もし坂本九が健在だったら
日航ジャンボジェット機墜落事故で亡くなった坂本九。仮に飛行機に間に合わず(実際に乗り遅れて難を逃れた人も居た)健在だったら。
- 家族揃って芸能活動している
- 初孫の顔も無事拝んでいたことでしょう。
- STVの「サンデー九」は長寿番組となっている
- 当然24時間テレビのSTVパーソナリティも継続されていた。
- tssの「クイズクロス5」も最終回まで司会を務めた。
- 日本音楽界の勢力図はがらりと変わっていた。
- ひょっとしたら、アニソン界にも進出してたかも。
- 一応、坂本九が歌ったアニソンとしては「科学少年ジョニークエスト」の主題歌と「ガリバーの宇宙旅行」の挿入歌があります。
- カバー曲なら「ゆけゆけ飛雄馬」と「ゲゲゲの鬼太郎」がある。
- それに続いて「アンパンマンのマーチ」や「となりのトトロ」「おどるポンポコリン」など、史実では坂本九の死後に発表されたアニソンをカバーしていた。
- カバー曲なら「ゆけゆけ飛雄馬」と「ゲゲゲの鬼太郎」がある。
- 「林原めぐみのハートフルステーション」や「水樹奈々スマイルギャング」等のアニラジの常連ゲスト。
- NHKの歌番組で水樹奈々とのコラボあり。
- 水樹が「上を向いて歩こう」、坂本九が「POWER GATE」をカバーする。
- 水樹奈々(7)と坂本九(9)と数字繋がりで「79」又は「97」といったユニットを組んでいた。
- 中村八大も2010年代まで存命だったら、作詞永六輔、作曲中村八大で「6789」になっていたかも。
- さらに、『クレヨンしんちゃん』や『名探偵コナン』、『ポケットモンスター』などのアニメ映画にも声優としてゲスト出演し、主題歌を歌っていたりもしていた。
- 果てには特撮界にも進出し、『平成ウルトラシリーズ』や『平成仮面ライダーシリーズ』などにも警官or隊長役、主人公の父親役で出演していた。
- さらに『海賊戦隊ゴーカイジャー』にも出演していた。
- もちろん『宇宙戦隊キュウレンジャー』にも出演していた。
- 坂本繋がりで坂本真綾との共演も実現し、伝説になっていたかも。
- 一応、坂本九が歌ったアニソンとしては「科学少年ジョニークエスト」の主題歌と「ガリバーの宇宙旅行」の挿入歌があります。
- ひょっとしたら、アニソン界にも進出してたかも。
- 缶コーヒー「ジョージア」の『明日があるさ』を自ら歌っていた。
- TVドラマ版『明日があるさ』にも出演していた。
- 川崎市の芸術系イベントを自ら引っ張っていた。
- 栗山町に「坂本九思い出記念館」は建たなかった。
- 21世紀に入って以降最低一回はNHK紅白歌合戦の司会をしていた。
- TBSの『オールスター感謝祭』の常連にもなっていただろう。
- 『平成教育委員会』にも最低1回はゲスト出演していただろう。
- 91~93年あたりに出演していた場合、逸見政孝の葬儀に参列し、弔辞を述べていたかも。
- ビートたけしのバイク事故に関して何らかのコメントをしていたかも。
- 91~93年あたりに出演していた場合、逸見政孝の葬儀に参列し、弔辞を述べていたかも。
- 2001年ごろには「クイズミリオネア」に出場していた。
- 『平成教育委員会』にも最低1回はゲスト出演していただろう。
- 「九ちゃんねる」という名前の公式HPを立ち上げている。
- 新し物好きで凝り性だったというから、日本の芸能人初の公式HPになっていたかも。
- 今頃(2012年9月)は、ツイッターにも進出していただろう。
- 九が三の倍数だけに世界のナベアツによってアホになって名前を呼ばれることが多くなる。
- 平井堅と実際に「見上げてごらん夜の星を」を歌っていた。
- 「ミュージックフェア」あたりでやりそう。
- やっぱり紅白歌合戦で共演を果たしていた。2003年が初演、以後何度もデュエットするようになる。
- 「きゅうりのキューちゃん」のCMに出演していた。
- 「きゅうりのキューちゃん」を製造している「東海漬物」のイメージキャラクターとなった?
