もしオリックス・バファローズがあの年に優勝していたら

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もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/パ・リーグ > オリックス・バファローズ

  • 便宜上合併前の大阪近鉄バファローズ、阪急ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ時代も取り扱います。

大阪近鉄バファローズ[編集 | ソースを編集]

1969年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

この年の近鉄は初めての首位争いを阪急と繰り広げましたが、10月の直接対決で3連敗して2位に終わりました。もしここで優勝していたら?

  1. 近鉄でも「三原マジック」が起こる。
    • 三原脩が史実より長く監督を務めた。
  2. 土井正博が日本シリーズで見られた。
    • 佐々木宏一郎も。
  3. MVPは鈴木啓示だったかも。
  4. 巨人VS近鉄が史実より20年早く実現していた。

1975年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本シリーズは藤井寺球場で開催されていたが、デーゲームで行われた。
  2. 広島が日本一を決めた場合、1979年は、1975年のリベンジとして、注目された。

1978年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本シリーズは広岡監督の率いるヤクルトとの対戦になっていた。
    • 史実通りヤクルトが日本一を決めた場合、2001年は23年前のリベンジとして注目された。
  2. 阪急の上田利治氏は責任を取って、辞任していた。
  3. 近鉄は大阪球場を借りて、行われていた可能性が高い。
    • 藤井寺球場で実施される確率は低い。

1985年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 日本シリーズは阪神との関西対決で盛り上がっていた。
    • 強力打線(阪神:真弓・バース・掛布・岡田、近鉄:デービス・栗橋・羽田)とリリーフ投手(阪神:中西、近鉄:石本)で優勝したチームという共通点でも比較されていた。
  2. 西武・広岡監督がこの年限りで辞任するのは史実通り。
  3. この年で引退した鈴木啓示は有終の美を飾れていた。

1986年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

1986年の近鉄は西武と終盤まで優勝を争ったものの2.5ゲーム差の2位に終わりました。もし優勝していたら?

  1. 岡本伊佐美はもう少し長く監督を務めていた。
    • 仰木彬の昇格が遅れる。
  2. 石本貴昭への注目度が史実以上に上がった。
    • MVPに選ばれた可能性もある。
    • その分酷使の影響で翌年以降の成績がさらに下降していた。
  3. 日本シリーズは広島と6年ぶり3度目の対戦になった。

1988年に10・19決戦に勝利して優勝していたら[編集 | ソースを編集]

1988年の近鉄はロッテのとダブルヘッダーに連勝すれば優勝というところまで行きましたが(10・19決戦)、第2戦に引き分けで優勝を逃しました。もし優勝できていたら?

  1. 日本シリーズはおそらく最終戦までもつれていた。
  2. 森監督(当時)はこの年限りで辞任?
    • 近鉄と最後まで優勝争いをしていたので辞任はないだろうが、翌1989年の順位が史実通りなら…。
  3. 日本シリーズは名阪対決で名古屋地区は盛り上がる。
    • 河内も盛り上がる。そして近鉄名古屋~橿原神宮前+橿原神宮前接続~藤井寺・大阪阿部野橋~藤井寺の直通特急か急行走って観客輸送に当たる。
      • 近鉄沿線同士なので、もしかすると鉄道ファン(特に関西人と東海人)も注目していたかも。
        • この大阪と名古屋の日本シリーズのおかげで近鉄電車の名阪特急が現実以上に有名になる。
          • この日本シリーズがその近鉄特急にちなんで「アーバンライナーシリーズ」と呼ばれる。
            • 藤井寺へは大和八木→橿原神宮前乗り換えが推奨されていた。
              • アーバンライナーが大和八木駅に臨時停車していたかも。
        • 名鉄と近鉄双方が乗り入れる名古屋駅はドえりゃ~事に…?
        • どちらが日本一になっても名古屋駅周辺でファンがどんちゃん騒ぎ!
    • 東海地区の近鉄と中日の掛け持ちファンがどっちを応援するか迷う。
  4. 近鉄にしてみればある程度勝手知ったるナゴヤ球場、中日は藤井寺球場に苦しめられ、日本一は近鉄に…、
    • と思いきや、名古屋から比較的近い藤井寺に多数のドラファンが押し寄せ、近鉄が苦戦、中日が日本一の座に輝く。
    • いずれにせよ、中日か近鉄のいずれかの球団の日本一回数が1つ増え、他球団ファンから馬鹿にされることがなくなっていた。
    • 近鉄が日本一になった場合、中日・星野監督とフロントはブライアントを近鉄に放出した件でファンから大バッシングを受けていた。
  5. 高沢秀昭ではなく松永浩美が首位打者になったかも。
  6. 現実と同様この日に阪急が球団譲渡を発表していたら、皮肉にも関西の鉄道球団で明暗を分けてしまっていた。
  7. 梨田昌孝の引退が1,2年遅れたかも。
    • 吹石徳一の引退も数年遅れた可能性がある。
  8. この年の近鉄グループはアーバンライナーのデビューや近鉄百貨店阿倍野店の増床と合わせて後々まで語り継がれていた。
  9. 2004年の日本シリーズ「中日VS西武」は1982年以来22年ぶりという事になっていた。

