バカ日本語辞典/教育
< バカ日本語辞典
- 大学受験期にいたるまで、国公立大学と私立大学の区別がついていなかった。
- 高2まで、「国士舘」を「国土舘」だと思っていた。国土地理院に就職できる学校ではないのだと知って愕然。てっきり防衛大学みたいに就職できるものだと・・・。
- 駒大苫小牧(こまだいとまこまい)をつい「とまだいこまこまい」と発音してしまう。
- 小4くらいまで「とまだいとまとまい」かと思っていた。トマト米って…
- 「大学」の正式名称が「大学校」なのだと思っていた。「早稲田大学校」「東京大学校」などと言うのが正しいと思っていた。
- 防衛大学校・気象大学校・水産大学校は例外です。
- 大学校は法律上「大学」ではない。つまり、位置付けは塾や専門学校と大差無い。
- 「朝鮮大学校」は防衛大学校や気象大学校などともまた異なり、各種学校(民族学校)の扱いとなる。
- 大学校は学校教育法によらず、文科省以外の省庁などが管轄する高等教育機関。
- 文部省が許可しないと「大学」を名乗れない。
- 慶応幼稚舎は幼稚園だと思っていた
- 今気づいた(42歳)。人前で慶應について話したことがなくてほっとした。考えてみたら慶應小学校ってないもんね
- え…じゃー何なんですか??(24歳)
- だから「小学校」ですって…(上の42歳)慶應幼稚舎入試案内
- 陸軍幼年学校というものもありますね
- 出身者は、この名前をどう思っているのだろうか?
- 高専は専門卒じゃないと入れないと思っていた
- 高専を専門学校の類だと思っている人が多い
- 「高等専門学校」と「高等専修学校」もよく勘違いする。「高専」と呼ばれているのは「高等専門学校」の方。「高等専修学校」は専門学校の中で高卒資格をとれるもの。なのに長い間自分は「高等専修学校」も「高専」だと信じていた。
- 「青山学院」「慶応義塾」はずっと塾だと思っていた。(市進学院とかがあるから)
- 慶応大は学生のことを「塾生」というらしいが、当初はそれを聞いて学内で塾も経営してると思っていた
- それは元でしょう?
- 自分は大手予備校の「河合塾」を予備校ではなく普通の学習塾だと思っていた。
- 逆に、そこを卒業すると河合大学の卒業証書を受け取れると思っている人もいるらしい。
- 小学校低学年まで、小学校と同じように中・高・大も6年ずつあると思った。
- 中学校卒業=18歳、高校卒業=24歳でけっこういい年なのにストレートで大学まで行くと30歳。
- 昔は「633で12年、コイズミ学習づっくえ♪」というCMソングがあったので、そういうことは考えなかったな。むしろ受験浪人の存在が混乱を呼んでいた。
- 近年増えてる中等教育学校は高3の事を「6年」と言ってる所もあるからさらに紛らわしい。
- 受験を知らなかった頃、高校と大学は好きなところを選んで入れると思っていた。
- 自分は受験を知らなかった頃、高校や大学は近くのところ(市内、それも小学校校区内)にしか入れないものと思っていた。受験を知ったのは小学2年生。
- 上に同じ。但し、中学3年だった。
- 遅せえよwww
- 逆に、小学校低学年の頃、中学校にはすべて入試があると思っていた。中学入試を取り上げるクイズ番組のせいで。
- 大学の単位の取り方、落としたらどうなるかさっぱり分からん国立専門高校中退の俺。
- 子供のころ、東大に行くのが偉い、賢い、みたいな話をよく聞いたのだが、灯台に行くことがなぜそんなに偉いことなのかがわからなかった。
- 日本は島国だから、「灯台」って大事なんだな〜と本気で思っていた。
- 東大は海岸沿いの山の頂上にあって、校舎(?)は灯台の形をしていると小学校まで思ってた。というか観音埼灯台=東大だと思ってた(神奈川県在住)
- 赤門は、浅草にある大きな提灯の下がっている門のことだと思っていた。
- 幼い頃、成蹊大学は整形する医療を学ぶ大学だとおもっていた。
- 高校教員の母は一時期、中等教育学校を中学校のことだと勘違いしていた。