- 実際、初代CMキャラクターだったらしい。
- 「きゅうりのキューちゃん」を製造している「東海漬物」のイメージキャラクターとなった?
- 「踊る!さんま御殿」に度々出演していた。
- 「さんま御殿」に限らず、「ダウンタウンDX」など主要トーク番組は制覇している。
- ダウンタウンの浜田から「九ちゃん!」とツッコまれる。
- 「マツケンサンバ」に対抗して「サカキューサンバ」をリリースする。
- あれ元ネタがゲイのレビューダンスだから…本人にそっちのケがない限り無いだろう。
- 『心の瞳』が遺作となることはなく、普通に新曲として発表されていた。
- もちろん『誰も知らない泣ける歌』で紹介されることもない。
- 現実ほど学校の合唱曲に選ばれていたかどうかは不明。
- 新曲って・・・心の瞳は普通に生前に発表されてたんだが。
- そもそもリリースは5月だし「懐しきlove-song」のB面曲だし。
- 1990年代以降はアメリカを活動拠点にしている。
- 向こうの大物アーティストとのコラボレーション曲を次々と発表。
- 「速報!歌の大辞テン」ではコメントのみならずスタジオゲストにも呼ばれていた。
- 2009年2月、長女の大島花子が出産したため、孫が出来たととても喜んでいた。
- むしろ娘二人がもっと早く結婚していた可能性が高い。
- 第一子が男の子ではなく女の子になっていた。
- むしろ娘二人がもっと早く結婚していた可能性が高い。
- 主題歌を歌っていた「たんけんぼくのまち」に何らかのかたちで出演していた。
- おそらく、チョーさんの父親役で出演していただろう。
- 子供たちの間で人気が高まり、70年代に自ら司会をしたNHKの「こども面白館」のリニューアル版的な番組が作られて、再び司会を務めていたかも。
- キューちゃんつながりで高橋尚子の応援歌を歌っていた。
- ファンハウスもBMGに吸収されることなく現存していた。
- 2001年にはもちろん「悲しき60歳」を自ら歌ってリバイバルヒットさせた。
- 「ものまねバトル」でツートン青木が物まねした際に「ご本人」として登場していた。
- 事務所の後輩となる西田ひかるを自らの手で育成していた。
- 川崎フロンターレの開幕戦にゲスト(始球式あたり)として呼ばれていた。
- オフィシャルソングを歌い、名目だけではないサポーターとして熱心に応援していたかも。
- 川崎フロンターレ公式(もしくは公認)の「名誉サポーター」になるかも。
- オフィシャルソングを歌い、名目だけではないサポーターとして熱心に応援していたかも。
- 「坂本⑨」ってネタが一部(特に某動画サイト)で流行していた。
- さらにこんな「坂本⑨」ネタも登場。
- 吉幾三、小林幸子などと共にニコニコとコラボし現代の若者に受け入れられる大御所になっていたかもしれない。
- 「チルノと坂本⑨のパーフェクトさんすうきょうしつ」がニコ生で放送され大人気に。
- 21世紀に入って、妻の名前によく似たこの人の存在を知ることになる。
- 場合によっては共演も実現していた。
- ゆかりの地の駅、常磐線・友部駅の発メロがご本人歌唱の発うたになるかも。
- 年取ってもあの親しみやすい笑顔と卓越した歌唱力で、年代超えた不動の人気者になってることだけは間違いない。
- 事故当時人気に陰りが見えていたという話もあり、「そういえばいたよね」って立場だったかもしれない。
- 正直そうかもしれない(でも、きっかけは何であれ、現実ではこれだけ再評価されているのだから、魅力ある人だということは確か)。
- 一時期「あの人は今」状態になるが、何かのきっかけで人気が再燃していた…なんて感じかも。
- 史実で大御所が挙って便乗した小室哲哉プロデュースブームにも乗ってTK曲を歌っていたかも。
- 韓国のBTS「Dynamite」米ビルボードチャート1位になった際に「57年前に坂本九が達成していた」ことで再注目されていたかも
- 事故当時人気に陰りが見えていたという話もあり、「そういえばいたよね」って立場だったかもしれない。
- 「SMAP×SMAP」でSMAPと共演している。
- 「世界に一つだけの花」などのヒット曲を一緒に熱唱する。
