もしSNSが別の時代に普及していたら
1940年代[編集 | ソースを編集]
- 日本が終戦できたかどうかが怪しい。
- あれはデマだという主張が出てきて玉音放送もなく戦争続行がされていたかもしれない。
- 中央政府が消し飛んでいたドイツならさらなる地獄が起きていた。
- あれはデマだという主張が出てきて玉音放送もなく戦争続行がされていたかもしれない。
- 逆に戦後日本では史実以上に急激的な再編が行われていた。
- 大日本帝国時代は全て悪という風潮が広まっていた。
- ヨーロッパでも壮絶な対独協力者狩りが行われていた。
- 下手をすると絶滅収容所がドイツ人やナチ協力者抹殺のために再稼働ということも考えられた。
- 共産主義者と反共論者の対立も激しかった。
- アメリカ発のSNSとソ連発のSNSの覇権争いが起きそのまま冷戦に直結していた。
- インドネシアが独立できたのもSNSのおかげだったかもしれない。
- 朝鮮半島の歴史もどう転んでいたか分からない。
- それでも中国で国民党が共産党に勝つ展開は想像できない。
1960年代[編集 | ソースを編集]
- 安保法案の反対デモはSNS上を利用して更に拡大していた。
- 下手すると自民党不信がかなり拡大していたかもしれない。
- 後半になるとベトナム反戦運動も相当な規模に。
- 1968年の世界的な若者の運動による影響がもっと大きかった。
- オリンピック後の不景気がもう少し世間に響き渡っていた。
- 現在の世の中でも、この不景気についてが十分に伝わっていた。
- 一億総中流が生まれたかどうかが怪しい。
- 上流意識が日本でも生まれたかもしれない。
- 逆に低賃金で働くブルーカラーの存在について日本でも知られていたかもしれない。
- アメリカの公民権運動の最大の立役者となっていた。
- 世界各地で廃止される路面電車やローカル線を撮影し画像を上げるテツが発生。
- ビアフラやベトナムの人々の現状がよりダイレクトに世界へ届いていた。
- ケネディ暗殺の際には全世界でデマが乱れ飛ぶ。
- それ以前のマリリン・モンロー急死でもデマが氾濫していた。
- キューバ危機も。
- 独立したばかりのアフリカ各国が国際社会へのPRや国内向きのプロパガンダに活用しようとする。
- 全世界規模で多くのフォロワーを持つ国家元首もいたはず。
- それでもビートルズには敵わなかった。
- 全世界規模で多くのフォロワーを持つ国家元首もいたはず。
- アポロ11号月着陸時にどこかのSNSでサーバーが落ちる。
1970年代[編集 | ソースを編集]
- オイルショックのデマが更に酷い事になっていた可能性がある。
- 西側各国で左翼過激派がSNSを通信に使い馬脚を現す事例が相次ぐ。
- 史実のグレタ・トゥーンベリのように環境保護を訴える若いインフルエンサーがこの時代からいた。
- ソ連ではブレジネフの統治によりSNSに厳しい規制がかけられている。
- おそらく実名での利用が義務付けられアカウントが何らかの監視システムと紐づけられていた。
- ポルポト政権下のカンボジアから命がけで実態を伝える人がいた。
- SNSというよりネット全般が使用禁止でばれたら即死刑だった。
1980年代[編集 | ソースを編集]
- アイドルの偶像崇拝は早い内に消滅していた。
- ペレストロイカや東欧革命の原動力になっていた。
- 西側なら南アのアパルトヘイト終焉ももっと早かったはず。
- ミャンマーの8888民主化運動も大成功できていたかもしれない。
- バブルが始まった日本ではこの時代から史実の「インスタ映え」相当のものが気にされていた。
- ひょっとすると日本発のSNSが世界的に流行していたかも。
- 日米貿易摩擦でもその件が問題にされていた。
- ひょっとすると日本発のSNSが世界的に流行していたかも。
1990年代[編集 | ソースを編集]
- バブル景気がここまで過大評価されることはなかったはず。
- というより負の側面が過剰に表されていたかもしれない。
- 55年体制崩壊後、自由民主党に対するネガキャンが始まる。
- ただあまりにもの失政に対し自由民主党政権の復活の声が上がるようになっていた。
- もしかしたら非自民政権の評価が後々にまで引き継がれて、民主党政権が誕生しなかったかもしれない。
- ロス暴動が全米規模へ拡大していた恐れがある。
- この時代でもアメリカ政治が激しく揺らいでいた。
- クリントンは不倫発覚により大統領辞任に追い込まれていた。
- 阪神淡路大震災の際には全世界的規模でデマやフェイク画像が横行。
- 旧東欧諸国での極右思想蔓延がもっと早かった。
- 旧ユーゴやルワンダでの民族浄化が史実の数倍以上の規模に拡大していた。
- 民族間の和解が困難になりボスニア・ヘルツェゴビナは正式に分裂していた。