もしあの企業が○○だったら
独立項目[編集 | ソースを編集]
- もしあの小売店が○○だったら
- もしあの鉄道会社が○○だったら
- もしあのコンビニエンスストアが○○だったら
- もしあの電機メーカーが○○だったら
- もしソニーが○○だったら
- もしアップルが○○だったら
- もしソフトバンクが○○だったら
- もしあの自動車メーカーが○○だったら
- もし任天堂が○○だったら
- もしあの企業が倒産しなかったら
映画[編集 | ソースを編集]
大映[編集 | ソースを編集]
「多羅尾伴内」シリーズが製作されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 片岡千恵蔵は永田雅一と対立の末、東横映画(後の東映)に行くことはなく、日本映画全盛期の大映の重鎮スターとなっていた。
- 長谷川一夫は大映に来ることはなかった。
- 永井豪が『キューティーハニー』を描くことは無かったかもしれない。
- 松尾伴内は別の芸名になっていた。
ダイエーのグループ会社だったら[編集 | ソースを編集]
- 大映の倒産は史実通り。それを徳間書店ではなくダイエーが再建に乗り出す。
- 映画不況の煽りを受けてダイエーの経営破綻が5年ほど史実より早まっていたかもしれない。
- 結局2000年頃に再倒産するというのは変わらず。
- 仮に残っていたとしてもイオングループの提示する経営再建策では、切り離しが求められていた。
- 日活と張り合っていたポルノ映画シリーズについての評価は最悪なものとなっていたかもしれない。
- 親会社が主婦受けを狙って、こういう評価を下すように圧力をかける。
- OMCカードの大映映画ご優待デーがあった可能性もある。
- レディースデーみたいなもん。
- 大映ユニオンズは存続し、ロッテを吸収していた。
- 後に福岡に移転し、「福岡大映ユニオンズ」となる。現在は「福岡ソフトバンクユニオンズ」。
- ホークスはサントリー辺りに身売りされていた。もちろん本拠地は現在まで大阪のまま。
- ダイエーとガメラがコラボしてたかも知れない。
- 大映劇場がダイエーのショッピングセンターに入居する例があった。
日活[編集 | ソースを編集]
戦時中に他の映画会社と統合しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 大映は生まれなかった。
- その後の東横映画・大泉映画→東映という系譜も存在しない。
- 史実で日活と合併した新興キネマは、戦後に親会社の松竹に吸収されていた。
- 戦後に片岡千恵蔵、市川右太衛門と石原裕次郎、小林旭の共演による映画が作られていた。
- 長門裕之・津川雅彦兄弟は子役時代から日活にずっと居座っていた。
- 高倉健は日活ニューフェースとしてデビューした。
- 他の映画会社同様ニューフェース制度投入の時期が早まり、よって宍戸錠は第一期でなくなる。
- 「幕末太陽傳」(映画製作再開三周年記念作品)は作られなかった。
東映[編集 | ソースを編集]
怪獣映画を作っていたら[編集 | ソースを編集]
日本の大手映画会社の中で東映だけが怪獣映画を作っていません。(「怪竜大決戦」や「恐竜・怪鳥の伝説」は実在やおとぎ話の中の巨大生物の出てくる作品なので怪獣映画ではない)
- 「赤影」や「キャプテンウルトラ」「ジャイアントロボ」に正義の怪獣が登場した。
- 東映が矢島信男だけでなく、多数の特撮監督を抱えていた。
- 後年、仮面ライダーが人気怪獣と戦う作品が作られた。
- 原作名義が八手三郎ならSH大戦かスペスク辺りでスーパー戦隊やメタルヒーローと共演していた。
通信[編集 | ソースを編集]
KDDI[編集 | ソースを編集]
IDOとDDIセルラーの住み分けが無かったら[編集 | ソースを編集]
KDDIの携帯電話事業は、統合以前は関東・東海地区のみ日本移動通信(IDO)、それ以外はDDIセルラーグループと住み分けていましたが、もし住み分けがなく全国へ向けて展開されていたら…
- 日本移動通信(IDO)が全国展開していた場合
- アナログはハイキャップだけを扱っていた。
- DDIセルラーも同様に全国展開。ただし1.5GHzデジタル。
- あるいは、DDIセルラー自体がIDOに統合されていた可能性も。
- 日本テレコムと日産自動車は合弁の「デジタルツーカー」で全国展開。
- KDDは日本高速通信(Teleway)と合併しなかった。
- KDD+DDI+IDO=KDDIDO。決してKDDIにはならなかった。
- むしろ別の枠組みで合併していた。
- DDIセルラーが全国展開していた場合
- アナログはTACSだけを扱っていた。
- KDDIとトヨタ自動車の関係はそこまで深くはなく、Pipitもなかった。
- 「関東セルラー電話」・「中部セルラー電話」が設立されていた。
auがW-CDMA方式を採用していたら[編集 | ソースを編集]
auはドコモ・ソフトバンクとは異なる通信公式を採用していますが、もしauもドコモ・ソフトバンクと同じ方式を採用していたら?
