もしバブルが崩壊していなかったら/鉄道

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鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 四国の都市化が進んだことから紀淡海峡大橋が架けられ、ここに四国新幹線と南海電気鉄道徳島線が通っている。
  2. 全都道府県に路面電車が走っている。
    • そのために大都市ではマイカー規制を行っていた。
    • だけど路面電車の開業により、バスが廃止になっていた可能性がある。特にバスが通っている道路は…。バスよりも路面電車の方が発展していたかもしれない。
  3. 餘部橋梁は1990年代のうちに架け替えられていた。
    • ついでに城崎~鳥取の電化も行われていた。
  4. 大都市圏の鉄道は複々線が当たり前となっている。
    • 運休で遅れるなどはあまり無くなる事に。利用者が少なく、田舎な所は複線程度だろう。単線は余程田舎ではなければ見かけられない。
      • ただし地価暴騰のせいで4線全て同一平面上に作れることはあまりない。
      • おそらく地下に複々線の線路を敷いていた。
    • もちろん貨物列車の運転も史実以上になっており、貨物列車も在来線並みに新車導入していただろう。貨物列車は食べ物だけではなく、電化製品や玩具なども運ばれており、アマゾンのようなサービスが行われていたかもしれない。
      • スーパーレールカーゴのような貨物電車がほとんどの主要幹線に運転されていた。
  5. 交通系ICカードは現実よりも早いペースで普及が進み、2013年現在JR全線で利用可能となっていた。
    • 無人駅の多い路線のワンマン列車は車載型ICカードリーダーで対応。
    • 大阪~名古屋や東京~静岡など、各社のエリアを跨る利用も可能になっている。
    • 私鉄やバスでも利用できる会社が増えていた。
    • ICカードは21世紀を待たずに実現していた。Suicaペンギンは20世紀末から登場しており、PASMOも2001年~2002頃に実現していただろう。
      • Pitapaは最初からプリペイド式の設定があったかも。
    • ICカードはJR各社別になることはなく、JRグループ統一のものになっていた。
    • 磁気カードは2010年代中盤には絶滅していた。
  6. 川越線は日進~川越間を複線化されていた。川越線、埼京線、りんかい線の本数も増えており、どこから運休しても直通運動は継続していただろう。ただ、川越~高麗川間は複線化する構想はあるものの、人口数の関係で出来なさそう。
    • りんかい線はJR路線として開業しており、大宮~新木場間を埼京線と呼ばれていた。なので京葉線直通もとっくに実現出来ていた。駅のアナウンサーも「りんかい線直通」…ではなく「京葉線直通…」になっていた。
      • 史実のりんかい線内の運賃はそれほど高くなかった。お台場や東京ビッグサイトに行く客が史実よりも増えていただろう。
    • 西大宮駅も21世紀入る前に開業しており、鉄道博物館駅もニューシャトルに影響があるだろうが関係無く2007年に開業していた。
    • 南古谷~指扇駅間も新駅が開業しており、駅名は「古谷本郷」になっていた。駅舎は南古谷駅とはまったく違うが橋上駅にはなっていないかもしれない。
    • 埼京線や川越線は京浜東北線みたいに5分に一本列車が走っていた。それでも山手線には敵わないし、一方の山手線は1分に一本列車が走っていたかもしれない。ラッシュ時は数秒に一本列車が走っている事に…。
  7. トレインチャンネルはテレビの番宣は史実よりも流れており、占い関係も出来ていたかもしれない。音も流れていたかもしれない。
    • 電車内の紙広告の全廃されていた。
    • トレインチャンネルの番宣はTOKYO MXやフジテレビBS番組だけではなく、NHKや日テレやTBSやテレ朝やテレ東もトレインチャンネル番宣していただろう。
    • トレインチャンネルに経済情報が流れており、もちろんニューヨークダウ平均株価と日経平均株価が表示されていた。
    • 京阪特急のLCDにはテレビチューナーも組み込まれており、テレビ番組を放送することも可能。よってテレビカーは廃止ではなく発展解消という形となった。
      • 関東の鉄道でもLCDにテレビ番組を流すように改良されていたかもしれない。これによりテレビ離れは問題にならなかった。
    • 車内案内アニメーションLCDのJR東日本は冷静になる事は無く埼京線だけではなく横浜線や南武線や山手線にもあったはず。(場合によっては京葉線も)
    • 終夜運転がされているため、「のりかえのお客様は、終電の時刻にご注意ください」の表示は無かった。
    • 文字ニュースは今でも「日テレNEWS24」が放送されており、場合によっては「ホウドウキョク24」も放送されていただろう。
    • 中央線LCDの時点で17インチ・アスペクト比16:9に拡大されていた。よってはE233系のLCDは全て17インチ・アスペクト比16:9に一致していた。
    • 音が出ると「うるさい」と感じる旅客が一定数いそうなので音付きにはならないと思う。
