もし北陸新幹線が○○だったら
開業区間が異なっていたら[編集 | ソースを編集]
国鉄時代に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 碓氷峠を越える横川~軽井沢間が廃線されるが他の区間はJRのまま続いていた。
- 軽井沢、小諸、上田の各駅は自動改札機が設置された。
- 信越本線が並行する在来線となるため当新幹線の営業キロは信越本線と同じ営業キロとなった。
- 安中榛名駅はなかった。(何か施設ができたとしても信号所)
- 定期券の利用者は信越本線、当新幹線の両方使えていた。
- 国鉄時代に開業していたということは横軽間は存続していた可能性が高い。EF63や115系の引退後はここの急勾配を自走できる車両が開発されていた。
- もしその場合軽井沢への観光ルートの1つとして活用されていた。
- 少なくとも187系は計画されなかった。
- 初期開業区間は高崎~小松となっていた。
- 列車名は速達が「白山」、各駅が「そよかぜ」。
- 「スーパー白山」「MAX白山」「MAXそよかぜ」も存在していた。
- 「あさま」は新特急化され残っていたが、1995年ごろに新幹線に格上げ。
- その時に「そよかぜ」は廃止される。
- 上越妙高駅は「上越駅」、黒部宇奈月温泉駅は「新黒部駅」として開業していた。
- 小松では中途半端すぎるから長野以西が開業したとしても金沢止まりであろう。
- 列車名は速達が「白山」、各駅が「そよかぜ」。
- 1998年には小松~敦賀間、2014年には敦賀~新大阪間が開業していた。
- 200系に急勾配・50/60Hz対応の車両が登場していた。
- 現実には長野オリンピックの時に1編成が改造で誕生したが、新造時から対応した車両が投入される。
- 最初から長野以遠まで開業していた場合、「北陸新幹線」の愛称が使われ「長野新幹線」の愛称は生まれなかった。
- 金沢まで一気に開通していたら、JR西日本と東日本の境界駅が金沢駅か富山駅になっていた可能性もある。
- 北陸の東京志向が現実より強くなり、関西・名古屋志向は弱くなっていた。
- この場合、高山本線は全線がJR東海管轄になっていたかも。
- いや、それどころか北陸新幹線が全線JR東日本の管轄となった場合、東海道新幹線との関係は代替機能だけではなく、対抗手段ともなっていた。それにより、北陸新幹線全線の最高速度が320km/hとなり、東海道新幹線いやJR東海とは車内サービスや運行速度、座席、価格の面で激しい競争が繰り広げられた。
- 北陸本線及び信越本線の三セク化はなく、日本海縦貫線の旅客機能はしっかりと残っていて、「日本海」や「きたぐに」の存続は勿論、それらの専用車両の新製が行われていた。
- 2010年前後に「トワイライトエクスプレス」にも新車が投入されていた。
- 史実通り寝台列車の衰退は起こるだろうから後者は怪しい。
- 北陸本線及び信越本線の三セク化はなく、日本海縦貫線の旅客機能はしっかりと残っていて、「日本海」や「きたぐに」の存続は勿論、それらの専用車両の新製が行われていた。
- いや、それどころか北陸新幹線が全線JR東日本の管轄となった場合、東海道新幹線との関係は代替機能だけではなく、対抗手段ともなっていた。それにより、北陸新幹線全線の最高速度が320km/hとなり、東海道新幹線いやJR東海とは車内サービスや運行速度、座席、価格の面で激しい競争が繰り広げられた。
- 対関西需要を考えるに会社境界は富山だったと思われる。
- 金沢まで一気に開通していたら、JR西日本と東日本の境界駅が金沢駅か富山駅になっていた可能性もある。
- 代わりに上越新幹線が建設されていなかった。
- っていうか、このシナリオが成立する為には田中角栄が邪魔になる。
- むしろ角さんが新潟の新幹線網整備の為に上越・羽越・北陸の三路線の同時着工を決断していた。
- この場合北陸新幹線は浦佐から柏崎方面に向かうルートになり長岡~柏崎間も建設していた。
