ボスニア・ヘルツェゴビナ
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ボスニア・ヘルツェゴビナの噂[編集 | ソースを編集]
- ボスニア紛争。
- エスニッククレンジング(´;ω;`)
- サラエボ事件。最近はサライェヴォ事件と書くのが極東島国のトレンド。
- サライエボとも。
- 高校世界史の教科書では以前からサライェヴォ。
- 壺に閉じ込められた巨大な魔物が150年ぶりに復活したりとかはしない。
- セルビアとモンテネグロの境界線がわかっても、ボスニアとヘルツェゴビナの境界線が分かる人は極々少ない。
- ボスニアとヘルツェゴビナというのは地理的名称で、政治的にはスルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の連合国家。
- ヘルツェゴビナとは、国土の逆三角形のうち、下の方にあたる。モスタルなどの都市を含む。
- 「ボスニア・ヘルツェゴビナ」なんて長い国名なのにボスニアとヘルツェゴビナの連邦ではない、国全体を「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と言うわけではないなど、ややこしすぎる。
- とにかく民族分布がモザイク状に入り組んでいる。そのもそも境界を設定するのは無理がある。
- というか首都サラエボですらクロアチア系+ムスリム系住民地区とセルビア系住民地区の2つに分かれている。鉄道駅やクロアチア方面に向かうバスのターミナルがある中心部は前者で、空港に近い住宅地が後者。前者が紛争終了後すぐに地雷が撤去されたのに、後者はなかなか進まなかった。検問所や境界線があるわけではないので気が付いたらそこは・・・という感じ。
- ボスニアとヘルツェゴビナというのは地理的名称で、政治的にはスルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の連合国家。
- スルプスカ共和国が面積の半分を占めており、スルプスカが無くなるととても小さく見える。
- スルプスカ共和国の形もたいがいだけどね…
- 右の切手シートで、濃い赤紫の部分。
- ヤボながら言っておくと、スルプスカとはセルビア語/人の意味の自称。
- 「セルビア人共和国」だと隣国と紛らわしいため日本では「スルプスカ」と原語で呼んでいる。
- 字面は「SRPSKA」、キリル文字だと「СРПСКА」。子音が連続5つで母音は語尾の1つしかない。
- 対するボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は、西方教会(カトリック大部分+一部プロテスタント)のクロアチア系と、イスラム教徒(ムスリム人)からなる。宗教の違いで民族が区別されているが、言語はスルプスカのセルビア系を含めて殆ど同じである。
- 言語はほぼ同じだが、使う文字に違いがあり、そこも民族アイデンティティーになっている。いわゆるボスニア語(ムスリム人)とクロアチア語はラテン文字(いろいろ飾りがつくが、英語などのアルファベットと同じ)。いわゆるセルビア語ではキリル文字(ロシア語とほぼ同じ)が中心だが、ラテン文字を使う場合もある。スルプスカではラテン文字を使わない傾向が強い模様。
- ムスリムだからといって流石にアラビア文字にはしなかったようだ。
- 言語はほぼ同じだが、使う文字に違いがあり、そこも民族アイデンティティーになっている。いわゆるボスニア語(ムスリム人)とクロアチア語はラテン文字(いろいろ飾りがつくが、英語などのアルファベットと同じ)。いわゆるセルビア語ではキリル文字(ロシア語とほぼ同じ)が中心だが、ラテン文字を使う場合もある。スルプスカではラテン文字を使わない傾向が強い模様。
- ボスニアにイスラム教徒が多いのは、かつてのカトリック圏と正教圏の境界に位置し、異端の存在を含め両者の締め付けが弱かったため、オスマン帝国に併合された際にイスラムへの改宗が進んだからであろう。オスマン帝国の宰相でボスニア出身というのも多く、セルボクロアチア語がトルコ語に次ぐ第2公用語として広く通用したくらいである。
- 脱線するが、現在のトルコを「建国」したケマル・アタチュルクは南スラブの血が濃かったらしい。
- そのためモハメド・○○ビッチという人がやたらといる。
- スルプスカ共和国の形もたいがいだけどね…
- サッカー日本代表監督イビツァ・オシムの出身地。
- オシム自身はクロアチア国籍。
- そして旧ユーゴ時代のサラエボの副市長。
- オシムの国籍はボスニアですよ。
- そして旧ユーゴ時代のサラエボの副市長。
- サッカースウェーデン代表、ズラタン・イブラヒモビッチの出身地でもある。
- 内戦直前にサラエボへ行った帰りに知名度を生かして5人分のチケットも手に入れ市民の脱出を少しだけ手伝ったらしい。
- オシム自身はクロアチア国籍。
- 首都はザクレヴ。
- コスモバルクの父ちゃんもザクレヴ。
- サラエボじゃなかったっけ?ザクレヴはクロアチアの首都だったような。
- ザクレブじゃなくてザグレブ。
- サラエボはオーストリアの皇太子が殺されて第一次世界大戦の原因となったところ。
- その名もフランツ・フェルディナンド。
- Take me out♪
- ユーゴスラビアから独立。
- 各民族が複雑に混住しているという意味で、この国が最も「ユーゴスラビア」らしいとも言える。
- 海岸線はことごとくクロアチア領で、ほんのお情け程度に自国領の海岸線がある。
