もし東上鉄道が別の大手私鉄に併合されていたら
もし東上鉄道が別の会社に併合されていたら > 大手私鉄
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西武鉄道[編集 | ソースを編集]
- 今頃大堤商店の一員。
- 2000系の天下。
- そのかわり新宿線は未だに101系の天下。「旧」も西武新宿まで顔を出す。
- 小江戸号はこっちを走っている。もちろん川越まで止まらない。和光市停車なんてもってのほか。
- 拝島線が正式に本線に昇格。新宿線は小平で完全分断。
- そしてそれに対し、国分寺線と(現行の)新宿線東村山以北とを一体的に運行し(要するに旧川越鉄道に該当する区間)、新宿・池袋・東上の各線を連絡する役割を担わせる。
- 池袋ー所沢ー秩父「ちちぶ」、池袋ー川越ー小川「小江戸」、新宿ー所沢ー拝島「○○」
- 停車駅、池袋・川越・坂戸・森林公園・小川町・寄居。秩父鉄道直通なら寄居・長瀞・秩父。
- せっかく秩父まで来たんだから三峰口まで行こう。
- 拝島線が正式に本線に昇格。新宿線は小平で完全分断。
- 有楽町線経由の急行小川町行きが毎時2本誕生。更に池袋発の小川町行きが毎時4本に増発。
- ただし急行は毎時2本に減便。2本は準急に。
- 優等列車が数多く運転されて便利になる一方、覚えられないという弊害も。
- 本川越駅と川越市駅が同じ場所に出来ていた。
- 駅名は「本川越」。
- 引込み線も繋いでいる。
- 川越とともに一つに統合されていた。JRも開業後その場所に出来た。
- 東京メトロ→池袋線→史実の新宿線→東上線→東京メトロという形での不正乗車が横行していた。
- 東上線で千鳥ダイヤが実現していた。志木や朝霞台を止まらない通勤快速とか。
- 「東武練馬」駅は、まさか「西武練馬」というわけにもいかないから、まったく別の駅名になっている。
- 駅名は東武練馬駅所在地の地名を考えると「徳丸」が有力かも。
- いっそ「西武板橋」もありだ。
- 「東武竹沢」も「西武竹沢」になる。
- 「練馬北町」でいいだろう。
- 新宿線、拝島線下りには「TJライナー」ならぬ「SJライナー」が走っている。前6両が本川越行き、後ろ4両が拝島行き。本川越行き停車駅は西武新宿、高田馬場、田無、東村山、所沢、新所沢、狭山市、本川越…快速急行と同じ。拝島行きは田無まで本川越行きと連結、田無から先は小平、小川、玉川上水の順に停車)
- 下り、上り共に快速急行が大増発。停車駅は今の西武新宿線の快急に同じ。
- 運転席に懐中時計置き場が無くなってる…。
- 池袋駅はどちらかに統合されていたかもしれない。
- もし東西に分かれたままなら、JRを挟んで東西にある駅舎をつなぐ通路が複雑になっている。
- 池袋線と繋げて直通運転を行なってたかもしれない
- 「東が西武で西西武♪」?