- むしろ角さんが新潟の新幹線網整備の為に上越・羽越・北陸の三路線の同時着工を決断していた。
- っていうか、このシナリオが成立する為には田中角栄が邪魔になる。
- 北越急行は開業していなかったか、開業していても単なるローカル線だった。
- 電化されていなかったかもしれない。
- 「北越急行」という社名にはなっていなかった。
- 当初の計画通り貨物メインの路線として建設されていたかもしれない。
- 「北陸」「能登」のどちらかが20世紀中に廃止されていた。
- 碓氷峠廃止が国鉄時代中にあった場合は後者だろう。
- 189系あさま色や489系白山色はなかった。
- JR西日本所属の485系はほとんど存在しなかった。
- 北陸本線は特急誘導ダイヤにならず、地域輸送にもっと力を入れていた。
- 快速電車の設定が途切れる時期はなかった。
- 北陸より人口の多い広島・岡山近郊を見るにその可能性は低い。
- 快速電車の設定が途切れる時期はなかった。
- 敦賀~大阪間は米原ルートで即決。
- ただし東海道新幹線の増発・高頻度運転に支障が出たため、結局は別線の建設による東海道・北陸分離が行われていた。
- 分割民営化時の扱いは北陸もJR東海が管轄する形で解決していたと思われる。
- 福井駅は1面2線ではなかった。
1960年代に軽井沢まで開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実ではこの時期に碓氷峠の区間がアプト式から粘着式に切り替えられた。
- 0系0番台が最初に投入された路線が信越新幹線になっていた。
- アプトの廃線は免れたが、0系0番台の騒音と車両故障頻発で社会問題になっていた。
- 高崎~軽井沢間に投入された0系0番台は50Hz対応で車両基地は高崎近辺に設置されていた。
- 0系0番台の車両故障頻発の原因の一つに2面4線(内2線は通過線)で建設された安中榛名駅が挙げられ安中榛名駅停車列車から200系に統一される事になっていた。
- 新幹線開通初期は新幹線は0系の初期故障頻発、アプトは単線の輸送力不足で悩まされた。
- それに目をつけその隙に西武鉄道が西武秩父~軽井沢を開通した可能性も有り得た。
- EF63からの電気機関車の歴史が変わっていた。アプトの機関車をアプトの機関車で置き換えた可能性も有り得た。
- 高崎~軽井沢間に投入された0系0番台は50Hz対応で車両基地は高崎近辺に設置されていた。
- E2系「あさま」は1997年3月22日ダイヤ改正に間に合っていただろう。
- アプトの廃線は免れたが、0系0番台の騒音と車両故障頻発で社会問題になっていた。
- 新幹線開業当初は新幹線が高崎~軽井沢間、在来線が上野~高崎間と軽井沢~長野間でリレーし、上越新幹線大宮~新潟間開通後は大宮~軽井沢間が直通可能になっていた。
- さすがに高崎以南もつくられているのでは?
- 60年代開業なら新幹線訴訟が起こらないので一気に東京~軽井沢で開業していたのでは?
- 安中榛名~軽井沢間は30‰の勾配が長く続くルートになっていた。
- 高崎~軽井沢間で整備新幹線法の縛りが無かった為、北陸新幹線直通列車が時速260kmより速い時速300km以上の速度で安中榛名駅を通過していたであろう。
- 但し、東京方面は自重して高崎駅通過線ポイント通過まで時速260kmを超えなかっただろう。
- 高崎~軽井沢間で整備新幹線法の縛りが無かった為、北陸新幹線直通列車が時速260kmより速い時速300km以上の速度で安中榛名駅を通過していたであろう。
- 北陸新幹線は昭和時代中に開通していた。
- 安中榛名駅は開業せず、代わりにもう少し榛名支所寄りの場所に駅ができていた。
- 実験線的な色彩がかなり強かった。
- 横川か軽井沢に鉄道技術研究所の支所が置かれていた。
- というか高崎~東京都心駅が開通していないなら狭軌で建設されていたんじゃないの?
