もし東京タワーが○○だったら
完成があの時期だったら[編集 | ソースを編集]
1880年代[編集 | ソースを編集]
- 高さは現実と同じ333mか?
- その高さはテレビの電波発信を考慮した設定なのでそこまでにはならないはず。
- ヨーロッパの同時代の鉄塔と同じように数十メートル-百数十メートルくらいの高さになっていた。
- 後になってテレビ用のアンテナが設置する。
- 元の高さや老朽化を考慮すると昭和のうちに後継の塔が必要になっていた。
- エッフェル塔は現実より高いかもしれない。
- だいたい340m代位か。
- 用途は展望用。
- 史実で明治末に計画されていた「日本大博覧会」のシンボルタワーとして建設されていた可能性が高い。
- 後には軍事用の気象観測などにも用いられた。
- 外国人が設計していた。
- しかし、東京大空襲で悲惨な状態に…。
- エッフェル塔と同じギュスターヴ・エッフェルが設計していた可能性も十分ある。
- 名称は「明治塔」か「帝都塔」。
- 関東大震災で壊れていたら工作物にも「百尺規制」が適用されていた。
- 「サクラ大戦」シリーズで重要な役割を果たしていた。
- 「帝都物語」にも確実に出てくるはず。
- 「いだてん」でもCGで往時の姿が復元され近代建築ファンを喜ばせていた。
- 戦後まで生き残っていたら一部が明治村に移設されていた。
- 万一全体が残っていたら登録有形文化財どころか重要文化財も狙える。
1920年前後[編集 | ソースを編集]
- 建設目的は関東大震災の復興建築物か。
- この場合は「1920年代中頃」といった方が正確。
- 関東大震災は1923年9月発生。
- この場合は「1920年代中頃」といった方が正確。
- エッフェル塔みたいな感じか?
- テレビ用ではなくラジオ用かもしれない。
- 後になって、ようやくテレビ用のアンテナにも建設する。
- この場合中波ラジオの送信塔も史実と異なり自立式鉄塔が主流になった。
1940年代[編集 | ソースを編集]
- テレビ放送が早まっていた。
- でも、1945年の時ニュースは戦争ばかりだったかもしれない。
- その頃にはTV自体が大幅に短縮されているだろうからそれどころではない。
- 戦前にテレビ放送が実現しなかったのは技術者や設備が軍需方面に転用されたためなのでそれはない。
- でも、1945年の時ニュースは戦争ばかりだったかもしれない。
- しかし東京大空襲で悲惨なことに…。
- テレビ放送もめちゃくちゃに…。
- そもそもそんな事になる前に軍部への金属供出で解体されているはず。
- 放送施設は戦意高揚や空襲時などの国民の安全確保に必要だったため対象外だったのでは。
- 実際金属供出でラジオ塔が解体されたという話は聞いたことがない。
- 放送施設は戦意高揚や空襲時などの国民の安全確保に必要だったため対象外だったのでは。
- あるいは丸の内の一部と同じように占領後の使用を考えて爆撃対象から外されていた。
- 旧日本軍の秘密基地があると都市伝説になるかもしれない。
- 8月15日には、戦争のテーマとしたライトアップされていた?
- おそらく紀元二千六百年だった昭和15年開業。
- 建設地がこの年開催予定だった日本万国博覧会の開催地となるはずだった晴海になっていた可能性あり。
1952年[編集 | ソースを編集]
- NHK・日テレ・TBSも最初からここから放送していた。
- 当初の放送範囲も広かった。
- 運営主体は別。
- 国営になっていてもおかしくなかった。
- この場合現在は「独立行政法人日本電波塔機構」などという法人が管理運営を行っていた。
- 民間企業なら裏でどれほどの暗闘が繰り広げられたか想像もつかない。
- 国営になっていてもおかしくなかった。
1960年代[編集 | ソースを編集]
- もちろん、東京タワーはオリンピックカラーに。
- 2020年五輪招致記念の時は1964年当時の再現したライトアップになっていた。
- 複数の色を使ったライトアップはLEDが実用化されてからでは。
- 東京オリンピック開催と東京タワー開業の時に何かと動きがあった?
