メソアメリカ文明
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全般[編集 | ソースを編集]
- 中央アメリカで栄えた文明。
- メソ=中間なので、日本語訳したら、まんま中米文明。
- アステカやマヤで有名。
- インカは入らないのであっちのページを見よ。
- 今となってはスペイン語圏でカトリック圏だが、それはスペイン人に征服されたせい。
- そのため、メソアメリカ文明を調べるならスペイン語を学ぶと便利。
- ただしベリーズは英語なので注意しよう。
- そのため、メソアメリカ文明を調べるならスペイン語を学ぶと便利。
- 失われた文明っぽいが、言語や文化はある程度生き残っている。
- 鉄器も役畜もなかった。
- 銅合金はあったけど、いまいち使いこなせてないような。
- 家畜は犬・七面鳥がいた。
- 車輪はあったけど、あんまり使ってなかったっぽい。
- 遅れてきた古代文明。
- 銅合金は西暦600年から使用開始。
- 文字は紀元前600年。
- 都市は紀元前元前1200年。
- 銅・文字・都市、それぞれユーラシアの4000年遅れ・3000年遅れ・6500年遅れ。
- 単純計算だとスペイン人が来た時点で紀元前1500年レベル。
- これは植民地化不可避。
- 単純計算だとスペイン人が来た時点で紀元前1500年レベル。
- よそと全然交流してなかった。
- 独自であれだけの文明を築いたのは凄い。
- 逆に中米だけだったのであれがペース的に限界だったのかもしれない。
- アンデス文明は知ってたか微妙な線。
- 影響は相互にちょっとはあった。
- 独自であれだけの文明を築いたのは凄い。
- トウモロコシ文明
オルメカ[編集 | ソースを編集]
- メキシコ湾岸で栄えた古代文明
- 遺跡が発見されて、勝手に後世の人が名付けただけで、オルメカの人たちが当時からオルメカと呼ばれてたわけじゃない。
- メソアメリカ最古の文明らしいですよ。
- 紀元前1500年頃に始まった。
- とはいえ割と怪しい。最古の文字がここのものかは微妙だし、メキシコ高原にはクイクイルコもあるし、マヤ文明もじわじわ遡っていってるし。
- ゲレロ州のテオパンテクアニトランはオルメカの影響を受けたらしいけど、こっちの方が古いものも多いしゲレロ州を中心とする西メキシコが起源ってのもありえそう。
- オルメカは、ナワトル語で「ゴムの人」という意味。
- なんだ、ただの海賊王か。
- 巨石人頭像で有名。
- 通称オルメカ・ヘッド。
- 大きさは全高1.5m~3m。
- あんなもん森とか土の中から突然見つかったら完全にホラー。
- よく考えたら頭しかない生首状態だし。
- びっくりし過ぎて、ゆっくりできないよ。
- 18個も発見されてる。
- うち10個はサン・ロレンソ遺跡。そんないっぱいあるのかよ。
- 元々は白と赤の塗料で塗ってあった。
- 黒人説あるけど、ああいう顔はインディオにも普通にいるらしい。
- 日本にも結構ある。
- 鳥形陶器も作られていたが、これがONE PIECEに出てくるサウスバードそっくり。やはりゴムゴムか。
- オルメカはコアツァコアルコス川やパパロアパン川など長さこそ短くともメキシコ屈指の水量を誇る河川沿いに栄えてるので、大河が古代文明を育てるのはメソアメリカでも同様。
- 球技、暦、ゼロの概念、文字、人間の生贄など、メソアメリカ文明の特徴はだいたいオルメカで出揃ってる。
- 世界最古のゴムボールはオルメカのエル・マナティ遺跡で発見されてる。
- やっぱ球技にはゴムが必要。オルメカは古くからの天然ゴム産地なのである。
- オルメカが「ゴムの人」っていうのは本当はそういう意味。
- やっぱ球技にはゴムが必要。オルメカは古くからの天然ゴム産地なのである。
- 世界最古のゴムボールはオルメカのエル・マナティ遺跡で発見されてる。
