もし埼玉西武ライオンズが○○だったら
西武鉄道が史実よりも早くプロ野球に参入していたら[編集 | ソースを編集]
西武鉄道は当事福岡を本拠地にしていた太平洋クラブライオンズを買収する事でプロ野球参入しましたが、2リーグ分裂時に参入を目指し、ライオンズ買収以外は首都圏の何処かの球団を買収する事でプロ野球参入を考えていました
仮に西武鉄道がライオンズ買収以前にプロ野球に参入していたら
2リーグ分立の時点で参入していたら[編集 | ソースを編集]
- 本拠地は参入当初は後楽園、70年代初頭に所沢に移転
- 少なくともセリーグ時代は巨人、パリーグ時代は南海と西鉄の影に隠れたまま、本格的に強くなるのは70年代中期を待つことになる
- 以下セリーグ、パリーグどちらかに加入した場合
- セ・リーグに加入していたら
- 史実の西日本の代わりに参入している
- 西日本新聞は西鉄クリッパーズの経営に関わり、西鉄の愛称もクリッパーズのままだった
- 巨人戦があるので福岡での試合が全国ネットで放送されていた。
- パ・リーグに加入していたら
- 高橋ユニオンズは加盟しない
- パリーグは太平洋クラブライオンズの経営危機の時まで8球団のままだった可能性もあり
- セ・パ16球団体制が定着した。
大洋ホエールズを買収していたら[編集 | ソースを編集]
横浜スタジアムの建設に西武グループが関わり、西武がホエールズの株を保有していたので可能性は高いかと
- ライオンズの西武買収が無かった場合、80年代初頭に大洋からホエールズを買収、数年後に所沢に新球場を建設して移転
- 空いた横浜スタジアムはロッテオリオンズが本拠地にしている
- 横浜そのままでコクドホエールズになった可能性も。この場合、コクド本社は横浜に。
- 80年代後期にホエールズの黄金時代が到来、90年代後期から巨人・ヤクルト・中日と激しい優勝争いを繰り広げる
- 暗黒時代の阪神の成績が史実以上に悪くなっていた
- 広島カープの成績も芳しいものではなかっただろう。
- 内陸の所沢では当然「ホエールズ」も改称されただろう。
- その場合、狭山湖にちなんで、「レーカーズ」とか。
- ロゴはNBAの「ロサンジェルス・レーカーズ」のデザインを拝借。
- その場合、狭山湖にちなんで、「レーカーズ」とか。
別の年にライオンズを買収していたら[編集 | ソースを編集]
- 1972年オフ
- 西武ライオンズ球場は1972年頃に完成していた。
- プロ野球再編問題はなかったかもしれない。
- 太平洋クラブは史実より知名度が低くなっていた。
- 稲尾和久氏をそのまま監督として、起用していた。
- 前身の西鉄の歴史や伝統を軽視することはなかったかもしれない。
- 1976年オフ
- 西武ライオンズ球場は1977年頃に完成していた。
- (1977年のドラフト会議で江川卓を指名していた場合、)江川卓はすんなりと入団していた。よって、江川問題は起こらなかった。
- 横浜スタジアムの建設に西武グループが関わることはなかった。
- 近鉄は、東大阪市の花園中央公園に「近鉄花園球場」を建設し、そこを本拠地としていた。
- クラウンライターはあまり有名にならなかった。
- 1975年開幕前
- 時期としては一番妥当だったはず
- 江藤慎一が初代監督となりそのまま初代GMとなっていた。
- 鬼頭政一の監督就任はなかった。
- 江川問題は起きず、江川卓は西武に入団していた。
- 江川卓は西武の初期を代表する名選手になっていた。
- 西武山口線の新交通化は1980年頃に実施されていた。
- 8500系の形式名が史実と違うものになっていた
- 近鉄は東花園に新球場を建設しそこを本拠地としていた。
- 西武ライオンズ球場は1975年1月に竣工していた。
- 日本の戦後がこうなっていた場合は十中八九この歴史線を辿っていた。
- その場合、西鉄ライオンズは身売り後に福岡の行政が買収し運営していた。
- 伊原春樹の現役引退が史実より遅れた。
