もし国鉄・JRが急行を維持していたら
1970年代以降、国鉄の急行列車は順次特急に格上げ、あるいは廃止されて次第に数を減らしていきました。特急格上げは実質値上げという批判もありましたが、この方針はJR各社に引き継がれ、2016年3月のダイヤ改正をもって急行の定期列車は消滅しました。
もしそれが実行されず、現在に至るまで特急・急行が続いていたら……
全般[編集 | ソースを編集]
- 特急と急行の比率は概ね1:1から1:2程度。
- 高速バスとの競合が激しい路線では料金の安い急行が多くなる。
- 場合によっては特急がなくなり急行に一本化される路線も出る。
- 1日25往復以上の定期在来線特急は存在せず、臨時列車の号数は今も50番台のままである。
- 頭に「スーパー」が付く速達系特急はなかった。
- 「スーパーひたち」は「ひたち」のまま、「フレッシュひたち」は急行「ときわ」になっていた。
- 愛称に関しては2015年3月から現実となった。
- ただし実際と異なり自由席が存置されている。
- 「スーパーひたち」は「ひたち」のまま、「フレッシュひたち」は急行「ときわ」になっていた。
- 徳島県は現在もJRの特急が全く来ない県の1つとなっていた。
- 周遊券が周遊きっぷとならず現存していた。
- でもワイド周遊券での特急利用は今でもおこなわれていない。
- 特急になれる条件は片道201km以上とされていた。
- というか、特急の制定には現実以上に制約があった。
- 地方交通線を主体とする特急は制定できなかった。
- 「ふじかわ」「ゆふ」「あそ」などは急行のままだった。
- 表定速度も120km/hを超えないと制定できなかった。
- 表定速度120km/hって新幹線の各駅停車便レベルなんですが。
- 参考:かつてのほくほく線内のはくたかの表定速度が約100km/h。…新幹線以外全部無理だな。
- 地方交通線を主体とする特急は制定できなかった。
- というか、特急の制定には現実以上に制約があった。
- JRで特に急がない特急は存在しない。
- 新特急は単なるライナー急行だった。無論新特急にはならず。
- 多くの快速列車が急行に格上げされるため、「青春18きっぷ」は現実よりも使いにくいものとなっていた。
- さすがに大都市近郊の快速はそのままで、単に中・短距離の急行の快速格下げが少なかっただけでは?
- JR東日本の感覚では大都市近郊は急行であることは変わりないが、地方交通線ではむしろ快速に格下げされていた(JR東日本は地方交通線の優等列車は採算が取れないことが本音だから)。
- 地方交通線の急行列車はむしろ堅持したかも。
- 「べにばな」「月山」「陸中」など、地方交通線を主体とする優等列車は急行のままだった。
- 「べにばな」は運行区間短縮と同時に快速格下げもなく、都市間輸送急行として運行していた。
- 山形新幹線開業後も「べにばな」のために山形-米沢間が3線化されていた。
- 仙台-新潟間の都市間輸送で不利になることもなかった。
- 山形新幹線開業後も「べにばな」のために山形-米沢間が3線化されていた。
- 「べにばな」は運行区間短縮と同時に快速格下げもなく、都市間輸送急行として運行していた。
- 「べにばな」「月山」「陸中」など、地方交通線を主体とする優等列車は急行のままだった。
- 18きっぱーからは「急行誘導」と陰口をたたかれる。
- 急行料金だけ追加すれば良い北海道東日本パスなどが現実以上に重宝され、18きっぷの利用者が減って廃止も真剣に議論されていた。
- もしかすると18切符でも急行自由席のみ急行料金追加で乗車可能になるのかも知れない。
- JR各社が発売する各種の格安の乗り放題切符は急行は利用可能だが、特急・新幹線は利用不可というのが多かった。
- 現実で特急の自由席乗り放題のも特急には乗れないor別途特急券必要になっていたかもしれない。
- さすがに大都市近郊の快速はそのままで、単に中・短距離の急行の快速格下げが少なかっただけでは?