- ジャガー人間やケツァルコアトルらしき図像が残されているのでもう信仰されてたっぽい。
- 「ジャガー人間の受難」
- 文字として確実なものは紀元前1世紀と、オルメカが実質滅んだ後のエピ・オルメカ文化でようやく登場する。
- チャパ・デ・コルソのエピ・オルメカ文字は更に古く紀元前4世紀くらいらしい。
- 紀元前4世紀としても、文字はサポテカの方が古い。
- 確実でないものとしては、カスカハル・ブロックの記号。
- 紀元前900年なので文字ならアメリカ大陸最古。
- メソアメリカだと縦書きが普通なのに、横書きっぽい。
- 文字であるにせよないにせよ、定型化される前の試みの一例なんだろう。
- チャパ・デ・コルソのエピ・オルメカ文字は更に古く紀元前4世紀くらいらしい。
- 滅亡後は東側の大半は過疎化して、西側は古典ベラクルス文化が栄えるようになった。
チャパ・デ・コルソ[編集 | ソースを編集]
- オルメカだかマヤだかよく分からない。
- 一応はオルメカから独自のソケ文化が独立した流れ。
- ソケ語が話されていた。
- スペイン人が来た時点では、ナピニアカと呼ばれており、チャパネク人による整然とした小都市となっていた。
- 位置的にオルメカとマヤの間にあるのでマヤへの文化的影響力は計り知れない。
- 一応はオルメカから独自のソケ文化が独立した流れ。
- メソアメリカ最古級のピラミッドが残っている。
- って言っても高さ10mそこそこの小さいやつだけど。
- チャパ・デ・コルソのエピ・オルメカ文字は紀元前4世紀。
- アメリカ大陸でこれより古い文字として明らかなのはサポテカにしかない。
- 最古のマヤ文字もこれと同時代。
- 最初に長期暦を使ったのもこことされる。
- ソケ語から他のメソアメリカの言語に借用された言葉が多い。
- オルメカとかテオティワカンでソケ語が話されてた説はあるけど、むしろチャパ・デ・コルソの影響なのでは?
- 上記の通り、暦・文字・ピラミッドと紀元前のチャパ・デ・コルソは先進都市だったのが明らかなので、ここから文化発信されればソケ語も広まる。
- エピ・オルメカ文字をミヘ・ソケ祖語と仮定して読み解いたというカウフマンの話も全くの見当違いではないかもしれない。
- 何しろエピ・オルメカ文字の最初の例はチャパ・デ・コルソのものなのだし、普通にソケ語で読めるんじゃなかろうか。
- オルメカとかテオティワカンでソケ語が話されてた説はあるけど、むしろチャパ・デ・コルソの影響なのでは?
- 中央アメリカ最大の河川、グリハルバ・ウスマシンタ水系の川沿いにある。やはり文明にとって大河は重要。
- 高さ900mもの断崖が見られるスミデロ峡谷の入り口近くにある。
- 盛衰はあっても2000年以上も都市が続いたのは河川交通の要所だからだろう。
- 高さ900mもの断崖が見られるスミデロ峡谷の入り口近くにある。
サポテカ[編集 | ソースを編集]
- オアハカ州で長期間展開した文明。
- 後にミシュテカが侵入してくる。
- 現代も100万人近いサポテコ人が暮らしている。
- 王国が栄えた頃のオアハカ中央盆地の人口は十数万人くらいだったので、人口で言えば今が最盛期。
- サポテカは「サポテの地の民」の意味。
- 「サポテってなんやねん」ってなるけど、果物の名前である。
- ただ、サポテは「柔らかい食用の果物」くらいの意味で、全然違う色んな種類のサポテがある。
- 日本で比較的入手しやすいのはホワイトサポテ。
- ただ、サポテは「柔らかい食用の果物」くらいの意味で、全然違う色んな種類のサポテがある。
- 日本で言うと愛媛県民を「みかん人」って呼ぶようなもの。
- 当然、よその人がサポテカと勝手に呼んでるだけで、本人たちの自称は「雲の民」。
- 「サポテってなんやねん」ってなるけど、果物の名前である。
- サポテカ文字は確実視されてる中ではアメリカ大陸最古の文字。