- もし東西に分かれたままなら、JRを挟んで東西にある駅舎をつなぐ通路が複雑になっている。
- 急行と快速の立場が逆転していた。
- 停車駅が大幅に異なっていた。
- 快速急行:池袋-成増-和光市-志木-ふじみ野-川越-本川越-坂戸-東松山-(各駅停車)-寄居
- 地下鉄直通、秩父鉄道直通の列車も運転されていた。
- しかも終日にわたって運転されていた。
- せめて車庫所在駅の森林公園は止めたれや。
- 急行:池袋-成増-和光市-志木-ふじみ野-川越-(各駅停車)-小川町
- 通勤急行:池袋-成増-和光市-朝霞台-柳瀬川-みずほ台-鶴瀬-川越-(各駅停車)-小川町
- 通勤急行は上福岡にも止めたほうがいいはず。
- 快速:池袋-中板橋-成増-和光市-志木-ふじみ野-(各駅停車)-小川町
- 準急:池袋-中板橋-成増-和光市-志木-(各駅停車)-小川町
- 区間準急:池袋-中板橋-成増-(各駅停車)-小川町
- 通勤準急:池袋-中板橋-成増-朝霞台-(各駅停車)-小川町
- 快速急行:池袋-成増-和光市-志木-ふじみ野-川越-本川越-坂戸-東松山-(各駅停車)-寄居
- 史実の「TJライナー」は別の名称で4000系で運転されていた。
- 現在は全て40000系に置き換えられている。
- 小川町〜寄居に東急からの譲受車を投入する計画があった。
全通(池袋~渋川)していたら[編集 | ソースを編集]
- 秩父線経由でなく、東上線経由で軽井沢への進出を果たしていた。
東京急行電鉄[編集 | ソースを編集]
- 6000系、7000系7200系といった3ドア車の安住の地
- しかし近年になって5000系で置き換え。
- 戦後東上鉄道に分割。以下東上鉄道の項目に同じ。
- 会社が別になっても、資本関係は解消されない。
- 池袋駅のそば(池袋東武と同じ所)に東急百貨店(池袋東急)を開業。
- おそらく川越にも東急百貨店ができているのではないかと思われる。
- マジレスすると、池袋東武は元池袋東急。再び復活。川越はまるひろが東急化していただろう。
- もっとマジレスすると、池袋東武の北側が旧・池袋東横。だから、東横のれん街が出来ていたかも。
- 自称被害者のプロ市民が一人でやっている「東急不買運動」のネタが増えている。
- そんなのあったっけ?聞いたことないけど・・・
- みずほ台、ふじみ野あたりが東急ブランドの街として発展していた。
- あと、つきのわ、霞ヶ関あたりも。
- 市ヶ谷以北が有楽町線、以南が南北線という乗り入れで、目黒線とつながった。
- もしくは、和光市から三田線という乗り入れで、目黒線とつながった。
- さらに副都心線で東横線と…
- 場合によっては副都心線のルート変更(池袋付近でグリーン大通り→明治通り)で直接東上線池袋駅に乗り入れ、東横線、副都心線、東上線の一体運用の可能性も。
- 東急自ら副都心線を建設した可能性もある。
- たぶん今頃は全車VVVF車だろう。
- 田園都市線で8500系がまだかなり残っていることを考えると完全VVVF化はしていないかも。
- 相鉄の車両が森林公園まで乗り入れていた。
京王電鉄[編集 | ソースを編集]
- 一時大東急の傘下となった東上鉄道だが、戦後の東急分割の時、なぜかGHQが弱小だった京王に井の頭線と一緒に押し付けた。
- 中型車と大型車が混在。特に朝ラッシュ時では混乱を招く。
- 今でも行楽シーズンにフライング東上が走っている。
- 毎日特急・準特が運行。
- ただし、通勤型電車による運行である。
- 地下複々線化により増発が可能に。
- 池袋~和光市間はメトロではなく東上新線に。
- ただしそれ以外の区間は複々線化しないため、朝ラッシュ時には和光市~志木間がカオス化する。
- 毎日特急・準特が運行。
- 坂戸切り離しの小川町or寄居&越生行きの特急が池袋から走る。
- でも、2006~8年頃にはなくなっているであろう。
- 準急は存在せず。急行成増行きが成増で普通川越市行きに化ける。
- 最初から「快速」を名乗っているんじゃ。
- 車両は軌間が同じ井の頭線と共通設計になる。
- おそらくあと1~2年で全車VVVF化完了。
- 井の頭線が吉祥寺から田無・ひばりヶ丘を経由してふじみ野か川越までの延伸計画があった。
- だが実現は難しそう。
小田急電鉄[編集 | ソースを編集]
