もし液晶の発達がもっと早かったら
液晶は古来から存在していたようですが、ディスプレイとしての液晶は1990年代後半から2000年代前半にかけて広まっていきました。もしこれがもっと早い段階で普及していたら?
昭和期及びそれ以前[編集 | ソースを編集]
- ブラウン管は存在しなかったかもしれない。
- よってテレビは黎明期から液晶だった。
- テレビのことを表す「ブラウン管」も「液晶」に変わっていた。
- YouTubeの名称も変わってた。
- テレビは薄型テレビしか存在しないことになり、「薄型テレビ」なる言葉は存在しなかった。
- カラーへの過渡期に発売された場合、カラーブラウン管テレビは製造されず、「カラー=液晶、モノクロ=ブラウン管」という棲み分けができていた可能性も。
- 昭和最後の日を薄型テレビで目撃した視聴者も多かった。
- ゲームボーイは昭和のうちに発売にこぎつけ、初代からカラー液晶で発売されていた。
- ゲームギアの「君のは白黒?」という比較CMもなく、ゲームギア自体も史実より売れていなかった。
- もちろんラテカセも液晶画面。
平成1桁前半(1989年~1993年前半)[編集 | ソースを編集]
- Windows3.1以降コンピューター・ディスプレイは全て液晶になっていた。
- Windows95発売の日には、液晶ディスプレイ搭載のPCが多数並んでいた。
- パソコンといえば液晶一体型かノート型というのが常識になっていた。
- W杯最終予選での「ドーハの悲劇」は薄型テレビで見た視聴者も少なからず存在していた。
- その後のリレハンメル五輪・アトランタ五輪等も薄型テレビで見た視聴者も多かった。
- 携帯電話も1990年前後には普及していた。
- 2000年代に入ると公衆電話は絶滅していた。
- スマートフォンやタブレットも2000年代前半までには普及を見せ、2009年までにガラケーは完全消滅していた。
- ドコモの場合fomaはタブレット端末として発売され、ガラケーはmovaとして発売されていた。
- 地上デジタル放送への移行も1990年代中盤には終了していた。
- それは別の問題。
- 地デジ移行が現実どおりに行われていたら薄型液晶テレビも16:9ではなく4:3で発売されることが多くなっていた。仮に16:9で発売されていたとしてもテレビ放送が4:3のままなのでメリットは少なかった。
- それは別の問題。
- 鉄道車両の車内案内表示にもLEDより液晶が多用されていた。
- ゲームボーイカラーは1995年ごろには発売されていた。
- ポケットモンスターシリーズは第1作の「赤・緑」からゲームボーイカラー専用ソフトになっていた。
- 技術がさらに発達していればゲームボーイアドバンスも1998年ごろに、ニンテンドーDSも2001年ごろに、ニンテンドー3DSも2008年に発売されていた。
- その場合、「金・銀」はGBA、「ルビー・サファイア・エメラルド」「ファイアレッド・リーフグリーン」はニンテンドーDSで(DPtはそのまま)、「ハートゴールド・ソウルシルバー」「ブラック・ホワイト」はニンテンドー3DSでそれぞれ発売されていた。
- 「大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS」も2011年ごろに発売され、「for WiiU」とはキャラも大幅に異なっていた。
平成1桁後半(1993年後半~1997年)[編集 | ソースを編集]
- この時期までに普及していれば、21世紀には薄型テレビ一色となっていた。
- フランスW杯商戦では、薄型テレビが大量に並んでいた。
- 当然ブラウン管テレビは存在しないか、しても申し訳程度。
- ブラウジング可能なモノクロ液晶の携帯電話は発売されなかった。
平成10年代前半(1998年~2002年)[編集 | ソースを編集]
- ここまで来ると、「もしこの時期に普及していたら」にはそぐわないかと思いますが、この時代はまだブラウン管も健在だったため、「この時代に液晶が2010年現在並みに普及していたら」という仮定とします。
- WindowsXP登場と共にブラウン管モニター搭載のPCは製造打ち切り。
- 日韓W杯時点で売り場は薄型テレビ一色。
- ブラウン管のデジタルチューナー内蔵テレビは製造されなかった。
- 史実より早くノートPCやワンボディPCが天下を取り、ワンボディーではないデスクトップPCはメーカー品としては2000年代中に完全消滅した可能性も。
- 自作もスリムタワーかミドルタワーが残る程度かなぁ…
- スマートフォンやタブレットももっと早くに普及し、2013年現在ガラケー向けサービス(ガラケー用サイト含む)はすべて終了している。
- 2000年頃には地上デジタル放送への移行が完了していた。