ソビエトの人物
- 指導者の名前の後には「つるふさの法則」にのっとった(つる)か、(ふさ)をつけてあります。
ソビエト人物評小噺[編集 | ソースを編集]
- 列車「共産主義号」が荒野を走っていた。ある日、エンジンが壊れて止まった。
- 同志スターリンが目を覚ました。「運転手を銃殺せよ!!!」と彼は提案した。
- 同志フルシチョフが異議を唱えた。「運転手の名誉を回復せよ!」と彼は主張した。
- 同志ブレジネフが気持ちよさそうに座席に座っていた。「目を閉じて、体を揺すれば誰も列車が止まったことには気づかないよ」。
- 最後に同志ゴルバチョフが立ち上がった。「諸君は皆間違っている!我々がしなければならないことは、列車から降りて、全員が一緒に叫ぶことだ。列車は動いていない、列車は動いていない、と。」
ウラジーミル・レーニン(つる)[編集 | ソースを編集]
- なんといっても目につくのはあのゆでたまごのような頭。
- 150もの偽名を使っていたツワモノ。
- 晩年は発狂し、何度も発作を起こして廃人状態になっていた。
- 死後はホルマリンに漬けられてレーニン廟に祭られることに。
- 蝋人形ではないかとの噂もある。
- ソ連崩壊後にレーニン像が倒壊したが、遺体は永久保存。
- 今でも1年半に一度漬け直しているらしい。
- 無残に殺されたニコライよりも優遇されている。
- 独裁政権の礎を作り、秘密警察や強制収容所や赤軍の設立や粛清を行い、これが原因でスターリンの独裁政権が始まった。
- 実はユダヤ人。
- 超ネガティブ。地下活動時代は「革命なんて絶対無理だよウワァアアアアアン」と嘆いていたらしい。
- ソ連時代には政治家ではなく学者扱いが義務付けられていた。
- それを皮肉ったアネクドートもあった。
- 「同志レーニンはなぜ社会主義を導入する前に動物実験をしなかったのだろうか?」
- それを皮肉ったアネクドートもあった。
- ドイツ亡命歴があったためかかなりのビール党だった。
トロフィム・ルイセンコ[編集 | ソースを編集]
- ダーウィン以前の「獲得形質の遺伝」の概念を基にした夢と希望あふれるルイセンコ農法をソヴィエト全土で実践!
- 「雪の中に種をまけば強い株に育つ」とかそういうの。
- 当然大惨事。
- 話に乗った時の権力者が反論する学者を全部消してくれた。おまけに失敗しても全部農民のせいに。
- 被害は中国にまで波及。日本にも一部に惨禍を残していった。
- 北朝鮮の悪名高い主体農法もルイセンコ農法の末裔。
ニキータ・フルシチョフ(つる)[編集 | ソースを編集]
- スターリン批判をしたが自分だって10万人も粛清している。
- 働かない男No.1
- 関連項目「もしソビエト連邦でフルシチョフが失脚していなかったら」。
- フルシチョフの墓は独創的すぎる。
- 政治よりもっぱら海外の変わった作物を育てることに熱中していた。
- エセ植物学者にだまされて、樫を植えまくって気候を変えようとしたり、ソ連でメロンを露地栽培しようとしたりした。
- アメリカかどこかの女優と顔を合わせた際におでこに角が生えていないか確かめられた。
ミハイル・ゴルバチョフ(つる)[編集 | ソースを編集]
- 頭にはイタリアの地図が書いてある。
- ベトナムの地図が貼ってあった、あれはステッカーだ。
- 「ゴルビー」……少し可愛い。
- 自国民からは人気が無いばかりか売国奴扱いされている。
- 酒を制限する政策を取ってしまったのも効いている。
- モスクワと東京をパイプラインで繋ごうとしていた。
- 赤きサイクロンの勝利を祝福するためにヘリコプターで駆け付けたこともある。
- 「徹子の部屋」「SMAP×SMAP」「世界一受けたい授業」など日本のテレビ番組に意外と出ている。
ヨシフ・スターリン(ふさ)[編集 | ソースを編集]