- 新宿駅へ1本で行けるようになる。
- ロマンスカー「こえど・スーパーこえど」VS 西武「小江戸」の対決が見られる。
- 新宿から小田原線に乗り入れ。
- 終戦後にグランドハイツ〜座間の直通電車を運行。
- 有楽町線・副都心線直通のロマンスカーが走る。
- もちろん今でも有楽町線をロマンスカーが走っている。
- 新宿~川越市が複々線化してる。
- 八高線に直通する特別準急(→連絡急行)が設定される。
- 埼京線開業の頃に「東上急行」が運転開始。
京浜急行電鉄[編集 | ソースを編集]
- 横浜まで、山手線の外に線路を引いていたと思われるので、通勤通学が思いのほか便利になっていただろうに・・・。
- 各停は4両が多くなる。
- 高速輸送に命をかけているので、川越~池袋ノンストップ快特を毎時4本運行。
- 川越以北の停車駅は、快速急行と同じかな。う~ん、便利。
- 便利、だと?舐められたものだな。少なくとも志木には(地下鉄が絡めば和光市も)停まんなきゃ。東上線はインターアーバンじゃない。
- いや朝霞台だな。
- 京急本線だって元々は軌道線で、インターアーバンじゃなかった。戦後、インターアーバンになったんだ。
- 便利、だと?舐められたものだな。少なくとも志木には(地下鉄が絡めば和光市も)停まんなきゃ。東上線はインターアーバンじゃない。
- 50090系(にあたる車両)のクロスシートモードで運転。
- 戦後京浜急行電鉄が発足してしばらくは「GHQに押し付けられた路線」として冷遇されるが、日野原さんが「たとえ傍系でも遅い京急なんて京急じゃないやい」とか言い出したので高速化し始める。
- 川越以北の停車駅は、快速急行と同じかな。う~ん、便利。
- 本線並みのハイパワー車を狭軌で導入した為、相模鉄道もびっくりの直角カルダン車まみれ。
- 東上線専用車としてステンレスカーをかなり早期に採用している。
- それでも現状に比べたら格段に良い事は確か。そもそも軌間が違うので本線系統のお古を回される事がない。
- 現実の世界と違う意味でTOJO HARD。
- 現実のTJライナーが「TJウィング号」として走っている。
- 多分池袋~川越ノンストップ。京急ウィング号は横浜に停まらないが、さすがに川越を通過することはしないか。
- 大東急からの分離直後は1800形(国鉄モハ63系の割当車で史実ではすべて小田急に継承)がいて、戦後しばらく使われていたが、昭和31年頃から魔改造が始まる。
- 有楽町線にも三田線にも乗り入れている。
- 12連急行を朝霞台で6両池袋行き・6両三田線直通に分割とか無茶なことをやっている。
- 啓志線が廃止されておらず、京急の免許取得後も旅客営業を続けている。
- 終点の駅は光が丘駅となっている。
- 免許取得と同時にキハ52形相当の気動車を自社発注する。
- 大師線同様盲腸線の往復運転だが、運転士はつい95km/h(キハ52形の最高速度)を出してしまう。
- 後継は電化?それとも関鉄キハ2100相応の新型導入?ウルトラCでまさかのハイブリッド?
- 電化でしょう。
- 電化に際して光が丘駅を地下化し、大江戸線と同一ホームで乗り換え可能にする。
- 駅の券売機には「京急東上線」と書かれているが、一昔前までは「京浜東上線」だった。
- ドアじゃなくて、ダァを閉める。
- もしかしたら標準軌になっていたかも。
- 標準軌になってたら有楽町線直通は設定されず、有楽町線はただ和光市まで行くか西武へ直通するだけだった。
- 三田線も標準軌で作られ、泉岳寺で京急本線と直通する。
どんな車両がいる・いた?[編集 | ソースを編集]
- 1800形
- 国鉄モハ63の割り当て車で、東上線用として一部が京急に割り当てられた。
- 戦後の世情が落ち着くにつれ、「東上線に対する京急のやる気のなさの象徴」と沿線住民からは言われる。
- 晩年は越生線専用になる。ワンマン改造でバックミラー付。
- 650形
- パチ600形(II)。初代東上快特。
- 直角カルダン車で、110kWモーターを装備する。
- 登場時は全電動車だったので、本線の600形(II)よりも強力だった。後TcMM'cに減速。
- 三菱、東洋に続いて東芝が京急の車両に関与するようになる。
- 5000形
- パチ旧1000形。4扉だが20m級なので両開き。