- 中学校や高校は子供しか行けない学校なんだと思っていた。
- 入試は漢検や英検の様に受かる人の数に制限が無い物だと中3迄思っていた。
- 全校集会は日本中の学校が集まると思っていた。そうでないと知ってからは、日本中の学校が同時に行うのだと解釈していた。
- 関西学院(かんせいがくいん)大学が読めませんでした。岡山県の関西高校(男子校)は「かんぜい」と読みます。(甲子園出場経験あり)
- 兵庫県民だが、関西学院の存在自体、高3まで知らなかった。読み方は言うまでもなく・・・(ry
- 中3迄浪人の事をサーファーかと思っていた。
- 国学院大学と国士舘大学の区別がつかない。
- 学習院も。
- あと皇學館大学とか。
- 小6迄創価大学を「そうか!!大学」だと思っていた。
- 俺は草加大学だと思っていた。
- というか、創価学会が学校を運営しているというのが信じられない。
- 俺は創価学会を塾だと思っていた。
- 駿河台大学は東京都千代田区にあると思っていた。だって神田駿河台があるし。何で埼玉県飯能市にあるのだろう?
- 神田駿河台にある駿台予備校を運営してる法人「駿河台学園」が作った大学なので、駿河台大学。ちなみに、神田駿河台にも「お茶の水キャンパス」がある。
- つまり間違ってないという事ですね。
- というか、静岡県にあると思っていた。
- 関東学院大学と関東学園大学の区別がつかない。あと何故か独協大学と拓殖大学の区別がつかない。
- 正しくは「獨協大学」
- 宇都宮共和大学(旧那須大学)を旧名称のせいで国公立大学だと勘違いしてしまった。
- LEC東京リーガールマインド大学・・・長すぎる・・・。
- 最近まで日教組とは「先生が集まって『こういう教え方をしたらうまくいく』『いや、この方法でウチのクラスの平均点が上がりました』などと(教え方を研究する)教員の組織の会」だと思っていた30台男。チャクウィキを見てびっくり。
- >こういう教え方をしたら ←それを発表しあうことが、「教研集会(正式名称:教育研究集会)」の目的なんですけどね…
- そんなまともな団体だったらニュースで一々問題にあがらないよ。
- あそこはどちらかと言ったら労働組合だし。
- 大学の法学部を出れば誰でも弁護士や裁判官になれると思っていた。
- 大学院は全部私立だと思っていた。だって学院がつくから。
- 放送大学にもセンター試験利用入試があると思っていた。
- ベンゾウさんの悲哀が最近になってわかってきた。がんばれ。
- つい最近迄学位記授与式の意味が分からなかった。
- 国立音楽大学は、国立(こくりつ)の大学だと思っていた。
- 駅弁大学は大学内(生協)で駅弁を販売している大学のことだと思っていた。
- 日教組のことを昔、漢字が覚えてなくて日共組だとおもっていた。
- 中学入学まで男子でも女子でも中学では学ランかセーラー服か制服をどちらか選べると思っていた。
- 女子大と言えば自宅の最寄の女子大を指す、と小学校4年まで思っていた。ちなみに最寄の女子大は東京女子大。
- 自宅最寄の女子大がポン女とかお茶女とかいう人もきっと同じ間違いをしているんじゃないかと期待。
- 小学校のころまで「私立(わたくしりつ)の学校」と聞いて「わたく市」という市が存在すると思っていました。
- 大学に入るまで、国立大学の前期の入学試験は全て二日に渡って行われるものだと思っていた。
- 順天堂大学は、島根県益田市にあると思ってた。(「順天堂」という山陰ローカルのホームセンターの本社が益田市にあるため。)関東ローカルのはずの箱根駅伝に島根の大学がなぜでているか、理解に苦しんだ。
- 自分は任天堂が経営しているとばかり思っていた。卒業したらエレベータ式に任天堂に就職できるとも思っていた。
- 同じ人ハケーン。だって子供の頃「任天堂大学」って箱根駅伝の実況アナが叫んでたからそんな大学あるんだと憧れたからな…
- ツムラ(旧「津村順天堂」)との関連性は?