- ここを貨物もあるし、何より実質的にあさまが分断される軽井沢以西の沿線自治体が黙っていないと思う。
- この時点で横川~軽井沢間の在来線は廃止されていた。
- 横川駅の駅弁業者が廃業に追い込まれていた。
2015年の時点で金沢以西まで延伸されていたら[編集 | ソースを編集]
福井までだったら[編集 | ソースを編集]
- 敦賀開業の場合と違い、「サンダーバード」「しらさぎ」は一応残る…はず。
- 但し「ダイナスター」は登場しなかった。
- 福井駅の新幹線ホーム用地が1面2線しかないので、折り返し等で色々と問題が出ていた。
- 特に「はくたか」は金沢止まりの列車が多くを占めそうな気がしなくもない。「かがやき」は最低でも半分、「つるぎ」は全列車が福井まで行くだろうけど。
- マスコミや商工会はしきりに「福井『暫定』開業」と強調していた。
- 敦賀延伸までは「かがやき」も含め全列車が金沢-福井間各駅停車となる。
- 嶺北(北陸新幹線で直行)・嶺南(従来通り米原周り)で東京への経路が完璧に異なる状態になっていた。
- 「シンカリオン」が福井放送でも遅れネットで放送されていた。
- 実際に秋田でも遅れネットで放送されたので十分にあり得ると思う。
敦賀までだったら[編集 | ソースを編集]
- 大阪・名古屋~富山を結ぶ「サンダーバード」「しらさぎ」は金沢・福井どころか敦賀止まりとなっていた。
- そのため大阪・名古屋から富山は勿論金沢・福井に行くにも乗り換えが必要になり、利用客の苦情が出ていた。
- おそらくどちらも廃止になっている。代わりに大阪までは「リレーかがやき」などのリレー特急が運行されていた。
- 特に下の書き込みにある同一ホーム乗換が実現しているならばこうなる可能性は高そう。
- この時点ではフリーゲージトレインがまだ実用化されていないため、かつての新八代駅のような在来線⇔新幹線を同一ホームで乗り換えられるようにして乗り換えの負担を軽減していただろう。
- 大阪・名古屋~北陸の流動はある程度高速バスに移行していたかも。
- 北陸3県(福井県嶺南を除く)は完全に東京指向になるだろう。
- 嶺南に関しては米原周りと北陸新幹線のどちらが早く東京に着けるかで指向の度合いが変わっていた。
- 敦賀までは新快速が来ているので、敦賀まで新快速を使って特急料金を浮かす利用客もいるかも。
- そのような客は敦賀以東でも新幹線など使わず三セク化された並行在来線を利用するはず。ビジネスマンをはじめとする一般利用客は敦賀までわざわざ2時間もかけて新快速など使わない。
- 北陸本線は米原~敦賀の短い距離だけになるため、「敦賀線」という路線愛称が生まれていた。
- それでも大阪・名古屋~金沢の所要時間自体は短縮している。
- 福井県の三セクもICOCAを導入していた(これは史実でもやりそうだけど)。
- 敦賀駅を跨いで使えるかどうかで調整に手間取っていたかもしれない。
- えちぜん鉄道の高架化工事が後回しにされていた。
- 「米原ルートでもいいから新大阪まで早いとこ直結させろ」という要望が数年以内に出てくる。
- ぶっちゃけ時期が多少早くなるだけでほぼ史実通りの可能性大。
新大阪までだったら[編集 | ソースを編集]
- 北陸から特急が消滅。
- それとともに北陸で18きっぷを使うことはほとんど不可能になっていた。3セクに特例が設けられたら別だが。
- 越美北線の関係で特例は越前花堂ー富山か津幡ー敦賀に設定されるか。
- それとともに北陸で18きっぷを使うことはほとんど不可能になっていた。3セクに特例が設けられたら別だが。
- 新快速は琵琶湖線止まりに短縮。
- どのルートで開業するかによるが、小浜ルートなら最低でも長浜・近江今津までは直通するのでは?