      • 下手をするとその件で旅客が鉄道会社を訴えるような事件(類例あり)さえ発生しかねない。
  8. 湘南新宿ライン、上野東京ラインも21世紀入る前に開業していた。後者は路線名が史実と違っていたかもしれない。湘南上野ライン辺りが有力か?
    • 上野東京ラインは常磐線も東海道線直通しており、品川駅で終点駅になる事は無かった。また、横須賀線直通も出来ていたかもしれない。大宮駅や宇都宮駅にも湘南色・スカ色E217系が見かけており、連結車両はE217系も対応している。
    • 常磐新宿ラインも実現していたかも。もちろん東海道線と横須賀線直通付き。常磐新宿ラインは常磐線と常磐快速線が通っていただろう。
    • 反対住民に屈して上野から品川の間は地下線になる。
  9. 環状線も史実以上に開業しており、上記の通りのゆりかもめや地下鉄丸ノ内線や都営大江戸線辺りが実現出来ていたかもしれない。
  10. 京浜東北線はさらに乗客数が増えて大宮方面や大船方面を延伸計画をするが、大宮方面は車庫の関係で籠原駅までの延長になって、大船方面は平塚駅か小田原駅まで延長していただろう。
    • これにより、東海道線内や高崎線内や宇都宮線内も液晶画面(TIMS)用の情報送信用の地上設備があり、近郊型もLCDが導入されていた。たとえ面倒でも。
  11. 青梅線は当初の予定通り檜原村まで延びていただろう。奥多摩駅よりも檜原駅(仮)の方が知名度が高く奥多摩駅は史実よりやや地味な駅になっていた。檜原村は駅の開業により町制化していた。
    • 青梅駅での系統分断もなかった。青梅特快も奥多摩行きになっていた。
  12. 情報配信サービス「山手線トレインネット」は首都圏全線で行われていた。名前も「トレインネット」になっており、トレインチャンネル並みに発展していた。
  13. 電車が遅れても一部複々線化や予備用線路が出来ており、遅刻してもすぐ平常運転に戻っていた。また、点検になっていても短時間で終わっていた。今では1分~3分で終わっていたかもしれない。
    • 現有設備をフルに使った過密ダイヤの場合はそんなに簡単にいかないと思う。
  14. 史実のバブル景気期に計画していたJR・大手私鉄の終夜運転が実現していた。コスト上困難の事を考えると90年代後半か2000年代に実現していたと思われる。
    • 恐らく最初は首都圏で行われ、次に関西圏にも行われ、そのうち日本全国で終夜運転が実現していた。但し、少ない人口・単線等などの田舎にある鉄道は流石に終夜運転は行われないだろう。
    • 終夜特急というのも誕生していたかもしれない。JR関係や大手私鉄は絶対にやりそうな気がする。
    • 騒音訴訟を起こされるリスクがあるためほとんど地下を走る路線限定。
  15. 今頃磁気の切符は廃止され、全てICカードになっていたかもしれない。ただ、地方とか田舎には磁気の切符が継続していたかもしれない。もちろんこの頃にはタッチ式のICカードも廃止され、タッチしなくても通れる改札機が実現していた。
  16. 大間線は実現しており、第二青函トンネルも実現していただろう。ただ、大間~函館に津軽海峡大橋が出来ているため、こちらのルートは大間~井戸になっていたかもしれない。
    • 史実では1968年に予定線でなくなって以降建設再開の計画は出ていない。
  17. 沖縄に鉄道が開業しており、JRの管理はJR九州で、私鉄列車は琉球鉄道とゆいレールが開業していた。那覇~名護間の路線は確実にJR九州が運営していた。ひょっとすると国頭もJR九州が運営していたかもしれない。
    • 要はこうなっていた地下鉄は不発弾がある可能性があるので建設は厳しい所。
      • そもそも那覇市程度の人口では地下鉄は採算が取れない。
  18. 富士山登山鉄道は普通の鉄道としてとっくに開業しており、静岡側も富士山登山鉄道構想が出来ていて起点は富士駅か御殿場駅になっていた。
    • 世界遺産登録前までは富士山頂まで鉄道を敷く計画が公然と語られる。
  19. 津軽海峡大橋は瀬戸大橋の構造と同じように鉄道部が出来ていた。大間~第二青函トンネル~井戸の普通鉄道は津軽海峡大橋の鉄道部開業よりも早く開業しているので、津軽海峡大橋の鉄道部はモノレールか。
  20. 羽田空港新線は新宿ルート、東京ルート、新木場ルート同時期に開業していた。また東急の羽田空港の乗り入れ(蒲蒲線)も実現している。
    • 羽田空港は神奈川県からのアクセスも出来ており、神奈川県東部方面線が予定通り羽田空港まで延伸していた。
  21. 東京や大阪や名古屋だけではなく愛知県以外の県内にも環状線が出来ていた。神奈川県はグリーンラインどころか、ブルーラインも環状線化していた。また名古屋はJR東海も名古屋駅を中心環状線を開業していた。
    • 京都には七条~東大路~北大路~西大路通に環状の地下鉄が開業し、観光の重要な足となっている。
      • そこはLRTの方が受ける気がする。
  22. JR北海道は安全面がおそろかにならず、事故や不祥事を多発させることは無かった。場合によっては2005年以前のJR西日本もならなかったかもしれない。
  23. 東京湾アクアラインの鉄道部の管理はJR東日本になっていた。ルートは川崎→浮島→風の塔→うみほたる→木更津金田→巖根→木更津になっていたかも。
