メソポタミア文明
全般[編集 | ソースを編集]
- 世界最古の文明
- 文字基準や金属器基準だとそうなる。
- 神殿基準だとギョベクリ・テペ、都市基準だとチャタル・ヒュユク、エリコあたりになる。
- 文字基準や金属器基準だとそうなる。
- ほぼイラク&シリア東部。
- ありがとチグリス・ユーフラテス川。
- 文化的特徴はいくつかか挙げられるが、どの特徴で見てもアケメネス朝の頃に廃れ始めローマ帝国の頃に終焉を迎えている。
- 楔形文字の利用。
- 使用言語はシュメール語かアッカド語。
- メソポタミア神話の諸神への信仰。
- ジッグラトの建設。
- 期間的には3000年以上ある。
- 世界史の半分、しかも、当時の世界の中心だったと言っても過言ではない。
- にしては、社会的な扱いが軽すぎるような。
- 世界史の半分、しかも、当時の世界の中心だったと言っても過言ではない。
- メソポタミア文明史をざっくり表現すると前期、後期、末期に分類できる。
- 前期がシュメール文明。
- 後期がアッシリアVSバビロニア。
- ときどき片方が一方を征服したり、よそ者にボコボコにされたりする。
- 末期がアケメネス朝ペルシア。
- もう、メソポタミアが中心じゃなくなるのでメソポタミア文明に含まれるか微妙。
- 逆に、西暦1世紀あたりまではメソポタミア文明の伝統が生き残ってるので、そこまで入れてもいいのかも。
- もう、メソポタミアが中心じゃなくなるのでメソポタミア文明に含まれるか微妙。
シュメール文明[編集 | ソースを編集]
- ほぼほぼ謎の文明扱いされる。
- 半分くらいはゼカリア・シッチンとかいう奴のせいなんだ。
- 残り半分は単純に昔過ぎるのと、今はもうシュメール人がいないせい。
- 今あの辺に住んでる人々の言語とシュメール語は明らかに別系統。
- 日常用の言語としては紀元前1800年頃に既に死語になってる。
- 現代に知られる最古の死語と考えて間違いなかろう。
- でも、古典言語としてはローマ帝国初期、つまり1世紀頃まで生き残っていた。しぶとい。
- 日常用の言語としては紀元前1800年頃に既に死語になってる。
- 今あの辺に住んでる人々の言語とシュメール語は明らかに別系統。
- 突然現れた超文明。
- 実は長い下積み時代(ウバイド文化)があるのだが、文字がないので記録がない。
- そして、目印用のハンコみたいなものを原型としつつ、ウルク古拙文字が出現する。
- これが突然すぎるせいで突然現れた超文明みたいになってる。
- 誰か一人の人物がウルク古拙文字を一挙に発明したという説もある。
- 神話によると、ウルクを建設した王エンメルカルが文字の発明者らしい。
- 発明理由は「部下の物覚えが悪い」
- もしくは「王様の話が長過ぎる」
- 発明理由は「部下の物覚えが悪い」
- そして、目印用のハンコみたいなものを原型としつつ、ウルク古拙文字が出現する。
- 実は長い下積み時代(ウバイド文化)があるのだが、文字がないので記録がない。
- シュメール人はどこへ行ったのか。
- アッカド帝国の時点で、アッカド語も多く使われる。
- シュメール文明滅亡後、アムル人がメインになったイシン・ラルサ時代でも母語はアムル語なのに文書はシュメール語がほとんどだったりする。
- だんだん廃れていった感じ。
- シュメール文明滅亡後、アムル人がメインになったイシン・ラルサ時代でも母語はアムル語なのに文書はシュメール語がほとんどだったりする。
- 他民族の侵入が多かったとはいえ、シュメール人の血脈は普通に現代イラク人に受け継がれていると見て良さそう。
- アッカド帝国の時点で、アッカド語も多く使われる。
ウルク[編集 | ソースを編集]
- 文明揺籃の地はウルク。
- 文字誕生の地。
- だから最初の文字はウルク古拙文字と呼ばれている。
- 青銅器を使い始めたのもこの時期なのでガチの革命期。
- 文字誕生の地。
- ギルガメシュおじさんで有名。
- 武器を異空間から射出するとかは無理なんで勘弁してあげて。
- イラクはウルクが語源説もあるけど、信憑性は薄い。
- これが事実だとある意味では現代もウルク国が存在してることになる。
- 初代王はメスキアッガシェル、ウルクの建設者は2代王エンメルカル。
- 初代が建設してないってどういうことなんだ?メスキアッガシェルはキャンプ王なの?
