もし名古屋鉄道が○○だったら

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あの路線が○○だったら[編集 | ソースを編集]

名古屋本線[編集 | ソースを編集]

浜松までに乗り入れていたら

過去にも、浜松へ延伸する計画が何度かありました。

  1. 遠州鉄道は名鉄グループの傘下に入っていた。
    • 浜松市に名鉄百貨店ができていた。
    • 浜松名鉄ホテルは今でも健在であった。
  2. 対抗して、JR東海は浜松行きの新快速と特別快速の本数を史実よりも多く増やしていた。
枇杷島分岐点の立体化が実現していたら

1990年代に、名鉄はボトルネック解消のために、立体化を検討しましたが、実現しませんでした。もし実現していたら…

  1. 東枇杷島~名鉄名古屋間は複々線化されていた。
  2. 西枇杷島駅付近には、名鉄名古屋~河和・内海間を結ぶ特急が折り返すために、側線が設けられていた。
名古屋本線の笠松 - 名鉄岐阜間が600v線区だったら

もともとこの区間は名鉄岐阜市内線を経営していた美濃電気軌道の路線でしたが

  1. 竹鼻線・羽島線も600V線区になっていた。
  2. それでも本線は別ルートで笠松~名鉄岐阜間をつくっていた。
    • この区間の途中駅は史実より少なかった。せいぜい1~2駅程度か。
  3. 2005年に力尽きたのは史実通り。
    • 一部の区間が廃止されなかった場合は笠松~新羽島間でモ800形が行ったり来たりしている。
飯田線との共用区間が無かったら
  1. 飯田線が最初から国鉄の物or国有化が史実より早いのが大前提。
    • 飯田線が国有化されなかった場合だと共有区間自体は存在する可能性が高いため、こうなっているのが大前提だと思われる。
      • 豊川鉄道が(共有を)拒否したケースとして「終点が豊川だったら」の可能性アリ。
  2. 名鉄側が複線で乗り入れる一方、飯田線は現在でも全線単線のままだった。
  3. おそらく駅名は「吉田→新豊橋→名鉄豊橋」になっていた。
    • 豊橋鉄道渥美線が名鉄の路線のままだったかもしれない。
      • 名鉄別ルートが渥美線と接続していればの話だね。
      • 豊橋鉄道の場合、駅名が「豊橋」駅になっていた可能性が高い。
  4. 伊奈行きの列車が全て豊橋行きになっていた。
    • 快速特急と特急は全て通過していた。
    • 急行も通過していたかもしれない。
  5. 名鉄が独自に下地駅、船町駅が設けられていた可能性が高い。
  6. 豊橋駅前に名鉄百貨店が開業していたかもしれない。
須ヶ口~金山間が複々線化されていたら

1972年の都市交通審議会名古屋圏部会において、神宮前~須ヶ口間の複々線化を答申しましたが、実現に至りませんでした。もし実現していたら…

  1. 新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)は4面4線のホームを有する駅になっていた。

犬山線[編集 | ソースを編集]

犬山橋が史実よりも早く鉄道専用橋に切り替わっていたら
  • 史実では、2000年3月までは、鉄道道路併用橋でした。
  1. 新鵜沼駅におけるホームの増設も史実よりも早まっていた。

小牧線[編集 | ソースを編集]

名鉄名古屋駅までに乗り入れていたら
  1. 東枇杷島駅か栄生駅辺りで接続していた。
    • 当駅から名鉄名古屋駅まで複々線化されていた。
  2. 小牧~犬山間が複線化されていた。
  3. 急行運転が行われていた。
  4. 桃花台新交通が廃止されることはなかった。
  5. 間内駅付近に車両基地ができていた。
    • 名鉄資料館と名鉄教育センターができていた可能性もあり得る。
  6. 小牧市の人口が史実よりも多くなっていた。
味鋺~上飯田が名古屋市営地下鉄だったら

上飯田連絡線はこの区間も保有している

  1. この区間全てが地下鉄上飯田線になっていた。
    • 延長4km程度では平安通以南延伸でもしない限り日本一短い地下鉄路線ではないだろうか。
  2. 上飯田ビルが名鉄所有なのはちょっと問題が起きていたかもしれない。
  3. 瀬古駅は…まあ開業していないと思う。
平安通が起点であったら
  1. 運賃が安くなっていた。
  2. 名古屋市営地下鉄名城線との連絡切符が販売されていた。
  3. 初めは犬山~大曽根間として開業し、戦後になって、犬山~平安通間として、整理されていた。
  4. 桃花台新交通は廃止されることはなかったかもしれない。
  5. 平安通駅は地上駅となり、駅前にバスターミナルが設置された。

三河線[編集 | ソースを編集]