  24. 江差線は北海道新幹線の開通でや木古内~江差間が廃止される事は無く、江差駅から延伸しており天ノ川駅が本当に開業していたかも。
    • 札幌都市圏など確実に利用者が見込める地域で建設する方が合理的。
  25. 湘南新宿ラインは開業当初から浦和駅やさいたま新都心駅が停車駅になっており、川口駅や蕨駅も湘南新宿ラインの停車駅になっていたかも。(もちろん宇都宮線と高崎線も停車している。)
    • また特別快速は恵比寿駅も停車駅になっていただろう。
    • 上野東京ラインと湘南新宿ラインの誤乗は無かっただろう。
  26. LED表示機はフルカラー化されていた。駅内LEDも車内LEDも完全フルカラー化されていた。現在は液晶タイプになっているような気がする。
    • いくら金があっても青色LEDが実用化しないとフルカラーLEDは造れない。青色LEDの開発とバブルは無縁だと思うが…。
  27. もしあの駅が開業したらもしあの鉄道路線が開業したらもしあの鉄道路線が開業していたらに書かれている内容のいくつかが実現していたかもしれない。
    • 駅は無茶苦茶多くなっており、スピードもそれほど出なくなっているだろう。また、史実では計画されていない駅もこちらの世界で計画されている駅も少なくない。
    • 地上げ屋の暗躍により意外と進まない気がする。
  28. 山手線のラッシュ時は数秒に一本列車走っているので、ラッシュ時は秒単位も表示されていたかも。まあ、秒単位は流石に大体になりそうだが。
    • 何か発生した際に間違いなく追突事故が多発するため安全上不可能。
  29. 強風で簡単に運休になる事は無く、強風でも普通に平常運転になっている。埼京線や京葉線や武蔵野線は強風になっても遅れる事が無かっただろう。
    • その代償として各地で車窓からの景観が奪われる。
  30. 発車メロディーは地方の鉄道会社も導入されており、田舎駅は田舎に合った発車メロディになっていただろう。
  31. ラッピング鉄道は全面広告バスみたいになり、全面的にラッピングされていただろう。もちろん山手線や京浜東北線だけではなく色んな鉄道路線にラッピング鉄道が走っていただろう。
  32. 埼京線みたいに新幹線に並行した高架化する路線が出来ていただろう。東海道新幹線の東京~新横浜~小田原辺りが実現出来そうな気がする。
  33. 少なくとも一部の駅員の態度は悪いという事は無かったはず。あってもそれほど問題にはならなかっただろう。
  34. 動労千葉は今より落ち着いた物になっていた。千葉支社にもちゃんと新車が導入されていたはず。ストライキは死後になっていた可能性がある。
    • 調子に乗って給料引き上げを要求する。で業績がいいので運転士の平均年収が1000万円台になる。
    • 東労組の組合員大幅減少もなく毎年給料が上がる。
  35. 仙石線は直流運転しているため、E231系かE233系が導入されていたかもしれない。E231系は総武本線ベースになり、E233系なら中央線ベースになっていたかも。但し液晶は付かない
  36. 東北地方の鉄道は交流運転がメインだったが、徐々に直流運転化されていたかもしれない。関東でも白河行きや郡山行きが見かけるようになり、始発駅黒磯行きが史実以上に増えていた。
    • 交直流車を導入した方が安上がりな気がする。
  37. JR東日本とJR東海の関係は史実よりマシな関係になっていた。JR東海はここまで鉄オタに嫌われる事は無かったはず。
    • 東武鉄道と西武鉄道や小田急とJR東日本などの関係も史実よりマシになっていた。直通運転も史実以上に行われていた。
  38. ピギーバック輸送が廃止されることはなかった。
    • トラックが道路上に増えることなく、交通量も幾分緩和されていた。
  39. JR東海の新快速はJR西日本と同様特別快速と同じ種別として運転しており、130km/h以上の最高運転速度を持っていた。JR東日本にも新快速が運転されていたかもしれない。
    • こちらの世界の新快速の最高運転速度は160km/hとして運転されていたかもしれない。もっともJR西日本の方が実現しそうなイメージがするが。
  40. 大島や佐渡島などの島にも鉄道路線が出来ており、車両は主に古くなった車両を使用していただろう。
  41. 女性専用車は存在しなかった。史実ほど女性優遇の世の中になっていないため。あってもそれほど揉める事は無かったかもしれない。
    • 現実でも日本社会は世界的に見るととても「女性優遇」とは言えない気がする。
  42. JR各社は現実ほど新幹線偏重にならず、在来線にも力を入れていた。
    • 新幹線と並行する在来線にも新快速みたいな高速列車が運行されていた。
      • 播州赤穂~豊橋間直通の新快速も運行されている。
    • 在来線特急の車内販売が廃止されることもなかった。
    • 整備新幹線の並行在来線は第三セクターに転換されることもなくJRによる運営のままであった。
  43. 北海道新幹線開通後も青函トンネル区間に18きっぷで乗る際追加料金を請求されることはなかった。
  44. イギリスのように各地の廃止路線が保存鉄道として一部復活していた。
  45. JRや大手私鉄が海外の私鉄買収に乗り出す事例もあった。
