もしケーニヒスベルクが戦後あの国の領土になっていたら
(もしケーニヒスベルクが戦後ドイツ領になっていたらから転送)
ドイツ[編集 | ソースを編集]
ケーニヒスベルク(現:カリーニングラード)は、ドイツの都市としての歴史が長いにも関わらず第二次世界大戦後ソ連に併合され、その後もロシア領のままになっています。では、戦後もドイツ領だったら?
- 「カリーニングラード」と改名されることはなかった。
- ただ「ケーニヒ(王)」という単語がソ連当局から嫌われ、別の名前に改名を強いられた可能性はある。
- メンシェンベルク?(Menschen人民)
- おそらく指導者や共産主義者の名前を冠していた。
- 「カリーニングラード」ならぬ「カリーニンシュタット」(Stadt=ドイツ語で都市)という名前だった可能性もある。
- 「カントシュタット」もありえた。
- 当地に眠る哲学者のイマヌエル・カントはエンゲルスにも絶賛された。
- 冷戦時に改名されていたとしても統一後にはケーニヒスベルクに戻っていた。
- ただ「ケーニヒ(王)」という単語がソ連当局から嫌われ、別の名前に改名を強いられた可能性はある。
- 現在のポーランド北東部(ヴァルミア=マズールィ県)もドイツ領になっている。
- どっちみちソ連に占領されるので、「ドイツ領」とはいっても冷戦中は東ドイツ領。
- 現在は完全にEU圏内に組み込まれている。
- そのため観光客も現実よりはるかに多い。
- でもやはり飛び地ではあり、ドイツ本土から陸路で行く場合はポーランドを経由する必要があった。
- 現実で90年代に発生したような治安の崩壊や伝染病の蔓延は避けられていた。
- バルト海に邪魔が入らないので、EUとロシアの関係は史実より良好になっていた。
- ドイツ統一後、中世の街並みが復元されていた。
- 今頃世界遺産の暫定リストに載っていても不思議ではない。
- 廃墟状態だったケーニヒスベルク城も無事復元された。
- 東ドイツ時代は史実のソ連・ロシア統治下と大差ない無機質な軍都だった。
- 州名は「オストプロイセン州」か「アルトプロイセン州」となる。
- 「プロイセン」の名前が維持されていた。
- ポーランドなどに誤解されないようにただの「プロイセン州」だったかもしれない。
- 東独時代にはケーニヒスベルク県とアレンシュタイン県の南北2県に分けられていた。
- 「プロイセン」の名前が維持されていた。
- ソ連は史実ほど領土に対する野心が無く、樺太や千島も共産化はされても併合されずに済んだかもしれない。
- ドイツで最も有名な秘宝「琥珀の間」捜索に関する情勢に少なからず影響があった。
- 史実で「琥珀の間」が空襲で焼失したとされる地がケーニヒスベルク。
- ひょっとすると保管場所だった城の地下から琥珀の残骸か何かが見つかり捜索が実質的に終結していたかもしれない。
- 現在はロシア人が「あそこを併合していれば…」と嘆いている。
- 旧東ドイツ→ドイツが世界の琥珀生産量の上位を占める。
- この場合シレジアはどうなるのだろうか?史実では東プロイセンとともに当初から大半の地域がポーランド領に割譲される予定だったし
- 仮に割譲されるような事があったとしても割譲される領土が少ない分、史実の「ドイツ旧東部領土問題」のような遺恨は少なかった
- もちろん今でもベルリンまで直通の航空機や列車で行くことができる。
- ルフトハンザがベルリンやフランクフルトから直行便を飛ばしている。
- 飛び地と本土を結ぶ路線なので、旧東独インターフルークの頃からドル箱路線になっていた。
- ICEがポズナニあたりを経由して乗り入れている。
- それでも高速新線の区間は東プロイセン内だけ。(アレンシュタイン付近-ケーニヒスベルク)
- ケーニヒスベルク市電ではタトラやPESAではなくシーメンスあたりの電車が主力だった。
- 但しそうなるのは統一後。
