もし日本国有鉄道が○○だったら
独立項目[編集 | ソースを編集]
- もし国鉄が分割されずに民営化していたら
- もし国鉄の分割民営化が○○年早かったら
- もし国鉄の分割民営化が○○年遅かったら
- もしJRの会社区分が○○だったら(分割民営化の区分けはこちらで)
- もし日本国有鉄道が存続していたら
- もし赤字83線の段階でローカル線を全廃していたら
- もし1976年の国鉄運賃50%値上げがなかったら
- もし国鉄時代○○に鉄道管理局が置かれていたら
- もし国鉄・JRが急行を維持していたら
- もしあの区間に国鉄が連絡船を運航していたら
- もし一本列島が国鉄時代に実現していたら
設立されなかったら[編集 | ソースを編集]
- いまだに鉄道省が存続していた。
- 流石に小泉内閣で国交省に統合or日本鉄道公社を経て民営化だろう。
- 独立採算ではないので赤字垂れ流しでもそれほど問題になっていない。
- 鉄道建設が実史以上に進む。
- RAIL WARS! のストーリーが変わっていた。
- 労働組合は現実通り活発だが、動労は設立されなかったかもしれない。
- 日本専売公社、日本電信電話公社も国の直営だった。
- 公共企業体という概念もなかった。
支社制度が廃止されなかったら[編集 | ソースを編集]
1957年に支配人制度を再編して北海道・東北・関東・中部・関西・四国・西部(後に九州支社に改称)の支社(1959年新潟・中国・四国を分離、1964年東海道新幹線支社設置)を設置したが、組織肥大を招いていると国会などで批判を受けて1970年に廃止された。
- 国鉄民営化の際に支社の枠組みで分割されていた。
- ただし規模が小さすぎるなどの理由で1959年に新設された新潟(関東支社から分離)、中国(西部支社から分離)、四国(関西支社から分離)の各支社は分離前にもどされていた。
- 東海道新幹線支社は山陽新幹線開業時に新幹線支社に支社に改称して現実の新幹線総局と変わらない。
- JR九州が中国地方の広島以西の路線を管轄することに。
- その分各鉄道管理局の権限は縮小されていた。
- 京阪神の新快速電車は彦根止まりのまま。(北陸地方が中部支社「現実のJR東海」の管轄なるので、在来線米原駅が関西支社「現実のJR西日本」じゃなくなるため)
- ICOCAの適用エリアも。湖西線側も永原駅が会社境界となっていた。
- 北陸本線の長浜・敦賀への直流電化延伸もなかった。
- 大阪近郊区間も彦根・近江今津までとなっていた。
民営化前の大量解雇が無かったら[編集 | ソースを編集]
- 労組と使用者との間での裁判なんて殆ど無かった。
- 未だに現場の採用が職種ごとに分かれている。
- 労組との関係で旧型客車が21世紀でも現役で、ボイラーを扱う機関助士が乗務している。
- 2010年現在も、寝台特急の列車も数多く残っている。
- 伊藤敏博はサンダーバードの車掌をしている。
- 藤井フミヤはJR貨物の運転士になっている。
- 伊藤敏博はむしろ「はくたか」では?出身は(県境だが)新潟県側なのだから。
- 千葉以外の地域でも、今なおストライキは春の風物詩。
- それでもバブル崩壊あたりで大量リストラが行われていた。
- 完全民営化にも影響が出ていた。
- JR北海道は経営破綻していたかも。
- その場合、JR東日本に吸収される。
- JR四国やJR九州も。
- それも、JR西日本に吸収される。
- 旧国鉄はJR東日本とJR西日本の2社体制で分割民営化された。
- JRの駅では現在でも自動改札が導入されず、駅員が切符を切っている。
- 首都圏では私鉄、地下鉄も含め自動改札がほとんど普及しなかった。
- ストアードフェアシステムやICカードシステムは阪急電鉄が日本で最初に導入したことになっている。
- 無人駅などは今ほど多くは無い代わりに、JR各社の人件費も馬鹿にならなかった。
- 運賃が現実よりも高くなっている。
