世界の七不思議
- 元祖はギリシャで紀元前2世紀に書かれた、一種の観光ガイドブックに由来する。
- 日本語で「世界の七不思議」、英語でも"Seven Wonders of the World"と呼ばれるが、原書に不思議という意味はないらしい。
- 「驚異に値する景観」=「奇觀」と思う。
- 中には後世になって作られた七不思議によって「実存しない空想上の建造物」という誤解をしている人がいるが、元祖のものは全て実在している(た)。
- 少なくとも元祖で書かれたものは全て実在している(た)ので「当時の土木技術のレベルを超越している」、「物理的に可能とは思えない」という意味ではない。
- 元祖七不思議に次ぐ「世界八番目の不思議」も世界中に存在している。
- キングコング(怪獣)やアンドレ・ザ・ジャイアントもこう呼ばれたことがある。
元祖「世界の七不思議」[編集 | ソースを編集]
- 紀元前2世紀に、ビザンチウム(現:トルコ・イスタンブール)のフィロンが書いた本によるもの。
ギザの大ピラミッド[編集 | ソースを編集]
- 唯一現存する建物。ご存じエジプトのあれ。
- 記録上、最も古いものでは紀元前5世紀の書物に登場するが、この時点ですでに建設から2000年経っている。
- 当然、建設当時の記録は残っていないため、どうやって造ったのかは今でも謎のまま。
- これだけで七不思議という言葉自体が誤解された理由になっているのかも。
- さらに言えば被葬者が「クフ王」かどうかも論議の的になっている。
- 紀元前26世紀の人物らしいが、当時から残されているのは小さな像一体。
- 考古学者が、なぜ「クフ王の墓」と思ったかというと、ピラミッドの中に「クフ」と書いてあったため。
- しかも綴りが間違っていた。
- そのため「そんなラクガキを信じるのか」という異論も当然出ている。
- 農閑期の農民の失業対策として建設されたという説がある。
- 完成当時は頂上に金箔が張られていた。
- その金箔がどこに消えてしまったかはおそらく永遠の謎。
- まさか大凧に乗った怪盗が盗んだわけではないはず。
- その金箔がどこに消えてしまったかはおそらく永遠の謎。
バビロンの空中庭園[編集 | ソースを編集]
- これも名前から「空中に浮かんだ庭」と誤解されるが、今でいう屋上庭園のようなもの。
- 建設時期は紀元前600年頃。砂漠の国に嫁入りするのを嫌がった王妃を慰めるために造ったとか。
- 今も昔も娘を持つ親は大変だ。
- 破壊されたとされるのは紀元前538年。短命だった。
- 場所はバグダードの南。今でもそれらしき遺構が残っているとか。
- すぐそばにはバベルの塔がある。でもあれこそ空想の建物じゃなかったっけ?
