もしOsaka Metroのあの路線が○○だったら
もし大阪市高速電気軌道が○○だったら > 路線
延伸関連はもしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄にお願いします。
御堂筋線[編集 | ソースを編集]
複々線化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 四つ橋線は大国町以南だけ建設されていた。
- その代わりなにわ筋線が四つ橋筋を通ることになっていた。
- 大国町ー新大阪間が複々線化されていた。
- 深夜に片方の線路だけを使っての24時間運行が検討されていた。
- 御堂筋線に優等列車が設定されていた。
- とはいっても、梅田〜天王寺は各駅停車になりそうだが。
- 大阪環状線の減便は現実より早く実施されていた。
- 泉北高速鉄道の直通運転の相手が御堂筋線になったかもしれない。
北大阪急行も御堂筋線だったら[編集 | ソースを編集]
- 江坂折り返しがなくなる。
- 運賃が高くなる。
- 但し、新大阪方面に直通する乗客は安く済む。
- 大阪市交通局が発行するエンジョイ・エコカードが江坂以北でも利用できるようになっていた。
- ポールスターはなかった。
- 千里中央以北、箕面市域への延伸計画はほとんど進まなかった。
- 民営化されたとしても阪急に何かと言われなかなかできなさそう。
- 阪急が市営地下鉄の北進にケチを付けなければ有り得た。
- ナンバリングは千里中央がM11だったかも。
四つ橋線[編集 | ソースを編集]
御堂筋線と直通運転をしていたら[編集 | ソースを編集]
- 四つ橋線は御堂筋線とほぼ並走しており、直通させる計画もあったという。
- 梅田駅で接続するのは難しそうなので、西梅田〜十三〜西中島南方(or新大阪)と接続させていた。
- カラーももしかしたら御堂筋線と近い色になっていたかも。
谷町線[編集 | ソースを編集]
起点が守口のままだったら[編集 | ソースを編集]
- もともと谷町線は守口が終点でしたが、車庫への引き込み線を旅客化するにあたって大日まで延伸した経緯があります。
- それでも、大日以東への延伸計画はある。
- 特に、大阪モノレールができる際に考えられていた。
- 仮に後々延伸したとしても、ナンバリングはコスモスクエア駅のように守口がT11、大日がT10になっていた。
- 守口~大日(~香里園?)に京阪の息のかかった第三セクターができていた。
- 大日は現実ほど発展していなかった。
- イオンはできていたかもしれないが、現実ほどの集客力はなかった。
- 特に、大阪モノレールができる際に考えられていた。
- 京阪に阪急程の力があればこうなっていたかもしれない。
- 京阪守口市駅~守口市北部~寝屋川市駅を結ぶ京阪バスは現在もドル箱路線。
- 大阪モノレール開業と前後して京阪の準急を門真市に追加停車させることが検討されていた。
千日前線[編集 | ソースを編集]
建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
堺筋線[編集 | ソースを編集]
南海電鉄と相互直通運転していたら[編集 | ソースを編集]
大阪市営地下鉄堺筋線は計画当初阪急電鉄のほか南海電鉄も乗り入れる計画でしたが、軌間と架線電圧の違いから最終的には南海が断念し、阪急とのみ相互乗り入れを行うことになりました。もし堺筋線と南海電鉄の相互直通運転が実現していたら…
- 全般
- 南海電鉄は堺筋線開業時点で1500Vへの昇圧を実施していた。
- 堺筋線は1969年の開業当初から天下茶屋駅に乗り入れていた。
- ここが南海と大阪市交通局の会社境界になっていた。
- 南海天王寺支線は堺筋線が開業した時点で廃止されていた。
- 南海7100系は堺筋線との乗り入れ対応車両になっていた。
- むしろステンレス車体の6100系が乗り入れ対応車両として製造されそう。
- 大阪市交60系も史実とは異なり、4扉の30系を架線式20m車にしたような車両になっていた。
- 中百舌鳥への延伸は御堂筋線ではなく堺筋線となっていた。
- 中百舌鳥から泉北高速鉄道とも相互直通していた。
- 乗り入れるとしたら南海線系統と高野線系統のどっちになるのだろうか?
- 阪急がなにわ筋線に乗り入れる計画は起こらなかった。
- 阪急京都・千里・嵐山線が1067mm軌間に改軌しなかった場合
- 天神橋筋六丁目駅は単なる終点となっていた。
- 阪急千里線天神橋駅は高架駅として現存。
- 南海汐見橋駅のような行き止まり駅となっていた。
- でも乗り換えは一応可能?