- 海外ローミングももっと普及していた。
- 2000年代中に、キャリア主導ではなくメーカーが思い思いに端末を作るスタイルに移行していた。
- よって日本でもSIMフリーの時代がやってきた。
- mineoはそれ自体なかったか、W-CDMA形式でもっと早く発売されていた。
- 仮にSIMフリー時代が来なくても、iPhoneやBlackBerryなどがauから発売される可能性があった。
- よってスマートフォンのラインナップが史実以上に充実していた。
- au版iPhoneは発売されました。
- というわけでau版iPhoneは史実より早く実現していた。
- au版iPhoneは発売されました。
- よってスマートフォンのラインナップが史実以上に充実していた。
- パナソニックやNECあたりは同一機種を3キャリアに納入し、端末開発のコストダウンが進んだ。
- スマートフォンの普及に伴い、他の端末メーカーでも同じ現象が見受けられるようになる。
- カシオのソフトバンク参入も史実より早期に行われた。
- うまくいけばドコモへの参入もあったかも。
- 本当に参入したみたいです。
- うまくいけばドコモへの参入もあったかも。
- 充電器が3キャリア共通で使用できるようになっていた。
- KCP+もなかった。
- パナソニックはドコモ向けやソフトバンク向けと同じLinuxベースのOSが使用された。
- シャープもドコモ向けと同じSymbianベースあるいはソフトバンク向けと同じ自社製のOSが使用された。
- ソニーエリクソンもドコモ向けと同じSymbianベースのOSが使用された。
- それでもKCP+は開発されていた可能性もある…と思う。
- EZアプリの開発言語は他キャリアにならってJavaが使用された。
- BREWはもってのほか。
- それでも「WIN」ブランドで展開していたであろう。
- 通信インフラの整備は完全にゼロからのスタートとなったため、auにおける3G携帯の普及は史実よりも時間が掛かった。
- おそらくドコモがFOMAを普及させるのと同等の時間が掛かったものと思われる。
- イーモバイルがCDMA2000方式を採用した可能性もあった。
- LTE採用も史実より早く決定し、UMBは採用計画も無かった。
- Qualcomm&米政府激怒。米国資本系携帯電話会社が強引に日本参入し、ツーカーとJ-PHONEが椅子取りゲームで弾き出されて撤退。
- Vodafoneも参入。
- ソフトバンクが参入する場合、アメリカ資本のどこかの会社を買収していた。
- その場合はスプリント買収が早まっており「アメリカ放題」も史実より早く始まっていた。
日本電信電話[編集 | ソースを編集]
最初から地域分割で民営化されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では一旦全国1社で民営化→しばらくして東西分割という経過をたどりましたが、民営化議論の際にJRのように地域分割する案もあったそうです
- NTTコミュニケーションズやドコモは東西出資という形になっていた。
- 市外通話料金のほかに東西間で域外料金が発生したかも。
- しばらくしてすみ分けがはかられるが次第にNTT東西で競合するようになるかも。
- NTT上場時の株価があんなに高くならなかった。
楽天[編集 | ソースを編集]
携帯電話事業の参入が史実よりも早まっていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実では、2020年に正式サービスが開始されましたが、2000年代後半か2010年代に開始されていたら…
- イー・アクセスの買収を機に参戦していた。
- 三木谷浩史社長は実際に買収を検討していたらしい。
- プロ野球において、ソフトバンクと楽天の試合が携帯電話会社同士の対決としてより注目されていた。
アイピーモバイル[編集 | ソースを編集]
サービスを開始していたら[編集 | ソースを編集]
アイピーモバイルは高速データ通信の参入を目指して周波数の割り当てを受けるも、資金難により2度の延期を経て最終的に断念となりました。もし、サービス開始に漕ぎ付けていたら・・・。
- イー・モバイルと競争になっていた。
- ドコモなどのLTEサービス開始は史実より遅れた。
運輸[編集 | ソースを編集]
ヤマト運輸[編集 | ソースを編集]
今や宅配業界トップのヤマト運輸ですが、会社設立当初は都内の百貨店への配送を行ってましたが、『大和運輸』2代目社長の小倉昌男が当時、『郵便局と国鉄でしか扱ってなかった個人出し荷物の配送にビジネスチャンスがある』として、開発したのが宅急便です。ところが、宅急便が開発・全国展開するまでには、色々な紆余曲折が有りました。もし、実史と違う展開になっていたら?
昌男氏が肺結核で死去していたら[編集 | ソースを編集]
- 戦後間もない1949年に当時死の病と言われた肺結核に罹るも、完治して業務復帰しました。もし、亡くなっていたら。
- ヤマト(大和)運輸は、未だに百貨店への配送を行う中小の配送業者のままだった。
- 下手すりゃ、バブル崩壊時、持ってもリーマンショックで倒産していたかも。
宅急便全国展開の認可が降りなかったら[編集 | ソースを編集]
- 1976年に関東地方で開始した宅急便、全国展開する為に監督官庁である『運輸省(現:国土交通省)』に路線免許の申請をするが、「既存業者の反発」などを理由になかなか認可せず、これに業を煮やしたヤマト運輸が橋本龍太郎運輸大臣を相手に裁判を起こし、結局ヤマトが勝訴し、宅急便の全国展開を果たしました。もし、この時にヤマト運輸が敗訴していたら?