- 紀元前3000年前後には紛れもない世界最大の都市だった。
- 紀元前2900年頃になるとメソポタミアの他の都市も勃興してくる。
- 紀元前24世紀のルガルザゲシは元々ウンマの王だったのに、シュメール全域を征服するとわざわざウルクに遷ってウルク第三王朝を開いている。
- 重要都市だった証拠。
- 中世日本の京都みたいなもんか。
- 重要都市だった証拠。
- ウルクの独立は紀元前18世紀あたりで失われて、それ以降は完全に地方都市。
- とはいえ、セレウコス朝に至ってもメソポタミア史上最大のジッグラトが建設されており、だいぶ繁栄してる。
- イスラム教徒が来た前後でとうとう滅ぶ。
- ガチで4000年の歴史を持つ都市、それがウルク。
- 地名自体はシュメール時代のウヌグから始まってウルク→エレク→ワルカと現代まで連綿とつながっている。
- まあ過去4000年くらいだとアッカド語→アラム語→アラビア語と近い系統の言語で変遷してるからってのはあるけど、だいぶ凄い。
- 地名自体はシュメール時代のウヌグから始まってウルク→エレク→ワルカと現代まで連綿とつながっている。
- ガチで4000年の歴史を持つ都市、それがウルク。
- ヘレニズム時代にも楔形文字が生き残った2つの都市の一つ。
- もう一か所はバビロン。
アッカド帝国[編集 | ソースを編集]
- メソポタミア最初の統一国家。
- アッカド語の強要を一部でやった結果、アッカド語がある程度は地域の共通語になったらしいので、シュメール語が消えシュメール文明が終わったのはこの国が原因って部分も大きい。
- 第四代君主ナラム・シンが神殿を襲撃し、その罰でアッカド帝国は滅んだ。
- 本当は干ばつか蛮族の襲撃による政情不安かそんな理由だろう、たぶん。
- 同時代のエジプトも大変なことになってたし気候変動のせいっぽい。
- 各都市が好き勝手に独立しちゃったらしい。
- 本当は干ばつか蛮族の襲撃による政情不安かそんな理由だろう、たぶん。
ウル[編集 | ソースを編集]
- ウルクと並ぶ重要都市。
- ウルクから王権が移ってきたとされるが、別にそういうわけじゃなさそう。
- ウルクと名前が似てるけど多分関係ない。
- シュメール語だとウヌグとウリムでまあまあ違うかな。
- 考古学的にも有名。
- シュメール文明で取り上げられる遺物って大半はウルの物なんじゃないかって気がする。
- ウルのスタンダード
- スタンダードは軍旗って意味。
- 軍旗って言うから布製だと思われがち。
- 実際は石や貝殻を使ったモザイク画的なものらしい。
- ラピスラズリも使った豪奢な代物
- 例によって大英博物館収蔵
- スタンダードは軍旗って意味。
- ウルのジッグラト
- 本当の名はエ・テメン・ニグル。
- なんか、異世界物のフィクションに出てきそうな名前。
- 月神の神殿。
- エンヘドゥアンナが神官やってたのはここ。
- とはいえ、今の物に近いジッグラトが建てられたのはそれより150~200年後。
- エンヘドゥアンナが神官やってたのはここ。
- 紀元前21世紀前半、ウル第3王朝の頃に建てられた。
- 紀元前6世紀、新バビロニア王国により再建。
- 保存状態が良かったのは、ジッグラトの中では比較的新しいものだったからと考えてよさそう。
- ピラミッドは古くても残ってると思うかもしんないけど、あれは例外です。
- ジッグラトは石じゃなくてレンガ製だから、多少ボロくなりやすいのは否めない。
- ピラミッドは古くても残ってると思うかもしんないけど、あれは例外です。
- 保存状態が良かったのは、ジッグラトの中では比較的新しいものだったからと考えてよさそう。
- 紀元前6世紀、新バビロニア王国により再建。
- その後、フセインが20世紀後半に修復した。
- でも不正確でやりたい放題だとか。
- まあ、フセインは別に考古学オタだったわけじゃなくて国威発揚・国民意識の確立が目的だったわけで、仕方ない部分もある。
- ともあれ、おかげで整ったジッグラトの姿を見ることができる。
- まあ、20世紀末以来ここ四半世紀くらいは渡航するには、ちょっとやばめだけど。
- でも不正確でやりたい放題だとか。
- 本当の名はエ・テメン・ニグル。
- トカゲ頭の女神像