- 東京~大阪間では現実よりも航空機のシェアが高くなっている。
- 関西地区や名古屋地区では私鉄の一人勝ち状態となっていた。
- 行き先表示の切り替えは現在も駅員が担当している。
- 未だにサボを使用している路線も多い。
- 車両基地の統合が現実ほど進まなかった。
- 国鉄清算事業団が余剰人員の左遷先と化す。
上下分離方式で民営化していたら[編集 | ソースを編集]
- 「A列車で行こう」よろしく、1本のレールの上にそれはもう種々雑多な車両がゴッタ煮のごとく押し寄せる。
- 逆に、「A列車で行こう」シリーズでは、「1系統のレールの上には1種類の車両のみ」という妙な制約が加わる。
- 競合が現実よりも激しいだろう。
- 運賃はさすがに統一されると思われるので、特別料金やサービスでの競争になる。
- たくさんの企業が鉄道事業に参入していた。
- 現実のイギリスみたいな状態になっている。
- むしろ航空業界に近い。
- 夜行列車に関しては専門の鉄道会社が設立されている。このため寝台特急は衰退するどころかむしろ発展している。
- 大阪~仙台間など今まで設定されていなかった区間にも運行されている。
- そのうち、外資による鉄道会社が現れる。
- 新幹線が独立した会社となる可能性あり。
- 私鉄が容易にJR線に乗り入れられる。少なくとも相互乗り入れではなくなる。
- 混雑する区間では速度別に複々線の2階建てで建設されている。新幹線も加わって3階建てになる区間も。
- 阪神・淡路大震災の影響で撤回しそうな気がする。
- そこは地下線による線増だろう。
- 全体として鉄道業界が現実よりも活性化していた。
- 諸外国の例を見る限り衰退していると思うが。
- とりあえず、中規模都市交通と都市間輸送は活性化していそうだ。
- 新規参入を認めないならば、間違いなく衰退している。
- 諸外国の例を見る限り衰退していると思うが。
- JR貨物に関しては、実史と何も変わらない。
- 常磐緩行線が、本当にメトロ千代田線と言われるようになる。
- 国鉄分割時では、運行会社の分け方や運営範囲は実史のJRと同じになるかも。
- というか、イギリス国鉄→ナショナルレール同様、JRが列車運行会社の統一ブランドになっている。
- 新線建設は日本鉄道建設公団が引き続き担当するが、既存路線の改良は地元自治体の負担で行われる。
- 政治屋の圧力によって地方のローカル線が大量に建設される。鉄建公団においてAB線と呼ばれる地方の新規建設路線は工事中止になることなく予定通り建設されるが、開通後の路線の運営は地元企業もしくは第三セクターが行っている。
- 第3種鉄道事業者が国鉄清算事業団または日本鉄道建設公団で第2種鉄道事業者がJR各社だったら現実と変わらない気がする。
- どうやってダイヤを組むのか想像できない。下手すると各社の思惑がぶつかり合って一向にダイヤ作成が進まず、列車が一本も走ってない…なんて展開も。
1980年代に夜行列車を全廃していたら[編集 | ソースを編集]
1979年、当時の森山運輸大臣が「夜行列車全廃論」をぶち上げましたがこれが実行されていたら…。
- JR化以降に登場した夜行列車は存在しなかった。
- 北斗星、トワイライトエクスプレス、サンライズ瀬戸・出雲、快速ムーンライトなどは設定されなかった。
- 但し、JR以降はサービス力向上のため、サービス重視の夜行があったかも。また、サンライズなどの地方都市を結ぶ夜行が設定されたかも。
- 例として、完全に観光のみに焦点をあてた「ななつ星」などはあるだろう。
- 「四季島」「TWILIGHT EXPRESS瑞風」「WEST EXPRESS銀河」も恐らく史実通り存在している。
- 例として、完全に観光のみに焦点をあてた「ななつ星」などはあるだろう。
- 但し、JR以降はサービス力向上のため、サービス重視の夜行があったかも。また、サンライズなどの地方都市を結ぶ夜行が設定されたかも。