- スターリンは計画経済や農業の集団化でソ連を大国に成長させた人だが、実は独裁政治で多くの人をシベリアに連行して死なせた。そのような悪事が死後暴露されイメージは急落した。
- そしてゴルバチョフ以降は、めでたくヒトラーを抜いて史上最悪の独裁者にランクイン。
- 身長はせいぜい160センチ程度。金正日と同じでシークレットブーツを愛用。
- グルジア訛りのせいか、子音のあとに「イ」が付いたり、母音「ウ」が「イ」に変わったりする。例えば「プラウダ」は「ピライダ」と発音していた。
- 極度の人間嫌いで、全く同じ作りの寝室を四つ用意しそのどこで寝るかは側近にも知らせなかった。
- 閣議中突然停電になり、再び明かりが灯るとスターリンの姿が見えなくなっていた。どこに行ったのかと探すとテーブルの下。自分の暗殺を恐れたのか、単に暗いのが怖かったのか、小便を漏らしながらブルブル震え縮こまっていた。
- 現在彼の本当の顔を知っている人はほとんどいない。実際の彼の顔は天然痘による痘痕のあとで醜い顔だった。左腕にも麻痺があり、左手を動かしている写真や動画は影武者。つまり我々が普段見る彼の顔は全てといってもいいほど影武者。あるいは修正されている。
- ちなみに歴代のソ連指導者の肖像はほとんど修正されている。このため写真や実写動画で出てきた人間はほとんどいない。例外はフルシチョフ。ゴルバチョフも当初修正されていたが、大統領制の移行に伴いこれを廃止した。
- スターリンは優しいおじさんらしい。
- 群衆の前から4列目の人がくしゃみをしたら、1列目から3列目までを全員射殺して道を空けてから4列目の人に駆け寄って「だいじょうびでしか、でょうし」と優しく声を掛けた。
- どうやら「だいじょうぶですか、同志。」と言いたかったようですが、グルジア訛りなのでこうなりました。
- 群衆の前から4列目の人がくしゃみをしたら、1列目から3列目までを全員射殺して道を空けてから4列目の人に駆け寄って「だいじょうびでしか、でょうし」と優しく声を掛けた。
- 実は計画経済上では死者数も予測していた。
- 「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計だ」とか言ったらしいし、働く人が減るのも予測して経済を考えていたんでしょう。
- そのスターリン。今年(2006年)に癌でなくなった。(合唱)
- 誰のこと?・・・と一応突っ込み
- ヒント:ファンファン
- 誰のこと?・・・と一応突っ込み
- イギリス・チャーチル曰く「ヒトラーを倒すためなら地獄の悪魔とでも手を結ぶ」「地獄の悪魔=ソ連(共産党)」のこと。
- レーニンでさえも遺言に『スターリンを指導者にしてはならないと』かいていた。しかし案の定ボリシェビキのメンバーは多く粛清された。そのおかげで独ソ戦でソ連軍は危うくなった。
- ザ・スターリンというバンドグループは「世界で最も嫌われてる男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」という理由で付けられたそうである。
- 21世紀の現在では、「偉大且つ強いソ連の象徴」として、スターリンはロシア国民にとっては未だに人気が高い。逆にゴルバチョフは、資本主義国や旧東側からは人気があるけど、ロシアでは、「アメリカに魂を売った売国奴」とか、「強いソ連を潰した」として、嫌っている人が多い。
- そしてゴルバチョフ以降は、めでたくヒトラーを抜いて史上最悪の独裁者にランクイン。
- 本名「ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ」妙に濁点が多い。
- 粛清と言えばスターリン。
- 自分と話す時に少しでも目をそらした部下は粛清。
- 拒否、曖昧な返事をした部下も粛清。