- 東京タワーはオリンピックイメージが強くなっていた。
- 五輪後の着工ならそれはない。
- 建設に郵政省が何らかの形で絡んでいた。
- この場合当時の在京テレビ局は全て完成当初から東京タワーへ送信所を移転していた。
- NET(現テレビ朝日)・フジテレビも開局後しばらく自前の鉄塔から送信する羽目になっていた。
- 前者はTBSあたりの塔を借りていたかもしれない。(史実でも皇太子ご成婚パレード中継の協力歴あり)
- 完成時期によっては「ウルトラマン」か「ウルトラセブン」あたりで破壊されていた。
建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 1964年現在世界一高いタワーはエッフェル塔である。
- なお1961年にはオランダで高さ367メートルの塔ができている。
- 鉄塔のことを東京タワーだと思わなかったはずだ。
- 代わりに名古屋テレビ塔があの形を想起させる象徴になっている。
- テレビ放送はもちろん無かった。代わりにラジオが発展していた。
- もしかしたら、地域のタワーでテレビ放送していたかもしれない。(高さは適当か?)
- 東京地区でのテレビ放送の開始は1953年、東京タワー完成は1958年。
- 東京タワーができる前からNHK・日本テレビ・KRテレビは自前の送信所を使ってテレビ放送をしていた。
- 60年代に計画のあった「正力タワー」か「NHKタワー」のどちらかが実現していた。
- もし実現したら東京スカイツリーはどうなる?2倍以上の高さになってしまうのか?
- 計画自体なかったのでは。
- もし実現したら東京スカイツリーはどうなる?2倍以上の高さになってしまうのか?
- 民放テレビ各局の送信所がバラバラになっていた。
- TBS・・戸田、フジテレビ・・木更津、テレビ朝日・・川口、NHK・・久喜、日本テレビ・・川崎、テレビ東京・・千葉。
- 郵政省は史実の東京タワー建設前から「テレビの送信所をまとめないと面倒なことになる」と思っていたのでそれはない。
- 結局、筑波山に電波塔を集約されていた可能性が高い。
- デジタルのNHK東京総合テレビは域外中継局扱いになる?
- 結局、筑波山に電波塔を集約されていた可能性が高い。
- リリー・フランキーの小説「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」は、タイトルが変わっていた。
- それでも史実で東京タワーがある場所に紅葉館が再建されることはない。
違う場所で建設されていたら[編集 | ソースを編集]
今のスカイツリーと同じ場所[編集 | ソースを編集]
- スカイツリーは別の場所に建設されていた。
- または建設の際に東京タワー解体が実現されてしまっていた。
- ウンコビルの存在は薄くなっていた。
- むしろ「タワーが脱糞した」などと言われてよりおかしなことになる。
- 「下町の風景が破壊される」として反対運動が起こっていたかも。
- 昭和30年代に「下町の風景」を有難がる発想はなかったはずなのでそれはない。
- 東武の東京での貨物ターミナルは千住に一本化されていた。
- 底面積はスカイツリーより広いので伊勢崎線の線路も北に移転させないと建設不能だった。
- 曳舟~浅草は地下化されて10両化…したかは微妙。
- 最寄り駅は今も「業平橋」を名乗っていた。
新宿区[編集 | ソースを編集]
- 新宿駅の再開発が大規模になる。
- 東京タワーに行く人はかなり増えていたはず。
- 建設地は淀橋浄水場跡地。
- 史実では新宿中央公園になった部分が一部使われていた。
- 浄水場移転を求める声は大正末期からあったので移転が早まっていても不思議ではない。
- 東京都庁の移転先は新宿になっていなかった。
- 新宿に建設されたとしても高さは史実ほどではなかった。
- 間違いなく「ゴジラvsキングギドラ」で破壊されていた。