- 横浜スタジアムは1973年頃に完成し、大洋ホエールズは1972年のオフに川崎球場から撤退していた。
- その場合、ロッテオリオンズが川崎球場を本拠地とし、宮城球場を本拠地とすることはなかった。
- 稲尾和久が監督に復帰していた。
- 1978年に西武ライオンズは優勝していた。
- 場合によっては日本一にもなっていた。
- 1978年に西武ライオンズは優勝していた。
- 1979年の最下位は回避できた。
- それでも所沢時代の初期は低迷が続いた。
- 「ぼくらの憧れライオンズ」の西武バージョンが制作されていた。
南海ホークスを買収していたら[編集 | ソースを編集]
西武は一説によると1970年代に当時成績が低迷していた南海ホークスの買収も念頭に置いていたようです。結局は西武がクラウン球団を買収することで南海球団の西武への売却は幻となりましたが、仮に1970年代~1980年代に西武が南海から球団を買収していたら。実を言うと野球史のifでは若干メジャーな世界線です。
- いずれにせよ
- 西武球団は西武ホークスの名称になっていた。
- ソフトバンクがライオンズを買収していた。
- ソフトバンクの球界参入が史実より早まっていた。
- 江川問題はいずれにせよ起きる。
- 西武球団のキャラクターデザインを手塚治虫が手掛けることはなかった。
- 西武山口線の新交通の愛称は史実とは別のものになっていた。
- ライオンズカラーはホークスカラーになるものの史実と変わらないかと。
- チームカラーは青色にはなったんだろうか?。
- 大阪から所沢に移転するのは不可避。
- 秋山幸二と工藤公康が退団することはなかった。
- 王貞治のホークス監督就任はなかった。
- ライオンズの監督に就任していた。
- 東尾修の監督就任もなかった。
- 1999年のホークスの優勝と日本一はなかった。
- 清原和博は他球団へ移籍せずこの球団で現役を終えていた。
- その後コーチを歴任し監督に就任した。
- 薬物所持に走ることもなかった。
- その後コーチを歴任し監督に就任した。
- 1978年オフに買収していたら
- ホークスの暗黒時代は史実より相当早くに終わっていた
- 1982年と1983年の優勝と日本一は史実と変わらず。
- 野村克也はホークスに復帰していた。
- 杉浦忠の監督就任はなかった。
- 根本陸夫の監督就任が史実より遅れていた。
- 広岡達朗はヤクルトの監督を退任した後は阪神の監督に就任していた。
- 阪神は1984年までにリーグ優勝と日本一を達成していた。
- 広岡達朗はヤクルトの監督を退任した後は阪神の監督に就任していた。
- 森祇晶の監督就任は変わらず。
- ライオンズの暗黒時代は史実より相当長く続いていた。
- 1981年オフに買収していたら
- 1982年と1983年の優勝と日本一はなかった。
- 野村克也は現役引退後に指導者としてホークスに復帰していた。
- 森祇晶の後任の監督になっていた。
- ヤクルトと阪神の監督への就任はなかった。
- この場合も広岡達朗は阪神の監督に就任。1984年までに阪神をリーグ優勝と日本一に導いていた。
- 1985年が初優勝に。
- 初の日本一は1986年。
- 1989年は優勝し日本一になれたかも知れない。
- 1988年オフに買収していたら
- ライオンズはこのときにダイエー辺りに身売りされていた。
- いずれにせよソフトバンクに身売りされる。
- 阪急の身売りはなかったかも。
- 阪急の身売りがなかった場合はオリックスの球界参入が史実より遅れた。
- 阪急は現在も球団を所有している場合は近鉄も球団を所有し続けている。
- その場合は2004年の球界再編問題はなく東北楽天ゴールデンイーグルスは誕生しなかった。
- 西武球団の黄金期は1990年代中盤~後半にずれ込んでいた。
セ・リーグに参入していたら[編集 | ソースを編集]
1950年オフに西鉄と西日本を合併する際、合併後は西鉄が当時所属していたパ・リーグで活動を行うことになりましたが、もしこのときに西日本が所属していたセ・リーグに入っていたら?