- 個人荷物の集配は、郵便局独占になっていたか?(国鉄は実史通り貨物取り扱いを廃止。)
- 実史の小泉総理による「郵政民営化」時に、「ゆうパック株式会社」設立。
- 土休日・正月三が日は、未だに集配をしない。
- むしろ国鉄は小荷物輸送を廃止しなかったかも。場合によっては鉄道郵便も廃止されなかったかもしれない。
- 荷物車は旅客転用されず123系はなかった。場合によってはクモハ84も。
- 荷物輸送の名目が残るので夜行列車は衰退しなかった。
- 民営化の際に荷物輸送は旅客会社か貨物会社のどちらに帰属させるかで揉めていた。(荷物列車は旅客列車扱い。)
- もしかしたら、佐川急便か日本通運が、(民間の宅配業界)でトップになっていたか?
- しかし、シェアでは「ゆうパック」に及ばない。
- あるいはamazonあたりがドローンを用いて独自に配送を始めていた。
- いずれにしろヤマト運輸が成功するまで民間企業が宅配便事業をやるのは無理というのが当時の業界の常識だったから既存の物流企業が始めるのはあり得なかったと思われる。
- 日本の物流の中心はいまだにJRを中心とする列車貨物が主流。
- JR各社は旅客よりも貨物が中心になっていたかも。
- 国鉄末期の貨物合理化はなかった。
- 別府鉄道などの廃止はなかったかも。
- 2010年代末期になって物流業界が人手不足に陥ることはなかった。
- よって、物価も現実ほどには上がらなかった。
- 翌日配送なんて夢のまた夢。目的地に荷物が届くまで一週間以上かかるのがあたりまえ。
- いわゆる貨客混載は史実通りのはず。
- メール便は、完全に郵便局独占になったかも。
- クール便やスキー宅配便も誕生せず、これらを専門に扱う業者が誕生したかもしれない。
- 空港宅配便なるものも無く、スーツケースを持ったまま、手荷物受取場からバス乗り場や駅まで移動している。
- 成田空港等で、周辺のホテル利用者限定で送迎サービスに付随する程度はサービスは有るだろう。
- (実在のヤマト便相当の)大型荷物は、日本通運と新潟運輸が独占的に扱っていたか…。
いずれにしても言えること[編集 | ソースを編集]
- アニメ映画「魔女の宅急便」は存在しなかった。
- ヤマト運輸の社名は「大和運輸」のままだったかも。
- 日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」は、未だに佐川急便がスポンサーになっていた。(佐川急便は、実史上ではゴールデン移行当初のみスポンサーに付いていた。)
- 佐川急便のCMにTOKIOが出演している。
- 黒猫のマークの知名度は低い。
- 「黒猫」と言えば、1969年に発売された皆川おさむの「黒猫のタンゴ」か、悪い事が起こるというイメージだった。
日本郵政[編集 | ソースを編集]
地域ごとに分割民営化されていたら[編集 | ソースを編集]
2007年より郵政民営化に伴い発足した「日本郵政グループ(JPグループ)」ですが、これが国鉄・JH・電電公社のように地域ごとに分割民営化されていたら?
- 会社名は「○○郵政(JP○○)」になっていた(○○は地域名)。
- 日本郵政そのものはNTT本体のように持株会社になっていた。
- 分割民営化後「鉄道会社に名前が似ていて紛らわしい」と利用者から苦情が殺到。
- 国会で分割方法について審議されていた。
- まず東日本と西日本は確定。それ以外はどうなっていたことか?
- 北海道・東北・関東・東京・南関東・信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州・沖縄の13地区があるので、信越までが東、残りが西だろうか。
- NEXCO流に3分割なら、北海道・東北・関東・東京・南関東が東、信越・北陸・東海が中、近畿・中国・四国・九州・沖縄が西といったところか。
- 各社でコーポレートカラーが設定されていた。
- 最も郵便局らしい「赤」は、これの影響で東京を管轄する会社が使用する事に。
- 大阪を管轄する会社はJRと同じく青色になっていたと考えられる。
- ポストの色が各社のコーポレートカラーに塗り替えられていた。
- 最も郵便局らしい「赤」は、これの影響で東京を管轄する会社が使用する事に。
- 社をまたぐ郵送だと追加料金が取られていた。
- 「中継料」などと名付けられていたかも。
- 葉書は基本料金(50円)のものと、追加料金込(50円+追加料金)のものとが販売される様になっていた。
- ダイレクトメールの送付先も都市部に集中するようになる(例えば東京電力のダイレクトメールは青森から送付しているがこれが東京になるだろう)
- 「ゆうパック」「エクスパック500」などのサービスの名称が各社でバラバラになっていた。
- 小包のラベルデザインも(百貨店のラベルみたいに)各社でバラバラになる為、現場の社員が混乱する。
- 会社を跨ぐと料金が高くなるなんて事になっていたら間違いなくヤマトや佐川に完敗していた。
- JR同様、関東エリアを抱えている会社だけが資金力豊かに。
- 豊富な資金力を背景に、都心の郵便局を次々と超高層ビルに建て替えはじめる。
- 建て替え後の東京中央郵便局の高層階が本社になっていた。
- 豊富な資金力を背景に、都心の郵便局を次々と超高層ビルに建て替えはじめる。
- 一方、過疎地域を管轄する会社では、コスト削減の為に次々と郵便局が閉鎖される事態に…。
- 配達用の車は全て大都市圏を管轄する会社からのお下がり。
- 社員が一人しかいない「ワンマン郵便局」まで登場。それでも厳しい経営が続く。
- 「北海道郵政」と「JR北海道」及び地元自治体の協力で、JRの無人駅に郵便局が入る。(実史も道内のJR駅に入っている郵便局がある。)
- 2020年代になると現実に存在しない「郵便局がない自治体」や「自治体丸ごと交通困難地(配達不可地域)」が続出したかも
- ゆうちょ銀行の通帳も地域別になってしまうので、引っ越しなどの時に処理が面倒なことになっていた。
料金体系がヤマト運輸と同じになったら[編集 | ソースを編集]
「料金体系だけが同じになったら」というお題ではありません。よって、商品の内容を一部改変することを認めます。