- 紀元前500年くらい。
- モンテ・アルバンで有名。
- メソアメリカ最古の都市とか最古の遺跡と言われることもあるが別にそんなことはない。
- サポテカに限っても、サン・ホセ・モゴテの方が古い。
- というか、おそらくサン・ホセ・モゴテの人たちが引っ越して出来たのがモンテ・アルバン。
- なんで引っ越したかというとオアハカ中央盆地の真ん中にある良い立地だから。
- というか、おそらくサン・ホセ・モゴテの人たちが引っ越して出来たのがモンテ・アルバン。
- サポテカに限っても、サン・ホセ・モゴテの方が古い。
- 山の上にある。
- 屋島より一回り大きいくらいのサイズ感。
- 山頂だけちょっとした平地がある。
- こういう山頂平地があるところも屋島に似てる。たぶんメサ(卓状台地)ってやつだろう。
- あれが人力で整地して平坦にしたものだとしたら、神殿建設なんか片手間レベルの労力かかりそうだし、おそらくは元々の地形。
- オルメカとかマヤだと上物の神殿群よりはるかに巨大な基壇を築く文化があるから、人造の可能性もなくもないか。
- あれが人力で整地して平坦にしたものだとしたら、神殿建設なんか片手間レベルの労力かかりそうだし、おそらくは元々の地形。
- そこがモンテ・アルバンの中枢で神殿とかが建ってる。
- ただあの狭さで1万人以上も住めるわけもなく、大体の人は麓に住んでた。
- こういう山頂平地があるところも屋島に似てる。たぶんメサ(卓状台地)ってやつだろう。
- 山頂だけちょっとした平地がある。
- 屋島より一回り大きいくらいのサイズ感。
- 山城っぽい感じの場所にある。防衛にも神聖な場所にするにも丁度いい。
- でも住んだり通ったりするには相当不便そう
- 一応、井戸的なものはあったらしいけど、あんな山の上にあの規模の遺跡じゃ供給が間に合うかあやしい。
- でも住んだり通ったりするには相当不便そう
- メソアメリカ最古の都市とか最古の遺跡と言われることもあるが別にそんなことはない。
マヤ[編集 | ソースを編集]
- アメリカ大陸で最も有名な古代文明。
- アステカ・インカとセットにされる、南北アメリカ三大古代文明。
- 神秘主義者の飯の種
- 約2500年間、35~40万平方kmの地域で栄えた。
- アステカやインカは範囲では勝るが、期間はたかが数百年なのでマヤとは比較にならない。
- よく考えたら、範囲でもマヤ地域の方がアステカ帝国より広い。
- 期間に限るとサポテカはギリ勝ってる。ただ範囲が狭い。
- 面積・期間みると日本とマヤって同じくらいなんだな。
- アステカやインカは範囲では勝るが、期間はたかが数百年なのでマヤとは比較にならない。
- 最後のマヤ王国は1697年滅亡
- 圧倒的しぶとさ。これはもうメソアメリカ最強の文明と言っても過言ではないかもしれない。
メキシコ高原[編集 | ソースを編集]
クイクイルコ[編集 | ソースを編集]
- メキシコ盆地で最古の都市。
- シトレ火山が噴火して滅んだ。
- その後の移住先がテオティワカン。
- 世にも珍しい円形ピラミッドがある。
- と思ったけど、ピラミッドって言うから円形なのが珍しい感じがするだけで、円墳みたいなものだと考えれば世界的には普通か。
- 大きさ的にも、クイクイルコの円形ピラミッドが直径110m高さ25mで、埼玉の丸墓山古墳が直径105m高さ19mと、だいたい似たようなもの。
- 今、現地で見られるのはこの円形ピラミッドのみ。あと小さい博物館がある。
- と思ったけど、ピラミッドって言うから円形なのが珍しい感じがするだけで、円墳みたいなものだと考えれば世界的には普通か。
- メキシコ国立自治大学から徒歩10分。
- メキシコ国立自治大学はメキシコでトップの大学。
- というか埋もれてるだけで大学の敷地内まで遺跡が続いている。
- 噴火で滅亡した古代都市、その上に建った最高学府……、メキシコやばくない?
