もし阪神・淡路大震災が別の時代に発生していたら/1994年以前

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戦前[編集 | ソースを編集]

88年前 (1907年)[編集 | ソースを編集]

  1. 「xx07年発生の地震」であることに変わりはない。
  2. 日韓併合が早まったかも。
    • 史実での経緯を見る限り国内の状況はあまり影響しなかったのでは。
  3. 小林一三が関西に来なかった可能性あり。
    • 史実ではこの年に大阪に開業する予定だった証券会社の支配人になるため来阪している。
      • 震災があれば小林の来阪前に話が消えていた。
    • この場合箕面有馬電気軌道の計画は潰れ後の阪急も成立しなかった。

72年前 (1923年)[編集 | ソースを編集]

  1. 関東大震災と同時発生だったら、日本は混乱状況に。
    • 首都を地震の少ない京城や札幌への移転が議論されていた。
    • 同時でなくても二大主要都市が壊滅したため十分大変なことになっていたと思う。
    • 復興院は阪神大震災の復興事業も担っていた。
  2. 史実では翌年に完成した甲子園球場の工事が遅れていた。
    • 1924年中にできなければ名称が変わっていた。

終戦~1970年代[編集 | ソースを編集]

50年前(1945年)[編集 | ソースを編集]

  1. 前年の東南海地震と同様に戦意の低下を防ぐため情報が伏せられた。
    • 後世の研究に悪影響が及んだ。
  2. 阪神間の軍需工場が大きな被害を受け戦争継続がより困難になった。
    • 終戦が早まっていた可能性も。
  3. 神戸が受けた空襲の回数が減った。
  4. 米軍の伝単の題材にされていた。
  5. 火垂の墓は制作されなかった。
    • 避難先?で野坂昭如が空襲や家族の死に直面していれば結局書かれたと思われる。
    • 「アドルフに告ぐ」や「少年H」でも題材にされた。

1958年(37年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 宝塚歌劇団の香月弘美が舞台装置に巻き込まれて亡くなるという事故は起こらなかった。
  2. 東京タワー開業の喜びが減っていたかも。
    • 地震発生が史実通り1月17日なら日本社会を励ますニュースになっていたのでは。
  3. 被害規模によっては日清食品がチキンラーメンを発売する前に潰れていた。
    • インスタントラーメンの発祥が少なくとも数年は遅れていた。
      • 上手くいけば史実ののちの、浅間山荘事件の時のカップヌードルみたく大震災の被災者が食べていたことでチキンラーメンが有名になっていそう。

1959年(36年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年の南海ホークス日本一が「被災した関西を勇気づけた」と言われるようになった。4連投4連勝のエース:杉浦忠は史実以上に英雄視されていた。
    • 「涙の御堂筋パレード」が史実以上の感動を呼んでいた。
  2. この年の日本は伊勢湾台風と並んで2度の大災害に見舞われたことになっていた。
  3. 春までに起こっていた場合、皇太子(現上皇陛下)ご成婚が盛り上がらなかった。
    • 場合によっては延期もあったかも。
    • ご成婚自体は史実通りだったとしても派手なパレードなんかは行われなかった。

1960年(35年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 日米安全保障条約改定が遅れていたか、もしくは改定自体行われなかった。
  2. 浅沼稲次郎が暗殺されることはなかった。
  3. 民社党が結成されず、西尾末広らは社会党に戻っていた。
    • 後の佐々木更三と江田三郎の対立からの江田離党・社会市民連合結成や楢崎弥之助、田英夫、秦豊の離党も避けられていた。
    • 場合によっては社会党の衰退が冷戦終結まで遅れていたかも知れない。その代わり公明党や共産党の影響力は低下していた。

