もし横浜マリノスとフリューゲルスが合併していなかったら
全般[編集 | ソースを編集]
- 当然横浜FCは誕生せず。
- 神奈川ダービーのチーム数は変わらないが、顔ぶれは大きく変わっていた。
- 1998年のJ2降格はコンサドーレ札幌とアビスパ福岡。
- 鹿島アントラーズの三冠もなかったかも。
- マリノスの観客動員数が半減していたと思う
- 中村俊輔の背番号はマリノスにいる間ずっと25だった。
- 実史通り、10番を貰っていたと思う、仮に中村の背番号が10番じゃなかったら今の日本代表の10番は松井だったのか
- テレビ神奈川で放送していた「Kick off マリノス」と「フリューゲルスアワー」の打ち切りも無かった。
- 後に史実通り「ファイト!川崎フロンターレ」の放送がスタートしたら、番組編成はどうなっていたのだろうか。
- 2000年の名古屋の天皇杯優勝は無かった、それと同時にストイコビッチと楢崎が盟友になることも無かっただろう
- 逆に川口能活が名古屋へ移籍していたか、川島永嗣の名古屋移籍が早まっていた。
- 川島が名古屋でレギュラー定着していたら代表選出と海外移籍も早まっていたかもしれない。
- 場合によっては川崎に移籍することなく名古屋から直接海外へ、となっていたかも。
- 逆に川口能活が名古屋へ移籍していたか、川島永嗣の名古屋移籍が早まっていた。
- 大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併も回避されていた。
- 史実通り合併していた場合、プロ野球界は川渕三郎に死ぬほどバカにされていた。
- それでも、2008年秋の世界的な金融危機の影響による不況で、フリューゲルスのスポンサーからANAが撤退したてりして。
- それ以前に佐藤・全日空双方の資本が完全に消え,IT企業か辺りの完全子会社になってそう。
- 元フリューゲルスファンがANAを見限ることも当然ないから、JALはもっと早く経営破綻していた。
- 遠藤がガンバに来ないので本田圭佑は順当にガンバユースに昇格できたか、高校からガンバ大阪に入団している
- もしかすると初タイトル自体、本田の入団後までずれ込む可能性も・・・
- 西野朗ももっと早くガンバの監督を辞めてたかも
- 家長の移籍も無かった
- 本田がユースに昇格できなかったのは当時そこまでレベルの選手ではなかった、ということらしいのであまり関係ないような…
- もしかすると初タイトル自体、本田の入団後までずれ込む可能性も・・・
- 横浜国際はマリノスがメインで、フリューゲルスは横浜ダービーや浦和戦以外では三ツ沢を使用していた。
- YSCC横浜はJ入りを目指さなかったか?
- J3設立が史実通りなら横浜第3のクラブとして参入していたと思う。
フリューゲルスのその後[編集 | ソースを編集]
- 天皇杯でのあの優勝もなかった。
- 2001年シーズンはマリノスかフリューゲルスのどちらかがJ2落ちになっていた可能性もある
- 山口素弘はフリエ一筋で選手生活を終えていた。
- 仮にフリューゲルスで戦力外通告を受けていた場合は新潟で引退していた
- 少なくとも引退試合は開催できた。
- 監督になる前に、一度はコーチとして入閣していたはず(史実では横浜FCの監督にダイレクトな形で就任)。
- 2001年には反町康治が監督に就任していた。
- 長期政権になれば新潟のJ1昇格が遅れる。
- 大島秀夫、楢崎正剛、遠藤保仁は現在までフリューゲルスで活躍している(J2に降格とか年俸激減とかしていなければ・・・)
- 佐藤浩はフリューゲルスのコーチとして活躍している
- 遠藤は京都を経由せず直接ガンバに引き抜かれていた可能性も。
- 吉田孝行はマリノスに加入せずフリューゲルスに復帰していた
- 史実通り現役最後は地元の神戸で引退していた?
- 三浦淳宏は神戸ではなくフリューゲルスのGMに就任したかも、
- 坂田大輔、田中隼磨は順当にフリューゲルスのユースから昇格
- 父親が前身の全日空横浜クラブでプレーしていた李忠成もフリューゲルスユース→トップ昇格、という道に進んでいたかも。
- レギュラーに定着していれば広島や浦和への移籍はなく、できなければ移籍を繰り返して水沼宏太と比較されていた。どちらにせよ2019年にマリノスへ加入することはない。
- 鹿児島実業高校で遠藤の後輩の松井大輔、田原豊などもフリューゲルスに入団していたかも知れない。
- 隼磨が松田直樹と盟友になることもなく、晩年に史実通り生まれ故郷のクラブに移籍しても背番号3を背負うことはなかったかも知れない。
- 父親が前身の全日空横浜クラブでプレーしていた李忠成もフリューゲルスユース→トップ昇格、という道に進んでいたかも。
- 森敦彦は25歳で現役を引退することも無く後数年は現役を続けられていた。
- 楢崎にポジションを奪われた後は札幌か仙台、もしくは地元の神戸あたりへ移籍していたかも。
- エドゥーが監督に就任していた可能性あり
- いずれレオックに身売りして全日空はサッカーから身を引いた。
- 他チームのスポンサーになっていた。
- 経営規模が縮小する代わりに、当時のサブスポンサー・BANDAIがメインスポンサーになっていた。
- バンダイがナムコと統合したので規模を維持できる。
- 「プロジェクトxゾーン」でセガとコラボした縁で「サカつく」にも「バンダイ」がスポンサーとして特別出演していた
- 川崎ではなくフリューゲルスのホームゲーム会場でガンプラが販売されていたかも知れない。
- バンダイがナムコと統合したので規模を維持できる。
- 史実の横浜FC同様、カズが移籍してきたかも。
- 神戸退団後、日本での移籍先が見つからずオーストラリアかブラジルのクラブに移籍→ヴェルディのJ2降格後にヴェルディ復帰の可能性も
- 史実とは逆にとっくの昔に引退している可能性も(現実世界では2015年も現役)
- 城彰二や中村俊輔は入団しない。
- 西紀寛はジュビロではなく、既に内定していたフリューゲルスに加入する。
- 高原直泰についても同様。
- (楢崎や遠藤のその後の活躍を考えると)少なくとも1回はリーグ優勝していたと思う。
- マリノスとのダービーマッチはかなり盛り上がっていただろうなぁ…。
- 2000年代前半は鹿島、磐田、マリノス、中盤以降は浦和やガンバといったクラブのライバルとして優勝争いを繰り広げていただろう。
- 仮にフリューゲルスが降格せず何度かタイトルを獲得していれば神奈川県のサッカーファンとユースがマリノス一編にならずもう少しバランスの良い状態だった
- その場合、フロンターレが川崎に定着するのも史実より遅れていた(場合によってはJ1昇格も)
- 川崎が昇格しJ1に定着し続けていた場合、ベルマーレが割を食っていた
- (その後のクラブの成績にもよるが)しばらくはゲルト・エンゲルスがフリューゲルスの監督を続けていた。
- もしかしたら京都の監督に就任して天皇杯優勝することもなかったかも知れない。
- 場合によってはANA撤退など経営面の問題で主力選手を放出せざるを得なくなるなどクラブ全体がジリ貧に陥りJ2降格→そのままJ1復帰出来ないまま史実のヴェルディと同じようなコースに、となっていた可能性も否定出来ない気も…
- そうなると横浜FCとあまり変わらないか、もしくは降格後なんとか建て直して行きながら2010年代以降のベルマーレと同じような感じになっていた気も。