もし岡山県南百万都市構想が実現していたら
「岡山県南百万都市構想」とは、1961年に当時の三木県知事が提唱した、岡山市、倉敷市を中心とした、周辺33市町村との大合併構想。合併期日を1963年1月13日とほぼ決定していたが、調印直前に倉敷市長の失踪により頓挫した-(wikipedia:ja:岡山県南政令指定都市構想より)。

- 倉敷市長は合併推進派の雇った○暴に脅されてたって知ってた?
- 人口は約100万人で、県の人口の半分を有している。
- 人口と面積はでかくなってるが、結局、中身は今と何ら変わってないと思う。
- 日本の首都と勘違いする県民が大増殖する。
- 「大都会岡山」ネタも皮肉半分で史実以上に盛り上がっていた。
- 広島市よりも早く政令指定都市に移行していた。
- 政令指定都市に移行による都市のイメージの向上と、瀬戸大橋開通の弾みによる、交通の結節点の役割の向上と、立地条件の良さで今以上に人口が増加している。
- 区の数は半端ない数に・・・。
- 中央区、倉敷区、西大寺区、児島区、玉島区、宇野区、総社区、都窪区、水島区、御津区・・・
- 玉野区もいれて~
- よく見ろ。玉野区ならぬ宇野区があるからいいんだよ。
- 中央区じゃなくて、いっそ岡山区でもいいような(岡山県・岡山市・岡山区)、やはり駄目か。
- 金光教が「金光区」を推すも、結局鴨方町からの反発もあって浅口区になる。
- 玉野区もいれて~
- 中央区、倉敷区、西大寺区、児島区、玉島区、宇野区、総社区、都窪区、水島区、御津区・・・
- 広島にあるはずの国の出先機関が、岡山にある(一部だが)。
- 今、広島と岡山が松山と高松の関係になってる。
- 吉備高原都市は建設されずに、地下鉄や、都市高速道路建設が推進されている。
- 面積も半端なく巨大なものに・・・。
- 岡山市にプロ野球球団ができていた。
- 「岡山吉備ファオーンズ」(?)
- 「岡山ももブドーズ」
- 木村正明氏「プロ野球チームを作るのは難しすぎるが、サッカーチームを作るのは簡単」
- サッカーチームも1990年代にJリーグに参入していた。
- 「岡山吉備ファオーンズ」(?)
- 岡山県人の妄想癖が暴走癖になっていた。
- 面積も人口も隣の香川県と近い。で、面積で香川県を抜くことを目標にし、邑久郡・赤磐郡・御津郡の諸町と合併交渉に入る。
- 新倉敷駅は作られない。
- 新幹線の運行の都合上、あのあたりに駅を作ることは間違いない。が、玉島駅から新倉敷駅に改称はしなかったかも知れない。
- 西岡山駅?って北長瀬にある貨物駅とかぶるじゃん
- 新幹線の運行の都合上、あのあたりに駅を作ることは間違いない。が、玉島駅から新倉敷駅に改称はしなかったかも知れない。
- チボリ公園は「岡山チボリ公園」として有名になる。
- 当初、その計画だったね、北長瀬に
- 岡山市市制施行記念として作られたため、閉園しても公園になり、ショッピングセンターになることはない。
- 岡山環状鉄道が出来ている。
- 前段階として吉備線を岡山駅の東側へ向くルートに線路を切り替える。
- 続いて、吉備線、伯備線(現実では1982年に電化)を電化。
- 岡山県のテレビ局が香川県との相互乗り入れではなく単独でテレ東系を含めて5局開局している。
- そのかわり香川と徳島が同一放送エリアになっていた。
- 天変地異で四国が南下しない限り、それはない。
- 1970年代に相互乗入れ直後、岡山3局目が独立局として開局。この結果テレビせとうちは広島に開局。
- そのかわり香川と徳島が同一放送エリアになっていた。
- 山陽新幹線~四国新幹線(これが出来ていたであろう。そもそも瀬戸大橋はその構想で作られているので新幹線は走る、ただ香川県についたところで立ち往生するのが現状)、鳥取方面や島根へのアクセスも容易でお隣の兵庫県、岡山県、広島県と連合で気合の入った地区になっていたはず。
- 史実以上に岡山と高松が接近していた。
- 岡山の街に金つぎ込んで倉敷は廃れた。
- そもそも岡山市は水島工業地帯から入るカネ(税金)が欲しかっただけ、合併しなくて良かったよ!(by倉敷市民)
- おそらく公益ギャンブルも欲しかったと思われます。
- そもそも岡山市は水島工業地帯から入るカネ(税金)が欲しかっただけ、合併しなくて良かったよ!(by倉敷市民)
- 出雲~岡山間に特急料金不要の高速鉄道(私鉄)が開通している。
- 伯備線との競争が加熱
- なんか強調したいみたいだけど、どう考えても出雲じゃないだろ。
- 或いは伯備線そのものが私鉄だったかも。
- 津山線・因美線も一体で私鉄として完成している。
- 山陽電鉄も岡山まで延伸されていた。
- 岡山都市高速が開通していた。
- そろそろ本気で建設を考えるべきでは?
- 山陽自動車道の他、岡山自動車道の開通が史実より早まった。
- 岡山自動車道は現実と違って院庄辺りでで米子・松江方面とと智頭・舞鶴方面に分岐している。
- 開通は岡山空港のジェット化による移転と同時期に行われている。
- 岡山空港のジェット化による移転も史実より早まった。
- もちろん高速道路も同時期に開通している。
- 札仙広福ではなく、札仙岡福。
- 音読みは「こうふく」だが、広島と区別するため「おかふく」となる。
- 当然ながら、FM岡山も70年代には既に開局していた。
- 昭和時点で全国的に大規模合併が推進され、平成の大合併はそれほど活発化しなかった。
- 政令市昇格要件の特例は出来なかった。
- 平成の大合併でも「直近の国勢調査で70万人」が目安となっていた。
- 岡山駅南の旧林原所有地はイオンモール岡山ではなく、商業・住居複合の超高層ビルが建っていたかもしれない。
- 上記と矛盾するが協議会に当時参加していた7市20町6村がすべて岡山市となっていた場合、平成の大合併の枠組みが変わっていた。
- 史実では協議会に参加していないが岡山市と合併した建部町は最初から法定合併協議会を設置していた久米南町と合併していた。
- 浅口郡鴨方町と金光町が岡山市に編入されているので浅口市は誕生しなかった。
- 残った寄島町は合併していない里庄町とともに笠岡市に編入されていた。
- 邑久町、牛窓町が岡山市に編入されているので瀬戸内市は誕生しない。
- 長船町は備前市との合併を選択していた。
- 平成の大合併ではなく備前市市制施行時に長船町も備前市と合併していた。
- 長船町は備前市との合併を選択していた。
- 現実の赤磐市は赤磐郡山陽町を除いた赤坂町・熊山町・吉井町の3町で合併していただろう。ただし市の人口要件に達しないため「赤磐町」として発足していた。
- 昭和町(現実では1972年に総社市へ編入)はそのまま町制を維持していた。
- 岡山vs倉敷は同一市内での対立となるが、そんなに倉敷が大きくならないのでそこまで盛り上がっていたかは微妙。
- 但し、児島は特に瀬戸大橋線開通後は岡山陣営についていただろう。高梁川西岸も倉敷派というわけでもなく独立志向だったかもしれない。