もし本州四国連絡橋が○○だったら

提供:chakuwiki

本州四国連絡橋は瀬戸大橋→明石海峡大橋→しまなみ海道の順で開通しましたが、もし別な展開を迎えていたら?

全般[編集 | ソースを編集]

建設されなかったら[編集 | ソースを編集]

  1. 四国への連絡は今でも宇高連絡船が主流。
    • その他の航路もフェリーがウロウロ。
      • 旅客に関しては高速船も活躍していたのでは。(ex:宇高連絡船しおかぜ)
    • 松山あたりが現実よりは少しだけ発展していた。
    • 大阪-徳島・大阪-高松の航空路も廃止されず、ビジネスマンの出張利用を中心に高い利用率を誇っていた。
  2. 四国全体で見れば発展はしていないが人はそこまで四国をでていってないかも。
    • 若者がさらに流出しもっと酷い過疎化が起きていた。
  3. 大阪から徳島へは南海「サザン」とフェリーを和歌山港で乗り継ぐルートがメインとなっていた。
    • 2000年代後半に「サザン」の新型車両が投入されていた。
      • 小松島線の復活、高徳線の高速化が行われていたかも
        • 小松島港発着で高松・松山・高知に向かう特急も設定されていた。
      • 「サザン」は全車指定席となり、スーパーシート車も1両連結されて、停車駅も新今宮・天下茶屋・堺・岸和田・泉佐野・和歌山市の6駅のみに減らされていた。
      • 「サザン」の新型車への置き換えと停車駅減少、全車指定席化に合わせて、従来の「サザン」自由席と泉佐野-和歌山市間の中間駅の需要を救済するため、快速急行(種別自体は自由席特急の改称、停車駅は史実の「サザン」と同じ)が設定されていた。
  4. 関西人にとって徳島はいまだに遠い所というイメージのままだった。
    • 徳島県が関西扱いされるということはなく、関西広域連合にも参加しなかった。
    • その反面徳島そごうなど史実で消えた一部の商業施設が何とか生き残っていた。
  5. 四国は現在でもJRの電化率は0%。
  6. 下津井電鉄が現在でも存続していた。
    • ただし一部駅の改修やメリーベル号の誕生はなかった。
    • 車両や設備の老朽化によりバス転換された気がする。
  7. 全国新幹線網の整備計画からも四国は完全に外されていた。
  8. 技術的に困難な点はなさそうなのでおそらく経済的な問題がネックとなっている。
    • 大平正芳(香川)や三木武夫(徳島)あたりも本四架橋実現のため奔走するが「十分な需要がない」「維持費が天文学的な数字になる」などと返され続けてきた。
  9. 「四国への橋ができないのは高松藩、松山藩、徳島藩が賊軍だったから」と言い出す人物が間違いなく出ていた。
  10. ひょっとすると「四国独立」を目標に掲げる市民団体が存在していたかもしれない。
  11. 船舶への乗り換えを考慮し、三原駅にのぞみが毎時1本停車していた。
  12. 四国は「日本最大の離島」と言われていた。
  13. 瀬戸内海の水運を考慮して代わりに海底トンネルが建設された…というのは反則か。
    • この場合途中の小規模な島はただ非常口兼通気口が置かれるだけでほとんど利益を得られなかった。
    • 海底トンネルなら児島-坂出ルートは鉄道だけになっていた。
  14. それでも尾道大橋(1968年完成)は本四架橋の計画とは無関係のため史実通り建設される。

あの区間に建設されていたら[編集 | ソースを編集]

