もし皇后が小和田雅子でなかったら
婚姻は個人の自由ですが、現在の天皇殿下が、他のお妃候補と成婚していたらどうなっていたかを考えてみましょう。
全般[編集 | ソースを編集]
- 雅子さんは引き続き外交官にとどまる。それにともない外務省がどうなっていたか。
- いくら外務省のキャリア組とはいえ次官・局長・大使クラスに昇進しなければ外務省全体を変えるほどの影響力はないと思う。
- 仮に頑張ってキャリア出世レースにかなり後期まで勝ち残っていた場合、御父上の力もあって女性初の外務次官候補としてあげられているかも。
- 宮内庁の上官クラスは現代でも自治省→総務省組か内部昇進組が中心であった。
- いくら外務省のキャリア組とはいえ次官・局長・大使クラスに昇進しなければ外務省全体を変えるほどの影響力はないと思う。
- ほかの候補と成婚していた場合、男子誕生があったかもしれない。その結果↓
- 秋篠宮家の第3子(悠仁親王殿下)は誕生していないか、実史よりは早い時期の誕生。
- ご公務をセーブするため、愛育病院で帝王切開という事態にはならなかった可能性もあり。
- 両家の男子により、海軍士官制服に赤い縁取り・半ズボンの姿が実史(悠仁親王殿下がこのまま順調に成長されて2013年初等科ご入学)よりは早く今頃見られた。
- ひょっとしたら中等科ぐらいにはなられていたかも。
- 女子が秋篠宮家の姉妹同様ネットで話題に。
- 男子誕生で日本経済も上向いていたかも。
- 男児が複数産まれていた場合、次男以降は成人後に高松宮家や高円宮家など、後継者のいない宮家を継承するということで、早い段階で養子に入っていた可能性も。
- 現在の皇室典範では天皇・皇族の養子は認められていないので「廃絶した宮家の復活」という形になるのでは?
- 高松宮家は有栖川宮家として三度復活することになるだろう。また、閑院宮家は現皇室の血統上のルーツであると共に昭和末期に御当主が亡くなられて断絶しているので、同じく復活対象となる。
- 男児が複数産まれていた場合、次男以降は成人後に高松宮家や高円宮家など、後継者のいない宮家を継承するということで、早い段階で養子に入っていた可能性も。
- 女帝・女系天皇問題自体ない。
- 竹田恒泰氏がテレビに進出するほど有名になることも無かった。
- 2010年3月発覚の不登校騒ぎもなかったか?
- 男ばかりの三つ子とか四つ子なんてこともあったかもしれない。
- この場合アニメ「おそ松さん」は制作されなかったか、史実とは異なる人物設定となっていた。
- それはさすがに関係ないと思うけどね。元々6つ子だったおそ松兄弟がそのまま成長した後を描いた作品だし。
- この場合アニメ「おそ松さん」は制作されなかったか、史実とは異なる人物設定となっていた。
- 秋篠宮家の第3子(悠仁親王殿下)は誕生していないか、実史よりは早い時期の誕生。
- ほかのケース:代わりの皇太子妃殿下がお子様にも恵まれず雅子妃殿下と同じ状態に陥っていた可能性(ないことを思いたい)
- 少なくとも、高円宮妃やそれを受けての高松宮妃の御発言は無く、秋篠宮家に早くに男子が産まれていた可能性はあったのではないか。
- 小和田家が介入することはない。
- もちろん、ご公務もご夫妻がそろって行う機会が増えていた。
- 四ツ谷と洗足の南北線による直結もなかったか?
- 都市計画は以前からあるはずだからそれはまずない。
- JR飯田線の小和田駅がフィーバーになることはなかった。
- 有名になるとしても秘境駅としてだった。
- ひょっとしたら、運転免許証を持っていたので(現在皇太子殿下は運転免許証を持ってません)、交友範囲が広くなりその帰結で別の女性とご成婚できたという可能性がある。
- 小和田雅子さんが適応障害に苦しむ事はなく、活き活きと外交官の仕事を続けていられた。
- 昭和天皇ご健在のうちに成婚なされたら、以下のように皇室典範や皇室の運用が変更された。
- 親王・内親王の範囲が「天皇の子と孫」に加え「皇太子の長男の子」または「皇太子の孫」に広げられる。
- 昭和天皇ご健在のままであれば、徳仁親王の子は「王・王女」となってしまうため。
- 御称号(皇太子殿下における「浩宮」の号など)に関して明確な法規は無いが、「天皇と皇太子の子」から「天皇・皇太子ならびに皇太子の嫡子の子」も名乗れるようになる。
- 史実における平成時代以降も、内廷の皇族は「○宮さま」と呼ぶのが普通になっていた。
- 「皇太子家」がおられるので、徳仁親王の御一家は親王の御称号を指して「浩宮家」と称されるようになる。
- 「浩宮家」は「寬仁親王家」のように宮家に擬した扱いを受ける。
- ただし御成員は嫡流に当たるので立場や公務上の扱いは内廷皇族である。
- 便宜上問題がある場合はイギリス・ウィリアム王子のケンブリッジ公のように、何等かの宮号を授けられる。
- 「浩宮家」は「寬仁親王家」のように宮家に擬した扱いを受ける。
- 親王・内親王の範囲が「天皇の子と孫」に加え「皇太子の長男の子」または「皇太子の孫」に広げられる。
具体的候補別[編集 | ソースを編集]
徳川(現・松方)冬子[編集 | ソースを編集]
- 父親(故・徳川宗賢、田安家次男、有名な国語(方言)学者)が一層注目を浴びることに。
