ローマ帝国の皇帝
ユリウス・カエサル(事実上の帝国建国)[編集 | ソースを編集]
- 神君カエサルは欧米における天才。
- カエサルの影響はいまの欧米にもある。ヨーロッパ史上最強の人間。
- 皇帝の代名詞になってる。
- ドイツのカイザー、ロシアのツァーリの名称の由来。
- ただし、部下の兵士達の言葉を借りれば「ハゲの女たらし」。
- 凱旋のパレードが後半に入りくだけた雰囲気になると兵士たちが「女性は隠れろ~、女たらしのハゲが来るぞ~」と叫んで沿道が大笑い。本人も笑っていた。
- 実際女性にモテた。沢山の愛人が居たが他の愛人の存在を隠さず、かつ皆に平等に接していたので愛人同士の仲も悪くなかった。
- 信じられないほどマメだったらしい。イケメンよりもマメな男が持てるのは古今東西変わらない。
- なんでも元老院の三分の一がカエサルに嫁さんを寝取られたらしい。
- 議会の場で自分の妻あてのラブレターが読み上げられた議員もいたらしい。(姉だったか?)
- とはいえ、当時の価値観でハゲはマッチョイズムの象徴なのである。
- 良くも悪くも業績が大きすぎて、子供向けの伝記漫画にするのはまず不可能。
- ルビコン川を渡り、事実上の皇帝への道を踏み出した。ちなみに実際のルビコン川は犬が歩いて渡れるような小川である。
- 実際に観光で現物を見たが、河口に近い場所でも小川のイメージだった。
- 7月の英名の由来。
- ブルータス、お前もか!!
- カフェでの会話。
- 「ぶるうたす」とひらがなで書くと、マッチョなイメージ。
- 「無留宇他巣」と漢字で書くと、珍走団なイメージ。
- 「BRUTUS」と英語で書くと、マガジンなイメージ。
- 「無留宇他巣」と漢字で書くと、珍走団なイメージ。
- カエサル暗殺者の一人ブルトゥスは、愛人の一人セルウィリアの息子。カエサルの最後の言葉は本当は「息子よおまえもか?」だったらしい。
- 「このままの社会体制では問題が起こる」と問題が起きる前に予見し、対策(=帝政)を考え、完遂寸前まで実行した。世界中の歴史を探しても、こういう人物はほとんど見当たらない。
- 「ジュリアス・シーザー」は英語読み。
- フランス語では「ジュリアン・セザール」イタリア語では「ジュリオ・チェザーレ」スペイン語では「フリオ・セサル」となる。いや、だからどうしたってこともないが。
- 日本語では「百合臼・替猿」。
- 「受理明日・椎座亜」
- どっちも、ただの当て字じゃないの?
- 「受理明日・椎座亜」
- 日本語では「百合臼・替猿」。
- フランス語では「ジュリアン・セザール」イタリア語では「ジュリオ・チェザーレ」スペイン語では「フリオ・セサル」となる。いや、だからどうしたってこともないが。
- 「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」など名言を連発、死に際の虫の息の状態で尚名言を放った。歴史上の名言の7割はカエサルのものであるとどっかの歴史家が言ったらしい。
- 大阪で、喜多商店を創業。
- カエサルの言葉「人は現実の全てが見えるわけではない。多くの人は見たいと欲する現実しか見ない」の「現実」を「情報」に置き換えれば、まさに現代の情報化社会の一面を言い表している言葉だと思う。
- 若い頃は借金で首の回らない駄目人間だったが、中年に差し掛かる年齢になってから台頭した。大器晩成型の人物。
- 借金すれば貸主が強いが、とほうもなく巨額になると逆に借主が強くなることを知っていた。これを露骨に実行しているのが今の米国政府。
- アレクサンダー大王とかその辺と並んで古代史の名将扱いされている。
- 負け戦もあるが、すぐさま別の手を打って挽回するあたりが凄い。
- 反面政治家としては疑問符をつける研究者もいるが、そうした言説は民主主義が台頭してからのものなので、イデオロギー的な見方だろう。
- 逆に言えば彼以降の政治家は全て彼の劣化版であるとも言えるのかもしれない。
- エジプトに行ってとある女性に魅了されたのは有名。
- 帝王切開で生まれてきたらしい。なので帝王切開と言うそうだ。
- 暦をローマ伝統の太陽太陰暦から太陽暦に変えた。自分の名を付けたユリウス暦は、その後1627年間も使用されたほど正確な暦。今でも使っている国がある。
- シーザーサラダの生みの親らしい。
ユリウス・クラウディウス朝[編集 | ソースを編集]
アウグストゥス[編集 | ソースを編集]
- カエサルの養子にして、初代皇帝。ただし自身は「プリンケプス(第一人者)」を名乗り、あくまでも共和政を建前にしていた。
- 天皇がありながら征夷大将軍が治めていた日本とやや似ている。
- 病弱で、戦争も下手。しかし前者は健康管理がしっかりしていたので長生きし、後者も配下が優秀だったので問題にならなかった。
- 弱冠18歳で後継者として指名される。