知立~梅坪間が複線化されていたら

実際に、名鉄は知立~豊田市間の複線化を検討しております。

  1. 特急や急行が豊田市まで運行されていた。
  2. 名古屋本線との接続を考慮したダイヤになっていた。
三河線の運行系統が分かれていなかったら
  • 史実では知立を境に海線と山線に分かれており、全線を直通する列車自体有りません。
  1. 三河知立駅が知立を名乗り続けていた。
    • 合併の経緯を考えると三河鉄道が傍系になるので若干厳しいが、現在の名古屋本線が三河知立駅に乗り入れる形になっていたかもしれない。この場合東知立駅は最初から存在しない。
  2. 吉良吉田or蒲郡-豊田間に特急が一時期走るも、需要の少なさから後年廃止される。
    • 末端区間のディーゼルカー化→廃止も史実通り行われるが、廃止時に吉良吉田-西中金間の通し便が臨時列車として運行されていたかもしれない。
レールバスを投入しなかったら

史実では、1985年3月には、西中金~猿投間で投入され、1990年7月には、碧南~吉良吉田間で投入されました。

  1. 電気運転で、知立~豊田市~西中金間で運行する列車と知立~碧南~吉良吉田間で運行する列車に分かれていた。
  2. 未成区間である西中金~足助間が開業していれば、可能性が高かった。
  3. それでも、廃線を免れることはできなかったかもしれない。

知多新線[編集 | ソースを編集]

師崎までに乗り入れていたら
  1. 篠島や日間賀島行きの定期船との接続を考慮したダイヤになっていた。
    • 名鉄が伊勢湾フェリーを手放すことはなかったかもしれない。
複線化されていたら

実際に、複線化のための用地があるそうです。

  1. 複線化された分、所要時間が短くなっていた。
  2. 美浜町における住宅開発が史実よりも進んでいた。
  3. 未開業の小野浦駅が開業していた。

瀬戸線[編集 | ソースを編集]

名古屋本線に接続していたら
  • 金山で接続
  1. 瀬戸線は独立線区ではなくなる。
  2. 栄町~金山間では地下鉄名城線と並行する。
  3. 名鉄6750系は金山延伸を前に廃車となっていた。
  4. 瀬戸線の車両は本線と共通になっていた。
    • おそらく常滑線・河和線系統と直通していた。
    • 名鉄4000系は登場しなかった。
      • むしろ下記A-A基準の問題から4000系が主力になる可能性がある。
    • 6両編成対応工事がなされる。
    • 地下区間の規格(A-A基準)の問題から現瀬戸線同様貫通扉など走行車両に条件が課せられる。そのためそのまま本線との共通化は無理。選択肢は以下4つ。
      • 直通運転はやめ、現状通り瀬戸線の車両を独立運用させる。
      • 直通列車は瀬戸線車両のみでこなし、地下区間を現瀬戸線車両のみ走らせるようにする。
      • 本線車両をA-A基準に満たすよう改造するか、現行車両を全廃して全部瀬戸線車両にする。
      • 地下線を廃止し、高架線にする。
  5. ミュースカイに栄町経由尾張瀬戸発着の列車が生まれていた。
  6. 2005年以前に金山延伸が実現していた場合、尾張旭あたりから愛知万博会場への支線が建設され、中部国際空港~万博会場間の直通電車が運行されていた。
  7. 名古屋市がモンロー主義を徹底、押し問答の末、大曽根-金山は名市交10号線とされてしまう。
    • 代わりに3号線の御器所-八事の免許については名鉄に譲る。
  8. 瀬戸線全体が線形改良されスピードアップが実現していた。
  9. 一部特別車の特急が運転される。
    • 使用車両は1700系、2200系(A-A基準対応化改造実施、1000-1200系は矢田川橋梁南のカーブが急なため入線不可)
    • 停車駅:金山、栄町、東大手、大曽根、尾張旭、新瀬戸、尾張瀬戸
      • ラッシュには、喜多山、大森・金城学院前、三郷いずれかの特別停車あり。
        • 東大手、喜多山、大森・金城学院前、三郷では特別車ドアカット。
          • 乗降は3号車で行う。
        • 金山より前は名古屋本線東部(東岡崎・豊橋方面)、常滑・空港線、河和線へ直通
        • 新瀬戸は6両対応化。
        • 尾張瀬戸のホーム柵を1700系、2200系のドア位置に合わせる。
  • 神宮前で接続
  1. 上と同じく独立線区ではなくなる。
  2. 途中で鶴舞を経由。
    • 途中駅は鶴舞-高辻-神宮前あたりが妥当かな。
  3. 神宮前は4方向(岐阜方面、豊橋方面、空港方面、瀬戸方面)の電車が集まるターミナル駅。
  4. JR熱田駅や地下鉄神宮西駅との間に連絡通路を設ける。
栄への乗り入れが史実よりも早く実現していたら
  • 史実では、1978年8月に実現しました。
  1. 無論、1500Vへの昇圧が史実よりも早まっていた。
    • 6600系電車の登場も史実よりも早まっていたかもしれない。
  2. セントラルパーク地下街の開業も史実よりも早まっていた。
    • 久屋大通公園の再整備も史実よりも早まっていた。
  3. 6750系電車の登場が史実よりも早まり、1980年代には当路線を走行する車両の冷房化が100%に達していた。

