もし弾丸列車が○○だったら
完成していたら[編集 | ソースを編集]
昭和18年に工事が中断され、戦後東海道新幹線として実現された弾丸列車が、戦争で工事が中断されず何らかの形で実現していた場合を想定。
太平洋戦争が起こらなかったら[編集 | ソースを編集]
- 予定通りであれば昭和29年に完成。
- その頃はテレビ放送は開始しているので、当時はトップニュースとして紹介された。
- ラジオ・ニュース映画・新聞・雑誌など他のメディアもこのニュースで持ちきりだった。
- 名前に「弾丸」が付く便乗商品も無数に現れた。
- その頃はテレビ放送は開始しているので、当時はトップニュースとして紹介された。
- 軍が主張していた通りなら、静岡以西は「あじあ」号のパシナ形を上回る高規格蒸気機関車の牽引。アメリカで180km/hの蒸機列車があったそうだから、不可能ではないと思う。
- ただ、予定されていた鈴鹿越えは蒸機列車では不可能であり、そうなるとルートは現実の東海道新幹線と同じく米原経由になっていた、あるいは関西本線ルートになっていた可能性もある。
- 別のパターンとして、東海道区間は結局当初より電機牽引になった可能性もある。
- 山陽区間は現実の山陽新幹線よりもカーブが多く、高速走行には不適。蒸機牽引を前提とした設計であるためだが、航空機に乗客を奪われる度合いは、現実の新幹線より高かったと思われる。
- 高度成長期以降、山岳区間を長大トンネルの新線に置き換えるなどしていたかも。
- 赤穂線や加古川バイパスのルートが一部変更になっていたかもしれない。
- 2018年7月の西日本豪雨でも甚大な被害を受けていたかもしれない(史実の山陽新幹線よりもトンネル区間が少なく切取や盛土といった区間が多いため)。
- 下関では関釜連絡船と接続。朝鮮総督府鉄道や満鉄と間で客車・貨車の航送が行われた可能性も高い。
- 朝鮮海底トンネルは検討されながらも、軍の主張どおりだと到底建設できないため頓挫。
- 建設されるとなると、下関(もしくは博多)で釜山方面と長崎方面・鹿児島・沖縄・台湾方面へ分岐。
- 九州方面はおそらく鹿児島までしか想定していなかったと思われる。
- 例:沖縄・台湾方面への鉄道連絡船が存在したことはない。
- 一方大陸方面では京城・平壌どころか満洲国に入り新京orハルビンまで計画される。
- 奉天あたりで分岐して北京(北平?)までの路線も計画された。
- 九州方面はおそらく鹿児島までしか想定していなかったと思われる。
- 建設されるとなると、下関(もしくは博多)で釜山方面と長崎方面・鹿児島・沖縄・台湾方面へ分岐。
- 結局は戦後に「蒸気機関車は時代遅れ」と言う風潮で全線電化される。
- だから「戦後」という表現はないでしょ……ディーゼル機関車へ移行した可能性も考えられなくはないが。
- 1960年代中盤には電化されていた。
- 正史の東海道線全線電化は1956年。それ以前にも電化も進んでいたため、電化開業の可能性大。
- 東海道線全線電化が僅かながら遅れていた。
- 並行する狭軌在来線である東海道線は1960年ごろまでには全線電化されていたが、弾丸列車の本格的な電化が始まるのは東北本線全線電化後の1973年ごろからであった。
- 正史の東海道線全線電化は1956年。それ以前にも電化も進んでいたため、電化開業の可能性大。
- 東京~大阪間は現実より時間がかかっていた。
- おそらく2009年現在4時間程度かかっていたと思われる。
- 徐々に高速運転が可能になっていった。
- 東京-大阪では航空の、名古屋-大阪では近鉄のシェアがもっと高くなっていた。
- 羽田-伊丹の航空路線にはオール2階建てのA380も導入されていた。
- 近鉄の名阪ノンストップ特急も廃止されなかった。
- あるいは弾丸列車とは別に高速新線が戦後計画され、それが「新幹線」と呼ばれるようになっていた。
- 弾丸列車は東海道経由だったことから、「新幹線」は中央新幹線のルートだったかもしれない。
- もしかしたら史実みたいに高速で運行する日があったかもしれない。
- おそらく2009年現在4時間程度かかっていたと思われる。
- 現在の東海道・山陽新幹線のルートに近い弾丸新線が建設されていた。
- リニアモーターカーの研究が早まった可能性もある。
- どっちにせよ、世界初の高速鉄道であることを威張れた。
- 「新幹線」という呼び名は計画段階での鉄道省内の呼称にとどまり、一般や海外には「弾丸列車」「Dangan train」で定着していた。
- 英語名は意訳した"Bullet Train"が広まっていたような気がする。
- 「新幹線」という呼び名は計画段階での鉄道省内の呼称にとどまり、一般や海外には「弾丸列車」「Dangan train」で定着していた。
- 1963年4月から12月の間、阪急京都線は一部運休していた。
- 史実ではその間は東海道新幹線の線路を借りて列車の運行を行っていた。
- 「戦争がなかったら」京阪新京阪線のままじゃね?
