サッカーウルグアイ代表

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ウルグアイ代表の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 実はFIFAワールドカップ初代開催国にして初代優勝国。
    • 帽子を被ってプレイしたらしい。
    • いまでこそ不振だが、かつてはブラジルアルゼンチンと共に「南米ビッグスリー」と称されていた。とくに南米での試合に強く、両国からも恐れられていた。
      • エンツォ・フランチェスコリは、マラドーナも認める良きライバルだった。
      • いまでもアルゼンチンにだけは絶対に負けられないらしい。
        • しかし2010年W杯予選の最終戦で、こともあろうにホームでの直接対決で敗れてしまい、3大会連続で大陸間プレーオフに回る羽目に・・・。
      • コパ・アメリカにはやたら強い(優勝14回)。人口300万ぐらいの小国で、ブラジルやアルゼンチンと長年張り合ってきたのが凄い。
      • そして2011年コパ・アメリカを制し、アルゼンチンを抜き最多優勝となった。
  2. アルバロ・レコバを筆頭にダリオ・シルバなど超悪ガキが多い。でもフォルランは生真面目みたいよ。
    • レコバが父親からつけられたあだ名は「中国人」。
      • 「エルチーノ」
    • レコバってそんな悪ガキなの?いいヤツっぽいけど。(ダリオ・シルバは悪いヤツだったなあ~)
    • 昔から、ダ・シルバとか「○○・シルバ」という選手がいつもいるような気がする。
    • しかし2010年W杯では、「ルイス・スアレス」という、彼らも霞んで見えるほどの悪役が登場。
      • 韓国戦では見事な2得点を挙げたが、準々決勝のガーナ戦、延長戦終了直前に相手のシュートをゴールライン寸前でなんとハンドで止めて勝ち越し点を阻止してしまった。
        • 本人は何食わぬ顔でしらばっくれてたものの、もちろん一発退場&PKのピンチ。ところがガーナの選手がこれを外してしまい、PK戦でウルグアイが勝ったものだから大問題に。
        • それでも本人曰く「あれがホントの神の手だ」と悪びれるそぶりもなし。さすがです。。。
        • 果たして、彼より悪運の強い者はこの世に存在するだろうか?
        • まあ、あのPK戦直前の場面、アフリカ勢初のベスト4がかかった場面だったからスアレスは非常な悪人扱いされてるけど。日本代表もかつてチャレンジマッチだったとはいえ、イングランド相手に柱谷の同様のハンドがあったし、ウルグアイも90年W杯でスペイン相手にシュートを同様のハンドで阻止され、PKを得たことがある。ちなみのこの時も、ルベン・ソサが宇宙開発を発射してしまった。
        • 南アフリカW杯から12年後のカタールW杯のGL最終戦、因縁のガーナ戦となり2-0で勝ったのだが…。
      • その一方で、エースのフォルランは大会5得点の大活躍。フランチェスコリを超える存在になったかも。
        • 4年後、なんと日本に姿を現した。
  3. 良く言えば守備の強さ、悪く言えばタックルやラフプレーの激しさ、ずるさは南米1、2を争う。
    • 争う相手はもちろんアルゼンチン。
    • シミュレーションもね。
  4. 上にもある様に「エンツォ・フランチェスコリ」はウルグアイサッカー史において絶対に外せないスーパースター。
    • レコバのアイドルでもあり、あのジダンも息子に「エンツォ」と名付けたのは有名な話。
  5. 2010年南アフリカ大会を前に、監督が「グループリーグはコカ・コーラカップみたいなもんだ。決勝トーナメントからが本番だぜ。」と余裕の発言をかましたらしい。
    • そんなこと言ってるが、同じグループにはフランス・メキシコ・開催国南アフリカがいるのに、勝ち抜けるのか??
      • 勝ち抜けてしまいました…。
      • 決勝トーナメントでも、上記スアレスの大活躍(?)で南米勢唯一ベスト4に進出。
        • 準決勝、3位決定戦では敗れたがオランダドイツ相手に最後まであきらめずに、終了直前あわや同点という場面を作るなど善戦して40年ぶりの4位。古豪復活をアピールした。
  6. 「20」番のレコバ。
    • レコバは完全に「10」番の選手なんだけどクラブチームと同様に「20」番を好んで付けていた。
  7. 愛称は「セレステ」。スペイン語でチームカラーの「水色」の意味。
  8. ドイツ、オランダと相性が悪い。
    • 特にドイツとは80年ぐらいも勝ったことが無い。最後にドイツに勝ったのは1928年の試合。
      • 今現在ウルグアイがドイツに勝利したのはその1928年の試合が最初で最後。
      • ワールドカップで最も対戦回数が多い国だが対戦成績は1分3敗と散々な結果。ちなみにウルグアイが優勝した大会は全てドイツが出場していない。
    • 旧宗主国であるスペインとも相性が悪く、未だ白星なし。
  9. 上にも書かれてるが、2011年のコパ・アメリカで優勝。あの男(スアレス)はMVPに輝いた。しかも準々決勝では開催国アルゼンチンをPK戦で下し、アルゼンチンの地元優勝の夢をブチ壊してしまった。。。
    • 過去にもコパ・アメリカがアルゼンチンで開催されたときに準決勝で倒して優勝をさらうというKYなことをやってのけたことがある。
    • その一方で、自国開催のコパ・アメリカでは優勝を逃したことがない。アルゼンチンなど他国から見たらイヤな奴だろうなあ・・・
      • フォルランはこれで親子三代にわたるコパ・アメリカ制覇を成し遂げた。マルディーニ家もビックリだ。
  10. アフリカ勢にはAマッチで1度も敗れたことが無い。引き分けならあるが。
    • 2002年の日韓ワールドカップではセネガルに3点取られ敗れそうになったが、その後3点を取り返しアフリカ勢から初の黒星は免れた。
    • ワールドカップではアジア勢には1度も敗れたことが無い。
      • 南米でアジアにワールドカップで負けたことある国ってあるの?
  11. カタールW杯では韓国に0-0で引き分け、ポルトガルに0-2で敗れGL最下位と絶体絶命の状況に。
    • それでも最終戦のガーナ戦は2点リードし逆転でGL突破の状況だったが、同時刻開催の韓国vsポルトガル戦で韓国が逆転勝利。
      • 試合はそのままガーナに2-0で勝ったが、韓国との総得点差(韓国4得点・ウルグアイ2得点)で無念のGL敗退となってしまった。
    • 流石のスアレスもこれが最後の大会となったが、3戦目の後半にGL敗退が濃厚になると、既に下がっていたベンチ内で号泣。かつての狂犬も既に牙は抜け落ちていたか。
      • キャプテンとしてピッチで戦っている仲間を鼓舞するでもなく、1人メソメソしていたのには、だらしない体以上にガッカリ。同大会のCロナやアザールにも言える事だけれど、実績だけで巻いているキャプテンマークで、本当の意味のキャプテンではなかった。