和歌山~徳島
  1. 明石海峡大橋と異なり、鉄道道路併用橋となっていた。
  2. 南海電気鉄道が徳島に進出し、大阪-徳島間のメインルートになっていた。
    • 特急「サザン」は徳島発着になっていた。
      • なにわ筋線も開通し、「サザン」は新大阪経由で京都駅に乗り入れていた。
      • 「サザン」は全席指定となり、現実の「あさぎり」のようにJRと南海が相互乗り入れする形となっていた。
        • グリーン車も連結されていた。
    • 大鳴門橋の鉄道部分が生かされていた。
    • 南海和歌山港線と南海フェリーは廃止されていた。
  3. 徳島や淡路島から関西国際空港に行くのが便利になっていた。
    • 徳島からバスで関西空港に行くのに、明石海峡大橋を経由するという大回りはしなくてすむはず。
    • 徳島空港の重要性は低くなっていた。
  4. 和歌山市が現実より発展していた。
  5. 国道42号線は徳島市が終点となっていた。
    • 紀淡海峡大橋は国道42号線の一部となっていた。
    • 現実でも南海フェリーを巻き込んでそうなっていてもおかしくないのに…
  6. 友ヶ島の要塞跡や自然が工事で破壊されていた。
  7. 明石海峡大橋が通っていなかった場合、淡路島は兵庫県本土との関係が薄れ、和歌山県か徳島県への転属主張が出ていたかも。
  8. 1958年の南海丸の事故が建設の直接的なきっかけとされた。
柳井~松山
  1. 「山陽地方の各県に一つずつ橋を架ける」と言う方針で建設されていた。
    • 大分県民が「ここまで来たら次は豊後水道に橋を架けよう」と言う運動を興していたかもしれない。
  2. 熊毛付近で山陽自動車道と合流していた。
    • 広島―松山間の距離はこちらの方が短く済む為、通行量はそれなりに多い。
  3. インターチェンジは(玖珂JCT~)柳井~周防大島~情島~津和地島~怒和島~忽那中島~睦月島~野忽那島~伊予北条駅で四国上陸~玉川湖で317号線に合流+しまなみ海道に接続といったとこか?興居島に繋げると松山市街を通過することになるし。
    • もちろん、忽那諸島への架橋もされていた。
  4. 怒和島から倉橋島への別ルート建設も提唱されるが実現可能性はない。
  5. 九州と京阪神を結ぶ一部のトラックがこちらに迂回してくる。
大分〜伊方
  1. 伊方町は大分都市圏に組み込まれていた。
  2. 四国の西の玄関口である三崎町の町名は残ったかも。
  3. 大分市が史実よりも発展。
  4. 伊方半島に高速道路が走っていた。
  5. 愛媛県の松山以西は経済面でも九州との関係が強くなっていた。
  6. 九州の人にとっても松山や道後温泉が身近になっていた。道後温泉の宿泊客は福岡・北九州都市圏からの客も多くなっていた。
  7. 海峡部は史実の明石海峡大橋以上の難工事になっていた。
    • 新プロジェクトXでも明石海峡大橋ではなくこちらが取り上げられていた。
  8. 関サバや関アジを捕獲している漁業者との調整に苦労しそう。
  9. 九州と四国を結ぶルートも存在しているため本州四国連絡橋公団や本四高速の名称が変わっていた。
    • 「四国連絡橋」や「四国連絡高速」という名称が使われていた。

明石海峡大橋[編集 | ソースを編集]

瀬戸大橋より先に開通していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 鳴門市徳島市の人口が多くなっている。
    • 鳴門市は15万人、徳島市は40万人。
    • 逆に関西に吸い取られて減ってしまうんじゃ・・・?
  2. 逆に高松は少ない。
    • さすがに徳島が高松を上回るのは無理。平成の大合併に失敗しているし。
      • 現実よりも、ということでしょう?
  3. 四国の玄関口といって違和感無くなる。
  4. 高知南予がさらに寂れる。
  5. 鉄道が通されるかどうかによって異なる。
    • 鉄道が通らなければ徳島と関西のつながりが強くなるだけ。
    • 鉄道が通った場合は岡山パッシングが進む。
    • たぶん、ここに鉄道が通され、その代わりに瀬戸大橋に鉄道が通されない。
      • 鳴門線・高徳線が電化され、池谷駅が改良される。予讃線は非電化のまま。
      • 川之江~阿波池田に新線を作って・・・ないか。
      • 国鉄宇高連絡船の代替という側面を考えると瀬戸大橋には確実に鉄道が通っていたのでは。
  6. 酷道439号線が整備されている。
  7. ここの立場は?
    • これも鉄道次第では。
      • 鉄道が通っていたら北半分は完全に神戸大阪のベッドタウンになっている。道路専用橋だと現実と同じ。
    • 某派遣会社より先に別の大企業が目を付け拠点化していた。
  8. 豊予海峡トンネル・紀淡海峡トンネル計画が立ち上がる。
    • その場合、四国は単なる通過点に過ぎないという感情が生まれる。
  9. 四国の玄関口が高松から徳島に代わる。
    • 企業の出先機関も徳島に移転。
    • ひょっとしたら四国初の政令指定都市になっていた?
  10. もし運が悪ければ、震災で崩壊し数年間不通になってしまうなんてことも・・・
    • 主塔間隔1mずれたんだよな。十分ありえる。
    • 史実での被害を踏まえると橋全体が崩壊というのは考えにくいが桁の間が空きどちらにしても通れなくなる。
  11. 南海「サザン」は現実以上に低迷していた。
    • 明石海峡大橋の開通が史実の瀬戸大橋と同時期だった場合、指定席車は2両のままだった。
  12. 香川県は岡山よりも大阪・神戸志向が強くなっていた。
    • 関西広域連合に参加していた可能性もある。
  13. 要するに78年にいち早く着工されたルートが史実の児島-坂出ではなく神戸-鳴門だった場合。
    • 大鳴門橋を一足先に着工していたのはこのための下準備だった。