- その時点で弾丸列車は完成していた可能性が高いと考えられる。ルートによっては史実よりも早く阪急京都線(あるいは新京阪線)が弾丸列車の線路を走っていた可能性はあるが。
- どこかしらのタイミングでTGVのような動力集中型列車に切り替えていた。
- 史実でも最初から機関車を使うはずだったが…。
- 弾丸列車は直流で電化されたため交流電化の研究が進んでいない。
- 弾丸列車の非電化区間は蒸気機関車からディーゼル機関車へ置き換えられ、さらに交流電化に。
- 交直流対応の高速電機or電車?
- むしろ高速長距離の運行には交流高圧の方が効率がいいことを見越して、交流電化の研究を急いでいたかも。
- 弾丸列車の非電化区間は蒸気機関車からディーゼル機関車へ置き換えられ、さらに交流電化に。
- 貨物列車も運行されていたため日本の鉄道事情は大きく変わっていた。
- 省線→国鉄の郵便・貨物事業は史実ほど廃れなかったかもしれない。
- 重厚長大方面は史実通り衰退していった気がする。
- 並行する狭軌在来線の貨物列車は史実よりもさらに減少していた。
- 重厚長大方面は史実通り衰退していった気がする。
- 省線→国鉄の郵便・貨物事業は史実ほど廃れなかったかもしれない。
- もしかしたら、東北新幹線版弾丸列車も計画するかもしれない。
- 東京側のターミナル選定過程で実際に北方への延伸も考慮されていた。
- 最近になって沖縄や台湾経由も計画する。
- だが巨額の建設費に見合う需要が期待できないため実現はほぼ絶望的。
- 基本計画路線はかなり違っていた物になる。
- もしかしたら第二東海道新幹線が史実で言う東海道新幹線の立場になっていたかもしれない。
- ルートは品川-橋本-新御殿場-富士宮-新静岡-天竜-岡崎-名古屋-四日市-亀山-伊賀-奈良-新大阪辺りか?
- 新線建設はスピードアップの妨げになりそうな部分だけになっていたような気がする。
- ルートは品川-橋本-新御殿場-富士宮-新静岡-天竜-岡崎-名古屋-四日市-亀山-伊賀-奈良-新大阪辺りか?
- 後に史実通り品川駅が設置されていたか?
- その前に当初案から土壇場で外された熱海・福山の両駅が設置された。
- 高速道路も史実より早く開業していた。
- 一度は脱線事故があったかもしれない。最悪死者が出ていた。
- ゴジラに弾丸列車を破壊するシーンがあっただろう。
- 弾丸列車の経済で昭和の大合併も大規模になっていたかもしれない。
- 市町村合併の大きな動機になるのは自治体の財政困窮なのでむしろ合併成立数は減っていたのでは。
- 菊名や東淀川に市電が乗り入れていた。
- 列車名はおそらく漢字表記。
- 「金鵄」「敷島」「扶桑」といったような国粋色の強い名称が採用されていたかもしれない。
- 「燕」がこちらにコンバートされた可能性も低くない。
- ドイツ、フランス、アメリカ、ソ連など諸外国も次々と高速鉄道の開発に乗り出す。
- 東京以北への延伸に備え北満あたりに実験線が建設された。
- 弾丸列車の浜松駅は在来線浜松駅に併設とはならず、現実の新幹線よりも南側を通るルートになっていた。
- 現実の東海道新幹線を寝台特急や貨物列車のために複々線化するなら浜松駅付近は現実の新幹線の南側に併設するはず。
- 弾丸列車用新線の通信方式もケーブルではなくハエタタキ型電柱と何本もの裸電線で行われていた。
- 軍事物資や兵員の輸送に使うことも想定された。
- 演習などで実際に弾丸を運ぶ列車も運転される。
太平洋戦争が起こっていたが、工事が中止されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 昭和30年代には他の復興事業と共に完成。戦災を受けた部分も多かったと思われる。
- 軍の反対も無くなった為、弾丸列車計画時代から携わった島秀雄の案が採用されれば、現実の新幹線と同じ電車方式の高速列車が運行された可能性もある。
- 山陽区間の規格が変更されなければ、上に同じ。変更されたとしても東海道新幹線の規格並みになった可能性はある。
- 西宮市街を通過する為に、騒音にハルヒが激怒して史実通りに新幹線ルートに変更
- その頃谷川先生産まれてないから・・・。
- でもキョンが「坂道以上に耐えられない」とうんざりしてそう。
- 騒音問題のおかげで、西宮七園の一角である甲陽園や苦楽園の開発は現実より進まなかった可能性はある。
- その頃谷川先生産まれてないから・・・。
- 小郡町が山口市から分離しなかった。
- GHQに「旅客鉄道なんかこれからの時代流行らないだろ」と言われ、その対策で貨物関係設備の計画を充実させる(史実で貨物支線用の構造物を作ったように)。
- 恐らく工事中に空襲にやられ、完成も遅れる事に。
- 少なくとも1954年の開業予定には開業していないと思われる。
- 東京五輪には余裕を持って開業。
- 1964年に一気に博多まで開業かな?