- 「あの英雄カエサルに認められた!」という感動が、彼の生涯を決定付けることになる。まさにルソーの「人は2度生まれる」の実例。
- 当然周りからは舐められまくるが、若者とは思えないほど巧妙に立ち回って後継者の地位を確保する。
- 歴史ファンには、西洋最高の政治家に推す人も多い。
- なぜ「世界最高」ではないかというと、康熙帝のように実績が同レベルで、在位年数が更に長い人がいるため。
- アウグストゥスの場合、「国家体制を変革した」という点が大いに異なる。
- なぜ「世界最高」ではないかというと、康熙帝のように実績が同レベルで、在位年数が更に長い人がいるため。
- 8月の英名の由来。
- こいつのせいでカレンダーがややこしいことになった。
- それまでは、奇数月が31日(大の月)、偶数月が30日(小の月)で、年末(当時はフェブルアリウス、つまり2月が年末)に残りの29日(閏年は30日)を置くというシンプルな形だった。それを、アウグストゥスに媚びた暦官が8月を大の月にしてしまったため、それ以降は奇数月と偶数月が入れ替わってしまった。
- 「西向くサムライ(二・四・六・九・十一)」の一言で小の月を言えてしまうような芸当は日本語だけで、いかなる西洋語もそんなことはできない。そのため欧米人は大の月・小の月を記憶するのにけっこう手間取るらしい。
- それまでは、奇数月が31日(大の月)、偶数月が30日(小の月)で、年末(当時はフェブルアリウス、つまり2月が年末)に残りの29日(閏年は30日)を置くというシンプルな形だった。それを、アウグストゥスに媚びた暦官が8月を大の月にしてしまったため、それ以降は奇数月と偶数月が入れ替わってしまった。
- カエサルも7月に自分の名前入れたので見栄を張ってそれを真似たとか。
- こいつのせいでカレンダーがややこしいことになった。
- 最終的に「パクス・ロマーナ」をもたらす。
ティベリウス[編集 | ソースを編集]
- 後半生はひきこもりそのもの。
- 吝嗇家、加えてとても猜疑心が強く、人望は薄かった。
- 一応、政治家としては及第点の評価を歴史家各位(塩姐含む)から貰えている様だ。
- 死んだ時民衆から死体を川に流せと言われた。
- アウグストゥスの三番目の妻の連れ子で、アウグストゥスの実の娘と再婚した。アウグストゥスの甥や孫などの血族が次々と早死にしたので、消去法的に彼が皇帝の座を継いだ。
- ……が、先帝が「仕方がないので」といった旨の前置き付きで後継者に指名したので、彼が後に屈折してしまう遠因になった。
- 人付き合いに疲れてカプリ島の別荘に閉じこもってしまった引きこもり皇帝。おかげで島の中でエロい事をしているというゴシップが書かれた。
- 統治自体は極めて優良だったのだが、風光明媚な保養地から手紙だけ送って政治をしていたので評判は最悪だった。
- 遠隔地にいた方があらが目立たないといわれている。
- 具体的にはマイケルジャクソンのゴシップネタでよくいわれてるやつの更にエグいやつだったらしい。カプリ島はネバーランドw
- 統治自体は極めて優良だったのだが、風光明媚な保養地から手紙だけ送って政治をしていたので評判は最悪だった。
- 部下の提案を聞き入れていたら、9月のラテン語読みはこいつが元になっていた。
カリグラ[編集 | ソースを編集]
- アウグストゥスの曾孫で、アウグストゥスの姉の曾孫でもある。
- 性豪カリギュラ。
- 「自分の妹すべてに手を出していた」と五賢帝時代のゴシップ作家、スエトニウスは語る。
- 思いつきで適当な政策ばかり実行して自爆した。
- 思いつきで近臣を残虐な刑に処したりした。
- ちなみにカリグラとはローマの兵士が愛用したサンダルの事。要するに、渾名。
- 子供の頃から父について従軍していたので兵士からの人気も抜群。
- 本名は「ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス」だが、他の人物とかぶっている部分が多くて分かりづらいので、大帝「カリグラ」で済まされる。
- 子供の頃から父について従軍していたので兵士からの人気も抜群。
- 子供の時分「カリキュラマシーン」を見て、カリギュラとどんな関係があるのかな?と考えたりした。
- 映画は黒歴史。
- 2?そんなものはない。
- ポルノ映画なので・・・。
- …しのアリエッティ。
- 先帝ティベリウスの人気が最悪で、かつ国民に大人気のゲルマニクス将軍の子であったために大歓声で迎えられた。
- 精神疾患を患っていたのではないかとまで言われている。あまりにイカれた行状のため在位わずか3年で暗殺。
- 良い政治家をは全くいえないが、評判ほど悪くもない。
クラウディウス[編集 | ソースを編集]
- アウグストゥスの姉の孫で、ティベリウスの甥。
- それなりに有能だったが、嫁さん(ネロの実母)に鼻面を引きずり回された挙げ句毒キノコを喰わされて死んだ。
- その前の嫁も娼館に出入りして男漁りにいそしんでいたからたいがい。