1989年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]

1989年のパリーグは、近鉄・オリックス・西武によるパリーグ史上まれに見る争いとなり、最終結果も優勝した近鉄と3位の西武とがわずか0.5ゲーム差という壮絶なものでした。もし、近鉄が優勝を逃していたら?

  1. この年の日本シリーズに出られないので、優勝は2001年まで持ち越しとなっていた。
    • 「巨人はロッテより弱い」が問題視されることもなかった
  2. この年の優勝は、西武かオリックスのものとなっていた。
    • 上記のように西武のV10か下記のようにオリックスの身売り1年目の優勝となった。
  3. 場合によっては、仰木監督の責任問題にも発展していた…かも。

1991年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 1991年の日本シリーズは1980年以来の顔合わせとなっていた。
  2. 第1戦の先発は野茂英雄氏に抜擢されていた。
  3. 1979年・80年のリベンジを期待されていた。
  4. 野茂英雄が日本シリーズで見られた。

1992年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 仰木彬氏が監督として、引退することはなかった。
    • 鈴木啓示氏の監督就任はなかったか、史実よりも遅れて就任していた。
      • 野茂英雄の渡米も遅れていた。
    • オリックスブルーウェーブの監督就任もなかったか遅れていた。
  2. 2001年の日本シリーズでは、12年ぶりの顔合わせとして、注目された。
    • ↑9年ぶりでは?
  3. 第3戦の放送は朝日放送に、第4線の放送は毎日放送に、第5戦の放送は読売テレビ放送にそれぞれ割り当てられていた。
  4. 仮に日本シリーズの対戦相手がヤクルトではなく阪神だった場合、関西ダービーとして注目された。

1994年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

この年の近鉄バファローズは、6月下旬から8月上旬にかけて30勝6敗(勝率8割3分3厘)と驚異的な勢いを見せ、シーズン序盤の低迷(一時首位と16ゲーム差を付けられる)から追い上げるも、終盤失速して優勝を逃しました。もし、この勢いが持続し近鉄がリーグ優勝していたらどうなっていただろうか?

  1. 1996年の巨人「メークドラマ」や2008年「メークレジェンド」報道の際には、必ずこの年の近鉄が引き合いに出された。
    • ま、巨人がやったから大騒ぎされるんであって、っつー話ですよ。
    • 後に「藤井寺の奇跡」と呼ばれるようになる。
  2. さらに勢いが持てば日本一になり、日本一を一度も経験していない球団のレッテルを貼られることは無かった。
    • 「もし1979年の日本シリーズで江夏が腹痛を起こし急遽休場していたら」「もし1989年の日本シリーズ第3戦後に加藤をお立ち台にださず、ブライアントをお立ち台に出したら」シリーズもできそうだな。
      • 「もし1989年の日本シリーズ第3戦後に加藤をお立ち台にださず、ブライアントをお立ち台に出したら」は、それでも変わらなかったかも。アレはお立ち台ではなく記者団とのインタビューから生まれたものだから。
    • 同時に5年前のリベンジを果たした事になっていた。
  3. 西武の黄金時代は早く終焉していた。
  4. この年の流行語大賞に当時監督だった鈴木啓二の「投げたらアカン」が候補に挙がったりして。
  5. 鈴木監督は長期政権となり、佐々木恭介と梨田昌孝の監督就任は無かった。
    • そうなったら野茂はどうなる・・・。
      • 野茂は渡米しなかったかも。
        • もししようとしても、フロントや首脳陣が止めた。
        • あるいはどっちみち見限って渡米したかも。
        • 首脳陣との確執うんぬんが1番の理由だが、優勝した年のオフなので純粋に優勝を置き土産に旅立ったという認識されるかもしれない。