- 封筒は80円または160円
- 速達料金は100円
- メール便は普通郵便みたいに投函だけなので、書留(受取人に手渡し)が必要ならゆうパックにしなければならない。
- 引受時刻証明も同じ。
- 植物種子の10円引きは廃止。
- 点字郵便物の有料化。
- ハガキの規程がなくなる(ハガキは信書ではない)。
- つまり便利になるのは封筒だけ。
レターパック350・500の名称改称がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 増税時にはそれぞれ「レターパック360・510」になっていた。
- デザイン変更は案外この増税時にされたかもしれない
ゆうパックに信書送付可能だったら[編集 | ソースを編集]
- 4kgを超える書類を送るときに便利になる。
- 第一種郵便物(封筒)より安い場合にも便利になる(めったにないけど)
ふみカードが存続していたら[編集 | ソースを編集]
- いずれIC化、電子マネー化され、ICふみカードという名前になっていた。
- キャッシュカード一体型のふみカードが登場していたかも。
- 現在登場予定の「mijica」を日本郵政完結型で行った感じのものになっていた。
- 最終的にはJRグループのICカードと共通使用できるようになっていたかも。
郵便はがきが距離別料金になったら[編集 | ソースを編集]
- 地域で分割していたらありえた。
- いちいち料金を確認しないといけないので郵便ポストが使われなくなる。
ゆうパックが全国均一料金だったら[編集 | ソースを編集]
- 同業他社が猛抗議するのは必至。
- 日本郵便の利益が少なくなるので、日本郵政の物流部門になっていたかもしれない。
- エクスパックやレターパックは無かった。
金融[編集 | ソースを編集]
SBI[編集 | ソースを編集]
ソフトバンクグループから離脱しなかったら[編集 | ソースを編集]
SBとは「ソフトバンク」という意味でしたが、孫正義との経営方針に疑問を持ち離脱しました
- ジャパンネット銀行にヤフーが参画せずPayPay銀行になることはなかった。
- 金融基盤がないNTTドコモが買収したかも。(NTTが出資したことがあるため)
- 史実より早く「経済圏」という概念が生み出され、顧客に対し有利になっていただろう。
- そのかわりPayPay開始時の大盤振る舞いはなかったかもしれない。
日興コーディアル証券[編集 | ソースを編集]
不祥事で上場廃止されていたら[編集 | ソースを編集]
- 日興コーディアル証券が嫌われる事はなかった。
- まあいずれにせよ嫌われてはいただろうけど、現実ほどではないってことだろう。
- 社長は当然×××された。
- 山一、三洋と同じ道をたどってたかもしれない。
- 川崎フロンターレのマスコットである、ふろん太と一緒にピーカブーが並ぶことは無かったであろう。
帝国銀行[編集 | ソースを編集]
分割されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 当然現在三井住友銀行とみずほ銀行が誕生していなかった。
- その後帝国銀行は三井第一銀行に改名していた。
- 帝銀事件の影響でイメージが悪化したのが理由だったと思われる。
- 1960年代に富士銀行(資金量2位)と日本勧業銀行(資金量7位)が合併しそれに便乗し三菱銀行(資金量4位)、三和銀行(資金量5位)と合併し三和三菱銀行が誕生していた。
- 1980年代に入り住友銀行(資金量3位)が、関東地方を営業基盤とする太陽銀行を吸収合併していた。
- バブル期に神戸銀行・大和銀行・協和銀行が合併し、神和銀行となっていた。
- それと同時期に埼玉銀行・東海銀行・北海道拓殖銀行が合併し、東洋銀行となっていた。
- 1990年代中盤に東京銀行と三井第一銀行が合併しさくら銀行となっていた。
- 同時期に三和三菱銀行が東洋銀行を吸収合併しUFJ銀行となり、東洋銀行はわずか4年足らずで消滅することとなる。
- 2000年代にはいり富士勧業銀行と太陽住友銀行が合併し、安田住友銀行(SYBC)になる。
- 同時期に神和銀行が、あおぞら銀行・横浜銀行と合併しつばさ銀行となる。
- へいわ銀行(現実の平和相互銀行の後身)を存続会社として安田住友銀行を逆さ合併し安田住友銀行と改名する。
- 史実通り、わかしお銀行(1996年に経営破綻した太平洋銀行の後身)を存続行にしていたと思われる(住友銀行が太陽銀行を吸収した事で、太平洋銀行との繋がりが出来た為)。
- 東都銀行と朝日銀行(現実のりそな銀行の前身とは別)が、東京の地方銀行として現存していた。
- 第一勧業銀行が誕生しなかったので第一勧銀グループも誕生せず、旧第一銀行をメインバンクとしていた古河三水会・川崎睦会・第一原子力グループが三井グループに吸収される。
- IHIは名実共に三井グループに。
- 1月26日は慰霊祭が行われる。
- 信託銀行、生保、損保、証券の業界再編も史実とは大きく異なっている。
芸能[編集 | ソースを編集]
エイベックス[編集 | ソースを編集]
松浦勝人が本当にavexを退社していたら[編集 | ソースを編集]
2004年の夏、avexのドン松浦勝人は当時の社長との意見の食い違いなどもあり突然退社を発表し世間を騒がせましたが、松浦を特に慕う浜崎あゆみが「松浦についていく」的発言をしたこともあり、稼ぎ頭を失いたくなかったavexが丸く治め、結局そのまま残りました。(いわゆる「avexお家騒動」)
もしあの時、そのまま退社していたら・・・
- avexはイエローキャブのようになっていた。
- ディスコミュージックに原点回帰していた可能性もあり。
- 所属アーティストの大部分が松浦レーベルに移籍。avex本体は弱小レーベルに転落。
- 2008年にソニーと契約を打ち切られたAKB48の移籍先がキングレコードではなくavexになっていたかもしれない。
- この場合、SUPER☆GiRLSなど「iDOL Street」は誕生していないか、松浦レーベルから誕生したか。
- 浜崎の賞レース撤退はなかった・・・か?
