もし東海道・山陽新幹線が○○だったら
全般[編集 | ソースを編集]
民間主導で実現していたら[編集 | ソースを編集]
- 終戦直後、民間主導で弾丸列車計画を実現しようという声が実際に出ていました。
- 計画では五島慶太が関わっていたことから東急系列の会社が運営していたのはほぼ確実だろう。
- 社名も東亜国内航空に倣って「東亜高速鉄道」辺りになっていた。
- もしくは「東名急行鉄道」。
- 東亜国内航空の「東亜」は広島拠点の旧東亜航空が由来なので東急とは無関係。
- 起点もおそらく渋谷になっていた。
- その場合、現在の田園都市線沿いに通っていたか。
- あるいは初期の高速バス会社のように沿線に存在する企業の共同出資の形をとっていた。
- 東急の他、大手私鉄だと小田急・京急・相鉄・名鉄・京阪・阪急・近鉄・阪神・南海あたりも出資。
- 相鉄と名鉄は出資しておらず、代わりにアメリカ資本が入っていた。
- 東急の他、大手私鉄だと小田急・京急・相鉄・名鉄・京阪・阪急・近鉄・阪神・南海あたりも出資。
- 社名も東亜国内航空に倣って「東亜高速鉄道」辺りになっていた。
- その後の新幹線計画は大きく異なったものになっていた。
- 国土開発の軸としての地位を手に入れられたかどうか怪しい。
- 高速鉄道と在来線の関係が台湾みたいな感じになっていた。
- さらに多額の収入が失われ国鉄の経営悪化がもっと加速していた。
- 1950年代頃に開業していた。
- もちろんスペックは史実より劣る。
- バブル期あたりからさらなる超高速鉄道の計画が登場していた。
- 東名急行バスは現在のJRバス相当の子会社として設立されていた。
- 今のJRが国鉄時代である1964年から民間企業として東海道新幹線が開業という事で、JRとは違う会社だっただろうから、運賃はJR各社から新幹線、新幹線からJR各社の運賃計算は通しではなかった。
- 国鉄の資本が入らなければ確実に妨害の標的にされていた。
- 大都市では中心駅への新幹線乗り入れを拒否し小駅や周縁部に追いやる。
- 新幹線妨害目的の新線計画をぶち上げ先に予定地を買収する。
- 高速線が東急主導だったら、確実に国鉄は堤が政治家なので西武に肩入れ。国土計画が土地の大量買収にかかる。
- 東京都駅→小田急百貨店新宿店、静岡市駅→静鉄新静岡駅、名古屋市駅→名鉄名古屋駅・大阪市駅→阪急大阪梅田駅に建設して対抗。
- 国鉄に対抗する目的で貨物輸送も実現させた。
- 宅急便登場時にヤマトと本格的に組んで荷物輸送にも参入した。
東海道新幹線[編集 | ソースを編集]
全線複々線だったら[編集 | ソースを編集]
- 東海道新幹線の輸送力は大幅に上がる。
- 1時間当たり最高片道30本以上の運転が可能となっている。
- 東京~名古屋間で小田原・静岡・浜松などに停車する「ひかり」の本数が大幅に増えていた。
- 具体的には品川・小田原・静岡停車が「富士」、新横浜・浜松停車が「ひかり」になっていただろう。
- 一部列車は三島・熱海や豊橋にも停車。
- 熱海停車はないだろ。
- 線路容量が大幅に上がるので、東海道・山陽新幹線でも新在直通のミニ新幹線が実現する。
- 東京~鳥羽・賢島(近鉄名古屋線直通)、東京~奈良(近鉄京都線直通)、東京~鳥取(智頭急行線直通)、東京~出雲市(伯備線直通)、新大阪~成田空港(品川から都営浅草線・京成押上線・成田スカイアクセス線経由)などが有力候補となる。
- ん、これは山陽も複々線扱いなのか?
- 山陽新幹線は東海道よりも需要が少ないので複線でもなんとか対応できると思われる。
- 山陽新幹線や東北新幹線も特に重要な区間は複々線化されていた。
- 伊勢方面へのお召し列車が東京から一本で直通可能。
- ん、これは山陽も複々線扱いなのか?
- 北陸新幹線も米原駅から乗り入れる。
- 改軌にかかる費用や時間を考慮するとほとんど実現していない気がする。
- 東京~鳥羽・賢島(近鉄名古屋線直通)、東京~奈良(近鉄京都線直通)、東京~鳥取(智頭急行線直通)、東京~出雲市(伯備線直通)、新大阪~成田空港(品川から都営浅草線・京成押上線・成田スカイアクセス線経由)などが有力候補となる。
- 東海道新幹線でも2-2列シートの「ひかりレールスター」のような列車が運行されている。
- ただし16両編成から12両編成となる。
- 食堂車とグランクラスの両方を連結した16両編成も運行される。
- 中央新幹線は計画されなかった。
- いや、中央新幹線は東海道新幹線運輸量増強もあるが、東海地震・富士山噴火などの災害によって東海道新幹線運行不可になったときと、東海道新幹線の老朽部分を補修するために昼間も止めたりするときのバックアップ路線じゃなかったか?