- つかこの2人の嫁のせいで恐妻家皇帝というイメージがついた。
- その前の嫁も娼館に出入りして男漁りにいそしんでいたからたいがい。
- 歴史家皇帝。
- 自分がカリグラに殺されない為に、カリグラが死ぬまで頭のおかしい人のふりをしたそうだ。
ネロ[編集 | ソースを編集]
- クラウディウスの妻(カリグラの妹)の連れ子。血縁関係がゴチャゴチャして分かりにくい。
- 魔性ネロ。
- ネロは神経質なガリガリ男と思われがちだが、実際は歌って踊れる陽気なデブである。
- しかし他人に「俺の歌を聴け」と強要するところが某漫画の誰かとそっくりである。
- 皇帝の中にはキリスト教徒迫害のおかげで大変評判悪い人もいるが、違う側面から見たら結構まともなことをやってる人が多い。
- ネロの場合は完全な人気取り政策が多かったが・・・。途中からそれも放棄した。
- 皇帝の中にはキリスト教徒迫害のおかげで大変評判悪い人もいるが、違う側面から見たら結構まともなことをやってる人が多い。
- 晩年、ネロは悲願だったルーベンスの絵を観ながら、愛犬と共に天に召されたのでした。
- 暴君の代名詞。
- 日本の殿様の井伊直弼に似ている。いや、活動していた時代を考慮すれば「井伊直弼がネロに似ている」というべきだろう。
- 放火魔。
- 在位12年。それなりに頭も良くて周到だったので引きずり下ろすのは大変だった。
- ローマ皇帝の中でもっとも知名度の高い人。
- 絵に書いたようなナルシスト
- なおかつマザコン。
- 無能な暴君として唾棄される傾向が強い。
- 為政者としては失格の烙印を押されているが、芸術面においては類稀なセンスを発揮していたようだ。
- ローマを焼いた逸話から、なぜかCD-R焼きソフトにその名を使われている。
- 良いから寝ろ!
- 暴君ぶりが祟って最期は飼い犬のパトラッシュと一緒に悲劇の死を遂げた。
- 僕はもう疲れたよ・・・
- 一緒に天国へ行こう。
- 僕はもう疲れたよ・・・
- ネロを元ネタにした創作人物は、ぶっ飛んだキャラにされる傾向にある。
- 激辛スナックのキャラクター。
- 上流階級の人間からは酷い言われようだが、庶民人気は良かった。まあ帝国がネロだけで潰れるほどやわじゃなかったおかげだが。
四皇帝の年[編集 | ソースを編集]
ガルバ[編集 | ソースを編集]
- 自爆気味な晩年のネロに愛想を尽かして反乱を起こし、自ら皇帝になった……が、皇帝になった途端に失政を犯したためオトーに反乱されて死んだ。
- 後世の評価は、「皇帝にさえならなければ、皆に皇帝にふさわしい人物と言われ続けただろう」というもの。現代にもいるよね、こういう人。
オトー[編集 | ソースを編集]
- 元、ネロの友人兼腹心。ネロに嫁さんを寝取られた上に左遷されたが、めげずに働いたので評価が上がった。
- ガルバを倒して皇帝になったのはいいが、別な反乱を抑えられずにあっさり自殺。
ヴィテリウス[編集 | ソースを編集]
- ゲルマニアの軍司令官だったが、オトーを破って皇帝になった。
- しかし、略奪を行ったり宴会ばかり行っていたりしたため人気は急落。シリアで反乱を起こしたヴェスパシアヌスに敗れ、逃げ回った挙げ句殺される。
- 美食家として有名。食道楽故の当然の帰結か、クソデブだったことまで後世に伝わってしまっている。ミネラルウォーターのヴィッテルの由来となったことで現代に名を残す。
フラヴィウス朝[編集 | ソースを編集]
ヴェスパシアヌス[編集 | ソースを編集]
- ネロ死後の混乱を収拾して帝国を建て直した皇帝。
- ネロのリサイタル中に居眠りして睨まれたというドジな経歴の持ち主。肖像を見ると、どこにでもいそうなオッサンである。
- だが、その後ネロはこの件を気にせずに彼を抜擢している。
- ネロのリサイタル中に居眠りして睨まれたというドジな経歴の持ち主。肖像を見ると、どこにでもいそうなオッサンである。
- イタリアで公衆便所はこの人のイタリア語読みヴェスパシアーノ。公衆便所で集めた小便のアンモニア分を薬品としてリサイクルする業者から金を取った事が、公衆便所に税金をかけたと後世に伝わったため。
- 柱の男が眠っている地下洞窟の上にコロッセオを建てた。
ティトゥス[編集 | ソースを編集]
- ヴェスパシアヌスの長男。
- ベスビオ火山の噴火でポンペイが埋まってしまったのは彼の時代。その後もローマで大火事が起きたり伝染病が流行ったりして、災害対策に追われていたら自分もポックリ逝ってしまった。
ドミティアヌス[編集 | ソースを編集]
- ティトゥスの弟。元老院の評判が悪く、暗殺された挙げ句存在自体を黒歴史扱いされてしまった。
- 治世には問題なかったのだが・・・
五賢帝+α[編集 | ソースを編集]
ネルヴァ[編集 | ソースを編集]
- 五賢帝、その1。
- ただし、これと言って特筆すべき事はない。
