もし日本航空123便墜落事故が起きていなかったら
もし日本航空123便墜落事故が○○だったら > 起きていなかったら
- もちろんJL123便に搭乗していた著名人は全て健在。
- 坂本九は家族全員で歌手・タレント活動を続けている。
- 平井堅と「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」を、Re:JAPAN(吉本興業のコーラスグループ)と「明日があるさ」をデュエットしていた。
- 日本テレビで放送されたドラマ「明日があるさ」のテーマ曲も歌っていた。
- ウルフルズともデュエットした。
- 紅白歌合戦の常連になっていた。2000年代にはトリ(場合によっては大トリ)を務めていた。
- 司会を務めていたことも有り得る。
- 一方、趣味の陶芸(茨城県の笠間焼)でも力を発揮し、芸能界屈指の陶芸家にもなっていただろう。
- 連続テレビ小説『梅ちゃん先生』に、下村建造役で出演していた(史実では高橋克実)。
- タモリに代わって、「ミュージックステーション」の司会者を担当していた。あるいはタモリと共に司会をしていた。
- あるいは番組の常連ゲストとして君臨。島田紳助やSMAPなどの番組も然り。
- 美空ひばりの葬儀にも真っ先に駆けつけていた。
- 映画『筆子・その愛 -天使のピアノ-』に渡辺清役で出演していた(史実では加藤剛)。
- もしかすると国民栄誉賞をもらっていたりして。
- (2016年の時点で健在なら)永六輔の葬儀にも真っ先に駆けつけていた。
- ドラマ「上を向いて歩こう〜坂本九物語〜」は存在しなかった。あったとしてもクライマックスが史実と全く異なっていた。
- 平井堅と「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」を、Re:JAPAN(吉本興業のコーラスグループ)と「明日があるさ」をデュエットしていた。
- 中埜阪神タイガース元社長はチームのリーグ優勝・日本一を選手とともに祝っていた。
- むしろ神宮(優勝時の球場)と西武球場(日本一決定時の球場)に駆けつけてファンと抱き合って号泣かも。
- もちろん例の『33-4』に関しても何らかのコメントをしている。
- 83歳。その時まで生きてたか微妙だな。
- 逆に阪神は優勝できなかった可能性もある。
- 同年の優勝争いは接戦で、球団社長の死をバネにして一丸となって奮起した側面もあるので。
- その場合1992年に優勝していた。
- 北原遥子は大活躍を見せ、宝塚同期の黒木瞳が地味な存在になっていた。
- 連続テレビ小説『純と愛』に、狩野晴海役で出演していた(史実では森下愛子)。
- 東京都港区の玉鳳寺に北原を象った観音像が建立される事はなかった。
- 退団の経緯が何度もクローズアップされようとしたかもしれない。
- 清國が妻子を失わず、伊勢ヶ濱部屋も没落しなかった。
- 息子が力士になっていた可能性もある。
- 落語家になる息子は存在しなかった。
- 実際親子ともに「清國二世」の活躍に向けて相当やる気だったらしい。
- 力士になって十両に昇進したら、二代目清國を名乗っただろう。
- 立浪一門という名称はなかった。
- 「立浪」と言えば、元中日ドラゴンズの選手。
- 旭富士の部屋は「安治川部屋」のまま。
- 息子が力士になっていた可能性もある。
- JA8119は90年代前半に退役。
- おそらくJA8120やJA8126のようにエバーグリーン・インターナショナルなどのアメリカの貨物航空会社に売却され、貨物機に改修されていたと思われる。
- 浦上郁夫はハウス食品の経営に関わり続けていた。
- ハウス食品は同族経営色がより強くなっていた。
- それでも史実通りに息子が社長職を引き継いでいたことに変わりはない。
- 自身も被害に遭ったかい人21面相事件について証言やコメントをする機会があったかも。
- ハウス食品は同族経営色がより強くなっていた。
- 同人作家の緋本こりんは商業作家デビューして、作品が単行本化やアニメ化をしていたかもしれない。
- 坂本九は家族全員で歌手・タレント活動を続けている。
- 「御巣鷹山」の名前が有名になることはなかった。
- 日本で航空機事故の代名詞と言えば未だに「雫石」(1971年全日空58便)だった。
- もしくは「羽田沖」(1982年日航350便、1966年全日空60便)。
- 上野村も一介の山村のまま。
- 平成の大合併で周辺の町村と合併して消えていたかもしれない。
- 上野ダムが史実通り完成してれば生き残ってると思う。