- 新大阪駅のホームが増えていた。
- それも地下ホームに
- たぶん山陽新幹線直通はない。
- 管轄は新幹線管理本部になっていた。
- 北陸3県の名古屋志向が薄れる。
- 特急「しらさぎ」は廃止され、名古屋ー北陸は京都乗り換えの東海道新幹線+北陸新幹線ルートになっている
- 遠回りすぎるからしらさぎも存続するのでは?下手すりゃ長浜経由の普通列車の方が早いし。
- 「東京発新大阪行き」は設定されない。新大阪発はせいぜい金沢まで。
- さすがに富山か長野あたりまでは設定されていただろう。
- 「しなの」の大阪乗り入れが廃止になる。
- 2016年春に廃止された。
- 新大阪発は各駅タイプが富山、速達タイプが長野まで。
- 大阪ー高山も北陸新幹線の富山経由に誘導するために大阪直通「ひだ」も廃止になる。
- 「しなの」の大阪乗り入れが廃止になる。
- 運用を考えると新大阪発の半分以上が新大阪~東京になる気がする。
- さすがに富山か長野あたりまでは設定されていただろう。
- 京都から北陸に行くのが不便になっていた。
- さすがに無理をしてでも京都駅に乗り入れていただろう。但しルートは東海道新幹線とは別。
- 京都駅は地下ホームになっていた可能性が高い。
- さすがに無理をしてでも京都駅に乗り入れていただろう。但しルートは東海道新幹線とは別。
- 681系はダイヤ改正と同時に全廃され、683系も能登かがり火用車両以外は全車289系化改造を受けていた。
- 「やくも」も289系によって置き換えられ273系が存在しなかったかも…。
2015年以前に富山まで暫定開業していたら[編集 | ソースを編集]
- おそらく暫定開業は2010年春か?
- 金沢ばかりが注目されて富山がスルーされるという問題はなかった。
- P.A.WORKSのアニメの町興しがもう少し成功していた。
- 北越急行の超快速スノーラビットもこの年から運行
2015年3月に富山まで開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 富山~金沢間は第三セクター化されることはなかった。
- サンダーバートとしらさぎは無論富山まで乗り入れていた。
- 結局富山以西開業時に三セク転換される。
- 2022年度末に富山~敦賀間が開業していた。
- 福井・和倉温泉・金沢ー富山間に北陸新幹線に接続するシャトル特急が設定されていた。約18往復程度?名称は「能登」?
- ほとんどがサンダーバードで済まされるのでは?
2014年に敦賀まで開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 高校野球の福井商業が低迷したのは北陸新幹線のせいだと言う人が出てきていた。
- 代わりに東京にも新大阪にも乗り換えなしでいける敦賀市の敦賀気比が福井の盟主になっただけに。
2020年に福井先行開業が実現していたら[編集 | ソースを編集]
- おそらくだが福井駅が1面2線なのを考えると発着列車は大幅に少なくなっていた。
- 2019年の台風による車両基地水没のせいでそれに拍車をかけていた。
- 289系の683系復帰はなかったかもしれない。
- 暫定だからという理由で「つるぎ」のみしか運行されなかった。
- 2019年の台風による車両基地水没のせいでそれに拍車をかけていた。
- 金沢発着の在来線特急は多少は減っても敦賀開業まで残っていた可能性が高い。
- 福井駅新幹線ホームを2面4線にすべきという声があがるも暫定開業なので実現しなかった。
建設計画が○○だったら[編集 | ソースを編集]
長野開業で建設が打ち切られていたら[編集 | ソースを編集]
- 名実共に「長野新幹線」になっていた。
- 北越急行のミニ新幹線化が具体化している。
- E7系の開発時期が史実よりも遅れていた。
- 開発されたとしても、長野新幹線と上越新幹線における置き換えとして導入されていた。
- JR西日本が関わることがないため先頭車のデザインが異なるかもしれない。
- 福井や金沢の高架が無駄な投資として批判されることになった。
