バカ人物志
歴史上の人物の噂・バカな逸話を集める。
ここでは「歴史上の人物」は大正時代以前に活躍した人物とします。
バカ人物志/日本[編集 | ソースを編集]
バカ人物志/中国[編集 | ソースを編集]
バカ人物志/世界[編集 | ソースを編集]
第一次世界大戦以前の人物といたします。
- 独立項目
武将伝[編集 | ソースを編集]
ハンニバル[編集 | ソースを編集]
- カルタゴの将軍。第二次ポエニ戦争の立役者。
- 象の軍団を率いてアルプス越え。ローマ攻略を目指す。
- この壮大な大戦略により、敗将なのに栄光と共に名を残す。
- 第一次ポエニ戦争でシチリア島をローマに分捕られ、地中海の制海権を失っていたので、やむをえず陸路で攻めようとした。
- せっかくの象軍だったが、アルプスの寒さでほとんど全滅。
- 羊たちの沈黙の続編。
- この人がカンネーの戦いでやってのけた「少数による多数の包囲殲滅」は、後世の軍人が誰でも一度はやってみたいと考える憧れになった。
- そして、大失敗する例が多い。アカンねぇ。
- 奉天会戦では日本軍がロシア軍に対してこれを企図したが、最後は息切れして流星光底長蛇を逸した。
エドワード黒太子[編集 | ソースを編集]
- 明太子の新製品ではない。
- 黒タイツの商品名でもない。
- 長弓隊で有名。
- 親父はガーターベルトで有名。
- 息子はシェークスピアの悲劇で有名。
ジャンヌ・ダルク[編集 | ソースを編集]
- オレルアンのいい女ではない。
- イギリス人はこの戦いに負けた腹いせで、未だに彼女を魔女呼ばわりする。
- フランス人は彼女を見殺しにしたことに負い目を感じて、ルーアンで火あぶりにあったのは替え玉だと主張する。
- 日本人は彼女の髪型がロングかショートかで論争する。
- 一部の歴史マニアは忠実な腹心だったジル・ド・レイと性的関係があったかないかで論争する。
- ジンギス・カーンに一目ぼれした高飛車な格闘家ではない。
- 磔で火炙りになったとき、心臓だけ燃え残ったとかいやマ○コが残ったんだとか伝説がある。
- 世界初の魔法少女。フランス征服をもくろむ謎の秘密結社イングランドとの戦いに敗れて処刑された。
- ちなみにそのシーンがあまりに残虐だったため、後に出てくる魔法少女のアニメは全て最終的に勝利することになっている。
- ところでその「おジャ魔女ダルク」が再放送されるのはいったいいつだろう???
- タルトさんの事でしょうか?
- ちなみにそのシーンがあまりに残虐だったため、後に出てくる魔法少女のアニメは全て最終的に勝利することになっている。
- だから、ダルクは武将じゃないって!旗持ちもとい魔法少女だって!本当だってば!
- 神風怪盗ですね、わかります。
- だから魔女として処刑されてしまったわけだ。
- 牧野つくし。
- ドラクロアの絵画「民衆を率いる自由の女神」に描かれている人物はこの人ではないらしい。
- 「自由の女神」だからマリアンヌに決ってる。
クリストファー・コロンブス[編集 | ソースを編集]
- 世界一有名な「イタリア人」の一人。
- 当時の「イタリア」はただの地理上の概念。
- アメリカ大陸をインドだと思っていた。
- 西インド諸島だのインディアンだの、ややこしい名称になったのは基本的にこいつのせい。
- 卵を立てる人。
- あれはコロンブスじゃなくて本当はブルネレスキの逸話らしい。
- 晩年は落ちぶれた。
- でも、子孫は現代にいたるまで代々公爵だったりする。
- カリブ海に最初に到達したヨーロッパ人。
- 北米だとレイフ・エリクソンの方が早いし、南米も実はポルトガル人の方が先に到達してるって噂がある。
ジョージ・ワシントン[編集 | ソースを編集]
- 本人は戦争が終わった後はマウントバーノンでゆっくりと暮らしたかったらしい。が、英雄として祭り上げられ憲法会議の議長や初代大統領に就任。
- 大陸軍の司令官としてのポジションも最初は自分はふさわしくないと主張するも結局対抗馬が居なかったため就任。
- フレンチ・インディアン戦争の発端は彼自身。
- 但しろくな戦果も上げられぬまましばらく隠居し歴史の表舞台から消える。
- アメリカの大統領の慣習の多くは彼の行動から来ている。
- 大統領が二期までしか務められないのも彼が三期目の出馬を辞退したから。