- 現状のバラスト軌道部分の改修が容易になる。また、補修などがしやすくなる。
- 内側二本がのぞみ、外側二本はひかり・こだま用となる。
- 0時から6時までの間は外側二本のみを使用する。
- 保守工事に合わせ、日によって使い分けていた。
- 0時から6時までの間は外側二本のみを使用する。
- 貨物列車の運転が実際に行われていたかもしれない。
- 貨物列車と寝台特急も運行されていた。
- 大都市近辺は二重高架になっていた。
- 駅の数が史実より多くなっていた。
- 東海道における「1編成16両固定1323人」というルールは存在しなかった。よって、現在でも食堂車が連結・営業され、九州新幹線直通列車も一部が京都や名古屋まで直通していた。
- もしかすると、東北新幹線との直通も行われていたかも。
- 九州新幹線は浜松まで、東北・北海道新幹線は山陽新幹線博多までそれぞれ乗り入れ。
- 史実での在来線の運転系統を考慮すると九州からは名古屋、東北方面からは新大阪くらいが限度かと。
- 以降、「新幹線は複々線」が基本になっていたかもしれない(さすがに閑散区間は複線だろうが)。
- 東北・上越新幹線も仙台・高崎あたりまでは複々線で建設されていたかも。
- 整備新幹線は基本的に複線だが一部は複々線化を想定した工事もされる。
- 間違いなく東京五輪には間に合わなかった。
開業時に東淀川駅が廃止されていたら[編集 | ソースを編集]

- 東淀川駅は、隣の新大阪駅に近いという理由で東海道新幹線の開業と同時に廃止される予定でした。
もし東淀川駅が新幹線の開業と同時に廃止していたら?
- 万世橋の様にホームの土台は残されている。
- 以外とあまり変わっていないかもしれない・・・
- いしいひさいちの作品に、東淀川は登場しなかったであろう。
- 21世紀になってから、新大阪駅と吹田駅のほぼ中間辺りに新駅ができる。駅名は「JR神崎川」。
- むしろ「JR東三国」か「南吹田」だと思う。
- 南吹田駅がおおさか東線開業前に東海道本線にできていた。
- むしろ「JR東三国」か「南吹田」だと思う。
- 新大阪駅の北側にも出入り口が出来た。
- 新大阪駅は名目上東淀川駅の改称・移転扱いとなった。
- むしろ新大阪と東淀川の間に新駅ができる。
名古屋駅まで先行開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 新大阪までの延長開業は大阪万博開催になっていた。
- 新大阪開業と同時に「ひかり」に自由席が設けられていた。また、岐阜羽島・米原には最初から一部の「ひかり」が停車していた。
- 名鉄羽島新線は岐阜羽島駅開業と同時に開業していた。
- 名古屋以西が山陽新幹線と同じ規格になり、最高300km/h運転が行われていたかもしれない。
- 新大阪開業と同時に「ひかり」に自由席が設けられていた。また、岐阜羽島・米原には最初から一部の「ひかり」が停車していた。
- 名古屋飛ばしは…来るのか?
- 近鉄の名阪特急暗黒時代はなかった。
- 新大阪開業時期にもよるが、もし大阪万博と同時期なら70年代前半は名阪特急低迷期であった。
- 12000系・12200系にスナックコーナーは設置されなかった。12000系の登場は1969年で、史実の12200系が12000系として登場していた。1967年に新製された方は12000系ではなく、11400系エースカーの増備車として登場していた。
- 名古屋開業~新大阪延伸までは黄金時代と呼ばれるほど乗り換え客でごったがえしていただろう。
- 急行「兼六」がこの時点でデビューしていた。
- 特急「つばめ」「はと」をはじめとする山陽本線の特急・急行の多くは1964年10月から1970年3月の間、名古屋発着となっていた(使用車両については史実とほぼ同じ)。
- 急行(1966年3月まで準急)「比叡」は1970年10月改正までの間、運転区間が名古屋-宇野間となって「鷲羽」に吸収されていた。また、「伊吹」は宇野まで延長のうえ特急「うずしお」に格上げされていた。
- 鈴鹿山脈経由ならおそらくこうなっていた。
- 収益が史実ほど得られず新幹線への疑問の声がやや大きかった。
路線名が東海道高速線になっていたら[編集 | ソースを編集]
- 本来はこの路線名になる予定だったらしいが、報道などで「新幹線」の名前が独り歩きしてしまった事から現在の路線名になったらしい。
- 言うまでもなくこれ以降の路線も全て「○○高速線」になっている。
- 山陽高速線、九州高速線、東北高速線、北陸高速線etc。
- 上にある通り新幹線の名が開業以前から浸透してしまっていたら、愛称としてやむを得ず「新幹線」を使っていたかもしれない。
- この場合は高速道路で言う「第一東海自動車道」と「東名高速道路」の関係のように、「高速線」の名前は鉄道ファンくらいしか知らない名前になる。
- 海外では普通に「高速鉄道」の英訳で売り込まれている。
- 東京臨海高速鉄道、東葉高速鉄道、埼玉高速鉄道、大阪高速鉄道などは高速線(現新幹線)と紛らわしいので別の会社名になっていた。
- JR東海は路線愛称に消極的にならず、ちゃんと新大阪駅で「JR京都線」・東京駅で「上野東京ライン」と乗り換え案内で言っていた。
失敗していたら[編集 | ソースを編集]
もし新幹線が建設されていなかったらと似てますが、建設当初は採算が取れないと不安視する声が多くありました。もし成功していなかったら?