- 開業からしばらくして天神橋筋六丁目から吹田あたりまで延長してJR京都線と相互直通運転していたかもしれない。
- おそらく堺筋線のラインカラーが史実とは違っていた。
- 当時の南海の塗装から考えるとモスグリーンになっていた?
- となると南海の塗色変更時に地下鉄が帯の色を変えたかどうかが気になる。もしかすると塗色変更自体が無かった?
- 当時の南海の塗装から考えるとモスグリーンになっていた?
- 現在でも京都線系統の車両と神宝線系統の車両は同一規格で製造されている。
- 「京とれいん」は登場当初の時点で三宮や宝塚始発の列車が設定されていた。
- 阪急京都・千里・嵐山線が1067mm軌間に改軌した場合
- 阪急・大阪市交・南海の3者間相互直通運転が実現していた。
- 神宝線は1435mm軌間のままなので、京都線との直通運転は不可能になっていた。
- 西宮工場が現存していたかもしれない。
- もしくは、十三~正雀だけ三線軌化。
- ラピートは河原町~関西空港間の運転になっていた。
- 思いっきりこれにケンカ売ってるなw
- もちろん、なにわ筋線はJR単独の路線となっていた。
- 思いっきりこれにケンカ売ってるなw
- 車両規格が京都線系統だけ21m級4ドア車体となる。
- 想像してみたら・・・気持ち悪い・・・
- 製造メーカーも京都線系統だけ東急車輛で製造される。2006年以降の京都線用新車は「走るんです」にマルーン帯を巻いたものになる。
- 南海が1435mm軌間に改軌した場合
こちらも参照。
- むしろこっちじゃね?
- 阪急京都線系統1067mm改軌の場合と同様、3者間相互直通運転となっていた。
- ラピートに河原町・三宮(もしくは新開地、山陽姫路)・宝塚発着系統が加わる。
- 南海が阪急・阪神などと同等の車両規格となり、19m級3ドアの車体が標準となる。
- 観光シーズンには和歌山・泉北方面~嵐山直通、河原町・三宮・宝塚方面~高野山直通といった臨時列車が運行される。
- 高野下まで大型車乗り入れが可能になっていた。橋本までの大型車乗り入れは1970年代のうちに実現していた。
- 一部ねらーは「南海車両を阪急線に入れるな。阪急線が汚れる」 等といって他の利用者の顰蹙を買う。
- 実際、南海みたいなのが来なくて良かったと思う。マジで。
- 国鉄再建法の頃に紀勢本線の和歌山-和歌山市が廃止される。
- あるいは南海電鉄が経営を引き受け、電化の上貴志川線との直通運転を行う。
- もちろん1500Vで電化され、貴志川線も1500Vに昇圧されていた。
- 貴志川線の1201形も史実より早く置き換えられた。(史実では1994年廃車)
- この場合、貴志川線が独立路線とならなかったので和歌山電鐡への経営移管はなく、南海電鉄のままだったかもしれない。
- もちろん1500Vで電化され、貴志川線も1500Vに昇圧されていた。
- 場合によっては貴志川線も1435mmに改軌されていた。
- 関空乗り入れも白浜乗り入れも貨物営業もできない。
- 関空乗り入れは成田空港におけるJRと京成の場合と同様、1067mmと1435mmの単線並列で乗り入れていた可能性もある。
- あるいはJR・南海共用区間だけ三線軌条かも。
- 関空乗り入れは成田空港におけるJRと京成の場合と同様、1067mmと1435mmの単線並列で乗り入れていた可能性もある。
- あるいは南海電鉄が経営を引き受け、電化の上貴志川線との直通運転を行う。
- なにわ筋線を通して京阪とも直通していた。
- 水間鉄道はもっと早く昇圧や東急の中古車導入を行っていた。
- 阪和線との間に車両拠出入用の連絡線ができる。
- 阪急千里線のみ1067mmに改軌していたら
- 南海さえ600→1500Vに架線電圧を昇圧すれば京都線系全てではなく千里線だけを改軌して堺筋線・南海と直通させる案もあったそうです。
- 南海は堺筋線との直通を前に1500V昇圧を実現していた。
- 千里線は阪急唯一の狭軌路線となっていたことから、京都本線との直通は廃止されていた。
- 阪急でも屈指の異端路線になっていただろう。
- 北千里~梅田直通の設定がなかったことから、千里ニュータウンから梅田方面へは現実以上に北大阪急行~御堂筋線に流れていた。
- 千里線の車両は阪急としての異例の21m4扉車体・狭軌仕様となっていた。
- 阪急・大阪市交とも車庫は現実と違う場所に設置されていた。