- コンゴ民主共和国もまた同じ。
- しかもクロアチアの著名な観光地、ドブロブニクをその海岸線のおかげで飛び地にしている。
- オスマン帝国時代に緩衝地帯として生まれた歴史がある。
- 海岸線のところにあるのはネウムという街だが、別に港湾開発はされていない。
- で、クロアチアのプロチェ港の管理権を獲得している。
- ユーゴスラビア独立後、セルビア人によるイスラム教徒への大虐殺が起こった。
- セルビア人のが人数多い分一番酷かったかも知れないが、実際は三民族どれも酷いことやっていた。
- セルビアはメディアや欧米を動員したプロパガンダ合戦に敗れ、悪役としての烙印を押されてしまったと言える。
- むしろ、最初から欧米はカトリックのクロアチアに一方的に肩入れしていた。いつもナショナリズム丸出しのトゥジマン(クロアチア大統領)とニューヨーク帰りのミロシェビッチ(セルビア大統領)、「プロパガンダ合戦」だったらクロアチアに勝ち目はなかったはず。
- 実はオリンピック開催経験国。1984年のサラエボ冬季オリンピック。
- その会場のスタジアムは今は内戦の犠牲者の集団墓地に・・・
- 2006年の愛知万博に一応単独で出展したが、ボスニア館の建物の中にあったのは大きな風景写真だけだった。
- クロアチアの民族主義者が全土を併合したがっている
- 無理じゃね?ボシュニャク系やセルビア系から反発がありそう。
- セルビアを蛇蝎の如く嫌っている。
- クロアチア系やボシュニャク系ならわかるけどさ、セルビア系もセルビアを嫌ってるわけ?この国のセルビア系がセルビアと組んだせいで第一次世界大戦が起きたのに。
- 大戦が起こったのはセルビアのせいだけじゃないんだけどな
- セルビア系はむしろ親セルビアかと。スルプスカ共和国のセルビアへの併合を主張する勢力もあるとか。
- クロアチア系やボシュニャク系ならわかるけどさ、セルビア系もセルビアを嫌ってるわけ?この国のセルビア系がセルビアと組んだせいで第一次世界大戦が起きたのに。
- ボスニア・ヘルツェゴビナなんだけどヘルツェゴビナは必要あるのかよ!?
- 山賊のメッカだぞ。ヘルツェゴビナに謝れ。
- ともすれば国全体が「ボスニア」と略されがち。「ボスヘル」という略は聞いたことがない。
- 北欧の湾とは関係ない?
- ↑綴りがもう違うからね。
- ぶっちゃけボスニアだけで十分じゃねえ
- 何故かGoogleマップを見てもあまり詳しい街の状況とかが分からない。他にこうなっているのは北朝鮮ぐらい。
- その北朝鮮も2013年からちゃんと書かれるようになった。
- 2019年現在一応ちゃんと表示される。周辺諸国に比べて貧しいのが見て取れる。
- いまいちセンスに欠ける(異論は認める)が国旗のデザインが独特。
- 民族の象徴などを使えないからこうなった。
- 「EUに加盟したい」という意志を表しているようにも見える。
- ムスリム、クロアチア系、セルビア系で合意をまとめるのが困難なため国家単位で統一された祝日法はない。
街の噂[編集 | ソースを編集]
ネウム[編集 | ソースを編集]
- この国で唯一の海沿いの街。
- なのだが、特に開発もされておらず、たかだか人口4000人の小さな漁師町。
- ボスニア・ヘルツェゴビナにとっての海への出口はクロアチア領内にあるプロチェ港である。
- なのだが、特に開発もされておらず、たかだか人口4000人の小さな漁師町。
- ベネチアとドブロブニクがしょっちゅう戦争をやっていたので、その間の緩衝地帯的存在としてトルコが治めだしたのが、この小さな漁村がボスニア・ヘルツェゴビナ領になっている理由だったりする。
- 結果ドブロブニクがクロアチアの飛び地になっている。
- 国境をまたがず行くには山を抜ける悪路しか無いとか。でもクロアチア側からは幹線道路が通っているらしい。
- 公用語はクロアチア語。街に掲げられた国旗も大半がクロアチア国旗だとか。
- 国の半分がクロアチア親派、残り半分がボスニア至上主義で分断国家になっているから、当然といえば当然だが。
サラエボ[編集 | ソースを編集]
- 人口の1割が大学生という京都を思わせる人口比率。
- さらに市街地は五つの山に囲まれている。
- イスラム教、カトリック、正教会、ユダヤ教など様々な宗教が共存してきた。
- この街の市電は7つの系統があるが線路としては一方の端がループ状になった本線と中央駅への短い支線があるだけ。
- ただし車両はヨーロッパ各地で製造された(中古多し)バラエティ豊かな構成を誇る。
- 92年春から95年秋まで3年半もの間世界史上最長の包囲戦の舞台になった。
- 主な通りを行く人はことごとくスナイパーに狙われた。
- 包囲を生き抜いた人々に大切な人との別れ、とにかく不便だった暮らし、当たり外れが激しすぎる支援物資などの忘れようがない記憶を焼き付けた。
- 包囲下の街では「ミス包囲都市コンテスト」も開かれた。
- 子どもたちは爆弾の破片や空薬莢を喜んでコレクションしていた。
- 最も歴史ある地元紙は『オスロボジェニェ(解放)』。
- 紛争中に子どもがこの新聞の売り子の呼び声を「サラエボが解放された」という知らせと勘違いしてぬか喜びしたという逸話もある。
- 内戦中に大炎上した政府庁舎のビルが美しく改装されて現役。
- オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が襲われた現場近くの橋はスラブの国にあるにもかかわらず「ラテン橋」。
- 旧ユーゴ時代には暗殺者の名を取り「プリンツィプ橋」と呼ばれていた。