ギリシャvsトルコ
ギリシャ視点[編集 | ソースを編集]
- 底に粉末のたまった濃いコーヒーを「トルコ・コーヒー」と呼ぶと怒る
- ギリシャ人はギリシャ・コーヒーと呼ぶ。アラブではアラブ・コーヒーと呼ぶ。
- コーヒー発祥の地エチオピア人及びコーヒーの歴史の古いアラブ諸国では、「ギリシャ・コーヒーは本当はトルコ・コーヒー」などと言う日本人を激しく怒る。コーヒーはアラブ人の前ではアラブ・コーヒーなのだ。
- ギリシャ人はギリシャ・コーヒーと呼ぶ。アラブではアラブ・コーヒーと呼ぶ。
- トルコとはガチで仲が悪い。キプロスもギリシア人とトルコ人で分断国家になっちゃってる。
- え? まだ存在するの?
- オスマン帝国のほうから来た方ですか?
- 何千年も居続けるさ。今までも、これからも
- ローマ人「過去の栄光に縋るなよ」
- 互いに加害者とも被害者ともなってきた歴史を持つ(特に1919-22年戦争の時は凄惨)ため、負い目が無くガチで険悪である。
- 1919年戦争の時にはドサクサに紛れて戦勝国となった癖にイギリスと講和条約の後ろ盾を得てトルコ本土に侵攻、トルコ人を大虐殺した。この結果、「イギリスやフランスならまだいいが、お前らが戦勝国面するのは許せん!」とトルコ人の怒りを買ってしまい、英雄ケマル率いるアンカラ政府軍にギリシャ系住民共々残らず一掃された。
- その戦勝国面といい、歴史に対する変なプライドの高さといい(実はギリシャ人はオスマン朝時代比較的自由な生活を送っていた。独立機運を動かしたのはそのプライド)、東アジアのどっかの国にそっくりである。
- そのどこぞの国に似ているかもしれんが、彼らよりも、天国の天使以上に素晴らしい人達だと思う。
- トルコを二度と復活出来ないように叩きのめそうとしたら、逆にトルコ人のナショナリズムに火を付けてしまったとも言える。
- その戦勝国面といい、歴史に対する変なプライドの高さといい(実はギリシャ人はオスマン朝時代比較的自由な生活を送っていた。独立機運を動かしたのはそのプライド)、東アジアのどっかの国にそっくりである。
- 1919年戦争の時にはドサクサに紛れて戦勝国となった癖にイギリスと講和条約の後ろ盾を得てトルコ本土に侵攻、トルコ人を大虐殺した。この結果、「イギリスやフランスならまだいいが、お前らが戦勝国面するのは許せん!」とトルコ人の怒りを買ってしまい、英雄ケマル率いるアンカラ政府軍にギリシャ系住民共々残らず一掃された。
- 今でも首都はコンスタンティノープルだと半分本気で思っている。
- 1919年の時もトルコの混乱に乗じて占領しちまおうと本気で考えていた。
- 近代ギリシャにおいては「メガリ・イデア」(大いなる意志を意味する)なる、コンスタンティノープルはともかくアナトリア半島のエーゲ海沿岸地域や黒海南岸のポントス地方といったギリシャ人の居住地域は全てギリシャに属するという思想があった。ある意味で東ローマ帝国を復活せんとするものでもあった。
- 1919年の時もトルコの混乱に乗じて占領しちまおうと本気で考えていた。
- 日本では男性より女性の方が親韓なのと同様、ギリシャも男性が反トルコな一方で女性はそうでもないらしい。
トルコ視点[編集 | ソースを編集]
- 底に粉のたまった濃いコーヒーを「ギリシャ・コーヒー」と呼ぶと怒る。
- ギリシャとの関係はは相当に険悪だから。
- ギリシャが元になったものでも「ギリシャ〜」と聞くとピクっとなる
- ギリシャとの関係はは相当に険悪だから。
- 北キプロスを通じてギリシャをライバル視しているらしい。
- ライバルどころか犬猿の仲。近代ギリシャがオスマン帝国から独立してから不仲の歴史が続く。