- 淡路駅は早期に立体化されていたかも。
- 阪急千里線(天神橋筋六丁目~淡路間)のみ1067mmに改軌していたら
- 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が開業され、天下茶屋止まりの普通車が新大阪止まりになっていた。
- これにより、大阪市営地下鉄御堂筋線の混雑が激しくなった。
- 阪急は堺筋線乗り入れに対応する車両は製造されなかった。
天神橋筋六丁目~淡路も堺筋線だったら[編集 | ソースを編集]
- 柴島駅にも駅番号が割り当てられていた。
- 淡路駅が大阪市営地下鉄と阪急の共同使用駅となり、淡路駅に大阪市営地下鉄の乗務員控室があった。
- 全列車が柴島に停車していた。
- 駅番号は淡路にK11が割り当てられ、天下茶屋はK22となっていた。
- 天神橋筋六丁目行きはなかった。〔淡路行となっていた。〕
- 淡路・柴島から地下鉄各線への運賃が下がって、沿線住民は喜んでいた。
- 東淀川区は堺筋線が開通した1969年の時点で区内に地下鉄路線が乗り入れていた(現実には今里筋線が開通した2006年)。
- 柴島駅は地下駅になっていたかもしれない。
- 淡路駅の立体交差化が高架化じゃなくて地下化になっていたかもしれない。東における調布駅のような構造になる。
- 阪急としては堺筋線開通の時点で淡路~天六を廃止したことになっていた。
- 後に京都市営地下鉄東西線開通に伴い京津三条~御陵を廃止した京阪京津線と比較されるようになる。
- それでも天六阪急ビル(旧新京阪天神橋駅)は2010年頃まで残っていた。
阪堺線が相互直通していたら[編集 | ソースを編集]
堺筋線に阪急が乗り入れることが決定した後、南海は代替として阪堺線の改良と相互直通を計画していたそうです。
- 大阪から路面電車が完全に消滅していた。
- 谷町線に置き換えられた平野線はともかく、上町線は史実の計画だとどうするつもりだったんだろうか。同一規格になっていたとしても住吉-住吉公園間は廃止になっているだろうけど。
- むしろ平野線が堺筋線に乗り入れていたため、廃止されることはなかった。平野区南部には当初計画通り谷町線ではなく千日前線が延伸されていた。
- 谷町線に置き換えられた平野線はともかく、上町線は史実の計画だとどうするつもりだったんだろうか。同一規格になっていたとしても住吉-住吉公園間は廃止になっているだろうけど。
- 1500V化は確実に行われていた。
- 浜寺付近から南海本線に乗り入れられるようにしていた。
- 軌間が違うから難しいのでは?
- 浜寺付近から南海本線に乗り入れられるようにしていた。
- 御堂筋線との乗り換え等を勘案すると、恵美須町ではなく動物園前が両社の境界になっていた。
- 高架化するにせよ地下化するにせよ、併用軌道の区間はルート変更を余儀なくされていた。
他路線と同じ第三軌条方式で建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 現実よりも利用客数はかなり少なかった。
- 千日前線と同様、4両編成の電車が運行されていた。
- 阪急天神橋駅は現実の南海汐見橋駅のような存在になっている。
- 阪急側の天神橋筋六丁目への駅名変更もない。
- 天神橋筋六丁目以北は淀川を渡り東淀川区方面へ延伸されていただろう。
- 天六から西に転じる→鉄道空白地帯の赤川を経由→城北公園で北に転じて上新庄まで延伸、と言うのがベターな案だろうか。よって今里筋線の起点も上新庄になっていた。
車両規格が阪急神戸・宝塚線系統と同じだったら[編集 | ソースを編集]
実際に阪急は京都線の車両を神戸・宝塚線と同じにしようとしましたが、大阪市交通局の横やりで車両を大きくされられた挙句京都線の車両自体も堺筋線と同じになってしまいました
- 京都線系統とそれ以外で車両が異なることはなかった。
- 堺筋線のホームドア設置も早く進んでいた。
- 阪急全体のホームドア設置も多くの駅で設置が進んでただろう。
- それでも大阪メトロの車両が大阪梅田に来ることはないと思う。
開業当初から6両編成で運行されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、開業当初では5両編成で運行し、1979年に6両編成で運行されていました。開業当初から6両編成で運行されていたら…