- 2002年、FIFAワールドカップのカメルーン代表のキャンプ地として有名になった中津江村の村長(当時)、坂本休と名前が似ているということで共演が実現していたかもしれない。
- 2010年のワールドカップのカメルーン戦ではスタジオにゲスト出演していたかも。
- いずみたくや中村八大の逝去時にはコメントを残していた。
- 葬儀の際に「見上げてごらん夜の星を」や「上を向いて歩こう」を歌っていたかもしれない。
- AKB48やEXILEとも共演し、「AKB48+9」や「EXILE9」といったユニットを結成していたかもしれない。
- 特にAKB48に関しては人気メンバーの柏木由紀が自身の妻と名前が似てるのでそれについてコメントしたり対談が実現したりしていただろう。
- 美空ひばりの葬儀で他の参列者と共に「川の流れのように」を歌っていた。
- 「秘密のケンミンショー」に神奈川ケンミンとして出演していた。
- 「キュー」繋がりでマリオのコスプレをしてゲームキューブ関連のイベントに出ていた。
- 本人がモデルとなった九ちゃんモデルゲームキューブも限定発売されていた。
- 本人がモデルとなったVOCALOID(名称『KYU-ROID』)が発売されていた。
- ニコ動・Youtubeに「九チャンネル」を開設していた。
- 2011年には生誕70周年コンサートをやっていた。
- ステージ(あるいは記者会見など)で「生誕99年コンサートでも歌いたい」と話したかもしれない。
- いかりや長介の葬儀に参列していた。
- 2006年の大合併で新制笠間市が誕生した時は記念式典の主賓として招待され、新しく制定された市歌(史実では笠間市歌は無いらしい)を歌った。
- 没後20年にあたる2005年8月21日に、テレビ東京系列で『上を向いて歩こう口坂本九物語口』が放送されることはなかったかもしれない。
- 尾崎豊の葬儀に参列していた。
- 当然、hideの葬儀にも参列していた。
- 2001年には無事に還暦を迎え、翌年には「九ちゃん60歳の誕生日記念コンサート」をやっていたかも・・・。
- 九の還暦を祝う特別番組も制作されていた。
- アメリカのBillboard Hot 100で初めて1位を獲得した日本人(東洋人)として、アジア人(アジア系アメリカ人も含む)の歌手がBillboard Hot100やBillboard 200で上位にランクインする毎にコメントを求められていたかも。
- 阪神大震災や東日本大震災の復興支援ソングを歌っていた。
- キュー繋がりでハイキングウォーキング・鈴木Q太郎との共演も一度はしていただろう。
- 東京Qチャンネルとコラボしていたかもしれない。
- 神奈川県知事選or国政選挙に最低1回は出馬していた。
- それは多分無い…
- 仮に、後者かつ民主党に在籍していた場合、野党再降格後の民主党代表になっていただろう(坂本が第46回衆議院選で当選していたらの話だが)。
- その場合、史実で党代表になった海江田万里は、別の役職に就いていた。
- 事故に遭った大阪への移動の目的が親交のあった自民党議員の応援だったことを考えると自民党から出ていた可能性の方があったかも。
- もう一度、Billboard Hot 100で1位を獲得している。
- 『水戸黄門』に最低1回はゲスト出演していた。
- ひょっとしたら、佐野浅夫or石坂浩二の後任で水戸光圀を演じてたかも。
- その場合、里見浩太朗のレギュラー復帰はなかった。
- ひょっとしたら、佐野浅夫or石坂浩二の後任で水戸光圀を演じてたかも。
- (史実では死亡の原因となった)日本航空123便墜落事故から奇跡の生還を果たしていた場合、そのことが『奇跡体験アンビリバボー』などで取り上げられていた。
- 一方で『ナショナルジオグラフィックチャンネル』「衝撃の瞬間6」の第5話「日本航空123便墜落事故」で妻である柏木由紀子のインタビューは無かった。
- 代わりに坂本九本人がこれや「メーデー!:航空機事故の真実と真相」シーズン3第3話「御巣鷹の尾根」でインタビューを受け、当時の経験を語っていた。
- 恐怖の30分のせいで仮に生還できてたとしても精神的に厳しかったのでは?(生還した)女性に対して男性は精神的ショックに弱いらしいから。
