バントゥースタン
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バントゥースタン(ホームランド)の噂[編集 | ソースを編集]
- 地理オタにはたまらない「ホームランド」をかつては有していた。
- チュンソフトのネットワーク対応RPGではない。
- 実情はアパルトヘイトの悪しき産物であった。
- その意図とは裏腹に、トランスカイのように反旗を翻すこともあり、必ずしも傀儡とは限らない。
- 独立させられるのを避けるためにあの手この手で粘った地域もあった。
- 南ア製の地球儀では外国であるかのように本国とは別の色にされていたらしい。
- 南アフリカにかつて10ほどあった「独立国」。
- 独立といっても、実際は自治区みたいなもの。自治区より自治がなかったかもしれない。
- 資源が多かったり豊かな土地を切り離しまくったため、飛び地だらけ。
- インドっぽい名前だがインドではない。
- 他のなんとかスタンのように中央アジアにはない。
- アフガン以外の先輩ではある。
- 他のなんとかスタンのように中央アジアにはない。
- 実態はアパルトヘイトを合法にするための方便。南アフリカの黒人を民族ごとに「独立」させることで、彼らを「外国人」扱いして差別できるようにしたもの。
- 当時南アフリカ領だったナミビアにもあった。
トランスカイ[編集 | ソースを編集]

- 人種差別時代の南アフリカが独立させた、いわゆるホームランド。
- 南アが人種差別をやめた後には、同国に復帰した。
- どういうわけだが知らないが世界地図で独立国として扱われていた。
- レソト国境からインド洋岸にわたる地域で、面積は結構広い。
- レソトが3万平方kmに対して、トランスカイは4万平方kmだった。
- トランスカイがあった時代は、レソトは南アフリカに囲まれていなかった。
- 南アのマンデラ元大統領は、実はトランスカイ出身。
- 建国時の指導者のマタンジマはマンデラの甥にあたる。
- トランスカイ独立前はマンデラとマタンジマの仲は良かったが、この時点から袂を分かち、絶交状態になったという。
- 白人に協力して黒人の地位を保障してもらおうとしたのがマタンジマ。全人種の権利を平等にするために国家体制そのものの変革に挑んだのがマンデラ。方法は違うが、二人とも「黒人の地位向上」という目的は同じだったといえる。
- ホームランド廃止後は二人の関係も修復された…らしい。
- トランスカイ独立前はマンデラとマタンジマの仲は良かったが、この時点から袂を分かち、絶交状態になったという。
- 独立の目的は、独立国になれば南ア内の黒人はトランスカイ国籍の外国人になり、選挙権等の権利がなくても人種差別にはならないという言い訳。
- 最後まで、南ア以外にトランスカイを承認する国はなく、国際社会からハバにされていた。
- 傀儡政府のはずが、途中からなんと南アと断交するという荒技に。
- 結局、経済封鎖をちらつかされて断念したけど、その後もことあるごとに衝突した。
- 南アと仲が悪くなった後も、国際社会から信用されない立場は変わらなかった。
- 小さい国ながら、飛び地が2つもあった。
- それでもホームランドの中では一番まともな部類に入る。一応本土も大きく固まってたし。ここでボプタツワナなどと比較するとよいだろう。
- 海岸地域は、ワイルドコーストの異名を持つ。ゴツゴツした岩肌が迫る景観が多い。
- 岩壁に波浸食でできた大穴「ホール イン ザ ウォール」が名所として知られている。
- 巨大な魚が岩壁を突き破ってできたという伝説がある。
- コーヒー湾は、コーヒー積み出し船が難破して一面茶色に染まったことから名付けられた。
- 岩壁に波浸食でできた大穴「ホール イン ザ ウォール」が名所として知られている。
- 現在はリゾート開発にも力を入れている。
- ポーセントジョーンズあたりではサーフィンやフィッシングが楽しめる。
- スヌーカの泉という、ちょっとしたパワースポットも有名らしい。
ボプタツワナ[編集 | ソースを編集]