  46. Suikaは当初の予定通りウォークスルー方式で導入されていた。
    • 『タッチ&ゴー』ではなく『ウォーキング&スルー』というキャッチフレーズになっていた。
    • ICカード専用改札も当初から導入されていた。
  47. JR北海道とJR四国の経営状況が良くなっていたかも。廃線が大量に起きる事は無かった。
  48. トレインチャンネルで1社のCMしか流れないという事は無かった。
  49. 埼玉県の鉄道博物館は史実の京都鉄道博物館並みの大規模な博物館になっていた。
    • 名古屋のリニア鉄道館も。
      • 美濃太田車両区に放置されていた車両(キハ30や103系など)も展示されていた。
      • リニア鉄道館は展示車両の増加に伴い拡張され、保存車両の入れ替えに伴い公開終了した車両が解体に追い込まれることはなかった。
    • 京都鉄道博物館は展示車両の車内を基本的に公開していた。博物館に隣接する嵯峨野線の新駅も博物館開館と同時に開業している。
    • そればかりか、九州や北海道にも同様の博物館が開館していた。
    • 東京総合車両センターにある157系や御料車なども鉄道博物館で展示されていた。
    • JRだけでなく大手私鉄も同様の鉄道博物館を作っていた。
  50. 東京駅100周年記念Suicaみたいに特別なSuicaが続々と登場していただろう。
  51. オリエント急行の再来日が実現していた。
    • それがきっかけで日本の豪華寝台列車を海外に乗り入れさせようという構想が出ていた。
  52. 汐留貨物駅の土地は売却できていない。
  53. 鉄道雑誌の内容は現在も読み応えのあるものだっただろう。
    • 鉄道ジャーナルは今も列車追跡シリーズをやっている。
    • 鉄道ファンの新車ガイドは今も当該車両の営業運転開始前に掲載され、且つ車両の詳細にまで踏み込んでいた。
    • 鉄道ピクトリアルの私鉄を紹介する臨時増刊号は今も年2~3冊刊行され、関東・関西の大手私鉄は勿論のこと地方の中小私鉄についても特集を組んでいた。
  54. ヤマハ製の発車メロディは新宿駅、渋谷駅とどまらず東京駅、上野駅、池袋駅、横浜駅、大宮駅のターミナル駅で導入していた。
    • 埼京線ホームの渋谷駅でもヤマハ製の発車メロディが導入していた。
    • 1990年代以降の発車メロディはコストダウンを図ったシステムが採用されているが、これが史実と異なっていた可能性もある。
  55. 宗次郎のメロディ「清流」、「雲を友として」、「心」、「四季」は著作権料の問題で消滅する事は無かった。(『清流』に関しては鶴岡駅の入線メロディーとして使われているが…)
    • 「四季」は暗すぎて消滅していただろう。
    • さくら夙川駅の接近メロディも「コブクロの桜」のままだったのかも。
  56. JR東日本新潟支社での発車メロディ導入も2000年代前半に行われていた。
  57. いわゆる洗脳発車メロディーはあまり存在していないかもしれない。
  58. JR東海は新幹線至上主義に走ることはなかった。
    • 300系以降、座席数を統一が徹底されることもなく、更なるサービス低下も起きなかった。
    • 新幹線だけでなく、ローカル線の観光列車にも力を入れていた。
      • トロッコファミリー号が廃止されることはなかった。
    • 動力分散方式を徹底することもなく、機関車・客車を全廃に追い込むこともなかった。
      • それすらなかったのでブルトレが廃止されることはなかった。
    • 鉄道系ゲームや展望ビデオにも協力的になっていた。
  59. 「陸中」と「よねしろ」は快速に格下げされることはなく、特急に格上げされていた。
    • 「陸中」に至っては特急型気動車に置き換えられ、JR東日本は特急型気動車を保有しないといわれ続けることもなかった。
    • そもそもJR東日本は幹線だけでなく、地方交通線にも特急の設定に積極的になっていた。
  60. エル特急が衰退することもなかった。
  61. 運賃値上げが現実以上に進んでいた。
    • JRの初乗りは山手線ですら今ごろ200円なっていた。(ちなみに現実でも民営化以降も運賃値上げは行う方針でした)
    • 私鉄も高架化や複々線化の費用徴収を名目に値上げに踏み切る。
    • JR西日本の「昼間特割きっぷ」や近鉄の「名阪まる得きっぷ」の廃止は現実よりも早かった。
  62. 川島令三が自らの著書で主張していた種々の構想の多くは実現していたかもしれない。
  63. JR九州が特急王国になることもなかった。
    • 多くの観光列車は快速として運行していた。
    • JR四国も同様だった。特急の代わりに快速を運行していたかもしれない。
      • そもそもJR四国は都市間輸送は特急で十分という考えを持っていなかった。
  64. 関西の新快速は混雑が激しくなったことから京阪神間では昼間でも1時間に8本の運転(7.5分毎)になっていた。
    • その分快速が減らされていた。
  65. JR東日本は現在でも存在感のあるCMを制作していた。
    • CM出稿量が減少することもなく、JR東日本はCMに消極的と言われることもなかった。