- 北斗星、トワイライトエクスプレス、サンライズ瀬戸・出雲、快速ムーンライトなどは設定されなかった。
- 全国紙新聞の配達エリアが縮小していた。(新聞を積んでいた夜行列車も多かったと思われるので)
- 地方工場の拡充やトラック・航空輸送の強化で何とかしのいでいたのでは。
- 参考:読売新聞高岡工場は1961年から稼働。
- 地方工場の拡充やトラック・航空輸送の強化で何とかしのいでいたのでは。
- JR貨物以外に機関車が継承されなかったかもしれない。
- 現実で寝台列車が全滅している韓国にも何らかの影響を与えていた。
- 客車改造のジョイフルトレインが各地に出現。
- 倉庫など鉄道以外への転用も相次いでいた。
- 夜行バスが現実よりも早く市民権を得ていた。
- 全国ネットワークも1990年までに完成していた。
- 旧国鉄→JRバスが夜行列車の代替目的で夜行バスを設定していた。
- 航空需要が現実よりも高まっていたので、関西国際空港や中部国際空港は1990年までに開港していた。
- 羽田空港の拡張も1980年代のうちに行われている。
- 公立学校の修学旅行における航空機利用も1980年代のうちに解禁されていた。
- しかし日本航空123便墜落事故で計画が中止になっていたかも。
- 新幹線網の整備が現実よりも早く進んでいたかも。
- 20世紀までには基本計画新幹線の殆どが開業していたか。
- これが実現していた。
- 20世紀までには基本計画新幹線の殆どが開業していたか。
- 583系は全て近郊形電車になっていた。
- 現実通り、日本航空123便墜落事故が起こると夜行列車が見直されており、全廃計画は中止になっていた。
- あんまり関係ない気がする。
名古屋鉄道管理局が4扉車を積極的に投入していたら[編集 | ソースを編集]
大都市にも関わらず4扉の通勤型電車が全く走っていない名古屋地区(但し中央西線、関西本線で103系が走っていたが)。もし名古屋地区に4扉の通勤型電車が走っていたらどうなっていたかを考える。
- 東海道本線普通や中央本線普通は103系で運用されていた。
- 快速系統はもちろん近郊型電車で運用。
- JR化後に103系に代わる、4扉通勤型電車が投入されていた。
- 東海道本線を中心に投入されていた。
- 現時点でも103系が残っている可能性あり。
- 東海の体質的に、313投入前に新型全部置き換えでしょ。
- 名古屋地区に205系が投入されていた。
- 現実に投入された211系の一部が205系となっていた。
- 民営化後、205系にも東海独自のマイナーチェンジ車が登場。5000番台を名乗り、中央西線に投入される。
- 現実の205系5000番台は6000番台あたりになっていた。
- 211系5000番台同様、冷房は集約分散式だった。
- 民営化後、205系にも東海独自のマイナーチェンジ車が登場。5000番台を名乗り、中央西線に投入される。
- さらにVVVF制御の303系(現実の303系とは異なる)が投入されている。
- JR九州の303系は305系となっていた。
- いや、209系(JR東と同じもの)が5両で導入。名古屋向けに4000番台が割り当て
- さらに関西にも8両編成・4両編成・3両編成が導入。こちらは5000番台
- その上、筑肥線向けに1000番台ベースの6000番台が導入。
- 国鉄は編成を車両ごとに管理するため、転属も発生した(例:西ミツ→門カラ)
- 現実に投入された211系の一部が205系となっていた。
- 関西本線への103系投入は名古屋-亀山間の電化と同時に行われた。
- 少なくとも最大6両編成となっていた。
- ラッシュ時の遅延は天候が悪い時か事故の時くらいしか起こらない。
- いわゆる「名古屋乗り」や駆け込み乗車が遅延の原因になることはない。
- 名鉄は史実より早くロングシート車が主体となっていた。
- 6500・6800系は全車ロングシート車で登場していた。
- 路線ごとにそれぞれ別の車体色が採用されている。