- 強いて言えば後継者にトラヤヌスを指名したこと。五賢帝の一人に数えられるのはひとえにトラヤヌスの余慶といえる。
- ただし、これと言って特筆すべき事はない。
トラヤヌス[編集 | ソースを編集]
ハドリアヌス[編集 | ソースを編集]
- 五賢帝、その3。
- 首都を留守にして国内のドサ回りばかりしていたため、これまた市民や元老院に嫌われた。
- 浴場設計技師のルシウス・モデストゥスを重用した。
- モデストゥスの設計の元になったのは「平たい顔族」という謎の民族の浴場らしい。
- 自身も有能な建築家として描かれている。
- モデストゥスの設計の元になったのは「平たい顔族」という謎の民族の浴場らしい。
- 気難しい人といううわさがある。
- 髭を生やしていた。
- テルマエ・ロマエは、この皇帝の時が舞台らしい。
アントニヌス・ピウス[編集 | ソースを編集]
- 五賢帝、その4。
- またの名を「大秦国王安敦」。
- ちなみにマルクス・アウレリウス・アントニヌスなのかアントニヌス・ピウスなのかは不明
- 何故が前者だと習った。
- ちなみにマルクス・アウレリウス・アントニヌスなのかアントニヌス・ピウスなのかは不明
- 平和すぎて特にする事がなかった。
- ただし、この時の手抜きや安逸が、後のローマの衰退に繋がるとする意見もある。
- またの名を「大秦国王安敦」。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス[編集 | ソースを編集]
- 五賢帝、その5。
- 鉄人、もとい哲人皇帝。
- 「自省録」は頑張る人への応援歌のような本。
- ゲルマン人と戦っている間に、日記を書くのにはまった。
- なぜか中国の歴史書にこの人の名前が載っている。
- 大秦王安敦。後漢書西域伝大秦条だったかな。
- 別に社会主義は唱えていない。
コンモドゥス[編集 | ソースを編集]
- 哲人皇帝の息子のくせに、コロッセオで剣闘士として活躍した脳筋皇帝。
- おかげで映画「グラディエーター」では、見事な悪役にされた。
- 風呂に入りまくるうわさあり。最期も風呂で迎えた。
ペルティナクス[編集 | ソースを編集]
- コンモドゥスが近衛隊に愛想を尽かされて暗殺された後皇帝になるが、近衛隊にボーナスを支給しなかったので恨まれて暗殺。
ディディウス・ユリアヌス[編集 | ソースを編集]
- ペルティナクスを暗殺した近衛隊により、皇帝候補者の中で最も提示した持参金が多いという理由で選ばれた。世界史上稀に見るオークションで皇帝の座を落札した皇帝。
- 当然尊敬されるはずもなく、反乱を起こされて処刑。
セヴェルス朝[編集 | ソースを編集]
セプティミウス・セヴェルス[編集 | ソースを編集]
- オークション皇帝が倒れた後もダラダラ続いた自称皇帝達の内乱を勝ち抜き、帝国を統一した。アフリカ出身。
- 軍人の待遇を向上させたが、その反面軍事費が急増して国家財政を圧迫するようになった。
カラカラ[編集 | ソースを編集]
- セプティミウス・セヴェルスの長男。カラカラとは愛用していた服の名前で、本名はマルクス・アウレリウス・セヴェルス・アントニヌス。哲人皇帝とほぼ同じ名前。
- 母親の目の前で弟ゲタを殺害し、肖像の類を全て破棄させた。現代でも、弟の顔だけ削り落とされたセヴェルス一家の肖像画が残っている。
- ローマ帝国内に住んでいる全ての自由民にローマの市民権を与え、自由民は全て平等とした。これにより、非市民権者が払っていた10%の属州税は消滅。
- 一部の思想持ちが拍手喝采しそうな政策だが、その実税制が破綻、流動的身分制から平等身分になったが余計格差社会になり、新たに移住してきたゲルマン人が市民権欲しさにローマの公職に就かなくなるなど、デメリットばかりが後に残った。
- なお、こんな彼だが軍人皇帝としては優秀。
- こういう表面だけの平等政策を取って後に崩壊の遠因を作る、というのは洋の東西を問わずよくあるんだよな…。
- うちの高校の世界史の教科書には、後述の浴場と合わせて内政を重んじたよい君主のように書かれていた。その後ローマ屈指の暴君だったと知って驚愕した人もいると思われる。
- 属州税がなくなった分市民としての税を払うようになるので、実は増税という見方もある。
- 一部の思想持ちが拍手喝采しそうな政策だが、その実税制が破綻、流動的身分制から平等身分になったが余計格差社会になり、新たに移住してきたゲルマン人が市民権欲しさにローマの公職に就かなくなるなど、デメリットばかりが後に残った。
- 今も遺跡が残るスーパー銭湯を建造したので、名前だけは世界中で有名。ローマ観光で必ず立ち寄る場所である。
- なお、実態としては×××場だったとか(ちなみに、当時はそういう行為が自然に行われていたらしい)。
- ポケモンとは縁がない はずである。
マクリヌス[編集 | ソースを編集]
- カラカラを暗殺して帝位に就いたが自分も反乱を起こされ死亡。
