上田市
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上田市の噂[編集 | ソースを編集]
- 8年くらい前には千曲川の川岸に「目指せ20万都市 活力あるわが郷土」という看板が立っていた。今でもあるの?
- 私服の県立高校は比較的頭がいい。手に職が付く。
- 国道18号の一部は産業道路と呼ばれている。
- 車屋がこれでもか!と並んでいる。
- ただし、この通りにあるカーディーラー店はほとんどが国産メーカーの店舗。輸入車はフォルクスワーゲンの1店舗だけである(この辺で輸入車ディーラーが多い地域は東御市になる)
- 駅前のデカイ水車は電動で回している 節約のためか深夜は回転していない。
- その前にお城口の無駄なイルミネーションも省エネの為に何とかしたほうがいいかも。
- ちなみに水車は、その目の前にある電球1コの電力を発電しているという名目で設置されているが、それ以上に水車を回すために電気を使っている。何がしたいんだ…
- 青と赤というLEDの毒々しい配色センスも何とかしてほしい。
- なぜか都市銀行である「三井住友銀行」の支店がある。30数年前までは富士銀行(現、みずほ銀行)もあった(閉店の際に救急車を寄付)。
- その前はさくら銀行だった。
- その前は太陽神戸銀行、さらにその前は東京相互銀行。
- 現在は隣県の群馬銀行の県内唯一の支店もある
- まあ嬬恋村(群馬県)は上田市の商業圏内だしね
- 蚕つながりで、上田と群馬県は歴史的に関係が深いからだよ。
- その前はさくら銀行だった。
- 日本でも有数の少降水量地なので、冬になると他の地区が大雪でもここだけ雪が降らない。
- 雪は降らないわけではない。ただ、上小地域で式典等の挨拶には必ずと言って良い程降水量の少ない地域であると言う口上がある。
- 雪が降らなくても道がしみる(凍る)事が多いため、雪道・氷道の歩き方は熟知している。
- 雪が少ないのは事実だが、雪解けが遅い為、解けきる前に、又雪がふるという関係で、他県の人から見ると、雪が多いイメージを持たれる。
- 実際、降水量が全国的に少ないということで塩尻地区にはS&B食品や日清ファルマの工場(カレー粉作ってたりする)がある。
- 市内にアルミ鋳造工場が多いのも、空気が乾燥しているから。
- 県内第三の都市なのに、天気予報ではあまり登場しない。(中信は、松本と軽井沢)
- ヒント:気象台。
- ただし、最近は県内3地区をさらに細分化し、その主要地域を表示する天気予報が多いので、飯山、木曽、伊那等とともに登場機会は増えている(何故か長野朝日放送だけは上田は出てこない)
- 坂城までは雪でも上田は晴れ。
- 坂城町近くは谷がせまくなっている。谷を鉄塔1本で千曲川ごとまたぐ高圧電線が北信と東信のさかい。
- 地元のケーブルテレビではMXが見れていたが最近デジタル放送のchがかぶり再送信をしなくなった。
- 明治初期までは確実に信州の中心都市。大和時代には国造が派遣され、奈良時代には国分寺が建造され、鎌倉時代には北条氏が居を構えていた。戦国時代からは真田氏の居城がおかれ、仙石氏、松平氏と引き継がれ、明治維新に至る。
- 大正時代の蚕糸業が盛んな時は蚕都として信州の中心どころか、全国の中心に。その後、繊維業の没落と共に衰退し、ついには天気予報にも軽井沢に座を譲る結末となる。
- 今後、県境に接している信州の大都市、長野、松本と張り合う為には、坂城町、東御市、青木村との合併はかかせない。いずれにしても、信州の比較的大きな都市は全て県境と接しているのは恥ずかしい限りである。(上田市も真田町との合併でついに群馬県と接してしまった。)
- 何が言いたいのか全く分からん。
- 県境と接して恥ずかしいとか言うセンスがわからん。内陸県が合併すりゃそうなるだろうよ。
- 今後、県境に接している信州の大都市、長野、松本と張り合う為には、坂城町、東御市、青木村との合併はかかせない。いずれにしても、信州の比較的大きな都市は全て県境と接しているのは恥ずかしい限りである。(上田市も真田町との合併でついに群馬県と接してしまった。)
- 大正時代の蚕糸業が盛んな時は蚕都として信州の中心どころか、全国の中心に。その後、繊維業の没落と共に衰退し、ついには天気予報にも軽井沢に座を譲る結末となる。
- 『真田太平記』(池波正太郎原作。1985年に、NHK新大型時代劇としてドラマ化された)の記念館がある。
- 「富士山」という地名がある。
- 「富士見台」という地名もある。
- 冬の天気のいい日に太郎山・小牧山・染谷台など高所から富士山が見えるが、息を飲むほど美しい。見た人は幸運。