- 大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓する儀式もフリーメイソンのメンバーだったワシントンがフリーメイソンの入会の儀式の一つの自分の信じる本に宣誓する儀式をまねしたから。
- フランクリン共々フリーメイソンのメンバー。彼の肖像が使われている1ドル札にはメイソンのシンボルが多数散りばめられてるとか。
- なのでアメリカ建国にはフリーメイソンが絡んでいるという説が散々唱えられている。
- 歯はかなり酷い状態だったらしい。
- 大統領就任時には1本を除き全て入れ歯という有様。
- $1札の肖像は彼が入れ歯を噛んでる場面だったりする。
- コンプレックスとなって演説を避けるようになり、大統領をやめたのも歯が原因だそうな。
- 今は横須賀にいる。
- 子どものときに桜の木を切ったことを正直に打ち明け怒られなかった逸話は有名。
- しかし当時のアメリカ大陸にはまだ桜はなかったらしい。
- 1789年に図書館から"The Law of Nations"という本を借りたが、返却するのを忘れていた。2010年にバージニア州のジョージ・ワシントン博物館の関係者が同じ版の本を弁償した。
ロバート・ランバート・ベインズ[編集 | ソースを編集]
- 豚が一匹撃ち殺されただけで始まった戦争をあやうく指揮するところだったイギリスの軍人。
ヘルムート・カール・ベンハルト・フォン・モルトケ[編集 | ソースを編集]
- ドイツ統一に貢献、近代ドイツ陸軍の祖を作り、プロイセンを世界有数の強国にし、電信と鉄道の有用性にいち早く気づきしかも7か国語を操れる天才。
- だが嫁さんが姪っ子でしかも結婚した時の年齢差が26歳というロリコン。
- 正確には義理の姪。妹の旦那の連れ子で血縁関係はない。妹(つまり義母)宛にやってくるダンディな手紙にすっかりメロメロだったため、早いうちからおじさまカッコいいという感じだったようだ。
- ちなみにこの嫁さん、モルトケが69歳の時に亡くなり以後肖像画をずっと大事にしてたらしい。90で死ぬ時も肖像画を見ながら亡くなったそうな。
- 分かりづらい文章になってるが死んだ嫁さんの肖像をモルトケが大事にしてたという話ね。
- だが嫁さんが姪っ子でしかも結婚した時の年齢差が26歳というロリコン。
芸術家伝[編集 | ソースを編集]
エンヘドゥアンナ[編集 | ソースを編集]
- サルゴンの娘、つまり王女。
- サルゴンも重要だが、逆にサルゴンをエンヘドゥアンナの父と紹介しても良いくらいの偉人である。
- 最古の著作者。
- これより前の時代の文章もいっぱいあるけど、それらは誰が書いたか分からないものばかり。
- それで書いた著作物はずっと後世まで楔形文字学習用の教材にされた。
- いわば世界の文学史の原点に当たる人。
- 王女が大神官になる風習の最初になった人でもある。
- この風習はその後1700年くらい続く。
アイスキュロス[編集 | ソースを編集]
- ギリシア悲劇の完成者。
- アテナイの三大悲劇詩人に数えられる。
- いちいち表現が大袈裟で仰々しい。
- ギリシア・ペルシア戦争への従軍経験を持つ。
- ヒゲワシに頭めがけてカメを落とされた結果、死亡した。
- ヒゲワシには岩に硬い獲物を落として割ってから食べる習性がある。残念ながら割れたのはアイスキュロスのハゲ頭の方だった。
- 悲劇と喜劇は紙一重。
ウェルギリウス[編集 | ソースを編集]
- ラテン文学における詩人の筆頭。
- 若いころは、内気で、パルテニアス(乙女)ってあだ名がついた。
- 実際は、病弱な青年だった。
- 友達は多い。
- ホラティウスからは「わたしの魂の半分」と呼ばれるくらい慕われていた。
- ウェルギリウスの方でもホラティウスを詩の登場人物のモデルにする程度には交流が深かった。
- ホラティウスからは「わたしの魂の半分」と呼ばれるくらい慕われていた。
- ローマ建国叙事詩「アエネーイス」の作者。
- 未完のまま亡くなる。
- 死に際に、未完だから「アエネーイス」を焼却するよう頼むも、皇帝アウグストゥスの命により出版されてしまう。
- そもそも、制作自体アウグストゥスの依頼だったという説もある。
- それ以前の作品である「牧歌」や「農耕詩」とは随分違う気もする。
- 未完のまま亡くなる。
- 魔術師、らしい。
- 害虫駆除したり、温泉掘ったり、城の地下に卵を保管したり。
- 魔術って、こんなのだっけ?