エラガバルス[編集 | ソースを編集]
- セプティミウス・セヴェルスの妻の妹ユリア・メサの孫。カラカラの従兄弟の子にあたる。皇帝になる前はシリアで神官をしていた。
- 生涯未婚の巫女さんを手込めにする、女装癖がある、男色、それも受けの側だったなどと、変態的なエピソードに事欠かない。性同一性障害か何かだったのだろうか。
- とうとう、実質的な統治権を握っていた祖母にも見捨てられて殺される。ちなみに享年18歳。
- 生涯未婚の巫女さんを手込めにする、女装癖がある、男色、それも受けの側だったなどと、変態的なエピソードに事欠かない。性同一性障害か何かだったのだろうか。
- 妙な信仰心を持っていたと噂される。
アレクサンデル・セヴェルス[編集 | ソースを編集]
- 件のユリア・メサの孫で、エラガバルスの従兄弟。ちなみにエラガバルス・アレクサンデルとも、女系の孫である。
軍人皇帝時代[編集 | ソースを編集]
- なお、ここに挙げている軍人皇帝は軍・市民・元老院の認可を受けて帝国を統治できている者に限定している。帝位争いに敗れた泡沫皇帝や地方の自称皇帝など列挙するとキリがなくなるので。
- 功績があってもやるせない死に方をする、という人が多い気がする。
マクシミヌス・トラクス[編集 | ソースを編集]
- トラクスとはトラキア人(トラキアは現トルコのヨーロッパ側あたり)を意味する。恐らくゲルマン人出身。
- 軍人一直線だったが、成り行きで皇帝に。即位後もローマに寄りつかず、前線でゲルマン人相手に戦いまくっていた。
- しかし戦争ばかりしていて人気がなく、反乱が起きると待ってましたとばかりに元老院が別な皇帝を立てる。怒ってローマに進撃しようとしたが、その途上で近衛隊に暗殺される。
- 軍人一直線だったが、成り行きで皇帝に。即位後もローマに寄りつかず、前線でゲルマン人相手に戦いまくっていた。
ゴルディアヌス3世[編集 | ソースを編集]
- 元老院がマクシミヌスに対抗して立てた皇帝が次から次へと戦死ないし暗殺されたので、最後に残った一人目の対抗皇帝の孫が即位。ただし13歳だったので、近衛隊長官の舅が後見人になった。
- しかしササン朝ペルシアがシリアに侵入。遠征に行ったはいいが、途中で舅が急死した途端に狼狽してしまい、近衛長官にあっさり謀殺される。
フィリップス・アラブス[編集 | ソースを編集]
- そのゴルディアヌス3世を謀殺して皇帝に即位。渾名からも分かる通り、アラブ系。
- ペルシア遠征の途上で即位したが、ローマに戻りたい一心で戦果を放棄して講和してしまい、将兵の人望を失う。ローマに戻っても元老院のご機嫌ばかり取っていて国境や国外に関心を払わなかった。
- ゲルマン人が大挙してドナウ以南に侵攻してきたので、将軍のデキウスをバルカンに派遣したら、将兵がそのデキウスを皇帝に推戴してしまう。慌てて討伐に出発するがすでに遅し、元老院からも見捨てられて殺される。
- ペルシア遠征の途上で即位したが、ローマに戻りたい一心で戦果を放棄して講和してしまい、将兵の人望を失う。ローマに戻っても元老院のご機嫌ばかり取っていて国境や国外に関心を払わなかった。
デキウス[編集 | ソースを編集]
- そのデキウス、引き続きバルカンでゲルマン人のゴート族相手に戦い続けたが、戦死。ローマ史上初の外敵に殺された皇帝。
- なおこの頃から、国難にあっても何もしないキリスト教徒への迫害が激しくなる。
トレボニアヌス[編集 | ソースを編集]
- デキウス配下でバルカン半島で司令官をしていたら、皇帝に推戴された。しかしゴート族に平身低頭して講和したので将兵の支持を失い、エミリアヌスに反乱を起こされて殺される。
エミリアヌス[編集 | ソースを編集]
- 皇帝になったらすぐにヴァレリアヌスを推戴する軍隊の反乱が起きて殺される。
ヴァレリアヌス[編集 | ソースを編集]
- 一連の混乱を収拾して皇帝に即位。軍を再編したりキリスト教徒を迫害したりしてどうにかこうにか国内の立て直しを行う。
- ところがササン朝ペルシアがまたもやシリアに侵攻の兆しを見せるので、ペルシアに侵攻したらなんと敗北した挙げ句自身が捕虜にされてしまう。古代・東ローマ通じて二人しかいない敵国の捕虜になった皇帝の一人。
- おかげでローマ帝国は大混乱に陥り、とうとう帝国が三分される有様に。なお、キリスト教徒だけは「神の敵が滅んだ」と言って大喜びしていた。
- ところがササン朝ペルシアがまたもやシリアに侵攻の兆しを見せるので、ペルシアに侵攻したらなんと敗北した挙げ句自身が捕虜にされてしまう。古代・東ローマ通じて二人しかいない敵国の捕虜になった皇帝の一人。
- ペルシア側に記録はあるのだが信憑性に疑問があり、結局どうやって死んだのかは良く分かっていない。もっとも当時すでに70歳の老人だったので、大して長生きはしなかっただろう。
ガリエヌス[編集 | ソースを編集]