- 外国人が非常に増えている。産業道路を歩いているとすれ違う人間が全て外国人であることも・・
- 合併で長野市に迫ってきた。
- 松本市ともくっついた。
- ただ、あまり親密ではない。
- 大屋駅、妙に市域の隅っこすぎ…。
- 長野大学の所在地だ。しかも、昔は「本州大学」だなんてもっと大胆な大学名だった。
- 上田にあるが、略称が「千曲」という高校がある(上田千曲高校)。千曲川にちなんだものみたいだが、ただ千曲市あたりからの反応が…。
- 千曲市が千曲市と名乗る50年以上も前から上田千曲高等学校ですからねぇ。
- 上信越自動車道・上田菅平インターチェンジは菅平から随分遠い。
- IC建設時に利益団体が圧力かけたんだってさ。
- 実は上田にも「塩尻」とつく地名がちらほら。
- 「諏訪」がつく地名もちらほら。
- その塩尻地区が江戸から明治期にかけて養蚕の本場だった。今はひっそりと小岩井紬工房という工房で「上田紬」が織られている。
- 蚕歴史館がある。
- 千曲公園は上田にある。千曲市ではないが、千曲川沿いだから間違ってはいない。
- 2003年に更埴市が千曲市名乗ったときにはビックリしたものだ。
- もともと信濃国の国衙は上田にあった。そして松本にとられた。
- 松本に行ったり上田に来たり…
- 大胆にも信州の鎌倉と名乗っている。
- 別所温泉の事かな? あそこは確かに信州の鎌倉だ。
- 上田電鉄の丸窓電車が鉄ヲタに注目されているのを誇りに思っている?
- と思っているのは鉄ヲタだけ。そもそも市民は上田電鉄に乗らない。
- だいじな通勤通学の足ですよ…。
- 上田イトーヨーカ堂は上田電鉄の丸窓電車弁当の宣伝をしっかり手伝っている。
- と思っているのは鉄ヲタだけ。そもそも市民は上田電鉄に乗らない。
- 上田市には日系南米人が非常に多い。
- 隣の東御市にも多いらしい。
- 合併に際し、名目上は新設対等合併ということであったが、新市役所は上田、新市名も上田、新市長も前上田市長とあり、誰も信じていない。実質的には3町村が上田市に混ぜてもらったようなもの。「仲間に入れて~」って。
- 大手ホテルのルートインの本社は上田にあるのに、上田市民はあまり気づいていない。
- 上田にもイオンショッピングセンターがあるが、なぜか佐久のイオンに行きたがる。
- 上田のイオンが佐久より小さいから。
- ちなみに、今後オープン予定のアリオ上田も計画を縮小し、イオン佐久平よりも小さい規模になるらしい
- なぜか上田地域の人だけ佐久ジャスという単語を使う
- 特急あずさの車体をJRから買ってそれを民宿を経営している強者がいるらしい。
- 今は更に千葉で走っていた113系も手に入れている。
- 映画サマーウォーズの舞台に!
- だが、あまり知られていない・・・
- 真田幸村(信繁)が戦国BASARAに登場するため、そちら目当てで来る人の方が多そう。
- 映画マリみての薔薇の館(旧宣教師館)があるが、それ目当てで来るのは稀だろうねぇ。
- 上田高校の門は、一見しただけでも学力優秀な生徒しか入れなさそうな外観である。旧藩主館の門とお堀を残したものとはいえ……。
- 県内においては十分進学校であるといえる。が、どうしても長野と松本深志にはおいつけない。
- というか最近は追いつく気もあまりない。元々勉強のできるバカが来る高校だった上に昨今は拍車が掛かっている。
- 県内においては十分進学校であるといえる。が、どうしても長野と松本深志にはおいつけない。
- 信州大学繊維学部がある。これは昔、上田が養蚕で栄えていた名残。(上田蚕糸専門学校、上田繊維専門学校からの流れ)
- この校舎も結構文化的価値が高いらしい。内部見学の価値あり。
- 国分寺・国分尼寺跡が並んであり、資料館とともに双方とも整備している。両方ちゃんと整備しているところってそうないのでは。
- 史跡の真ん中をしなの鉄道の線路が通る。地下通路があるので行き来はできます。
- 信濃国分寺資料館は上田城櫓、上田市立博物館との共通券もあるが、残りの施設は上田駅近辺だがこれだけは離れているので利用されにくいと思う。
- 戦国時代、小勢力ながら有力大名相手に2度も負かした大名がおり、その合戦の舞台になった。1人は真田昌幸(vs徳川、上田城にて2回)、もう1人は村上義清(vs武田信玄、上田原の戦い&砥石崩れ)。
- ただし、村上義清はお隣の坂城町の戦国武将(当時上田市一帯を支配していた)なので、上田市民からしてみればいまいち親近感はない。おらが故郷の戦国大名は真田氏という感覚
- 「みすゞ飴」の本店が上田駅前にある。古き良き洋館を生かした店内のしつらえがよいうえ、一個一個紙に包まれ、さらに箱入りになったみすゞ飴も販売されている。
- みすゞ飴、お土産にいかが?