- トルコからすれば、ギリシャが独立できたのは西洋列強のせいであり、ギリシャは列強の威を借る卑怯者だと感じられたため。
- 第一次大戦後も列強の力を借りてトルコに侵攻。ブチ切れたトルコ人に追い出された。
- キプロス戦争のせい。
- ライバルどころか犬猿の仲。近代ギリシャがオスマン帝国から独立してから不仲の歴史が続く。
- 2005年、ワールドカップ予選のスイスvsトルコのアウェー戦でトルコの国歌演奏時にスイスサポーターによって大ブーイングを鳴らされた。そのためトルコサポーターは大憤怒、報復としてイスタンブールのアウェーではスイス国歌演奏時には音楽が聞き取れないほどの大ブーイングを鳴らした。そのためサッカーでは仲が悪い。
- ただし、政治的にはギリシャほど関係は悪くない。
- いやそれは政治というかマナーが終わってたのでは…
- 韓国や中国のサポーターに似ている。
- けど、日航の事件とかの時とか見ても民度は彼らよりめちゃくちゃ高いと思う。
- あれで民度判断できるわけないじゃん
- 残念ながらトルコの民度は低い
- ただし、政治的にはギリシャほど関係は悪くない。
歴史的経緯[編集 | ソースを編集]
- ギリシャとトルコの歴史的対決は、恐らく1071年に東ローマ帝国とセルジューク・トルコがアルメニアで激突したのが始まり。この時トルコが東ローマ皇帝を捕虜にする圧勝をしたため、コンスタンティノープルのすぐ近くまでトルコが占領した。
- ノルマン・コンクェストによるイングランドの統一が1066年。歴史的な確執はおそらく英仏より古い。
- 以来十字軍の介入やモンゴルの侵入などを経て一進一退、1453年にオスマン帝国が東ローマ帝国を征服して国家間戦争の時代はひとまず終結。
- その後、19世紀にギリシャがトルコから独立すると対立再開。キプロス問題を考えると、完全に和解したとは言い難い。
- 歴史的に見て、ギリシャ(東ローマ~ギリシャ)とトルコ(セルジューク~オスマン~トルコ)がタイマンで正面戦争するとトルコが大体勝つ。しかしあてになる味方国を引き入れるのはギリシャの方が上手い。
- ただし、第4次十字軍のように引き込んだ味方にボコられるという自爆も無いわけではない。
- ちなみにトルコ嫌いはギリシャに限ったことではなく、過去の侵略の歴史+アルメニア大虐殺+クルド人の弾圧+EU加盟問題と問題がありすぎてトルコは欧米では最悪に近いイメージ
- みんな反トルコになっており、アルメニアの味方。
- トルコはクルド人も弾圧してるからなぁ・・・あと欧州各地でトルコ人の無教養な移民が大暴れしているのも嫌われる要因かな(特にドイツは被害がひどい)
- 極端な話、厳密な意味では違うかもしれないが、最初の諍いはトロイア戦争の頃から。あれは今の地理にするとギリシャとトルコの戦争。でもあれは神話上かな?でもシュリーマンの事もあるし.......。
- なおWW1後に起きた希土戦争の後、相手国内の自国民保護を巡って戦争が起きないように住民交換を行っている。ただし、500年以上同じ国で暮らしていたので、ギリシャ正教徒かイスラム教徒かしか判断基準がなかった。
- おかげで、ギリシャ語しか話せないイスラム教徒やトルコ語しか知らないキリスト教徒が大迷惑を蒙った。
- 恐ろしく乱暴な紛争解決手段だったが、WW2のどさくさでチェコスロバキア(ズデーテン問題)やポーランド(ダンツィヒ問題)のような事が起きなかったのは不幸中の幸いか。
- ギリシャはトルコのEU加盟に反対。やはり過去の仕返し?
- トルコ西方沿岸部の人たちはトルコ化(イスラム化)したギリシャ人が多かったと言われ、これがギリシャのトルコ侵攻の根拠となったと言われる
- 実際、トルコ西方沿岸部は宗教を除けば食文化や生活習慣などギリシャと共通点が多い