ネパール
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地域の噂[編集 | ソースを編集]
ネパールの噂[編集 | ソースを編集]
- 国旗の形がおかしい。
- 世界で唯一長方形(四角形)でない形をしている。
- エベレスト山(チョモランマ)があり、登山料が高い。
- 韓国人の案内はしない。すぐ殴るから。
- 最近、氷河が溶けるようになったのは、神様の山で外国人が肉を焼いて喰うようになったからだと思っている。
- でも結局、背に腹はかえられぬから、カネを取って神様の山へ連れて行っちゃう。
- 登山料は日本円にして約300万円。キャンセルしても返還は無し。ただし、シェルパの皆さんに別途お礼が必要。
- その他もろもろの費用を合算すれば700万円ほどかかるらしい。
- 第二次世界大戦後に開国。
- 鎖国時代にはイギリスとしか国交がなかった。
- 世界最強の軍隊は、イギリス人の「将軍」と、アメリカ人の「将校」と、日本人の「下士官」と、「グルカ兵」と言われている。ちなみにグルカはネパールの一地方。
- パール判事は寝ていない。
- スガオ君。
- スガオ君のパパ阿南さんは会社で嫌われていたんじゃないか?
- スガオ君の先生が、パパの会社にきた際に嫌がらせをしたせいで会社で悪い噂が広まった。
- 新しいアニメでは架空の国家にされてしまった。
- 紅茶で有名なダージリン地方は、もともとネパールの領土だったのをインドが強奪したとして、インドとは仲が悪い。
- でもインドがここの保護国だったこともある。
- 山を挟んで向かいのイラムで取れる紅茶は実は隠れた名品。
- もともとダージリン含めシッキムはチベットの国だったが、ネパール人の大量植民もあってインドに併合された過去をもつ。
- なお現在のネパールにとって最大の貿易相手国はインド。
- 人買いにさらわれたネパール人女性が最も多く見つかるのもインドだという。
- ゴータマ・シッダールタ(仏陀)が生まれたカピラヴァストゥ城が位置していた国。
- カピラヴァストゥはインドにあったという説もありまだ結論は出ていない。
- 生誕地のルンビニがあるのは文句なくネパール。
- 標高6000メートル以上でないと山とは言わず、丘と言うらしい。
- 鉄道が全くない。
- そんなことは無い。ジャナクプル鉄道がある。
- ジャナクプル鉄道は何も知らずに乗ってしまうとインドまで行ってしまい不法入国となってしまうから要注意。
- かつては国営鉄道もあったが1965年に廃止。
- そんなことは無い。ジャナクプル鉄道がある。
- カレーのおかずがカレーである。
- 「ムスタン」は、ネパール国内にあるが、当然ながら、独立国ではない
- 8848mのエベレストもあるが南部には標高100m以下の地域もある。国土全体がものすごい坂。
- 山がちなのは北側、領土も横長なんで「海のない神戸」てな印象。
- 地球上の8000m峰14座のうち、3座が完全にネパール国内、5座がネパールと他国の国境にある。
- UTC+5時間45分という半端な標準時の国。
- インドが嫌いだからワザとズラしたとのこと。
- UTCが6時26分だったらネパールでは12時11分ということか。てか時計合わせるのにいちいち計算する必要が・・・。
- UTC+4時間51分とかいう地域よりはマシ。
- インドが嫌いだからワザとズラしたとのこと。
- 西蔵鉄道が直通運転する予定。
- 北京駅に『北京-加徳満都』というサボが見られるかも。ちなみにチベット鉄道にもデーヴァナーガリーと漢字表記がある。チベット鉄道は入国許可証がないとは入れないので国際列車扱い。
- デーヴァナーガリーじゃなくてチベット文字では?祖先は同じだけど。
- いずれはヒマラヤを越えてインドまで直通運転するんだろうか…
- どこで軌間が変わるかが気になる。(中国:標準軌、インド:広軌)
- 北京駅に『北京-加徳満都』というサボが見られるかも。ちなみにチベット鉄道にもデーヴァナーガリーと漢字表記がある。チベット鉄道は入国許可証がないとは入れないので国際列車扱い。
- ネパールのお坊さんはニワトリのトサカのような物を頭に付けている。なんかかっこいいけど。
- ヒマラヤ山脈は文化の交流を妨げる障壁であり、中国とインド・パキスタンは人種も文化もまったく違う。
- 中国人に似た顔でもネパールはインド文化が強い。チベットは僻地だから中国とインドの文化もあまり少ない。
- この難所のおかげでモンゴル帝国はここに侵攻できなかった。
- それでもネパールには焼きそばやチベット仏教などが伝わっている。
- オパールは採れないらしい。
- 当然ながらインパールはインドにある。
- 国歌が異質。民族的で個人的に好き。
- 東京の品川区や大田区に2000年代から爆発的にネパール人が増えてる。ネパールカレー屋も増殖中
- ネパール人が作っていても店には、「インドカレー」の名前。
- 実は日本在留外国人の国籍別人口でネパール人は7位(2015年6月現在)。インド人はもちろんタイ人や台湾人よりも多い。そんなにいたのか…。
- 今やコンビニや工場とかでもたまーに見るようになった。
- 他の料理屋と違い、特別な設備が要らないから開業が楽らしい。日本人がみそ汁作る感覚で、ヤツらカレーを作る。
- ネパールでは日本料理屋が増えている。日本でカレー屋開いていた人たちが、国に帰って今度は日本で覚えた料理で店を開くんだ。で、日本から来たバックパッカーどもが寄って行く。
- 今では三河にもネパールカレーの店が存在するくらい。
- 水は、硬水らしい。下痢をする。
- 日本の武道が盛ん。
- トラの肉を食べるらしい。カニを食べたことがないらしい。
- だって、カニ獲れるとこないやん(笑)
- なおよく食される肉は鶏と水牛。
- 豚は猪とかけ合わせたイノブタが開発されるまで好まれなかった。
- 水牛はたいていの部位で調理法が確立されている。
- 男女の比率は、男1:女7 これホント?