- 逆に、その後のボーイング747の安全対策が遅れてしまっていた可能性も。
- 「しりもち事故」が起因となった航空機事故が注目されるのは、2002年5月25日の「チャイナエアライン611便空中分解事故」が発生した時。
- 死亡事故に至らなくても、これに近い重大インシデント事案が日本の航空会社で起きた可能性も…。
- 「しりもち事故」が起因となった航空機事故が注目されるのは、2002年5月25日の「チャイナエアライン611便空中分解事故」が発生した時。
- 『沈まぬ太陽』が書かれていたかは微妙。仮に書かれてたとしてもアフリカ篇だけだったと思う。
- 『クライマーズ・ハイ』は存在しない。
- JR西日本と福知山線脱線事故が題材の「沈まぬ太陽」が書かれていたと思う。
- むしろアメリカ同時多発テロまたはオウム真理教事件が題材の「沈まぬ太陽」が書かれていたかと・・。
- 山崎豊子の作風などから考えると前者は多分ありえない。
- 或いは阪神・淡路大震災または東日本大震災が題材の「沈まぬ太陽」が書かれていた。山崎豊子の作風を考慮すれば不謹慎な内容にはならないと思う。
- ただし作者が存命中に完成できたかどうかは分からない。
- 明石家さんまが東京~大阪の移動に飛行機を使い続けるので、新幹線のグリーン車が静かになる。
- そのかわりファーストクラスが相変わらずうるさいまま。
- 娘の名前は『いまる』にはならなかった。
- 明石家さんまはわからないが、坂本九(健在なら)はのぞみ運転開始以降は東京~大阪では新幹線を利用するようになってたと思われる。
- そもそも当時はファーストクラスという概念はないけどね。
- 機体の塗装やJALのロゴマークも変わらなかった。
- しかし最近やっぱり太陽のアークに変更された。
- エアシステムと合併するほど凋落していなかった可能性はある。
- 経営統合の原因は高コスト体質やバブル期の無秩序な副業拡張、JASの経営不振などなのでそうはならない気がする。
- しかし最近やっぱり太陽のアークに変更された。
- 『アップダウンクイズ』はもう2,3年続いていたかも。
- 2013年2月現在も続いていた可能性もありえる。
- 経営破たんが実史通りの時期に起これば、その時点で番組終了。
- 事故がなくても既に視聴率が低迷していたので、不謹慎ながら打ち切りの理由ができたと考えるべきか。
- 終了するとなれば早くても87~89年あたりか?
- 裏番組の「タッチ」や「キテレツ大百科」は大コケしていたかも。
- 「こち亀」アニメ化もなかった。
- あるいは別の時間帯or他局で放送されていた。
- あるいは別の時間帯への移動を余儀なくされていた。
- 「こち亀」アニメ化もなかった。
- 「クイズ!!ひらめきパスワード」や「さんまのからくりテレビ」は番組自体存在しなかった。
- 「ひらめき」はともかく「からくり」はTBS制作だから別枠だったんじゃないか。
- 2013年2月現在も続いていた可能性もありえる。
- 逆にANAが問題視されていたかもしれない。(現実においても前輪の故障やらボルトの脱落やら・・・)
- 2000年代には日航も労使紛争と整備不良で問題を起こしていたので、同じ結果だったと思いますが。
- つまりはどっちも同じレベルって訳ですか。
- 場合によっては、しりもち事故の際適切な措置がすでに行われたら、未然に防がれていたかもしれない。
- 2000年代には日航も労使紛争と整備不良で問題を起こしていたので、同じ結果だったと思いますが。
- 東京~大阪間で航空機のシェアが現実より高くなっていた。
- JR東海は割引切符で対抗するようになる。
- 東海道新幹線のグリーン車は2両、もしくは1両だったかもしれない。
- 「ひかりレールスター」のような列車が東海道新幹線にも登場していた可能性がある。
- 「ひかり」は全列車小田原・静岡・浜松駅停車となり、「のぞみ」の一部列車がこれらの駅に停車していた。
- 2000年代末にはB747の後継機としてA380の国内線仕様が導入されている。1機当たり800人以上という世界最大のキャパシティを誇る機材が次々に就航している。
- 1994年の関空開港後も相変わらず伊丹が逼迫しているため、神戸空港の開港も史実より5年早かった。表向きは阪神大震災の復興事業として建設された。
- 関空の開港が数年早まっていた可能性がある。
- 大阪~福岡間に関しては航空のシェアが60~70%となり、山陽新幹線は苦戦を強いられるようになっていた。
- 「ひかりレールスター」が国鉄時代に登場していた。