- 場合によってはかなりアメリカナイズされたものになっていた。
- 「各種電気設備→GE、鉄骨→USスチール、旅客サービスのモデル→ニューヨーク・セントラル鉄道」というようにアメリカ資本がかなり絡んでいた。
- 列車自体もアメリカの大陸横断鉄道と見まごうような車両が使われていた。
- しかし徐々に日本化されてゆく。
- ただし車両形式は米ソ折衷型に向かう。
- 「ALWAYS 三丁目の夕日」の劇中で何らかの重要な役割を果たしていた。
- 終戦と同時に計画が東京-博多間に修正される。
- 列車に乗った朝鮮人達が日本列島を侵略し、それを
自衛隊日本兵が防衛する。- 鉄道で突撃できたのは1920年代までの話。
- 朝鮮戦争やベトナム戦争で鉄道が前線を押し上げるのに直接役立った話など聞いたことがない。
- むしろ朴正煕あたりが韓国への弾丸列車の延長を目指そうとして韓国国民に叩かれるというほうがまだありそう。
- 鉄道で突撃できたのは1920年代までの話。
- 「Hearts of Iron IV」で日本のNFに「弾丸列車整備」があった。
- 弾丸列車がプラレール第1号になっていた可能性大。
- タイミング次第では最速列車の愛称が「こだま」になっていた。
- 下位列車として「つばめ」が流用されていた。
- 「ひかり」は史実の「のぞみ」ポジション。
- 万一民間資本での建設になっていたらその後の日本鉄道史がどうなっていたか想像もつかない。
- 史実でも東急の五島慶太などが「日本鉄道」を設立し民間で弾丸列車を完成させようとしていた。
- 少なくとも国鉄民営化が史実通りの枠組みということはまずありえない。
- 元から国策で作られ、戦後も国家規模の路線であることからどちらにしろ国鉄になっていた可能性が高いかと。
東京以北も計画されていたら[編集 | ソースを編集]
- こうなると10時間以上は掛かっていたかもしれない。
- 終点はオハ駅だろうか?
- 最北でも豊原駅だろう。
- 史実の東北新幹線とは違う停車駅を計画していたのは間違えなくある。
- 例えば、埼玉県の候補設置は大宮駅、浦和駅となっていた。
- 結局大宮駅になっていそう。
- 仙台市内はもちろん新仙台駅として候補。
- 史実の長町駅が新仙台駅になっていた。宮城野貨物駅は弾丸列車の貨物駅として開業していた。
- 那須塩原駅は黒磯駅に設置候補。
- 青森市内は青森駅か。
- 青森駅だとスイッチバックするので、やはり新青森駅になっていた。
- 史実の青森操車場あたりに新青森駅が出来ていたかもしれない。
- 青森駅だとスイッチバックするので、やはり新青森駅になっていた。
- 基地設置を見越して東鷲宮駅が早期に開業する。
- 白石ではなく丸森線ルートを通ったかも。
- 阿武隈急行線は存在しなかった。
- 白河・白石・古川あたりは当初駅が設置されなかったかもしれない。
- 例えば、埼玉県の候補設置は大宮駅、浦和駅となっていた。
- まず大雪でダイヤが乱れるので、大雪でも強い列車として開発するだろう。
- 標準軌のキマロキ編成などが検討される。
- 反対運動は無かったかもしれない。しかし戦後、東北新幹線として計画復活するとやはり反対運動が起きる。
- 用地を返還しなければあっさり建設に踏み切れるだろう。
- 青函トンネルは戦前から着工されていた。
- 宗谷トンネルも着工されるが、ソ連に奪われて計画は断念に。
- 最近になって宗谷トンネルを再び計画をするかもしれない。
- 南稚内・抜海・幌延に1435mm軌間と1520mm軌間の台車交換設備が設置される。
- 最近になって宗谷トンネルを再び計画をするかもしれない。
- 宗谷トンネルも着工されるが、ソ連に奪われて計画は断念に。
- 新函館駅が現実通りの位置なら渡島郡大野町は函館市に合併された。
予定ルートが異なっていたら[編集 | ソースを編集]
- 中央本線沿いのルート
- 起点はやはり東京駅。新宿駅が乗り換え駅となる。
- リニア中央新幹線と違い、停車駅も沢山あったはず。
- それでも開業当初は高速運転を意識して停車駅は少なめ。県庁所在地クラスにしか駅が設置されなかった。
- 名古屋駅と新大阪駅は史実通りか。
- 下記のように奈良経由となったら後者は淀川より南に計画される。
- やっぱり三重県・奈良県経由か?