- ツラが旧1000形や700形(II)と同じことを除けば、京急車としてはアクの少ない車。
- ただし2M1Tで起動加速度3.3km/h/sec、平坦線最大釣合速度120km/h。営業運転最大速度110km/h。
- 初代有楽町線乗入れ用車。
- 700形(II)のT車を狭軌化して使っていたことがある。4連中1両だけドアが片開きの18m車という異様な光景が見られた。
- 今でも現役。昭和3x年製のはずだけど現役。
- そして朝晩の快特で110km/hでかっ飛んでいく。
- 退役後の譲渡先は主に秩父鉄道、あるいは113系の代わりにセミクロスシート化されて伊豆急へ行く可能性も。
- 5500形
- 本線1500形相当だが、残念ながらここからオールステンレス。
- 登場は本線1500形より先。
- 界磁チョッパ。京急東上線初の回生車。でも東芝直角カルダン。
- 20m4扉車としては初の120km/h対応増圧ブレーキ車。でも起動加速度は3.3km/h/sec。
- 現有楽町線乗入れ車。
- 700形(II)
- 越生線用に、700形(II)の足回りを交換して狭軌化、転入した車両。
- 650形の発生品だったりする。
- 7000形
- パチ2000形。でも、ステンレス。
- 2扉で登場したが、7100形登場後は4扉に改造された。
- 7100形
- パチ2100形。
- 京急東上線初のWNドライブ車。
- 一部は車体傾斜装置の試験用として、京急初のボルスタレス台車装備で竣工。
- 登場時期にもよるが、最初からIGBT採用でドレミファインバーターは無し。
- GTOでもシーメンス製ではなく東芝製なのでやっぱりドレミ音は無し。
- 逆に東芝との付き合いで2100形も東芝製GTOを積み「歌う赤い電車」はなかったかも……
- GTOでもシーメンス製ではなく東芝製なのでやっぱりドレミ音は無し。
- 3ドアになりそうな気がする。
- 日野原理論で7000系と共に片開き3扉で登場したりして。
- 6000形
- パチN1000形…と言うか史実のN1000形6次車相応(本線筋N1000はアルミ車体継続)。5500型の増備用。
- 見た目は京急顔ですそ絞りの無いE233系と言った形だが、下回りは従来どおりWNドライブのシュリーレン台車。
- 7000形・5500形以前の直角カルダンペデスタル台車の狭軌線系統の中で「ちょっとちがーう」けど特に何が問題というわけでもなし。
- 沿線にいると併結時の電制時に「ぎょわわわわわわ~ん」という不協和音が響く。
- 20m級なのでモロ走ルンですになってしまっていて2ちゃんで叩かれる。
- 7000形・5500形以前の直角カルダンペデスタル台車の狭軌線系統の中で「ちょっとちがーう」けど特に何が問題というわけでもなし。
- 2017年になって車体がsustinaになってフィルム→全塗装になった。ただし形式はそのまんま。
- N5000形
- 三田線直通用。ATO・ホームドア対策車。
- 運転台は京急(1号ATS)、三田線ATO、有楽町線CS-ATC、秩父鉄道ATSでもうそりゃあえらい騒ぎに。
- ステンレスだがまだ走ルンです構造ではなく、歪み採りリブつきの所謂東急形軽量ステンレス車体。
- 京急狭軌線最後の直角カルダンペデスタル車。
- キハ3000形・キハ3050形
- 国鉄キハ52形の自社発注車。赤いキハ52。
- タテ形機関のキハ52 0番台相当車がキハ3000形、ヨコ型機関のキハ52 100番台相当車がキハ3050形。
- 現役なのはキハ3050形。
京成電鉄[編集 | ソースを編集]
- 京成本線の池袋延長計画が実現し、川越から成田空港まで一本で行けるようになる。
- 池袋には百貨店はない。昔は史実の池袋東武の所に池袋京成百貨店があったが、閉店した。
- 有楽町線ではなく、三田線に乗入れている。
- ただし、京成押上線の有楽町延長計画が実現していれば話は別。
- 「TJライナー」は「モーニングライナー池袋・イブニングライナー池袋」となっている。
- 1970年-1990年代の東上線はゲテモノの宝庫。
- 本線で使い古された車両が狭軌化されて入ってきたり、初代AE形が狭軌化されて「フライングライナー」に入ったり、挙句の果てに東急から中古をもらったり・・・・
- 啓志線は旅客営業を続けるが、三セク転換される。
- もちろん運賃は(ry
- いろんな意味でTOJO HARD。
