グラン・テスト
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グラン・テストの噂[編集 | ソースを編集]
- 直訳すると「大東部」。
シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏[編集 | ソースを編集]
- フランス北東部の地域圏。近くにパリやベルギーなどの大消費地帯が控えており、物流面でも有利な地域でもある。
- 古くから農耕が盛んで大穀倉地帯である。この地域はなだらかな丘陵地であり、気候も温暖なため農耕には適していた。
- ただし農業以外の産業が振るわないため、経済的に潤っている割には失業率が高い。
- フランス人に言わせれば、フランス人の中でも人間性に問題がありそうなのはここいら東北部の人々だそうだ。
- ひねくれ者、排他的である、言動がいちいち鼻に付くとのこと。
シャンパーニュ地方の噂[編集 | ソースを編集]
- 名前のとおり、シャンパンの産地。
- シャンパーニュ=平原って意味らしい。
- でっかい塔があって、てっぺんに盗賊が住んでいる。
- TGVが試験走行で、ロレーヌとの州境に近いマルヌ県エクレーレで574.8kmを出した。
アルデンヌ地方の噂[編集 | ソースを編集]
- フランス北部アルデンヌ県からベルギー南部のリュクサンブール、ナミュール、リエージュ各州、ルクセンブルクにかけての地域。
- アルデンヌ高地と呼ばれる丘陵地で、そのほとんどが森林地帯である。
- ローマ時代、ケルト神話の森の女神「アルデュイナ」にちなみ「アルドゥエンナの森」と呼ばれたのが由来。
- フランスとドイツの間に位置するため、過去より両国とも軍事的重要拠点としてきた。
- 森林や湿地が自然の要塞となり、歩兵・騎馬による前近代的な侵攻は不可能だったため、大規模な戦場となることはなかった。
- が、第二次世界大戦中、連合軍はドイツ軍にこの地域を2度破られている。
- この自然の要塞を過信し、この地域の対ドイツの要塞構築を怠った。戦車はいとも簡単にこの森の突破し、フランスは惨敗。
- さらに大戦終盤、弱体化したドイツ軍に反撃の余力は残ってないだろうと油断。脆弱な部隊しか配置せず、2度目の突破を許す。
ロレーヌの噂[編集 | ソースを編集]
- ロレーヌという地名は、かつてこの地に存在したロタリンギア王国からきている。
- 9世紀にフランク王国が分裂してできた中フランク王国を、国王であったロタールI世の死後、その息子たちが3分割して継承。そのうちの1つがロタリンギア王国。
- ロタリンギアという名は、この地を継承した国王、ロタールII世からきている。
- 東隣のアルザス地方とともに、フランスとドイツとの取り合いが繰り返された。石炭と鉄鉱石が目当てらしい。
- その歴史から、ドイツ文化が色濃く残る地域である。ドイツ語では「ロートリンゲン」。
- 確か、マリア・テレジアの夫はここの人じゃなかったっけ。
- 神聖ローマ帝国所属の「ロレーヌ(ロートリンゲン)公国」の君主だったわけだが、マリア・テレジアとの結婚の条件として領地ロレーヌをフランスに譲ることを強要されたという。
- 最も、フランス王ルイ15世の舅で前ポーランド国王が隠居領として一旦相続しているので、正式にフランス領となったのは1766年。住民がドイツ系のアルザスよりもフランス領としての歴史は実は短かったりする。
- 厳密には独仏二股膏薬状態でずっと来ていたらしい。神聖ローマ帝国所属ながらフランス語圏で、フランス王家ともつながりがあってフランスの諸侯とも見なされるという複雑さ。
- ルイ14世の侵略でロレーヌ公はハプスブルク家を頼ってオーストリアに亡命、以来ロレーヌ家は半ばゲルマン化し、領土を奪還した後もドイツ名を名乗るようになった。マリア・テレジアとロートリンゲン公フランツ(一応フランソワというフランス読みもあるのだが)が結婚したのもこれと無関係ではない。
- 厳密には独仏二股膏薬状態でずっと来ていたらしい。神聖ローマ帝国所属ながらフランス語圏で、フランス王家ともつながりがあってフランスの諸侯とも見なされるという複雑さ。
- バカラ・クリスタルに代表される、アール・ヌーヴォーのガラス工芸が有名。発祥の地「バカラ村」はロレーヌにある。
- 豊富な鉱産物と窯の薪になる森林、動力になる清流に恵まれていた。
- 森林と言えば、フランス国内唯一の森林学校とやらがあるらしい。
- キッチュ・ロレーヌの本場。ベーコンが入るのがロレーヌ風らしい。
- 清流と言えば、ミネラルウォーターVittelの採水地、ヴィッテル村がある。
アルザスの噂[編集 | ソースを編集]
- 成城学園高等学校のアルザス校があったが、平成17年3月末をもって閉鎖。
- ドイツになったりフランスになったりして大変だった地方。
- 今でもドイツっぽい地名がちらほらある。
- 日本人には、国語の教科書の「最後の授業」でおなじみ。しかしアルザス人の母語はフランス語ではなくドイツ系のアルザス語であり、実はこの作品はフランス側からのプロパガンダ作品であったことが1980年代に喝破され、教科書からいっせいに消えた。