新幹線[編集 | ソースを編集]

もしバブルが崩壊していなかったら/鉄道/新幹線

特急[編集 | ソースを編集]

  1. JR特急の私鉄乗入れが衰退することはなかった。
    • 「サンダーバード」は北陸新幹線の開通まで富山地鉄直通が存在し、「あさぎり」は運転区間が新宿~静岡に延長されている。2010年前後にはJR371系、小田急20000形の後継車両も登場していた。
      • 富山地鉄がJR乗り入れ用の独自の特急車両を保有したかも。
      • 「サンダーバード」だけでなく「北アルプス」の富山地鉄乗り入れも復活。名鉄キハ8500系が立山まで乗り入れていた。
        • 「北アルプス」が廃止されることはなく、中部国際空港に乗り入れて高山本線沿線からの空港アクセスとして重宝されていた。
      • 「サンダーバード」は北陸新幹線開業後も富山直通が残っていた。
    • 東武東上線も秩父鉄道への乗り入れを廃止することもなかった。
    • そもそも信楽高原鐡道の事故さえなければ…。
    • おおさか東線開業後は新大阪-吉野にもおおさか東線・大和路線・和歌山線経由でJRと近鉄を直通する特急「よしのエクスプレス」が運行されていた。
      • JR289系と近鉄26000系を使用し、近鉄26000系のデラックスシート車はJR線内ではグリーン車の扱いになっていた。停車駅はJR線内が新大阪・放出・王寺・高田・吉野口で、近鉄線内は阿部野橋発着の特急と同じ停車駅になっていた。
  2. 京阪や阪急京都線の特急は今も京阪間ノンストップを維持。
    • いずれは指定席車も連結されていた。
      • 京阪特急の指定席も20世紀のうちに実現していた。阪急の京とれいんも改造ではなく全くの新製で、全車指定席(和風車以外はリクライニングシート車)となっていた。
      • 京阪は特急に振り子電車を導入していたかも。
      • 指定席車両にはトイレも設置されていた。
    • 阪急9300系は2扉車となり、1990年代のうちに登場していた。
  3. 東京メトロ千代田線だけではなく他にも地下鉄路線に特急や急行が乗り入れていたかもしれない。ほぼ直通運転になりそうだけど。
    • 東京メトロや都営地下鉄も特急列車が開発されていた。基本的には地下鉄内しか走らないが乗客数増加のより地上でも走れるようになっていたかもしれない。
  4. 特急でもトレインチャンネルのような液晶ディスプレイが出来ていた。但し、在来線と大幅に違い、乗客サービスとして開発されていたかもしれない。
    • むしろ各座席に液晶テレビが取り付けられていた(現実にバブル期には存在した)。
  5. スペーシアは日光線系統だけではなく、伊勢崎線系統や東上線系統にも走っていただろう。野田線内も特急列車が走っており、大宮~春日部~北千住~浅草と大宮~春日部~東武動物公園~東武日光と走っていただろう。
    • 日光系統のスペーシアの殆どは北千住-下今市ノンストップを維持していた。
  6. 振り子車両が現実よりも普及していた。
    • JR北海道キハ261系・JR東日本E257系・JR西日本287系は振り子車両として登場していた。空気バネによる車体傾斜機構は現実よりも普及しなかった。
    • JR四国2600系も当初から振り子車両として登場していた。
  7. 「はくたか」はJR東日本の運用を撤退することもなく、485系としての「はくたか」は北陸新幹線の開通まで存続していた。
    • むしろ681系と683系の「はくたか」は「スーパーはくたか」と名乗っていたかもしれない。
  8. さらには気動車特急が増加していた。
  9. 寝台特急列車の廃止が少なくなっていた。
    • 一部の列車が583系で運転されていたかもしれない。
      • その分、「きたぐに」以外でも583系の塗装変更が行われていた。
        • 「きたぐに」は特急化していたかもしれない。
    • 285系サンライズエクスプレスが8編成まで製造されていたはず。
      • サンライズエクスプレスの九州方面へ向かう列車が存在する。
        • 「サンライズ富士」や「サンライズはやぶさ」などができる。
          • 「はやぶさ」は東北新幹線の列車名には採用されなかった。
      • JR東日本の路線も走る可能性も。
        • その場合、「サンライズ北陸」や「サンライズ日本海」が誕生するかもしれない。
  10. 小田急ロマンスカーは1990年代以後も基本的に前面展望車が投入されていた。
    • 30000形は「EXE」ではなく新型の前面展望車「○SE」として投入されていた。
    • 50000形「VSE」は4編成投入され10000形「HiSE」を全編成置き換えていた。
    • それでも60000形「MSE」は地下鉄及び御殿場線乗り入れの関係上展望室は設置されなかった。
      • 但し現実よりも前面展望に配慮された構造になっている。先頭車はハイデッカーになっていたかも。
        • 千代田線の建築限界を考えるとハイデッカーは考えにくい。
      • 70000形の登場は史実通り。
    • 名鉄2200系の特別車にも展望席が設置されていた。
    • JR各社も展望席を備える特急形車両を開発していた。
      • ジョイフルトレインとかではなく定期特急に投入されていた。
    • 半数の列車は新宿-小田原ノンストップを維持していた。
  11. 東京-博多を結ぶ豪華夜行寝台特急(九州エクスプレス)構想が実現し、列車名は「ななつ星」となっていた。
    • 車両は24系の改造ではなく完全な新製車となり、寝台車・食堂車・バーラウンジ車が連結されていた。
    • 寝台車はオールA寝台個室とし、1人用・2人用・4人用が設定され、全室シャワールーム付きとなっていた。
    • 食堂車及びバーラウンジ車は2階建てとし、バーラウンジ車は編成の端に連結して車端部にはパンタグラフを設置し、階下はSIV電源室となっていた。
  12. 近鉄の難波-賢島間の特急は全列車鶴橋-宇治山田間ノンストップを維持し、全列車が伊勢志摩ライナーに置き換えられていた。
    • 名古屋-賢島間の特急も半数は名古屋-宇治山田間ノンストップの甲特急で、甲特急は全列車伊勢志摩ライナーに置き換えられていた。
    • 伊勢志摩ライナーやさくらライナーは史実以上に増備されていた。近鉄特急から車内販売が一時廃止されることもなかった。
  13. 車内販売が衰退することはなかった。
    • 各業者ともコンビニなどに対抗するために車販だけで変えるオリジナル商品を充実させていた。
  14. 近鉄京都・橿原線と吉野線を直通するフリーゲージトレインの特急も実用化されて運行されていた。

貨物[編集 | ソースを編集]