- ヴァレリアヌスの息子。留守番だったので皇帝になったが、ペルシアは勢いに乗ってシリアに侵攻するわ、ゲルマン人はここぞとばかりに侵入してくるわで、父親を助けるどころの騒ぎではなかった。
- ペルシアの侵攻はシリア・パルミラの有力者オダエナトゥスが食い止めたが、西方ではガリアがガリア帝国を名乗って独立。オダエナトゥスが死んだらその妻ゼノビアがシリアやエジプトを乗っ取ってパルミラ王国を樹立。ついに天下三分状態に。
- しかもゲルマン民族対策を優先するためにこの二ヶ国を放置したので、人気が大暴落して殺される。
- 軍の主力を歩兵から騎兵にシフトさせたり、元老院議員などの政治家と軍人のキャリアを切り離したりするなどの改革を行ったが、どちらも長い目で見れば裏目に出ている。
- しかもゲルマン民族対策を優先するためにこの二ヶ国を放置したので、人気が大暴落して殺される。
- ペルシアの侵攻はシリア・パルミラの有力者オダエナトゥスが食い止めたが、西方ではガリアがガリア帝国を名乗って独立。オダエナトゥスが死んだらその妻ゼノビアがシリアやエジプトを乗っ取ってパルミラ王国を樹立。ついに天下三分状態に。
クラウディウス・ゴティクス[編集 | ソースを編集]
- ローマ帝国が三分している状態で健闘し、ゴート族の侵入を撃退した事からゴティクス(ゴートに勝った者)と呼ばれる。
- 喜びもつかの間、今度は帝国内に流行した伝染病で病死。この後弟が元老院から皇帝に指名されるが、軍にソッポを向かれて自殺。
アウレリアヌス[編集 | ソースを編集]
- ゴティクスの弟に代わって皇帝に指名された軍人皇帝。即位早々、イタリアに侵入したゲルマン人を撃退している。
タキトゥス[編集 | ソースを編集]
- アウレリアヌスの死後皇帝のなり手がおらず、数ヶ月にわたって紛糾した末に皇帝に指名される。しかし本人は75歳の高齢で、即位するのを相当渋っていた様子。
- 仕方なしに即位してからは真面目に働いていたが、結局1年で病死。その後タキトゥスの弟が即位したが、軍がそろって司令官のプロブスを推したため即座に捨てられて殺される。
- 歴史家タキトゥスの血を引いている。
プロブス[編集 | ソースを編集]
- ゲルマン人の侵入や国内の反乱を討伐するため東奔西走し続けた生粋の軍人皇帝。ライン川やドナウ川を越えてゲルマン人領域に攻め込む事もしている。
- そこまではいいのだが、蛮族の侵入や内乱で荒廃した農地の再整備を軍の兵士達にやらせようとしたら、ゲルマン系が増えていた兵士達の反発を買って殺される。
カルス[編集 | ソースを編集]
- プロブス死後皇帝に指名された近衛隊長官。先帝が予定していたペルシア遠征に向かうが、砂漠で宿営中に悪天候に見舞われ、なんと宿営地に落雷。ひときわ背の高かった皇帝のテントに直撃して感電死。
カリヌス[編集 | ソースを編集]
- 父カルスの死後即位するが、軍に推戴されたディオクレスとの内戦が起きそうになったところで殺される。
ディオクレティアヌス[編集 | ソースを編集]
- 前項のディオクレスが皇帝に即位した際にこの名前に改名した。
- 帝国を防衛するために軍事力を増強し、集権的な統治を行うため官僚制度を整備した。
- おかげで、ローマはかつてとは似ても似つかぬ重税国家になり、統制経済、職業固定化など、自由な空気は失われていった。
- 一人では目配りが行き届かないので、皇帝はついに4人並立に。おかげで宮廷や官僚組織も4倍。
- キリスト教徒迫害したけど妻と娘がキリスト教徒なんで共感は持ってた
- ローマ皇帝=神 にした張本人。自分を神と宣言するとは正気ではない。
テトラルキア[編集 | ソースを編集]
- ディオクレティアヌスの改革により、「ガリア&ブリタニア&ヒスパニア」「イタリア&アフリカ」「バルカン」「アジア&シリア&エジプト」の四地域に行政区が分けられ、それぞれ西方副帝・西方正帝・東方副帝・東方正帝の分担になった。
- 最初はコンスタンティウス・クロルス・マクシミアヌス・ガレリウス・ディオクレティアヌス。この頃はまだうまく行っていた。
- ディオクレティアヌスとマクシミアヌスが引退して、副帝が正帝に昇格。コンスタンティウス・クロルス・セヴェルス・ガレリウス・マクシミヌス・ダイアと代わる。
- ところが今度は西方正帝コンスタンティウスが死ぬと、副帝のセヴェルスが正帝に昇格しようとするが、コンスタンティウスの息子コンスタンティヌスが帝位を主張し、さらにマクシミアヌスの息子マクセンティウスがセヴェルスを殺害し、引退していた父親を引っ張り出してイタリアで正帝に即位。帝位を巡る内乱に突入。
- 引退していたディオクレティアヌスが調停して、妥協成立。コンスタンティヌス・リキニウス・ガレリウス・マクシミヌス・ダイアの4人体制に。イタリアを制していたマクセンティウスは、簒奪者呼ばわりされる。