- 現実には閑散としている北海道・東北・中国地方などのローカル路線でも急行が走り続け、もう少し活気があった。
- 地域間輸送の主役を高速バスにとられることはなかった。
- 新型車両を使って多層建て列車が運行されていた。
- どうだか。急行があるから利用者が増えるわけじゃないし、「本数が限られてる中に急行を無理矢理走らせるより普通列車にしてくれ」という声が高まってた気がする。
- 津山線や芸備線ではまさにそういった声が上がったから快速格下げになったわけで。「急行が走る=活気がある」とは思えない。
- それでも急行料金は史実の「B特急料金」クラスになっていた。
- だとすると特急料金との運賃差が小さく急行を運転する意義がなくなってしまう。廉価な急行料金こそが急行の存在意義なのに…
- 「急行」という名称を廃止しただけで、自由席料金は事実上急行制度のままである地域は現在でも存在する。スーパーまつかぜとか…。
- あるいは「B特急料金」自体特急の急行格上げの激変緩和措置みたいなものなので存在しない。
- だとすると特急料金との運賃差が小さく急行を運転する意義がなくなってしまう。廉価な急行料金こそが急行の存在意義なのに…
- イコール高速バスの規制緩和が行なわれなかった。
- 165・457系はもう少し多く増備されていた。
- あまり停まらないもの=特急、よく停まるもの=急行になっていた。
- 特急は1県に1~2駅しか停まらないのは当たり前。
- 流石にそこまで極端な奴は東北・山陽新幹線開業辺りまでに消滅するはず(それで採算取れそうなのは東海道・山陽・東北本線くらいのはず)。
- 特急は1県に1~2駅しか停まらないのは当たり前。
- 特急列車のサービスが低下することはなく、グリーン車及び軽食設備撤去や車内販売縮小されることはなかったかもしれない。
- 多くの観光列車も急行だった。
- ただしSL列車は最高速度に限りがあるため、快速だった。
- 多くの観光列車が特急として運行しているJR九州はともかく、快速として運行しているJR東日本も急行だった。
車両[編集 | ソースを編集]
- 185系は急行形として製造され「171系」になっていた。
- 185系を名乗ってはいたが185系が特急に使用されることはなかった。
- そのため「特急形としては見劣りする」という批判はなかった。
- 「新時代エクスプレス」として鉄道ファンや利用者から高い評価を受けていたかもしれない。
- 「なすの」が新幹線の列車愛称に使われることはない。
- 特急シンボルマークは装着していない。
- そのため「特急形としては見劣りする」という批判はなかった。
- JR東海373系も。
- 連絡急行「あさぎり」にも投入される。
- ただし九州との愛称重複はスルーされる。
- 「あさぎり」は史実通り特急に格上げされたと思う。小田急のスーパーシートは廃止されなかった。
- 大垣夜行は373系化と同時に急行「ながら」に格上げされていた。
- 大垣夜行は元々急行「ながら」の格下げ列車なので、それはないだろう。
- 「ながら」は昼行不定期準急で、大垣夜行は大阪発着客車鈍行の後裔ですが。
- 1968年のダイヤ改正まで、下りのみ繁忙期には臨時夜行便で以後の大垣夜行とほぼ同じダイヤの電車急行「ながら」があったんです。
- 「ながら」は昼行不定期準急で、大垣夜行は大阪発着客車鈍行の後裔ですが。
- 18きっぱーを排除することで一般人がいつでも着席できるようになり、急行料金の収入もあり臨時化されずに済んだかもしれない。
- 18きっぱー排除ってなぁ~、そもそも銀河があるじゃん。その銀河に座席車を連結すれば済む話。
- 急行料金取っていたら史実以上に早く廃止されそうだが(夜行バスに客が流れる)。
- 大垣夜行は元々急行「ながら」の格下げ列車なので、それはないだろう。
- 313系8000番台は存在しない。
- 連絡急行「あさぎり」にも投入される。
- あるいは117系が首都圏にも投入されていた。
- 117系がキハ66の電車版という位置づけになっていた。都市圏で快速で走り地方部で急行。ただし現実の185系はその逆だったが。
- そのため185系は転換クロスシートのままだった。
- 185系を名乗ってはいたが185系が特急に使用されることはなかった。
- 交直両用版の「551系」も作られた。気動車版も作られ「キハ158系」に。
- 室内は転換クロスシートになっていた。
- 551系ではなく571系。ちなみに551系はボックスシートで、215系の交直両用版にあたる。
- ボックスはいくらなんでもあり得ない。急行運用も想定していたキハ66系統や事実上急行型の185系の座席を見ればそれ以降に新造される急行型の座席は転換式クロスシートか回転式リクライニングシートのどちらかになる。
- ついでに言えばそれ以前に製造された車両は状態の良い物を選別して上記の座席に交換するはず。