  1. 武蔵野南線はすでに旅客化されており、南船橋~武蔵小杉(新川崎?)までが武蔵野線になっていた。この場合横浜や大船まで直通運転していそうな気がするが。
    • もしかすると塩浜~府中本町~南浦和~西船橋~塩浜の大環状運転が実現していたかもしれない。混雑率も半端ではなかった。
  2. JR貨物が黒字になった頃に貨物列車も一般乗客が乗れる構想出てくるが、一般じゃ流石に難しく問題が出ていたかもしれない。イベントなら実現出来そうだが。
  3. JR貨物の営業線区は史実以上に増えており、川越線に再び貨物列車が通るようになったり相模線や八高線にも貨物列車が通っていた。
  4. 東海道貨物線は大江戸線の工事で休止する事は無く、現在も東海道貨物線は活用されている。また、現在は旅客化されており羽田新線や東海道線羽沢支線が通っている。
  5. E233系をベースとした貨物列車が導入されていたかもしれない。まあ、先頭部だけだろうが。
  6. 古くなった車両を貨物列車として再利用していた可能性もある。改造されてイメージと違う車両になっていたかもしれないが。
  7. 上記にも書いてあるが、貨物列車は食べ物だけではなく、電化製品や玩具なども運ばれており、アマゾンのようなサービスが行われていた。JR貨物は宅急便トレインとして活躍していたかもしれない。
  8. 現実以上にトラック運転手の不足が深刻化するのでカートレインとピギーバック輸送を足して二で割ったような形態の輸送が考案されていた。
    • 敷地内を自動で電気駆動で運転する鉄道貨車に適したサイズの大きさのトラックが考案されているかもしれない。
  9. 東海道本線名古屋口の本数がひっ迫して貨物専用の線路が敷設されていた。
    • 場合によっては東海交通事業城北線と愛知環状鉄道線が貨物の迂回ルートになっていた。
  10. EF200形電気機関車が本来の性能を発揮していた。
  11. M250系「スーパーレールカーゴ」が量産化されていた。
    • 佐川急便のほか、ヤマト運輸や福山通運・西濃運輸などもこれを運行していた。

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  1. 東京駅の赤レンガ駅舎は解体され高層ビルに建て替えられていたかも。
    • 赤レンガ駅舎の外壁だけが高層ビルに張り付く形で保存されている。
      • そして、赤レンガ駅舎の一部は鉄道博物館に保存されていただろう。反対運動で建て替え中止ならなければの話だが。
    • それでも、「赤レンガを解体するとはどういう事だ」と大規模な反対運動が行われ、何らか影響が出来ていたかもしれない。
      • 復元工事が早まる可能性の方が高そう。
    • 上野駅の駅舎も高層ビルに建て替えられていた。
      • 動物園をモチーフとしたビルになっていただろう。もちろん上野動物園のパンダもコラボしていただろう。
        • せいぜい一部装飾がそれっぽくなる程度と予想。
    • 東京駅は新宿駅や池袋駅や渋谷駅のような大都市駅になっていただろう。なのでビックカメラかヨドバシカメラが出来ていただろう。
    • 大宮駅の駅舎も高層ビルに建て替えられていた。西口は新幹線開業に建て替えられているので東口のみ高層ビルになっていたかもしれない。大宮駅東口も史実の西口並みに発展していたかも。
    • 鉄道博物館駅はニューシャトルとJR線乗り換え駅になっているため、駅構内は巨大化していたかもしれない。JR線入口も出来ていた。
  2. 山手線・京浜東北線の品川~田町の新駅は2000年代に出来ていた。駅名は「高輪」で、車両センターも21世紀入る前に廃止されていた。場合によっては泉岳寺駅とのアクセス地下道が出来ていたかもしれない。
    • 現在は品川駅~大崎駅間の新駅が出来ていただろう。品川駅~大崎駅間は2キロあるため。恐らく2010年代か2020年の東京オリンピックに出来ていただろうが?
  3. 2008年以降に橋上駅化が行われた駅は2000年頃~に橋上駅化が行われていた。
    • 川越線の日進駅は2004年頃に橋上化され、ロータリーも史実より広くなっており、バスも市のコミュニティバスだけではなく東武バスも通っていた。