- マクシミアヌスが反乱を企てて死亡、ガレリウスも翌年死去。東方正帝はリキニウスが兼任する事となり、コンスタンティヌス・リキニウス・マクシミヌス・ダイアとなる。マクセンティウスはいまだイタリアを制圧中。
- コンスタンティヌスがイタリアのマクセンティウスを攻めてこれを倒す。その間、リキニウスはアジアでマクシミヌス・ダイアを破る。これでコンスタンティヌスとリキニウスが東西で並び立つ。
- コンスタンティヌスがリキニウスを破り、唯一のローマ皇帝となる。皇帝が次々と入れ代わるややこしい内乱であった。
コンスタンティヌス朝[編集 | ソースを編集]
コンスタンティヌス1世[編集 | ソースを編集]
- キリスト教を公認・保護した事によって後世から大帝と呼ばれる。ローマ帝国史上随一の勝ち組皇帝。
- が、古代ローマびいきから見ればローマの自由な風潮を消してしまったただの専制君主。だいたいキリスト教を保護したのだって民衆を都合良く支配するための道具にしただけとか批判も多い。
- 原語でいえば、大帝(magnus、マーニュス)の称号をもらった人は他にもいる。代表的なのはポンペイウス。
- 新都コンスタンティノポリスを建設した。ただし、彫刻だのなんだのといった美術品はよその都市から無理矢理かき集めている。
- つまるところ、この頃のローマは壮麗な建築や美術品を制作する人や金にも事欠いていたという事らしい。
- 昔からのローマのインフラの維持管理費が嵩んだのが彼が行った遷都の理由の一つとされる。どこか現代にも通じるところがある。
コンスタンティウス2世[編集 | ソースを編集]
- コンスタンティヌス1世の死後、兄のコンスタンティヌス2世、弟のコンスタンス1世と帝国を三分した。
- ちなみに長男がガリア・ヒスパニア・ブリタニア、次男がアジア・シリア・エジプトとバルカン東部、三男がイタリア・バルカン西部・北アフリカ。
- 大体の想像はつくかと思うが、長男と三男がいがみ合ってまず長男が死に、その後三男も部下に反乱を起こされて死亡。残った次男が反乱起こしたマグネンティウスを倒して再統一。
- 安心したのも束の間、副帝にしていた従兄弟を謀反の嫌疑で処刑したら、次の副帝に任命したもう一人の従兄弟が軍に推挙されて反乱。この辺りからローマ帝国のgdgd感がウナギのぼり。
- 次の皇帝のユリアヌスが皇帝に推戴され、内戦になりそうになった時に調度いいタイミングで病に倒れた。そしてユリアヌスを指名して死去。ローマは疲弊を免れた。
ユリアヌス[編集 | ソースを編集]
- その反乱を起こした従兄弟が、コンスタンティウスの病死によって皇帝に繰り上げ即位。
- 先々代・先代の二人があまりにもキリスト教を贔屓していたのを改めて従来の宗教との平等性を保とうとした。
- おかげで中世のキリスト教徒から背教者呼ばわりされた。別に弾圧したわけでもないのだが、キリスト教徒は異教徒・異端者・棄教者の三つが大嫌いなので。
- 宗教政策もそこそこにペルシアに遠征したら戦死。享年31、正帝の在位期間は1年半だった。
- この後従軍していた将軍の一人が皇帝に選ばれたが、遠征からの帰国途上に一酸化炭素中毒か何かで急死したので割愛。
- 皇帝になるための教育や経験がほとんど無かったにも関わらず、結構な功績を残した。彼の治世はローマ帝国が勢力を盛り返すラストチャンスだったと思う。
ヴァレンティニアヌス朝[編集 | ソースを編集]
ヴァレンティニアヌス1世[編集 | ソースを編集]
- 弟のヴァレンスと一緒に皇帝に即位。自分が西側、弟が東側を統治した。
- とにかくそこら中からゲルマン民族が侵入してきたので戦って戦って戦いぬいた。
- かなり気の荒い性格だったようで、ペットに熊を飼っていて気に入らない相手や失態を犯した部下は熊の餌になっていたとか。
- 挙句、ゲルマン民族との交渉中に癇癪を起こしたら脳の血管が切れて死んだ。
- 兄の死の翌年、ゴート人がドナウ川を渡って大移動を開始。弟のヴァレンスは迎え撃ったが敗死。
グラティアヌス[編集 | ソースを編集]
- 父ヴァレンティニアヌスの後を継いで西ローマ皇帝に即位。叔父が死んだ後の東ローマには、配下のテオドシウスを共同皇帝として派遣。
- ブリタニアの反乱を討伐に行ったら部下に裏切られて死亡。
テオドシウス1世[編集 | ソースを編集]
- グラティアヌスに共同皇帝に指名されて東方に行っていたらそのグラティアヌスが死んだので統一皇帝に。
- これまでの政策に沿ってゴート人の移住を受け入れたが、昔と違ってゲルマン民族はローマの制度や文化に従わずに独立国然とした振る舞いを続けた。いわゆる民族大移動はこういう形で始まった。
- キリスト教を国教にした事で後世から大帝と呼ばれているが、過大評価気味。
- 彼の時代に従来のギリシア・ローマの宗教は全否定され、古代オリンピックも廃止。
- 宗教政策については聖職者のアンブロシウスにコントロールされていた。キリスト教徒の暴動を力づくで鎮圧したら破門宣告されて詫びを入れる羽目に。カノッサの屈辱の走りまでさせられているのに大帝とはこれいかに。