- 害虫駆除したり、温泉掘ったり、城の地下に卵を保管したり。
ホラティウス[編集 | ソースを編集]
- 風刺詩の人。
- 『詩論』というそのまんまなタイトルの論文を遺している。
- 名言のいくつかは、どことなく仏教思想っぽい。
- 実際はおそらくエピクロス学派の影響。
- 名言・格言の宝庫。
- 「その日を摘め」
- Carpe diem quam minimum credula postero
- 明日のことは分かんないんだから、今日を良く楽しく生きろという意味。
- 平成風に言うと「いつやるか? 今でしょ!」
- 「人生の大部分の問題は期待によって起こる」
- 「その日を摘め」
- 『ホラティウス兄弟の誓い』、『橋の上のホラティウス』とは別人。
ウマル・ハイヤーム[編集 | ソースを編集]
- 中世イスラム圏における最高の詩人。
- ペルシアの酔いどれ詩人。
- 一応、ムスリムなんだけど。
- 本当にイスラムを信仰してたのかあやしい部分もある。
- 一応、ムスリムなんだけど。
- 本職は数学者兼天文学者。
- 本職でもちゃんと業績を残している有能。
- セルジューク朝に仕えた。
- 本職でもちゃんと業績を残している有能。
ミケランジェロ・ブオナローティ[編集 | ソースを編集]
- 史上最高の芸術家の一人。
- 存命中からそういう扱い。
- おかげで、ルネサンス期の人物としては当時の記録が多く残っている。
- 存命中からそういう扱い。
- 陰の者。
- 良く言えば禁欲的。珠玉の芸術品の作者とは思えないくらい、身だしなみも生活ぶりも適当だった。
- 本人によると彫刻家が本業。
- 実際、作品で一番多いのは彫刻。
- バチカンの半分くらいはミケランジェロが作っている印象がある。
ヨハン・セバスチャン・バッハ[編集 | ソースを編集]
- 音楽の父。乳ではない。
- 「ドイツ3大B」の一人。残りはベートーヴェンとブラームスだが、彼らとの面識はない。
- 小川さん。
- Bachは「小川」の意。ちなみにドイツ語読みで「バッハ」と発音する。
- 兄弟や親子みんなが著名な音楽家なので、J.S.を付けると特定できる。
- 家系図絡みの場合「大バッハ」と表現するのが一般的。ちなみに「小バッハ」は多数ある分家の俗称。
- 子孫が異常にデカい態度をとっていた時期があり、たまに笑い話のネタにされている。
- 「トッカータとフーガ」とか「G線上のアリア」とか、名曲多数。
- しかし曲は知っていてもタイトルやバッハと結びつけることができないというのが大多数の人間。
- 著作権についてアバウトな時代、いろいろなジャンルで曲をパクられまくった。
- と言うか生前はさほど有名ではなかった。有名になったのは死後しばらくしてメンデルスゾーンが彼の曲をベタ褒めして知れ渡っただけのこと。
- チャラリ~♪ 鼻から牛乳ー♪
- きーたーねーえー♪
- テレビ埼玉の公営競技番組に名前を使われてしまった(BACHプラザ。Boat(競艇)、Auto(オート)、Cycle(競輪)、Horse(競馬)の頭文字をつなげて…)。
- 小川ジョン。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル[編集 | ソースを編集]
- 何はともあれハレルヤ、Hallelujah、晴れるや。
- あと、表彰式の曲(見よ勇者はかえる)。
- 欧州サッカーファンならなじみ深いUEFAチャンピオンズリーグ・アンセムもこの人の原曲(司祭ザドク)。
- バッハとは同年生まれの完全な同時代人。
- 死因も同じ(同じニセ医者にインチキ白内障手術を施され健康を害したのがきっかけ)
- ある高名なオルガニストの後釜に入ろうとして娘を押し付けられそうになり逃げたのも同じ。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン[編集 | ソースを編集]
- 世界で最も有名な音楽家の一人で、ドイツ3大Bの一人。
- 「ドイツ3大バカ」ではないので注意。
- 交響曲からピアノ曲、歌曲、オペラと、ありとあらゆるジャンルの作曲をした。
- 第九とエリーゼのためには、知らない人はいないんじゃないかな。
- ただしオペラは苦手だった。唯一のオペラ「フィデリオ」はけっこう駄作。
- ジャジャジャジャーン!