- 金沢の高架は立体交差化事業に転用されていた。
- 福井の高架は史実の計画通りえちぜん鉄道の福井駅に転用される。
- 打ち切りの時期によっては作られていない。
- 福井の高架は史実の計画通りえちぜん鉄道の福井駅に転用される。
- 富山ライトレールと富山地方鉄道の直通運転が早まった。
- 金沢の高架は立体交差化事業に転用されていた。
- 九州新幹線長崎ルートや北海道新幹線の地元は「こちらも打ち切られるのではないか」と戦々恐々。
- 長崎ルートに関しては反対派にとって好材料になりそうな気がする。
- 北陸地方は関西志向・中京志向を維持し続けていた。
- 金沢延伸がなかった場合、北越としらさぎ・サンダーバードの富山乗り入れが廃止されることはなかった。
- 485系の寿命はもう少し延びた。
- それでも、北越はE657系電車に置き換えられていた。
- 485系の寿命はもう少し延びた。
- 北陸新幹線の開業に伴う上越新幹線の本数が削減されるという危機感を抱くことはなかった。
- 最初から長野までしか造らない方針だったら軽井沢以西は在来線に乗り入れていた。
- 軽井沢~長野がフル規格になったきっかけは長野オリンピックだったはずだが。
- 2015年3月以降も、特急「はくたか」が存続していたので、北越急行は現在でも黒字経営であった。
- 勿論、北陸本線の金沢~直江津間と信越本線の長野~直江津間が経営分離されることはなかった。
- 特急「しらゆき」が登場することはなく、快速「くびき野」が今でも運行している。
- 迷列車シリーズでもネタにされる。
運輸省案で建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 1988年、運輸省(当時)が北陸新幹線の建設案として、高崎 - 軽井沢間フル規格、軽井沢 - 長野間はミニ新幹線。高岡 - 金沢間、糸魚川 - 魚津間はスーパー特急方式が提案されていました。後に高岡 - 金沢間は石動 - 金沢間に変更されますが、全線フル規格にならずこのような形で建設されていたら?
- 後にスーパー特急方式で建設された石動 - 金沢間と糸魚川 - 魚津間は後に標準軌に改軌されていた。
- 魚津ー石動間は三線軌条になっていた。
- その区間のみJRのままだった。
- 魚津ー石動間は三線軌条になっていた。
- 場合によっては上越(仮称)ー糸魚川間もスーパー特急方式で建設された。
- 軽井沢ー長野間(または上越まで)は新幹線乗り入れのため交流電化&標準軌に改軌されていた。
- 篠ノ井線篠ノ井ー長野間は線路と架線が分離されていた。
- 長野総合車両センターは敦賀のように直流・交流双方の検修施設を備えている。
- しなの鉄道は誕生せず、代わりに高崎ー横川間が経営分離されていた。
- その理屈なら史実でも高崎側も経営分離されているはず。
- 719系5000番台が導入されていた。
- 但し貨物のために上田ー上越間は三線軌条になっていた。
- 軽井沢のデッドセクションは安中榛名寄りに設置された。
- 篠ノ井線篠ノ井ー長野間は線路と架線が分離されていた。
- 400系の複周波数対応版が開発され、これが「E2系」を名乗っていた。
- 高崎で上越新幹線と分割・併合する列車もあったかもしれない。
大阪側から先に建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 北陸地方は東京よりも関西・中京志向が強いと言われていました
- 1997年に金沢、2015年には長野まで延びた。
- 長野開業は長野オリンピックの影響もあるから、2010年代初頭に富山、2020年代に全線開業の方が可能性は高そう。
- 東京一極集中化の現状では、東京〜新大阪間の全線開業が早まっていた。
- たぶん長野オリンピック決定時に高崎からも建設がスタートして、2015年に長野~金沢開業していたかもしれない。
- 上越妙高~長岡又は上越妙高~浦佐間に、北陸新幹線と上越新幹線とを繋ぐ短絡路線を建設する構想が練られていたかもしれない。