本州側起点が明石市内だったら[編集 | ソースを編集]

現実には神戸市垂水区淡路市を結んでいる明石海峡大橋ですが、もし大橋の本州側起点が文字通り明石市内にあったら・・・

  1. 「高速舞子バスストップ」は「高速明石バスストップ」となっていた。
    • もちろんJRと山陽電鉄明石駅に連絡する。
      • JR明石駅に新快速が停車するので現実より利便性は高まっていた。
        • でも新快速はさらに混雑するようになったことから、史実よりも早く全列車の12連化が実現していた。
  2. 第二神明道路の伊川谷か玉津あたりから分岐していた。
  3. 明石港と岩屋港を結ぶ高速船は廃止されていた。
  4. 山陽新幹線「のぞみ」の一部が西明石駅に停車していた。
    • 西明石発淡路島・徳島方面行きの高速バスも運行されている。
    • みずほも停車していた。
  5. 「パールブリッジ」という愛称は存在しなかった。
    • 代わりに「オクトパスブリッジ」という愛称は…おそらく付けられない。
  6. 孫文記念館は今でも建設時と同じ位置に建っている。

鉄道道路併用橋だったら[編集 | ソースを編集]

国にケチられて道路単独橋として開通せざるを得なかった明石海峡大橋。もし鉄道を通すスペースが確保されていたら…。

  • こちらとは違い鉄道は開通していない想定
  1. 鉄道を通すスペースは歩道か自転車道になっていた。
    • 明石岩屋航路廃止の影響は少なかった。
  2. 主塔を展望台にする提案が出る。
  3. 当初の予定通り1973年に着工されていたらこうなっていたかもしれない。

別の時期に開業していたら[編集 | ソースを編集]

1980年代
  1. 瀬戸大橋と同時に開業していたかもしれない。
    • むしろ、瀬戸大橋が史実よりも早く開業していたら確実にあり得た。
  2. 神戸・阪神地区発着の淡路島へ向かうフェリーが1990年代に廃止されていた。
    • 南海フェリーも大打撃を受けていた。
  3. 阪神・淡路大震災の影響で一時不通になっていた。
  4. オイルショックによる着工延期がなければこうなっていた。
    • ただし建設技術などが史実ほど進んでいなかったため間違いなく死者が出ていた。

瀬戸大橋[編集 | ソースを編集]

開通が一番遅かったら[編集 | ソースを編集]

  1. 上2項に書かれていることの一部は現実になっていた。
  2. 岡山・倉敷・坂出は現実ほど栄えていない。
    • 岡山市は政令指定都市になれなかった。
      • むしろ史実以上の強引な合併が行われていた。
      • 昭和の岡山県南政令指定都市構想が平成の世に実現していた。
  3. 道州制に関する議論の中で岡山県の発言力が弱くなっていた。
    • 完成後は特に変わらない気がする。
  4. 宇高連絡船の老朽化が問題視されていた。