- そこのジャムやマーマレードもおいしい。しかも種類豊富。
- 岩鼻というブタの鼻みたいな奇岩が有る。
- 上田駅前のロータリーのバス停の風よけ(?)の幕、2010年頃はサマーウォーズや戦国BASARAが描かれ、2016年には大河ドラマ館の案内が。他にも町中にBASARAや戦国無双のキャラを描いた看板も。結構ミーハーというか、めざといというか。
- 『真田丸』で前年比10倍の観光客が来たが、大河終了で観光客激減、元の木阿弥。市民プール潰して新設した駐車場はガラガラ。元に戻して欲しい。
- 上田日本無線が国分寺の崖の上にあるのは無線の電波が飛びやすいから。
塩田[編集 | ソースを編集]
- 上田駅から別所温泉駅まで結ぶ上田電鉄の鉄道路線の別所線が走っている。
- ナニコレ珍百景に出演したことがある。登録にはならなかったが。
- 最近電車が変わったらしい。
- 別所線の沿線には、泥や神殿がある地面そのものを御神体とする神社がある。いずれも長い歴史を持つ。
- 八角三重塔が少なくとも県内では有名。北野建設の自慢CMで。
- もしかしてそれ、安楽寺境内にある国宝のことでしょうか?
- ぱっと見、四重に見えるが一番下のは裳階といって、階があるわけじゃないらしい。あと、良い構図で写真を撮ろうとすると墓地に入ったり横の山に登りたくなるが、墓地は地元の方のだし、塔は見上げるもので見下ろすもんだし山にも入らないでください、とのこと。
- 田んぼが広い。古くからの穀倉地帯で池がたくさんある。
- 信州の鎌倉と言われるのがここの別所温泉。八角三重塔とか、鎌倉時代の寺院なんかがあるから言われたらしい。
- 鎌倉時代、2代執権北条義時の三男の北条重時(極楽寺流)の五男の北条義政は、元寇の際に幕府連署の要職を務めていたが、蒙古軍との和睦を主張したため連署を外されて塩田荘に隠棲する。
- 義政は教養人であったため安楽寺三重塔などを創建し、塩田には鎌倉仏教や禅宗の僧侶など教養人が大勢集まって学問と宗教の一大中心地となり、義政以後3代に亘り塩田は「信州の学海」と呼ばれ、今でも多くの中世遺構が残る。
- 別所温泉には北向観音がある。善光寺とともにお参りすべし。
- 南向きの善光寺と向かい合っている、という設定だったはずだが、こちらは厳密には北北西向きで、経度でも善光寺よりも若干西に位置する。向き合ってない。
- 別所温泉には由緒ある宿も多いが、中でも「花屋」は幾つもの離れが渡り廊下でつながった広大な敷地・建物。大正時代の建物で登録有形文化財指定。贅沢。
- 本州大学(現・長野大学)は旧塩田町が全額出資して設立した大学だった。
丸子[編集 | ソースを編集]
- 元々は丸子町だったが、平成の大合併が始まる前に上田市に合併した。ちなみに上田電鉄は昔は「上田丸子電鉄」といい、その後「上田交通」となった。
- 始まる前?だいぶ逆だよ。丸子が上田と合併したのは2006年3月だったんだが、時期的には平成大合併が終盤に差し掛かってるあたりだった。
- むしろ、中盤か。
- 上田温泉電軌と丸子鉄道が1943年に戦時統合で合併して上田丸子電鉄になった。1917年創設の丸子鉄道は生糸輸送という収入源があったために創業から健全経営だったのに対し、旅客輸送に頼る上田温電はバスとの競合もあり1920年の創業から経営は不安定だった。
- 1960年代より製糸業不振とトラック輸送への転換により丸子線の収益が悪化して、1969年に丸子線廃止。
- 始まる前?だいぶ逆だよ。丸子が上田と合併したのは2006年3月だったんだが、時期的には平成大合併が終盤に差し掛かってるあたりだった。
- 丸子は「まるこ」でちびまるこを連想させる。ぎゃふん!