- 1に粛清、2に粛清、3、4飛ばして5も粛清。
- 拒否、曖昧な返事をした部下も粛清。
- 現地ではもっと直接的に「大テロル」と呼ばれている。
- 粛清した政敵の写真を肴にグルジアワインを一杯やっていたという証言もある。
- 自分と話す時に少しでも目をそらした部下は粛清。
- 史上最強の人間不信家。
- 晩年には被害妄想と痴呆も混ざっていた。
- 超わがままな性格でも知られる、犬の散歩をしていた老人を「うるさい」という理由だけで処刑したこともある。
- 警備担当者が「寝ているところを起こしたら殺される」と恐れていたため脳卒中の発作に気付いてもらえず死の原因となった。
- 30年近くにわたってソ連の国王になった。ソ連の君主やロシア史上で最も悪い君主。
- 国民は農業集団化で奴隷扱い。粛清の数も帝政時代とは比べ物にならない。
- ニコライは血の日曜日事件で罪悪感を感じたが、スターリンは2000万人死んでも知った事ではない。
- 極端な個人崇拝でスターリン様式、スターリン憲法、スターリン峰、スターリンのオルガンなどスターリンだらけになった。
- レーニンの弟子であったが、レーニンはスターリンを警戒したため、遺書に『スターリンを指導者にしてはならない』と書いた。
- 実はヒトラーよりも命を奪った。
- でもヒトラーほど悪くは言われない。つまり勝てば官軍。
- それも1桁違う。
- 現在ロシアではスターリンの評価は半々らしいが、あんたらこいつにどんだけ殺されたかわかってんの?
- 狼の顔の落書きが趣味だったとか。
ゲンリフ・ヤゴーダ[編集 | ソースを編集]
- NKVD(後のKGB)初代長官。スターリンの腰巾着初代にして、大粛清の実行者その1。
- スターリンに逮捕者が少ない=やり方が手ぬるいと言われて失脚。
- 後任のエジョフによって逮捕拷問の末、死刑。
ニコライ・エジョフ[編集 | ソースを編集]
- NKVD二代目長官。スターリンの腰巾着二代目にして、大粛清の実行者その2。
- 小柄な体格と残忍な性格から、「血まみれの小人」と呼ばれた。
- 「無実の人間を10人犠牲にしてもいいからスパイ1人を逃してはならない」をモットーに、逮捕しまくり、拷問しまくり、殺しまくった。
- なにしろエジョフの仕事の結果、政府や軍の人数が半分になったのだから。
- スターリンも大満足だったが、粛清しすぎて政府が機能不全になると掌返して冷遇。
- もちろんスターリン自身は何の問題も後ろめたさもない……こんな時間にドアをノックするのは誰だ?
- これまで自分がしてきたように、逮捕拷問の末、死刑。
- 男色家・・・つまりホモだったと攻撃されたが、これは死後の調査で事実だった模様。
- ニコレット(ファイザー製薬)のCMに登場するタバコの怪人に顔がそっくり。
ラヴレンチー・ベリヤ[編集 | ソースを編集]
- 鬼畜。
- スターリンの腰巾着。
- NKVD三代目長官。初代から三代目まで、同じような絶頂期と同じような最期を迎えた。
- 色々と大粛清に関わっている。
- 政治的には日和見的なので意外と自由主義的だったのかもとか思われることもあるが、要するに鬼畜趣味を満喫したかっただけではないのかと。
- 少女に×××をするのが趣味だったため現在でもロリコンと呼ばれている。
- モスクワ市内を車でうろつき、気に入った少女を見つけるとNKVD本部に連れ込んで×××。拒絶したら家族ごと粛清。
- ベリヤが死刑判決を受けたとき、ベリヤに娘を殺された(×××されたあと自殺)父親が、自分を処刑執行人にしてくれと嘆願した。
- 通常の銃殺刑ではなく、ロシアの伝統的な制裁方法で処刑されたという俗説がある。
- 伝統的な処刑とは、素手で殴り殺すことである。
- 通常の銃殺刑ではなく、ロシアの伝統的な制裁方法で処刑されたという俗説がある。