1964年(31年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 東京五輪開催や東海道新幹線の開通に影響していた可能性も。
    • 結局、復興という建前の元、東京人の娯楽目的でもっと盛大に開催していたと思われる。
      • 資金や人材の不足が発生しかねないため史実と同じ規模でとどめていたのでは。
  2. 1970年の万博は最初から関西での開催が既定路線。
    • 羽田空港跡地などが会場候補として考えられることは全くなかった。
    • 震災復興を名目に神戸が会場に選ばれていたかも。
  3. 御堂筋決戦の注目度が(少なくとも関西では)史実より高かった。
  4. 『華麗なる一族』の中で大きな出来事として扱われていた。
  5. 同年の新潟地震ではなくこの地震が地震保険誕生のきっかけとなっていた。
  6. 同年に新潟地震が起こったこともあり新潟-神戸歪集中帯が早くから知られるようになっていた。
  7. 神戸高速鉄道は震災復興支援の一環で建設。国鉄が震災からの復旧が早かったため,大阪・神戸間平行私鉄は,利用者を(一時的に)国鉄に奪われる。そのためか阪急・阪神・山陽の直通特急が神戸高速鉄道開業から間もない(大阪万博の頃)に直通特急の運行を開始する。開始時は(阪急)梅田-山陽姫路間・(阪神)梅田-山陽姫路間合わせて2本/h運行。

1968年(27年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 1~3月に発生した場合神戸高速鉄道(史実では同年4月開業)の開業は地下トンネルが被害を受けたことなどから半年~1年遅れていた。
    • 逆に山陽電鉄の路面区間(西代~兵庫間)は神戸高速鉄道開業まで仮復旧で運行していたか、震災を機に廃止され暫定的に西代折返しとなっていた。
  2. 神戸市電は震災で被災し全廃になっていたかも。
    • 阪神国道線も上甲子園以西が廃止されていた可能性もある。
  3. 神戸市は前年(1967年)の水害に続いて2年連続で大災害に見舞われたことになっていた。
  4. ウルトラセブン第14話・15話「ウルトラ警備隊西へ」が震災直前の神戸の様子を収めた貴重な映像となっていた。
  5. 阪急ブレーブスは史実通りリーグ優勝していた。うまくいけば前年のリベンジで日本一になっていたかも。
    • 「被災した関西を元気付けた」と語り継がれる。

1969年(26年前)[編集 | ソースを編集]

  1. 同年7月21日にアポロ11号が月に到達したことや人類が月に着陸したことの扱いが史実よりも小さくなっていた。
    • もしアポロ11号の月面着陸と同時期に発生していたら、それこそ大変な報道体制となっていた。
  2. 翌年(1970年)に開催予定だった大阪万博は開催されなかった。
  3. 史実通り1月17日に発生していたら東大紛争における安田講堂の封鎖解除が遅れていた。

1970年代前半[編集 | ソースを編集]

  1. 1970年に発生していた場合、大阪万博は開催されなかったか会期途中で中断されていた。
    • 1972年発生の場合、札幌オリンピックの感動が震災にかき消されていた。
      • 同年にはあさま山荘事件や日中国交回復・沖縄復帰などもあったことから特別な年として言い伝えられることになっていた。
  2. オイルショックによる不況がさらに深刻化していた。
  3. すでも団塊の世代から晩婚化が進んでいたため、第2次ベビーブームは1970年代後半~1980年代前半に到来していた。
  4. 1970~1971年に発生していた場合、神戸市電は震災で被災し廃止されていた。(史実では1971年廃止)
    • 阪神国道線も廃止されたかも。
    • あるいは路面電車は災害に強い(復旧が早い)ことが証明されたので、震災で軒並み不通になった鉄道路線の代替路線として活躍し、その結果路面電車が見直される結果になって廃止が撤回されていたかもしれない。
      • 神戸市電や阪神国道線だけでなく京都・名古屋・横浜・仙台の市電なんかも廃止されなかったかもしれない。
  5. 京阪神急行電鉄→阪急電鉄の社名変更が早まったかもしれない。
  6. 『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』などのヒットに象徴されるような終末ブームがさらに加速していた。
  7. 田中角栄内閣の初期までに発生していたらいわゆる「日本列島改造論」の中身はかなり変わっている。
  8. 1970年4月に発生していた場合、天六ガス爆発事故はこの地震が原因と見なされていた。