- 彼の時代に従来のギリシア・ローマの宗教は全否定され、古代オリンピックも廃止。
西ローマ帝国[編集 | ソースを編集]
- 別にローマ帝国が国家として正式に分断されたわけではなく、単に東西で皇帝二人が分割統治しただけなのだが、東西がロクに連携してない上に西があっさりポシャったのでこういう名称で呼ばれている。
ホノリウス[編集 | ソースを編集]
- テオドシウスの次男で、西帝国を継承。しかし幼少だったため、舅でもあるゲルマン民族出身の武将スティリコが後見人になっていた。
- なのに成長するとゲルマン民族相手に悪戦苦闘してたスティリコを処刑。おかげで西ローマはゲルマン民族の草刈り場と化した。
- 30年近い在位で特に建設的なことをしないまま死去。EDだったらしく子供すらいない。この時点で西ローマ帝国はイタリアを実効統治するのが精一杯の末期状態。
ヴァレンティニアヌス3世[編集 | ソースを編集]
- ホノリウスの妹の息子。伯父の死後、東ローマの肝煎りで西皇帝に。ただしこの時5歳。
- なので国政はアエティウスとボニファティウスの二人が牛耳っていたのだが、この二人が抗争した挙げ句ボニファティウスがゲルマン民族のヴァンダル人を招き寄せ、ついに西ローマの穀倉地帯だったアフリカを取られる。
- 敗れたアエティウスはフン族に亡命し、ボニファティウスの死後帝国の国政に返り咲き。その後アッティラに代替わりしたフン族やゲルマン民族相手に健闘。
- ・・・が、成人した皇帝はアエティウスが気に入らないので処刑。翌年、皇帝自身もアエティウスの元部下に殺された。
- 牛耳っていたのはむしろホノリウスの妹・ガッラ・・・といってももはや誰も帝国を「牛耳る」というほど統制できなくなっている。
- 敗れたアエティウスはフン族に亡命し、ボニファティウスの死後帝国の国政に返り咲き。その後アッティラに代替わりしたフン族やゲルマン民族相手に健闘。
ペトロニウス・マクシムス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その1。ヴァレンティニアヌスの後任として即位するが、直後に北アフリカのヴァンダル王国がローマに襲来。右往左往している間に暴徒化した市民に殺される。
- その後ローマはヴァンダルによって略奪。ローマ法王の仲介により虐殺は無かったが、教会関係者以外のほぼ全財産を奪われた。
アヴィトゥス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その2。ガリアを支配する西ゴート王国の推薦で即位するが、リキメロスを筆頭とする皇帝官僚の反感を買って殺される。
マヨリアヌス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その3。アエティウス配下の軍人。ガタガタな国内の立て直しに尽力するが、ヴァンダル討伐に大失敗して反感を買った部下に殺される。多分裏で糸を引いたのはリキメロス。
リヴィウス・セヴェルス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その4。リキメロスの傀儡で、そのうち用済みになって殺されたらしい。
アンテミウス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その5。東ローマの高級軍人出身。東西ローマ合同でヴァンダル討伐に向かうがまたしても大敗して、地中海の制海権はヴァンダルに完全に奪われた。
- 当然リキメロスに見捨てられ、対立皇帝に敗れて戦死。
オリュブリウス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その6。アンテミウスを倒して即位したが、リキメロスが病死した後暗殺。
グリュケリウス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その7。東ローマが皇帝に指名したユリウス・ネポスに敗れて逃亡。
ユリウス・ネポス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その8。東ローマ皇帝の後押しで西皇帝になったが、天下り皇帝に反感を抱く西の高官達にクーデターを起こされ東帝国に亡命。
ロムルス・アウグストゥス[編集 | ソースを編集]
- 末期の泡沫皇帝その9。クーデターを起こした高官のリーダー・オレステスの息子。ローマの伝説の創始者と初代皇帝の名前を名乗っていたが、結局最後の皇帝になった。なんという歴史の皮肉。
- なお西ローマ滅亡の経緯だが、オレステスに反乱を起こした軍人のオドアケルが幼帝を退位させ、ついでに帝冠を東ローマに返上してイタリア王を名乗ったため。東ローマ帝国と違って、劇的さのカケラもない滅亡だった。
- 彼自身は天寿を全うしたらしい。