- 自分は任天堂が経営しているとばかり思っていた。卒業したらエレベータ式に任天堂に就職できるとも思っていた。
- 神戸の学生はほぼ全員お坊ちゃま・お嬢様タイプの人だと思っていた。神戸線に乗ったとき、ヤンキーな女子高生数人と乗り合わせて、神戸で降りていって、マジでショックだった・・・
- 小六になるまで小六には「歴史」という科目があると思っていた
- 開成高校は、開成町にあるのかと思っていた(by神奈川県民)
- 同じく思った。同じにならないように違うのかね。
- 高千穂大学は宮崎の高千穂にあるものだと本気で思っていた。
- 東大阪大という名前を見て、すごい秀才校かとしばらく悩んだ。
- 都立国立高校を国が経営する学校だと。「こくりつこうとうがっこう」っていうから(こくりつが校名になっているから)よっぽどすごい高校なのだと思った(実際にすごいけどね)。
- 俺は、東京都と文部省が共同運営しているんだと思っていた。
- 小4まで、お茶の水大学は、おいしいお茶の淹れ方も教わるのかと思っていた
- 俺は某鼻がやけに長い博士と関係あるのかと思っていた。
- その作者の出身かと思ったが、そもそも性別でNGだった。
- ちなみに岩見沢にはお茶の水揚水機場があります(国道12号線沿いに看板発見)(by時々江別から岩見沢に買い出しに行く人)
- お茶の水女子大学は御茶ノ水にあると思っていた。実際の最寄り駅は東京メトロ丸ノ内線の茗荷谷(みょうがだに)駅(M-23)。
- 俺は某鼻がやけに長い博士と関係あるのかと思っていた。
- 高一の時、「しんだい」を信州大学の事だと思ってる奴がいた(私の周囲では神戸大学を指していた)。ちなみに私は「寝台」しか思い浮かばなかった。
- 新潟だと新潟大学のことになる。
- 尚美学園大学を「しょうび」と読めず「なおみ」と読んでいた。
- 中学生くらいまで都道府県名だけが付く大学は全て国立大学だと思っていた。それが崩れ去ったのは信州大を知った時。
- 京都大学、大阪大学、滋賀大学、和歌山大学は聞いたことがあるのに奈良大学は聞いたことがないと思ったが、奈良大学は国立ではなく私立大学だった。
- (県庁所在地名とは異なる場合)県名を名乗る(下手すれば僭称)大学なんだからその県を代表する国立大学のはずだと思っていた。それが崩れ去ったのは愛知大を知った時。(by愛知県民)
- 大学でよく見る「シラバス」というのは、シイラとバスが合体した魚のことだと思っていた。
- 幼稚園の時、「延長保育」のことを、「園長保育」だと勘違いし、園長先生が直接保育してくれる思っていた。
- 大学で弓道を始めるまで桜美林大学を「さくらびりん」と読んでいた。ちなみに大学弓道で桜美林大は強豪校。
- 自分もそう読んでいた…しかも女子大だと思いこんでいた。
- 自分は「さくらみばやし」でした。
- 駿台予備学校は「しゅんだい」だと思っていた。
- 「前倣え」を「前習え」だと思っていて、「前から何を習うんだ?」と悩んでいた。
- 放送大学はアナウンサーを目指す人のための大学だと思ってた。
- 中2の頃まで、「ミッション系学校」とは「スパイを養成するための学校」だと思っていた。
- 高校時代、「Today is sunday」という英語の影響で、東大に一番行きやすい予備校は駿台予備校だと冗談で言っていた。
- かつての八代学院大学(現・神戸国際大学)は熊本県八代市にあると思っていた。それゆえ神戸の大学だと聞いてびっくりした。
- 花園大学は京都ではなく東大阪市にあると思っていたことがある。
- 小学校低学年まで、火事の避難訓練は本当に火事が起きているのだと思っていた。火元の部屋に何も異常がなく、不思議に思っていた。