豊島区[編集 | ソースを編集]
- 建設地は巣鴨拘置所跡地。
- 勿論サンシャイン60は存在しない。
- 史実の東京タワー着工当時でもまだ巣鴨に戦犯が収監されていたので別の場所が使われたのでは。
- 旧豊島師範学校跡地(現池袋西口公園)が最有力か。
北の丸公園[編集 | ソースを編集]
- 建設当時の郵政省電波監理局長が当初候補地としていた。
- 現実で日本武道館が立地している場所が使われていた。
- 武道館は別の候補地に建てられた。
- 科学技術館がタワービルに入居していた。
- 放送関連の展示が開館以来ずっとある。
- 建設工事で江戸城の一部遺構が破壊された恐れがある。
- 当初構想にあった「羽田空港とモノレールで直結する」という案はやはり実現しない。
- 皇居のセキュリティを考慮し南方向の眺めがある程度制限されていた。
上野公園[編集 | ソースを編集]
- 現在地以外では最有力候補だったらしい。
- 東北・北陸方面から上京した人々から特に親しまれた。
- 井沢八郎「あゝ上野駅」の歌詞にも登場していた。
- 上野動物園のモノレールが乗り入れていたかもしれない。
- 「西郷どんの銅像の背後に見えるタワー」という構図が上野を象徴するものとして広く使われていた。
- 運営会社に京成が出資していたかも。
大阪市[編集 | ソースを編集]
- 初代通天閣の建て替えが建設理由になっていたかも。
- その場合、今の通天閣はないかもしれない。
- そもそもこの場合は大規模な立ち退きが必要になり実現しなかったかもしれない。
- 現在の通天閣はたまたま空いていた狭い公園跡地に何とかして建てたようなもの。
- 隣接する天王寺公園に建設されていたかも。
- 生駒山系に遮られるため奈良県への電波の飛びは史実より悪い。
- 早い時期から在阪広域局が「奈良中継局」を置いていた。
- テレビ大阪の京都・奈良における遠距離受信は現実よりかなり難しくなっていた。
- その代わりNHK総合テレビ・FMの府県域化はもっとスムーズに行えていた。
鹿野山[編集 | ソースを編集]
- 現在マザー牧場が位置している場所はもともとタワーの建設候補地だった。
- 文句なしで富津市のシンボルとして君臨している。
- 全国の放送ファンに「富津」という地名が知られていた。
- 山自体の標高が379mあるため鉄塔はそこまで高くない。
- 現実の広島デジタルテレビ放送所(絵下山)のような感じになっていた。
- 展望台もタワーとは別に設置されていた。
- チバテレビもここが親局だった。
- スピルオーバーを考慮し北東?に指向性をかけたアンテナを用いている。
- TOKYO MXの送信所は田無タワーあたりになっていた。
- なぜか埼玉県民はスカイツリー誘致に命を懸けていた。
別の愛称が採用されていたら[編集 | ソースを編集]
昭和塔[編集 | ソースを編集]
- 公募で最多得票だった。
- 文句なしに高度成長のシンボルとなっていた。
- 東京スカイツリーの没ネーミングに「平成塔」というものが存在していた。
- 「天皇制支配のシンボルタワー」として左派インテリに名称を批判された。
- 赤軍派の攻撃対象にもされていた可能性あり。
- 昭和天皇崩御後に名称変更が変更されるが結局そのままに。
- フットタウンに昭和の街並みをイメージした商業施設が入っている。
- タワーへ行こうとして誤って鶴見線昭和駅へ行ってしまう人が確実にいる。
日本塔[編集 | ソースを編集]
- 読みはおそらく「にっぽんとう」。
- 「にほんとう」では刀と同音になってしまう。
- 英語名を"Nippon Tower"にするか"Japan Tower"にするかでひと悶着ありそう。
平和塔[編集 | ソースを編集]
- かつては大展望台から鳩を放つイベントが行われていた。
- 宮崎の「八紘之基柱」の現名称は史実と変わっている。