- 新幹線は東海道新幹線のみの建設で終わっていた。
- 国鉄は東海道新幹線の建設で赤字が増え、5年~10年早く民営化していた。
- JR東海はなく、東海道新幹線はJR西日本が引き継ぐ。
- またはJR各社が新幹線を押し付けあった結果、JR新幹線ができていた。
- 日本一乗客の多い航路は羽田~伊丹になっていた。
- 関西国際空港、神戸空港の開港は早かった。
- 一方で国内の長距離移動自体の需要が減り、航空機の割引サービスも進まなかった。
- 民営化後に新幹線の乗客が増えた場合、山陽新幹線以降が20年~30年遅れで開業した。
- 1995年に山陽新幹線新大阪~博多が一挙開業、2000年ごろに東北新幹線の東京(または上野)~仙台が開業。
- それでも上越・北陸(長野)・秋田・山形・九州新幹線は建設されなかった。
- 北陸新幹線は別ルートで建設されていたかも。
- 下で述べた通り、大阪経済の衰退が進まなかったことから大阪側から先に建設されていたかも。
- 日本経済の東京一極集中は現実よりも進まなかった。
- 大阪経済の衰退は現実よりも進まず、東京と大阪の二眼レフ構造になっていた。
- 札幌・東京・名古屋・大阪・福岡が日本の5大都市圏と呼ばれるようになっていた。
- ストロー効果はほとんど発生していないと思われる。
- 名古屋が大阪を追い越していた。
- KTX建設以前からソウル一極集中が進んでいた韓国のように車のせいで首都一極集中という可能性もあるのでは。
- 寝台特急は現在に至るまで衰退していない。
- 航空機のシェアが史実以上になっているだろうから、夜行はおろか昼行特急も白旗を上げていたと思うんだけど。
- 東京〜大阪間の銀河は多分存続していた。
- 名古屋発着の昼行電車急行も健在。
- 採算確保の為に貨物輸送計画が実現していた。
- 品川、新富士、掛川、三河安城駅はできなかった。
- 熱海駅はとっくの前に廃止されていた。
- のぞみは運転されず、ひかりは開業時の停車駅に加え新横浜と静岡に停車している。
- 新幹線反対論者が盛んに喧伝された「欧米において既に鉄道が斜陽化している→これからは日本でも自動車と航空機の時代」になるわけだから…。
- 鉄道建設は1970年までにストップ。さらに大規模なローカル線撤去計画が実行され、鉄道が急激に衰退していた。
- 今頃鉄道といえば大都市圏の通勤鉄道か地方の保存鉄道ぐらいしかなくなっていた。残った幹線も貨物列車しか通らない状態になっていたかも。
- 高速道路が建設が促進され、今頃最高速度が200㎞~300㎞の道路ができていた。
- 航空自由化が促進されて羽田空港発着枠の割り当てが入札制になったり、LCCの登場が早まっていた可能性も。
- 鉄道建設は1970年までにストップ。さらに大規模なローカル線撤去計画が実行され、鉄道が急激に衰退していた。
- 国鉄再編の議論の中でコスト削減のため狭軌に改められてしまった。
- 鉄道斜陽化を食い止めた最大の功労者はフランスのTGV。
- 台湾高速鉄道の計画ではフランスとドイツが対決していた。
- 場合によっては21世紀に入ってから日本でも欧州式の高速鉄道が建設されていた。
山陽新幹線[編集 | ソースを編集]
岡山開業が大阪万博と同時期だったら[編集 | ソースを編集]
- 万国博期間中は、万国博を見物する客で満席となっていただろう。
- 「エキスポこだま」も博多方面へ運転されていた。
- 岡山-博多間も、史実より早く開通していた。
- 少なくとも昭和48年頃には開通。
- 日本の鉄道史は大きく変わっていただろう。
- 新幹線建設のスピードが全体的に早まっていたので在来線の特急にも大きな影響を与えていた。
- 東北新幹線の大宮~盛岡間も1970年代のうちに開業していた。
- 上野乗り入れは1982年11月に、東京駅乗り入れは1985年3月に行われていた。
- 上の内容を見る限りそこまで劇的な変わり方には思えない。
- 北陸新幹線も2009年7月の時点で全線開通していた。
- 九州新幹線も。
- 2004年3月には全線開業していた。
- 東北新幹線も2009年現在新青森まで開通し、さらに北海道に達していた可能性もある。