- 俺も小学1年生位に本当に火事が起きると思っていた。しかも当時、不安がいっぱいあったような気が…。
- 「慶応義塾大学」と「慶応大学」は別の大学だと思っていた。
- さらに「慶応大学」は「京王大学」で、京王電鉄が設立母体だと思い込んでいた。
- 東海大学は東海地方の静岡県あたりにある大学だと思っていた。
- 実際には東京に本部があると知った時「関東にあるのにどうして東海大学なの?」と思った。
- 私は神奈川あたりにある国立大だと思ってた。
- 東海中学校・高等学校の系列大学だと思っていた。
- 近畿大学は近畿日本鉄道と何か関係あるのかと思っていたことがある。近畿車輛や近畿日本ツーリストなど近鉄の関連会社には「近畿」とつくものが目立つ上、近大自体近鉄大阪線沿線の東大阪市にあるので。
- うちの母親は川崎医科大学が川崎市にあると思っていたらしい。自分が岡山の大学に通うハメにならなかったら一生勘違いしていたかも。
- 専門学校は高等専門学校の略だと思っていた。
- 東京大学の赤門は正門だと思ってた。数年前から東大近辺に通うようになって、赤門と別に「正門」という門があるって知ったんだが、なぜか「南門」もあると思い込んでしまった。北から順に正門、赤門、南門。
- 南門って春日門の事かー!
- センター入試は受験者全員東大で受けているものだと思った。間違いに気づいたのは兵庫の某学園HP。
- 都道府県名または県庁所在地名+大学、以外は全て私立だと思っていた。まさか一橋大学が国立だとは...
- 大昔から人間は小中高大生になるのかと思った。
- 高2くらいまで「杏林大学」のことを「あんりんだいがく」だと読んでいた。
- 私は名前が中国ぽいから中国の大学だと思ってた。
- 梅花女子大学は、「うめばな女子大学」だと思っていた。
- 「Fランク大学」の「F」を、A〜Eの5段階評価から漏れたランクだと思っている人が意外と多い気がする。
- 5段階評価から漏れたという意味に加えて、「Failed」(不合格)のまた別のネガティブなイメージもあるからなおさら。
- 「大学では、時間割を自分で作る」と聞いたので…
- 任意の時間帯に、任意の科目を設定できると思っていた。
- 学生それぞれが好き勝手に、バラバラの時間帯に設定したら、教員は大変だろうな、部屋数足りるかな、と思っていた。
- 好きだけど頭をかなり使う英語の講義を、金曜日の最後のコマに入れてやろうなどと思っていた。(2年次に偶然実現したが。)
- でも、実際には、時間割の各コマに割り当てられている科目を、履修するかしないかを、二者択一で選ぶのみ。
- その時間帯に開講される科目が、必修科目なら、履修する一択しかない。もちろん、受講する時間帯を任意に変更できるはずがない。
- ゼミと卒業研究の区別ができない。
- 研究室への配属は、4年次になってから。その年次になってようやく、「卒業研究」という科目を履修できた。
- しかも、3年次後期までの単位が足りないとそれには着手できない。
- 3年次後期まで、履修していたのは、普通の講義ばかり。
- 3年次になると、ほとんど選択科目ばかりになることはわかっていたが、希望者が絞り込まれ、少人数になると思っていた。だからそれをゼミと言うと思っていた。実際には、全然少人数じゃなかった。
- 研究室への配属は、4年次になってから。その年次になってようやく、「卒業研究」という科目を履修できた。
- 大学の研究者を、教授などというが、学生に講義を教えるから、そういうのだと思っていた。本職は研究で、教えるのは、その合間にする仕事なんだよな。
- 白鴎大学を白鵬大学だと思っていた。白鵬の一家は相撲だけじゃなくて大学経営もやってるんだと思っていた。