クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!ファン
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- 売れっ子ヌードモデルを当てる択一式問題が出たせいで、見ることを親に禁止された経験を持つ人、挙手!
- そんな企画をやってる頃にはもう既に見ていなかった。
- 「いくら払えばおっぱいのコピー取らせてくれる?」なんて企画もやってたような
- 逸見氏が司会の時も、問題のあるシーンはあった。ギャルの全裸が映ったりとか。
- 「ウソつき4択」でその手の場面が出た場合はほぼ間違いなく正解(事実)だった記憶がある。
- むしろ親は平然と見てて子どもの自分がなんか恥ずかしくなってた年頃。
- 1993年1月某日、番組終盤の8時45分にいきなり臨時ニュースに割り込まれて、キレた人、挙手!
- 夜中の2時ごろまで続ける価値のあるニュースなのかと。
- 「ふざけんじゃねぇっ!!」と視聴者がブチ切れるとはこのことです!
- 司会はやっぱり逸見さんだという人、挙手!
- これだけは自信もって挙げられます(by 関西人)
- 関東在住ですが、同意です!
- ウッソーウッソウッソイッツミ~♪
- 「何を作ってるんでしょうか」を懐かしむために、「平成教育学院」の工場見学シーンを見る。
- 「カルメン」を聞いていて思い浮かぶのは何かの工場。
- そもそもカルメンは工場で働く女性が主人公のオペラ、というところから来てるらしい。
- 「カルメン」を聞いていて思い浮かぶのは何かの工場。
- 誰かが取ろうとしている食べ物を取る時「横取り40萬!」と言いながら取る。
- スポーツの試合で、大差で勝利したチームに「横取り40萬を使ったろう」と勘繰ってしまう。
- 番組改変期に放送していた”逸見vs山城”の対決は今でも印象に残っている。
- で、プロレスラーの故・ジャイアント馬場氏がセットをぶっ壊したのを知っている。
- 上級者は山城さんの一件まで知っている。
- で、プロレスラーの故・ジャイアント馬場氏がセットをぶっ壊したのを知っている。
- ミリオンスロットの曲を聴くと興奮する。
- Mi-Keの『ブルーライトヨコスカ』がカラオケで歌える。
- やっぱり、福沢”ジャストミート”朗は許せない。
- 死亡フラグが流れたのは、ここの熱心な信者に変わったときから・・・。
- 司会交代後「クイズ悪魔のささやき」に乗り換えた。
- スポンサーだったので今でもホンダの車が好き。
- 山城新伍による「ヘルスメーター事件」も記憶に残る。
- 司会者が目をそらしたすきに、山城が司会者席にあった答えの書かれた紙をのぞき見した。次の工場見学問題では映像が始まって山城がすぐさま正解を出した。
- これが、6の補足が発端となっている訳w。
- ジャイアント馬場氏の「赤べこ事件」も記憶に残る。
- 50萬持っててミリオンスロットで50萬出して正解すればゴールドプレート…しかも、残り5秒という状況で「赤べこ」っていうのはすごい。
- 川合俊一の「サナダムシ」も伝説。
- ミリオンスロットのコールで渡辺正行氏が片足をちょこっと上げるのを見逃せない。
- ラストスロットで高田純次が100萬出したときのダンスも記憶に残っている。
- 非鉄金属の会社といえば真っ先に思い浮かぶのは三菱マテリアル。
- 出てきた全てのミリオンスロットの出目を言える。
- 10萬の微妙な配色(顔が水色で文字が青緑)も覚えている。
- 小さな店の入り口によくあるセンサー音、「テロレロ テロレロ…」を聴くと50萬だ!!と思う。
- もし逸見氏が日航ジャンボジェット機墜落事故で亡くなっていた場合、初代店長は誰になっていたのやら…
- 2代目店長の「ジャストミート」はその事故が起きた3年後の’88年に日テレ入り。よって、当時の逸見氏のポジションを務められる人物が全く予想できん。
- 「大番頭」渡辺正行は店長というポジションには無理があったのか…?
- トメさんはないか?
- 体力の限界を理由に早期降板も考えられたかも…(実際ウルトラクイズはショーバイ放送開始3年後に降板した)
- 生島ヒロシの退社が半年早かったらなあ…。
- もちろんあのネットクイズサイトの企画には参加した。
- でも、ルールが本家とは異なりアレンジされているので賛否両論。
- 蛭子能収のヘタウマな絵も印象に残る。
- 谷原章介の「アタックチャンス」ポーズが「ミリオンスロット」に見えて仕方ない。
- 番組開始当初は裏番組を見ていてしばらくしてから乗り換えて来た、という人が多い気が。
- 100萬いけそうでいけないのが、ショーバイの醍醐味でもある。
- 100萬まであと少しという所で、ラストスロットでそれより低いマネーが出て100萬ならずということはしょっちゅうあった。
- 80萬だったのに、ラストスロットで10萬が出てゴールドプレート獲得できずということもザラだった。
- 中には100萬いけそうという所で、自分がラストスロットに挑戦する前に他の解答者が横取り40萬を出されて、横取りされてゴールドプレートを逃したこともあった。
- 更に司会が交代してからは、100萬到達パネラーからの横取りが解禁された。
- 100萬到達パネラーからの横取りが禁止だった時代は、100萬到達パネラーがラストスロットで破産を出した場合についてはルールが明文化されていなかったため、この事態が発生していたらどう対応していたかは完全に不明…
- 番組末期はこちらに乗り換えた人多数。
- 第1回の放送で逸見が「日本 テレビの電波に初めて私の顔と声が流れます」というアナウンスがあったが、当時はFNN加盟局でSHOW by ショーバイがネットされていた地域もあり(当時は九州などでFNNとNNNのクロスネット局が多かった)、それらの地域の視聴者は違和感を覚えた方も…