1997年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪ドーム移転初年度をリーグ優勝で飾っていた。
    • それでも日本シリーズではヤクルトの前に敗れていたか…。
  2. 「10点差を逆転した8月24日のロッテ戦が優勝へのターニングポイントとなった」と評される。
  3. MVPは小池秀郎か?
  4. 佐々木恭介監督はもう少し長く監督を務めていた。
  5. 大石大二郎の引退ももしかしたら1年ぐらい延びていたかもしれない。

2001年に優勝を逃していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 優勝は西武かダイエーのものとなっていた。
  2. もちろん、あの「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」なんてなかった。
    • 「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」を放った北川選手は、地味なまま引退していたかも。
      • 仮にレギュラー定着していても現実ほどの知名度はなかったかもしれないし、応援歌に「奇跡を呼び込む男」という歌詞はない。
  3. 当時の主力選手は、この年のオフあたりにバファローズを離れていた。
    • 中村紀洋は、この年のオフにポスティングで大リーグに移籍していた。
    • タフィ・ローズも他球団に放出されていた?
  4. 近鉄は史実より早く球団を手放したかも。
    • その場合、史実のようにオリックスに吸収合併という形を取らず他社に売却、ということになっていたかも。
      • その場合球界の再編やセ・パ交流戦の実施は行われなかった。
    • オリックスとの合併が史実よりも早く行われた場合、ストライキ→球界再編と言った動きも数年早く行われていた。
    • もし近鉄が2003年に球団を手放していた場合、阪神が18年ぶりのリーグ優勝を果たしていただけに、皮肉にも在阪の私鉄系球団が明暗を分ける形になっていた。

2002年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 同年の日本シリーズは1989年以来13年ぶりの巨人との顔合わせになっていた。
  2. フロントが「V逸の戦犯は前川と礒部」と発言することもなかった。
    • 前川は球団合併まで近鉄に在籍していた。

2003年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. オリックスと合併することはなかった。
    • むしろ、オリックスが楽天に身売りしていた。
  2. 対戦相手が阪神タイガースなので、関西ダービーとして、注目された。
  3. 王ウォシュレット事件と2003年の日本シリーズとの関係はなかった。
    • 第1戦と第2戦の放送は、朝日放送に、第6戦の放送は、関西テレビに、第7戦の放送は毎日放送にそれぞれ割り当てられていた。
      • 関西テレビでの放送が実現したので、近鉄繋がりで西本幸雄元監督が解説を務めていたかも。

2004年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 近鉄ラストイヤーに有終の美を飾ることができた。
    • もしかしたら、この優勝がきっかけで合併が撤回されていたかも?
      • 親会社の経営難が相変わらず続いているので身売りで済ませられていた。
  2. この年の日本シリーズは、中日VS近鉄になっていた。
    • 日本シリーズで中日を下し日本一も達成した場合、球団として最初で最後の日本一となっていた。

阪急ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ[編集 | ソースを編集]

1964年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

この年の阪急ブレーブスは前半戦を首位で終えましたが、8月から2位位に転落し、9月に0.5ゲーム差まで詰め寄りましたが、2位で終えました。もしリーグ優勝を果たしていたら…

  1. 対戦相手が阪神タイガースなので、西宮シリーズとして、注目された。
    • 梅田近辺と甲子園球場近辺と西宮球場近辺では、ヤジ合戦が繰り広げられていた。
    • 史実よりも観客動員数が多くなっていた。(史実では、観客動員数は歴代最少)
  2. ダリル・スペンサー氏とジーン・バッキー氏との投打における外国人選手対決が注目された。
  3. 阪急ブレーブスは球団創設以来、初めてのリーグ優勝を史実よりも早く果たしていることになっていた。
  4. 梶本隆夫氏は2桁勝利を挙げていた。
    • この年の日本シリーズ第1戦の先発は、梶本隆夫氏か米田哲也氏が抜擢されていた。
  5. 1967年以降の阪急ブレーブスの観客動員数は史実よりも多くなっていたかもしれない。
    • 観客動員数100万人突破は史実よりも早く実現していたかもしれない。(史実では、1986年に実現)

