でも4車線化されていた。
- 信号機が増えることもなかった。