20年前(1975年)[編集 | ソースを編集]

  1. 1973年に起こったオイルショックと合わせ、震災も加わって不況が長期化していた。
    • 回復するのは1980年代になっていたかも。
  2. 山陽新幹線の岡山~博多間は史実通り開業するものの、新大阪~岡山間が不通になったことから、開通当初は岡山以西での折り返し運転となっていた。
    • 東海道区間への直通は全線復旧後となっていた。
    • あるいは震災復旧に時間をとられ、同区間の開業は1975年夏頃にずれこんでいた。
  3. 同年開催された沖縄海洋博覧会が盛り上がらなかった。
  4. 神戸市営地下鉄西神・山手線の新長田~名谷間の開業(史実では1977年3月)が1年ほど遅れていた。
    • 須磨ニュータウンの開発にも影響が出ていた。
  5. 「ポートピア81」は震災復興をテーマとした博覧会となっていた。
  6. この年の阪急ブレーブスの日本一は「被災地を勇気づけた」と描写されるのがお決まりに。
    • その代わりに「がんばろうKOBE」が存在しないので、1995年のパの優勝チームは西武になっていたかもしれない。
      • ロッテでは?(1995年は2位ロッテ、3位西武)
        • ロッテ優勝の場合、バレンタイン監督の解任はなかった。
  7. 異人館街の被害次第では2年後の連続テレビ小説「風見鶏」が制作されなかったかもしれない。
  8. 近鉄けいはんな線の荒本~新石切間は阪神高速との2階建て高架にはならなかった(史実では阪神大震災により阪和線と阪神高速の2階建て高架建設が中止され、阪和線だけが高架化された)。
    • その場合、けいはんな線は新石切駅手前まで地下線となっていた可能性が高い。

1980年代[編集 | ソースを編集]

15年前(1980年)[編集 | ソースを編集]

  1. 翌年(1981年)に開催予定だった「ポートピア81」は開催されなかった。
    • ポートアイランドが液状化の影響で使用不能になり、他の沿岸地域も同じように液状化の影響が甚大だったため、開催の中止を余儀なくされていた。
    • ポートピア連続殺人事件のタイトルも変わっていたかもしれない。
  2. 神戸市営地下鉄西神・山手線の全通が遅れた。
    • 新神戸延伸が1988年頃、西神中央まで全通するのは1990年代に入ってからになっていた。
  3. 新快速117系化のペースが鈍くなる。下手すれば10月のダイヤ改正まで全面置き換えが完了しなかった。
  4. 大平首相没~鈴木善幸内閣誕生までの期間に発生していたら被災地の復旧に悪影響が出ていた。
    • 加藤友三郎首相没後に発生した関東大震災の例もあり「首相が現役死→大地震」のジンクスが誕生したのではないかと一部で噂される。
  5. 「東京大地震マグニチュード8.1」は放送中止を余儀なくされていた。
    • 「地震列島」という映画も上映中止に追い込まれていた。
  6. 近鉄バファローズは史実通り優勝し、前年のリベンジで日本一になっていたかも。
    • 近鉄が55年間日本一にならないまま消滅することもなかった。
    • 「被災した大阪を元気付けた」と語り継がれる。

13年前(1982年)[編集 | ソースを編集]

  1. 2月発生ならホテルニュージャパン火災や日航350便墜落事故もあって、報道陣は大混乱に見舞われていた。
  2. テレビ大阪の開局に悪影響が出ていたかも。

11年前(1984年)[編集 | ソースを編集]