- 調べてみたらシトレ火山は単成火山という噴火は一度きりのタイプらしいのでセーフ。
- でも、あの辺は単成火山ボコボコあるし、13km先にはアフスコ火山あるし、やっぱり危険かもしれない。
- 調べてみたらシトレ火山は単成火山という噴火は一度きりのタイプらしいのでセーフ。
- 他にもすぐ横をメキシコシティの外環高速が通ってて、徒歩圏にテーマパークに巨大ショッピングモールに運動公園もあって、とっても便利。
- 便利なんだけど、都市開発のせいで遺跡はズタボロ。
テオティワカン[編集 | ソースを編集]
- メソアメリカ史上最大の「帝国」
- 比肩しうるのは唯一アステカのみ。
- マヤと違って文字記録がほとんどないので、どういう政体だったのか分からん。
- ゆえに帝国と言っていいのかも分からない。
- 巨大都市。
- これもメソアメリカ史上匹敵するのはアステカの首都テノチティトランくらい。
- とはいえ都市だけの比較ならマヤの諸都市も結構大きいのでそこまで大差ない。
- 350年~550年頃の人口が10~20万人。
- 現代人の感覚だと中都市程度だが、当時としては世界でも十指に入る大都会である。
- 同時代で世界最大の都市だった洛陽やコンスタンティノポリスでも50万人程度。
- 後の平安京とほぼ同規模。
- こう考えると京都もなかなか大したもんだな。
- 現代人の感覚だと中都市程度だが、当時としては世界でも十指に入る大都会である。
- これもメソアメリカ史上匹敵するのはアステカの首都テノチティトランくらい。
- アパート暮らしの人が多かった。
- アメリカ南西部~メキシコ北部では集合住宅が後に普及したけど、その原点はここかもしれない。
- テオティワカンは「神々の都市」という意味。
- すでに遺跡と化していたこの都市を見つけたアステカ人がこの名を付けた。
- 実際、あれだけの遺跡を見たら神々の住処だと思うのも自然。
- 太陽のピラミッド(底面225m四方)に、月のピラミッド(底面140m四方)、死者の大通り(幅40m)。
- アメリカ大陸で最も壮麗な遺跡なのは間違いない。
- 現代都市でも、そうそうないスケール感。
- 徒歩だと観光するのに苦労するレベルの広さ。
- 明らかに月のピラミッドがメイン施設になる設計なのに、太陽のピラミッドの方が大きいあたり面白い。
- 何度も増築してるから、その辺の事情で当初の状況とは変わっていったんだろう。
- 太陽のピラミッドはメキシコで二番目に巨大なピラミッド。
- 首位はトラチウアルテペトル、通称チョルーラの大ピラミッド。
- でも、現状あっちは教会が建ってるただの丘みたいになってるので、インパクトは薄い。
- 首位はトラチウアルテペトル、通称チョルーラの大ピラミッド。
- 緻密な計画に基づく建築物や道路配置。
- 明らかにテオティワカンを建設する前に何らかの社会的組織があって、きちんとした都市計画を行ってから建設してる。
- クイクイルコが火山噴火でやられてから都市が形成され出したらしい。
- そんな切羽詰まった状態で良くあんな秩序だった都市作れたな。
- 日本でも戦災復興計画で100m道路や都心部の公園を整備してるので、案外為せば成るものなのかもしれない。
- ポポカテペトルも噴火してトラランカレカなんかの周囲の都市からも人が流入した。
- メキシコ高原、大変だな。
- あんな血みどろな宗教観になるのも無理ない。
- 都市計画や建築様式から見てトラランカレカの人たちの方がテオティワカン建設時の主流かもしれない。
- メキシコ高原、大変だな。
- そんな切羽詰まった状態で良くあんな秩序だった都市作れたな。
- 黒曜石産業も盛んで、メソアメリカ中に販売してた。意外と工業都市。
- テオティワカンにはまとまった文字記録がない。
- 文字自体たぶんあったんじゃないかレベル。
- おかげで、どう始まってどう繁栄してどう滅んだか、ろくに分からない。
- 属国にしたサポテカやティカルには文字があったのに、なんでこうなってしまったのか。
- メキシコ南部と違って、メキシコ中部の連中はアステカに至るまで、ずっとあんまり文字を使ってなかった。明らかにメキシコ中部の方が主導的な立場だったのに。
- 生産力・軍事力・技術力の強大さと文字の有無は、特に古代においては関係ないということなのだろう。
- 古代の中国とかインドとか中東にも、かつて強大な国家があったのに文字がないせいで今はまだ知られてないなんて場所もあるかもしれない。
- 日本も古墳時代以前はそんな感じだもんな。