- 新青森開業は2002年12月、新函館北斗開業は2010年12月となっていた。
- 成田新幹線も開業していたかもしれない。
- 北陸新幹線は1991年6月に長野まで、1997年10月に金沢まで、2000年代前半に敦賀まで開業し、2000年代後半に全線開業済み。
- 九州新幹線も。
- さらに四国にも新幹線が建設されていたかもしれない。
- この場合本四架橋の神戸~鳴門ルートに新幹線が併設されていた。
- 神戸―鳴門ルートではなく岡山―瀬戸大橋―松山ルートになっていた。
- この場合本四架橋の神戸~鳴門ルートに新幹線が併設されていた。
一度に全線開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 新幹線
- 開業は昭和49年頃となっていた。
- 建設に時間をとれるため、基本的に在来線主要駅に併設となる。
- 東京ー横浜ー小田原ー熱海ー沼津ー富士ー静岡ー浜松ー豊橋ー岡崎ー名古屋ー大垣ー米原ー京都ー大阪
- 建設に時間をとれるため、基本的に在来線主要駅に併設となる。
- 「ひかり」と「こだま」の料金格差は開業時まで東海道新幹線全区間に残っていた。
- 岡山折り返しの列車が設定されないか、現実よりも少なかった。
- 代わりに姫路か広島折り返しの「ひかり」が設定された。
- 岡山開業が大阪万博と同時期だった場合同様、日本の鉄道史は大きく変わっていた。
- 北陸新幹線も、2011年秋の段階で全線開通していただろう。
- 国鉄財政はどうせ悪化していたので変わらなかったのでは。
- 北陸新幹線も、2011年秋の段階で全線開通していただろう。
- 東海道新幹線・山陽新幹線とともに民営化後に同じ会社が経営してた。
- 在来線
- 四国に特急が設定される時期が2年ほどずれ込んだ。
- 「やくも」も同じく。
- 一方で湖西線は開業と同時に特急が設定された。
- 湖西線が山陽新幹線と同時に開業していた可能性もある。
- 特急「つばめ」・「はと」や「桜島」・「高千穂」の廃止は1年早まった。
- サハシ153のビュッフェ営業がもう少し長く続いた。
- 「みどり」は宮崎に発着しない。
弾丸列車の用地が完全に転用されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では新大阪以西は返還されたため当時のルートとはかなり異なっています
- 大半の駅が既設駅と離れるorその割に最高速度が出せないため著しく不便になっていた。
- 播但線亀山駅が「新姫路」、宇野線大元駅が「新岡山駅」、山陽本線西広島駅が「新広島駅」、徳山駅の北方に「新徳山駅」、山陽本線嘉川駅が「新山口駅」になっていた。
- 「新神戸駅」、「新尾道駅」は史実とは別の場所にできる。
- 西条駅に「東広島駅」ができていた。
- 新大阪~博多間ノンストップの列車ができていた。
- 東海道新幹線と同時期に開業していた。
- 弾丸列車計画に含まれなかった九州では一切用地確保が行われなかったため展開次第では下関暫定開業も考えられた。
博多南線が在来線規格だったら[編集 | ソースを編集]
- 一応法律上は在来線扱いの博多南線ですが、車両は山陽新幹線と共有しています。
- 用地等を考えると、山陽新幹線の博多開業と同時に開業するのが前提条件になりそう。
- 埼京線と同様に、新幹線の高架に並行するような形で博多南線の路盤が用意されていた。
- 分割民営化後はJR九州に移管されている。
- 鹿児島本線が途中まで並行しているので、法律上の起点は博多ではなく竹下になっている。
- 小倉方面から博多南線に直通する列車も多くなっていた。
- 博多南付近までの速度制限がないので、九州新幹線の所要時間が少しだけ短くなっていた。
- 新幹線と線路を共有しない事から、日佐か柳瀬のどちらかに途中駅が設置されていたかもしれない。
- 駅名も博多南ではなく「那珂川」になっていたかもしれない。
- 駅も那珂川町側にあるバスターミナルと併設されていた。
- 路線名も博多南線ではなく「那珂川線」になっていたかもしれない。
- 那珂川町の中心部まで延長されていた。