1973年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 南海の野村克也選手兼任監督の解任が史実より早まっていたかもしれない。
  2. 南海ホークスは1966年以降身売りまでリーグ優勝を果たすことはなかったことになっていた。
    • 場合によって、南海の身売りが早まっていたかもしれない。
  3. それでも、阪急は日本シリーズで巨人に敗れていたので、西本幸雄監督が辞任していたのは史実通り。

1974年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急ブレーブスはパ・リーグ5連覇を達成していた。
  2. この年の日本シリーズは、巨人のV10を阻止した中日との対戦になっていた。
    • このシリーズは後に「ドラクエ決戦」と呼ばれるようになった。
  3. 上田監督の就任1年目の優勝としても盛り上がった。
  4. ロッテの2005年の日本シリーズ出場は35年ぶり、日本一に至っては55年ぶりということになっていた。
    • ロッテは2020年現在に至るまで、50年間レギュラーシーズン1位でリーグ優勝を果たしていない。

1979年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

5連覇がかかっていた阪急、しかしこの年の前期は近鉄とは1ゲーム差の2位。後期は優勝も、近鉄とのプレーオフに3連敗で敗退。もし5連覇を達成していたら?

  1. この年の日本シリーズは、広島VS阪急の顔合わせとなっていた。
  2. もしかしたら「江夏の21球」は存在しなかったかもしれない。
    • または「江夏の21球」は、阪急を相手にしたものとなっていた。
  3. 5連覇は、パリーグ新となり歴史に名を残していた。
  4. 当時なかなか優勝出来なかった阪神が阪急にファンを奪われていた可能性がある。

1981年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 前期優勝を果たしていた可能性がある。
  2. 上田利治氏が監督に復帰して、初めての優勝となった。

1986年or1987年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急電鉄は球団を身売りすることはなかったか史実より遅れていた。
  2. 1975年~1977年までのV3の再来と言われていた。

1989年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

1989年のパリーグは、近鉄・オリックス・西武による史上まれに見る争いとなり、最終結果も優勝した近鉄と3位の西武との差がわずか0.5ゲーム差という壮絶なものでした。オリックスは、優勝した近鉄にゲーム差なし、勝率1厘差で惜しくも2位に終わりました。
ここで、近鉄ではなくオリックスが優勝していたら?

  1. 1984年以来5年ぶりの優勝となっていた。
  2. 門田が日本シリーズで見られた。
    • ブーマーも日本シリーズを2度経験できていた。
      • ブーマーが門田とハイタッチしなかったか、しても脱臼してなければ十分優勝は可能だった。
  3. 阪急から身売りされた1年目に優勝となった。
    • 現実でも、身売りされた1年目にリーグ優勝は珍しい方だ。
      • 身売りに限らず、チーム名を改名した1年目の優勝そのものは珍しい。
  4. サンテレビボックス席でのオリックス戦の中継本数が増えていた。
    • タイガース戦と五分五分になってたかも。
  5. 宮内も「脱阪急」を無理に進めることはなかった。
    • もしかすると、「オリックス・ブレーブス」の名前も現実より長続きしていたかも。
    • ブルーウェーブへの改名はなかったし、マスコットのブレービーも引退しなかったかも。
      • もちろん当時の球団歌「問題ないね。」ももう少し長く使われていた。
        • しかし史実通り翌年に円広志が「青い稲妻」を製作していたらそちらの方が球団歌として定着していた可能性が高い。史実では球団名変更でわずか1年でお蔵入りになってしまった曲だが、それにはもったいないほどの隠れた名曲であるうえに、「問題ないね。」は子どもをターゲットにしていることと歌詞が二宮清純に批判されてたこともありそちらの方が妥当だろう。
  6. ただし日本シリーズでは、ペナントレースの燃え尽き症候群から、ジャイアンツに惨敗していただろう。
    • もちろん、近鉄のように3勝して王手をかけることもないかもしれない。
      • 言うまでもないが「巨人はロッテより弱い」は存在しなかった。

1994年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

1994年のオリックスは「イチロー旋風」で一時は首位に立つも、最終結果は優勝した西武と7.5ゲーム差の2位(近鉄と同率)。もし、オリックスが優勝していたら?