  1. 発生時期にもよるが、阪急六甲駅での衝突事故と西明石駅での寝台特急「富士」の脱線事故のいずれかが起こっていなかった可能性がある。
  2. 同年に発生したグリコ・森永事件は史実ほどマスコミに取り上げられなかった。
    • そもそもグリコの社長が狙われること自体なかったかもしれない。
  3. 阪急ブレーブスが被災した地元ファンのために奮闘し、日本一になれたかもしれない。

10年前(1985年)[編集 | ソースを編集]

  1. 1980年代後半~1990年代初頭のバブル景気はなかった
    • 不況の到来が早まっていたかも。
      • もしこうなっていたら、現実のバブル世代は存在せず、彼らは就職難に巻き込まれていた。
        • 人口の多い第2次ベビーブーム世代はさらに悲惨なことになっていた。
          • あるいは先輩のバブル世代が就職で苦労しているのを見ているので、彼らの大学進学率は現実より下がっていた。
        • 1980年代後半の女子大生ブームはなかった。
        • おニャン子クラブもなかったか、史実ほど話題にはならなかった。
          • 秋●康の後継グループも生まれていない。逆に1990年代に似たようなグループを作っていて、盛り上がったかも。(そうなったらなったで、沖縄の女性4人組変動が激しい某グループが生まれていたかどうか…)
          • このグループに所属していた女性芸能人は、ひっそりとしたまま終わったことだろう。少なくとも、S.KがT.K(SMAP)と、M.WがJ.N(人気お笑い芸人グループ[男性3人組])と結婚することはなかった。
          • 1980年代中盤にアイドル冬の時代が到来し、バンドブーム全盛期となった。
    • バブルの発端は85年9月のプラザ合意と86年からの原油価格下落なのでむしろもっと強烈な地価高騰などが発生していたと思う。
      • 震災から時間が経っても何も建っていない空き地や傷んだ建物が次々と地上げ屋に買い取られた。
  2. 1985年の阪神タイガースのリーグ優勝・日本一はなかった。
    • 2003年のリーグ優勝は39年ぶりということになる。
    • 案外、オリックスみたく「がんばろうKOBE(またはNISHINOMIYA、HANSHIN)」とスローガンを掲げ、史実通りの結果になったかも。また阪急も阪神に負けじと頑張り、なんと夢の対決が実現
      • 史実でも日航ジャンボ機墜落事故で当時の球団社長が犠牲になってからそれを糧に奮闘していたし、どっちみち優勝した可能性は大きい。
      • 史実で3位だった近鉄が優勝していたかも知れない。その場合後の阪神なんば線開業時には当時を振り返るエピソードとして語られた。
    • 佐藤義則の最多勝・石本貴昭の最優秀勝率が村田兆治の復活・工藤公康の最優秀防御率以上にクローズアップされていた。
      • 野手では松永浩美の盗塁王が注目されていた。
    • 南海ではなく前年同様日本ハムが最下位に沈んでいたかも知れない。
  3. 同年8月の日航ジャンボ機墜落事故の扱いがやや小さくなっていた。
    • 日航ジャンボ機墜落事故と同時期なら、テレビはそれこそ大混乱となり、終夜大震災と日航機事故の両対応に追われる。
      • 1982年の時みたいな報道体制になっていた。(この年にはホテルニュージャパン火災事故の翌日にJALは逆噴射事故を起していた。)
      • 「家族が震災で命を落とす→残された父親も123便事故で死亡」という一家全滅が発生した恐れさえある。
        • 逆も然りで、123便事故で親or子どもを亡くしその後の震災で残った家族が後を追うこともあるだろう。
  4. 現実に震災が起こった1995年に比べて耐震性の低い建造物が多かったため、死者は1万人近くになっていた。
    • ちょうど同じ年に地震で沢山のビルが倒壊した直後のメキシコシティのような光景が広がっていた。日本ではメキシコ大地震はあまり話題にすらならなかった。
  5. ユニバーシアード神戸大会(史実では1985年に開催)は中止されていた可能性もある。
    • つくば科学万博も開催中止こそされなかったものの、華美な演出や芸能人のイベントなどの余興は自粛され、兵庫県に本社のある企業はパビリオンの出展を中止していた。
      • 入場者数も現実よりも少なくなっていた。
  6. 阪急・阪神・山陽電鉄の利用客が震災後民営化前の国鉄に移行していた。
    • 阪神梅田~山陽姫路間の直通特急も1980年代末に実現。
      • 阪急は史実より早く山陽電鉄への直通を中止していた。
  7. 下水道普及期に災害時のトイレ問題が出てくるためその後の下水道普及・水洗化は停滞方向へ…
    • 史実の時点ではもはや水洗化を止められない段階まで下水道が普及した時代だがこの時代ならばギリギリ汲み取りに回帰できる段階といえる。
      • ただそうなった場合二階建ての家はレアになるだろうなあ…。汲み取りだと二階に設置しづらいから。
      • 結局完全水洗化に押し切っていたとは思う。
        • 確かに汲み取りは過密都市には対応しきれないからねえ…。
      • 本当に汲み取りに回帰した場合は人口が減少に転じた2010年代までずっとドーナッツ化現象が続いていたと思われる。
        • 首都圏は拡大して名古屋圏や仙台圏も吸収するレベルに…。
        • 東日本大震災において大津波が発生したためトイレ問題は少なかっただろうが、感染症の問題は史実以上に惨いことに…。
          • 津波が汲み取りトイレの便層をかき混ぜて津波という名の汚水が押し寄せることになるから。
          • 史実でもノロウィルス感染症等が発生したが、この場合は赤痢や腸チフスといったものまで大流行の恐れがあるかも。
      • むしろバイオトイレや無水トイレが現実よりも早く発明されていた。
  8. 復興関連の国会審議に時間を取られて男女雇用機会均等法の成立が遅れた可能性あり。
  9. ウィ・アー・ザ・ワールドは復興支援ソングとして作られていた。
    • グループ名も「USA for JAPAN」だった。
  10. 史実通り1月17日に発生した場合、ハッピーマンデー制度は10年早く実施されていた(成人の日が移動休日になったのは震災が影響したため)。