- レプティリアン信奉者がよく取り上げる。
- シュメール最後の輝き、ウル第三王朝。
- シュメール人の王朝はこれで終わり。
- でも、その後もウル第三王朝の後継者の地位を得るためにウル争奪戦が起こったり、いまいち終末感が薄い。
- シュメール人の王朝はこれで終わり。
- ウル・ナンム王が世界最古の法典、ウル・ナンム法典を発布した。
- ハンムラビ法典より300年以上古い。
- でも、ハンムラビ法典ばっかりちやほやされる。なんでなの。
- やっぱり「目には目を、歯に歯を」みたいな分かりやすいキャッチフレーズがないとダメなんだろうか。
- でも、ハンムラビ法典ばっかりちやほやされる。なんでなの。
- ハンムラビ法典より300年以上古い。
- アブラハムの故郷。
- アブラハムが生まれたのがウルなのは聖書に書いてあるが、それが現在ウルとして知られる遺跡と同じ場所かは定かではない。
- メソポタミアのどこかだったのは間違いないんだが。
- アブラハムが生まれたのがウルなのは聖書に書いてあるが、それが現在ウルとして知られる遺跡と同じ場所かは定かではない。
バビロニア[編集 | ソースを編集]
- 基本的にはメソポタミア南部の歴史的地名。
- 王朝も民族も代わっていってるので、バビロン第1王朝から新バビロニアまで一連の王国として理解していいのか、いまいち掴めない。
- 色んな民族が入れ替わり支配してる感じ。
- バビロニア人ってものは実質存在してない感じなのにバビロニア語(アッカド語の方言)は変化しながらもずっと使われてる不思議。
- シュメール文明が栄えた地だし、その辺の蛮族とは文明力が違うってことなんかな?
- マルドゥクがバビロニアの国家神。
- 日本の天照大神、ジョージアの聖ゲオルギオスみたいなもんか。
- そのためカッシート王朝末期のマルドゥク・アプラ・イディナ1世以降、バビロニア王にはマルドゥクさんが何人もいる。
- カッシート王朝でもこの人より前は、エンリルさんが多かったりする。ひょっとして紀元前1200年頃に主神が交代してないか?
- 実は、ナブーさんもマルドゥクさんと同じくらい多いけど、ナブー神はマルドゥク神の息子なので、むしろマルドゥク信仰の根強さを物語っているんでしょう、たぶん。
- 王としては最初のマルドゥクさんであるマルドゥク・アプラ・イディナ1世だが、この人の一族はやたらマルドゥクさんが多い。
- 親戚にマルドゥク神殿の管理者がいるからその関係かもしれん。
- 1世というからには2世もいて、1世の約400年後に即位しているのだが、1世も2世も半ば亡国の君主といった感じで縁起でもない。
- マルドゥク・アプラ・イディナ2世は何を思ってこんな名前になってしまったのか。
- 2世の方はメロダクバラダンの名前で聖書に出てくるので、現代でもそこそこ知名度がある。
- マルドゥク・アプラ・イディナ1世は全然知名度ない。
- 2021年現在、ネット上で日本語によるものに限ると、1世について最も長い記述はおそらく今ご覧になっているこれである。
- マルドゥク・アプラ・イディナ1世は全然知名度ない。
- この神を奉る神殿としてジッグラト「エ・テメン・アン・キ」が建てられた。
- これがバベルの塔のモデル。
- 高さ90mはジッグラトで最も高いっぽい。
- でもピラミッドより低いし、バベルの塔のモデルにしてはショボい気も。
- 高さ90mはジッグラトで最も高いっぽい。
- これがバベルの塔のモデル。
- 「エヌマ・エリシュ」
- バビロニアの創世神話、そのためマルドゥクが主役やってる。
- 神殿は「十分の一税」を取ってたらしい。
- カトリック教会が取ってた「十分の一税」の大元かな。
- あれって旧約聖書が論拠だしバビロンの影響だとしても何にも不思議はない。
- ただ、バビロニアの「十分の一税」は現代の学術用語らしいので、教会の「十分の一税」からの連想で名付けられただけかもしれない。
- カトリック教会が取ってた「十分の一税」の大元かな。
- メソポタミアに冠たるバビロン、その始まりはハンムラビ。
- 法典で有名なあのお方である。
- ハンムラビ即位時のバビロンはアッシリアに従属した都市国家に過ぎなかった。
- そこから、メソポタミアを統一した。法典だけの王じゃないんですよ!