- 交響曲というジャンルをやたら重たいものにした。師匠のハイドンは少なくとも104曲、先輩のモーツァルトは41曲も作っているが、このためベートーヴェンは9曲書くのがやっとになってしまった。
- タモリ曰く「ベートーヴェンが音楽に深刻さを持ち込んだんですよ!」
- 交響曲というジャンルをやたら重たいものにした。師匠のハイドンは少なくとも104曲、先輩のモーツァルトは41曲も作っているが、このためベートーヴェンは9曲書くのがやっとになってしまった。
- 難聴と闘いながらも数多くの作曲をした苦労人としても有名。
- ドイツ語では「ベートホーフェン」と発音するのが正しいらしい。あと、真ん中は「ヴァン」ではなく「ファン」になる。
- 貴族の名前につく「フォン」ではなく、ただのオランダ系のミドルネーム。画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホや、「ピーナッツ」に出てくるルーシー&ライナスのヴァン・ペルト姉弟などと同じである。
- 「フォン」と間違われて貴族の出と思われ、ベートーヴェン自身も否定しなかった。あとでバレた時に大変気まずかったらしい。
- 貴族の名前につく「フォン」ではなく、ただのオランダ系のミドルネーム。画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホや、「ピーナッツ」に出てくるルーシー&ライナスのヴァン・ペルト姉弟などと同じである。
- 同名の犬の映画があったなあ。
- 髪の毛を振り乱した肖像画が有名だが、残された手帳には「○月×日、かつら屋」などと記されていた。人前に出る時はちゃんと身なりを整えたようだ。
- 最後の言葉として伝えられるのは「友よ喝采せよ、喜劇は終わった」
- えらくカッコいい気がするが、実は遺言状に署名した時のセリフ。この頃もうベートーヴェンはよれよれで、ペンを握るのも覚束なく、署名するのにやたら時間がかかった。ようやく署名し終えて、まわりの友人たちに照れ隠しに言った言葉だったそうな。
- 日本の地で現代によみがえったかに見えたが、どうやら幻に・・・
- よく学校の怪談を招いている。
- よく使われる肖像画がとてもむっつりした感じである理由は、描かれる日の朝食がとてもまずくて不機嫌だったからという件を多くの歴史トリビア本で取り上げられている。
- 手塚治虫の絶筆となった漫画『ルードウィヒ・B』は美化しすぎ。個人的には水木しげる版の『劇画ベートーベンの生涯』の方がそれっぽい。
ジョアキーノ・ロッシーニ[編集 | ソースを編集]
- 美食大好き、女大好き、人生楽しけりゃいいじゃん・・・という絵に描いたようなイタリア人の作曲家。
- 「ロッシーニ風」と名前のつく料理はすべからくこの人が考案したもの。
- すべからく→(正)当然のように (誤)全て
- 「ロッシーニ風」と名前のつく料理はすべからくこの人が考案したもの。
- とっとと引退して後半生は悠々自適の年金生活。だがガチの天才。ウィリアム・テル序曲は誰もが一度は聞く。
- 一つのオペラを1週間で完成させるが、序曲は以前作った作品の使いまわし。
- 「ベートーヴェンは1つのオペラのために4つの序曲を作ったが、ロッシーニは4つのオペラのために1つの序曲を作った」と言われた。
- しかしウィリアム・テルは創作に8カ月を要し、そこで自分の才能が枯渇したことを悟り、引退した。
- マトモに全曲通しで演奏したら5時間半もかかる代物をたった8か月で作っただけでも凄いと思うのは現代人の感覚なんだろうなあ…
- 一つのオペラを1週間で完成させるが、序曲は以前作った作品の使いまわし。
- あのワーグナーも「ロッシーニみたいになりてぇ」と憧れていた。でも念願かなってロッシーニを訪問しオペラ論をぶったら、話の途中で何度も席を外して料理の火加減を気にしてたという。ワーグナーには美食もまた芸術というロッシーニの感覚が理解できなかっただろう。
フィンセント・ファン・ゴッホ[編集 | ソースを編集]
- キチガイと天才は紙一重を地で行く画家。
