下市町
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大 阪 |
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下市町の噂[編集 | ソースを編集]
- 下市町は割箸生産が日本一。
- かつて石川の輪島に「割箸は森林資源の無駄遣い」と言われた時は町をあげて反論(割箸は木材の不要部の再利用)
- 最近は中国におされている。
- ちなみに下市町の不法投棄防止の看板は「下市はハシからハシまで美しく」。
- 下市町商工会の2006年のコピー「あるある2006年だ、フォ〜!!」。誰か止めなかったのか?
- 2008年はおしりかじり虫がお出迎え。
- 千石橋のネオンは毎年マメにデザイン変更
- 大○レンタカーの前のネオンも同様。
- ぜんぎ小学校というすごい名前の小学校があった(善城)。ただし年寄は「でんぎ」と発音。
- 伃邑(よむら)という地名があるが、「伃」という字は普通変換されないので、郵便番号簿や、企業の住所では「よ邑」と書かれている。
- 雑な地図だと「仔邑」になっている。
- ケータイ閲覧者の方へ 表示されない字は「イ予(にんべん+予)」。
- 伃邑はもともと四村。草谷・間戸・稲貝・高原の4垣内で構成されていたから。
- 現在、伃邑の中心的な集落は「岩森」だが、岩森は比較的近年に成立した集落なので、上記の4村には入らない。
- 奈良交通のバス停も、下市口駅前の観光看板も「仔邑」と誤記されている…。
- 「よ邑」が見たい方は「秋野郵便局」を検索してみて。
- 明大町は明治大学とはこれっぽちも関係が無い。
- 前町長が合併を巡っての確執からか、同じ吉野郡内のK村とT村を「お荷物」呼ばわりしたせいで下市は危うく吉野地方の鼻つまみ者になるところだった。だが、町民が次の町長選選挙でこの暴言町長を落選させたので下市はK村・T村と仲直りする事が出来た。
- 俺は許してないぜ。勘違いすんな(父がT村出身の大阪府民)
- どうせ合併するなら国民健康保険給付費支払準備金基金を使ってしまえ!と当時の会長が旗を振って他町村の1/10くらいに減らした
- その後任も退任したので「前町長」は「元町長」となった。
- 吉野・大淀にある町営バスがない。どうやら某こんにゃく屋が強硬に反対しているみたい。
- 下市町民は平原綾香を「へいばら あやか」と一度は読む。
- 原谷は「椎原+杣谷」の足し算地名だが、何故ありふれた漢字のほうを合体させたのだろう。
- 読みやすいからだろ。普通じゃね?
- 郵便番号と大字が一致しない。郵便局の都合としか思えない。
- 大字下市(町内会は10以上ある)で田中町と栄町が、大字伃邑(5つの集落)で岩森だけが別に郵便番号がある。うち栄町には簡易局が、岩森には秋野局がある。
- 大淀町の1/3の人口なのに小学校は大淀と同じ3校。阿知賀小学校の存在意義が不思議。
- 2011年3月で阿知賀小学校も統合、閉校となり、町内の小学校は下市小学校1つきりとなった。
- 千石橋の橋の近くの橋の上にたこ焼き屋があるがなぜか潰れない。
- 2011年4月で閉店、店も解体されました。跡地はみごとに河川敷
- 下市健民グラウンドと下市中央公園では雲泥の差がある。
- 下市中央公園では「ワイワイサマー」
- 『○倉』のコロッケのうまさは異常
- コショー効きすぎなだけ
- 平成23年11月と12月に「下市町をよくする為」という文書が全戸配布で配られた
- 内容は読売新聞にも掲載された「町長公用車でラウンジ通い」
- その後町会議長が贈賄容疑で逮捕
- 贈賄議長の後釜に公用車でラウンジ通いの同行した議員が収まる
- 2011年1月7日競売入札妨害容疑で副町長逮捕
- その昔は水運で賑わってたらしいが・・・。
広橋[編集 | ソースを編集]
- 月ヶ瀬、賀名生とならぶ奈良三大梅林の一つ、広橋梅林がある。
- 並ぶとは言うものの、賀名生が20,000本、月ヶ瀬で10,000本に比べると5,000本と大きく劣っていたりする。
- 広橋八幡神社は由緒正しいかは不明だが、南北朝時代には既に存在していたと思われているらしい。
- 一応、後醍醐天皇が賀名生へ逃げるときに立ち寄ったとか言われている。
- 割と太い杉の林が、いかにも山間部の古社という感じ。
- 安楽寺観音堂のお葉付き銀杏は、知る人ぞ知る名木。
- 葉に種子をつけるというのがこの木の特徴で、これは裸子植物の公孫樹の木において普通はありえないものとして評価されている。