- それがもし実現していたとなれば、新大阪~新潟間の運行系統が登場していたでしょう。
- 日本海側における新潟市の重要性は益々強くなり、東京偏重は多少は薄まる。そして、東北地方西南部や日本海側の中心都市として今まで以上に発展。中部以西の西日本と北日本とを繋ぐ中継基地となり、東北地方の仙台一極集中が多少薄まる。
- 羽越新幹線の実現可能性も上がる。
- 長野開業は長野オリンピックの影響もあるから、2010年代初頭に富山、2020年代に全線開業の方が可能性は高そう。
- 車両開発がJR西日本主導になるだろうから、E2系はともかくE7・W7系は登場しなかった可能性が高い。
- その場合、N700系ベースの車両が導入されていた。
- 指定席左右各2列シート&8両で東京に乗り入れるので上越新幹線高崎以南の沿線住民はこれがくると嫌な顔。
- さすがに独自車両になっていた。
- 指定席左右各2列シート&8両で東京に乗り入れるので上越新幹線高崎以南の沿線住民はこれがくると嫌な顔。
- その場合、N700系ベースの車両が導入されていた。
- それでも北越急行は史実通り開業していた。
- 横軽は新幹線の全線開業まで存続するも、「白山」は廃止になっていた。
- 一方で「あさま」も新型車両が投入されていたかどうか怪しい。
- 横軽は新幹線の全線開業まで存続するも、「白山」は廃止になっていた。
- 東海道新幹線の線路容量が逼迫しているので、新大阪-敦賀間は若狭ルートで建設されていた。
- 場合によっては、阪急新大阪線ホームのスペースが北陸新幹線ホームとなり、山陽新幹線との相互乗り入れが為されていたのかもしれない。
- この場合でも京都駅を経由していたかもしれない。亀岡市は北大阪急行延伸を見返りにおりてもらって。
- 新大阪~京都は史実通り松井山手駅付近を経由するルートになるんだろうか。
- ルート問題であそこまで揉めることはなかった。
- 愛称名は速達タイプが「らいちょう」、各駅停車タイプが「つるぎ」となっていた。
- 「かがやき」、「はくたか」、「あさま」の列車名は、長野または東京開業時になってようやく採用。
- 時期によっては「きらめき」も案にあがっていたかも。なぜか「だいなそー」にしろという要求が出てくる。
- 京阪神~新潟・東北方面との接続が良くなっていたのかもしれない。
- 北陸~新潟間の在来線特急が「しらゆき」または「白鳥」。寝台特急日本海がかつて新大阪~博多間を結んでいた新幹線接続夜行列車「月光」号の役割を果たし、金沢~青森間となっている。
- 交直両用のサンライズエクスプレス用の車両が登場し、「サンライズ日本海」となっていた。
- 逆に「きたぐに」の廃止は早まった。
- 北陸~新潟間の在来線特急が「しらゆき」または「白鳥」。寝台特急日本海がかつて新大阪~博多間を結んでいた新幹線接続夜行列車「月光」号の役割を果たし、金沢~青森間となっている。
- 北陸線・湖西線・小浜線が経営分離の危機に。
- 小浜線の経営分離は確実。しかし湖西線の場合は、敦賀までの北陸本線を含めた同線がJR西日本の「アーバンネットワーク」に組み込まれいるため、在来線の敦賀までの安泰は確実。
- 飯山線の例を持ち出して小浜線経営分離に反対する勢力が現れる。
- 今考えるとこうしていた方が変なルート争いとかが生まれず建設がすんなり進んでいたかもしれない。
金沢開業で建設が打ち切られていたら[編集 | ソースを編集]
- サンダーバードとしらさぎは金沢発着で存続していた。
- 長野~金沢間もJR東日本統括になっていたかもしれない。
- その場合、北越とサンダーバード・しらさぎの富山乗り入れが廃止されることはなかった。
- つるぎが運行されることはなかった。
- 越前たけふ駅が開業しないので、福井鉄道の越前武生駅が改名を強いられることはなかった。
敦賀開業で建設が打ち切られていたら[編集 | ソースを編集]
- おそらく新幹線接続は最終的に新快速の増発がメインになりそう。
- サンダーバードは料金を支払ってでも座りたい人向けの車両となっていた。
- あるいは223系と225系のAシート車を増備。
- しらさぎは残るのでは?