- 古代の中国とかインドとか中東にも、かつて強大な国家があったのに文字がないせいで今はまだ知られてないなんて場所もあるかもしれない。
- 現代人もいつ滅んでも良いようにたくさん石碑を建てよう。
- 文字自体たぶんあったんじゃないかレベル。
- 唯一名前が分かっているテオティワカン王はハツォム・クイ(「投槍器フクロウ」)。
- マヤ文明の諸都市へ派兵し、マヤの碑文に名を残したおかげである。
- マヤ人は筆まめでえらい。
- マヤ文明の諸都市へ派兵し、マヤの碑文に名を残したおかげである。
チョルーラ[編集 | ソースを編集]
- おそらくアメリカ大陸で現存最古の都市。
- 現代にいたるまで少なくとも2200年以上も都市として続いてきた。
- トラチウアルテペトル、通称チョルーラの大ピラミッド。
- 名産品は陶器。
- 現代でもチョルーラを含むプエブラ州はタラベラ焼きで有名。
- アステカの首都テノチティトランからわずか100kmの距離にありながら、独立を保った強者都市国家。
- でも、コルテスには虐殺されてしまう。スペイン人怖い。
- ケツァルコアトル信仰の中心地。
- 世界最大のピラミッドがあるのは、これが理由。
- スペイン人も「これは危うい」と思ったのか教会を何十も建てまくって、カトリックに染め上げようとした。
- 狙い通りケツァルコアトル信仰は廃れたんだけど、今でも相変わらず巡礼地になってる。
- 観光に行くならピラミッドより教会巡りを目的にした方が楽しいかもしれない。
- ロス・レメディオス教会のほかに、外壁がタラベラ焼きで出来てる聖フランシスコ・アカテペック教会なんかも見所。
- チョルーラ・ホットソース。
- あの辺は美食で知られている。
トルテカ[編集 | ソースを編集]
- メキシコ高原で栄えた都市文明。
- いくつもの城塞都市群を建設しそこに住んでいた。
- トルテカって言葉自体、ナワトル語で「都市民」とか「職人」とか、そういう文化的な意味合いがある。
- いくつもの城塞都市群を建設しそこに住んでいた。
- 過大評価文明。
- アステカの一個前の文明なのが主な原因。
- もっと前の文明のことを知らなかったので、アステカの人たちはそれまでのメソアメリカ文明の功績を全部トルテカ人がやったと思っていた。
- なんか人間の話のはずが神話も混じってきて、おかしなことになってる。
- アステカが自分たちの正当性や偉大さを主張するため、自分たちが受け継いだトルテカをすげえ奴らだったことにしてしまった。
- もっと前の文明のことを知らなかったので、アステカの人たちはそれまでのメソアメリカ文明の功績を全部トルテカ人がやったと思っていた。
- アステカの一個前の文明なのが主な原因。
- ざっくり言うとテオティワカンとアステカのつなぎ。
- だいぶ分類が雑な感じはある。
- たぶん群雄割拠の700年~900年、トゥーラ覇権の900年~1100年、チチメカ侵入後の1100年以降くらいに分けて考えた方が良い。
- だいぶ分類が雑な感じはある。
- 主たる都市はトゥーラ・シココティトラン
- この都市名からアレを連想した人は、脳がアレに支配されてるので気を付けよう。
- 語源は「マルハナバチのいる葦の地」「シココの丘の近くにある大都市」という2種類の説がある。
- シココの丘というのは神話によると、神々を養った大地のおっぱいであるらしい。
- 結局、そっち系の意味じゃねえか。
- シココの丘というのは神話によると、神々を養った大地のおっぱいであるらしい。
- トルテカ帝国の首都とされていたがそんな帝国はない。
- トルテカ過大評価の一つ。
- 群雄割拠する諸都市の中でトゥーラ・シココティトランが覇権都市だったというのが実態に近いと思われる。
- チチェン・イッツアをはじめとするユカタン半島への影響は本当にあった。
- でも、これも軍事遠征というよりメキシコ高原からの民族移動っぽい。
- 往時の人口は6万人。
- 当時のメキシコ高原では比類ない大都市。
- とはいえ、かつてのテオティワカンや、後のテノチティトランには全く及ばない。やはり、そこまで強大な勢力ではなかった。
トラスカラ[編集 | ソースを編集]
- アステカと儀礼的な戦争をしていた国。
- いわゆる花戦争。生贄確保と戦闘経験を積むことが目的。
- スペイン軍と同盟してアステカ帝国を滅ぼした。
- この同盟は維持され、破壊された他の地域と違って植民地時代もそれなりに自治していた。
- ただ疫病と移民で人口激減してしまう。
- アステカ滅亡後もスペイン軍と一緒にあちこちで戦争してた。
- メキシコ北部へ屯田兵として入植したり。
- 戦士としてフィリピンにも渡った。