- JR東海のラインカラーが増えていた。
- 史実通りだと東海道線:オレンジ、中央西線:緑、関西本線:紫、武豊線:青などになっていた。
- 名古屋近郊区間や名古屋電車特定区間が設定されていた。
鉄道貨物を廃止していたら[編集 | ソースを編集]
国鉄末期は鉄道貨物事業が極度の不振に陥っており、一時期完全撤退が検討されたことがありました
- 機関車の大半が引き継がれなかった。
- JR東海以外にも機関士の在籍しなくなるJRが出現していた。
- レールはキヤ97のような気動車で輸送される。
- JR東海以外にも機関士の在籍しなくなるJRが出現していた。
- 貨客混載が旅客JR会社で広く行われた。
- トラックドライバーの人手不足で物流に危機が生じる。
- 前述のように旅客列車で貨客混載することが検討されるが、積み替えの手間がかかるのがネックか。
- 貨物輸送を兼ねて夜行列車が復権していた。
- 前述のように旅客列車で貨客混載することが検討されるが、積み替えの手間がかかるのがネックか。
- 新幹線開業に伴い並行在来線が横軽以外でも廃止が検討された。
- 豊野〜新井や出水〜川内、JRだが水上〜越後湯沢あたりが怪しい。
- 廃線までいかずとも、単線化や電化設備廃止などが行われる区間は多いだろう。
- 青函トンネルの狭軌線路は北海道新幹線開業時に撤去された
- 皮肉にも北海道新幹線のスピードアップや千歳線増発が容易になってしまった。
民営化されず分割だけ行われていたら[編集 | ソースを編集]
- 旅客6社は「(地域名)国有鉄道」、貨物は「貨物国有鉄道」になっていた。
- 新幹線鉄道保有機構と国鉄清算事業団は設立されなかった。
- JNRマークは史実のJRと同じ色を使用してカラフルになっていた。
- 北海道新幹線は東日本、九州新幹線は西日本が建設していた。
- よって、黄緑の路線図の中に緑、赤の路線図の中に青が侵略する路線図になっていた。
- 青函トンネル区間は黄緑と緑の2色が並んでいた。
- ミニ新幹線は生まれなかった。
- 国有企業なので新幹線開業による並行在来線の経営分離は行われなかった。ただし、信越本線の横川~軽井沢間の廃止は史実通り。
- あとは「もし日本国有鉄道が存続していたら」と変わらないかもしれない。
あの人が国鉄総裁に就任していたら[編集 | ソースを編集]
- 小林一三
初代総裁の候補として、実際に挙がっていました。
- 三河島事故などの鉄道事故が史実よりも少なくなっていた。
- 国鉄分割民営化が史実よりも早く進んでいたかもしれない。
- 国労や国鉄の幹部らと激しく対立していた可能性が高い。
- 村上義一
初代総裁の候補として、実際に挙がっていました。
- 日本国有鉄道の経営が史実よりもマシになっていたかもしれない。
- 下山事件はなかった。
- 佐伯勇氏らの近鉄の重役を後任として、登用していたかもしれない。
近距離輸送を行わなかったら[編集 | ソースを編集]
- 東京・大阪の国電区間は存在しなかった。
- 山手線・赤羽線は湘南新宿ラインに相当する列車と貨物列車のみ。
- 中央線や総武線は東京に乗り入れてないかもしれない。
- 常磐線各駅停車は「東京メトロ千代田線」の延伸として開業していた。
- 三鷹(立川)や津田沼(千葉)まで東京メトロ東西線の一部だった。
- むろんシティ電車も存在せず。
- 田舎では特急だけ走るようになり、普通列車は廃止されていた。
- 要するに三大都市圏以外の路線は石勝線みたいな感じに。
- 上野東京ラインや新快速は「郊外列車」として走っていた。
- 競合鉄道路線のページのうち私鉄vsJRの項目は作成されない。
- 東京や大阪では交通営団が設立されていた。
関連項目[編集 | ソースを編集]
JNR 日本国有鉄道 |
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新幹線 / 成田新幹線 | 動労千葉 |