- 215系も急行形として登場していた。
- ボックスはいくらなんでもあり得ない。急行運用も想定していたキハ66系統や事実上急行型の185系の座席を見ればそれ以降に新造される急行型の座席は転換式クロスシートか回転式リクライニングシートのどちらかになる。
- JR北海道721系も。
- 221系や811系も。
- 811系のロングシート化はなかった。
- 221系や811系も。
- JR発足以降は各社が新たに新型の急行車両を作るので形式番号の取り合いになる。
- JR東日本でも形式番号の十位5-7は従来通り急行形に使われる。
- 急行形車両の普通列車転用はなかった。
- 急行形車両の需要があるためにキハ37形や417系が史実より大量に制作されていた。
- 713系も。
- 417系は北陸にも投入されていた。
- JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』に載っている、ステンレス車体の急行形気動車が実際に製造されていた。
- 上のキハ158系がそれそのものになっていたか。
- むしろキハ40も。
- 413系・717系も製作されなかった。
- ジョイフルトレインやSL列車の客車には12系よりも50系が使われることが多かった。
- 急行型車両は最初から普通列車転用も視野に入れていた。と言っても急行の需要が高い以上は現実みたいに余生を普通列車として過ごす急行型は少数派となる。
- 当然出入口付近のロングシート化改造はされない。
- 老朽化と見劣りが否めないので213系をデッキ付きにした感じの急行型車両を登場させていたかもしれない。
- 急行列車に使い続けた結果、酷使による老朽化と見劣りでJR化後には各社から新型車両に置き換えていた。
- 急行形車両の需要があるためにキハ37形や417系が史実より大量に制作されていた。
- 419系・715系は製作されず、余剰583系は急行に転用されていた。
- 20系客車も。
- 実際にも運用が多数あったのですが。急行用の改造車まで存在しましたし。
- 485系も。
- 583系は急行転用に際して、夜行運用に兼用する車両以外は上中段寝台や業務用控室の撤去、便所の削減、洗面所の縮小などの改造を施して完全な座席車に改造されていた。
- 583系の便所除去はしないと思う。419系&715系で無視できないデッドスペースが出来上がったのは有名な話だし国鉄形優等列車は基本的に各車両にトイレがある。
- そもそも、583系は昼間ボックス席で超長距離を想定していない関係上、当初は急行型に分類される予定だったそうな。
- JR東日本は古い特急型は急行に格下げ転用していた。したがって、地方の快速に転用されることはなかった。
- 「くびき野」「あいづ」など、特急形使用の快速列車は急行列車として運行していた。
- 20系客車も。
- ボックスシートの車輌は徐々に普通列車用に転用され、転換クロスシート車に置き換えられたと思う。
- 結局近年はリクライニングシート車が主流となり、接客設備での特急との差が縮まってくる。
- そのうち、違いが停車駅数と所要時間だけになる。
- 供食設備で差別化という手も。
- 振り子式列車の走る線区では振り子式機構の有無でも差別化。
- 「くろしお」に485系が転用された分は急行「きのくに」の電車化に充てていたかも。
- 振り子式列車の走る線区では振り子式機構の有無でも差別化。
- 特急列車はトイレのバリアフリー化、LED案内標示、コンセント設置、普通車の枕設置が史実よりも早く進められ、これらの改造がされない旧式車は急行に転用されていた。
- 特急いなほや北越に2014年まで485系国鉄色を運用し続けるなどありえない。
- 車齢の高い485系などの特急型列車は急行に転用される。
- 特急いなほや北越に2014年まで485系国鉄色を運用し続けるなどありえない。
- 結局近年はリクライニングシート車が主流となり、接客設備での特急との差が縮まってくる。
- 特急が電車化されたのに同一線区を走る急行が気動車のままという現象は起きなかった。
- 457系が秋田や長崎にも進出。
- 「赤倉」はサハシ165を連結していた可能性がある。
- 南海電鉄が「きのくに」用の165系もどきを導入する。
- 急行は特急と違い分割併合もあるから、気動車の急行はなくせないのでは。
- 徹底的な運転区間見直しが行われ、多層建て急行は消滅していたかも知れない。
- それだと急行存続の意義が大幅に減る…。
- 徹底的な運転区間見直しが行われ、多層建て急行は消滅していたかも知れない。
- 「しらゆき」は単独運転になり、特急「白鳥」への格上げも行われずに済んだ。
- 457系の3電源対応をフルに生かせる列車になっていた。
- 10系寝台車の置き換え用として12系寝台車が投入されていた。
- 投入しても14系寝台車と変わらないのでは?