西尾線[編集 | ソースを編集]

西尾口~西尾間、桜井~南桜井間の複線化が史実よりも早まっていたら
  1. 南桜井駅の開業が史実よりも早まっていた。
    • 無論、桜井駅の高架化と碧海桜井駅と碧海堀内駅の駅名改称も史実よりも早まっていた。

名鉄百貨店がなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 名鉄名古屋駅の駅ビルには、松坂屋が出店していた。
  2. 名鉄名古屋駅は史実と異なるものになっていた。
  3. 阪急百貨店から指導を受けることもなかったので、名鉄東宝や名鉄ホールが開業することはなかったかもしれない。

南知多ビーチランドが閉鎖されていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 南知多おもちゃ王国ができることはなかった。
  2. 南知多町は史実よりも寂れていた。

年末年始における終夜運転が今でも行われていたら[編集 | ソースを編集]

2004年限りでやめています。

  1. 名古屋本線、犬山線、常滑線、河和線、豊川線、小牧線において、実施されていた。
  2. ダイヤ編成において、名古屋市営地下鉄と近鉄名古屋線との接続を考慮していた。

美濃町線が全線専用軌条となっていたら[編集 | ソースを編集]

  1. 新岐阜~下芥見~新関間として、運行されていた。
    • 車両では、各務原線と共用で使用されていた。
  2. 田神線が開業することはなかった。

日本モンキーパークが名称が改称されなかったら[編集 | ソースを編集]

車両が○○だったら[編集 | ソースを編集]

現在もクロスシート車主体だったら[編集 | ソースを編集]

名鉄3880系電車(東急3700系)導入までクロスシート主体でしたが

  1. それでも地下鉄直通はロングシートだろう。
    • 300系の車内は現実通り。
  2. 6000系はオールロングシート改造されなかった。
  3. 国鉄側の列車増発が10年早かったらあり得たかもしれない。
    • 国鉄の車両増発の理由に名鉄の車両混雑救済の面もあったから。

100系以降20m車主体になっていたら[編集 | ソースを編集]

100系導入時に今後は20m車4扉に統一すべきだという声があったそうです

  1. 名鉄のホームドア設置がちょっとだけ進んだ。
  2. 導入できないローカル路線・駅の淘汰が早まった。

リトルワールドが閉鎖されていたら[編集 | ソースを編集]

名鉄資料館が閉鎖されていなかったら[編集 | ソースを編集]

史実では、2020年12月に閉鎖されました。

  1. 「名鉄博物館」として、リニューアル化されていた。
    • 7000系電車などの車両が展示されていた。
    • 無論、有料化されていた。

豊橋鉄道が○○だったら[編集 | ソースを編集]

名鉄名古屋本線と相互直通運転していたら
  1. 名鉄岐阜・新鵜沼~三河田原まで結ぶ特急列車が運行されていた。
東田本線が名鉄の路線であったら
  1. 東田本線は「豊橋市内線」になっていた。
  2. 豊橋鉄道は能勢電鉄と同様に鉄道(渥美線)以外の事業に進出するのが史実よりも少なくなっていた。
    • 豊鉄バスは名鉄バスに合併していた。
    • 豊鉄観光サービスは名鉄観光サービスに合併していた。
    • 豊橋ターミナルホテルは名鉄の手によって、建設されていた。
福江まで延伸していたら

前身の渥美電鉄は福江までに延伸する計画があり、また、国鉄も軍事目的で福江よりも先の堀切までに延伸する計画がありました。

  1. 1930年代に開業していたら、1940年代に軍の要請で堀切までに延伸されて、国鉄と相互直通運転を行っていた。
    • 1950年代には、三河福江~堀切間は廃止されていた。
  2. 戦後、名鉄グループは伊良湖岬での観光開発に力を入れていた。
    • 伊勢湾フェリーが名鉄グループから離脱することはなかったかもしれない。
  3. 三河田原駅は史実と異なるものになっていた。
    • 安藤忠雄氏は三河福江駅の駅舎の設計に携わっていた。

関連項目[編集 | ソースを編集]