- しかし、ナイトスクープの「アホバカ方言考」のブレーンには別の学者が出ていたかも。
- 現実には皇居を指して「ここは本当は私達の家だった」と嘯くほどの「アンチ皇室(?)」だったので、あえて娘を大学の自治活動(要するに左寄り)に関わらせて皇室から嫌われるように仕向けた、とも。
久邇晃子[編集 | ソースを編集]
- 香淳皇后の親戚。多分あのテの顔だちがより濃くなっていたであろう。
- 現実には精神科医になっているので、皇室一家のメンタルヘルスが向上していたかも。
- しかしながら、ひょっとすると本人が…(不謹慎orz
渋沢(現・今田)肇子[編集 | ソースを編集]
- 渋沢栄一の玄孫。高祖父の栄一が実業家としてだけではなく皇太子妃の高祖父として有名になった。
- その一方で渋沢一族のフランス文学者・澁澤龍彦の存在はマスメディアで黒歴史にされていた。
- 龍彦はマルキ・ド・サドの翻訳で知られ、沼正三・団鬼六と並び「日本SM界の三羽烏」であったため。
- ちなみに龍彦の家が渋沢家の本家(東ノ家)であり、栄一の家は渋沢家の分家(中ノ家)である。
服部聡子[編集 | ソースを編集]
- セイコーの創業者一族。諏訪精工舎の社長を務めた父親の服部一郎氏は史実以上に注目を浴びる。
- 当然、一郎氏が史実のように心筋梗塞により55歳の若さで急逝することなどなかった。
- 外務省のエリート外交官と挙式48時間前に破局したり3年間連れ添った夫と離婚することなどなかった。
- セイコーが史実の日清製粉同様皇室のお妃の実家のオーナー企業として有名になる。
- 勿論日清製粉は現・皇后陛下の実家・正田家のオーナー企業。
豊田由美子[編集 | ソースを編集]
- トヨタ自動車の社長を務めた豊田達郎氏の長女。豊田章男・現トヨタ社長の従妹にあたる。
- トヨタが史実の日清製粉同様皇室のお妃の実家のオーナー企業としても有名になる。
- 経済界におけるトヨタの地位は現在以上に強くなる。
- 史実を参考にすると、例えば美智子皇后の父は財界活動の面において控えめにしていたようだし、かえって経済界ではそこまで華やかな存在にはなってなかったかも。
- 「アンチトヨタ=アンチ皇室」とみなされ、アンチトヨタ派は皇室崇拝派からバッシングを受ける。
- 自動車業界におけるトヨタのシェアが史実以上に大きくなっている。
- 経済界におけるトヨタの地位は現在以上に強くなる。
三井和子[編集 | ソースを編集]
- 三井財閥の総本家である三井北家の11代目当主・三井八郎右衛門高公の孫娘。学習院初等科で現・皇太子殿下の同級生だった。
- 三井グループが史実の日清製粉グループのような企業集団とみなされるようになった。
- 戦後の財閥解体で三井家は三井系企業から切り離されたとはいえ、三井家は三井財閥の創業者一族であることには変わりないので。
三井史子[編集 | ソースを編集]
- 上に挙げた三井和子さん同様、三井財閥のオーナー一族。但し史子さんは松坂家の娘。
- 同じ三井一族のお妃候補・三井和子さんの場合と殆ど同じようになる。
- 実は家柄だけではなく美貌でも申し分のない方だったので、皇太子殿下もお気に入りと思われたらしい。
- 故に皇太子殿下と小和田雅子さんが出会う前に史子さんが皇太子妃になっていれば既出だが小和田雅子さんも精神を病むことなくのびのびと外交官として活動されていたのでは…と思う。
大橋真紀子[編集 | ソースを編集]
- 元大蔵省中国財務局長・大橋宗夫氏の娘。
- 大橋家は美智子皇后の実家・正田家と二重の姻戚関係にあるため、皇室と正田家・大橋家の関係がより強固になる。
- 最も正田家と大橋家の二重の姻戚関係は間にそれぞれ浜口家と安西家を挟んでいる。
- 大橋真紀子さんの父の従姉妹が皇后陛下の兄・正田巌氏と結婚し、真紀子さんの母方のおじ(伯父か叔父かは不明)・安西孝之氏が皇后陛下の妹・恵美子さんと結婚している。
柏原芳恵[編集 | ソースを編集]
- 当時皇太子殿下がファンだった歌手。
- 芸能界からは初となる皇室入内ということで世界中で大ニュースになる。
- 多くの民間人のファンが彼女のご成婚を盛大にお祝いしたことだろう。
- 愛子内親王が「美しすぎるプリンセス」として話題になるのは間違いないだろう。
- 御成婚当時、大阪府にある関西本線の柏原駅が大賑わいとなっていた(柏原芳恵は大阪府出身のため)。
- 他にも出身地である西成区天下茶屋界隈も話題になり、訪れる人が増えていた。
- 御成婚と同時に「芳恵」から「芳子」に改名させられていた(皇室の女性は名前の語尾に必ず「子」を付けるというルールがあるため)。
ブルック・シールズ[編集 | ソースを編集]
- 当時皇太子殿下がファンだったアメリカ人女優。
- 史上初となる西洋人の入内ということでやはり世界中が大騒ぎ。
- かつての戦争の敵国出身ということで保守派の一部からのバッシングは避けられなかっただろう。
- しかし本人が大の親日家であることがわかると批判もある程度は沈静化していた。
- 皇太子殿下との間にお生まれになる子女が日本人離れした風貌になるのは間違いない。
- 果たして皇室に適応することはできたのだろうか……?
- 確実にグレース・ケリーを引き合いに出される。
- やっぱり帰化・改名するだろう。さて、どんな名前になる?