- 地域によっては一般形車両を使う「遜色急行」が走っていた。
列車別[編集 | ソースを編集]
- 特急「東海」「ふじかわ」「伊那路」は急行のままだった。その場合特急「東海」は廃止されず静岡県東部から東京に安く行ける交通機関として定着していた。
- 「東海」はどうかな。新幹線と競合するのでJR東海にとっては目障りで、やっぱりいずれ廃止されたのでは。
- JR東日本がダイヤ調整に応じれば、増発や新宿・成田・大宮直通などで需要を掘り起こせたかもしれない。
- 「東海」はどうかな。新幹線と競合するのでJR東海にとっては目障りで、やっぱりいずれ廃止されたのでは。
- 「あかぎ」「草津」は急行のままだった。
- 高崎線に湘南新宿ライン直通の特別快速は登場しなかった。場合によっては宇都宮・高崎線に普通グリーン車が登場しなかった可能性も。
- 上野-新潟の夜行も「ムーンライトえちご」ではなく急行「佐渡」のままだった。
- 関西ー九州の座席夜行も「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」のままで「ムーンライト九州」「ムーンライト山陽」が存在しない。
- 急行「伊豆」は現在でも存続している。
- 快速「アクティー」や湘南新宿ライン直通の特別快速は登場せず、湘南新宿ライン開業後は池袋-伊豆急下田を直通する急行「おくいず」が設定されている。
- 「湘南日光」が東武直通で復活するかもしれない。
- 特急「踊り子」は「あまぎ」のままだった。
- スーパービュー踊り子やサフィール踊り子のような供食設備やグリーン車が豪華な車両ポジションになる。
- 快速「アクティー」や湘南新宿ライン直通の特別快速は登場せず、湘南新宿ライン開業後は池袋-伊豆急下田を直通する急行「おくいず」が設定されている。
- 成田エクスプレスは急行として登場する。
- 「はるか」も。
- 成田直通なので速達便はA特急のままだったかも。
- なので室内はボックスシートのまま。
- 史実通り特急だったとしてもE259系でも1+1列シートや個室座席を堅持しグリーン車も1+2列シートになっていた。1+1列シートは後にプレミアムグリーン車になっていたかも。
- 東武鉄道の「りょうもう」も急行のままだったかもしれない。
- 半蔵門線との直通運転が挫折しない限り史実通り格上げは行われると思われる。
- 現実の無料急行は準急ってことに。
- きりふり・ゆのさと・しもつけ・尾瀬夜行・スノーパルも急行のまま。
- 快速急行(当然有料)という可能性も。
- 500系リバティは急行として製造され、史実通り快速は廃止。
- JR九州の観光特急の多くは急行として設定された。
- 短距離の特急も急行として設定された。
- 寝台特急「紀伊」「安芸」「つるぎ」「北陸」は急行のままだった。
- 「かいじ」は急行として設定されていた。
- そもそも1986年のダイヤ改正で廃止されなかった。
- 「かわぐち」「みのぶ」「こまがね」も同様。
- そもそも1986年のダイヤ改正で廃止されなかった。
- 北近畿の特急「こうのとり」「きのさき」「はしだて」などは全て急行となっている。
- これらは特急「あさしお」「まつかぜ」のポジションも継いでいるので現実と変わらないのでは?
- 大阪~名古屋間の急行「比叡」は現在まで存続しているかもしれない。
- 名阪間を安く移動できる交通手段として近鉄特急のライバルとなっていた。
- 関西本線経由で湊町(現JR難波)~名古屋間を結ぶ「かすが」も現在まで存続している。
- キハ75系はJR東海とJR西日本の共同設計となり、大阪市内にも顔を見せている。
- むしろ373系の気動車版が導入されていた。
- 快速「みえ」も急行「伊勢」として設定されていた。
- いずれは大阪環状線に乗り入れて大阪・京橋まで直通する。
- 構造上停車時間を確保できないから京橋方面発着は厳しい。新大阪発着の方がまだ現実的。
- 流石に近鉄にボロ負けしてたから良くても運転区間短縮(近鉄と競合しづらい奈良~名古屋とか)では?
- キハ75系はJR東海とJR西日本の共同設計となり、大阪市内にも顔を見せている。
- 「比叡」「たかやま」や北陸線直通の急行が存続しているため、新快速は草津・堅田以遠各駅停車となっていた。大阪-彦根・長浜では急行利用が一般的となっていた。
- 彦根・長浜のベッドタウン化が進まなかった?
- 「比叡」は新快速の利用客や停車駅次第ではむしろ消える可能性があると思う。中京地区と京阪神地区の快速、新快速が米原接続が実現したのはJRになってからとは言え…
- ただ、「比叡」の停車駅が特急並みに絞られてたら新幹線や新快速との棲み分けが上手くいくのかも知れないし上にも書いてる通り近鉄特急の対抗馬にもなり得たかも知れない。
- 「比叡」は新快速の利用客や停車駅次第ではむしろ消える可能性があると思う。中京地区と京阪神地区の快速、新快速が米原接続が実現したのはJRになってからとは言え…
- 彦根・長浜のベッドタウン化が進まなかった?