道路単独橋だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 四国のJR線は未だに電化区間0mのまま。
    • いや、電化されていたね。
    • いったんは電化されるが、JR東日本に譲ってもらった111系が朽ち果てるのと同時に電気運転廃止。
      • だがどちみち113系を買ったので電化はなんとか生き残った。
    • 神戸~鳴門ルートに鉄道が通っていた場合、高松周辺より先に徳島方面が電化されていた。
    • ICカードの導入も行われなかった。
      • 逆に宇野線茶屋町〜宇野間でICカードが導入されている。
  2. 今以上に四国では車社会化が進む。
    • 高速道路が整備が今以上でないとそうはならない。
    • それより今以上に航空機のネットワークが発達。
    • 利用客の減少でJR四国は経営が成り立たなくなり、JR西日本と合併。
    • いや、紀伊半島エリアを含めて、JR東海と合併になるかも。
    • JR西日本は残っていてもエリアが変わって中央線全線を支配し名古屋と東京西部に進出。
      • それはない、せいぜい豊橋とか中津川くらいまで
  3. 高速道路開通後は九州以上の高速バス王国に。
    • 現実でもそうなりつつありますが・・・。
  4. 代わりに神戸市淡路島徳島間及び淡路島~和歌山~鳥羽~豊橋、八幡浜~大分、宿毛~延岡に鉄道が開通。
    • 淡路~和歌山、鳥羽~伊良湖、八幡浜~幸崎そして足摺岬~延岡間はカートレイン。
  5. 同時に新幹線も開通。
    • 東京~浜松~和歌山~四国・東九州への新幹線が誕生。
    • 和歌山市は史実ほどには衰退せず、近畿地方では大阪・神戸・京都に次ぐ第4の大都市となっていた。21世紀に入ると新潟市や静岡市と同時期に政令指定都市に昇格していたかもしれない。
    • 史実以上にありえない。
  6. 香川県は統廃合に廃止され、徳島県香川自治区に
    • いや、愛媛県香川地方という可能性も。
    • 道州制施行までそれはないのでは。
  7. テレビせとうちは広島にできていた。
    • それより四国のTV局が合併していた。
    • テレビせとうちは文字通り瀬戸内海沿岸地域エリアにしていたし、愛媛広島山口福岡大分高知宮崎のテレビ局の電波が相互乗り入れしていた。
    • テレビせとうちが岡山に出来たのは、簡単に言えば岡山と香川の距離が短いのでお互いに隣県のテレビ局を視聴し、のちにテレビ局の相互乗り入れが実現したため。瀬戸大橋なんて関係ない。
  8. 瀬戸大橋線の茶屋町~児島間が建設されず、岡山~茶屋町間の複線化事業の話もなかった。
    • 宇高連絡船も廃止になっていなかった。
    • サンライズ瀬戸はなかった。
      • その代わりに「サンライズあさかぜ」として下関まで走っていた。
  9. 岡山⇔香川を通学や通勤で使う人はほとんどいなかった。
  10. 下津井電鉄が茶屋町~児島間を今でも走っていた。
    • 廃止原因の一つに下津井付近の道路整備が進んだことがあるためせいぜい史実より数年長生きできるだけかと。
    • (史実の)瀬戸大橋の着工が1978年(完成が1988年)。下津井電鉄の茶屋町~児島間廃止が1972年。…ん?
  11. 香川県は岡山より大阪指向が強くなっていた。
  12. 明石海峡大橋が開業するまで、関西から四国へのメインルートは和歌山~徳島間のフェリーだった。
    • 徳島から高知、松山への特急、急行が運行されていた。
    • 大鳴門橋開通後は深日~洲本間航路も本四ルートの1つとして重宝される。

鉄道単独橋だったら[編集 | ソースを編集]

  1. 瀬戸大橋線児島ー宇多津間にも駅が建設されていた。
    • 岩黒島・櫃石島・与島駅が誕生していた。
  2. 運賃が通常より高くなっていた。
    • 児島ー宇多津間を利用するだけで3000円ぐらい平気で飛ぶ。
    • それを象徴するかのようにJR宇高連絡船が現在でも運行されている。
      • 国道フェリーと四国フェリーは盛業中。津国汽船は倒産していない。
      • JRの連絡船を存続させたら橋作った意味ないやん。JRの連絡船は史実通り廃止されるはず。
  3. マリンライナーは213系の置き換え時期に特急列車化された。
    • 青春18きっぷでは児島ー宇多津間に特急の自由席に乗れる特例が設けられていた。
    • それに伴い岩黒島・櫃石島・与島の各駅は廃止された。
  4. 旅客、貨物需要が激増したため宇野線が全線複線化された。
    • マリンライナーの停車駅は少なかった。
    • 茶屋町~宇野は放置されるんじゃね?
  5. 瀬戸大橋線は普通列車も多数運行されているため、マリンライナーの停車駅は少なかった。
  6. 岡山ー四国各都市を結ぶカートレインがしばらく運行されていた。
  7. 地元では高速道路も建設してほしかったなどの声が聞かれていた。
  8. JR四国の経営状況は変わらなかった。
  9. 四国新幹線が現実味を帯びていた。
  10. 高速バスよさこい号は当初から明石海峡大橋経由だった。
  11. 岡山、香川県には岡香連絡道路の建設を推進する看板が設置されている。
  12. 明石海峡大橋としまなみ海道は現実よりも早く開通していた。
  13. 鉄道は瀬戸大橋、自動車は神戸淡路鳴門自動車道及びしまなみ海道経由と棲み分けていたので、両者の交通量は現実よりも多かった。しまなみ海道は全線片側2車線、神戸淡路鳴門自動車道は全線が片側3車線だった可能性がある。
  14. 南海フェリーは瀬戸大橋開通後も明石海峡大橋が開通するまでは盛況だった。