- 一方で『ナショナルジオグラフィックチャンネル』「衝撃の瞬間6」の第5話「日本航空123便墜落事故」で妻である柏木由紀子のインタビューは無かった。
- 歌手だけではなく司会者としても積極的に活動し、みのもんたや島田紳助ら多くの司会者の仕事をいくつか奪っていた。
- 大橋巨泉の後任として『クイズダービー』の二代目司会を務めていただろう。
- 強力なリーダーシップで番組を仕切るタイプの人ではないから、クイズダービーは違うような。
- 仮に『クイズダービー』の二代目司会に選ばれていたら、番組自体あと少し長く続いたはず。
- 強力なリーダーシップで番組を仕切るタイプの人ではないから、クイズダービーは違うような。
- 大橋巨泉の後任として『クイズダービー』の二代目司会を務めていただろう。
- そもそも、ここやここに書かれている半数以上はこの人がやっていたかもしれない。
- 「家族に乾杯!」や類似の番組に頻繁に出ている。
- 「九ちゃん音頭(またはサカキュー音頭)」という曲が作られて歌っていたかもしれない。
- 「九ちゃん音頭」は実在するが。
- むしろ「九ちゃん音頭」に続く音頭物が次々と発表されていた。
- 「九ちゃん音頭」以降「東京五輪音頭」や「九ちゃんの炭鉱節」、「結構だね音頭」と60年代中は音頭物出してることは出してるんだけどね。
- むしろ「九ちゃん音頭」に続く音頭物が次々と発表されていた。
- 「九ちゃん音頭」は実在するが。
- 「21世紀の歌」の歌詞の通り、21世紀までも歌い続けることができた。
- そして2001年には、「21世紀の歌」の続編が発表されていた。
- 「九(9)」繋がりで「ナインティナイン(99)」がメインの日テレ系「ぐるナイ」で何らかのコラボが実現したかな?
- 「ゴチになります」にVIPチャレンジャーとして出るが、ビリになって自腹する羽目に。
- (実史で)1999年9月9日から日本テレビでナインティナインによるステーションスポット「日テレ式」が流れたが、「九(9)」繋がりで坂本も加わったかもしれない。
- ニッポン放送『オールナイトニッポン』でナインティナインの担当最終回にスタジオに飛び入り参加するとか…?
- 「9」つながりで東京MXテレビのイメージキャラクターになっていたかも。
- 1999年9月9日(またはその前後)に記念ライブを開いていた。
- 史実では2009年9月9日に妻と2人の娘と孫がパーティを開いていた。
- その2009年9月9日にも記念ライブを開いていたかも。
- 史実では2009年9月9日に妻と2人の娘と孫がパーティを開いていた。
- 1985年8月12日に希望通り全日空機に乗っていたら、明石家さんまや逸見政孝とともに日航機事故を回避した人として知られていた。
- 日航機事故の犠牲者を追悼する楽曲を作曲していたかも(ニコニコ大百科にそのような書き込みがあった)。
- さんま同様東京~大阪の移動では新幹線を利用するようになっていた。
- 幼少時にも死者100人超の常磐線桜川橋梁事故を回避しているので、超強運の男として崇められた。
- その称号は日本だけに留まらず全世界で驚きを呼んだ。
- 小室哲哉プロデュースの曲を最低一曲は出していた。坂本九の声質、歌い方は小室哲哉の作る曲とは相性があまり良くなさそうな気がするが。
- VOCALOIDの”中の人”になってたかもしれない。
- 名づけて『Q-LOID(キューロイド)』
- 新しいもの好きだったらしいから、小林幸子あたりに教わってボイス元担当だけではなくボカロPとしての活動も熱心に行っていたかも。
- キャラの被る一部芸能人がブレイク或いはデビューさえ出来ていなかった。
- 歌謡曲+いかにもな笑顔という共通点のある五木ひろしも今ほど知名度がなかった。
- 五木ひろしが売れた頃には歌よりも司会などが中心になっていてキャラは被らないから多分それはない。
- 歌謡曲+いかにもな笑顔という共通点のある五木ひろしも今ほど知名度がなかった。
- (Billboard Hot 100にチャートインした日本人繋がりで)ピコ太郎と共演していた。
- どこかのゲーム会社から、坂本本人を起用したゲームソフトが発売されていた。
- 2020年夏季オリンピックの東京開催決定を心から喜んでいた。