- サンダーバードは料金を支払ってでも座りたい人向けの車両となっていた。
- 北陸三県は完全に関西寄りから東京寄りにシフトすることになる。
- 嶺南は除く。
- 一部からは京都がJR西日本に対して北陸新幹線を延伸させないよう圧力をかけていると噂される。
乗務員交代が上越妙高駅で行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 間違いなく「縦割り行政」として批判されることになる。
- 「長野新幹線」の名称維持と共にやり玉に挙げられていた。
- 原因論が「JR説」と「上越市の圧力説」に二分される。
- 少なくともこれで得をするのは上越市だけだと思われる。
- 特急「しらゆき」の運行本数がもう少し多くなっていたかもしれない。
- この場合でも「かがやき」は客扱いはしないだろう。
- こうなると上越市すら得をしないので益々理由不明になる。
上越新幹線と乗り入れが無かったら[編集 | ソースを編集]
- 多分、大宮-川越-高麗川-秩父-中込-上田になっていたかも…。
- 秩父市の再開発や自然破壊が問題になっていた。
- 北陸新幹線の開業時期が先かつルートが史実通りだった場合、逆に上越新幹線が羽生・桐生・沼田を経由するルートになっていたかもしれない。
- このページはとっくに分類されていた。
- 大宮駅の分岐が史実以上に複雑になっていた。
- 並行在来線で軽井沢を通らなくなるため碓氷峠が廃止されなかった。
- 上越線に新幹線リレー号が運転されることはなかった。
- 史実でも上越線に新幹線リレーが走ったことはないはず。
会社境界が長野駅だったら[編集 | ソースを編集]
- 長野~金沢の「つるぎ」も登場していた。
- シャトル特急の要素が強いから会社境界がどこにあろうと富山止まりだったと思う。その分長野止まりの「はくたか」が増えていたか?
- 上越妙高駅の処遇は全く問題にならなかった。
- 長野だけでなく飯山もJR東日本・西日本の共同使用駅となっていた。
- 信越本線の長野〜直江津はJR東日本のまま。
- えちごトキめき鉄道は「日本海ひすい鉄道」を名乗っていた。
全区間がJR東日本だったら[編集 | ソースを編集]
- 現行の北陸新幹線との並行在来線区間(上越妙高~金沢)の全てが、JRによる運営であった。
- 越後トキめき鉄道の営業範囲は、現行の妙高高原~直江津(妙高はねうまライン)と直江津~市振(日本海ひすいライン)ではなくて、前者のみであった。
- いや、それどころか北越急行との営業が一体化していたかもしれない・・。
- 越後トキめき鉄道の営業範囲は、現行の妙高高原~直江津(妙高はねうまライン)と直江津~市振(日本海ひすいライン)ではなくて、前者のみであった。
- 北陸本線や湖西線が全線JR西日本として残るため、24系25型による「トワイライトエクスプレス」の廃止の時期が、2016年3月の北海道新幹線開業直前のダイヤ改正であった。
- 新型クルーズトレイン「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の日本海縦貫線(大阪~青森)へも、運行を決めていた可能性があった。
- 北陸や能登は2012年まで、日本海やきたぐには2014年まで存続していた。
- 現行の「サンダーバード」や「しらさぎ」が金沢開業の時点では、大阪~富山や名古屋~富山間。新大阪へ全通してしまうと「サンダーバード」は全廃するが、「しらさぎ」は確実に残る。
- 北陸本線の敦賀以北には、特急「サンダーバード」の廃止の穴埋めやJR西日本による北陸新幹線の補完および競合、救済の意味合いで、快速列車やリゾート列車が運行される。
- また場合によっては、上野若しくは新宿~金沢間や大阪~富山・新潟・青森間に、夜行快速列車か寝台特急列車が設定されるかも・・。
- 運賃は安いが、走行する距離や運行する時間が長い、北陸~京阪神間の昼行の高速バスが現行以上に閑古鳥状態になっていた。
- 金沢~新潟間の特急「北越」も存続し、E653系電車と681系電車と683系電車で運行されていた。
- 北陸新幹線の周波数が全線50Hzになっていた。当時のE2系と現行のE7(W7)系、East-iは50/60Hz共用であったが、50Hz専用で開発されていた。
- E4系についても上記と同様で、二階建て新幹線が本格的に北陸新幹線へも走行していた。
- 50/60Hz共用のE7(W7)系は設計・開発・製造されていなかった可能性もあった。E5系の北陸新幹線仕様が誕生していたかもしれない。