- 最終的には芸術家として高く評価されているが、そこに至るまでの過程はなんというか色々ヒドイ。絵の才能がなければただの勘違い野郎で終わっていた。
- 「下層の労働者は尊い!」と寄り添うまではいいのだが、寄ってくだけで何もできないというかむしろ邪魔なため、当事者からは鬱陶しがられる。
- 理想を抱いて修道士を目指すが、自分の勝手な理想で行動するため教会からは「お前ダメ」と免許もらえず。
- そんなこんなで芸術家を目指すのだが、生活能力皆無なため資金は弟にたかる。
- 晩年のゴッホを実際に見た人の回想では「いつも汚い格好で酒癖悪い」と酷い言われよう。
- ただこうした間違った情熱が絵に昇華されたからこそゴッホは天才足り得たとも言える。
ピョートル・チャイコフスキー[編集 | ソースを編集]
- ロシアの作曲家で、ブラームスとほぼ同時期に活躍した。
- 同時代のロシアの作曲家同様、最初から音楽の道に進んだわけではなく、法律学校を卒業して役人になった後作曲家に転身している。
- 美しいメロディが特徴で、それゆえに名曲も多数。
- クラシックファン以外にもよく知られている曲も非常に多い。
- 上のブラームスに比べると、遊び心が満載な作風でもある。
- 「序曲1812年」の冒頭部分なんて、初めて聴いたら4拍子だと思うんじゃなかろうか。まさか3拍子だったとは!
- ホモだったらしい。
- 死因にも色々と謎の多い人。
- 一応公式には「生水を飲んだことによるコレラ」ということになってはいるが、自殺説や他殺説も根強い。
- その関係で、最後の完成作となった交響曲第6番「悲愴」の意味付けが大きく異なってきたりもする。
- 一応公式には「生水を飲んだことによるコレラ」ということになってはいるが、自殺説や他殺説も根強い。
ヨハネス・ブラームス[編集 | ソースを編集]
- ドイツ3大Bの一人。但し先述の二人(バッハとベートーヴェン)とは面識はない。
- ベートーヴェンの没年は1827年で、ブラームスの生年は1833年。
- 日本では非常に人気が高い作曲家らしい。
- 名曲多数で、交響曲第1番は交響曲史上最高の作品の一つ。
- まあ俺は好きではないんだが。「非の打ち所のない作品です(ドヤァ)」というような作風が鼻につくので。名曲ではあるけどね。
- ハンガリー舞曲第5番は知らない人はいないだろう。また第1番は一時期2chで話題になった。
- ハンガリー舞曲集を出版するとハンガリーの音楽を紹介した当地の音楽家達から訴えられてしまった。が、作曲ではなく編曲としたのが幸いして裁判には勝った。
- その作風とは裏腹に、本人はかなりの変わり者だったようだ。特に酒に関するエピソードが多い。
- 床にこぼれたブランデーを「もったいない」と言って舐めたとか。
- シューマンの弟子であったが、その妻クララに横恋慕していたらしい。
- 受験生の味方。
- 今日もラジオから大学祝典序曲が…。
- 4番までしか交響曲を作っていないのに、後世が勝手に8番をでっち上げた。
政治家伝[編集 | ソースを編集]
ジェームズ・モンロー[編集 | ソースを編集]
- アメリカにおいて「モンロー主義」と呼ばれる他国の外交政策に無干渉かつ無協調な立場を打ち出した。
- 後に似たような態度を取った大阪市の市営交通に関する政策がモンロー主義と言われるようになった。
- 同じ姓の有名なモンローの先祖のうわさがある。
エイブラハム・リンカーン[編集 | ソースを編集]
- 奴隷解放で知られている。
- でも当の本人はあくまでも奴隷州の拡大を支持していないだけ。奴隷制自体は地域経済の影響を懸念してあんまり手を付けたくはなかった。なのに南部の州は「奴隷制が廃止される!」とパニクって離脱し、南北戦争が勃発。
- 奴隷解放宣言は単に南部の奴隷を発起させて内乱を起こさせようとする軍事的戦略にすぎない。
- また、南部から安価に綿花を輸入でき、自由貿易のほうが有利なイギリスやフランスを牽制し、人道を盾にとって南部への援助を踏みとどませる方策でもある。