- 紅白歌合戦出場は2009年に途切れていた。
- 倖田來未はavexに残り、安室奈美恵は松浦レーベルに移っただろう。
- 当然「のまネコ」騒動に巻き込まれる事も無かった。
- 2chなどで恨み節を叩かれる事もなかった。
- 小室哲哉が保釈金も用意できず、もちろん賠償金も払えず詐欺事件での有罪が確定していた。
- 況やAAAに作品提供をや。
- いやどっちみち有罪は有罪だって。ただ執行猶予ではなく5年~7年位の実刑判決を食らって服役しているって事でしょ。
- この責任は松浦?avex?
- 依田巽はもちろんavexに残ったので、ドリーミュージックの会長に就任しなかった。
- GIRL NEXT DOORはは誕生しなかった。
- ピコ太郎はどっちに移籍していたかで分離した二社のその後が決まるかも。
- 規模的に俳優やスポーツ選手のマネジメントまで受け持っていただろうか・・・
ホリプロ[編集 | ソースを編集]
倒産していたら[編集 | ソースを編集]
ホリプロは舟木一夫の事務所独立や所属タレントの無免許運転発覚と海外事業の失敗で2度の倒産危機があり、後に和田アキ子が所属して以降業績を立て直したわけですが、この時、本当に倒産していたら?
- 1度目で倒産していたら、和田アキ子はこれほどビッグになったかどうか?
- TBSテレビ『アッコにおまかせ』自体も放送が無かったかも。
- 当然、『ホリプロスカウトキャラバン』も開催が無かったので、同キャラバン出身者の人生も変わっていた。
- 榊原郁恵は、渡辺徹との結婚後、専業主婦になっていたかな。息子が芸能界入りしたかどうかも微妙なところ。
- 渡辺徹との結婚自体も怪しい。
- 榊原郁恵は、渡辺徹との結婚後、専業主婦になっていたかな。息子が芸能界入りしたかどうかも微妙なところ。
- 伊奈かっぺいは、「ホリプロ」から、タレント活動のマネジメントを依託されなかった。
その他[編集 | ソースを編集]
ロッテ[編集 | ソースを編集]
日本でも韓国並の企業規模だったら[編集 | ソースを編集]
- 日本にもロッテホテルやロッテ百貨店が存在した。
- 千葉ロッテが巨人並に金にものを言わせた大型補強をしている。
- 千葉の浦安には「ディズニーランド」ではなく「ロッテワールド」が出来ていた。
- んで、こうなる。
- もしディズニーランドが関西に出来ていた場合、ユニバーサルスタジオジャパンは中京圏か福岡にできていた可能性が高い。
- んで、こうなる。
- 現在ではネット右翼によって槍玉に挙げられている。
- ロッテリアはゼンショーに身売りされなかった。
電通[編集 | ソースを編集]
存在していなかったら[編集 | ソースを編集]
- 日本に真の言論の自由が存在した。
- 真の言論の自由だったら広告会社なんてあっちゃいけないんですが…
- ただし、ある程度は自由にはなる。
- 有名な「鬼十則」がブラック企業で都合よく利用されることもなかった。
- 「100日後に死ぬワニ」の最終回直後の急速なメディア展開に電通が関わっているという噂は立たず、「電通案件」と呼ばれることはなかった。
博報堂と合併したら[編集 | ソースを編集]
- 新社名は「電王堂」。
- 仮面ライダー電王の第一スポンサーだな。
- しょっちゅうコラボCMやってたりして。
- 業界2位(3位より昇格)のADK(アサツーディ・ケイ)との差が離れる(電王堂の1/6)となるため、より寡占が心配される。
日本の中規模広告会社の一つだったら[編集 | ソースを編集]
- 世界一なのに知名度低いなんていう矛盾はなくなる。
- 叩かれることは史実より少なかった。
- もっとも右巻きの人しか叩かない。
- そもそも『なんたらかんたらが日本人の言論の自由を束縛している』なんて話題にはなりにくい。
- そもそも規模が小さいので韓流ゴリ押し・AKB猛プッシュなども(少なくとも1社では)できないのでは?