- ルフトハンザがベルリンやフランクフルトから直行便を飛ばしている。
- ドイツ国内でも特にオスタルギー(東独時代への郷愁)の強い地域になっていたと思われる。
- 政治的には左翼党(旧東ドイツ社会主義統一党の後継政党)の地盤になっていた。
ポーランド[編集 | ソースを編集]
プロイセン公国はポーランド王国属領だったため一応その権利があると思われるので。またエリツィンもポーランドへの割譲を構想したことがある。
- 「クルレヴィエツ」という名前になっていた。
- ドイツでは相変わらずケーニヒスベルクと呼ばれ続ける。
- ロシアでは一応その新名称が尊重される。
- 冷戦時代はやはりソ連の拠点と化すが、冷戦終結後は名実共にポーランドの都市となる。
- グダニスクなどと同様ポーランド人による市街地再建運動が行われる。
- ポーランド人にとっても数百年ぶりの領土回復となるが、それでもドイツ人は不満を示す。
- ソ連崩壊後にポーランドへ割譲されていたらドイツは予定通りシュテティン(シュチェチン)を取り戻していた。
- ロシアがポーランドのNATO加盟に対し史実以上に不快感を示すかもしれない。
リトアニア[編集 | ソースを編集]
古来あの地域は「小リトアニア」と呼ばれていたので
- リトアニア自体がソ連に併合されるので、結局ソ連領となる。
- ソ連崩壊後にならないと史実とそう違わない結果になる。
- 地図的にはかなり自然な形になる。
- クライペダをしのぐリトアニア最大の港湾都市として栄えていた。
- ビリニュス-カウナス-カリーニングラードの路線がリトアニア国鉄一番の幹線となり全線電化されていた。
- 世界遺産のクルシュー砂州は完全にリトアニアのものだった。
- 一体的な保護計画も立てやすかった。
- ソ連崩壊後「カラリャウチュス」という名前になっていた。
- ソ連時代は史実のカリーニングラードとあまり変わらないので、リトアニア領になってもロシア人が多い状態が続いていた。
- エストニア・ラトビア同様、リトアニアでも残留ロシア人に厳しい政策が採られていた。
ベラルーシ[編集 | ソースを編集]
戦後のソ連またはソ連構成国のロシアが飛び地にするのを望まず、代理としてソ連構成国のベラルーシに海岸線への回廊も与える形で任せていたらこのような展開になっていたはず
- ソ連崩壊後のバルト三国への安全保障に相当影響する
- 特にリトアニアは史実とは違い、ロシアと関係の深いベラルーシに国土の半分近く隣接するので危機的な状況に陥る
- おそらくマリヤンポレ郡とアリートゥス郡がベラルーシ領となりリトアニアとポーランドは国境を接していない。
- EUに国境を接しなくなるため、リトアニアの経済は深刻な不況に見舞われていた。
- おそらくマリヤンポレ郡とアリートゥス郡がベラルーシ領となりリトアニアとポーランドは国境を接していない。
- 特にリトアニアは史実とは違い、ロシアと関係の深いベラルーシに国土の半分近く隣接するので危機的な状況に陥る
- カリーニングラードが史実の90年代のように経済危機と貧困が深刻化する事は無かった
- この項目通りならカリーニングラードはベラルーシ唯一の湾岸主要都市になるのででそれなりに開発も進むはず、90年代当時はロシアよりもベラルーシの方が安定していたので
- ベラルーシも湾岸都市があるので史実よりも経済発展が進んでる
- 最悪2019年現在もバルト三国はEU(EUへの加盟は全会一致が原則なので)やNATOに加盟出来てない可能性がある
- この場合、バルト三国の経済成長は史実より低くなるが人口減少は史実ほど深刻になっていない
- 反体制派の脱出に使われるのを防ぐため厳しい国境管理が行われていた。
- 場合によってはソ連時代のように一般人が海岸沿いに立ち入れないということも考えられる。
- 都市名は現在も史実通り「カリーニングラード」だっただろう。