- 「スターリンは俺が毒殺した」と自慢していたという説がある。
レオニード・ブレジネフ(ふさ)[編集 | ソースを編集]
- ブレジネフ・ジョークというのもあった。
- 「同志よ、いまわがソ連を苦しめる3つのBがある。ひとつはバレル、すなわち石油だ。もうひとつはブッシェル、すなわち小麦だ」
「もうひとつはなんだ?」
「それは今ここでは言えない。ちょっとこっちへ来てくれ」
(物陰で)「で、3番目のBとは?」
「ブレジネフだ」 - 往来で「ブレジネフの大バカ野郎!」と叫んだ男が逮捕された。
彼は15年のシベリア送りとなった。うち5年は名誉毀損罪。残りの10年は国家機密漏洩罪だった。 - ブレジネフとニクソンが会談。
ニクソン「わがアメリカ合衆国では言論の自由が完全に保証されています。ホワイトハウスの前で『ニクソンの大バカ野郎』と叫んでも、誰も逮捕されたりはしません」
ブレジネフ「わがソビエト連邦でも言論の自由は完全に保証されています。クレムリンの前で『ニクソンの大バカ野郎』と叫んでも、誰も逮捕されたりはしません」 - ブレジネフの姿が見えなくなり大騒ぎになっているクレムリンに電話がかかってきた。
「ブレジネフを誘拐した。10億ルーブル用意しろ。さもないと生かして帰すぞ」 - 問:スターリンとブレジネフの違いは?
答:スターリンの口髭が少し高い場所に移ったのがブレジネフ。 - 出国の自由を認めよという世論が高まる中、ブレジネフが首相のコスイギンに言った。
「出国を自由にしたら、みんなこの国から出て行ってしまって、我々二人しか残らなくなるだろうな」
怪訝な顔をしてコスイギンが言った。 「我々二人って、君のほかのあと一人ってのは一体誰なんだい?」
- 「同志よ、いまわがソ連を苦しめる3つのBがある。ひとつはバレル、すなわち石油だ。もうひとつはブッシェル、すなわち小麦だ」
- ブレジネフのマユゲはスターリンのヒゲと同じ大きさ。
- 現在のロシアではこの人の時代は「停滞していたがまあまあ安定した時代だった」という評価。
- 勲章大好き。
- 「ブレジネフの上着が落下しクレムリンの洋服掛けの下を震源とする地震が発生した」というアネクドートもあった。
- 『フジ三太郎』でも勲章好きをネタにされていた記憶がある。
- クレムリンの献立にロシアの伝統的料理が復活したのはこの人のおかげらしい。
- 特に川エビのスープを好んだ。
レフ・トロツキー(ふさ)[編集 | ソースを編集]
- レーニンとゆかいな仲間たちの中ではイケメン。
- ソビエトを追い出され、亡命先のメキシコでピッケルで頭を打ち砕かれて死亡。
- 「暗殺者のメロディー」という映画にもなった。
- メキシコ時代の趣味は
不倫避難訓練。
- レーニン亡き後の庶民の不満の捌け口の対象としてスターリンに利用されてしまったようなもの。
- スターリンの敵だったため相対的にマシに見られてるが、反乱軍の水兵は毒ガスで容赦なくブチ殺した。
- 見た目が鶏のような雰囲気の人物。
- 英語読みは「レオン・トロツキー」
- ちなみにロシア語の「レフ」も英語読みの「レオン」も共に元の意味は「ライオン」。
- スターリンによって、レーニンとトロツキーが一緒に写っている写真は修正されている。
- 第2次世界大戦(大祖国戦争)においてソ連軍内部の恐怖となった、コミッサール(政治委員)の生みの親。
- もともとコミッサールはソビエト・ロシア初期、未熟な赤軍を育てるために雇われた旧帝政ロシア軍将校のお目付け役だった。
- 「文学と革命」という文芸評論集もある芸達者。
- 「わが生涯」「ロシア革命史」は文学性も高い。元作家志望だったので非常に文章が巧い。
- 「ふさ」扱いで確かに異様にふさふさしてるが、生え際は高いぞ。
- 各種フィクションでよくスターリンの対抗馬にされている。