- 日本人中心の広告会社もそれなりの規模で存在し得る。
タマホーム[編集 | ソースを編集]
もし、ビバリーヒルズにタマホームを建てたなら[編集 | ソースを編集]
- 某CMのようにビバリーヒルズにタマホームを建てたならあなたはどう思う?
- タマホームの知名度が高くになる。
- 軌道に乗って「Tamahome America」なるアメリカ支部が出来るか???
- それに便乗して、他の住宅メーカーもこぞってアメリカに進出する?
- アメリカの家と様式が異なるので、目立つ、と言うよりも浮く。
大塚家具[編集 | ソースを編集]
もし2015年の株主総会が大塚勝久社長側の勝利だったら[編集 | ソースを編集]
- 大塚久美子は退任後匠大塚のような家具会社ではなくコンサルティング会社を設立したかも。
- 匠大塚は設立されないので西武春日部店閉店後、大塚家具の春日部ショールームが移転していた。
- よって、老朽化とは言っても2018年に創業の地から撤退する事態にはならなかっただろう。
- その後の業績悪化は史実ほどではなかったかも。
- ヤマダ電機の傘下になることもなかった。
ミズノ[編集 | ソースを編集]
SPEEDOとの契約を2007年以降も続けていたら[編集 | ソースを編集]
北京オリンピックを目前に控え、SPEEDOの新作水着「レーザーレーサー」が世界記録を次々と塗り替え、物議を醸しています。日本では長らくミズノがSPEEDOとライセンス契約を結んでいたが、2007年に終了しました。
もし、ミズノとSPEEDOの契約が更新されていたとしたら・・・
- ミズノ(SPEEDO)との契約を希望する日本選手が後を絶たず。
- これでミズノはウハウハ、一方のアシックス・デサントは現実以上の苦戦を強いられる。
- 山本化学工業の知名度が上がることはなかった。
- 北島選手らもまたすんなりとレーザーレーサーを着用できた。
- 日本水連による水着自由化もなかった。
- ゴールドウインも地味なまま。
- それまで通りellesseをぼそぼそと売るしかなかった。
ナムコ[編集 | ソースを編集]
独自ハードのゲーム機を発売していたら[編集 | ソースを編集]
ナムコは94年に独自ハードのゲームを発売し、ゲーム機戦争に参入する予定でしたがソニーが開発したプレイステーションの完成度を見て、ナムコはPSのソフト開発に専念することになります。
仮にソニーがゲーム業界に参入せずナムコが独自ハードを開発していたら、またナムコがそれでも独自ハードを発売していた場合どうなっていたでしょうか?
プレイステーションが発売されなかった場合[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも史実のソニーのps系ハードの役割を担うかも知れない。
- プロジェクトクロスゾーンは発売されない。
- スターフォックスアサルトを開発したのはセガのソニックチームだった。
- 史実ではナムコの風のクロノアのスタッフが中心になって開発した
- バンダイを併合したナムコがワンダースワンの後継機を開発してDSシリーズに戦いを挑む。
- トライフォースは任天堂とセガの共同開発になっていた。
- いや、「3社共同開発」の意味合いも含めたネーミングなのでカプコンかKONAMI辺りがナムコの代わりに加わっている。
- 2社共同の場合はそもそも「トライフォース」という名前は付けられなかったかも知れない。
- 「マリオカートアーケードグランプリ」を開発したのはセガになり、パックマンの代わりにソニックや桐生一馬が参戦していた。
- ゲハでは婿中と呼ばれていた。
- ドンキーコンガは発売されなかった(このゲームを開発したのはナムコだったので)。
- あるいはナムコの代わりにKONAMIが開発していた。
プレイステーションが発売された場合[編集 | ソースを編集]
- リッジレーサーが発売されないのでプレイステーションの売上が大幅に低下する。
- 最悪psの本格的普及はバイオハザードの発売までずれ込むはず。
- 下手するとナムコハードとpsが共倒れになっていたかも?
- 少なくともどちらかが96年までにハード事業をたたんでいた可能性があった。
ガイナックス[編集 | ソースを編集]
『王立宇宙軍~オネアミスの翼』製作後に解散していたら[編集 | ソースを編集]
ガイナックスは第1作『王立宇宙軍~オネアミスの翼』製作後に解散する予定でしたが、同作品が赤字であった為経営を続けざるをえなくなり、現在に至ります。ではもし無事黒字を達成したとして、その次点で「ガイナックス」が解散していたら?
- 庵野秀明は宮崎駿との師弟関係が縁でスタジオジブリに移籍していたかも知れない
- トップをねらえが無いのでαシリーズがかなり地味になる。
- プリンセスメーカーも無いので、育成SLGジャンルがかなり地味になる。
- ワンダーフェスティバルはゼネプロ主催のままで大阪開催となる
- 当然『新世紀エヴァンゲリオン』は存在しない。
- 『天元突破グレンラガン』も存在しなかったので、トリガーが設立されることはなかった。
- 庵野秀明曰く「エヴァはガイナではなく別の会社で作るつもりだった」らしいので、別の会社で作られていただけであとは同じかもしれない。
- ただし新劇場版及びカラーが存在したかどうかは限りなく怪しくなる。
- 井口昇は「電人ザボーガー」ではなく、「愛國戦隊大日本」を劇場版でリメイクしていた。
- BOØWYの「MARIONETTE -マリオネット-」のPVをガイナックスが制作することもなかった。
KADOKAWAグループ[編集 | ソースを編集]
ライトノベルレーベルの再編が起きたら[編集 | ソースを編集]
現在KADOKAWAグループは11のライトノベルレーベルを保持していますが、もし何らかの理由で再編が起こったら?