- 1000年以上続くバビロニアVSアッシリアもこのとき始まったのだ。
- 本当は途中で仲良くしてたりもするんだけどね。
- なんか、いきなりヒッタイトが攻めてくる。
- 攻めてきたヒッタイト王も本国に凱旋したら、いきなり暗殺される。
- 何なんだこの事件。
- メソポタミア南部のバビロニアが攻め込まれてるってことは、メソポタミア北部にあるアッシリアはもうヒッタイトの家来とかになってたのかも。
- 攻めてきたヒッタイト王も本国に凱旋したら、いきなり暗殺される。
- で、混乱のバビロニアで覇権を握ったのはカッシート人。
- こいつら、どっから出て来たんだ。
- なんだか棚ボタ感のあるカッシート人だが400年も続く王朝を打ち立てた。
- バビロニア・アッシリア間の国境確定条約が残っており、これで経緯は不明ながらカッシート王朝が前1500年頃には確立していたのが分かる。
- あれ?アッシリアもなんかしれっと復興してるぞ。
- 古代文明大好きカッシート人。
- 自分たち以前のバビロニア文化を更に盛り立てていった。
- 更に昔のシュメール文化も復活させる。
- 紀元前15世紀にルネサンスやってるとか、メソポタミア文明の奥行きの深さには頭がクラクラしてくる。
- やはり、バビロニアのパワーは文明力なのか。
- 前729年から前625年まで約百年はアッシリア統治下。
- でも、いっつも反乱してる。いや、こんだけ反乱されたら、もう統治できてるとは言えないんじゃないかな。
- アッシリア王・エサルハドンはもう軍事力でどうにかするのは無理と悟ったのか、がんがん優遇しまくった。
- おかげで下手に独立してるとき以上の繁栄を獲得し、反乱は収まった。
- アッシリア王・エサルハドンはもう軍事力でどうにかするのは無理と悟ったのか、がんがん優遇しまくった。
- でも、いっつも反乱してる。いや、こんだけ反乱されたら、もう統治できてるとは言えないんじゃないかな。
- 新バビロニア王国がアッシリアの混乱に乗じて独立。
- 別名カルデア王国。
- 独立した勢いのままアッシリアを征服する。
- やっぱり、優遇しまくったのは失敗だったんじゃないですかね?
- ユダ王国を滅ぼし、バビロン捕囚を実施した。
- バビロンが後世ボロクソに言われる原因になってしまう。
- 現代まで新バビロニア王国がそれなりに知られているのは、このおかげとも言えるけど、伝わり方が酷すぎる。
- ついでにこのときの経験がもとでユダヤ人にディアスポラ耐性がつく。
- それが、良かったの悪かったのか。
- バビロンが後世ボロクソに言われる原因になってしまう。
- 建築大好きカルデア人。
- ネブカドネザル2世はイシュタル門や巨大ジッグラト「エ・テメン・アン・キ」とか造ってる。
- ナボニドゥスは各地の神殿再建しまくってる。
- アケメネス朝により新バビロニア王国滅亡。
- どうもギリシア人やローマ人にはバビロニアとアッシリアの区別がついてない節がある。
- あの有名なバビロンの空中庭園も実はアッシリアのニネヴェにあったんじゃないかと言われている。
- アレクサンドロス大王はバビロンで死んだ。
- ディアドコイの時代はバビロンで始まったのである。
- この結果として、セレウコス朝が誕生し、首都としてセレウキアが建設される。
- セレウキアに中心地が移りバビロンは廃れたのであった。
- この結果として、セレウコス朝が誕生し、首都としてセレウキアが建設される。
- ディアドコイの時代はバビロンで始まったのである。
アッシリア[編集 | ソースを編集]
- メソポタミアの千年王国。
- 中の民族がコロコロ変わるバビロニアとは違うんです。
- 紀元前1700年頃のアダシからシャルマネセル5世が亡くなる紀元前722年まで一つの王朝が続いた。
- 本当かな?
- 中近東の国家としては異常な持続力。
- アッシュールなる、都市であり国家であり神である存在。
- 「神の国」というか「国が神」というか、土地それ自体が神。
- 国家神アッシュールが王とされており、実際に統治している人間の君主は副王を名乗った。奥ゆかしい。
- 市民会であるアールムと市民会の議長であるリンムがいて毎年選ばれていた。
- 大きな権限があって王にも物申せた。
- 後の時代には王がリンムを兼ねたりするようになる。
- 存外に民主的。
- なんか、ローマ帝国を彷彿とさせるものがある。
- 議会と元首が並立するようなやり方のほうが、ローマやアッシリアの例の通り、国家は長持ちするのかな?
- そう考えると現代で立憲君主制とか大統領制とかの議会と元首の両方が存在する政治制度が普及してるのは、歴史の必然なのかも。
- あるいは、市民の大きな権利は国家に対する義務とセットになってるから、いざというとき市民全体が兵力として使えて強いみたいな話なのかもしれない。
- 議会と元首が並立するようなやり方のほうが、ローマやアッシリアの例の通り、国家は長持ちするのかな?