- 個人としては奴隷反対。倫理感がどうというよりそもそも悪政の元だと考えていたため。でも南部の事情も分かるし、時間かけてなくしていくしかないな、というのが本来の政治信条。あくまで現実の政治的対象として扱っている辺りがやはり切れ者だなと思わせる。
- アメリカ史上最初に暗殺された大統領。
- 約1世紀後に同じく暗殺された大統領とは共通点が何故か多い。
- ダーウィンとは同い年どころか同じ日生まれ。
- トム・ハンクスの遠縁。
- 「人民の、人民による、人民のための政治」というゲティスバーグ演説をした。やけに長い演説っぽく見えるが、このフレーズ含めた演説全体は約3分と短かった。
オットー・フォン・ビスマルク[編集 | ソースを編集]
- 賢さとずる賢さを備えたジャイアンである。
- 身長190㎝なのに歯医者が嫌いで暴飲暴食なのに83歳まで生きている。
- 皇帝がドイツ産シャンパンを愛国心のために飲んでいるの時にシャンパンをまずいと言ったことも。
- 巧みな手腕でドイツを統一させ、大国にしたが皇帝による親政にしようとした3代皇帝ヴィルヘルム2世に罷免される。
- 反自由主義的な面があるが統一後は協力していた。
- 鉄血宰相。
セオドア・ルーズベルト[編集 | ソースを編集]
- アメリカ版暴れん坊将軍。
- 42歳の若さで大統領に就任。この記録は今でも破られてない。
- ニューヨーク知事から副大統領になったのは裏でNYの利権屋が手に負えなくなって副大統領になりゃ何もしてこないって事で副大統領にぶちあげた。が、時の大統領暗殺で(ry
- テディベア。
- 米西戦争時は騎馬隊長であったが当の騎馬隊は馬の輸送が遅れてたせいでほとんど徒歩で移動していた。
- 日本人がポーツマスの名前を知ってるのは彼が日露講和条約をそこで取り持ったから。
- それでノーベル平和賞を貰っている。
- 日本に戦争を吹っかけた方のルーズベルトは従兄。
- セオドアの方が年上であり、フランクリンは従弟。
- ルーズベルトなのかローズヴェルトなのかはっきりしない。
- 現代でも歴代BEST5入りするほど評価の高い大統領だが、「いいインディアンは死んだインディアンだけだ」的な部分だけはいかにもなアメリカ野郎。日本文化にハマるなど柔軟性も持ち合わせていたはずなのだが。
ウッドロウ・ウィルソン[編集 | ソースを編集]
- 上院の反対を食らったせいで自分の国であるアメリカを国際連盟に参加させることが出来なかった。
- 第一次世界大戦を終わらせて国際連盟設立のきっかけを作ったまでは良かったのだが…。
- フロイト曰く「無意識で自分をキリストと同一視している」とかものすごい分析をされている。
商人・実業家伝[編集 | ソースを編集]
ムハンマド・イブン・アルザッヤート[編集 | ソースを編集]
- 9世紀、バグダードの大富豪。
- 父は油商人として成功。
- いかにもイラクって感じがする。
- 政府の御用商人になって更に大儲け。
- 父は油商人として成功。
- アッバース朝の宰相。
- ムハンマド・イブン・アルザッヤートがいじわるしてた王子がカリフに就任した結果、処刑される。
- タンヌール(オーブンの一種)を拷問器具として発展させた。
- 本人もこれで殺されたとか。
- 眠らせない拷問を受けて死んだとも言われている。
- 本人もこれで殺されたとか。
マルコ・ポーロ[編集 | ソースを編集]
マイアー・アムシェル・ロートシルト[編集 | ソースを編集]
- ロスチャイルド財閥の創始者。
- ロートシルトはロスチャイルドの独語読み。
- ナポレオン戦争でボロ儲け。
- 密輸とか。
- 息子たちを欧州各地に配置し5つの分家を作った。
- フランクフルト家、ウィーン家、ロンドン家、ナポリ家、パリ家。
- どこぞの大名みたいなことしてる。
アンドリュー・カーネギー[編集 | ソースを編集]
- 鉄鋼王
- 19世紀末に地球上で最も稼いでいた男。
- ライバルはジョン・ロックフェラー。
- ロックフェラーは長寿で昭和まで生きてたので、ここでは書けない。
- 慈善家としても有名。
- カーネギーメロン大学、ニューヨーク・カーネギー財団などカーネギーの名が付いた組織がいっぱいある。