  1. イチローは現実以上に大ブレイク。
    • 仰木監督の注目度も現実以上。
  2. 翌95年・96年も優勝できていただろうか・・・!?
  3. 日本シリーズは、メークドラマの長嶋ジャイアンツVS仰木マジックのブルーウエーブの対戦で盛り上がっていた。
    • メークドラマは同じ長嶋ジャイアンツでも96年。この年は国民的行事こと10.8決戦を制した年。
  4. 日本シリーズでもパンチ佐藤が見れた。
    • 活躍次第では引退も数年遅れていたかもしれない。

1997年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

1997年、西武の前に2位に終わりリーグ3連覇を逃したオリックス。もし、3連覇を達成していたら?

  1. 「仰木マジック」は現実よりも有名な言葉となっていた。
  2. 神戸の街の盛り上がりは異常なものとなっていた。
  3. この年は前年までの2連覇を支えたベテランがほとんどいなくなっていたが、若手中心のチームが活躍して、一定の評価を得ていた。
    • 世代交代が進みのちの低迷もなさそう。
  4. 仰木監督退任後の成績も、史実よりはマシだったかもしれない。
    • そもそも後の暗黒時代到来が遅れて、仰木さんの退任も数年遅れたかも。
  5. 谷佳知はオリックス時代に優勝を経験できていた。
  6. 暗黒時代真っ只中の阪神とは人気が完全に逆転した。

合併後[編集 | ソースを編集]

2005年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 史実ではプレーオフ進出を争って4位に終わった。
  1. 球団合併した1年目の優勝として大盛り上がりだった。
    • 同年の球団創設1年目の楽天が優勝した場合と同様、旧大阪近鉄バファローズファンや旧オリックス・ブルーウェーブファンからの評価が上がっていた。
      • 史実では不評だった、旧ブルーウェーブ風デザインの神戸用のホームユニフォームがもう少し使われていたかも。
  2. 仰木さんは体力が続くまで監督を続けていたかも。
    • 中村氏や大石氏の就任が遅れていた。
    • コリンズ氏が来日することもなかった。
  3. 06年以降ももう少しまともな成績を残せたかも。
  4. プレーオフで勝ち進められていたら、日本シリーズは阪神との関西ダービーになった。
    • 阪急ブレーブス時代に「西宮シリーズ」を、大阪近鉄バファローズ時代に「大阪決戦」をそれぞれ実現を期待されていたので往年からのファンの注目が大きかった。

2008年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 09年以降ももう少しまともな成績を残せたかも。
    • 大石氏がもう少し監督を続けられていて、岡田氏と森脇氏の就任が遅れていた。
  2. 史実でこの年に引退した清原和博は有終の美を飾れていた。
    • あるいはあと1、2年現役を続けていたかも。
  3. ビッグボーイズ打線と10勝カルテットがオリックスバファローズの象徴となっていた。
    • ローズかカブレラがMVPに輝いた。
    • 小松が史実通り新人王に輝き、その後も現実以上に活躍している。
    • 山本省吾も引退するまでオリックスで投げ続けていた。
    • 近藤一樹も安定し続け、育成登録にならなかった。
    • 金子千尋の最多勝獲得が1年早まったかも。
  4. 合併後初の優勝になるので1年目に指揮を執った仰木元監督の遺影を掲げて胴上げしたかも。
  5. セ・リーグが史実通りなら日本シリーズは12年ぶりのオリックス対巨人となっていた。