1988年末~1989年[編集 | ソースを編集]

  1. 1988年末に起こった場合昭和天皇の容態悪化と重なったため1988年大晦日の紅白歌合戦は中止された可能性が高い。
    • 翌年1月7日の昭和天皇崩御と重なればテレビなど報道体制は大混乱となっていた。
  2. バブル崩壊が少し早まっていた。
  3. もはやリクルート事件追及どころではなくなっていた。
    • 結果として竹下内閣の寿命が史実よりやや伸びていた。
  4. 88年夏のなだしお事件の汚名を返上すべく海上自衛隊が積極的に被災地支援に乗り出していた。
  5. 発生時期によっては南海や阪急の身売りにも影響が及んでいた。
    • もしこの年に近鉄が10.19決戦に勝ち優勝出来ていれば被災した関西を元気付ける優勝として語り継がれた。
  6. 1990年に発売された、嘉門タツオの「やってミソ!」の歌詞が史実とは異なっていた。
    • 関西では地震が起こらないことを前提にした歌詞が含まれているため。

1990年代[編集 | ソースを編集]

1990年[編集 | ソースを編集]

  1. 同年3月から大阪鶴見緑地で開催予定だった国際花と緑の博覧会は開催されなかった。
    • 大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の開業も遅れていた。
  2. 六甲ライナーの開業が半年~1年ほど遅れていた。(史実では1990年2月開業)
  3. やはりバブル崩壊が早まっていた。
    • 阪急8200系は登場していなかった可能性が高い。
      • バブル崩壊に加え、震災で利用客が減るタイミングが史実よりも早かったと考えられることから。
  4. 宝塚大劇場は倒壊、あるいは大きく損傷していた(史実では震災直前の1993年に建て替え)。
    • 建て替えは震災復旧と同時に行なわれていた。
    • それ以前に震災があった場合も同じ。
  5. 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の舞台は史実より1年早い1989年になっていた。
    • 神戸出身or(歴史改変がなければ)震災で不幸に突き落とされる主要人物が設定されている。