- 九州新幹線は建設されていなかったかもしれない。
- さすがに大阪~福岡の距離・所要時間で航空機のシェアが6割以上になるとは思えないが。
- 「のぞみ」のデビューが数年早まっていた可能性がある。
- 当時の運輸白書などを見る限り事故による落ち込みはそこまで大きくなかったので現状とあまり変わらなかったかもしれない。
- ただ1985年の事故の影響による乗客急増はなくなるため、国鉄の赤字は史実以上に深刻になっていた。
- 2000年代後半になって日本航空の経営が悪化することはなかった。
- 史実どおり悪化していたとしても経営破綻は起きていない。
- それでもジェットストリームは変わらない。
- 8月12日に放送する回でも、そうでない日と同じく時報の後に飛行機が離陸する音が入っている。
- 1990年代前半には公立高校における修学旅行の航空機利用が解禁されていた。
- 折からのバブル景気の影響を受け北海道・沖縄はおろかアメリカやヨーロッパへの修学旅行も当然となっていた。
- それでも史実通りアメリカ同時多発テロが起きた場合はアメリカへの修学旅行も禁止される。
- 折からのバブル景気の影響を受け北海道・沖縄はおろかアメリカやヨーロッパへの修学旅行も当然となっていた。
- 現実より航空需要が高くなっていたため中部国際空港は2000年頃には開港していた。
- 静岡空港の開港も史実(2009年6月4日)より若干早くなっていた。
- 逆に航空の安全性自体が史実より低いものになっていたかもしれない。この事故以前、日本の航空会社による乗客が死亡する事故は数年に1回起きていたようだが、この事故以降は25年間で1回しか起きていない。
- 1989年のユナイテッド航空232便(DC-10)の事故では誰も助からなかった。
- 史実では運航乗務員が御巣鷹山事故の事例を参考にして油圧ダウン時の操縦をある程度訓練していたので乗員乗客の3分の2が助かった。
- 2003年11月22日に起きた『DHL貨物便撃墜事件』でも、DHL機が無事に着陸できたかどうか?(同じく、DHL機のクルーは、トラブル発生時にこの事故が頭をよぎった。)
- 「山の日」は8月12日になっていたかも。
- 「ヤマノススメ」のここなの誕生日も8月12日になっていた。
- むしろひなたの誕生日が8月12日になっていたかも(中の人にあわせて)。
- もしくはハッピーマンデー制度を適用して8月第2月曜日になっていた(長崎への原爆投下の日と重なる可能性があるのが難点だけど)。
- 「ヤマノススメ」のここなの誕生日も8月12日になっていた。
- 上野村は今でも何もない村である。
- 平成の大合併で神流町になっていた。
- マスコミにおいて、(123便事故が発生した翌日に)三光汽船が倒産したことが史実以上に取り上げられていた。
- それでもなお今度はかい人21面相がいわゆる「グリコ森永事件」の終息を宣言したためそちらの陰に隠れる。
- ちなみに、『三光汽船』の監督官庁である運輸省(当時・現:国土交通省)の山下大臣が、JAL123便の前に運行されていたJAL366便(福岡→羽田)に搭乗していた。
- そうなれば、「グリコ森永事件終息宣言」の話題はワイドショーで、「三光汽船倒産」の話題は報道番組で、それぞれトップで扱っていたか…。
- 日本航空の123便は現在でも羽田~伊丹の便に設定されているが、2015年現在は羽田15時30分発の便名(史実の125便)になっている。
- だがチンチロリンを趣味としている人は縁起が悪い数字の123便は避ける。
- 一二三選手の影響で場合によっては阪神ファンも・・・。
- だがチンチロリンを趣味としている人は縁起が悪い数字の123便は避ける。
- 2001年に発生した附属池田小事件は起こらなかったかも。
- ↑why?
- 飛行機が苦手という人が現実よりは少なくなっていた。
- 2017年8月12日に発生した全日空機の緊急着陸は現実ほど大きく取り上げられなかった。
- 史実では事故時12歳で奇跡的に助かった女性は、看護師ではなくCAになっていたかもしれない(小学校の卒業文集に将来CAになりたいという記述があったらしい)。
- 夜行列車の衰退は史実よりも早まっていた。
- 早ければ20世紀中に全廃されていた。
- 史実で厳密にはJALがローンチカスタマーだった777-300ERは2003年末〜2004年春頃に同型機の世界1号機を受領し、ローンチオペレーターにもなって(史実ではエールフランスが該当)名実ともにJALが777-300ERのローンチカスタマーになっていた。