三越
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三越の噂[編集 | ソースを編集]
- 日本では最高級ブランドの百貨店。
- 但し関東以外ではそうでもない事が多い。名古屋なら松坂屋の方が上だし(名古屋には三越もある)、大阪は大丸・阪急が格上な上にいろんな事情もあって店を畳んだ(でも10年くらいしたら大阪駅北口に再出店する)。
- 同様に広島や松山や福岡や鹿児島などでも同様に2番店以下の扱いである。地方都市で三越が優勢なのは高松や仙台などであろう。更に遡ると、神戸や倉敷にもあった。
- 千葉に至ってはあのそごうの後塵を拝している。
- そごうの項目を見ると広島でも三越<そごうという認識っぽいが。
- 千葉三越、とうとう撤退しちゃいました…
- その通り。そもそも関西でブランドと呼ばれるには、梅田か神戸(三宮)あたりに出店することが必要条件。三越は関西では地味なイメージしかない。
- 逆に関東では阪急百貨店が地味な存在に終わっている。
- そもそも大阪では、他にまともな百貨店がなかった京阪沿線を除いては、三越のネームバリューもそれほどではなかった。
- その点松坂屋と似ているかも。
- 北浜の他枚方にもあった。
- 神戸店があったのは元町商店街の西端あたり。ちょっと場所が悪かったためか1980年代に閉店。
- もし存続したとしても阪神大震災で建物が被害を受けそれが閉店の引き金になっていたかも…。
- 梅田と言えばJR大阪駅の駅ビルに伊勢丹と共同で出店する前に旧国鉄大阪鉄道管理局跡地(今ヨドバシ梅田のある場所)への出店計画もあった。
- 戦前に南海難波駅の駅ビルに出店する計画があったが高島屋に負けた。もし実現していたら大阪においても三越のネームバリューは上がっていただろう。
- そごうが経営難に陥った時、心斎橋のそごう大阪店を買い取るという話もあったらしい(結局はそごうが建て替えるも閉店→大丸へ)。
- 鳴り物入りで大阪ステーションシティに伊勢丹と共同で出店するも、阪急阪神や大丸と言った既存勢力に押されて大惨敗。完全撤退はしなかったもののルクア1100の1テナントに格下げされた。
- ダイヤモンドシティにも出店しているが、イオンに食われた辺りから×××
- 名取(エアリ)と武蔵村山(ミュー)からさよならする予定。
- 但し関東以外ではそうでもない事が多い。名古屋なら松坂屋の方が上だし(名古屋には三越もある)、大阪は大丸・阪急が格上な上にいろんな事情もあって店を畳んだ(でも10年くらいしたら大阪駅北口に再出店する)。
- 入口にはライオンの像がある。
- 人目に付かないでライオンの背中に乗れたら願い事が叶うという都市伝説がある。
- 吉幾三がザ・ベストテンでまたがった。
- 大阪北浜の難波橋はライオンの像があることから「ライオン橋」の愛称がついている。三越のライオン像とは無関係なようだがかつて北浜には三越があった。
- 人目に付かないでライオンの背中に乗れたら願い事が叶うという都市伝説がある。
- ホルスタインみたいな包装紙が有名。
- 一般的におなじみなのは赤牛模様。弔事用に青牛模様もある。
- 包装紙に筆記体で「Mitsukoshi」とロゴが書いてあるが、実はそれ書いたのは三越社員時代のやなせたかし氏であることはあまり知られてない。
- いいともでおなじみのアルタ(新宿・池袋サンシャイン・札幌・新潟)もここの店舗。
- 現在は売却されダイビルの持ち物。
- 名古屋には「ラシック」てな店も出してる。
- 名古屋栄本店・星ヶ丘店は元は「オリエンタル中村」という名古屋の地元百貨店を買収したもの。
- だから名古屋も未だに「本店」の称号がついている。
- テレビ東京と縁がある。
- 「縁がある」とはいえ、日本経済新聞や糸山英太郎氏ほどテレ東の株を持っているわけではない。
- 旧三井財閥の原点
- 悪徳商人の代名詞である越後屋が前身
- 江戸時代に新商法で繁盛した三井越後屋を恨んだ連中が、裏で袖の口をしているのではと妄想したため、ベタな時代劇に登場するようになったと言う噂がある。
- その割に、テレビ局のスポンサーにもなっていそうな企業なのに、三越が越後屋の登場する時代劇に苦情をいったという噂を聞かないのが不思議だ。
- 現社名は「越後屋」じゃないからね…
- 2014、2015年の春のキャンペーンで日本橋本店に「越後屋、お主も春よのう。」と書かれた巨大垂れ幕を出し、買物客の度肝を抜くwww
- 2023年、今度は時代劇で越後屋がよく持ってくる「金箔付き饅頭入りの箱の下に小判の箱がある重箱」を予約販売。お値段なんと2580万円。