  4. 横須賀線は大井町~武蔵小杉間の駅の間が広すぎるという事で大田区にも駅が出来ていたかもしれない。場所は上池上辺りで駅名は「池上」になっていた。バス停の上池上は「池上駅北口」に改名されていた。
  5. 少なくとも東京駅に在京大手私鉄のターミナル駅があった。乗り入れしたのは東武鉄道、西武鉄道、東急、小田急・京急・京王辺りかもしれない。
    • 東武鉄道は東武東上線が乗り入れ、西武鉄道は西武池袋線・新宿線、東急は東急東横線か東急田園都市線か?在京大手私鉄のターミナル駅で東京駅は渋谷駅並みに発展していただろう。
    • 赤羽駅、新橋駅にも在京大手私鉄のターミナル駅が出来ていた。赤羽駅は東武鉄道で、新橋駅は京急辺りか?
    • 地下鉄との相互乗り入れで都心へのルートは確保済みのため二重投資になってしまう。
  6. 横浜駅はとっくに全ての工場が終わっているため「日本のサクラダファミリア」と言われる事は無かっただろう。新横浜駅篠原口も南口としてリニューアルし、田舎の新幹線駅と呼ばれ扱いされる事は無かった。
  7. 京浜東北線は新駅がどんどん開業していた。特に品川~横浜間辺りが新駅ラッシュになると思われる。大田区にJR駅が何個かあったはず。
    • 武蔵野線も八王子~西船橋間全線新駅ラッシュになっていた。越谷レイクタウン駅や吉川美南駅も2000年代前半から開業していた。
  8. 高崎線の新駅みなみ北本駅は実現していたが、駅名はみなみ北本駅ではなかった可能性が高い。恐らく新北本駅か二ツ谷駅か?
  9. 原宿駅の近くにある宮延ホームは2001年以降も使われており、現在は老朽化で宮延ホームを建て替えていたかもしれない。運行の影響などは無くなると思われる。
  10. ホームドアは21世紀を待たずに実現しており、しかも山手線のホームドアはわずか半年で全駅に導入されていた。現在はホームドアにも液晶ディスプレイが付いている。山手線だけではなく京浜東北線、埼京線、中央線などにもホームドアが導入されていた。
    • 駅ホームでの全身事故は史実より少なくなっていた。ただ、踏切での全身事故は相変わらず変わってなく多い。これを解決するために踏切にも何か工夫していたかもしれない。
    • 現実でも一部駅では70年代から既に存在。
    • 京浜東北線は根岸線内の桜木町~大船でもホームドアが導入していた。
    • 導入されるホームドアもフルスクリーンタイプが主流になっていた。90年代以降に開業した路線や新駅では全てこのタイプで設置されており、撮影が困難な車両が多かった。
  11. 北大宮駅には史実では宇都宮線は通過になっているが、東武野田線との乗り換えを良くするために宇都宮線にもホームが設置されていたかもしれない。もちろん快速は通過となる。
  12. 渋谷駅の埼京線ホームは渋谷の再開発が1990年代後半から行われていたとしたら、2000年代に山手線ホームの隣に移転していた。
  13. 新幹線開通で廃止された宇都宮線と高崎線停車駅の日暮里駅は2000年頃に再び停車するようになっていただろう。そのため、常磐線と乗り換えしやすくなっていた。
  14. 北与野駅はさいたま新都心駅の裏なので利用者もそれなりに多くなっていた。埼京線の中で利用客数がワースト1から脱出していた。
    • 北与野駅は快速が停車するようになっていたはず。
  15. 江差線の天の川駅は停車駅に生まれ変わっていたかもしれない。利用者はやはり少ないが、現在は観光開発により利用者はそれなりに増えていたかも。
  16. 竜飛海底駅は旅客営業を行っていたかもしれない。吉岡海底駅の旅客営業やや厳しいと思う。
  17. 土合駅は予定通りエスカレーターが出来ていたかもしれない。もちろん上りと下りが設置されていた。
  18. 駅の発車、接近メロディーにヒット曲を使うことが現実以上に普及していた。
  19. 南小谷駅は現在もJR東日本からJR西日本への乗り入れを行っており、南小谷~糸魚川間の電化の計画が構想される。
  20. 大阪駅のリニューアル(ノースゲートビルの建設など)は20世紀のうちに完成していた。
  21. 梅田貨物駅の吹田操車場跡への移転も20世紀のうちに実施されていた。
  22. 近鉄阿部野橋駅の300m高層ビル化(あべのハルカス)も20世紀のうちに完成済み。
  23. JRと私鉄及び私鉄同士がノーラッチで乗り換えられる共同使用駅が減ることはなかった。