- チームの愛称はパイレーツになっていたかも。
- 球団自体は「もし2リーグ分立であの球団がもう一方のリーグに入っていたら#西鉄ライオンズ」に書かれている通りになっていた。
- その場合、ホークスは大阪から移転しない。
- 高橋ユニオンズは誕生しなかったか、セ・リーグに入っていた。
- 大洋・広島・松竹は3球団まとめて合併していたかも。
- 或いは経営が安定するためセリーグは8球団のまま存続
- この場合、大映ユニオンズが現在でも存続している
- 80年代のパ・リーグは戦国時代になっていたであろう。
- 黒い霧事件は発生しないか、しても読売新聞がもみ消していた。
- 毎日オリオンズが今も残っている。
- 大映スターズはロッテに買収されてロッテスターズに。
- 松竹ロビンスはパ・リーグへ移動していたかも。
- その場合、大洋か広島のどちらかもパ・リーグへ移籍したかもしれない。
- そして両球団で合併。合併相手が大洋なら実史通り。ただし成績は変わっていたかも。
- 西武は大洋ホエールズか毎日オリオンズの何れかを買収している
2007年の裏金事件の処分がもっと重かったら[編集 | ソースを編集]
史実ではその年の高校生ドラフトの1位・2位指名権剥奪と制裁金のみという比較的甘い処分だけで済みましたが、もっと厳しい処分が課せられていたら?
大学・社会人ドラフトの1位・2位指名権も剥奪されていたら[編集 | ソースを編集]
- 平野将光と藤原良平の両投手は他球団に指名されていた。
- この二人が他球団に入団したところで大勢に影響なし。
その年のドラフト指名権が完全に剥奪されていたら[編集 | ソースを編集]
- 上の二人に加え、武隈祥太、梅田尚通、中田祥多、斉藤彰吾も他球団に指名されていた。
- この中だと武隈が一番影響ありそう。
- その代わり、その年のオフに引退及び自由契約になる選手は減る。
- 特に石井貴あたりは引退を撤回してもう1年現役を続けていた可能性が高い。
- トライアウトで獲得する選手も増えていた。
ドラフトの1位・2位指名権剥奪が複数年にわたっていたら[編集 | ソースを編集]
- 3年間
- くじ引きで競合した菊池雄星はもちろん、中崎雄太、野上亮磨、美沢将も他球団に入団。
- 菊池はともかく野上がいないとなると2012年の西武の順位は多少下がっていたかもしれない。
- そして2013年は菊池と野上がいないため投手陣の駒不足がより深刻に。史実のような開幕ダッシュもなかっただろう。
- 2014年に関しては、負け頭の二人がいなくなるので史実よりはマシなチーム成績になっていた可能性もなくはないが、どっちみち投手陣が駒不足なので史実以上に守りを捨てた打撃偏重型のチーム編成を余儀なくされていただろう。
- っていうか、仮にそうなっていたら投手陣を優先的に指名していたので、浅村栄斗も(下記の5年間の場合は秋山翔吾も)他球団に取られていた可能性高いかと。
- 5年間
- 上の4名に加え、大石達也、牧田和久、十亀剣、小石博孝も他球団へ。
- 牧田がセ・リーグの球団に入団していた場合、2011年のパ・リーグ新人王は伊志嶺翔大か塩見貴洋が受賞していた。
- 流石にここまで即戦力投手の補強が出来ない状態が続いていたらトレードなど別の手段を打ってくるであろう。
- 帆足和幸がFAでソフトバンクに移籍する際、人的補償で投手を獲得していた可能性が高い。
- 2013年8月20日のQVCマリンフィールドの場内アナウンスで小石を大石と間違える事件は起こらなかった。
- 2014~16年はまともな先発投手が岸孝之ぐらいしかおらず(特に岸が故障離脱の2015~16年は投手陣が壊滅状態に)、西武は史実以上の暗黒時代に突入している。
- 野手陣に関しては、この期間は3位以下の指名選手だけでも十分賄えているので史実とあまり変わらない。
翌年のペナントレースで5ゲーム分のペナルティが課せられていたら[編集 | ソースを編集]
- 4位に下がるのでクライマックスシリーズの出場権すら獲得できず。
- 「寛容力」が出版されることもなかっただろう。
- 優勝はオリックス、2位は日本ハム、3位はロッテ。