- よく見たら受話器みたいな形だった。
- 上田との合併後も丸子警察署は健在だ。
- 武石も丸子署管内だ。
- 結局、上田署に呑まれた。
- 依田窪市になっていたら市役所が置かれていたかも
- シナノケンシをもってしても合併は回避できなかった。
- かつての丸子は、岡谷・須坂と並ぶ製糸(生糸フィラ)の町として栄えたが、昭和恐慌で凋落。鐘紡を誘致して綿紡績の町となったがこれも1970年代には凋落。紬の絹紡績(生糸スフ)だけは21世紀まで続くも終了。
- 絹巻きの技術を生かしてAC/DCモーターで食いつないでいるが長期衰退が続き、依田窪市を作る自力はなかったと思う。
真田[編集 | ソースを編集]
- ラグビーの合宿でおなじみ菅平がある。
- 北は栃木、茨城まで、西は名古屋あたりまでから来る。
- サッカーの合宿も行われている。ただし、ほとんどの土産物店ではサッカー関係のものは置いていない。
- 何気に須坂にも跨っている。
- スイスの土地がある。同様に、スイスにも真田の土地がある。気軽に海外旅行に行けるとあって人気だとか。
- 夜中行くと山中にいきなり合宿に来ている大学生向けに煌々とした屋台がある。たぶん夏限定。
- 本来の姿のセブンイレブンがある(7時~23時閉店)。
- Yショップというコンビニもあったが、いつの間にかコインランドリーに替わってた。
- Yショップの前はローソンでした(ローソン→Yショップ→コインランドリー)。
- Yショップというコンビニもあったが、いつの間にかコインランドリーに替わってた。
- 真田氏の資料館には、1985年に放送されたNHK新大型時代劇『真田太平記』の劇中において、真田昌幸(丹波哲郎)、信之(渡瀬恒彦)、幸村(草刈正雄)が着用したレプリカの甲冑類(当世具足)が展示されている。
- 町名の由来となった真田氏は上田城主であった。関が原の戦いでは豊臣方について敗れるも命だけは助かり、和歌山県九度山に流された。その縁もあり九度山とは姉妹都市提携を締結。
- その資料館は最寄のバス停からひたすら何もない道を45分~1時間くらい歩かないと行けない場所にある。途中に自動販売機すらない。
- 関ヶ原の戦いで昌幸、幸村と決別し、東軍方の武将の一人となった信之は、最初は上田藩の藩主となったが、のちに松代藩(現・長野市)の初代藩主となった。
- 野口みずきの活躍以降、陸上が台頭しつつある。
- あまり知られていないが、菅平を開拓したのも上電グループである。
- 正確に言うと上田温泉電軌を創設した上田の商人達が、菅平開発も行った。上田温電は1920年の創設から経営不振で、青木線は早々に廃止となり、北東線(真田傍陽線)も上田駅から菅平や嬬恋に直行するバスとの競合で苦しい経営を強いられた。
- 傍陽線は地蔵峠を越えて松代まで延伸する壮大な計画だったが、トンネル建設がネックとなり計画倒れに終わる。一方の真田線は計画でも大日向までで(資金不足で真田駅までしか建設できず)、菅平まで延長する計画はなかった。
武石[編集 | ソースを編集]
- 「たけいし」じゃなくて「たけし」である。人名か!
- 野外彫刻の美術館がある。
- 今もやってるかは不明だけど、平日の11時になるとそこと関係のある東京の放送局でその美術館の鐘が鳴っていた。
- 室町時代から存在したが、戦国時代から明治の市町村制直前までいくつもの村々に分割されていた。
- 依田窪南部中学は長和町との組合立だ。
- かつて武石村だったときは自分の名前と同じだと言うことでビートたけしが時々ネタにしていた。
- それが縁かは不明だが、村制100周年のイベントで、ビートたけしのオールナイトニッポンの公開生放送がここで行われたことがある。
- 武石公園が武石の中心部に横たわっている。
- 武石丼というご当地丼を発表するも現在もやっているか不明
- GWになるとフェラリーの大群が美ヶ原に登る。