- 女性の場合、早婚の傾向がとても強い。平均年齢18歳で結婚するらしい。
- 地震が多い。
- 人口の大半が地盤がゆるいカトマンズ盆地に集中し、さらに耐震設備もなく全般的にスラムも残るため災害などに非常に脆弱。そのため日本などに大量に移民が出ている。
- 海外に出るのは国が貧乏なので出稼ぎに行っているだけでは。
- 中東に行った人が過労死するケースは珍しくない。
- 海外に出るのは国が貧乏なので出稼ぎに行っているだけでは。
- 日本のNPOがネパールの小学生向けに防災紙芝居を作る活動を行っている。
- 人口の大半が地盤がゆるいカトマンズ盆地に集中し、さらに耐震設備もなく全般的にスラムも残るため災害などに非常に脆弱。そのため日本などに大量に移民が出ている。
- この国で多数派を占めるヒンドゥー教徒は基本的に他の宗教に対し寛容。
- ヒンドゥーでも仏様にお祈りするということも普通にあるとか。
- 仏教がこの国で生き残れたのも仏教の僧侶がカースト秩序の中にうまく組み込まれたからだという。
- それでもキリスト教に対する偏見はまだ強い。
- ヒンドゥーでも仏様にお祈りするということも普通にあるとか。
- テレビ放送が始まる前にビデオデッキが入ってきた。
- 80年代にはビデオで映画を上映する個人経営の映画館が流行っていた。
- 高級なシネコンでは食事しながら映画を見るのが当たり前。
- 年に一度大麻解禁デーがある(Mahashivaratri)
ネパールの政治[編集 | ソースを編集]
- 政治的には不安定らしい。王室内でのイザコザもあったし。「ネパール共産党毛沢東主義派」とかあるし。
- 国内の三分の一から半分くらいの土地を実効支配中。
- ネパールを侵略しようと画策している悪の大国の謀略でしょ。
- 「夷を以って夷を制する」 かの国に古来から伝わる侵略方法である。
- それらしい名前だが、実は悪の大国は王室の方を支援していた。「勝手に名前を使われて迷惑している」とすら主張。
- 最初は、肩入れも考えていたらしいが、主義派側のメンバーの多くが毛沢東を知らないという事実に驚愕し、速攻で手を引いた。
- 結局、毛沢東主義派たちも取り込んで共和制に移行することになる。
- この毛沢東主義派、ゲリラ活動で民間人から金を奪うと領収書を切っていたらしい。「この先同志のホールドアップに遭っても、この領収証を見せれば行っていいからな」と保証して。
- 毛沢東主義者の軍に女性が多くいたおかげでネパールでの女性解放が少しは進んだらしい。
- 国王は、さいきんインターネットのカジノにはまっているらしい。
- 国民に反対の声が根強かったため、ついにこれまで掌握していた政治・軍事の実権を手放さなければならなくなり、心の慰めとしてやっているらしい。
- そろそろ国名が、ネパール王国から単にネパール国へと変わるらしい。
- タイと比べることが失礼なくらい、国王が尊敬されていない。
- 銃乱射事件の首謀者と思われているためである。
- 21世紀にもなって国王親政を行った時代錯誤の独裁者でもあった。
- その「国王が尊敬されてない」度合いはアフリカのスワジランドと並ぶほど。
- 2008年、ついに王宮からの退去命令に従う。でも、引越し先は別の宮殿。
- 王位に就いたのがギャネンドラでなければ今でも王制は続いていたと思われる。
- ビレンドラ国王時代には毛沢東主義者ですら条件付きながら王制存続を認める方針だった。
- 2008年5月、正式に王政が廃止されて共和制に移行。
- 第一党となったネパール共産党毛沢東主義派は、「共和制になったのだから、新聞やラジオは今後政府に対して批判をしないように」と初っ端からボケをかましてくれた。
- 先行きがあまりにも不安である。
- 新憲法の制定には8年もかかった。
- 正式名称は「ネパール連邦民主共和国」と決定した。
- 国旗の変更はなかった。あのユニークなデザインは替えようがなかったということか。
- 第一党となったネパール共産党毛沢東主義派は、「共和制になったのだから、新聞やラジオは今後政府に対して批判をしないように」と初っ端からボケをかましてくれた。