- ツワナ族のバントゥースタン。
- ツワナ族にはボツワナという国があったが、こっちの方が人口が多かった。
- 「独立」時にボツワナに承認と援助を求めたが、拒否された。
- というかボツワナはここの郊外と言ってもよいだろう。ボツワナは資源も肥沃な大地もなかったため保護地のまま南アフリカに編入されずに済んだというわけで。
- しかし、亡国の際にボツワナに統合しようという動きは意外になかった。
- そりゃ、インチキ国家を打倒して南アに戻れるのに、同族とはいえ何故より貧しい外国に編入されなきゃならないんだ。
- 経済水準は南アよりボツワナの方がやや上。インチキ国家だったからというのが全てだろう。
- そりゃ、インチキ国家を打倒して南アに戻れるのに、同族とはいえ何故より貧しい外国に編入されなきゃならないんだ。
- ツワナ族にはボツワナという国があったが、こっちの方が人口が多かった。
- ツワナ族は広範囲に住んでいたため、6つに分断された。ボツワナの国境近くからオレンジ自由州にまで広かった。
- そのため、国土の形はてんでんバラバラで粉々。国内移動のためには外国にいる時間の方が多い。
- 南アの首都プレトリア近郊にもあり、国民は毎日国境を越えて通勤していた。
- 鉱山開発や×××な商売で稼いでいたが、補助金などが少なかったため決して豊かではなかったとか。
- 南アフリカがホームランド廃止を決定したら猛反発(といっても大統領だけ)した。
- 岩壁画など、先史時代の遺跡も多い。現代のツワナ人も芸術的に優れていて、味わいのある民芸品が人気。
- 高級リゾートのサンシティがある。ジャングルの中にある人工都市は、まさにボプタツワナのラスベガス。
- 南アの不動産王が、当時違法だったカジノやヌードショーを「外国」であるボプタツワナなら合法だと、開業したもの。
- ヌードショーといっても、トップレスダンサーによるミュージカルで芸術性は高い。歌舞伎町あたりのと一緒にされると困る。
- 南アの金持ち白人は大喜び。大勢の人が「外国旅行」に訪れていた。
- 実際、サンシティからの税収はボプタツワナのGDPのかなりの割合を占めていたらしい。
- 現在はボプタツワナごと南アに復帰しているが、本国の規制が緩くなったので今も営業中。繁盛している。
- かつての姿を否定するためか、アフリカ諸国の首脳会議の場所として使われたこともある。
- 日本にもサンシティという名前の不動産屋があるが、関係はないらしい。
- もちろん、サンシャインシティとも全然関係ない。
- 一方でアパルトヘイト全盛期には「こんなところで歌ってたまるか」という趣旨のアルバムを出されたこともある。
- 南アの不動産王が、当時違法だったカジノやヌードショーを「外国」であるボプタツワナなら合法だと、開業したもの。
- ボプタツワナなのかボフタツワナなのか、はっきりしない。
- Bophuthatwanaなのだが、phのhをサイレント文字にするかphでfの発音をするのか、どっち?
- 首都ムマバトは、隣市のマフィケングに吸収され、現在は同市の郊外地区になっている。
- マフィケング(旧名マフェキング)はボーイスカウト運動発祥の地として有名。
- 旧ボプタツワナ領の大半が編入された北西州の州都にもなっている。
ベンダ[編集 | ソースを編集]

- ジンバブエと接しているようで接していなかった。
- 国家運営は終始苦しかった。
- 独立時には宮崎県よりわずかに狭いくらいの領土に舗装道路が2本しかなかった。
- 政府の財政はほとんど南ア政府の補助金頼み。
- 自動販売機や製品を供給している業者のことではない。
- はるばる東欧や中東からアフリカ大陸を縦断してやって来る渡り鳥の、最終飛来地となっている。
- 現在の地名はベンダではなくて、ベンベ。リンポポ州ヴェンベ郡になる。
- ドイツ車の工場があるわけではない。
シスカイ[編集 | ソースを編集]

- 工場を誘致しようしたら、台湾しかこなかった。
- 1年間で3回もクーデター未遂事件が起きるなど政治が不安定だった。
- ポルトガルの探検家ディアスがインドに向かう途中、嵐に遭って引き返したのはシスカイ沖とされる。
- トランスカイとは、幾何異性体の関係にある。
- CISには加盟していなかった。
- CISの発足は1991年。シスカイの亡国は1994年なので、加盟は可能だったのだが。
クワズールー[編集 | ソースを編集]

- ズールー族のバントゥースタン。
- リアル戦闘民族であり、敵対した民族の一部は現在のタンザニアまで逃げたという。
- かつてナタール州の大半がズールー王国だったこともあって、ナタール州の半分近くがクワズールーだった。
- この国は「独立」こそしなかったものの、自治州の中で一番の強さであった。
- しかもズールーはズールー戦争で一度はイギリスを破ってるので、その気になれば反乱を起こしナタール州を奪い返すことも考えていたかもしれない(できるかはさておき)。
- 槍と弓矢だけで、銃火器で武装した英国軍の砦を粉砕。長篠の戦いの逆バージョンである。
- ズールー軍は捕虜を食ってしまうと信じられていたため、ちょっと劣勢なった英軍は逃げまどったらしい。
- しかもズールーはズールー戦争で一度はイギリスを破ってるので、その気になれば反乱を起こしナタール州を奪い返すことも考えていたかもしれない(できるかはさておき)。
- 後にアパルトヘイト末期になると、インカタ自由党という右派政党を立ち上げるまでに至った。
- しかし「連邦制とズールー王国の復活」を掲げたインカタ自由党はANC(アフリカ民族会議)と反発。結局独立は無理だったものの、州名に「ズールー」の名を残すことに成功した。