- 少なくとも「電撃文庫」「富士見ファンタジア文庫」の名前が消えることとなり、オールドラノベファンが涙を流す。
- 恐らくレーベル名は「角川○○文庫」になるので、結局スニーカーの名前も消滅することになりそう。
- 一方女性向けは角川ビーンズ文庫の名前が存続する。
- 小説家になろうやカクヨムの文庫化作品に新しいレーベルが設けられる。
- もしかしたらこれが電撃やファンタジアの名前を継ぐことになるのかもしれないが、オールドラノベファンからの反発は避けられなさそう。
- 次は漫画の再編が起こるのではないのかと言う噂が漫画ファンを中心に起こる。
- KADOKAWA大賞(仮)の受賞枠が大きく広げられる。
- 「電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」(少なくとも「電撃」名義ではなくなるだろうが)にハルヒ、デート・ア・ライブの十香、バカテスの秀吉が参戦する。
- 当然「ファンタジア文庫大感謝祭」や「mf文庫 学園祭」のイベントも統合される。
川崎重工業[編集 | ソースを編集]
川崎市に本社を置いていたら[編集 | ソースを編集]
- 企業名の「川崎」は川崎市に由来するとされる。
- 創業者と地名の両方を社名の由来にする企業だった。
- 川崎市は現実以上に重工業の街となっている。
- 鉄道車両の工場も神戸ではなく川崎にできた。
中島飛行機[編集 | ソースを編集]
川西清兵衛が飛行機研究所の経営権を掌握していたら[編集 | ソースを編集]
1919年に中島飛行機の前身である飛行機研究所で創立者の中島知久平と出資者の川西清兵衛の間で路線対立が発生しました。史実では中島派が勝利し、敗れた川西派は会社を去り川西航空機を設立しています。
- 中島知久平は「技術者として」有名になっていた。
- 鉄道大臣には就任していなかった。
- 史実で彼がGOサインを出した弾丸列車は着工すらされていなかった。
- 鉄道大臣には就任していなかった。
- 飛行機研究所は社名を「川西航空産業(仮)」みたいな社名に改め、結局兵庫県に軸足を移していたかも。
- 関東バスは進運乗合自動車が設立されない為、史実のような富士重工のショーウィンドウの役割もなく車両比率も京王バスと同じくらいだった。
- 川西航空産業を抱えていた川西財閥は史実の中島飛行機のように徹底的に解体されていた。
- 富士重工が存在しない為スバル360もなく、庶民への自動車普及は遅れていた。
- 自動車があまり普及せずモータリゼーションが起きなかったかもしれない。
- 史実だと旧中島飛行機以外は自動車製造で技術提携に頼らず独自開発を行う能力を持ちえなかった為、戦前存在した日本ゼネラル・モータースや日本フォードの工場が返還され、復活していた可能性もある。
- 中島知久平と鉄道省の関係が存在しない以上、川西航空産業は戦後鉄道とのかかわりがなく、レールバスや軽快気動車の歴史も大幅に変わっていた。
- 軽快気動車大手は東急車両製造、日本車両製造、新潟鐵工所辺りになっていた。
- LE-CarやLE-DCがないため新潟鐵工所が最大手として破綻を避けられていたかもしれない。
- LE-Carがないため名鉄はレールバス試験を行っておらず、ローカル線電化廃止をとらなかった。
- 日本車両製造は1955年頃にレールバス事業に参入していた。(史実では2003年に富士重工からモオカ14形気動車製造を引き継ぎ軽快気動車製造に参入)
- LE-CarやLE-DCがないため新潟鐵工所が最大手として破綻を避けられていたかもしれない。
- 軽快気動車大手は東急車両製造、日本車両製造、新潟鐵工所辺りになっていた。
- 富士精密工業が無いため、たま電気自動車は高速機関工業との合併を選んでいた。
- その後の東急くろがね工業設立は史実道理だが日産工機への改称ではなく日産への合併になっていたかも。
- 日産プリンスならぬ日産くろがねが出来ていたが、史実とは逆に愛知機械工業系の日産チェリーに飲み込まれていた。
- 愛知機械工業もプリンス自動車がない以上、史実よりも発言権が強くなっていたかもしれない。
- その後の東急くろがね工業設立は史実道理だが日産工機への改称ではなく日産への合併になっていたかも。
- 関東自動車工業が無いためトヨタの東北地方拠点化はもっと早いうちに行われていたかもしれない。
サッポロビール[編集 | ソースを編集]
新潟工場が建設されたら[編集 | ソースを編集]
新潟県北蒲原郡聖籠町にある新潟東港では、工場建設のために、自社の広大な所有地がありました。しかし、工場は建設されませんでした。もし建設されたら…
- 早くても、1980年代後半に完成していた。
- 1990年代前半の可能性もある。
- 「新潟限定ビイル 風味爽快ニシテ」はここで生産されていた。
- 史実通りにサッポロビール園ができていた。
- 新潟聖籠スポーツセンターアルビレッジは別の場所で建設されていた。
- ただし、名前は「新潟ビール園」になっていた。
- アルビレックス新潟のスポンサーになっていたかもしれない。
- 聖籠町の人口が少し多くなっている。
- 川口市にある埼玉工場の閉鎖が史実よりも早まっていた。
Plott[編集 | ソースを編集]
創立当初からアニメ事業に参入していたら[編集 | ソースを編集]
Plottは元々ファボという社名で2017年に創立し、バーチャルYouTuberのチャンネルを運営していましたが、2019年にアニメ事業に参入し、社名を変更しました。もし最初からアニメ事業に参入していたら?