- その昔、大事件を起こした。
- 「何故だ!」
- 傍若無人な下請け叩きから、ヤマト運輸に取引停止を突きつけられたこともある。
- でも、最近になって和解したようで、取引を復活させた。
- 傍若無人な下請け叩きから、ヤマト運輸に取引停止を突きつけられたこともある。
- 「何故だ!」
- 今はなき横浜店は元々は高島屋の場所に相模鉄道から出店要請があったが『砂利置場に店なんか出せるか!』と一蹴。その後の反映振りを見て某学校法人から現ヨドバシの土地を急遽賃貸と鼻の高さが仇となった例。
- テナントの出店計画が物凄いヘタクソ。だから売り上げも振るわない。
- 売上高・客単価とも日本一の超優良店である本店(日本橋)の利益を地方店の不振で帳消しにしている構図がずっと続いている。
- イオン系SCにコバンザメで入店することが多いが、ことごとく失敗してる。
- 新宿駅前東口の「スタジオ アルタ」や「プランタンギンザ」は関連会社。
- プランタンはダイエーのもらい物。
- てか読売新聞との合弁企業
- プランタンはダイエーのもらい物。
- 2008年4月に伊勢丹と経営統合する。
- 巨人とも縁がある。
- 名古屋栄本店には、昭和30年代の名残を留める巨大遊具として、子供用観覧車がしばらく前まで現役で存在した。
- そして現在では、すぐ近くに巨大な観覧車が建っている。
- 松坂屋と同じく松阪の商人が始めた。
- 大塩平八郎に襲撃されたことがある。
- 当時は金融業もやっていたため。
- 今の三井住友銀行?
- 当時は金融業もやっていたため。
- 日本橋の本店があるところにはその名の駅がある。
- 半蔵門線の終点だった時代もあるが、田園都市線が直通する傍らで東急百貨店を持つ東急が嘆いた。
- 東急百貨店は電鉄系、三越は呉服屋系。系統が違うので東急百貨店側はさほど気にしていなかった。
- もっとも東急百貨店の法人としての源流は呉服屋系の白木屋だし、かつて五島慶太が三越の乗っ取りを図った因縁もある。
- そのせいか、しばらく箱崎まで開通するまで田園都市線の各駅での行き先アナウンスがなされなかった。
- 東急百貨店は電鉄系、三越は呉服屋系。系統が違うので東急百貨店側はさほど気にしていなかった。
- 上野広小路の松坂屋に次いで、銀座線建設に出資した名残。
- 逆。出資により駅名に「三越」を冠する事に成功した三越を見た松坂屋が負けじと言い出したのが正しい。後出しなので松坂屋前とは出来ず副名称に留まる松坂屋にとっては悔しい歴史。
- 半蔵門線の終点だった時代もあるが、田園都市線が直通する傍らで東急百貨店を持つ東急が嘆いた。
- 商店を楽しむ場所に変えた元祖でもある。
- 池袋店と鹿児島店を閉店させといて丸井今井を援助するなど、スクラップ&ビルドを進めつつある。
- 丸井今井への出資は高島屋をけん制するためと言われている。もし丸井今井が高島屋阪急阪神陣営になれば、五大都市をすべて押さえられてしまうことになり、シャレにならない…
- 鹿児島の場合山形屋の威光が強すぎたから。
- ここの外商部員さんは、上得意さまのお宅に営業に伺ったとき、庭の手入れまでやってくれる。
- 小型店舗の盛岡店は2009年3月1日に閉店。
- アメリカのディズニーワールド内に店舗を持つ。ディズニーの施設内でピカチュウが買えるのはここだけ!
- あのマクドナルド日本1号店は銀座三越1階にあった。創業者の藤田田氏が当時の店長と直談判して「(定休日を挟んだ営業時間外の)40時間で工事をすべて終わらせる」という無茶な要求を呑み込んでまで出店した。
- 戦前、東急が三越の乗っ取りを画策したことがあったが、さすがに三井財閥にブチギレられて、断念した。
- 北浜にあった三越大阪店は阪神大震災で建物が損傷して建て替えの際店舗面積を縮小、最終的には閉店した。今は跡地にタワーマンションが建っている。
- 建て替えとは言っても全てではなく損傷の激しかった部分だけ。当時から大阪では勝算はない、とみていたのだろうな…。
- 建て替えた場所は2階建てくらいの小規模なもので、仮設っぽかった。残った場所の高さはそのままだったがなぜかエスカレーターがなかった。
- あの場所には活断層が通っていたらしい。
- 建て替えとは言っても全てではなく損傷の激しかった部分だけ。当時から大阪では勝算はない、とみていたのだろうな…。
- 昔は、直営の交響楽団を持っていた。
- 1909年〜1925年にあった「三越少年音楽隊」(後に三越音楽隊)がそれである。
- 音楽関連では、大正時代から昭和初期に三越ブランドの蓄音器とレコードも販売されていた。
- 小型店舗は全てエムアイプラザになるのだろうか。