2014年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. ホークスが詰まっている間に勝ちを重ねていたか、最後のホークス戦で勝っていれば間違いなく優勝していただろう。
  2. 球界再編問題から10年後の優勝という事で、昨シーズンの楽天の日本一達成共々球界の歴史のターニングポイントとなっていたかもしれない。
    • 報道でもバファローズ・ブルーウェーブの合併を思い重ねるような特集が組まれていただろう。
    • 前年の楽天と同様、04年の球界再編問題~05年の新球団1年目を懐かしむファンが現実以上に多かった。
  3. 優勝決定が2014年9月15日の場合、『「9月15日月曜日」に「18年ぶりの優勝」』ということで2003年の阪神優勝が引き合いに出されていた。
  4. 仮に日本一になっていたら「10年以内に同一リーグのすべての球団が日本一」という日本プロ野球史上初の快挙が達成され、「まさにパ・リーグの時代だ」と称える評論家やスポーツライターが多数現れていた。
    • なお「10年以内に同一リーグのすべての球団がリーグ優勝」は1973~82年のパ・リーグが達成している(73年南海、74年ロッテ、75年阪急、79年近鉄、81年日本ハム、82年西武)。
  5. 実際の通り、阪神が勝ちあがったら「関西ダービー」での日本シリーズが実現!
  6. この年にスタジアムDJ、アシスタントMCにそれぞれ就任した平野智一と竹村美緒が現実以上に勝利の女神扱いされる。
    • ダンス&ボーカルユニット「BsGirls」のブレイクも現実以上のものだった。
  7. ウィリー・モー・ペーニャは移籍せずに残留した。
  8. 谷佳知と平野恵一の引退も1、2年遅れたかも。
  9. 「オリ姫」ブームも現実以上のものとなった。
    • 史実の翌15年に開催された「Bsオリ姫デー」も現実以上に盛り上がれた。
  10. この年にオリックス応援企画を放送した「ごぶごぶ」(毎日放送)で優勝記念特集が組まれた。
  11. 現実のように阪神が終盤に失速していた場合、「人気実力共に阪神を上回った」「関西スポーツの代表はもはやオリックス」などという評価を得ていた。
  12. 吉田一将か東明大貴が新人王に選ばれ、この年のパ・リーグのタイトルホルダーは現実以上にオリックスで占めていた。
  13. 仮に翌年、史実通り低迷したとしても森脇監督がシーズン途中で監督を辞任するなんてこともなかった。
    • 少なくとも森脇から切り出した場合、「優勝監督をこんな形で辞めさせるわけにはいかない」とフロントは必死に慰留していただろう。
    • 福良淳一の昇格が遅れていた。
  14. あべのハルカス開業、春・夏両方の高校野球で関西勢(龍谷大平安・大阪桐蔭)が優勝、Jリーグもガンバ大阪が優勝するなど、この年はまさに大阪・関西の年だったと言われていた(阪神も史実通り日本シリーズに出場していたら尚更)。
  15. 糸井は和製ベーブ・ルースの呼び声も高かった。
  16. 2016年以降もサンテレビによるオリックス戦の中継が続けられていた。

2015年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 2014年の項目にもある通り、森脇監督の途中休養はもちろんなかった。
  2. 「大規模補強のおかげで勝てた」と巨人軍ばりに金満球団のレッテルを貼られていた。
  3. 小田や西野といった新人途中離脱組がフルで出ていたら、あるいは少しは可能性があったのかもしれない。

2016年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  • 史実ではオープン戦・パリーグ・交流戦・ウエスタンリーグ全て最下位に終わっていた。
  1. バファローズポンタが流行語大賞を受賞した可能性が…
    • バファローズポンタの人気が現実以上だった。
      • ぶっちゃけ負け試合時のリアクション(「んほー!!」など)で人気を集めた感もあるので、良くて現実並みなのでは…
  2. 前身である阪急からの球団創設80周年を飾れていた。
  3. この年の新人吉田正尚が現実以上に活躍できていたら可能性があったかも。
    • 新人王に選ばれていたかも。
    • 「≒もし吉田正尚が腰痛で離脱せず新人王を争っていたら」とも言える。
    • コーディエやモレルの活躍も欠かせなかっただろう。
  4. 糸井嘉男が残留してた可能性もある
  5. この世界線のディクソンは10勝できたんだろうか。
  6. 捕手陣が史実通り捕逸0を記録した場合、実際よりもさらに高く評価されていた。

2020年に優勝していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 西村監督途中退任⇒中嶋監督就任という史実通りの流れで優勝した場合、中嶋監督の株がさらに上がっていた。
  2. 千葉マリンでの6連戦6連敗とはなんだったのかと言われる。
    • 実際に2年後には完全試合を喰らいながら日本一になったけれども。
  3. ロメロがオリックスに残留し、フル出場で前年並みの成績を残したならば希望はあったかもしれない。