- CSの結果次第だが、大石大二郎監督は「途中解任劇からの大逆転優勝を実現した名将」として史実よりも長くオリックスの監督を務めていたはず。
- 渡辺久信監督の解任はもっと早かった。
2004年のリーグ優勝&日本一取り消しの処分が課せられていたら[編集 | ソースを編集]
- リーグ優勝は現在のルールを採用しダイエーに。
- 日本シリーズは全試合or第7戦が没収試合扱いとなり中日が50年ぶりの日本一。
- 松坂大輔の「甲子園春夏制覇&日米シリーズ制覇」の快挙から「日本シリーズ制覇」の項目がなくなりファンとしてはちょっぴり残念なことに。
リーグ除名処分が課せられていたら[編集 | ソースを編集]
- リーグは代わりの新規参入球団を募っていた。
- 新規参入の球団が決まらなかった場合、球界再編問題が再燃する可能性大。
- この時点でDeNAが新潟を本拠地に新規参入していたかもしれない。
- 西武ドームは解体されていたかもしれない。
フジテレビジョンが中継から撤退しなかったら[編集 | ソースを編集]
史実では、フジテレビは1979年から西武ライオンズ戦中継を実施し、1994年シーズンをもって、中継から撤退し、2014年頃に再開しました。1995年以降も続けていたら…
- 当然、ナイター中継もやっていた。
- ライオンズファンが史実より多少増えていた。
- パリーグの注目度も、多少は上がっていたかも知れない。
- DeNAが球団を買収したのを機に、ベイスターズ戦の中継を再開していたかもしれない。
- CSテレ朝チャンネルは西武戦を中継しなかったか、もしくは中継していたとしても史実(2017年)より早く撤退していた。
2007年の裏金事件がなかったら[編集 | ソースを編集]
- この年のドラフト会議の高卒新人の1位指名と2位指名の剥奪はなかった。
- 史実で他球団に入団した選手の一部が入団していた。
- 制裁金を科せられることもなかった。
- 2007年のBクラス転落はなく、例年通りAクラス入りを達成できていた。
- 伊東勤がこのときに監督を解任されることはなかった。
- ロッテの監督への就任もなかったか、あったとしても史実より遅れた。
- 渡辺久信の監督就任が史実より遅れていた。
- 2007年はAクラス入りこそ達成するが、CS突破はできなかったと思われる。
- 伊東勤がこのときに監督を解任されることはなかった。
- 2008年は伊東勤監督の下で優勝し日本一を達成していた。
- 伊東勤は西武ライオンズの監督で久々に複数回の優勝と日本一を達成した監督になっていた。
- Bクラス転落は2009年だった。
- 確実に「レジェンドブルーの呪い」と言われた。
- レジェンドブルーに批判的なファンが史実以上に増えていた。
- おそらく伊東勤はこの時に監督を退任。
- 渡辺久信が監督に就任するのは2009年オフ。
- 確実に「レジェンドブルーの呪い」と言われた。
- 2010年は渡辺久信監督の下で優勝し日本一を達成。
- セ・リーグが史実通り中日が優勝していた場合、22年ぶりの日本シリーズのカードになっていた。
- 2013年の渡辺久信の監督退任もなかった。
- 伊原春樹が監督に再任されることもなかった。
- 2014年前半の成績低迷もなかった。
- 最下位を独走せずに済んだ。
- 涌井秀章とエステバン・ヘルマンが退団することはなかった。
- 田辺徳雄の監督就任もなかった。
- 2015年と2016年の成績低迷もなかった。
- 2015年夏の13連敗も回避できた。
- 2015年と2016年の成績低迷もなかった。
- 2014年前半の成績低迷もなかった。
- 渡辺久信は監督を2016年まで続投していた。
- 2016年のリーグ優勝は日本ハムではなく西武だった。
- 辻発彦の監督就任は史実と同じ。
- 2018年の優勝は史実と同じ。2019年も優勝を達成するのも史実と同じ。
- このうちどちらかはCSを突破し日本シリーズに出場、日本一を達成していた。
- どちらもCSを突破し、日本シリーズに出場し、日本一になっていた可能性が高い。
- 2021年の最下位転落も回避できていた。
- 2018年の優勝は史実と同じ。2019年も優勝を達成するのも史実と同じ。