- 「びわこエクスプレス」も急行「びわこ」として運転されていた。
- むしろびわこライナーのまま。
- 北陸本線の優等列車は急行と特急の2本立てになる。
- 大阪~北陸は特急「雷鳥」と急行「ゆのくに」と言った具合になる。
- 特急「雷鳥」の停車駅は大阪、新大阪、京都、福井、金沢、高岡、富山。(新潟行は更に直江津、長岡、新潟) 急行は現実の特急停車駅に停まる。
- 敦賀・武生・芦原温泉・加賀温泉・小松にも選択停車という形で特急の何本かが停車する。
- 需要を考えると新潟発着列車はそのうち史実通り金沢で分割される。
- 特急「雷鳥」の停車駅は大阪、新大阪、京都、福井、金沢、高岡、富山。(新潟行は更に直江津、長岡、新潟) 急行は現実の特急停車駅に停まる。
- 名古屋~北陸は特急「しらさぎ」と急行「くずりゅう」と言った具合になる。
- ついでに「しらさぎ」の停車駅は名古屋、岐阜、米原、福井、金沢、高岡、富山。急行は現実のしらさぎの停車駅となる。
- 名古屋―米原間の途中停車駅は岐阜ではなく大垣。
- この2駅も選択停車になったりして。
- 名古屋まで行くのは『兼六』なのでは……(米原止まりはくずりゅうでしたが)
- 流石に県庁所在地ガン無視はマズいでしょ。かつての特急は名古屋~京都間の停車駅は岐阜or米原(orどっちも通過)だったから100%岐阜停車で大垣通過。
- 名古屋―米原間の途中停車駅は岐阜ではなく大垣。
- ついでに「しらさぎ」の停車駅は名古屋、岐阜、米原、福井、金沢、高岡、富山。急行は現実のしらさぎの停車駅となる。
- 現実では特急街道と呼ばれてる北陸本線は"優等列車街道"と呼ばれる。
- でも普通列車は現実と同じく使いにくいダイヤのまま。運転本数も少なく521系は新造されないかと。
- 大阪~北陸は特急「雷鳥」と急行「ゆのくに」と言った具合になる。
- 岡山-高松の「マリンライナー」、青森-函館の「白鳥」はそれぞれ急行「鷲羽」、急行「海峡」となっていた。
- 前者は211系の平屋グリーン車と同等の車体・設備を持つ車両が新造され、その車両で運転されていた。これが「251系」辺りを名乗っていたかな?
- 「海峡」は12系客車を使用したかも。
- むしろ14系500番台か721系の2ドア版では。
- 房総方面の特急は今も「急行」のまま。
- 両国発着もまだ残っている。
- 183系は史実の1000番台が0番台を名乗っていた。
- 長崎-佐世保の快速「シーサイドライナー」は急行「平戸」となっていた。
- 中央西線の急行「きそ」「つがいけ」などが存続しているため、セントラルライナーは設定されなかった。
- おはようライナー・ホームライナーなどの通勤ライナー・通勤特急はすべて急行として運転されていた。
- 近郊区間内は定期券があれば急行料金だけで乗車可としていた(着席をどう保障するかが課題だけど)
- 着席を保証するのがライナーの存在意義じゃないか? 多分ライナーはライナーで運転されると思う。
- そもそも特急は現在でも定期券で乗車することができなかった。
- 通勤優等列車のポジションは急行が担っていた。
- 「スワローあかぎ」は急行として運行されたのだろうか。
- 「らくラクはりま」「モーニングEXP」「ミッドナイトEXP」も急行だった。
- 列車名はおはようライナーは「湘南」、中央ライナーは「はちおうじ」、青梅ライナーは「おうめ」ってあれ?
- 近郊区間内は定期券があれば急行料金だけで乗車可としていた(着席をどう保障するかが課題だけど)
- 「たざわ」も電車化はされるが急行のままで、秋田リレーもキハ110改造車でなく急行形気動車で運転され急行扱いだった。あれっ、でもこまちは新幹線直通特急…
- 田沢湖線はいまだに狭軌のまま。
- 流石にミニ新幹線化された際に特急格上げされるはず。
- 田沢湖線はいまだに狭軌のまま。
- スーパー北斗とスーパーおおぞら以外の北海道の特急は急行のまま
- きたみ、なよろ、ノサップ・はなさきは急行となる。