- 1年交替だったこともあり、リンムに就任した人の名前で年を表現する習慣があった。
- 例えば、紀元前858年は「リンム・シャルバトゥルニシの年」、紀元前857年は「リンム・シャルマネセルの年」。
- 大きな権限があって王にも物申せた。
- アッシリアはメソポタミア北東部という立地を生かし、ザクロス山脈やアナトリアに広がる貿易網を築いていた。
- 民会が発展したのは商業国家だったからって部分も大きいのかもしれない。
- でもヒッタイト帝国が興ってからは、あんまり商業国家って雰囲気ではなくなる。
- シャムシ・アダド1世、彗星の如く登場。メソポタミアの覇権を握る。
- そして、そのまま退場。一代限りの帝国に終わる。
- 次にアッシリアから強国が現れるのは、ここから400年待たねばならない。
- そして、そのまま退場。一代限りの帝国に終わる。
- 建国数十年の新興国ミタンニに従属してしまう。
- ミタンニは新しくても、そこの主民族フルリ人は昔からアッシリア周辺に大勢いたので、こうなっちゃうのも分からないではない。
- しかし、更に1世紀ほど後には内紛とヒッタイトの侵攻でミタンニはガタガタに。
- 斜陽のミタンニの支配を脱し、ついに列強入り。
- アッシュール・ウバリト1世がミタンニの首都を制圧した。
- アッシリアが歴史のメインプレーヤーとなるのはここから。
- アダシが王朝を開いて苦節400年近く。普通の王朝ならここまでで滅んでるよ。
- 紀元前1263年にはシャルマネセル1世が調子に乗ってミタンニ完全征服。
- このせいで周辺諸国も警戒心むき出しに。ヒッタイト・バビロニア・エジプトによるアッシリア包囲網が作られてしまう。
- この窮地でトゥクルティ・ニヌルタ1世即位。
- バビロニアに攻め込まれるも、逆にバビロニアを征服。ヒッタイトからも北シリアを奪い取ってしまう。
- でもトゥクルティ・ニヌルタ1世は暗殺され、その後バビロニアは独立。
- やっぱり、かなり無理してたのかもしれない。ここから当分アッシリアは、パッとしない感じ。
- この窮地でトゥクルティ・ニヌルタ1世即位。
- このせいで周辺諸国も警戒心むき出しに。ヒッタイト・バビロニア・エジプトによるアッシリア包囲網が作られてしまう。
- アッシュール・ウバリト1世がミタンニの首都を制圧した。
- 紀元前879年にニムルド遷都。
- アッシリア帝国はほぼ毎年戦争するやばい軍事国家だった。
- 強力な官僚組織と、高い情報収集・処理能力。
- 度重なる強制移住。
- フィクションによくある「悪の帝国」の原型ってアッシリアなのでは?
- 大量捕囚は空前の規模。
- アラム人やバビロニア人やヘブライ人をがんがん強制移住させる。
- アラム人を移住させまくった結果、アラム語が帝国中で通じるようになり共通語化していった。
- その結果、アッカド語や楔形文字はだんだん廃れていく。
- メソポタミア文明終焉のはじまり。
- 当時の人はそんなの気にせず「アラム語って便利」程度にしか思ってなかった気はする。
- メソポタミア文明終焉のはじまり。
- その結果、アッカド語や楔形文字はだんだん廃れていく。
- 北イスラエル王国を滅ぼし、住民も連れ去る。
- それで生まれた伝説が「失われた10支族」。
- 普通に考えれば、移住先で同化してヘブライ人の末裔だと分からなくなっただけだろう。
- それで生まれた伝説が「失われた10支族」。
- ついには、オリエント全土を征服する。
- 紀元前671年エジプトに侵攻。史上初のエジプトとメソポタミア両方を支配した国に。
- 当時の状況的には「世界帝国」と言っても過言ではない。
- しかし、そこから半世紀も経たず新バビロニアが独立。
- 紀元前609年、新バビロニア王国によってアッシリアは滅ぼされてしまう。
- 常時戦争してただけに、下手にうまくいくと国力以上に膨張してどうにもならなくなった感じ。
- バビロニアを支配したり臣従させると最終的にはだいたい酷いことになる。
- アッシリアはバビロニアに手を出したらダメなんだ。
- 紀元前609年、新バビロニア王国によってアッシリアは滅ぼされてしまう。
- 紀元前671年エジプトに侵攻。史上初のエジプトとメソポタミア両方を支配した国に。