- 戦後に中央新幹線として計画され、戦前と同じルートで計画された場合は京都市が揉める事に…。
- 東京から佐久平までは史実の北陸新幹線と同じルートで、佐久平から西は松本―木曽谷―中津川―美濃太田―岐阜―米原―京都―新大阪のルートとなり、名古屋市内は経由しない。
- 戦後に中央新幹線として計画され、戦前と同じルートで計画された場合は京都市が揉める事に…。
- 東海道新幹線はリニア新幹線として計画されていた可能性がある。
- あんなカーブするようなルートにはならないはず。
- 後に、新駅として三鷹駅、大月駅、恵那駅が設置されていたかもしれない。
- 場合によっては上諏訪駅に通す計画があったかもしれない。
- 「軍部の圧力で艦砲射撃を避けるために内陸ルートになった」とまことしやかに語られていた。
- 艦砲射撃を避けるために内陸ルートになったのだとしたら変電所などが艦砲射撃で破壊される恐れが無いため当初から全線電化されていた。
- 当初の電化区間は軽井沢までで以西は非電化となっていた。
- 艦砲射撃を避けるために内陸ルートになったのだとしたら変電所などが艦砲射撃で破壊される恐れが無いため当初から全線電化されていた。
- 高速運転のためには南信ではどうしても長大トンネルを連続して作らざるを得ず、当時の土木技術ではかなりの難工事となっていた。
- トンネル着工の準備が出来ていれば、戦後に中津川線に相当する在来線が開業していた可能性もある。
- 赤石山脈ぶち抜きは確実に無理だが、少なくとも塩尻峠は越えないとならない。
- 後の第二中央新幹線は赤石山脈・木曽山脈を貫いていた。
- 戦局悪化までにトンネル工事がある程度以上進んでいたら未完成のトンネルが工場や国宝の疎開先として使われた。
- 史実の北陸新幹線のルート
- 大宮駅ではなく浦和駅に停車するつもりだったかもしれない。
- 敦賀駅以南もとっくに決まっていた。
- 恐らく京都駅ルートか。
- 湖西線が建設されない代わりに江若鉄道が健在。
- 恐らく京都駅ルートか。
- 後に戦後北陸新幹線として計画されると名古屋市内は「何故、名古屋に新幹線を通らせない」と猛反発を受けていた。
- 結果的には東海道新幹線として計画される事に。
- 戦前に掘られたトンネルが北陸本線の新線切り替えに利用された
- 東京駅~高崎駅は言うまでもなく北陸新幹線のルートになっていた。
- 上越新幹線の開業時期は…史実通りか。
- 高崎駅は前橋駅付近が最有力されていたかもしれない。
- 横軽はアプト式のまま廃止。
- 弾丸列車が通るはずだった用地を利用して新線が作られていた。
- 「この経路では東海道本線・山陽本線の負荷軽減には役立たない」などと諸方面で非難された。
- 軍部も「ソ連が攻めてきたらすぐ破壊される」と難色を示していた。
- 少なくとも直江津をスルーすることはなかったと思う。
- 東北方面への路線が分岐することが想定された可能性あり。
- 軽井沢までは電化する事が最初から決まっていた。
計画されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 東海道新幹線開業は数年遅れていた。
- 用地買収費も史実より高騰し国鉄の赤字が膨らんでいた。
- 分割民営化が10年早かったかも。
- 起工式の時点で新丹那トンネルに坑口があるということはなかった。
- 新幹線と言う地名も存在しなかった。
- 現実の東海道新幹線が鈴鹿山脈を避けたように、工期短縮を名目に御殿場回りで建設されていた。
- 1964年東京五輪ではなく1970年大阪万博を開業時期の目標にしていたかも。
- 東京-名古屋の開業は史実と同じ1964年10月1日だが、名古屋-新大阪の開業は大阪万博直前の1970年3月1日にずれこんでいた。
- 用地買収費も史実より高騰し国鉄の赤字が膨らんでいた。
- 日本坂トンネルは戦後になってから開通した。
- 東淀川駅は開業していない。
- 国鉄の広軌化を主張していた島安次郎はペテン師呼ばわりされていた。
- 代わりに現行路線の複々線化やローカル線兼用のバイパス路線の建設など地味な輸送力増強策が実行された。