- もちろん改軌される。
- 改軌されない場合、小田急もどきの車両が導入されていたかもしれない。
どんな車両がいる・いた?[編集 | ソースを編集]
- 1000形
- 国鉄モハ63系割当車。
- 1957年-1961年にかけて2100形をモデルとした全金属製車体に更新される。
- 1700形
- パチ750形。
- 500形
- パチ1500形。
- 初代秩父鉄道直通車両。
- 2000形
- パチ3000形。4扉・20m級車両。
- のちに三田線直通車両にも抜擢されるが、引退時まで非冷房車があり、はずれ車両と言われていた。
- 廃車後は秩父鉄道に譲渡された。
- 2100形
- パチ3100形。
- 2150形
- パチ3150形。
- 初代AE形が狭軌化されて入るまではセミクロスシート。と言うことは経営危機がなければ今でも平気で使っていたかも知れない。
- 二代目秩父鉄道直通車両。
- 2200形
- パチ3200形。
- 2300形
- パチ3300形。
- 2000形・2100形・2200形と共に初代三田線直通車両。
- 2500形
- パチ3500形。
- 3500形の更新工事が優先されていたため、全車両未更新。
- 二代目三田線直通車両。
- 2600形
- パチ3600形。
- 三代目三田線直通車両。
- 1100形
- 2100形・210形・2000形を狭軌化したゲテモノ車両。
- 5000形の転入で廃車された。
- 5000形
- 自社車両の冷房化率を上げるため京急1000形と同時期に初代東急5000系を購入した。通称「白ガエル」。
- 2700形の増備に伴い越生線に転出。1100形を置き換えた。
- 最近まで現役だったが、二代目2000形の導入で廃車された。
- 2700形
- パチ3700形。
- 四代目三田線直通車両。
- FE形
- 初代AE形を狭軌化した車両。
- 三代目秩父鉄道直通車両。
- 2000形(二代目)
- パチ3000形(二代目)。
- 五代目三田線直通車両。
- 3050形にあたる車両も製造されているが、形式名の変更は無い。
- キハ350形
- パチキハ35系。啓志線用。
- キハ500形
- パチ関東鉄道キハ5000形。啓志線用。
近畿日本鉄道[編集 | ソースを編集]
- 恐らく東京延伸に先立っての買収となる。
- 南大阪線と同時期に6400系列が大量投入される。
- 副都心線開業に伴い6820系が投入されている。
- 流石に3220系顔の別形式になっているだろう。
- 下手すりゃ東上線の中古が南大阪線に転用されるなんて事態が発生しているかもしれない。
- 3000系の車体構造は有楽町線直通用の車両に活かされていた。
- 副都心線開業に伴い6820系が投入されている。
- 当然特急が1時間間隔で運行される。
- 秩父鉄道への乗り入れが継続されていれば近鉄池袋~三峰口間に観光特化の特急が運行されている。
- 結局は「近畿日本鉄道」本体ではなく完全子会社の「東上鉄道」によって運営されている。
- 東急5000系列や東京メトロの車両にもチンベルが設置されていた。
- ライオンズが所沢に移転してきた後も一定数は埼玉県内にバファローズファンがいた。
- 当然電鉄系やじに西武も巻き込まれていた。
阪急電鉄[編集 | ソースを編集]
- 阪急の手によって沿線が宅地開発される。
- 和光市辺りは今頃高級住宅街になっている。
- 当然車両はマルーン一色。
- 副都心線のラインカラーがもっと濃くなっていたかもしれない。
- 寧ろ東京宝塚劇場の関係から有楽町線のラインカラーがマルーンになっていたかも。
- 副都心線のラインカラーがもっと濃くなっていたかもしれない。
- 三宮と同時期に池袋駅が「東京池袋」に改称されていた。
- 上記同様、ライオンズが所沢に移転してきた後も一定数は埼玉県内にブレーブスファンがいた。
- 東京宝塚劇場は有楽町ではなく池袋にあったかもしれない。
阪神電鉄[編集 | ソースを編集]
- 京王でなく東横百貨店(のちの東武)で阪神グッズは間に合った。
- 史実どおりの直通ならみなとみらい線に阪神電車がと話題になる。
- 沿線は東の聖地とも評される。
南海電鉄[編集 | ソースを編集]
- 沿線に百貨店を所有したか。
- 沿線のダイエーはホークスとな長い付き合いとなった。