- 護憲団体などのポスターによく姿が登場している。
- 原料の一部に戦車のスクラップが使われていることがさらにクローズアップされていた。
プリンス塔[編集 | ソースを編集]
- 皇太子明仁親王(当時)のご成婚を記念した名称。
- プリンス自動車(のち日産に吸収合併)のカタログにスカイラインやグロリアの背景としてよく登場していた。
- 西武グループの持ち物だと誤解する人が続出。
- その絡みもあり後に愛称が変更された可能性がある。
- むしろ近くに東京プリンスホテルがあるのだからタイアップしない訳がないだろう。逆に高輪のさくらタワーの名前が史実と異なっていた。
- その絡みもあり後に愛称が変更された可能性がある。
- 現在のマスコットは確実に何らかの王子様。
- 大展望台のカフェではプリンスメロンを用いたメニューが名物になっていた。
日本電波塔[編集 | ソースを編集]
- 正式名称はこれ。
- 間違いなく後に「日本タワー」などの通称が自然発生していた。
- 関連会社の社名では「日電」もしくは「電波塔」が使われていた。
- 運営会社の名称は今も開業当初と変わっていない。
宇宙塔[編集 | ソースを編集]
- 建設当初は未来的な名前として受け入れられたが時代を経るにつれだんだん古臭い名前と認識されるようになった。
- 20世紀中に公募で別の名称に変更された可能性大。
- フットタウンに宇宙開発事業団(NASDA)→宇宙航空研究開発機構(JAXA)のPRスペースが設けられる。
- 名古屋テレビ塔のように銀色の塗装にできなかったことが一部で惜しまれる。
- 間違いなくどこかのSFでロケットに改造されていた。
きりん塔[編集 | ソースを編集]
- 開業当初から「キリン塔」「麒麟塔」などと表記が揺らぐ。
- キリンビール及び三菱グループとの資本関係があるものと勘違いされる。
- 資本関係はなくとも開業50周年などのタイミングでコラボしたビールなどが発売されていた。
- ノッポン兄弟の体の色が黄色になっていた。
- あるいはキリンそのものだった。
異なる高さだったら[編集 | ソースを編集]
100m[編集 | ソースを編集]
- 新しいタワーの建設が急がれた。
- おそらく関東広域の全てのテレビ局が使用するタワー建設までの暫定的な電波塔としての位置づけになっていた。
- 当時でも日本テレビはもっと高い自社の塔を使っていたような記憶がある。
- NHKは177m、日テレは153m、KRテレビ(現TBS)は174mとどこの先発局の塔よりも低い。
- 当時でも日本テレビはもっと高い自社の塔を使っていたような記憶がある。
334m[編集 | ソースを編集]
- 2005年までは「もう1m低ければゾロ目だったのに」と言われる程度の何の変哲もない数字だった。
- 2006年からはタワーが虎党にとってとんでもないトラウマを呼び起こさせる存在に変貌していた。
- 特に日常生活の中でタワーを目にしないわけにいかない東京在住の阪神ファンが苦しめられる。
- 現実の高さとほぼ変わらないため本来の機能への影響は無視できる程度か。
- 函館山と同じ高さなので何らかのつながりがあった。
380m[編集 | ソースを編集]
- 当初予定されていた高さ。
- アンテナが風の影響を強く受けテレビの映りが現実より悪化していた。
- 後年に制振装置などの開発を促す要因となった。
- 東日本大震災の時にアンテナの被害がもっと大きくなっていた恐れも否定できない。
- ベルリンテレビ塔(368m、1969年完成)あたりが現実以上の高さにされていた可能性あり。
- 当時の東ドイツ政府なら「世界一高い電波塔」という称号を手に入れるため躍起になったとしてもそう不自然ではない。
- それでも東京タワーが「日本一高い建物」だった期間は1日たりとも延びなかった。
- 史実で日本一を奪った塔はどれも400m以上のため。