アルテミス神殿[編集 | ソースを編集]
- アルテミスというのは、ギリシャ神話に登場する女神の名前。
- 建設時期は紀元前7世紀で、紀元3世紀まで存在していた。
- 1回放火で焼失して再建されたがまた放火で焼失した。
- 場所は現在のトルコのエフェソス。
- こちらも遺構は残っている。
- 現在は誰かが後年積み上げたと思われる柱1本が建っているだけ。
- 最も有名な「世界の七不思議」のリストをまとめた人物であるフィロンが一番絶賛していたのはこれ。
オリンピアのゼウス像[編集 | ソースを編集]
- ギリシアのオリンピアにあったゼウス像
- まんまだなw
- 本体は木製で、表面に象牙が貼ってあった。
- 座像だが全高12mあったとされる。
- 紀元前435年に造られ、古代オリンピックのご本尊だった。
- 西暦425年か475年に火事で焼失した、とされる。
- 上記のような材質でさらに常にオリーブ油が塗られていたということもあり非常に燃えやすかったのは想像に難くない。
- 像そのものの遺構は現存しないが、1958年に工房らしきものが発見された。
- 晩年にはコンスタンティノープルに移設されていたらしい。
マウソロス霊廟[編集 | ソースを編集]
- 現在のトルコ南西部・ボドルム市に存在したカリアという国の国王と王妃の遺体を安置するために造られた霊廟。
- 王の存命中に建設が開始され、紀元前350年に完成したとされる。
- 度重なる地震によって徐々に崩れ、西暦1404年には土台のみに。
- その後、同地を征服した聖ヨハネ騎士団が、1494年に城を要塞化するための資材として残骸を使用。
- さらに1522年、オスマン軍の攻撃に備えてまたも資材として使われ、残骸がなくなる。
- 1956年、大英博物館が調査に乗り出したが、この場所はなんと住宅地になっていた。
- 何とか所有者から土地を買い上げて発掘に成功、遺構が見つかった。
- 現地の遺構のほか、大英博物館に遺物や彫刻の一部が収蔵されている。
ロドス島の巨像[編集 | ソースを編集]
- ギリシア領ロドス島にあった、太陽神ヘーリオスをかたどった像。
- 全長は34メートル。台座まで含めると約50メートル。これはアメリカの自由の女神像とほぼ同じ。
- 戦勝記念に12年かけて造られ、紀元前284年に完成した。
- 外装の青銅は敵軍が遺棄した武器をリサイクルしたもの。
- 紀元前226年に地震で一部が倒壊したが地元住民はバベルの塔のように神の怒りを買ったのだろうと考えて再建しなかった。
- ただし残骸は以後約800年間残っていた。
- 防波堤の両端に台座を設置して巨像は港口をまたぐ姿勢をとっていたと言われているが近年になって否定された。
- 想像図を見るとどれも膝付近から折れそうな気がする。
- 654年にこの地を征服したイスラム勢力はこの像に興味がなかったので完全に破壊した。
- イスラム教は偶像崇拝を禁止しているため。残骸は商人に売られた。
- そのため、遺構は全く残っていない。
- 像を再建しようという動きもないわけではない。
- 資金不足で毎回頓挫。ギリシアだしなあ。
- 実際に立っていた恰好(港の入り口を跨ぐか跨がないか)も問題になっているとか。
- 服装は腰布をまとっていたとする説もあればスッポンポンだったという説もある。
アレクサンドリアの大灯台[編集 | ソースを編集]
- エジプト・アレクサンドリアのファロス島(アドリア海に同名の島とは別)にあった灯台。
- これによりファロス=灯台の代名詞になった。フランス語でファーレ、イタリア語でファーロが灯台を意味するのはこのため。
- 高さ134メートルの巨大な灯台だった。
- かつてギネスブックに世界最高の灯台として記載されていた横浜マリンタワーよりも30m近く大きい。
- 日中は太陽光、夜間は火を焚いてその明かりを鏡に反射させていた。
- 56キロ先でも見えたらしい。
- 鏡の反射光を船に照射したら燃えたといわれている。
- 実は1323年まで存続した。
- バビロンの城壁を空中庭園と勘違いした後年の歴史家によって世界の七不思議に追加された。
- フィロンが「自分の国の不思議は入れない」と決めていたため。
- その巨大さから中国(元)の文献にも記されるほど広く知られていた。
バビロンの城壁[編集 | ソースを編集]
- 新バビロニアの首都バビロン(イラク)を囲んでいた城壁。
- 高さ90m、厚さ24mで二重構造、総延長は数十キロになっていたとされている。
- ちなみにベルリンの壁は最も高い部分でも4.2m。
- さらに門が100、塔が250あったとされる。
- この壁に設けられていた門で最も有名なのは青い瓦が特徴的なイシュタル門。
- 現在はこのイシュタル門だけが2004年に復元されて建っている。
- フィロンが選出した世界の七不思議には入っていたが後世に空中庭園と混同され消されてしまった。