海底トンネルだったら[編集 | ソースを編集]

  • 計画当初は本四間に海底トンネルを建設する案もあったようです。
  1. 鉄道単独トンネルになっていた可能性が高い。
    • 道路を作ったとしても危険物搭載車が通れないので、宇高航路が廃れる事は無い。
    • 青函トンネル同様、新幹線との共用を前提とした構造になっていた。
  2. 与島、岩黒島、櫃石島には換気設備が置かれるものの、トンネルに入る事が出来ないので恩恵を得る事が出来なかった。
    • 距離的に与島か岩黒島に定点が設けられるが、竜飛・吉岡海底のように駅として利用されるかは分からない。
  3. マリンライナーのデザインはもっと地味なものになっていた。
  4. 桁の長さなどに制限が出る橋とは違いトンネルなら長くできるはずという声が上がり、宇野と高松を結ぶルートで建設された。
    • 海に差し掛かる部分は出来るだけ短くするのが建設時の常識のはず…というのは置いておくとしても、宇野駅も高松駅も「地下化」or「より内陸部に移転」or「港周辺を広大な範囲で埋め立て」のどれかが必要。

しまなみ海道[編集 | ソースを編集]

最初に開通していたら[編集 | ソースを編集]

  1. 今治市はもっと栄えていた。
    • 人口が25万人になっている。
    • 人口が減っていることにはなっていない。
    • 大丸の撤退もなかった。
  2. 福山尾道もさらに栄えていた。
    • 今治・福山を結ぶ高速バスは30分間隔で運行されるようになる。
    • しまなみライナーの尾道、因島、三原線も存続していたかもしれない。
    • キララエクスプレスの広島線も残っていたかもしれない・・・。
  3. 村上水軍資料館や伯方の塩がかなり売れる。
    • 開通直後はいいとして、「伯方の塩」は後から自動車道の側というイメージによって全然売れなくなる。
    • 「伯方の塩」が福岡県の博多と勘違いされなくなる
  4. 今治小松自動車道の高速道路は既に開通。
    • なにそれ?
    • 今治IC・JCTになり317や196のようなルートを通る高速も整備されるかもしれない。
  5. 松山市今治市岡山倉敷のような関係になる。
  6. 余勢をかって広島市方向へのルートが大三島から分岐して作られる。
    • 呉から岡村島などを結ぶ農道が高速道路化され、さらには大三島まで延伸されてしまなみ海道と接続していた。
      • 路線名は芸予自動車道。
  7. 今治市を経由する高速バス路線が大量に開設され徳島並になっていた。
    • 今治駅にバスセンターが建設され、駅周辺も栄える。
  8. バブル期には島しょ部に大型ゴルフ場や高層ホテルが進出する。
    • しかし、バブル崩壊と共に廃墟化・・・。
  9. JR四国がサイクルトレインの定期運行をはじめていた。
  10. しまなみ海道に近い波止浜駅は高架され、近代化されていた。
  11. それでも瀬戸大橋か明石海峡大橋が開通した時点で栄光が終わる。
    • ただ、今より発展していた可能性はあると思う。
  12. しまなみ海道は全て4車線になっていた。
  13. きっと尾道自動車道と山陽自動車道に既につながっている。
  14. 「しまなみ海道」という通称が存在しなかったかもしれない。

