フランク王国

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全般[編集 | ソースを編集]

  1. フランクな人たちの国。
  2. フランキスカを振り回す。
  3. 西ヨーロッパの祖。
    • 西フランク王国→フランス、東フランク王国→ドイツ、中部フランク王国→イタリア
    • イギリス・アイルランドはほぼ関係ない。
  4. 民族移動時代の最終勝者。
    • 最初らへんからいる。
    • 実はほぼ移動してない。
      • ライン川流域にローマ帝国時代からいて、フランク王国末期の中心地もライン川流域のアーヘン
      • このおかげでローマ文明もしっかり受容してるし基盤も安定してる。
  5. すぐバラバラになる。
    • 軽々しく分割相続する、たわけ国家。
      • カロリング朝だけじゃなくメロヴィング朝もやってる。
  6. 西欧バイアスで世界史上の扱いが大きい。
    • なんだかんだ、8世紀だと世界でも5位か6位くらいの大国。

メロヴィング朝[編集 | ソースを編集]

  1. カトリック国家。
    • この国以外のゲルマン人国家はだいたいアリウス派だった。
      • だから、この国までアリウス派になってたら、カトリックがアイルランドのローカル宗派になりかねなかった。
    • フランク王国の実質上の初代国王クローヴィス1世がカトリックに改宗した。
      • 嫁のクロティルダの影響
        • クロティルダの実家であるブルグント王家もアリウス派だったはずなのになんでカトリックだったんだろう。
    • フランス王家の紋章フルール・ド・リスもなんかこのときの改宗関係の由来だったはず。
  2. イエス・キリストの子孫。
    • イスラエル人の末裔がいつの間にかゲルマン人になってるという雑過ぎる説。
  3. ある意味、西ローマ帝国にとどめを刺す。
    • 西ローマ帝国最後の残滓、北フランスを統治したシアグリウスを486年に滅ぼした。
  4. パリが首都的な位置づけ。
  5. 後半には国王の代理人である宮宰が統治した。
    • これは日本の「天皇-将軍」関係に例えられる。
    • 次の王朝を担うカロリング家は代々宮宰を務めた一族。
  6. ウマイヤ朝相手に防衛戦に成功。
    • トゥール・ポワティエ間の戦い。
    • カール・マルテルが活躍したせいで勘違いされがちだが、この時点ではまだメロヴィング朝の宮宰。

カロリング朝[編集 | ソースを編集]

  1. カロリング家がメロヴィング朝から王位を奪い取った。
    • その前から国王空位状態で宮宰が統治してたり有名無実化してた。
    • メロヴィング朝を廃止できたのは、教皇から権威付けしてもらえたからってのも大きい。
    • アッバース革命に安史の乱、パーラ朝とラーシュトラクータ朝の誕生、ウイグル帝国成立と、この頃は世界史的事件が目白押し。
      • 何でこんなことに。地球に異変でもあったんだろうか。
  2. ドイツ、北イタリア方面に一気に拡張。
    • 西ゴート王国はもうなく、ランゴバルド王国も追い落とした結果、キリスト教圏では東ローマ帝国と並ぶ2大強国となる。
  3. カトリック教会と親密。
    • 悪く言えば癒着してる。そもそもメロヴィング朝からの簒奪正当化からして。
    • カロリング朝ができた翌年に領地を寄付し、教皇領が誕生。
    • 西暦800年のクリスマスにカール大帝をローマ皇帝に戴冠させる。
      • ローマに支配力が及んでるし、まあ。
      • シチリアもイスパニアもブリタニアも北アフリカもないけど、かわりにゲルマニアあるから。
  4. カロリング・ルネサンス。
    • 後のルネサンスと違って文化的革新はあんまりない。
    • 宮廷や修道院を通じたラテン語教育の発展が主。
    • 小文字が誕生した。
  5. ヴェルダン条約で3分割される。
    • 中部フランク王国という美味しいとこ取りした変な国ができる。
      • オランダから北イタリアまで南北に続くだいぶ無理してる国家。
    • 870年のメルセン条約で北側は西フランクと東フランクに分けられ、中部フランク王国はイタリア王国(北イタリア)となった。
  6. 西フランク王国で987年にルイ5世が死去。これによりカロリング朝は断絶。
    • カペー朝が成立し、これ以降はフランスと呼ばれる。
      • 後のヴァロワ朝やブルボン朝もカペー朝の分家。