- 侍と戦ったという噂もある。
- この同盟は維持され、破壊された他の地域と違って植民地時代もそれなりに自治していた。
- 古くは有力者による合議制だったらしい。
アステカ[編集 | ソースを編集]
テウチトラン文化[編集 | ソースを編集]
- テキーラ山周辺を中心に栄えた文化。
- あのテキーラの産地である。
- テキーラ市とその周辺で作った物のみがテキーラ。他所で作ったらテキーラは名乗れず、アガヴェ・スピリッツと呼ばれる。
- テウチトラン文化は西メキシコで10万平方kmくらいの範囲に広がっていた。
- あのテキーラの産地である。
- リュウゼツランが盛んに利用された。
- 繊維を取って織物にしたり建材にしたり、醸造してプルケという酒になったり。
- このプルケじゃ度数が低くて満足できなかったスペイン人が蒸留して作ったのがテキーラ。
- なのでテウチトラン文化期にまだテキーラはない。
- このプルケじゃ度数が低くて満足できなかったスペイン人が蒸留して作ったのがテキーラ。
- 繊維を取って織物にしたり建材にしたり、醸造してプルケという酒になったり。
- メソアメリカで銅鉱石から銅を作り始めたのは、たぶんこの文化。
- テウチトラン文化は500年ごろ衰退し始めて900年ごろ滅亡。
- アマパ遺跡で最古の銅製品が西暦500年のもので900年ごろに銅生産が本格化してるので、銅の普及で社会構造が変わって衰退したのかも。
- テキーラ山は黒曜石の一大産地だし。
- 代わって栄えたのがアスタトラン文化。
- アマパ遺跡で最古の銅製品が西暦500年のもので900年ごろに銅生産が本格化してるので、銅の普及で社会構造が変わって衰退したのかも。
- 円形ピラミッドがある。
- 更に、周囲の建物も円形に配置されてる。
- クイクイルコの影響かもしれない。テウチトランの円形ピラミッドが建てられ始めた頃は、クイクイルコの全盛期。
- 間にあるグアナファト州にも円形ピラミッドがある。
- ただ同じ円形ピラミッドでもクイクイルコはパンケーキ4枚重ねみたいな感じなのに、テウチトランの方はミルクレープみたいな細かい多層構造になってるでだいぶ違う。
- 最古の樹皮紙(アマテ紙)が発見されている。
- 西暦73年。蔡倫よりちょっと前のもの。
- でも、テウチトラン文化に文字はなかった。
- 文字がないのに紙があるって、なんか落ち着かない。
- 後世だと、書物の他に儀式やらの装飾用に彩色したり切ったりして使われている。
- 最古のアマテ紙もお墓から出て来たので儀礼用の何かなんだろう。
- 主都はロス・グアチモントネス。
- テキーラ山の周辺一帯は各村落・各部族が連合した一つの首長制国家だったらしい。
- ロス・グアチモントネス遺跡の推定人口は1万人以下で、メキシコ盆地やマヤの遺跡と比べちゃうと小規模なのは否めない。
- 2010年代には年間15万人が訪れるハリスコ州有数の観光地に成長。
- 2006年、世界遺産になったから。
- 正直、テキーラ生産用の醸造所と畑がメインで、テウチトラン文化の遺跡が世界遺産になったのはそのオマケ。
- メキシコ第二の都市グアダラハラから1時間という立地の良さ。
- 近場の観光客が多くて外国人は少ない感じがする。
- 2010年まで約10年間の発掘・復元の成果。
- いくら集客条件が揃ってても、この10年の事業なしでは遺跡にありがちなガッカリ世界遺産になるところだった。
- ウェイガンド先生最後の仕事。この人がいなかったら、タラスカ王国より前に栄えた西メキシコの文明が世に知られるのは数十年遅れただろう。
- 2006年、世界遺産になったから。
- テキーラ山の周辺一帯は各村落・各部族が連合した一つの首長制国家だったらしい。
タラスカ王国[編集 | ソースを編集]
- メキシコ高原西部にあった。
- アステカに次ぐ大国であり、アステカの西方進出を阻止した。
- アステカ勃興で追われた諸民族の移住先になったりもしている。
- 位置関係で滅亡はアステカより後。
- アステカに次ぐ大国であり、アステカの西方進出を阻止した。
- メソアメリカでは最も金属利用が進んだ王国。
- そもそも中米で金属器が最初に伝わったのが西メキシコなので。
- 首都はツィンツンツァン。
- 国の自称も「ツィンツンツァン王国」だった。
- ツィンツンツァンは「ハチドリの地」という意味。
- 言われてみればハチドリの羽音みたいな響きだ。
- 2000mほどの高原にあるパツクァロ湖の畔。
- ヤカタという独特な石積み建造物がある。
- 現代でも「ソパ・タラスカ」という郷土料理がある。