1991年[編集 | ソースを編集]

  1. 同年の国内は阪神大震災・バブル崩壊に加え、信楽高原鐵道列車衝突事故や雲仙普賢岳の火砕流災害、台風19号災害(いわゆるりんご台風)などと踏んだり蹴ったりの状態だった。
  2. この年の近鉄は被災した地元ファンのために奮闘し、リーグ優勝していた。場合によっては広島を下して日本一になっていたかも。

1992年[編集 | ソースを編集]

  1. 7月までに発生した場合、岩崎恭子の「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」という発言はなかった。
    • バルセロナ五輪後に発生した場合は発言自体はあったがその後に震災の被災者に対してお見舞いのメッセージを述べていた。
      • この場合、流行語にはならなかった。
  2. バブル崩壊による不況の深刻化のペースが現実よりも早いペースで起こっていた。
    • 就職氷河期も1~2年早く到来していた。
  3. 年末に発生していた場合、現宝塚大劇場のオープンが数ヶ月遅れていた。
  4. 阪神5500・9000系の登場は2年ほど早まっていた。
  5. ひょっとしたらこの年の阪神は優勝できていたかも。
    • 近鉄も優勝出来ていて、日本シリーズでの関西ダービーが実現していたかもしれない。
  6. 六甲ランドAOIAの閉鎖は史実より早まっていた。
  7. 平成の申年(1992年・2004年・2016年)はいずれも国内で震度7の地震が起こったことになっていた。

1994年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 関西国際空港の開港が遅れていた。
  2. 神戸西武は震災がきっかけで閉店に追い込まれていた。
  3. この年のオリックスの成績にも何らかの影響があったはず。
  4. 熱中症死亡者数が現実の1994年の4倍以上だった。
    • これらも震災関連死に含まれていた。
  5. 嘉門タツオの「地獄の運動会」が被災者に配慮して発売中止(その後、歌詞を変えて発売)になっていたかもしれない。
    • その場合、最初から「怪獣日本に攻めて来い」という歌詞でCD化されていた。

1994年末[編集 | ソースを編集]

  1. 年末年始の帰省ラッシュの時に山陽新幹線が不通になっていたため、1994~1995年の年末年始輸送は大混乱していた。
    • というより旅行や帰省を諦めた人も多かっただろう。
    • それでも関西から九州・四国・沖縄方面に向かう航空機は連日満席になり、臨時便が多数増発される。
      • 開港したばかりの関西国際空港がフル稼働していた。
      • 羽田・小牧から岡山・広島への臨時便も多数増発されている。
      • 関西から四国・九州への帰省には長距離フェリーも大活躍。
    • 震災で被害を受けなかった山陰本線経由で九州方面への臨時列車が運行されていた。
  2. 会場が軒並み震災で被害を受けたため、1995年の成人式は被災地では多くが中止になっていた。
    • または震災復旧が一段落した頃に改めて開催されていた。
    • 西宮神社の十日戎も1995年のみなかった。
    • それがきっかけで成人の日は12月の最終月曜あたりに移されていたかも。
      • 2019年以降は旧天皇誕生日の12月23日が成人の日になっていた可能性もある。
  3. 年末年始特番が多数中止に追い込まれた。
    • 第45回NHK紅白歌合戦も中止されているか、あるいは関西地区のみ未放映(もしくは教育テレビで放送)という条件付きで開催されている。
    • 仮に開催された場合も被災者に配慮して派手な演出は自粛されていた。
  4. 東京キー局では震災による火災を「箱根の温泉街」ではなく「松明の篝火」と表現していた。
  5. 同じ時期に三陸はるか沖地震も発生したので、12月は東西ともに地震のニュースで持ちきりになっていた。