カシワ帝国
1998年、日本国から分離独立。
- 国名:正式名称は明らかになっていない。とりあえず「カシワ帝国(かしわていこく)」ということになっている。
- 領土:東京都、埼玉県と山梨県、長野県の間となっている。
- 首都:カシワシティ
- 民族:カシワ人、日本人
- 公用語:日本語、カシワ語、さいたま語(一部)
- 宗教:カシワ教
- 国旗:カシワ1世(ニワトリが横向きに、うつっている図。色は青。)
- 国歌:未決定
- 通貨:カシワ
- 1カシワという風に表記。
カシワ帝国の噂[編集 | ソースを編集]
- 人口の80%はカシワ人が占めている。
- カシワ人が支配しているという。ただし、皇帝がカシワ人なだけで、実質日本人が支配しているようなもの。
- 鶏肉は食べてはいけない。理由は宗教上の理由から。
カシワ人の噂[編集 | ソースを編集]
- 奴隷というものが存在する。
- 奴隷には一部を除き、権利がない。
- 建国記念日とカシワの生まれた日は、お祭り騒ぎ。
政治[編集 | ソースを編集]
- 前述の通り、実質日本人が支配している。
- といっても、カシワ人が差別されているわけでもない。
- が、カシワ人には、一部(奴隷)参政権が無い人がいる。
- といっても、カシワ人が差別されているわけでもない。
- 2009年3月現在、野党の奴隷解放党が解散。そのため、カシワ党が唯一の党になっている。
- 皇帝が存在するが、そんなに権力はなく、日本の天皇と似たようなものである。
皇帝[編集 | ソースを編集]
- カシワ1世 1998~2005
- 2005年6月、何者かに暗殺された。
- カシワ2世 2005~
内閣[編集 | ソースを編集]
政党[編集 | ソースを編集]
与党[編集 | ソースを編集]
- カシワ党1998~
- 気に入らない党は、追放♪追放♪…らしい。
野党[編集 | ソースを編集]
過去にあった党[編集 | ソースを編集]
- 奴隷解放党(どれいかいほうとう) 1998~2009
- 資金不足、支持率低下により解散した。
- 解散するまで、唯一奴隷を本格的になくそうとしている党だった。
- 二十世紀カシワ党(にじっせいきかしわとう) 1998~2001
- 2001年1月1日0時00分に消滅
- 自由党(じゆうとう) 1998~2005
- その名の通り、何でもかんでも自由にしようとした党。法律まで、なくそうとした党。
- 借力党(ちゃくりきとう) 2006
- バカが増えたので、無理矢理つぶさせられた。
- カシワ党が借力党のことを「バカの集まりだ」「バカに乗っ取られたら(カシワ帝国)大変だ」などと批判し、借力党を永久追放させた。
政策[編集 | ソースを編集]
- 奴隷を使い国を発展。
- 少数意見は、追放、弾圧などして追いやる。
外交[編集 | ソースを編集]
- 借力国と大変仲が悪いです。借力党を永久追放させた。
- 勝手国を認めていない。
- 日本国と日本が国として認めている国のみ国交がある。
軍事[編集 | ソースを編集]
- アメリカの協力があって、世界有数の軍事国家に成長。
- ↑あくまでも技術。実力は(以下、国家機密のため省略
- 徴兵制があり、満18歳の男子は3年間の兵役の義務がある。
陸軍[編集 | ソースを編集]
- 日本国(埼玉県側)からの侵略を防ぐためにあると言ってもよい。ただ、侵略してこない。
空軍[編集 | ソースを編集]
法律[編集 | ソースを編集]
- 反対、分裂勢力禁止法
- 一部の例外を除き、カシワ帝国からの反対、分裂、独立を認めない。
宗教[編集 | ソースを編集]
カシワ教[編集 | ソースを編集]
- 鶏肉料理を作り、それを供え、訳のわからん言葉(人間から見て)を唱える。
- そうすれば、悪いことが(回数)少なくなるといいたい。
- 作った料理は、食べてはいけない。食べたら、悪いことが(回数)多くなる。
- ↑カシワ教はニワトリが作ったといわれるため。
- 毎年決められた日の日の出の時に「カシワ様、カシワ様」と言い、鶏肉料理を供える。
- 鶏肉は食べてはいけない。
社会問題[編集 | ソースを編集]
奴隷[編集 | ソースを編集]
- 奴隷が問題となっている。
- 奴隷解放党が「奴隷を使うな!」と主張していたが「道路などが安く造れないぞ」とカシワ党が主張。
カシワ語[編集 | ソースを編集]
- カタカナで表記。
- 何故カタカナで表記するかは、わかっていない。
- さいたま帝国と違い、カシワ語を強要していない。
経済[編集 | ソースを編集]
- 観光と農業に頼っている状況。
歴史[編集 | ソースを編集]
1998年[編集 | ソースを編集]
- 5月1日、日本国から分離独立。
- 5月2日、カシワ党結成。
- 6月1日、二十世紀党結成。
- 7月10日、自由党結成。
- 10月6日、カシワの生まれた日を祝い、大騒ぎ。
1999年[編集 | ソースを編集]
- 5月1日、建国1周年記念で大騒ぎ。
2000年[編集 | ソースを編集]
- 2月、二十世紀党が、名称変更するかどうかで、議論。結果、2001年1月1日0時00分に消滅することが決定。
2001年[編集 | ソースを編集]
- 1月1日、二十世紀党消滅。
2002年[編集 | ソースを編集]
2003年[編集 | ソースを編集]
- 5月、建国5周年で大騒ぎ。
2004年[編集 | ソースを編集]
2005年[編集 | ソースを編集]
- 6月8日、カシワ1世が日本を旅行中に暗殺される。
- ※後に日本政府がカシワ帝国を乗っ取るためにやったことが半明
- 6月9日、カシワ2世が即位。
- 11月、自由党消滅。
2006年[編集 | ソースを編集]
- 6月30日、借力党結成。
- 7月3日、借力党が永久追放。
- 8月、奴隷解放党が、奴隷を無くす運動を開始。
2007年[編集 | ソースを編集]
2008年[編集 | ソースを編集]
- 5月1日、建国10周年で大騒ぎ。
2009年[編集 | ソースを編集]
- 3月、各都市の交通事情が悪かったので、整備。
- 3月、奴隷解放党が解散。これで、カシワ党のみとなる。
- 3月、カシワ党が一党独裁体制開始。
2010年[編集 | ソースを編集]
2011年[編集 | ソースを編集]
- 1月、二十一世紀党を結成を予定。