三国時代 (朝鮮半島)
全般[編集 | ソースを編集]
- この時代に日本軍に勝利した栄光を、いまだに韓国人は忘れていない。
- ただ、それまで百済は日本の属国扱いであったことを韓国人は知らない。やっぱあほだ。
- 現在では同盟国扱いだったということになっている。しかし反日の韓国教科書が親日の百済をやたらと持ち上げる構図はよくわからない。
- 勝利したのは唐軍なのに、自分たちの力で勝った気でいる。やっぱあほだ。
- 陸戦は新羅が担当してるぞ。倭国は新羅の百済への圧迫を弱めるために二万の大軍で新羅を攻撃したが、南端の城二つぐらいしか占領できずに、新羅の勢いも止められなかった。また、新羅軍の騎兵に圧倒されて倭軍は後退、それによって後続は上陸を断念して、そののまま西進、ここで唐の水軍に壊滅させられた。この後の陸戦も唐・新羅の連合軍による一方的なものに。森公章教授は朝鮮三国、その中でも特に新羅の外交を賞賛する一方で、敗勢濃厚な百済と組んだ倭国を無策と批判してるね。結局のところ外交で敗北してるから戦争でも敗北したわけだ。戦争など外交の一手段にすぎん。長い記事
- というか、地理的に百済が韓国で高句麗が北朝鮮じゃない?
- 三国時代の朝鮮で一番注目されてるのは高句麗と隋唐の戦争だよ。白村江は朝鮮、中国では対百済戦争の単なる一つに過ぎず、扱いも大きくない。旧唐書によると唐水軍の指揮官、劉仁願は対峙する400隻の敵軍を百済軍と認識し、その中に「倭衆」が紛れ込んでいるという認識だった。
- ただ、それまで百済は日本の属国扱いであったことを韓国人は知らない。やっぱあほだ。
- 韓国では新羅、百済は中国大陸にあったという説もある。
- 韓国側の史料なんぞ何ひとつ無いのに……
- この時代の韓国について記してある資料は日本書紀だけ。韓国の学会では日本書紀の記述に基づいて研究している。
- 日本書紀の中での韓国に都合が悪い(=日本にとっては都合がいい)内容は捏造だと考えたいが、日本書紀の通りの遺跡が次々と発掘されている。
- 発掘し始めたのは日本の植民地だった頃だけど。
- 日本人を喜ばせたくないという理由で、遺跡を埋め戻して無かったことにしたケースも。
- 日本書紀の中での韓国に都合が悪い(=日本にとっては都合がいい)内容は捏造だと考えたいが、日本書紀の通りの遺跡が次々と発掘されている。
- この時代の韓国について記してある資料は日本書紀だけ。韓国の学会では日本書紀の記述に基づいて研究している。
- 韓国側の史料なんぞ何ひとつ無いのに……
- 三国の戦乱で半島から追い出された人が、日本に逃げてきた。
- しかし日本でいくら戦乱が激しくなっても、半島に逃げる人はほとんどいなかった。
- 日本と結構深い関係にあった国の人間(朝鮮半島的には異端)だから不思議って訳でもないがな
- しかし日本でいくら戦乱が激しくなっても、半島に逃げる人はほとんどいなかった。
- 中国の大部分が韓国の領土だったらしい。
- 古代怪獣コダラーとシラリーが激しい戦いをしていた。
- 朱蒙が漢にも負けない剣を造った。
- 中国の刀剣は鋳鉄、つまり鋳物なので、もともと切れ味は悪い。従って、実はそんなに自慢にならない。
- 当時の中国を技術的に上回るものをつくったのなら、十分、自慢になる
- 日本はまだ銅剣だったからな
- 唐は新羅は別名:「日本」と呼んでいた事があった
- 太陽の下(中国からみた東の方角)だから別におかしくないんじゃね?