私鉄・地下鉄[編集 | ソースを編集]

もしバブルが崩壊していなかったら/鉄道/私鉄

車両[編集 | ソースを編集]

もしバブルが崩壊していなかったら/鉄道/車両

模型[編集 | ソースを編集]

  1. TOMIXの全車両がハイグレード仕様になる。
  2. マイクロエース製品は全て国内で生産されている。
  3. KATOは103系一般型とキハ20をリニューアルしていた。
  4. 東京堂モデルカンパニーや河合商会は倒産しなかった。
    • 学研やエンドウもNゲージから撤退しなかった。
      • 学研やエンドウのNゲージ撤退はバブル崩壊以前に撤退したのですが。
  5. 全国展開する模型店が増えていた。
  6. TOMIXの製品は追加された形式への対応がおざなりになることはなかった。
    • サハ208形は登場直後に製品化されていた。
    • アーバンライナーや253系も登場時の編成のままで放置プレイされることはなった。
      • E217系も同様だった。
    • 300系も増結セットが発売当初から製品化されていた。
  7. TOMIXの製品ラインナップは国鉄型車両に偏重することはなかった。
    • 私鉄においても通勤形も精力的に製品化していた。
    • JR特急形も積極的に製品化していた。
    • 西武5000系やEF64 1000番代などが絶版になることはなかった。
      • KATOの京急800形も絶版になることはなかった。
    • 東北、四国、九州地方の新型車両も積極的に製品化していた。
      • その分、マイクロエースが力を入れることはなかったかも。
      • 特に東北と四国は「Nゲージが不毛」と言われることもなかった。

関連項目[編集 | ソースを編集]