- Plottが作ったアニメは史実よりも2年早く出ていた。
- メディアミックスもその分早くやっていた。
- 2017年には1期と言えるテイペン、カレコレ、フラグの三本柱が登場。
- テイペンはキラメイジャーではなくルパパトとコラボしていた。
- ルパパト本編にパンダかシャチモチーフのギャングラー怪人が登場していたかもしれない(ペンギンはもう既にいる)。
- テイペンはキラメイジャーではなくルパパトとコラボしていた。
- けものフレンズのパロディなんかもやっていた。
- PPP辺りは確実にネタにされる。
- 2018年には2期と言えるヤルミナ、エマエマ、ブラチャンの三本柱が登場。
- ブラックチャンネルも史実より早く世に出ていた。
- オリジナルアニメももう少し長く続いていた。
- 令和改元時には全てのアニメで盛大にネタにしていた。
- 「テイペンをアニメ化するために創立したアニメスタジオ」と言われる。
- ただし2020年に入ってからどのアニメも史実以上にマンネリ化が酷くなり、最悪アニメ事業から撤退していた可能性も否めない。
- 武田華はヒープリを待たずしてブレイクしていた。
- ヒープリ本編でネタにしていたかも。
セガ[編集 | ソースを編集]
ハード事業の撤退があの時期だったら[編集 | ソースを編集]
史実での事実上撤退は2001年です。
1980年代後半[編集 | ソースを編集]
- 原因はおそらくセガ・マスターシステム。
- 北米だけでなくヨーロッパでも爆死していたら間違いなくこうなっていた可能性大。
- それよりも欧州地域で家庭用ゲーム機の普及が遅れており、市場的に明るくなるのは任天堂が欧州支店を設けたついでにシェア拡大するようになるまで待つしかなかった。
- 北米だけでなくヨーロッパでも爆死していたら間違いなくこうなっていた可能性大。
- 下手すればブラジルでの販売もなく、ブラジルを含めた南米における家庭用ゲームの普及率がかなり低くなっていたかもしれない。
- となると、Tectoy社はかなり地味な会社になっていたかも…。
- メガドライブはおろか、ゲームギアも存在せず。
- ソニックはスーパーファミコンかPCエンジンのどちらかで発売されていた。
- 史実においてメガドラで発売していたソフトの多くはスーパーファミコンかPCエンジンで発売されていたか、或いは発売すらされなかった。
- ソニックはスーパーファミコンかPCエンジンのどちらかで発売されていた。
1990年代前半[編集 | ソースを編集]
- ソニック・ザ・ヘッジホッグが大ヒットしていなかったらである。
- メガドライブ撤退と共にゲームギアも生産中止。
- セガサターンが存在しないので、第5世代ゲーム機はプレイステーションの一人勝ちに。
- NINTENDO64が史実でのサターンのポジションに収まっていた。
- 3DOの寿命がもう少しだけ延びていた。
- 『サクラ大戦』が存在したか怪しい。
- 『バーチャファイター』や『パンツァードラグーン』などはPSか64で発売されていた。
- せがた三四郎は登場すらせず。
- 当然のことながら『デスクリムゾン』は存在しない。
- 海外市場(主に欧米)でのメガドライブ(ジェネシス)が販売の面で大コケしていたらこうなっていた可能性大。
1998年[編集 | ソースを編集]
- 当然ながら、ドリームキャストは発売されなかった。
- 撤退理由は海外市場でのサターンの不振が響いたため。
- 湯川専務は登場すらしなかった。
すかいらーく[編集 | ソースを編集]
全店舗をガストに転換していたら[編集 | ソースを編集]
かつてグループの店舗を順次ガストにする予定でしたが(バーミヤン→チャイナカフェ・ガスト、夢庵→おはしカフェ・ガストなど)いつのまにかなくなった
- ガストのイメージは強まっていた
- もしかしたらさらに格安の「Sガスト」の展開も続いていたかもしれない
- すかいらーくをガストに社名変更する可能性はあったか
ジョナサンを関東以外にも積極的に展開していたら[編集 | ソースを編集]
ジョナサンは現状、東京・千葉・埼玉・神奈川・茨城・山梨・静岡にしか展開していません。もしガストのように全国に展開していたら?
- 「ジョジョの奇妙な冒険のジョナサン・ジョースターはファミレスのジョナサンから名付けられた」という説が未だに広く信じられていた。
- バーミヤンみたいに大量閉店に巻き込まれていた。
コナミ[編集 | ソースを編集]
ピープルを傘下にしなかったら[編集 | ソースを編集]
マイカル破綻時にはグループ会社のピープルがコナミに売却されて「コナミスポーツ」となりました。もしコナミへの売却がなかったら?
- やはりというかピープルはマイカルを傘下にしたイオンに買収される。
- 「イオンスポーツクラブ株式会社」に改称され、イオンリテールからスポーツクラブ事業を譲渡されていた。