- 百済・任那は新羅と違って日本人と何かしら関係のある民族の国家である可能性が高い。
- 朝鮮の二国くらいは日本の植民地だったろ
- 現在の歴史学会では、そのような説は受け入れられてない。
- 朝鮮の二国くらいは日本の植民地だったろ
- この時代に日本から稲作が伝わった。
新羅[編集 | ソースを編集]
統一後については新羅を参照。
- 朝鮮の属国化を招いたと批判される新羅だが、唐は元々大同江以南を新羅領とする考えであわよくば新羅の併合を考えていたが、唐と戦争して大同江以北にある清川江以南の所有を認めさせたり、日本の親新羅派を支援して天武天皇を即位させたり、やることなすことスゴイと思う
- 唐は朝鮮全域を支配する考えだったが、新羅との対決に敗れて都護府を遼東に撤退させ、晴れて新羅による統一がなった。この時活躍したのが、下級貴族や地方豪族。中央貴族ではなかった。井上秀雄「古代朝鮮」より
- 現在の韓国は新羅色が強い。慶州が優遇されて全州(+済州島)は冷遇されている。
- 韓国語では、シルラという。
- 王家は、はじめパク(朴)氏、やがてソク(昔)氏、のちキム(金)氏になった。
- ドラマ、キム・スロに出てくるソク・タレがこのソク氏。
- 初代の王の名前は、パク・ヒョッコセという。
- 24代のチヌン(真興)王の頃から、ミシルという謎の女性に国政を牛耳られた。
- 26代のチンピョン(真平)王は、花郎(ファラン)を創設した。
- 花郎は、貴族のむすこたちで構成された武装集団。
- イケメンが選ばれ、戦場に赴く前は化粧をしたという。
- 百済の武王に嫁に行った王女は、この王の娘。
- 花郎は、貴族のむすこたちで構成された武装集団。
- 27代の王は女性で、名前をソンドク(善徳)女王という。
- 28代の王も女性である。
- 29代のムヨル(武烈)王のとき、唐と連合して百済と高句麗を滅ぼした。
- 功臣が、キム・ユシン。
- 鉄の王キム・スロ(伽耶王)の子孫。
- 功臣が、キム・ユシン。
百済[編集 | ソースを編集]
- 百済から日本へ大量の難民がやってきた。
- 遣隋使や遣唐使だけでなく遣新羅使や遣高句麗使には通訳が同行していたという記録があるが、遣百済使に通訳が同行したという記録がないことから、どうやら、百済の言葉は日本語に近かったという説がある。
- そのため、百済からの難民が日本に来ても言葉の壁で苦労することは少なかったとされる。
- 遣隋使や遣唐使だけでなく遣新羅使や遣高句麗使には通訳が同行していたという記録があるが、遣百済使に通訳が同行したという記録がないことから、どうやら、百済の言葉は日本語に近かったという説がある。
- 百済滅亡後も百済王は日本国内に存在していた。
- いわゆる亡命政権。続日本紀、日本後紀、続日本後紀といった史料には、「百済王」が日本国内に居住し百済王権を継承し続けていると記されている。
- 実は百済から渡った百済王は日本に滞在していた、その時中臣鎌足も歴史上にいたが百済王が白村江に居た時には歴史から姿を消している。さらにあとあとのことを考えると実は中臣(藤原)鎌足=百済王の可能性が・・・。
- 「百済王」の読み方は「くだらのこにしき」。
- こにきしね。小錦ではない。
- 日本に亡命した百済王族の子孫ということで「王」が含まれる姓を名乗ってはいたが、事実上は天皇に仕える貴族。藤原氏や橘氏、菅原氏といった一流どころには遠く及ばない三流貴族扱いされており、出世しても正四位上が精一杯だった。
- 唯一の例外は桓武天皇の実母がこの百済王氏の出身だということ。百済王氏にとっては一族の頂点を極めたエピソードであるが、桓武天皇自身は実母が三流貴族の出身という身分の低さを生涯コンプレックスとしていた。
- 百済王氏は清和天皇の頃になって史料から姿を消す。
- 百済王氏は現在の大阪に居を構えていたという記録が残っているが、大阪の地名に残る「百済」との関連性は不明。
- 朝鮮系の氏族というと秦氏と東漢氏が有名で、百済王氏や高麗氏はあまり知られていない
- いわゆる亡命政権。続日本紀、日本後紀、続日本後紀といった史料には、「百済王」が日本国内に居住し百済王権を継承し続けていると記されている。
- 韓国語では、ペクチェという。
- 高句麗と同じ、軍事部族だった。韓国を征服した。
- 新羅は農耕部族。韓国の先住民。
- 初代オンジョ王は、伝説によると高句麗初代王のチュモンの次男。
- 13代のクンチョゴ(近肖古)王は、高句麗と戦って勝利し、中国の東晋に使者を送った。
- 17代のアシン王は、高句麗と戦って敗北した。
- 26代の聖明王は、仏教を日本に伝えた。
- 27代の威徳王は、ドラマ(ソドンヨ)によれば街中で暗殺された。
- 30代の武王が、ドラマのソドンヨの主人公。
- ソドンヨというのは、武王が新羅の王女を妻に迎えようとして用いた策略。
- 新羅の都に「王女が夜な夜な男といちゃついている」という意味の歌を流行らせた。
- ソドンヨというのは、武王が新羅の王女を妻に迎えようとして用いた策略。
高句麗[編集 | ソースを編集]
- 「高句麗は中国の地方勢力であった」という学説が中国で一般化しつつあり、韓国学会は猛反発中。
- 中国の地方勢力というのは違うと思うが、今の韓国ともなんの関係もないはず。
- 北朝鮮が国家崩壊したら、その地域を中国領にして韓国に渡さないための、理由付けだと見られている。
- ツングース系の国だから半島民族ではない。とはいえ中国の「地方」というのも・・・。満洲の国家というのがピッタリ。
- 韓国語で、コグリョという。
- 初代の王は、ドラマで有名なチュモン(朱蒙)。
- 弓がうまい人、という意味。
- ドラマでは、目隠しして10本の矢をすべて的に当てていた。このシーンは、ドラマの名シーン。
- 弓がうまい人、という意味。
- チュモンのむすこが、ユリ王。
- ユリ王のむすこが、ムヒュル王。
- 19代の王が、ドラマで有名になったクァンゲト大王(広開土王。日本では好太王という)。
- 名前は、タンドクという。
- ヨン様が演じた時は神話的な描き方だったが、イ・テゴンが演じた時はリアルぽかった。
- むすこが、チャンス(長寿)王。
- 26代のヨンヤン王のとき、隋の大軍を迎撃して大勝利した。
- 27代のヨンニュ王は、唐に対して弱気だったので臣下のヨン・ゲソムンによって退位させられた。
- 最後の王は、ポジャン王。唐に滅ぼされた。
朝鮮半島史 |
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