- 現在でも住民のほとんどがバイリンガルだが、若い世代ほどフランス語を第1言語、ドイツ語(またはアルザス語)を第2言語とする傾向にある。また、地域差もあるようだ。(ミュルーズなどはかなりフランス語優位、ゲーテ博物館のあるセセネム(ゼーゼンハイム)などはかなりドイツ語(アルザス語)の勢力が強いらしい。ストラスブールは国境を超えた都市圏を作っているので両方通じる。)
- ロレーヌ地方との境にあるヴォージュ山脈(帝政ドイツ時代の国境)の山中には、もとからフランス語系の方言を用いてきた村がいくつかある。そのフランス語系方言の名称は、ドイツ語で「(ラテン系(古くはケルト系))外国人」を意味する「ヴェルシュ」(Welsch(独)、Welche(仏))だ。ちなみにイギリスのウェールズ/ウェルシュ、ベルギーのフランス系を意味する「ワロン」、ルーマニアのラテン/スラヴ混合民族を意味する「ワラキア/ブラック」もすべてゲルマン語で「外国人、よそ者」の意味だ。
- 教科書から消えた後も、その「最後の授業」を6年生の国語で教える教師がいた。当時はドイツ酷いなぁと思ったけど、今思えばこの作品を何故かWW2と結び付けて教えたりとかなり日教…奇妙な教師だった。
- 私が通っていた高校の赤い教師は少数民族マニアで、「最後の授業」がまだ読まれていた時期から、「エルザス人はドイツ系だからドイツ語で『エルザス』と呼ぶべきだ」と主張していた。赤い人にもいろいろいる。
- 実は土着の最古の「民族集団」はユダヤ人だったりする。勿論、数の上では非ユダヤのローマ属州民の方がずっと多かったのだが、今のアルザス人の祖先は主にラインの向こう側から来ており、ローマ属州民はアレマン族に吸収された恰好になるので。最も、厳密には上記「ヴェルシュ」=フランス語系もいるのだが、一応ローマ属州民とは別物扱いなのか?
- クリスマスツリー発祥の地でもある。
- コウノトリが住民から大切にされる。
- ワインの一大産地。周りはブドウ畑だらけ。
- ドイツに近いのもあって白ワインが主流。
- リボビレはTVドラマ「アルザスの青い空」のロケ地。
- 古い建物は木組みに白壁のドイツ風が多い。
著名なアルザス人[編集 | ソースを編集]
- シュヴァイツァーの出身地。
- 無理やりフランス式発音にすると「シュヴェゼール」になる。ルノーの前の会長がやはりそういう姓で、最初はフランス式に表記されていたがいつの間にかドイツ語式になっていた。
- リアル遠縁の親戚だそうです。
- 無理やりフランス式発音にすると「シュヴェゼール」になる。ルノーの前の会長がやはりそういう姓で、最初はフランス式に表記されていたがいつの間にかドイツ語式になっていた。
- 指揮者、シャルル・ミュンシュ。(ドイツ名「カール・ミュンヒ」)
- ドレフュス事件でスパイの冤罪をかけられたドレフュス大尉もアルザス生まれのユダヤ系フランス人。
- 映画監督、ウィリアム・ワイラーの出身地 。
- アーセナルの監督アーセン・ヴェンゲルも忘れてはいけないだろう。
- イギリス読みだと「ウェンガー」。
- 「アーセン」はアルザス読み。標準フランス語読みだと有名な架空の怪盗紳士の名前と同じになる。(日本では孫のほうが有名…)
- 作曲家・ワルトトイフェル(ドイツ語で「森の悪魔」の意味)
- スケーターズワルツ。
街の噂[編集 | ソースを編集]
ランス[編集 | ソースを編集]
- シャンパーニュ地方最大の都市であり、シャンパン醸造の一大中心地。
- とはいえ、人口約20万程度。
- ノートルダム大聖堂や凱旋門があるが、一番有名なやつじゃない。
- 歴代フランス国王はランスの大聖堂で戴冠式を行うのが、フランス建国以来の伝統。
- 人口18万人でシャンパーニュ=アルデンヌ地域圏最大の都市だが、首府どころか県庁所在地でもない。
- パリから130km。(東京―水戸ぐらい?)大都市が中途半端に近いといろいろ不便らしい。
- 全列車パリを通るので、どこに行くにもわざわざパリ経由。
- コンサートツアーもやってこない。見たきゃパリまで来れば?ってこと。
- マジ鬼畜。
エペルネ[編集 | ソースを編集]
- 50社以上のシャンパン・メーカーがある。
- 地下都市が存在する。
- 市内にあるワインメーカー各社のワインを貯蔵しておくために掘られた地下トンネルが、縦横無尽につながり地下街のようになっている。
- 人口2万6千人ながら、住民一人当たりの収入がフランスで最も高い裕福な街であるらしい。
ナンシー[編集 | ソースを編集]
- 金沢と姉妹都市。
- ナンシーはガラス工芸、金沢は九谷焼や漆器という、美術工芸の街同士というのが縁。
- 関とは、消しゴム版画が仲を取り持つ。
- 古くからのガラス工芸を押しのけ、19世紀後半より鉄鋼業が盛んになる。当時プチ成金が急増した。
- アール・ヌーボーの街。キラキラした街並みにもどこか日本チックなところがある。
- やっぱり夏色をしているのだろうか?
メス[編集 | ソースを編集]
- 中世ヨーロッパの中心地。今では見る影もない。
- 16世紀半ばにフランス領になって以来、対ドイツの要塞都市化してしまった。
- 17世紀後半、ナントの勅令(信仰の自由を認める)の廃止により、産業の中核を担っていたプロテスタントの商人・職人がさっさと街を出て行ってしまった。