- いや、それどころか、FASTEC360やE3系やE6系が北陸新幹線内へも試験走行されていた。
- E7(W7)系が誕生していた場合は、JR東日本の単独開発設計によるものであった。
- JR東日本の新幹線の規格統一が出来て、開発・保守・運行のコストが下がっていた。
- 糸魚川以西の北陸新幹線走行地域では、北陸地方ではJR東とJR西とが、近畿地方では左記の両社に加えてJR東海も加わってそれらを巻き込んだ争いが起こっていた可能性もあった。
- 北陸本線や湖西線、小浜線の経営分離問題が起こらず、新幹線絡みでのJR同士での争いはあっても、建設や用地買収は却って円滑に出来ていた。
- 敦賀~新大阪間の経路が、湖西&東海道ルートとなっていた。北陸新幹線の京都駅は確実に地下ホーム形式となっていた。
- むしろ独自の需要を引き出すためにあっさり松井山手&小浜ルートになっていた
- 敦賀~新大阪間の経路が、湖西&東海道ルートとなっていた。北陸新幹線の京都駅は確実に地下ホーム形式となっていた。
- 北陸本線や湖西線、小浜線の経営分離問題が起こらず、新幹線絡みでのJR同士での争いはあっても、建設や用地買収は却って円滑に出来ていた。
- 上越妙高~長岡間に、北陸上越両新幹線の短絡路線建設構想が持ち上がる可能性もあった。ただし、それについては、北陸新幹線の新大阪全通後でしょう。
- というか、それ羽越新幹線。
- 白山車両基地に少なくとも全般検査・重要部検査を行なう設備は建設されず、北陸新幹線全車両の全検・要検が仙台で行なわれていた。
- 場合によっては、北陸新幹線の上越妙高~新潟~山形~仙台ルートが設置され、「北陸新幹線奥羽越ルート」としての愛称として親しまれていたのかも知れない。北陸以西の西日本と東北地方とを東京経由する事無く、短絡出来ていた。
- 上越妙高~新潟は羽越新幹線として計画があるから良いが、それ以東は史実でも計画すらないから開業していた可能性は低い。
- 北陸新幹線の上越妙高~東京間は、「北陸新幹線上信越ルート」としての愛称を持っていた。
- むしろ、長野新幹線車両センターで全般検査・重要部検査を行なう設備が建設された。2019年の台風19号に伴う被害で一時的に新潟新幹線車両センターで検査を行われていた。
- 場合によっては、北陸新幹線の上越妙高~新潟~山形~仙台ルートが設置され、「北陸新幹線奥羽越ルート」としての愛称として親しまれていたのかも知れない。北陸以西の西日本と東北地方とを東京経由する事無く、短絡出来ていた。
- 金沢~富山間の「つるぎ」が運行されることはなかった。
- 全列車が新高岡駅に停車していた。
- 場合によっては、建設計画が金沢で打ち切られていたかもしれない。
- 開業時にJR東日本は新幹線統括本部が設置され、その傘下の金沢支社が設けられていた。
- くろしおやこうのとりやはしだてやきのさきで運用されている381系電車の廃車が史実よりも遅れていた。
- 金沢で建設が打ち切られた場合、683系電車を改造した289系電車が登場することはなく、287系電車が史実よりも多く量産されていた。
- 関西までJR「東日本」である点を確実にツッコまれる。
フランス語での案内放送が現在でも行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 長野オリンピック期間中はフランス語での案内放送も行われていました
- 長野新幹線の名物になっていた。
- 多言語での案内放送が現実以上に充実していた。
- 韓国語での案内放送は2002年日韓w杯から行われていた。
- 東海圏ではポルトガル語の放送も行われた。
- 九州新幹線全通以降は山陽新幹線でも四カ国語放送が行われたかも。
- 南海でも関空に向かう列車でもフランス語放送が行われる。
- 2020年オリンピックに備えて東京の鉄道でもフランス語での案内放送を導入すべきという意見が出ていた。
- 2008年大阪オリンピック招致の際にも大阪の鉄道でもフランス語での案内放送が検討された。
- 日本における多言語案内表示が中韓語に偏ることもなく、フランス語表示が現実以上に普及していた。
並行在来線がJRから切り離されなかったら[編集 | ソースを編集]
- それでも横軽は史実通り廃止になっていた。
- 信越本線が細切れになることはなかった。
- 初めて切り離された並行在来線は東北新幹線八戸延伸時のいわて銀河鉄道と青い森鉄道だった。
- 18きっぱーが北陸方面に行く際に苦労することは少なかった。