呉経由だったら[編集 | ソースを編集]

全般
  1. 広島市から松山市に船を使わずに行きやすくなる。
    • 広島~松山間の高速バスは廃止されなかった。
      • 広島~松山間の船は廃止されていた。
  2. 松山市は現実以上に広島指向が強くなっていた。
    • 手始めに広島でオレンジ、松山ではの路面電車が走り、次に2県乗り入れで民放8局受信が広島・愛媛で可能になり最終的には両県統合。
      • それに大分・山口の2県が加わりこの4県で広域圏を構成していた。
    • 逆に愛媛県(東予除く)の岡山指向は弱くなっていた。
      • 予讃線の特急は松山駅で全列車系統が分離されていた。
    • 四国は大まかに言うと広島指向(愛媛)・岡山指向(香川・高知)・大阪指向(徳島)というように分かれていた。
  3. 2014年4月にテレビ東京で放送された「路線バス乗り継ぎの旅 第17弾山口~高知編」のルートが変わっていたか、辿り着けなかった可能性がある。(実史では4日目の昼にゴールの室戸岬に到達。)
  4. 大崎下島の御手洗(重伝建地区)が人気の観光地になっていた。
    • 蒲刈の藻塩のブランド力ももう少し上昇していた。
  5. 愛称が史実で呉〜岡村島を結ぶ道路に使われている「安芸灘とびしま海道」になっていたかも。
  6. 広島高速の建設スピードがもう少し速まっていた。
尾道経由も両方ある場合
  1. 福山の人は東しまなみ海道を、広島の人は西しまなみ海道を使う。
    • の前にそんな名前じゃない。
      • 尾道経由は史実通り「瀬戸内しまなみ海道」、呉経由は「安芸灘とびしま海道」になる。
  2. 山陽道が渋滞した場合、福山西IC-しまなみ海道-大三島JCT(仮)-とびしま海道-広島呉道路-西広島バイパス-廿日市ICという迂回路が…
  3. どちらを先に建設するかをめぐり旧広島2区と広島3区の代議士が裏で暗闘を繰り広げた。
    • 大下英治(広島県出身)あたりが小説の題材にしていた。
  4. 「倉橋島経由で4本目を作るべきだ」という案と「とびしま海道の延伸でいい」という案でもめていた。
呉経由のみの場合
  1. 備後人は竹原経由で四国へ。
    • 瀬戸大橋を使うかも。
  2. 想定ルートはこんな感じ。
    • 広島高速2号線はとっくに開通している。
    • そこから広島呉道路へ。
      • とっくに完全4車線になっている。
    • 呉中央公園の北側を、広島呉道路延伸部の高架が突っ切る。
    • 休山新道が広島呉道路に含まれ、有料。
    • 阿賀~広間の国道185号は中央分離帯に高架橋が建設される。
      • 先小倉交差点が阿賀JCTに。
    • 国道185号仁方バイパスが開通している。もちろん有料。
    • 安芸灘大橋が4車線。
    • 下蒲刈島の真ん中をトンネルが貫く。
    • 新蒲刈大橋(4車線)が蒲刈大橋の隣に建設される。
    • 豊島大橋が4車線。
    • 豊島の真ん中をトンネルが貫く。
    • 豊浜大橋が4車線。
    • 大崎下島に上陸したところで一般道に下ろされる。この区間は「豊道路」として10年遅れて開通。
    • 「安芸灘オレンジライン」とは別に大崎下島-小島-岡村島間に4車線の架橋が開通。
    • 小大下島経由ルートと大崎上島経由ルートで激しい誘致合戦が繰り広げられる。
      • 結局、人口50人の小大下島が泣きを見て、岡村島-大崎上島に4車線の架橋が開通。
      • 大崎上島-大下島に4車線の架橋が開通。こっちを通したせいでルート一番の難工事。まあ小大下島-大下島でも似たようなものだが。
    • 大下島-柏島-大三島に4車線の架橋が開通。
  3. 上とは違うルートを考えてみた
    • 広島高速2号→呉道路→音戸→倉橋→怒和島→中島→興居島→松山市街→松山JCT(ICの少し東)
    • 橋が長い気がするけど気にしない。このルートだと徳山→柳井→大島→怒和なんて道路も作られそう。
  4. 構想段階では「呉・今治ルート」と呼ばれていた。