- 無論、大阪市交通局60系電車は最初から6両編成で登場していた。
- 阪急3300系電車も史実よりも早く6両化されていた。
今里筋線[編集 | ソースを編集]
建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
上新庄が起点だったら[編集 | ソースを編集]
今里筋線は当初上新庄が起点の計画でしたが、最終的に井高野に変更されました。もし上新庄起点で建設されていたら…。
- 今里筋線の利用客は現実よりは多かっただろう。
- 大阪市内東部から阪急京都線に乗り継ぐ客が今里筋線を利用していた。
- 阪急側から見れば、現実よりも上新庄駅の重要性が増していた。
- 井高野は現在でも公共交通がバスのみ。
- とはいえ、市バスの本数が多いのでそれほど不便は感じないだろう。
- 上新庄から井高野へ延伸されていた可能性もある。
- 市バス86系統(上新庄駅前~布施駅前)は路線が分割、短縮されていただろう。
杭全が終点だったら[編集 | ソースを編集]
- 「杭全」駅は「東部市場前」駅として、開業していた。
- 史実よりも利用客が多くなっていたかもしれない。
- もし千日前線が新深江止まりのままだったら今里-杭全の延伸は有り得たかもしれない。
- いまざとライナーは存在しない。
中央線[編集 | ソースを編集]
旧OTS線がニュートラムの規格だったら[編集 | ソースを編集]
旧OTS線(大阪港~コスモスクエア)は当初ニュートラムの延伸で考えられていましたが、最終的には地下鉄中央線の規格で建設されることになりました。
- 大阪港駅は中央線が高架、ニュートラムが地下ホームとなり、乗り換えが遠くなっていた。
- 当初は別会社だったので改札口も別になっている。OTSが大阪市交の路線に編入されても構造上改札内で繋がらない形はそのままかも。
- 南港でイベントなどがあった時は輸送力がパンクしていた。
- 港区と南港を結ぶ大阪市営バスの路線は現在も運行されている。
- 中央線を夢洲・舞洲に延伸する計画が立てられることはなかった。
- 夢洲・舞洲方面へはJR桜島線か京阪中之島線の延伸で対応していた。
架線方式で電化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 近鉄奈良ー生駒ー大阪港ーコスモスクエア間に直通列車が運行されていた。
- 学研奈良登美ケ丘からも難波方面に直通列車が運転され、生駒駅は近鉄版小竹向原駅の様相を呈する。
- 車両限界の関係上地下鉄側は堺筋線とは共通化されなかった。
- 一方近鉄側は7000系・7020系は存在せず既存車両の番台の区分で済ませていた可能性大。
- 3200系、3220系が投入されていた。
- 但し1990年以降は堺筋線と共通設計化され、堺筋線の66系に対応する中央線用の車両は「64系」(64000番台)を名乗っていた。
- 一方近鉄側は7000系・7020系は存在せず既存車両の番台の区分で済ませていた可能性大。
- 近鉄特急直通構想が大阪オリンピック招致時に出ていたかもしれない。
- 2025年万博開催に伴いその計画が再燃していたのは間違いないだろう。
- 堺筋本町駅に規格が同じ堺筋線との連絡線が建設され、阪急河原町駅から万博会場まで直通する構想も出ていた。
- 堺筋線車両も中央線の森ノ宮検車場で検査を行っていた。
- 堺筋本町駅に規格が同じ堺筋線との連絡線が建設され、阪急河原町駅から万博会場まで直通する構想も出ていた。
- 2025年万博開催に伴いその計画が再燃していたのは間違いないだろう。
- 京阪も大和田から荒本への新線を建設して中央線に乗り入れていたかもしれない。
- 谷町線や千日前線も架線方式になっていたかもしれない。
- OTSの鉄道車両は大阪市への車両譲渡後も中央線を走っている。
長堀鶴見緑地線[編集 | ソースを編集]
千日前通経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 大正-桜川-なんば-日本橋-谷九-鶴橋-玉造-森ノ宮-OBP-京橋
- 名前が長堀鶴見緑地線ではなく、千日前線になっていた
- 京橋から難波に直接向かえるので、利用者数はいまより多かったのかもしれない
- 京阪と直通可能な規格であれば、難波~京都の特急も運行されていた